国家総動員に就て
                    永田鉄山大佐 昭和二年十二月二十日


 世界大戦の幕が閉ぢようと致しました前後から、平和思想が欧洲交戦国民の間に胚胎いたしまして、それが燎原の火の勢とでも申しませうか、世界の隅々迄も風靡いたしましたことは御承知の通りであります。その所産と致しまして、国際聯盟が生れたのでありますが、此国際聯盟なるものは、決して新奇なものではなく、かつて十七世紀の初め、フランス国王のアンリー四世の宰臣でありましたシュリーといふ人によつて提唱された国際聯盟、また第十八世紀の初葉有名なる平和論者サン・ピエル氏によつて提唱せられましたそれと大同小異のものでシュリー案は十五の基督教国の代表者に依り、国際委員会を組織し、各国共通の問題緊急問題を処理しよう、聯合軍を聯盟の下に組織して強制力を持たせよう、争議は最高裁判所で裁決しようと云ふのであり、サン・ピエル案は二十四基督教国の外成し得べくば回教国からも代表者を出して聯盟を組織し、領土的変化を禁止し、相互内政には干渉すまい、各国の常備軍は各々六千に制限しよう、一切の紛議は仲裁々判の審決に委ねようと云ふのである ― それがアメリカの大統領ウヰルソン氏の提唱によりまして、兎も角も其形を具現致した次第であります。
 かやうに、平和論が盛んであり、また、古来学者によつて提唱されました国際聯盟といふやうなものが、その形式を整へては参りましたが、さて、この永久平和なるものが把へ得られたか、またこれに接近し得たかと申しますると、誠に遺憾ながら、どうもさうは思へないやうに感じるのであります。平和思想は其淵源遠く既に太古から存し、或は宗教的平和論或は学理的平和論として時に隆替があり、殊にいつも大戦の後には、著しく高調されたのでありますが、その平和論者中の白眉であり、現実に堕せず余りに理想にも囚はれず理路整然平和の理論を確立したと讃へられて居りまするカント、この哲人カントの平和論の中に、人間は一面に理性的の存在であると同時に、他面利己的獣的の傾向を持つてをる。また人類は、世界協和的の自覚を持つてをる半面において非社交的排他的性質を併せ持つてをるといふ。
 かやうな関係にある以上、各国家に於ける純正なる理想的政治状態の現出は夢であり、世界一家主義の如きも到底不可達成的であり従つて之を前提条件とする永久平和といふものは、遺憾ながら敬虔なる願望に終るのではないかといふことを申して居りますが、どうしてもさういふやうに私共も感ずるのであります。国際聯盟に関しましてもカントは国際聯盟をして平和を保障する権威あるものたらしむるには、国際聯盟に加入する国が、普遍的でなければならぬ世界の国々が皆加入しなければいけない、しかしながら此事は言ふべくして行はれにくいのみならず一面に於ては多くの国が加盟すればするほど船頭が多くて、船が山に登るというやうな弊に陥るであらうから、国際聯盟によつて、永久的平和を保障するといふ期待は、達成不能の念願に終るであらうといふ風に申して居ります。今の国際聯盟の過去現在から推しますと、これまたその通りのやうに思ふのであります。同じくカントの言葉をかりて申上げますならば、彼は永久平和といふものは、遂に恐らく来ないであらうが、しかしながら人類はそれが恰も来るものであるかの如く行動せねばならぬ、と申して居られます。誠に味のある詞で平和を理想とする者が、それに憧憬し、それを現実にする如く努力するのは、当に其所でありませうが、さて、その達成は、人が神にならぬ間、超時間的の問題であらうことを覚悟して居らねばならぬと思ふのであります。
 かやうな次第でありまするので、世界の各国が、いづれも、四年有半に亘つた世界大戦の惨苦に懲り抜いた今日でありますのに拘らず、一方理想は追ひつゝも他方現実に即して依然国防の充実といふことに専念いたして居りますのは、誠に当然のことゝ思ふのであります。

 最近御承知でもありませうが、イギリスにおきまして、ヨーロッパ各国を通じて、戦争前の軍備と戦後の軍備とを比較して見て、果して戦後の軍備が小さくなつてをるであらうかどうかといふことについて、ロイドジョージの一派と、他の或派との間に論争があつたやうでありまして、ロイドジョージ一派は、戦後の軍備が戦前のそれに比較して減少してをらない、他の一派はさうでない、減少してをるというて争つたやうでありまするが、かやうに論争の種となる程それ程戦前戦後の軍備の程度は、欧洲全土を通じて見ますると、大差ないのでありまする。
 私どもの見るところでは、戦後の軍備が輪廓におきましては多少小さくなつてをるやうに見受けて居ります。が、しかしながら軍備 ― 常設軍備 ―  の輪廓が縦し小さくなつたと致しましても之をもつて各国の国防に対する努力が減少した、或は又各国の国防力がへつたといふ風に断案を下すことは、これは非常に大きな誤りではないかと思ふのであります。何となれば、国防施設なるものゝ内容が、以前と今日とは大に趣を異にして来てをるからであります。即ち現今では単なる常設軍備そのものが、国防力の全部を代表するのではなく、国防を形成する因子と致しまして、軍備以外の或他の重要なるものが産れ出てをるからであります。

 只今国防施設の内容が変化して来て居ると云ふことを申上げましたが、然らば今日の国防施設は、従来のそれに比べまして、どういう風に変化をしたかと申しますると、元来、この国防といふ事柄は、万一の場合、戦争を予想して立てらるべきものでありまするが、この国防の対象でありまする戦争、戦争そのものは、時と共に進化して止らないものであります。殊に世界戦によりまして、格段の進化を遂げてをることは御承知の通りであります。
 戦争そのものが進化する、国防の対象でありまするところの戦争が進化をする、これに関聯いたしまして、国防の施設が変つて来るといふことは、これは当然のことゝ思ふのであります。さて、然らば戦争そのものは如何に進化をして来たか、殊に世界戦を一期としてどう変つたか、と申しますと、今日のやうに国民の総意、即ち、国民の総体の意思が国家の行為に反映いたしまする所の政治組織におきまして、戦争といふやうな重大なる国家行為が、国民の自覚に基かずして起り得るものでないといふことは明瞭であります。即ち、今のやうな政治組織におきましては、戦争が起るとしますれば、これは必ずや、国民意思の反映であり、国民の自覚に基いて起るものとかう断じてよいと思ふのであります。即ち、言葉を換へて申上げますれば、今日の戦争は、国民的性質を帯びて来たと申し得ると思ふのであります。
 戦争の性質が国民的になつて来た ― 即ち戦争が国民的性質を帯びて来たその当然の結果と致しまして、戦争が極めて真剣に、極めて執拗にまた深刻味を帯びて来たといふことは、これは当然のことであります。かやうに戦争の性質には変化を来してをるのでございます。かく、戦争の性質の変化と、一面時運の進歩といふことゝ相侯ちまして、戦争の形式そのものがまた変化を遂げて来てをるのであります。即ち工芸化学の進歩に関聯いたしまして、兵器が変革する、それに従つて多量の軍需品を必要とすることになり、一面また交通が著しく発達いたしました関係上交戦兵力が大きくなり、交戦をする地域が著しく増大をするといふ関係から致しまして、武力戦の規模といふものが、従来に比し格段に大きくなつたと申し得るのであります。
 武力戦の規模がさやうに大きくなりましたのみならず、交戦手段と致しまして、武力戦の外にさらに或は思想戦(宣伝戦)だとか、或は経済的資源の争奪戦だとか、乃至は又政略的謀略などといふものが副手段として盛んに行はるゝやうになつて来たのであります。これは人智の増進、人文の発達に伴ふ自然の結果のやうに考へられるのであります。武力角逐 ― 武力をもつてする争ひ ― が戦争の根幹であることは従来と変らないのであります。即ち武力が相手方の交戦組織を顛覆破壊いたしまして、相手の戦争継続意思を挫折するに最も有効であることは今も昔も変りはないのでありますが、この基本交戦手段の外に、只今申し上げました種々の手段が副手段として採用されることになつて来たのであります。
 宣伝戦、これは説明を申上げるまでもありませぬ。かのプロパガンダの戦であります。相手方の戦争継続意思を鈍らすため此の目的に合するあらゆる対外宣伝を放ち、自国民に対しては、相手方の悪宣伝に乗ぜられないやうに又国民の士気を鼓舞し精神の萎縮を防ぐ為に対宣伝を行ひ、中立国に対しては、其同情を博する為に、これ亦各種の宣伝を行ふの類がそれであります。資源争奪と申しますのは、国力を挙げての現代の戦争におきましては、あらゆる経済的資源が戦争に役立つのでありますが、この戦争に役立つ資源をば相手方に成るべく与へぬやう、又相手方のそれをなるべく奪取し、一方自分の方にさういふやうな資源をなるべく増加する如く互に努力し合ふことでありまして、これが為には、或は兵力を用ひ、或は外交に依り其他種々の方途を悉すのであります。
 政治的暴力と申しますのは宣伝その他あらゆる謀略を用ひまして、相手方の国の内に戦争継続に有害なる政治的分解作用などを起さすの類であります。これらの方法が、武力角逐の外に副手段として盛んに採用せられることになつて来たのであります。かやうな有様でありまして、この現代の戦争は性質が国民的となりました関係上極めて真摯、執拗、真剣、深刻でありまして血の一滴、土の一塊をも尽して争ふといふやうなことになつて参つて居り、又形式に於ては、戦争の規模が従来に此して著しく大きく、戦争の期間も自然長引き易いといふやうなことになつて参つて居り、而も又武力角逐の外に、科学戦があり、経済戦があり、政治戦があり思想戦があるといふやうなことになつて参つたのであります。これを一につゞめて申しますると、現代の戦争は本質的に国民戦であり、形式的に国力戦であると申し得ると思ふのであります。
 戦争が斯様に進化を致しましたために、戦争を対象と致しまする国防施設そのものが、変化して来たといふことは、これは当然と申さなければならぬ。以前は、平時から立てゝ居ります軍備、この軍備を動員致しまして、戦時の武力を構成する、かくして構成いたしましたる軍備をば、戦術戦略に依り運用いたしまして、勝敗を決するといふ遣方であつたのであります。
 即ち平時軍備、これにプラス動員イクオール戦時軍備、これが運用といふことが、国防の主体であつたのであります。その外に、戦時武力を培養いたします為に、国家社会の各種の方面に多少の変化を来したのでありまするが、大きな変化は起ることなく、主として戦争遂行といふことは軍部の手に委せられてをつたやうに思ふのであります。
 しかるに現時におきましては、軍備 ―― 平時から立てゝ居ります軍備そのものをも、戦争性質の進化に追随するが如く立直す必要があります。同時に軍備以外に更に進んで、苟も戦争力化し得べき一国の有形無形のあらゆる資源は、総てこれを挙げて組織し、統制し、運用いたしまして、いはゆる挙国的の国防力を発揮するといふために之に応ずる施設をも必要とするに至つたのであります。即ち言葉を換へて申しますると、軍備と共にこれと相並んで国家総動員の施設を必要とすることになつて来たのであります。
 我国におきましては、去る大正十四年に陸軍の軍備整理を実行いたして居ります。御承知の如く四個師団を減じまして、軍の内容を充実いたし、軍容を刷新いたしたのでありまするが、これは只今私が申述べました軍備を戦争の進化に適応せしめたといふ事柄に外ならないのであります。しかして今日、国家総動員準備計画といふことがやかましく唱道されて居りますのは、即ちあらゆる国力を組織統制して、戦争力化すべき準備を整へようと云ふ施設に外ならないのであります。

 国家総動員の準備といふものが、必要であるといふことは、以上縷々申上げた通りでありまするが、一体、この国家総動員といふことは、どんなことであるか、如何なる意義を持つて居るのであるかと申しまするに、今日、動もしますると、国家総動員といふことを人的資源の方面のみに限りまして、国民総掛りで国防に任ずる、これが国家総動員であると考へる向もあるやうでありますが、私が只今申述べて居る国家総動員は、もつと広汎の意味でありまして、仮に定義を附けまするならば、次のやうに言ひ得ようかと思ふのであります。
 即ち国家総動員とは、有事の際に国家社会の全部を挙げて、平時の態勢から戦時の態勢に移り、さうして、国家が利用し得る有形無形、人的物的のあらゆる資源を組織し統合し運用いたしまして、最大の国力的戦争力を発揮する事業である。とかやうに申し得ると思ふのであります。只今資源といふことを申しましたが、資源といふ言葉は、非常に広い意味でありまして、人的物的の両方面に亘つて居るのであります。人的資源の方面では、肉体労力の方面も霊即精神の方面も、両者を含んで居ります。物的資源は、原料、燃料、材料、製品、といふやうなものは素より、更に交通、産業といふやうな諸施設、財政金融と云つたやうな作用迄も含めた非常に広い意味と御承知を願ひたいのであります。国家総動員と云ふことを一言にして申せば、以上申述べたやうであります。

 この国防の必要といふことは今日なほ昔の如く毫も変つて居らぬことは冒頭に申述べた通りであります。たゞ国防施設の内容は往年と趣を異に致しまして、今日では軍備を常設して置くといふ外に是非とも国家総動員の準備施設をも必要とするに至つて居るのでありまして、之亦先刻繰返し申上げた通りであります、しかしてこの国家総動員準備計画なるものは極めて多岐広汎でありまして、これは官民一致各方面の者が真に協調一致いたしまして、力を合すのでなければ其全きを期し得ないのでありまして、国民は何人も不関焉の態度を採つては相成らぬことゝ思ふのであります。
 偖て今や中央の一角に総動員を準備いたしまする所の機関が呱々の声を揚げ準備計画の第一歩を踏み出さんとして居るのでありまするが、この準備計画たる我国におきましては他の列強に此して如何にも困難なるものがあると考へるのであります、と申しますのは第一我邦は已に他に立遅れを致して居ります。この立遅れは精進に依つて縦(も)し之を回復すると致しましても我には第二の難点があります。それは欧米諸国は既に尊い経験を持つて居りますのに、我国にはその持合せがないことであります、之は何としても追ひつけない弱味であります、就中欧米国民がこの総動員の大試練に依りあらゆる精神苦物質苦と奮闘して、四年有半の久しきに亘り得た無形の宝は我国民は之を握つて居らぬのみならず、此間我邦は恰も経済好況時代を迎へて質実の風を殺がれ華美の風を馴致し、軽佻浮薄の風が一世を風靡すると云ふ有様で、一時的に、然り一時的に物質上の利得はありましたものゝ無形上には寧ろ多大の損失を受けたと言ふを憚らない有様で、彼と此との差は月鼈のそれのやうなものがあると云ふ感を禁じ得ないのであります。此点は我々の大に考へなくてはならぬことゝ確信致すのであります。
 更に第三の難点と致しましては、総動員の客体中の物的資源に於て欧米列強のそれに比して著しく遜色の在ることを数へなくてはならぬのであります、斯やうに各種の関係におきまして我邦の総動員準備計画なるものは他に比して、より多難多艱の前途を擁して居るやうに思ふのであります、斯く考へますと、お互この国家総動員準備を完全にするといふことにつきましては他国民に比しまして、幾倍かの努力を必要と致す次第で、発奮一番精根の限りを尽すといふ覚悟が肝要であると思ふのであります。そこでお互は先づ総動員といふことは如何なることであり、如何にして之を準備すべきであるかと云ふことをよく理解し、よく自覚いたしまして、而して此理解此自覚の上に立つて夫々の社会的乃至は職業的の立場に応じ、己れは如何にしたならば最も多くこの準備計画に貢献することが出来るかを自省致しまして、その道に向つて邁進することが最も必要であらうと思ふのであります、大体におきましては各自その地位に応じ忠実に其職務に向つて精進するといふことが取りも直さず国家総動員の準備に寄与する所以ではなからうかと私は考へます。