二三 日本人の欠点  杉浦重剛

 自分は、日本人の欠点の中の一つとして認める所、今日の学生諸君の目的なるものに就いて、何時も遺憾に思つてゐるのは、独立の精神を欠き易いといふことである。けれども此処に言ふ独立は、独りで生活するとか、独りで学資を作つて勉強するといふばかりの意味ではないので、つまり学問の独立、事業の独立などゝいふ所の独立を指すものである。
 今日(こんにち)の学生は何(ど)うかといふと、この独立といふ確固とした精神を持つてゐるものは極めて少く、まづ学校を卒業すれば、直(すぐ)に官吏になれるとか、月給取になれるとかいふ鼻先の考(かんがへ)ばかり持つてゐる。否、其(そ)れを目的にして学校に入つたり、学問を修めたりするものが十中八九を占めてゐるやうである。だから、大学の理学を修めても、理学上の大発明をして国家を益しようとかいふものはなく、却つて卒業後の需要の多少を目的としてゐるものが多い、従つて一廉の学校を卒業すれば、もう夫(そ)れで自分の勉強は終つたといふやうな顔付(かほつき)をして、夫れから先は学問などを抛棄(はうき)してしまふものが多いのである、是れは何(なん)と慨嘆すべきことでなからうか。
 自分は、一体卒業といふ二字がごく嫌ひである。卒業などといふことが、此の人間の一生の中にあるべきものではない。人は飽くまでも勉強し、奮闘して死ぬまでは其の志(こゝろざし)を弛めてはならない。然るに今の学生は、多く其んな真面目な堅い志を抱いてゐる者がなく、学校を出た後(のち)は、皆意気地無しになつてしまふ。是れではとても大事業の出来る筈(はず)がないと思ふ。夫れは物質的の進歩をした二十世紀の今日だから、強ち夫れが絶対的に悪いと言つて責めるのではない。夫れだとて官吏や教師が間接に国益をしないと言ふのでもないけれども、日本の将来を托(たく)すべき青年が比々として此の間接な就き易い方面にのみ走つて行くのは、決して喜ばしいことではない。否、大いに嘆かなければならぬことである。
 是れといふのも、畢竟独立の精神がないからで、勇往邁進といふやうな剛毅(がうき)な気性がないに依つてである。詳しく言へば、確(たしか)に今日の日本の青年は、余りに気力を欠いてゐる。其の結果としては、将来学者に専心研究的のものがなくなり、文学者に大傑作や大著述を出さうといふ者がなくなり。[ママ]政治家に真実国家を思ふ者がなくなり、事業家も亦其の通(とほ)りで国家の為に一肌脱いで行(や)り徹(とほ)して見やうなどとする者がなくなり、総(すべ)てが弱腰ばかりの寄合(よりあひ)になつてしまつて、夫れには姑息極まる無気力な人物を以て満たされるやうになつてしまふであらう。夫れを以て日本は、果して将来彼(か)の文明の度の日に進みつゝある諸外国と対抗することが出来やうか。夫れは極めておぼつかないことである。夫れ故に、今日教育家の最も心を用ゐなければならぬのは、学生に此の独立心を能く教へ込むことで、此の独立心を教へるには十分に意志の方(ちから)[ママ]を発達させるやうに力(つと)めなければならぬ。且つ此の独立心といふものは、決して青年ばかりに必要なものではなく、一生を通じて修養しなければならぬものであるから、教育家たる者は大いに之にちゅういしなければならぬ。
 日本の中等教育では、一方に於て盛(さかん)に武士魂を注入すると共に、此の独立の精神を熾(さかん)にして、日本人には研究心がないなどと非難される大欠点を除くやうに勉めなければならぬ。

(『日本の精神』に拠る)