昭和八年






比較的簡畢なる天気諜報さへも謬ること稀ならず、複雑なる人事、殊に国外を加へたる亜紳亜を通じ、更に全世界
を加ふるに至り、正確に判断するに困難なるは勿論ながら、場合に依りて或る程度まで大勢を察し得るとし−内地に
て政局に蕾れる者が、其の大勢を察せず、或は見誤ること著るしく、近眼も甚だしと後に知らる1はγ己むを得ざる
次第ながら、顧みて遺憾に感ぜられざるに非ず。一月二十∵日、第六十四譲合再開、.年前十時、貴族院にて斎藤首相、
内田外相の演説あり、午後一時、衆議院にて午前と同じく首相、外相の演説あり、更に高橋蔵相の演説ありたり0首
相は、
  帝飼政膚が既定の方針に基づき、七年九月満洲団政麻との間に日蒲団交の根本を洩律する議定書を締結し1列国に先んじて新固
 か家に承認を輿へ、両国間に正式の些父を開くことになれるは炊快に堪へず0
と訂ひ、
  昭和入年度の一般合計漁算線額は二十二撃亭九官萬周1八億九千五官傲萬図の歳入不足を生ずるが1財源は公債に仰ぐの像儀
 なきに至る。公債蚤行が七年度に此し増加せる事箕を見、我が国の財政の前途に封し危惧の念を抱く向もあるが、歳入の貯水は財
 風二度び好挿すれば増加を期待し得、∵方満洲事襲費、兵備改喜費も今後、水く現今の如く互額を要するものとは考へず0時局巨救
 費も今後二筒年の支出により所期の数果を挙げ得るものと信ず0公債檜蚤に関連して通貨の膨脹を来し1封外患蕃の暴落1物偶の
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3



 暴騰を来す懸念については、日銀の盈貸統制の作用によりて共の弊を避け得ると思ふ。

と云ひ、
  近時思想の激北、暴力的直接行動を焦さんとする者の増加したるは替戒を要すべく、思想対策については高仝の注意を沸ひたし。
 米穀需給調節秦については先に米穀統制調査曾を設け、眈に適切の成案を得たる故、農村負債整理案と共に提出すべし。現内閲が
 政界の浄化を計り、意政の常道たる選挙の自由と公正とを確保せんとする選挙法の改正に崩しては、法制審議曾に諮問し、現に案
  を凍りつ1あり。
と云へり。外相は、                                 」
  帝国政麻は七年九月十五日満洲覿との問に議定書を調印し、満洲囲の弼立国家たるを永認すると共に、蒲洲囲は同団内に於て帝
 圃及び帝国臣民が後来聴約及び其の他の約定によつて有する一切の樵益を確認尊重すべきことを約し、且つ日満南国は浦洲囲に対
 する一切の脅威が同時に帝囲の康寧に関するに顧み、共同して囲家の防衛に富るべく、所要の帝国軍は満洲飼内に駐屯するものな
 ることを規定す。熟河問題は純然たる満洲内部の問題たると同時に、我が方としても右峰約上の義務に顧み多大の関心を有す。近
 来支那軍が支那と満洲囲との境界附近に集中し、一部は熱河省内に侵入しっゝあり、事態が紹致する不孝なる結果につき、帝国政
 貯は務め支那政貯及び同囲民の深甚なる注意を喚超し、その反省を促さゞるを得ず。

と云ひ、

  帝囲政貯は聯盟の事業に封し誠箕に協向し、其の構成を増進するに努め来りたるが、日支問題の複雑性については聯盟が深く理
 解し、地音的諒解の尊重すべきことの規定を再び見直すことを望む。日露不侵略條約については議論の映れたる事賓に顧み、現有
  條約以外に改めて不侵略條約の商議締結を行ふは時期伶ほ卑しと思ふ。
と云へり。次いで蔵相済演説し、
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   入年鹿瀬算に放ける互額の歳入不足に対する補填方法として、歳出増加の主因たる経費は其の性質上大部分醇時的のもの忙して
  全額も互頓に上る陶係上、到底噂税その他の檜牧計嚢により其の全部を支耕すること髄はず、僻合その一部を補填する目的を以て
  するも、埠租その他増収計董を梯てることは、経済界が漸く回復の緒につける今日、折角伸びんとする萌芽を努除すること1なり、
  大局より見て未だその時期ならずと考へ、公債財源によること1す。歳入不足の状況も決して永く続くものにあらず。今日亘額の
 歳入不足を生じたる原因の一は経常歳入の滅少忙して、胡粉収入についても昭和三年度の決算と昭和入年度の頚算とを比較すれば
 二億二千四官高岡を減じたる次第にして、財界が回復すれば国庫の収入も増加し凍ることは嘗鋲、加ふるに現内閣の貴行しっ卜あ
 る低金利政策の結果、公債の借換により相嘗歳出を節減し得べし。最近封米患者が下りて二十ドル董に低下せるは、国際収支の賓
 勢に基づくより、満州開麹を中心とする国際政局の不安と洩貸膨股の懸念とを織込みたる一種の人気作用によるものと信ず。一方
  これが国内物償を蜂貸せしめ、対外物債を俄落せしめ、世界貿易不振の中にありて我が国は依政治況を示すことは慶賀すべきこと
 とす。為替交換差金の噂大、大幅の動揺は貿易に障害ある故、資本逃避防止洗を接大強北す針麓替管理法を提出して、通常なる手
  段を詩ずべし。

と云へり。首相が「時局匡救費も今後二箇年間の支出により所期の数果を挙げ得るものと信ず」と云ひ、蔵相も同意
義の事を云へるは、何虞まで信じてのことか。若し眞に信ぜるならば、見込み損ひも甚だしけれど、政府も議場も満
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足の形なるよりし、内外の情勢が如何に考へられたるかを察すべし。政友禽が反封の意ありて明かにせず、民政塞が
輿窯として敢てせず、国民同盟が最厳正を標樺する位忙して、封内聞題と封外聞窺と執れが重きかに惑ひ、而して自
ら惑ふに気付かず。蕾日ジユネーヴの十九箇囲委員合にて日支紛争を聯盟規約第十五條第四項に移し、二月下旬の総
合に決すること1なり、一般に緊張せる際、越えて二十三日、政友禽の芦田均が質問演説し、

  満洲指導の責任は専ら軍部に於て引受くるが如き印象を世間に輿ふるが、陸相は軍部萬髄の思想を捨て、我が国民の拳固一致の

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  カを満洲開題に利用する意志なきか。外相の如く重大なる満洲問題を人手に任かせ、外務省行方不明など云はれるが如きは、心細
  い外交と云はぎるべからず。聯盟は臆て親約欝十五條を適用して勘合文をつきつけて来るべきが、政府は勘合を拒絶して聯盟を脱
  退する決心あるか。
と云ひ、「日本の外交は今伺ほ軍部に引きずられると信ずる者あるは、我が国憲法政治の恥辱ならざるか」と云ひ、
外相は説明して、
  支那が自塵し直接交渉により解決するといふ態度に出れば、日満支間に拘満なる解決案が成るものと信ず。図民外交には政麻も
  賛成なるも、政麻の外交が軍部に引きずられるが如きことは絶対になし。
                                                                               れ
と答へ、荒木陸相も「軍部と外務省が協調して歩調を合はすこと今日の如きはなし」と明言す。事がジユネーヴの新
パ閏紙に報道され、問題を起すの傾向あり、二十五日、国民同盟にて院内総務▲禽を開き、
   芦田代議士の演詮が政府の過去及び現衣に於て囲際聯盟にとれる行動を杏定するが如き主旨に解稗する者あれば、国家に不利益
  なる故、芦飼偶議士の稗明を必要とす。
と云ひ、政友禽にても内田外相の弾劾演説なるかに誤解せらる1を以て誤解を一掃するの必要ありとし、松岡代表に
宛て鈴木総裁より風説否定の電報を襲し、芦田も樺明を承諾し、誤解を招けるを遺憾とする旨を襲表せるは、夜明け
の頃の寂呆けに喩へらる。二十六日、政友禽の若宮、太田、民政薫の小川等が九年度以後の務算の均衡問題について
質問しγ軍事費が問題となる○首相及び蔵相の演説にて、濠算を魔大ならしむる軍事費が一時的とあるに封し、濠算
総合に於ける陸海南柏の答将に依れば、軍事費は激減せず。荒木陸相は、
   囲防充賓に関する眈定植績費の麹りが四億一千二首萬周、兵備改書費として共の中八年度に計上されたるもの一億首萌陶を除き、
  凝りの三億一千萌圃は昭和二十一年度までの娘績費となつて居り、得べくんば相官の繰上げを行ひ、昭和十年度か十一年鹿で初旬
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  り、其の代り弾力性ある国防新妻を楢立し、日満議定書による国防費も此の中考慮す.
と云ひ、大角海柏は、
  八年産漁算に計上せる千五官濁拘は、必ずしも第二次補充計董の初年度割ならず、現下の時局に経み緊急不可決のものとして頭
 求せるものなり。されど補充計童につき十分研究の上、要求すべきものは要求する意あるを以て、海軍費が増加するか減少するか
  は漁師を許されず。
と云ひ、将来に頗る不安なるものありとて、将来の財政計董樹立のため十箇年の概計表を必要なりとし、政民南薫よ
り政府に封し其の提出方を要求せるが、高橋蔵相は持論として十箇年概計表に重きを置かず、殊に玉額の赤字公債を
計上して蔵人出のバランスを合はす如き状態の下にて、将来十箇年の概計表を作成するは無意味なりとす。二十入日、
濠算組合は昭和七年度満洲事件費追加濠算案(二、三月分四千四十萬飴囲)を可決、蛮族院に回付し、二月二日、貴
族院本合議に於て、一、昭和七年度歳入出珠算追加案(第一撃(満洲事件費)一、昭和七年度各特別合計歳入出務
算追加案(持第一彗(満洲事件費)として一括上程し、満場一致可決す。二月三日、大蔵省は衆議院務算委員禽に
昭和入年度歳出濠算使途別表を出す。


歳出瀬算使途別表
         割合(割)


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まり

皇  室

国  債



銅鯛触畑
年金及恩給
〇・〇〇ニ
○こ六五

〇こ六五
〇・〇七一
金額(千団)
  四、五〇〇
三七〇、五二四

三七〇、五二四
一五九、三五九
前年比較(△印滅)(干潮)

一一〇、六三四

一一〇、六三四
 一、四四一
7
0
3

行  政  費
 中央行政費
 地方行政費
 治 水 費
補  助  費
軍  事  費
 陸 軍 費
 海 軍 費
国庫頚備金
 合    計
〇・ニ七四
〇・一入九
〇・〇七五
〇・〇〇九
〇こ〇五
〇・三六五
〇こ九九
〇こ六六
〇・〇一五
一・〇〇〇
 六一四、五七〇
 四二三、一二四
 一六九、六九七
  l二、七四入
 二三七、〇九七
 八一九、〇四二
 四四六、入四人
 三七ニ、一九四
  三四、000
ニ、二三九、〇九ニ
 ニ、四四七
 一、七三九
 一、九六六
 ニ、六七三
 二二、六入九
一六〇、九五一
 入六、〇四〇
 七四、九一】
8
0
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二九五、二八ニ

中に最も多きは軍事費忙して、歳出総額の三割六分五度七毛に常り、大蔵省所管の珠備金二千苗囲が満州事欒軍事費
なるを以て、歳出総額に封する割合は三割七分五度となるよりして、二月三日、諜算組合にて政友舎の宮脇長音が陸
相に質問し、九年度、十年度珠算は驚くべき互新に上ぼるとて、「財政を考慮せざる国防計董は国防成りて囲を亡ぽ
す」と喝破し、或る部分に痛快を叫ばる。例年ならば政府への急虞と感ぜらる1も、軍事費の増大が通常か不適蕾か、
判断に惑ふもの少からず、議員の足元が歩調を映き、譲合が漸く軽んぜらる。
 世間一般にジユネーヴの消息を待ちつ1あり、一月十六日、国際聯盟禽議再開、東京にてリンドレI大使と内田外
相、ジユネーヴにてドラモンド卿と杉村博士との折衝が績けられ、聯盟側にて米露を参加せしめ、リットン報告書の
原則を和解方法の基礎とせんとし、満洲園不承認の態度を放棄せず、到底安協粘を蟄見するに至らず。結局松岡代表
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と顧椎鈎との英語演説の競争の如く聞え、大勢は務め定まりて攣ぜず、筋書通りに進行。十九箇国葬貝合十五條四頑
にて報告及び勧告の起草を進め、二月十四日可決、十七日公表す。報告は、H清洲は支那の主権の下にあり、斡九月
十入日及び爾後の日本軍の行動は自衛権の行動と見放すを得ず、臼」満洲囲は自重的且つ純眞の掲立運動と認むるを得
ずとあり。勧告の内容は、H聯盟規約、不戦條約、九箇囲條約の規定及び聯盟に於ける諸決議が尊重せられ、ワット
ン報告書第九章の十原則が適用せらるべく、肖満洲に射する支那の主権を認め、日本軍の錬造沿線内撤収、総合の任
命する委員立合の下に於ける日支間の交渉を勧告し、臼日支以外の聯盟囲は満洲囲を承認せぎるべく、九箇国條約の
署名囲は必要と認むるとき九箇囲條約の変動を提唱すといふにあり。二十四日、報告案討議の総合が開かれ、松岡代
表は顛恵慶が報告書を鵡讃せる後を受けて反封を通告す。十九箇囲委員舎に席ある諸囲は、原案に改むべき事なしと
て一人も起ちて演説せず、其の以外よりヴエネヅエラ、加奈陀、リツアニア代表が原案支持の演説し、採決に入りて
賛成四十二簡囲、反対日本一囲、棄権遁羅一国となり、松岡代表は再び起ちて「日本政府は今や極東に於いて平和を
達成する様式に閑し、他の聯盟囲と別個の見解を懐くとの結論に達し、日支紛争に閑し国際聯盟と協力せんとする其
の嘗カの限界に達したるを感ず」と陳べ、空二十五日、規約第十五條五項による陳述書を提出し、代表部を引揚ぐ。
聯盟側にて諮問委員禽を設け、日支開演の今後の襲展に虞すること1し、十九箇囲以外に加奈陀、和蘭を加へ、且つ
米露に招請を重して協力を求めたるも、露囲は拒層し、米囲は参加すること1なる。三月十五日の諮問委員禽にて、
H極東方面に封する武器弾薬の輸出禁止問題小委員合、肖満洲囲不承認原則の茸際的適用研究小委員禽を設置し、武
器禁輸問題について英米南国の譲合に問題となり、六月七日、満洲園不承認決議案を探揮す。
 二十七日午前十一時、国際聯盟脱退案を決定すべき臨時枢密院本合議が宮中東浩の間に開かれ、天皇陛下親臨の下
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二闇瀾欄.繋て




に、倉富、平沼の正副議長以下各顧問官、政府側より斎藤首相以下各閣僚出席、平沼男より審査委員合の経過及び結
果を報告の後、採決に入り、全合一致にて聯盟を脱退すべき旨を可決して散合し、倉富議長は文書にて枢密院の決定
意見を上奏し、政府は諮絢実の御下渡と共に緊急臨時閣議を開き、帝国政府の撃明を付議決定し、上奏御裁可を仰い
で、郎日外務省よりジユネーヴの囲際聯盟事務組長ドラモンドに宛て聯盟脱退の通告を襲す。薗日詔書が換費せらる0
  朕惟ふに、嚢に世界の平和克復して国際聯盟の成立するや、皇考之を悸びて帝国の参加を命じたまひ、険亦遣緒を糖承して苛も
  侍らず、前後十有三年其の協力に終始せり。
  今次満洲固の新興に常り帝国豊ハの燭立を尊重し健全なる費達を促すを以て、東亜の銅板を除き世界の平和を俸つの基なりと食
 す。飴るに不幸にして聯盟の所見之と背馳するものあり。股乃ち政麻をして慎重審議遼に聯盟を離脱するの措置を採らしむるに至
  れり0
  漁りと雄、国際平和の確立は険常に之を糞求して止まず。是を以て平和各般の金団は向後亦協力して漁るなし0今や聯盟と手を
 分ち帝国の所信に是れ徹ふと錐、固より東亜に偏して友邦の誼を疎かにするものにあらず0愈ミ信を囲際に篤くし大義を宇内に顛
  揚するは、夙夜験が念とする節なり。
  方今列国は稀有の世襲に際曾し、帝国亦非常の時敷に遭遇す0是れ正に凝固振濃の秋なり0爾臣民克く股が意を燈し、文武互に
 共の職分に烙循し、衆庶各其の業務に浄励し、播ふ析正を腐み行ふ析中を執り、協教邁徒以て此の世局に虚し、進みて鼻筋考の整
 献を翼成し、普く人類の頑維に貢献せむことを期せよ。
    昭和入年三月二十七日                       各囲務大臣副書
斯かる形勢の下にも政友合と民政篤とが相ひ雫ひ、執れも断然たる行動に出づるを難んじ、而して高橋蔵相が辞職
の意を漏らし、首相が押止め来れるが、四月十二日、蔵相は内閣にて是非とも成し逐ぐべき事あり、五・二九事件の
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始末なりと云ひ、事件は斎藤内閣を成立せしめし所以忙して、一切記事を止め、漸く五月十七日、陸・薄・司法の三
省にて公表を作成襲表し、内務省は記事差止めを解除す。海軍関係者は、
  海軍中尉三上卓、同山岸宏、同中村義雄、同音賀清志、海軍少尉村上路之、務備役海軍少尉黒岩勇、海軍大尉塩野遣雑、海軍中
  尉林正義、海軍少尉伊藤亀城、同大庭春雄。
陸軍関係者は、
  元士官候補生後藤映範、同中島思秋、同篠原市之助、同人木春雄、同石開発、同金渚豊、同野村三郎、同西川武敏、同菅動、同
  音原政巳、同坂元粂一。
民間関係者は、
 橘孝三郎1後藤因彦、林正三、矢吹正雪横領賀書久雄、埼書枝、大貫明幹、小室力也卜壷罠義、奥完犬、池松武志、高
 根澤輿一、杉浦孝、堀川秀雄、照沼揉、黒津金書、川崎長光、温水秀則(結叔性脳膜炎症により昭和七年十二月一日死亡)、大川
  周明、頭山秀三、本間憲一郎。

犯罪の動機及び目的は、


 近時我国の情勢は政治、外交、経済、教育、思想及び軍事等あらゆる方面に行詰りを生じ、国民頼紳叉須磨を来したるを以て、
現状を打破するに非ざれば帝囲を滅亡に導くの恐れあり、両して此の行詰りの根元は政裳、財閥及び特権階級互に結托し、只私利
私慾にのみ浸頭し、国防を軽親し閉利民宿を思はず、腐敗暖落したるに因るものなりとなし、此の根元を其除して似て国家の革新
を遼げ、虞の日本を建設せざるべからずと謂ふに凍り。
とあり、これに閑し荒木陸相は、

 五・一五事件の発生したる事は、上陛下に射し奉り、同氏の一人としても陸軍の償事者としても誠に恐憐に堪へず。耗眞の青年

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、彗叫‥∫ 、

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 が斯くの如き畢に出でたる心情を考へ、涙なきを得ず。本件を虚理する上に単に小乗的執念を以て事務的に片づくべからず0
と云ひ、大角海柏は、
  何が彼等純情の青年をして此の過をなすに至らしめたるかを考へる時、粛飴として三思すべし0
と云へり。相應の同情者ありたるは既に世間の傾向の欒じつ1あるを示すも、政治的に、融合的に、従来の行動を繹
績する者は、如何に壌勢の攣じ来れるかを察せず、満洲事攣よりして事の容易ならざるを知りつ1、政薫と政権との
関係に注意を奪はれ、世間に疑ひの眼を以て見らるゝなきを得ず。されど五・一五事件を不群として更に不群事件の
                                    仙
起らざるべきかは伺佗多く考ふる所とならず、形勢の攣じつ1あることの知られながら−如何に何度まで欒ずるかゞ
知られず。音は国内の事ならず、国外よりして全世界に関係あり、唯だ事箸に蕾面せざれば何が何となるかゞ明かな
らず。されど勢は既に攣じつゝあり、前に力ありと知られたる者が案外に力を失ひたりと見ゆ○
 前に影響が政界より世間一般に及ぶかに知られたるも、近く世間が敏感にして、政界の雲行きを待たず、早くも攣
化の箸を示す。嘗て五月一汗のメーデーが世間の人気を唆れるに、本年は国家融合薫、日本生産裳、神武合等の国家
主義囲鰻がメーデー排撃の撃を挙げ、国家が封立する此の非常時に、労働者のみが萌囲園結を唱へるを愚の至りとし、
二日前四月二十九日、天長の佳節をトして示威運動を行ふこと1し、東京に於て同日午後二時、代々木ケ原に、石川
島自彊禽、絶聯合、育バス忠正合、日本鋳鋼自治組合、浦賀工愛禽等十囲鱒二萬名が集合、飛行機「愛囲労働敦」命
名式後、代々木ケ原を出費、「共産主義者撲滅」、「労働者の手にて国防の充富を囲れ」、「亡国メーデーを排撃せよ」
とのスローガンを掲げ、芝公園に到りて解散す。大阪にて午前十一時、千五官名が日の丸の印を胸間に飾り、中之島
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公園に集まり、午後一時、司令者藤岡文六が登虚し、第一回愛国勤労祭を行ふべきことを

し、総括揮に大日本生産
鶉の青田金三が薔り、松屋町筋を南下し、天王寺公園に入りて辞散す。東京にて右翼と左翼とが争ひ、メーデー忙右
翼二十九囲憶四千名は早朝より芝公園東照宮側の廣場に集まり、司禽者茅野眞好(全図労働)の開禽の欝に姶まり、
午前十一時出費、午後一時、上野動物園前の廣場に到着して解散せらる。総評統一合議、自聯、自協、朝鮮東興等の
三十一囲健三千五官名は漬松町弊裏の芝浦埋立地に集合し、午前十一時、目黒留音(東交)司令者となりて閑合し、
午後零時四十分出費、警官険と学ひつ1上野公園にて解散す。大阪にて各国健一致してメーデー祀祭を挙行すること
となり、労働絶同盟が中心にて準備を進め、常日午前十時、中之島公園に績々参集し、数一萬五千に達し、絶同盟の
種田徽摩が司禽となり、各代表の演説あり、前田種男を絶指揮として午後一時出費、例年通りに行進し、天王寺公園
にて解散す。労働組合は昭和五年までは毎年二、三萌の檜加を示せるに、爾後半減や雀となる。前に勢力を振へる全
国農民組合は全くカを失ひ、本年大阪天王寺公舎堂に大倉を開けるも、出席代議員僅かに官数十名に過ぎず。昨年東
京芝浦禽館に開催せる「日本労働組合合議」は、参加せる圃健、日本労働絶同盟、日本海貝組合、官業労働絶同盟、
全国労働組合同盟、日本労働組合絶聯合、日本勢働絶聯盟、海員協禽、日本港潜従業員組合聯盟、日本造船労働聯盟、
良本製錬聯合禽、東電従業員総合を網羅し、役員に常任議長濱田園太郎(海員組合)、副議長松岡駒音(労働絶同盟)、
 ◆
書記長乗合計米窪満亮(海員組合)を推し、「左に共産主義と明確に封立し、右にファッシズムと一線を毒する健全
なる労働組合主義」を指導精神とすと云ふに、組合合議の結成されたる日、合法的左翼を以て任ずる東京交通労働組
合、東京市従業員組合、日本勢働組合総評譲合、郊外電錬郊友禽、全勢倶欒部排撃分裂反封同盟等、連名にて組合合
議反封の撃明書を襲し、出費に於て勢力結成を阻害せり。
 国際聯盟に於ける日本の脱退が何の程度の影響か。原因結果が判明するに似て判明せず。米国にルーズヴエルトが
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d潤博ゼトr一
盛一●
新たに大統領となり、英囲に開かるべき囲際経済合議に先んじ、米囲にて激備合粛を詮くるとて、四月七日、日本に
招請あり、帝国にて参加を回答し、政府委員に石井菊次郎子、深井英五、経済顧問に門野重九郎が決し、五月四日出
撃 二十四日、出淵大使と共に大統領の午餐合の後、大統領、ハル囲務長官、ビットマン上院外交委員長と舎兄、二
十五日、六日と禽談を繕行し、非常の友好と停へられ、二十七日、共同聾明を襲す。聾明は極東の平和促進、貿易、
通貨政策、銀貨の適蕾なる引上げに関して意見の一致を見たりと襲表し、二十九日、石井全権はニューヨークにて今
次の禽談は同情と友誼に充ちたる旨を故逢し、六月二日、倫敦に向つて出費す。同十二日、国際経済合議が英国皇帝
                                    h
臨御の下に開かれ、参列する者六十六箇囲全権及び全権代理官六十入名、他に外交官、新聞記者等教官名、午後三時、
皇帝の言に繕いて英首相マクドナルドが議長として開禽の尉あり、準備委員合報告文に基づきて、世界不況打開のた
め国際協調の必要なるを力説し、途中より米国の意に反し、昨年七月のロザンヌ賠償合議の精神を説き−飲洲対米囲
の封立を示す。種々の波瀾が起り、併、伊、自、和、瑞の金本位五箇園が共同聾明を費し、七月三日、米国ハル首席
代表は、
  経済合議の虞の目的は世界不況の回復にある故、少数大国の人為的且つ一時的の為替安定は撃一義的のものに過ぎず0健全なる
 国内顔済は患者相場よりも国民生活に重要なる要素なり。
と云へるなど、遠からず大戦乱の捲き起るを濠想する者の何の比例なるやを窮はしむ0資相と傾相とが混渚し、笑ふ
とて嬉しいと限らず、怒るとて打解けずと定まらざれど、其の測られざ渇は普通の私交際に於てし、図家的の儀頑を
重して約束する所は、其れ相應に重きを置かるべきやに考へらる○又賛に重きを置くべきにせよ、重きを置くに程度
4

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あり、責任ある者の明言なりとて、時と場合のあること、明言する者の非か、明言を信ず
m
者の非か、第三者が慈ふ
ことなしとせず。黄金世界は遠き将来のこと、之に近づくに七頼入例の経験を積まぎるべからず。我が囲内忙は京都
帝大にて瀧川幸辰教授が、「犯罪は囲家に封する一種の制裁忙して、国家が刑罰を加ふるは間違ひなり」と云へりと
て、文部省より注意を促され、酋人が高等文官試験委員を辞退せるが、文部省側にて教授職をも辞せしめんとし、五
月十日、小西組長へ非公式に催促し、組長は法学部教授禽を開いて協議し、教授合は文部常局の取らんとする虞置は
教授及び一般学徒の研究の自由に関する塵迫とし、反省を促すことに決す。同十二日、組長に代はりて岸書記官が抗
議書を出せるに、文部省は考慮するの飴地なしとの挨拶にて同夜直ちに蹄任し、十六日、臨時教授合を開き、宮本部
長の名を以て聾明書を婆表す。二十四日、鳩山文相は文官分限委員禽に付託し、委員合は左の構成に七首相官邸に開
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  曾長 斎藤賓、委員 碑密顧問曾河合操、大審院長和仁貞青、曾計検査院長河野秀男、行政裁判併長官浄水澄、質動局線裁下條
 康麿、大蔵次官黒田英雄、内務次官潮高之軒。漁備委員 枢密顧同音原嘉造、大審院部長池田真二郎、曾計検査除部長岡今朝雄、
  行政裁判併長三宅徳業、遽信次官大橋八郎、抜道次官久保円敬一。
鷹貝禽は全合一致にて瀧川教授の休職を決し、二十六日、費令す。京大法学部教授、助教授、講師合せて三十九名は
組長の手許に尉表を提出し、瀧川教授の復職ならざる限り請壊を踏まずとなし、長文の聾明書を襲す。六月七日、文
部省は非公式に休職虞分の理由を襲表し、

  緑川教授の根本思想はマルキシズム忙して、斯くの如き思想、畢訟、著書が所謂人格の陶冶、国家思想の滴養を基本とする大挙
  合第一條の趣旨に背反すること明瞭なり。
と云へり。総長は施すべき術なく、六月十入日、辞表を提出し、三十日、依願免官となる。

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一月三日、元童潜総督、日本無電融長内田嘉言残(頒腎二十三日、融合運動家堺利彦残(醐腎二月三日、音業家大
谷嘉兵衛竺凱十)。四日、前拓相、政友合顧問秦豊助残(霞。五日、東京歯科嘗専創立者高山紀粛禁加計)0十九日、
元千葉嘗科大挙長三輪徳寛残(批腎三月九日、「君が代」等の作曲家奥好義残(加計)○十入日、文化研究者吉野作造残
(紙幣四月二十日、大日本変酒社長馬越彗丁残(軌十)。二十一日、陸軍中将、航空界要人長岡外史禁札腎五月二十
九日、入世其角堂老鼠堂機一残(仙腎六月五日、陸軍大将金谷範三残(表)〇七月二十七日−元帥陸軍大将武藤信義
男穀(山仙哲人月十三日、経済学家金井娃残(賦腎九月五日、童話作家巌谷小波残(晰針)0十月十五日、農学法学博士
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新渡戸稲造穀(講)。十九日、曹洞宗管長北野元峰雲霞。二十四日、蓮家至準自穂禁宗)○同二十九日、坪護士岸
清一琴(状針)。十一月入日、元帥上原勇作子残(仙腎二十四日、大阪朝日新聞社長村山龍平雲霞○十二月入日、海
軍大将山本榛兵衛伯雲霞。十入日、農政寧家矢作柴蔵禁晰腎二十三日、教学家藤澤利喜太郎雲霞0
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