第二篇 民族闘争に於ける文化 (諸民族間の政治的文化戦)

 本論は第一篇の依拠せると同じ原書中にある論文にしてフムメル氏の筆になるものゝ飜訳である。

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一、政治的文化闘争の意義

  殆んど凡ての文化現象茨び表現形態は諸民族の政治国事の中心灯用ひられてゐ告狭義
 申文化は宗族の心的並びに精紳的本質の外柑表現であつて、それ漑民族の椅詫態度に
 必要な力を附輿し、図民生所の恒久的な倍値を創造し、民族の緊密な一鰻性の埠漁を促進す
 ′去に適したものである.自国の国民的文此形願を壌めんとすることが結局の周題であつそ
                                                                        −
 も、文化の手段を以てする政好闘争は常に他の文化の破壊若しくは梯除を目的とする0平和
 裡の戦の殆んど凡ての他の形態は圃家相立間の開替か民族相互聞の闘拳か国家の民族に封
 する園尊かの何れかであるが、政治的文化闘争は国民文化或は民族文化の問に行はれる〇一
 般に政治的文化開挙が政治目的の為に行はれるならば、それは琴伺民族封民族の闘季とし
、て戯は畑、その際民族は往々或は常に民族の組織働態であり或はあるかの如く見せかけて
 ゐる竺図民圃家の諸手段を用ひる0而して妄化の破壊や維持の為の国事或は宗族や

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一民族集団の文化意志を発揚する為の闘争は、国境或は主権、経済及び交通の為の闘争の如く直接に民族対民族の闘争として行はれるのではなく、先づ個々民族成員に対して行はれる。それ故に其の民族の文化の高さが此の民族成員の抵抗にとり決定的であり、文化が高ければ高い程、それに応じて精々同程度であり決してそれ以上高度でなく、多くは低い程度の文化に対する抵抗力は強いのである。個々人の獲得が此の闘争の目標であつて、攻撃者の文化に同化されるか、少くとも自己の文化を全然失つてしまふかの何れかである。併し此の領域に於ては防禦手段は結局自力即ち個々人の文化力である。 − 此れ以外の他の手段や法律的の権利主張に訴へる防禦手段は存在しない。権利主張に依つて目標に到達し得るや否やは政治闘争の他の領域に於けるよりも疑問である − 長い間圧迫された後に於ては文化的特性の回復は稀にしか成功しなかつた。
 言語や文字・姓名の権利・教育や宗教の如き文化の自明的な表現形態を始めとして凡ゆる種類の藝術・学術・習俗・文化伝統の如き醇化された創造的な諸形態に至る迄、凡ゆる文化財が此の闘争の中に引き入れられ、異文化に対し攻撃戦を行ふ民族にとつては如何な

る文化財と雖も神聖ではない。政治的敵対国 − それが唯想像上の敵であつても − の文化は彼等には敵の存在の一部として考へられ、殊にそれは最も重要な部分であるから、それを完全に破壊することが企図される。間接的に政治目的を達成せんとする此の文化闘争の直接目標は、消極的な攻撃方法の場合には異文化の破壊・排除であり、積極的な攻撃方法の揚合には自国文化の伝播である。その手段は或る場合には異文化の圧迫・等閑視・解釈の改変・剽窃等の凡ゆる種類であり、他の場合には自国文化の宣伝及び攻撃的な文化的誇示である。此の二つの攻勢的手段は夫々その方法に従つて、国内で他の民族に対して用ひられ国外で異民族に対して適用される。
 自国の文化領域にのみ適用される文化防禦の手段はそれと異り、守勢的最低要求としては文化の維持と主張であり、積極的形式としては回復と防衛である。文化の為の文化を以てする政治的闘争は防禦の手段として反撃を知ること稀であるが、それは手段が余りに一方的に最初に襲撃するものを利するからである。反撃はポーランドとチェッコ間の少数民族条約を締結せしめたり、国際条約に於ける保障を生むに至つたりした。かくて例へばフィ

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ンランnはソ聯とドルバト丁年和條約を締結し−カレリェk及びインゲルマンランドに於
けるフィンランド少数民族の為に保障が成されたのである。併しソ聯は勿論此の保障晩的
を履行しなかつた勺Lれは他の国家内に展性サる自閥民の問題に封する最初の干渉であつ
た。文化に対する簡め如き攻撃は常に民族慨灯封する一般的の政治的攻撃の随伴現象若く
は協同作用的主要部分である.劣極α目槙は決して此の文化の破壊に森るのではなく、常
に攻撃された民族の政治的生清樺を出来る丈縮小すること忙在るのでぁゥて均それ瀬丁度
                                 仙        こ
政治的攻撃が度々文化の破壊を目捜とする如尊もの甘ある¢此秒紺争はむれ故に諸民族の
卒和的史此競争とは無関係であり、見れは普遍安卦町にして人類の上川高き生紡理想を資
                            −
現するに適した諸圃民の文些父換及び文化的接近の手段どは何等の関係が無い。此凝の手
                                                                                          ′
段はその公明性と一犠性とを有する鮎に於て、政治目的に奉仕する諸民族間の文他国季に
見られる不公明な方洗と直別される。】民族の創造的文化業績は決して闘争手段ではな(、
                     ●
それ自身充足せるものであり、各国民の正常なる生活意志と生掛の進歩と望見献する0凡
ゆる偉大なる国民は表に人間生活の蓋としての共通芸此理念義挙し卜個々の囲民
瀾増叫‥頭趨漑柁意レて葬式熱と表具を記謂じ苧寸人目囲にも領ユJ√Jものを受入飢「垂烈民族但から篠丁、
                               、ゝ村
 れ民族性自鰭とさへ見倣らされる文化形態たる輸入し得ざる他国民の文北は受入れすに措
 くのである。
                                         ●
 政治的目梗を有する一文此に封する闘替は1仮令終局目標は文化仝鰭で感つても・」1
                                 tr
 攻撃鮎を分解する。それはその方法を以て兎づ文化生活の個々の部面を払撃し、或は此め
 部面を自国文化の俸播収用ひて、その結農政治的利益を収める。併し一文他の防禦は金鰭
              心
 として行はれる。何となれぼ一つの文化領域に於ける放任の結兵は必然的に他の文化領域
の後逸を惹起するからである。然る時はそれに俵つて敵封考の政治目接が到達づれるの甘
 ある。防禦は一文化領域の結合濫伐つて、若しくは文化的自治を獲得せんとする闘争に依・
 って行はれる。何となれぼ自国内に属性する民族の専らなる啓蒙は文化的民族閑率の守勢
 的手段では無く、明確に内政的啓蒙手段として特色付けられるからで計る。
 政治目的設定としての文他的結成、甜ち古い民族的結合の回復は、種々の国家に分れ或
は乱己の固革を有せやして他の民族の↑に少数民族としイ凄活してゐ&民族の政讐数十
                     ′                                        .ゝ
2e

                                                                              ー
 年来特色付けてゐる0かくてョーロ■ツバ及びラテン・ア〆リカの全然猶立せる国家のみが.
 属して計る汎イペリヤ運動は純粋に文化的な運動であり、その目的牲北米の文化形態がラ
 テン・アメリカの世界に侵入するのを妨げることである。人々は共感の式祭(人種記念日と
                                                                /
 しての十川十二日)、共通の博度合、合議、密接なる文化交換等に倣わ母国と結合されてゐる
 が、それは北米合衆圃の汎アメ丸力的企固に封し有数な均衡を保つ為である。一九三六年の
 補填文化協定、アラビヤ諸岡の文化協足、ハ†ガリ∴フイランド、エス十ニヤの聞及びアイ
 ルランドのケメト人とプレターニュとの間切文化協定の如きは同様の防衛工作である.最
                                                               ′
 後の事例Y企固には過去十年悶の一般的民俗畢的努力1有れは此琴南種間の血縁関係針
 箱教見し例へぼ悌掛西に於ける如く文化的地方分樺主義を大いに促進したが−大いに役
 立つた。凡ての国民的圃家(畢一民族より成る圃毅)の民族思想の増大と共に、他の影響を
 防ぎ精紳的並びに経済政策的紐帯を作り出す為に、同一α圃民文化を有する凡ての民族集
 図の文化を維持し結成せんとすサハ粛鮎かa他の由家内に居臥する民族同胞の拳も考慮に
                              止▼
 入れられたことは東めて現調する必要はない。在外同胞の民族性をその寄留圃の政治攻撃
題朋溺媚箋州   欄憎感欄感瀾
 准外ポーランド人国際轡在外リトワニヤ人国際撃在外エス十ニヤ人囲鰭・フィンランド
 悌禽・チェッコスロプアキヤ在外研究所及びコメニュース協禽ユーゴースラヴイヤ人圃際
 筋合・在外ハンガリー人囲・在外伊太別人から成るダンテ・アリギユリ協合・デンマーク
 人の国境音譜・畢校協合・務外スエーデン人協合・在外γルウニー人協合・在外璃逸
 人協愈等がそれである。此等の幽憶の目的は、外因の圃顆を有する此至つた自民族所属員
 の民族性を維持せんとするに在る。慈善的救済政策は民族性維持の手段ではなく、一般政
 治的、文化政策的、世界観的、精神的手段が民族性の防衛の為に採用されねばならぬので
  ある。                 .
  寄掛圃例の具眼の士も少数民族の固有文化の維持に賛成の意を表してゐるが、他の多く
            −▼
 の人々は「精神的文北的に異質なを事は国家に射する反抗を意味すきと考ぺて反封して、
 頂併し乍ら、宕a留困がも欄内卦e数民族僅文化維持の憤俺を軋袖
 るならば、確かに世界の平和の為に一層よい事であらう.何となれぽ、か⊥る文化圃挙が・

2f

  消滅することに依つて、政治闘争の最も鋭い武器の山が賓を消すことになるからである.
   少数民族が文化的自治(内亡加計utoロOmiの) を得ん止する馬の国事が少数民族の文化.
                  」
 国学であるが′、その瘍合忘民族性への所属灯、個人増エ軌的に民族性へ由所属を表明す
                                                                                                            W
                                                         〜
  ることに依つて決定される場合と」出生・種族・言語・姓名・住所等の外打棒準に依り決定
  される揚合とがあス。前者は主観的原理であり、後者は客観的原理である.その際言語や
   姓名に依つて決定するのは純然たる政治的措置であつて事茸に即應するものではない。度
   々用ひられ、多くの場合最も正しいのは主観的原理に伐つ七決定することである。例へば
  璃逸に於けるポーランド人の畢校自治やエストニヤ転於ける文化的自治である。往々客軌
   的棲準と主観的棲準が併せ用ひられることがある。、その例はシさレスブイたに於けるデa

   ヤーク人の畢校自治である。
                                                                                             ′


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