昭和九年






 日本帝国が国際聯盟を脱退するの飴儀なきに至るべきを知られたる頃より−非常時と云ふ語が通用し−其の何を意
味するかの明白を映きつゝ、国家に封して重大なる覚悟を要するかに感ぜられ始む。されど如何に覚悟すべきかに関
して明かに意識するに至らず、容易ならぬ時期に蕾面せるが如く忙して、何を何とすべきかとなりて捕捉曳9所なき
              ノ
に似たり。若し帝国が営時の掲囲の如き境遇に陥ると想像せば、相蕾に考慮したらんや然るべき勢とは思はれず、
孤立に障りたりとて、地理的にも情勢的にも掲囲に類似せず、虚急存亡と云ふが如きに思ひも及ばざれど、何等か異
常の重大勢力の迫りつ1あるかに感ぜざる能はず。非常時と云ふ譜こそ帝国に隣られたれ、世界が安全を狭くは、囲
際聯盟に重きを置くものも考へざらんとして得ず。但し遠からず第二次大戦の捲き起り−前に幾倍して大量性及び深
刻慨を加ふるを考ふるは無く、若し有りたるならば数が甚だしく少からん。満洲の攣皿は日本が野望を懐くとして囲
璧聯盟が反封せるも、世界の輿論は必ずしも然らず。本年三月一日、満洲固執政縛儀が新京に於て即位改元の詔書を
換襲すとの報道の停は椅や、英国にて倫敦タイムスは、
  極兎に洩商上の利益ある囲は同国の竣功を歓迎し、門戸開放横倉均等を遵守すとの牽明に満足を表すべく、且滴洲歯に於ける通
 商上の活動と毒厨にて凍揮されたる不承認主義とを如何に調和さすべきかに付いて、決意を為すに躊躇すべからず0新国家は明か
 に日本の支配下に立つべきも、その存秦は多分日本の併合を防止するに役立つべし。
7

3

   /

、Z瀾欄瀾瀾頂勺;…1J


nH


と云ひ、モーニング・ポストは、

  嘗て清朝を壊助せる英国が今回の儀式に代表者を出さゞるは遺憾なり。現に英国を始めとして一等団は、日本を除き満洲図を承
 認するに至らず、承認開演に付ては支那及び聯盟の感情も顧慮せざるを得ざるべけれど、蘇聯邦の血脛き革命さへも容認せる程の
 各国として、此の穏和なる復辟に伴ふ些少の非違を梯撃するの理由なし。

と云ひ、米国にて紐育デーリI・ニュースは、

   ルーズヴエルト政府は前政麻の政策を釈へして蘇聯邦を承認せるに、何故満洲囲をも永記して日米間の不安を除き、満洲囲の経
  済閑蚤に参加せざるか。                                      }

と云ひ、市俄古ジャーナル・オブ・コムマースは、

   スチムソン主義は其の蚤表常時には聯盟の同意を得、日本が聯盟の一員たりし問は有力なりしも、今や日本は聯盟を脱退し、毒
  麻の意播如何に拘らず、浮儀氏は昨日遂に即位す。即位は偶令日本の細工にもせよ、新政麻の確立を示す。スチムソン主義成立の
  後、備囲は封滴借款を申込み、英国も寺貯の現状と極東に於ける日英の密接なる利害に経みて、該主義を数迎せざるべく、聯盟を
  脛逢せる猶逸も日本に同情すべし。、

と云ひ、他にも類似の動きが少からず、唯だ支那の新開が満洲の掲立を攻撃して己まず。中国日報は満州回復の方式
にて、日本が国際的孤立に耐へず、聯盟の調停條件を應話するに至ること、日本軍部の勢力失墜し、満洲囲合併政策
を放棄すること、門戸開放維持の鳥、列国共同の干渉にて満洲を放棄せしむること、満洲囲支配階級遊に三千萬民衆
の自覚に依り、日本の裔絆壇脱し、支那の宗主権を恢復すること、支那の自力を以て満洲より日本を躯逐することに
在りと云ひ、香港テレグラフは、縛儀氏が康徳帝となれるは、清洲が満洲囲となりたると共に殆ど何等の意義なく、
8
31
■■■l
    〜               \
革質は満洲が暴力を以て支那より奪はれ、日本の保護図となれりと云ふ迄のこと、縛儀氏の郎位は満洲囲の主権を確
保し、日本が領土併呑の意志なき事の讃接なりとの説明も頗る碗はしく、新帝囲は依然東京より指揮せらるべきも、
問題は日本が現在の満洲囲の境界を以て満足するか杏かに有し、最も憂ふべきは日本の勢力が今や蘇聯邦囲境にまで
及べ雀一事にして、両国間の緊張関係に盤みれば、何時両国間に事瑞を襲生し、全世界に波及するに至るも知るべか
らずと云ひ、語りは世界の戦乱に言ひ及べること忙して、日本と蘇聯邦との間に何事もなく、而して全世界に戦乱の
捲き起れるは、彼等の務想以上に出で、資に濠想の反封に出でたるなり○英米にて戦争の迫るを説かず、支那にて日
本の蘇聯邦と衝突すべきを云ひ、而して日本と蘇との間に事なく、英米が東西に兵を動かすに至れるは、後より顧み
て我が帝国に非常時の聾の出でつ1、何が非常なるやが判明せず、何等か容易ならめ形勢の磨迫するを覚えたる者に
して、漠然非常時を語れるこそ、却つて眞相の一端に勝れ、俗に禁知らす所と云ふべし。前の大戦♪頒川、後の大
戦に米が主動者となれる所にても、雲行の欒ぜるを察するに足る。
 本年一月二十三日、第六十五譲合再開、廣田外相が衆議院にて演説し、
】廿我が芳漂は現奄に警、覚静爽に警、種々多事なることは誉れぎれど、凡そ宴の向上する場合に呈の邁苧べき
 一
 事満と云ふものが多々あり、我囲民忙して協力一致し、如何なる難局に遭遇しても、少しも動ぜぎる覚悟と準備とを怠らざると同
 時に、冷瀞且つ着箕に「幣ふ併正を厘み、行ふ析中を執り」以て革に嘗りたらんには、取囲の静殊に何等不安を感ずるの要がない
  のみならず、前途寛に洋々たるものありと思ふ。

と云ひ、同三十一日、貴族院にて芳澤前外相の質問に答へ、
  私は、個人が何時死ぬかと云つて怖れるやうな気持を持つて居る事は、却つて其の個人に対する健康上有害であると同じやうに、
一qV
t
3


T


nH


  商家の前途も亦決してさう云ふ風の気を起すべきでないと思ふ。斯う云ふ決心を以て、私は微力ながら此の時局に嘗つて行き庇い
 と偲ふ。自分の信用を高めるには、先づ自分の心の中が、自心ら信用するに足るだけの良心を持つて居なければ人は信用せず、国
  家に於ても正に私はさうと思ふ。若し国内が色々の廃惑を持ち、色々の不安を感じ、白から囲家自身が内部に信用しないやうな気
  持があるならば、況んや外固より之を見て一層不安を感じ、旋惑を感ずるといふことは、私は嘗飴あると思ふ。無論外交の事務に
 付て嘗局が全部の責任を取るべきものと思ふも、今日のやaに世界が非常に密接となり、互に諒解する磯曾が非常に多くなりては、
  国民自らが何時も衆人公座の前、世界各国の前に少しも恥づることがなく、白から省みて妖しからざる態度を拝して居ると云ふこ
  とが、何よりも必要と思ふ。さう云ふ気持で私は此の局に官つて居る。帝図議曾と云はず、一般の国民と云はず、どうかして私の
                                                                                     −
  此の頼紳が白銀に正しく世界に反映するやうに、凡ゆる横倉に於て御轟カを得たいと私は思ふ。
と云ひ、外相は前任者よりも世の受けが良く、一般に信用を置かる。されど帝国が聯盟を脱退して孤立に陥り、其の
饉に安んじて経過し得べくもなく、何等か不安の念に騒られ、政府の態度も特に信を置くべきに考へ到らず、政友禽
の大倉宣言に「憲政の擁護、思想の善導、民心の作興に全力を傾倒す」とあり、民政薫にて若槻総裁は「近時我国に
於て一、二の囲の壊す所に模倣し、国政を一部政治家の塑断に委すべき掲裁政治に逆‥増せしめんとする者あり、頻り
に策動を試みるも、斯の如きは憲政を破壊する者忙して断じて反封する所なり」と語り、大勢上に特別の攣化なきも
の1如し。されど非常時の撃は空虚ならず、必ず由来する所あり、一たび列国の軍備競争、特に空軍の演張を考へ、現
状の餞に経過すべからざるは最も明白、唯だ果して世界を挙げての大戦乱に臨むべきかゞ判明せず、動もすれば従来
の姑息状態に安んぜんセす。既に第一次世界大戦を経たる後、第二次大戦の避くべからざるかに考へもしつ1、再度
の大戦の起るとして其の何時如何なるを察し難く、動もすれば緊張を鉄くこと前の如し。斯かるは普通の人情として
避くべからぎる所ながら、事攣の切迫しっ1あるに相違なく、之を意識するの程度に差があり、政界に於て従来の態
0
2
0「U
ヒ巨巨l
度に安んぜんとし、さりとて全く安んじ難く、或は今にも事攣の勃費するかに感じもし、蹄一せんとして蹄一せず、
奇異の状態に漂ひつ1ありと見ゆ。軍事費は昭和七年度に約七億囲、入年度に約八億五千萬囲、九年度に約九億四千
萬囲。政民南薫は之を支持し、融合大衆真に若干の反封あるのみ。反封とは国民の驚生活に凱せずと云ふの類なり。
昭和九年度歳出改算、行政費、軍事費等類別左の如し。壷丁位石高卸)


ニ%

合ル
出ス
歳封















2 只U βU 8 1 1 7 1 ■D 8 3 7 7 9 2 7 EU ュ 4 0 4
0 7 7 7 0 0 1 0 7 0 9 3 6 0 6 2 0 1 0 00 7
   1  1     2     ⊥               4     2     2
                                                                                                     ⊥
RU qV 9 3 0 8 2 8 ⊥ 6 ■0 2 4 7
4 78 78 68 31 3 62 3 1 7 9 6 5 8
 3 3 ⊥ 4   2   ⊥6 1 ⊥9 飴 ⊥4 44
▲8  4  戊U O〜・0 −hU  3
3  ア  ユ  4  0  2  9
3  8  ⊥  2  ⊥  4  EU
⊥  4               ⊥  ⊥
                    2
費 費 入 給 費 費 費 費 費 費 費 費 費 費 費 費 費 金 費 計 費
……拙細m浣……梶c梶c樺
昇るべきものは昇りつゝあり、
前の事情に拘はる者は将来の不安を慮るも、勢を奈何ともし難く、何等か時局の切
迫するを覚え、而して窮極何となるべきかに考へ及ぶは極めて少し0晴々裡に再度の世界大戦に考へ及びつ1、革質

2
qU



nH


上に蕾面するまで決意する能はざるは己むを得ざる所、表面に於て立沃に鰻裁を繕ろひ、裏面に於て破綻の避くべか
らざるに惑ふは前よりのことなれど、斯かる切迫せる時代に問返の頻りに突起するなど、苦々しき限りとす。二月三
日、衆議院の濠算縫合に、国民同盟の栗原が中島南柏の「尊氏論」を捉へ、「商相は尊氏の人物に傾倒してゐると述
べたるも、日本の教育方針に惇ると考へるが如何」と問ひ、南柏は恐縮陳謝し、越えて七日、公正禽の菊池男が此の
問題を捉へ、恐縮のみにては足らず、南柏としては此の際辞職の上、辞雷すべしと詰り、翌入日、南柏は病気を名と
して辞職せるが、眞茸は然らず、名を尊氏に借りて、番町禽に関する問題の内閣に累を及ぽすを恐れたるなり。箕は
一月二十四日、貴族院の伊澤、上山が斎藤首相を訪問して、製錬合同に件ふ許債と比率に就いて眞相計訊ね、同月三
十一日、上山は中島南柏に製錬合同を質し、「譲合の協賛を経たりとは云へ、許債方法に重大なる欒更をなし、譲合を
無成しても断行する必要ありや」と追究し、二月二日、衆議院にて閑が同じく事茸を指摘し、逮に南柏の辞職となれ
るなり。商相離職の日、衆議院本合議に政友禽の岡本が垂潜銀行所有株式責却に関して質問し、繕いて種々の紛議が
起れるが、三月三日、鳩山文相が庚惑に封し、純眞なる教育界に及ぼす影響甚大なるを恐れ、明鏡止水の心境を以て
謹んで骸骨を乞ふと云ひ、首相の文相粂任が襲表せらる。斎藤首相が現職に留まるの困難を知り、辞意を示せるより、
左の往来あり。

   五月二日、西園寺公天磯奉伺、皇太子御降誕御統のため上京。三日、一木男枢密院議長職忙就任。二十日、西園寺公週京。六月
  六日、秘書原田男が公を訪開。十日、虜幡倖徒次長が公を訪問。十三日、鈴木倖役長が公を訪開。二十一日、十二日以来上京中の
  中川小十郎が公を訪開。二十六日、原田が公を訪開。二十七日、原田が斎藤首相と倉見。二十八日、木戸内大臣秘書官長が公を訪
  国。二十九日、原田が替藤首相と曾見。七月一日、原田が公を訪開。二日、原田が首粕と倉見、興津に赴く。三日、西園寺公が御
f
3

 ー
 殿場に移る、侍徹御漉遣、原田が上京首相と曾見、同夜御殿場へ。四日、西国寺公、原田を伴つて上京参内、午後御殿場へ頗る〇
 七月三日、斎藤首相が聯表を捧呈し、牧野内大臣に御下問あり、元老に御下問ありて然るべき旨を奉答し、大村持
従が御殴場に派遣され、西園寺公に勅命を停へ、公は四日朝、上京参内し、内大臣貯にて開かれたる重臣合議に列し、
合議の結果は公より奉答あり、依りて岡田海軍大将が召されて同日午後参内、組閣の大命が下り、大将は御檜濠を講
ひて退出、組閣に着手し、入日、閣僚の選任を終り、親任式を畢ぐ。首相岡田啓介、外相廣田弘毅(留任)、内相後
藤文夫、蔵相藤井眞信、陸相林銑十郎(留任)、海相大角卑生(留任)、法相小原直、文相松田源治、農相山崎達之輔、
南柏町田忠治、遽相床次竹二郎、錬相内田信也、拓相首相余禄なり。元老西国寺公が政欒に蕾りて重臣の意見を徹す
るは、五・一五事件の直後、斎藤内閣成立の際に行はれたるが、公は重臣を個々卿や叱招致して意見を開くの形に於
てし、陸海軍元帥及び大臣にも及ぶ。今回は公の参内前に内大臣が諸重臣を招致し、元老の参内を待ちて合議を催し、
元老が席上に意見を開陳し討議を開くの形式に於てす。今回後繹内閣首相に封する御下問奉答は、元考、内大臣、福
相、首相の前官待遇者及び現首相の合議を綴るの形に定まる。前に元老が幾人もあり、元老合議が催されたるが、今
止欝園寺竺人となり、元老の消滅する後−内大臣が合議を招致し、御下問に奉答することゝなる○
 岡田大将は倫敦條約締結後、内閣と軍令部とが衝突し、海軍の統制
み、強硬浜の面目を維持し得たりと知らる。内田前外相が囲を焦土と

んとする時、其の中間に立ちて調停を試
厭はずと云へるは無責任の言と構せられ
たるが、若し蕾時世界大戦の襲展を濠期したらんには、別に考へたる所ありたるべく、或は彼の如き決意ありて然る
べしとせられたらんに、蕾時戦争の逼迫するを考へず、外交にて焦土を免るべしと考ふるに傾き、廣田外相に希望を
嘱する所多く、廣田は強硬派と稀されつ1、外交にて国難を壌和するかに希望を嘱せらる。前内閣は昨年十月、斎藤
3
2
3



▲卒



首相、廣田外相、高橋蔵相、大角海相、荒木陸相が五相禽諌を開けるが、岡田内閣は岡田首相、廣円外相、林陸相、
大角海相、藤井蔵相にて第二次五相合議を開き、炭田、大角南相より第一次合議の内容報告を聴き、前回の決定を踏
襲すべきや否やを譲し、閣内更に閣議を催すに関して林陸相等の反封あり、禽合は二回にて打ち切らる。炭田外相は
第六十五譲合を通じて、直接に国民へ、間接に諸外囲へ呼び掛け、平和主義、外交手段よりする各国との協調の可能
を説き、協和を基礎とする通商封策を述べ、東亜の平和維持に封する帝国の責任を意識し、国民の協力一致さへあら
ぽ帝国の前途憂ふるの要なしと力説し、更に斎藤公使を駐米大使とし、伊囲に杉村大使、ブラジルに澤田大使を任命
し、日蘭合商に長岡大使を起用し、吉田大使を外相代理として十月欧米各国へ約手歳の濠定にて持流し、各国駐在外
交官と倉見して軍縮合議に備へしむ。特に封米外交を重んじ、外交官の動員のみにて足らず、徳川家達公、近衛文磨
公、松方乙彦等を渡米せしめ、民間外交を行はしめ、伺性能ふ限り外交官を本国に召喚し、駐在囲の報告をなさしむ
ると同時に、本国の方針苦情を通暁せしめ、駐在囲の驚情を囲民に普及せしむることを計董す。特に斎藤駐米大使は、
辟朝中各方面に於て米囲の近情及び政策等を詮明し、日米間利害の何等衝突すべきものなき所以、華府條約廃棄後に
於ける米国側よりの建艦競争の起る可能性の大なるを警告し、前に行はれたる日米戦学不可避説及び建艦競争起らず
との宣侍と異なる見解を国民に停ふ。
非軋時の名に於て形勢が切迫し、大蔵省の濠算が増大し、藤井蔵相が前の高橋老蔵相に替りて奔走するも、務算が
増大する一方にして、若し果して非常時財政に必要を知らるれば特別の問題とならず、非常時が如何なる意味か、軍
部の或る方面にて戟寧の避くべからざるを説くも、他の方面にて必ずしも然らず、財政は増額に次ぐに増額を以てし、
何虜忙局限があるかゞ知られず、十一月五日の濠算閣議に次の如き要項の提出あり。
4
2
3
     〉
    」周
   萬
   首
   位
   m早
     ′l
 委
 細
   激
   定
   査
   次
    二
   節
   度
   年
   十
  和
紛 昭



3 7 0
8 4 7
9 0
   βU
   入
   繰
   金
入金飴
     ■n一
驚棚
普公前
7 1
卿710

(月
2
4
0
2
部 部
常 時
経 臨



   出

  歳
内額


以承
親額

各要










7  4  0  0  0  7  2  0  ⊥  7  2  0
⊥0 38 90 66 鮎 3 1 3 6 8 6 0
      1     1 1       鵜


4  6  7  0  0  0  7  0  Rリ  0  0  9
9 1 2 6 0 与 謝 ⊥3 12 18 ⊥6 03
4  8  3  4  0
    1  1  2  nユリ           l               ⊥
                                                                       一■L
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
は 弘 汲 弘 g 乱 は m 乙 は 狐 租
           2  2                         7
費 省 省 省 省 省 省 省 省 省 省 省 計

室 務 務 萩 軍 軍 法 部 林 エ 信 務

皇 外 内 大 陸 海 司 文 農 商 遽 柘 合
新規要求は海軍三億囲、
陸軍二億四千六首萬囲にして、海軍は航空険維持、駆逐艦代艦製造、兵器充賛、軍需品整
備等の名の下に来るべき破局を見越してのこと、陸軍は一億三千萬囲の満洲事件費の外、防空及び航空勢力の充音を
名として新陸軍の建設を企囲す。大蔵省は其の主旨を認めつ1金額を制限し、新規要求四千五官萬囲を通過せるのみ。
■hU
2
3
k

陸海軍を始め各省共に不満を表明し、陸軍は入千五官萬囲、海軍は九千萬囲、内務二千萬囲、農林一千九官萬囲−外
務一千萬囲、司法一千五官甫囲、商工二千入官萌囲、過信七官九十萬囲、拓務一千萬囲、総計二億八千五官萬囲の復
活を企つ。蔵相は三、四千萬囲の増税ならば錬道益金より四千萬囲、郵便料引上より三千萬囲程度を釣り出し得ると
考へたるが、床次遽相、内田錬柏が之を拒み、事が困難となる。蔵相の檜税実は十年度三千萬囲、平年度四千萬固の
見込にして、法人課税が約七、入割を占むる筈、課税さるべき法人二萬、個人六千、業種よりせば、紡績、人絹、海
運、鏡業、奮業、化学、製鋼、機械、製紙、ビール、製粉、製糖の類が課税せらるべし○蔵相は公債財源を七億とす
るを以て日本財源の生命線とし、幾多の事務折衝の後、大蔵省は第二次の復活四千官萬囲(陸海軍二千六官萬囲、内
務農林其の他五官萬囲)を認め、十月二十二日、二十三日の閣議は異常に緊張す○岡田首相は陸海軍の要求と大蔵省
の要求とを調和する意味にて、各省の為に再復活要求額五千七官四十萬囲を許し、陸軍二千七官萬囲、海軍二千七官
萬囲、内務、農林三官四十萬囲とし、之に封する財源は公債四千萬囲、攣りは鉄道、遽信、拓務各省の特別合計の減
債基金を減じて一般合計に入るゝことにす。依々て一般合計の公債費行絶窮は七億五千萬囲−陸軍四億九千萬囲、海
軍五億四千二宮常囲、陸海軍南省合せて軍事費は十億囲を突破す。之に驚いて目を固くするは、非常時を口にしつ▲
非常時を極めて安債に見積れる者にして、眞の非常時が如何なるものか、直接の経験なくして解し得べくもなし0
 非常時は政府のみの事ならず、政府と関係多き財閥も同然として、財閥は三井が三、岩崎が二、住友が一として知
られ、三井は国男暗殺後に財国法人三井報恩合を創設し、公益事業の進展に寄興する目的にて昨年十一月、三千萬囲
提供計塞が費表され、本年二月、三井報恩禽として正式に設立きれ、学術的研究泣に工業的音験、都市融合事業其の
他公金事業への寄附、農漁村の馬の公益的施設等忙して、本年度罫業費は二首二十萌囲に決定、中に最大の支出仕官
326
レ古,F.





  √X






dZ周瀾凋凋湖彗当字
商圏を投じて五瓦のラヂウムを塙研究所に寄胎したることなり。一月、三井合名の組合忙て各社定款の攣更を決零し、
祀長制度を廃止し、三井元之助(鏡山)、宗之助(物産)、源右衛門(銀行)等三井一族は事業合祀を引退し、持株禽
融三井合名に立て籠ること1す。紙界を塾断する王子禽融と従来の如き関係を績けるは財閥の成すべき事ならずとし
て、新禽融の設立と同時に従来の徒展開係を断つべきに決定し、三井所有三二萬株中一〇萬株を千代田、第一愛国、
帝図、大平等の生保合融に譲渡し、北海道競演にても持株二七・五萬株中九萬株を略ミ同様の生保禽祀(安田、愛国、
昭和も加入)に譲渡し、従来三井物産に過牛の株式を所有されたる東洋レーヨンの一〇萬株も公開され、昭和六年八
月1三井錬山にて設立せる三池窒素と、其の両社の子禽融東洋高魔の株式一〇萬株も同じく公開せらる。三井に較べ
て岩崎は世間の風酋りが強からず、泣いて準備も緩慢忙して、本年四月、岩崎彦爾戌の三菱合資就任を機とし、時勢
欒遷に封虚して企業の大衆化を目的とし、第一に株式の公開を行ひ、第二に人材第一主義を採用し、或は投資利金へ
の二重課税を兎かる1に通常せる手段と解せらる。先づ三菱造船、三菱航杢機及び三菱電機の合併にして、電機は外
国のウエスチングハウスが加はり、直ちに合併するは困難なるを以て、前の二祀のみを合同すること忙し、時期は本
堂ハ月上旬、形式は三菱造船(公構資本五千萬囲、沸込済三千萌囲)が、三菱航空機(一千萬囲全額沸込)を合併し、
 β
 一
従来造船が航空機株式の牛を所有したるを以て、之を除きて五千五官萬囲の三菱重工業が成立す。即ち三数重工業工
場別主要製作品は次の如し。


nH
兼・

蕾造船合融工場
長崎造船所=各種船舶、デイゼル機関、重電用蒸気タービン、陸用水営式管繕、艦船修理、電気
 製鋼
紳戸造船所=同上
彦島造船所=各種漁船其他小型船舶建造、修理
長崎兵器製作所=主として海軍用兵器製作
7
2
3

Z欄欄増増ゼ


MH


嘗航窟禽彗場蒜砧鮎鮭欄謂野馳轟馳榊
斯くて三菱重工業は総べて軍需品工業に属し、満洲事欒以来利益頗る檜大、航空機は昭和六年の一〇%の利益率よ
り漸次檜大し、入年下期に一七%となり、造船は六年上期より入年上期迄は無配に屠し、後に利益金も急檜せるが航
空機に及ばず、本年四月未決算に依れば、造船の作業利益は作業収入に封して五・五入%、航空機は七・九一%忙して−
合計六・五入%となる。伺性絶株数の三六・四%四〇萬株が公開となり、四〇萌株中、一二萬は明治、千代田、第一1
帝囲、日本等の生命保険及び東京海上に、三・五萌は株式囲に、覆り妄・五常株が三菱銀行の窓口rり賓出され、
言二〇〇株以下の申込は抽敦とす。蒜十五囲のプレ、、、アムは六育苗囲の利益を蘭らし、三菱財閥は其の利益を以
て融合に奉仕するとて、航空研究所費に官萬囲、農村醤療其他助成へ二宮萬囲、成践学園基金に三宮萬囲とす○住友
にては、本年二月住友肥料製造所が三丁萬囲より倍額に檜賓して住友化学工業と改稲し、三月株式〓邸公開を行ふ0
責出方法は新嘗株を一組とし、二組以上(革一〇株、新四〇株、二千六官囲)より最高二十組に限定す〇七月住友ア
ル、、、ニウム製錬禽融創立を襲表し、資本金一千萬囲、第一期計量は千五官萌噸のアル、、、ニウムを生産する濠定なり0
住友は銅山業より出費し、飼加工業を中心として襲展し来れるが、最近に住友アル、、、ニウム合融を起し、軽金属加工
を行ひ、「伸鋼鋼管」はジエラル、、、ン、マグネシウム等の非錬金属の加工に着手し、更にアル、、、ニウム精錬に進出す
ること1なる。十一月別子銀山の附属仕上工場を掲立して住友機械製作株式禽祀を起し、擁張工事に着手す0
本年六月末の労働者総数は五官四十四萬九千にして、最近二年間の檜加が入十三常に達す0是れ陸海軍笥工廠を主
とする官営工場に始まり、男女別に見て約七十萬が男エに属し、男エを主要労力とする軍笥工業乃至化学工業に集中
8
2
3
され、婦人労働の優勢なる織推部門に少きことを示す。四月三日の日本労働祭も、五月一日のメーデー祭も軍需工業
にて足泣揃ひ難し。内閣は関西風水害の祀察に後藤内相を西下せしめ、九月二十七日、其の祓察報告にて臨時譲合召
集を協譲し、十一月二十入日に召集するに決定す。之に先んじて同月二十九日、躍災民御救他の思召にて二貯十入辟
に御内帝金五十萬囲を下賜せらる。第六十六臨時譲合は十一月二十入日、貴族院にて閉院式を畢行せるが、其の前二
日二十六日、藤井蔵相が病気にて辞職し、翌日、高橋前栽相が就任して臨時譲合に臨む。最初より衆議院の事情が面
白からず、禽期一週間なるに政友合は三日間の合期を延長し、十二月五日、東武より、

   昭和九年度の発音温加瀬算及び珠に閣議に於て決定せる昭和十年度汝算に封し、両者を通じ一億八千萬淘を追加計上し、これを
  欝六十七譲合に提出する意志ありや。政府より此の言明あるまで激算線曾は審議を中止す。
と云ひ、内閣にて不意に驚き、餞よく答坪しっ1、政友合にて強気に出づれば解散卦断行すべき勢を示し、事なきを
得たれど、政況は不安の状態にて績く。臨時譲合は無事に経過せるも、政友合の内情が面白からず、硬軟両派に分か
れ、鈴木総裁が結末に苦心す。衆議院議長秋田清は十二月十二日、政友禽を脱薫し、議長職をも辞す。政界に奇異な
ヱ憎気の漂へるは、由りて来たる所の廣きも、何が何に移るかの明かに知らるべくもなく、到るべき者が到る.へき所
虹到らぎるべからざるかと後に知らる。
一月二日、蒙古王の仇名ある佐々木安五郎残(訝腎入日、信州の箸業家片倉農太郎残(説腎二十入日、枢密顧問官
工学家古市公威男残(謡)。二月五日、元文相鎌田柴言残(仙腎同日、融合事業家留岡幸助残(講)。七日、檜植田雷
斧穀(仙腎十九日、枢密顧問官伊東巳代治瀾残(仙腎二十四日、小説家直木三十五磯(閑腎三月四日、古義眞言宗
管長寵池密雄穀(識腎六日、元錬相原備次郎残(晰腎二十三日、元文相岡田良平残(巾鞋。二十五日、元内相中橋徳
9
2
3

五郎残(靴腎四月十五日、新内入代富士松加賀太夫残(講)。五月三十日、元帥東郷平八郎侯残(M腎六月十入日、
元東京帝大組長古在由直残(謡)。二十六日、元京大教授湖南内藤虎次郎穀(賦針)。七月二十六日、蓋家久米桂一郎穀
(賦針)。九月二日、浪人田中舎身残(毒。十二日、陸軍大将大迫筒道残(謡)○十月三日、航空界の斯波忠三郎残(試鞋0
十日、彫刻家高村光雲穀(訊鞋。十一月三十日、持志驚業家安川敵二郎男禁則腎二月二十入日−囲際法学家安達
峰一郎穀(山…撃。
0

                  ′
レ巨町.臣ヒ6〉`レ軒巨rど√ノlなh臣....P,▼ELr