昭和十年




  /.




一月十四日、岡田首相が西園寺公を興津に訪問し、政犀の封譲合策を説明し、次いで政友、民政、国民同盟の各薫
首を招待して安協を行はんとせるが、常時政府も政薫も中外の形勢が如何に動きつ1あるかを知り難く、後より顧み
て世界的趨勢の動き釆たれるに気付くべき所ながら、その如何に現はれるかを知り難く、徒らに末端を迫ひ或は学ふ
に止まらんとすること、普通に避くべからざる所とせざるを得ざらん。場合に依りて相應に賢明なる人物と見えもす
べきに、勢の熟せずして其の如何に動くべきかを知らず、後に至りて漸次覚知するの避くべきに非ず。今に始まらざ
                                                                                      ヽ
る事ながら、世界の何度にても類似のことあり、柏蕾の人物と知らる1者が智能を搾りて工夫しっ1、大勢が何の方
向を指すかを慮からず、勢に促がされて動きつ1濠期せざる方向を指して進むを奈何ともすべからず。されど蕾時刻
苦tて努力する所が後に何等かの関係あるに恩ひ至り、たゞ今少しく早く之を知るを得ばと心付くとも事は既に遅し。
 、七
下司の智慧は後からと云ふも、事は下司に限らず、第一流成せらる1者もそれ相普の下司たるを免れざることあり。
何の世にも幾許か見る事ながら、近年の如く全世界に開聯して勢の起伏せるが如きことなく、勢を排へずとて一概に
責むべきに非ず。たゞ今少しく早く大憶を通勤し得ざりしものか。政界の一流成せらる1者が眼識の足らざるも飴り
ありと怪しまる1ことありとし、賛際に如何ともすること能はず。岡田首相が各政薫を招待するに、鈴木政友禽総裁
は一應拒絶せるを以て、首相は町田、安達二薫首と舎兄し、次いで鈴木総裁が郁恵したるを以て、十九日、三賞首を


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臣紆レ.【
官邸に招いて午餐合を開き、畢囲援助を懇請し、二十日、葉山に斎藤前首相を訪問して封譲合策を懇談せるが、政降
も譲合も表裏があり、後より顧みて言ふに足らざるが如きに拘泥するを免れず。若し第二次世界大戦の起るの判明せ
んには、官民を通じて態度の定まりたらんも、事が明白を決き、希望する者あり、希望せざる者あり、希望するも希望
せざるも、自国のみにて事が決せず、他囲の苦情が明かならざるを以て、決断に惑ふを免れず。正に海軍の軍縮が問
題となりつ1あり、裏面に可として表面に不可とし、その調節にも駈引を要す。大角海相は民政の小川の質問に答へ,
  現行條約に於て艦型、艦種南方面に亙つて制限されてゐるが、無條紆となれば其のカテゴリーの制限がなくなり、自国に傲り必
 要とせぬ軍艦を節約し、自国に最も利益あり作戦用兵上必要なるものを先づ整備するといふ方法を取り得る。また建璧枕畢も急に
 起るものならず、主力艦の完成するに四年はか入る。徒つて或る囲が急忙津山の軍艦を建造することは容易に出水るものならず。
と答挿し、同じく民政の中島の質問に封し、
  太平洋防備制限條項は、現衣の儀にては帝国に寧ろ不利となるが、軍縮條約とは別簡の問題として、華麻條約より該條項の頼紳
 を汲み、新たなる防備制限協定が締結される場合、我が海軍として之に参加するの用意あり。
と答挿す。若し前の世界大戦に増して更に大戦の起るを濠期せば、別に考ふる所あるべきも、眞賛の形勢の判明せず、
進退に躊躇する所なきを得ず。政友の小笠原の質問に封し、林陸相が、
  増加の主なる原因は航坐部隊の整備充箕の必要が起つたからのこと、現衣の見込みにては大澄四筒年後に此の経費が不要になる
 を以て、満洲事件費は年々襲北する筈、年々牽北すれば一億陶位に縮減出来る絹、それ以1に見込むことは掲難なり0
と答辞せるも同じく然り。若し第二次大戦の切迫するの明かならんには、問題が頗る簡畢となるべけれど、その未だ
明かならず、好救国として世界に立つも如何はしく、軍備に関して態度の明白を放き、娃いて種々の岡垣の起るに及
2



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ぶ。普滝に意識するよりも中外の形勢の切迫しっゝあり、寧ろ避くべからぎる形勢が普通に意義する忙先んぜんとし−
開祖を困難にする所あり。譲合開設以来、政焦が次第に力を張り、政薫内閣は憲政の常道と明言し、何の庚ふ所なき
に及び、却つて政薫よりして政鴬の勢力に妖ひを挟むに及ぶ。政黛より政糞を疑ふに非ず、憲法よりして天皇の何の
位置なるかを明かにせんとし、鉾を帝囲大挙の憲法論に差向け、一般世相に及ばんとす0譲合は表面上に特別の攣化
なく、政焦が依然として封立し、政権獲得に苦心しっゝありながら、前と情勢の攣遷せるに気付き、如何に塵置する
かに惑ふの形なきを得ず。一月十五日、公正合の菊池男が貴族院に天皇機関説を排撃し−二十五日、美濃部が一身上
ょりして照明し、三月入日、濠算案上程の本合議に菊池男、井上男、井田男、阪谷男、橋本−桑山等より痛烈に質問
し、同十二日、政友禽より山本悌二郎が美濃部の天皇機関詮を攻撃し、十六日、衆議院の治安維持法改正法案委員合
に林陸相が天皇機関説の消滅に努力すべきを明言し、十入日、貴族院各派交渉合は政教斬新建議案草案を決定し、二
                                                                               ◆
十日の本合議に、
  方今人心動もすれば軽俄詭激に流れ、政教時に拳固の大義に副はざるものあり○政厚は領く図捜の本義を明後にし、我古本の靖
 民椅紳に基き、時弊を革め庶政を東浜し、以て時難の匡救、国運の進展に遺憾なきを期せられんことを望む、右建議す0
と賢を上程し−満場姦にて可決す〇二十二日、鈴木政友合総裁が歪院本蓋に誓、政、臥、囲三箕同提出
に係る囲鰭明徽に関する決議案の理由を説明し、
  鞠漣の本義を明後忙し、人心の麻趨を明かにするは刻下最大の要務たり0政府は崇高無此なる囲絶と相容れざる官記に封し1直
  ちに断乎たる措置を取るべし。
との決議案を満脇二致にて可決す。譲合閉禽後、三月二十九日の閣議席上−林、大角南相は美濃部学説問題虞置促進


を重し、四月六日、陸軍にて警絶監筐大将の名にて囲燈明徽の訓示を全陸軍に通達し、九日、内務省も「逐條
憲法精義」「憲法撮要」「是憲法の基本主義」の三著書に封し彗禁止を命じ、他の二著書を改訂命令雰に決定す。
入月三日、政府は左の撃明書を襲表す。
   拳 明 書
 恭しく悼みるに1我が豊は天孫降臨の際下し賜へる御鯛勅に依り昭示せらる入所忙して、葺一系の天皇誓統治し給ひ、憲
 の隆は天地と輿に窮なし0されば責驚の御上論に「囲家統治の大穂は朕が之を讐に育て之を子孫に停ふる誓り」と宣ひ、
 霊竺條には「大量帝国は萱二系の登之を統治す」と明示し給ふ0彗大量帝畏治の大警備として富差するこ
 と明なり0若し未れ統治驚天皇に有写して、天皇は之を行使する慮の機関なりと苧が如きは、是れ全く萬邦無比なる我が国
  膿の本義を怒るものなり。
 悪霊霊を癖品捜の本義に閑聯して兎角の諭誓見るに至れるは、定量憾に彗ず0政府は愈遥捜の明敏にカを致し、
 共の彗を教誓んことを期す0乃ち故に意の誉析を彗て、廉く各方面の協力を希苧。
 政薫に於て−政薫内閣は憲政の常道なりと明言して警ざりし日より慧らず、斯かる憲に攣じたるに於て、自
ら信ずる所の動揺するを禁ぜず、新たなる形勢の到達を感じつ1其の如何なるものなるかを明確に認彗ず、香来の
情勢にて運動しっ1其の運動の前と異なるを感ぜず−特に何を如何にすべきやを知らずして、害に世界を通じての絶
大動措の避くべからざるに臨む0而も其の何の形に現はれるかゞ知れず、眼前の事情にて運動し、利か迷路に彷苧
るの形あり○表には嘗に依りて政権を寧ふに熱中し、而して表には徒らに相雲の時局を排へざるの態度なるを
 認め、政局が奇異なる鏡面に映ず。
 歳入警部三三五車八七、入四四囲、臨時部入五七、入二六、四四五囲(普通歳入6二七四、七六五攣

公債金七四九、六五→、六入○囲、前年度剰飴金繰入七、000、000囲)、計二、一九三、四一四、二人九囲。歳出
経常部一て二九三、○入二、入四一囲、
臨時部九〇〇、三三一、四四人囲、計二、一九三、四一四、二八九囲。各省所管別は、




    皇   室   費
    外   務   省
    内   務   省
    大   蔵   省
    陸   軍   省
    海   軍   省
    司   法   省
    文   部   省
    農   林   省
  商 工 省
柑 遽 信 省
    拓  務  省
    合      計
兵備改善に関する経費は、
  経 常 部
   四、五〇〇
  〓ハ、入三〇
  五〇、七四三
 四四四、入七〇
 一七九、八〇四
 二一五、九一入
  lニ五、八入五
 〓一九、五入八
  三〇、五九三
   五、四入八
 一七六、入九大
  一、九六入
一、ニ九三、〇八三



一ニ、入二二
一一〇、六四二
 二八、五一四
三一三、一五五
三一三、七六六
 ニ、二九六
一入、六三一
 六〇、九一九
  七、九六八
一〓、九入八
一入、六三二
九〇〇、三三一
 計(単位千囲)
   四、五〇〇
  二九、六五二
 一六一、三八五
 四七三、三人四
 四九二、九五九
 五二九ニハ八二
  三入二八一
 一四人、二一九
  九一、五一二
  一三、四五六
 一入九、入八四
  二〇、六〇〇
二、一九三、四一四

既 定 餌
 ニ〇五
新規増加額
計へ単位千樹)
   ニ〇五
■ハ)


仙隔









 時  部

軍   省
 常  部
 時  部
軍   省
 骨  潮
 時  部
    計
 骨  此叩
 時  部
   ニ〇五
 入三、四九六
 七」一入五
 七六、二一一
一四四、七人一
 〓九、一入七
一一五、五九四
二二八、四入二
 三六、四七二
一九二、〇一〇
 三六、三二二
一六、二六六
 二〇、〇五六
一〇一、五六三
 ■七、人一六
 九三、七四六
一三七、八入囚
 二四、〇八二
一一三、入〇二
   二〇五
一一九、入一入
 二三、五五一
 九六、二六七
〓四六、三四三
 三七、0〇三
二〇九、三四〇
三六六」二六六
 六〇、五五四
三〇五、入一二
6

昭和九年各地災害封策に関する経費は (畢位千囲)、総額二一六、〇七六。内昭和九年度計上額七〇、六九一、
同十年
度計上額六六、一〇五、同十一年度以降計上額七九、二八○。各省所管別内諾は内務省一二一、七一二、大蔵省二、六〇
七、陸軍省五、五〇〇、海軍省五五五、司法省三入○、文部省一六、五入九、農林省六人、二七二、商工省三五〇、逓
信省一一一。昭和十年度歳出務算の財源たるべき公債は七四九、六五一、六人○囲忙して、内諾(畢位千囲)震災善後
公債七、四五四、道路公債五、五七五、満洲事件公債一七〇、七五五、歳入補填公債五六五、入六入。昭和入年度の決算
に生ずべき歳計剰飴金七七、〇九七、三五入圃。内翌年度に繰越し歳出にして九年度に於て使用すべきもの1財源等に
充つべき金額四四、〇一六、二七七囲を控除し、純剰飴金は(畢位千囲)三三、○入一。内諾七年度剰飴金使用攣額一
九、四二八、入年度新町生ずる剰飴金一三、六五三、右の内既に濠算上財瀕に充薗し若くは濠算計量上将来財務に充薗
転.臣巨【誉貫きk n.rn−
ナベき見込額は、九年度複算の財源に充菖一九、四二入、十年度諜算の財源に充普七、000、差引環験六、六五三。
右攣飴は九年度及び十年度追加濠算の財源に充酋する計董。政府は米穀関係三法案(諾覿遥蹄野蒜瑠)忙就いて衆
譲院委員合に審議を重ぬること十入回、三月二十四日附帯決議と共に衆議院を通過せるも、貴族院に於て審議未了に
終る。政府は禽期を三日開廷長し、米穀法案及び他の通過を期したるが、最終日に貴族院の封政府関係面白からず、
通過を困難と見、延長を断念し、重要法案にて審議未了に終るもの幾箇かに上る。
 岡田内閣は内閣に無任所大臣制を設け、鈴木政友、若槻民政南緯裁を酋てんとして失敗し、軍部にて大調査機関を
患ひ立ち、内閣審譲合を設く。政友合は絶封反対を標梼し、民政薫は賛成に傾き、国民同盟にて中野一次が内閣打倒
に進み、安達等は幾分の賛意を表す。何程の数果あるやの窮はしきも、四月二十六月第二回枢密院審査委員禽に於
て承認し、五月入日、内閣審議禽官制滋に内閣調査局官制に関する勅令案を可決すり内閣審議禽官制は入條より成り、
最初の三條は、

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夢一保 内開審議曾は内閣に隷属し、その諮開に應じて重要政策に付調査審議す。内閣審議曾は重要政策に付内閣に建議すること
 を得。
筋二條 内閣審議曾は曾長一人、副曾長一人及び委員十五人以内を以てこれを組織す。
第三條 曾長は内閣線理大臣を以て之に充つ。副曾長は囲務大臣の中より之を勅命す。委員は練達堪髄の者より簡扶して之を勅令
 す0
とあるが、翌九日、岡田首相が鈴木総裁を訪問して参加を奨め、而して拒絶され、同窯より水野及び望月を得ること
にす。十一日、官制と共に左の十五名を審議含委員に任命箆令す。
7


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ノql11

  斎藤賓、山本達雄、水野錬太郎、伊澤多事男、馬場鉱ニ、望月圭介、安達謙款、川崎卓青、青木信光、黒田長和、秋田清1叔母
  木桂台、富田幸次郎、各務錐青、池田成彬。
斯かることが何の敦果あるやの疑はるゝも、これを設置するの必要を認むる所に時の情勢が察せらる。政友禽は内閣
に反封を標傍しっゝ、水野、望月両人の内閣審議合入りが同禽の親和を示し、政局を如何にするが最も適蕾なるか、
各自何等かの意見あるに似て如何なるかゞ明白を快く。岡田首相が譲合に於ける成績面白からず、責任を感ぜぎるか
と間はれ、鰐の面に水と答へ、話題となれるにても、世間が何の状態なるかを示すと考へられ、而して窮極に於て進
む所まで進まざれば適薗の解繹を得ざるものと後に及びて知られ、而して其の営時に知ること能はずひ岡田翳饉内閣
の語が新聞に散見しながら、如何に強健内閣を組織すべきかに関して何の案の出づることなし。桑に内閣は政友合よ
り遽相床次、農相山崎、錬相内田の三人を引き抜き、政友禽は三人を除名虞分に付せるが、次いで政友合の長老高橋
是清が藤井蔵相の後任となるや、これに封して何等かの庭分に出でんとし、離賞を懇請したるに、高橋は膵手にする
がょいとて拒絶す。
 既に暴力囲の横行を見、これを掃蕩するの必要を認め、断然たる虞置に出でんとするも、一應その虞分を考へ、而
して其の如何に襲生せるやに関して明かに知り得るやが庚はる。小栗警祀総監は後藤内相と暴力囲検挙取締に就いて
協議し、司法蕾局とも打合せ、大枚畢の方針を決定し、五月二日に断行すること1なり、高野刑事部長をして部下全
署長を召集して検挙捜査上の指示を輿へしめ、一日夜、各警察署長以下総動員し、捜査二課の検挙十九名、各警察の
検挙千六官五十名に達す。検挙人員は、

  北海道九、青森一四四、岩手二八二、宮城六五、秋田二四二帽島四五ニ、茨城八三、栃木七、群馬四五二、埼玉七四「千葉五三

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  八、替確戯 −、神奈川六五四、新潟八二、石川二八、山梨六〇、岐阜一三〇、静岡四三七、愛知四人○、三重五、滋賀二七、京
  都一、四七五、大阪九五五、兵庫五〇ニ、和歌山〓五、鳥取一一、島根八二、岡山四九、靡島三二、山口一三三、香川一〇入、愛
  媛二八七、高知三九、両岡二二〇、佐賀四入、熊本二五入、大分五入入、合計一五、一七一。

一應世間にて政府の虞置の果断なるを賞讃せる感ありたるも、資は暴力囲に種類あり、何虞から何虞に及ぶかゞ知る
べきに似て知られず、更に幾暦か考ふべきことありたりと後に到りて知らる。既に犬養首相等の殺害あり、表面に現
はる1所のみにて判明せず、更に深く考慮するを要し、而して普通に人力の及ばざる所とも考へらる。入月十二日、
陸軍省軍務局長永田城山少将が相澤三郎中佐に刺殺されたるは、暴力圃と関係なく、一身上の都合よりせるなるも、
全く無関係とも考へられず、穏やかならぬ形勢よりするものとも質せらる。種々地膚情の積み重なれる結果ながら、
軍部に穏やかならぬ思想の萌し、軍事の著るしく進展せる結果、少将以上が替貝戦に役立たず、或は大佐も役立たずと
の感覚あり、如何に経過すべきかゞ或る方面に危ぶまる。中には事情に適切なるあり、或は誤解よりし、無知議より
するもあり、相ひ錯交して穏やかならず、さりとて如何に虞置すべきかの通常なる方法に悩む。国内が穏やかならざ
各か、国外が穏やかならざるか、互ひに相ひ関聯して見究むるに難く、勢の趨くに任かすと云はゞ云ふべき状態なり。
j帝国政府が規約第一條第三項にて聯盟脱退を濠告してより二年、本年三月二十七日期限満了し、同十三日、外務省
情報部長は、「政治的性質を帯びざる平和的企囲檻は聯盟と協力するに攣りなし」と述べ、二十七日、横山ジユネー
ヴ絶領事も「人造的諸運動の中央機関たる囲際聯盟の存在を認めざるものにあらず」と襲表す。十二月九日より倫敦
にて日・英・米・彿・伊五箇囲の海軍軍縮合議が開かれ、我国は山本五十六海軍少将及び永井松三を全権として流通
し、H現行の比率主義にては、優勢比率囲のため常に弱勢比率園が脅威を受くるを以て反封す、⇔この比率主義に代
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ふるに一律絶噸教主義を主張す、臼軍縮の精神に則り 各国の保有兵力は攻むるに足らず守るに足るを限度とし、同
時に攻撃的武器を廃止し防禦的武器を主となす、紳ワシントン及びロンドン等の既存條約より脱却す、と主張す0英
国首相マクドナルドの安協案は、H日本に封して原則上軍備平等植を許容するも、日本は一定期間パリティ箸現のた
めに建艦せざること、肖制限方式は共通最大限絶噸教主義を認むるも、艦種別及び艦船教制限を加味して、攻撃的兵
力、防禦的兵力に関する我が直別に緩和を輿ふること、とあり、日本に幾分の同情を表するもの1如し0十一月二十
七日、松平駐英大使と山本少将がサイモン外相と禽談せる際、英園側より提出せる新安協案は、H英政貯は日、英、
米三園が一九三七年一月一日以降、若干年間の各自の建艦量及び其の内容を相互に宣明す、肖右宣言は暫行的のもの
忙して、各国の其礎的主張に言質を輿ふるにあらず、と云ひ、盤分の安協気分を示すに傾く○米国は英国よりも強硬
にして、「米国は日本の安全保障の平等を認むるも、日本は兵力量の平等を求めて己まず0日本の要求を容るれば、
五・五・三の比率が破壊され、相互の安全感を害し、軍備競争を誘導すべし」と言明す。
 国際関係が逼迫し、結果が測り知るべからずと云はゞ云へ、再び大戦乳の捲き起るべしとも見えず、昭和四年漬口
内閣時代に東京府・市、東京・横漬商工合議所、東京・横漬晋業組合聯合禽等にて講究し、同十五年三月十五日より
八月三十一日まで東京月島の市埋立地を禽場として日本萬囲樽璧合を開催せんことを企て、第十二回世界オリムピッ
クも同年に相歯し、日本に開催すべしとし、文化及び産業の陳列館遼に附屠舘絶建坪十七萬七千五官平方米(五萬三
千五官坪)とし、職員まで決定せるが、後に延期となる。若し開きたらば何の結果となりたるべきか0萌囲博覧合は
延期となれるも、五月三日より六日まで四日間、首相官邸大ホール及び日本工業倶欒部にて関係東洋各国を招請し、
東洋叡光合議が開か頂参加代表は、支那、満洲、英領印度、フィリッピン、シャムー俳領印度支那、英領香海、シ
0



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ンガポール、海峡植民地、蘭領印度等の代表入十六名、協議事項は、H国際観光事業の向上費達に資すべき一般方策
に関する件、肖参加諸国間の交通及びサーヴイスの改善に関する件、日欧米戟光客の共同誘致、紳相互囲間に於ける
旅行奨勒、笈ト内記、ポスター類の相互交換及び提出に関する件、榊相互間の観光情報交換、付合議の管理及び脅則
の制定、とあり、愈、、勢の窮せるとも解せらる1が、或は大東亜共柴圏の起るべき前兆ならずとせず。何が如何にな
るぺきや、混沌たる情勢とも見るべし。
 妖間の出づる時には出づるもの忙して、斎藤内閣の倒る1原因となれる帝国人絹株式禽祀事件は、東京地方裁判所
藤井裁判長(陪席岡喚、右田南判事)係にて審理され、検事局側にて二月初旬より枇杷田(主任)、長尾南検事が精査
粘倹し、中島元南柏、三土前錬相、黒田元大蔵次官を始め、巡査、自動車蓮稗手、郵便集配人に至るまで廷人員三宮三
十名に達し、公判の結果が注意を若く。事件は昭和十年垂潜鈍行が鈴木商店に貸付打て打撃を受け、日本銀行より融
通を受けたるよりし、銀行は禽祀株式二十二萬五千飴株を引取り、中二萬五千飴株を日本銀行に揖保の一部として差
入れ、後日有利に虞分して債務を償却せんことを期せるに、人絹界好況に乗じ、入年五月、増資新株配常落、株式上場、
確役二名に封する推薦樺等の好條件に十萬株の責買契約を成立せしめ、蒜官四十囲程度にて頁却し得ることを知り
ながら官二十四囲と云ふ廉債にて棄却せしめ、銀行に合計官六十萬囲の利益を失はしめ、H六月二十六日頃、大蔵次
官室にて高木より黒田に四宵株(時慣約六萬囲)、肖同日頃、商工大臣官邸にて島田、高木より中島に二宮株(約三萬
囲)、臼同日頃、大久保に同人の私宅にて岡崎より古株(約一萬五千囲)、紳七月上旬、大蔵秘書官室にて島田より大
野に七千囲、挙ッ月十二日頃、董銀内にて高木より相田に五千囲、榊同上旬、同所にて島田より志戸本に二千囲を胎
賭したりと報道され、被告人は事茸を否認せるも、世間にて事箸の如何をまで詮索せず、本年は窮惑の歯に過ぐ。
l


\礪増



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 種々の疑惑の行はれ、人を庚ふの傾向が盛んになり、世に眞茸を失へるかに感じもしたるが、眞箸として知らる1
は世間の不評に拘らず、内地にても進むべきに進みつ1あり。航空研究所が二箇年贈績二十五萌囲の務算にて設計中
の超長距離試作機は昨年七月設計を終り、大森の瓦斯電気禽祀工場と製作の契約が纏まり、本年七月同工場にて箸物
大木製模型を完工す。飛行機は我が科挙研究所未曾有の総動員事業として注目を若き、例せば同所風洞部にて特殊の
高能率なる翼断面の設計を行へる結果、風塵中心移動が極めて小さく、揚抗比の頗る高き翼型の考案に成功し、巡航
速の仰角に於ける機健全饉の揚抗比は二十五、飛行機部の一般計量と相倹ちてB・M・W入官馬力の襲動機により全
                                      仙
備重量九噸の機饉を浮揚し、時速二六〇粁の速度を出し得る見込が付く。この風洞茸験の結果は、B・MTW標準型
襲動機によれば七十五時間一三、七〇〇粁の連績飛行に堪ふることを澄明するものにして、更に燃料消費量の少なき
ディーゼル機関によれば一九、000粁を飛び得ることになり、共に現在の長距離飛行世界記録を破る驚異的たる数
字であることが一段と期待を抱かす。挙動磯部にては此計董に閑聯してディーゼル機関の設計製作を行ふ一方、B●
淑・W挙動機の性能改良に意力せる結果、本年六月には多少の改造にて試験童上の試運稗に燃料約二割を節約するこ
とに成功す。同時に液冷変動機の冷却器にても従来より造かに能率の良きものを考案し、この方面に新機軸を出すに
至る。計器の分捨者は特殊の自動操縦装置を考案し、塗色の研究には心理部の心理的害験が動員されるなど、極めて
倣紳なる部分に至るまで専門権威が分捨研究を進めつゝあり。逓信省電気試験所岡田、木村両技師は、濠ねて平磯出
張所に於て航空無電標識(ラヂオ・ビーコン)の研究を行ひつ1ありしが、本年羽田飛行場にビーコン用のアンテナ
を設置し、四月上旬、超短波ビーコンの飛行試験を行ひて成功を収む。ビーコン用としては諸外国にては概ね中波長
を用ゐるも、試験所にては超短波が経費節約となり、ラヂオ波長割普問題について比較的不都合を起さず等の特長を

持つ所よりして、ビーコン用として更に適合なりと認めて之を採用す。可聴範囲は中波長のものに比して炊く、牛密
約七入○粁なるも、伺ほ経済的にして、屈折多き我が航空路には却つて通常すと云はれ、信寮はÅ・W式を採用す。
昨年十二月、世界早廻り飛行にて有名なる米国のワイリI・ポストが、本年二月より引績き三月中旬にも成層圏大陸
横漸飛行を試みるも、成功するに至らず。進むものは進みつ1あり、普通に解せざるまでに進む。進まざるものは進
まずして何事かを成し、その間に柏ひ齢醇することなきを得ず。
一月十七日、動物学者石川千代松穀(宗)。二十日、元東大教授戸水寛人残(批腎三十∵日、前大蔵大臣藤井眞信穀
(講)〇二月一日、俳優中村囁治郎禁宗)。十二日、陸軍大将大庭二郎禁宗)。二十入日、造遥拝内雄戎残(宗)。
同日、言語学者藤岡膵三穀(醐腎三月九日、地質寧者小藤文次郎残(凱十)。二十六憎」歌人輿謝野寛残(訝鞋。七月十
二日、政治家より碍に隠れたる大石正巳残(相野。十六日、元造幣局技師長甲賀宜政穀(拙腎二十三日、建築学者関野
貞穀(肘腎九月入日、政治家床次竹二郎努(凱十)。


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