昭和十一年後半期に於ける左右両翼運動の概況

 昭和十一年後半期に於ける右翼運動は不振の裡より起死回生工作
として全戦線に亙り再組織への統合運動に進展したるも、依然従来
の感情行懸り等に依り全的合同に至らず、又左翼運動は客観的状勢
の好転に乗じ極左運動の擡頭及一般左翼運動は政治戦線拡大に躍進
的勢を示せり。

一 右翼運動

 即ち右翼運動は二・二六事件の教訓に依り深刻な自己批判を行ひ
観念的分派運動と独善的刹那運動を排し、大衆に基礎を置く陣営の
再編成と戦線統一に依る実践運動に移行せるが、維新党準備会は大
衆組織を有する労農団体との対立に依り、又愛国労働組合全国懇話
会は内部に意見の対立を生じ共に結党に至らず。
 右翼農民戦線統一運動は関東、関西に分裂し、又従来に見ざる事
象として青年を主体とする団体の結成若くは数団体の提携に依る青
年大衆運動を企図したる外、
各方面に分散勢力の統合行はれたるも、相互の志向を異にし或は感
情的対立の為め全的合同に至らざりき。
 之等運動は多く三六倶楽部小林大佐の企図する右翼戦線の全的統
一に依る単一政党の結成工作の地方的胎動にして、年末に至り漸く
全日本主義各団体の綜合連絡機関として時局協議会結成に成功し得
たるも、之に対抗して在大坂皇国労農協議会を中心として大和聯盟
結成せられ右翼運動統一に二大潮流を生ずるに至れり。
 其他統一運動の刺戟に依り各地に於て懇談会の結成、或は既成政
党との提携を行はんとするもの、又は左翼と提携し、或は国家社会
主義に転向して局面打開を計らんとするもの等ありたり。

二 極左運動

 極左運動は共産党残存分子がコミンテルンの新指導方針に基き人
民戦線運動の展開を計ると共に、文化運動等を通じ党再建運動を企
図して検挙せられたる者五件あり、更に十二月上旬関西一帯十一府
県に亙り日本共産党中央部再建運動関係者三百五十名の一斉検挙を
見るに至り、又米国共産党より郵送し来れる宣伝文書は前半期に此
し増加したるが、其等の内容は何れもコミンテルン大会の指令に基
く共産主義運動の新方式を煽動せるものなり。
 無政府主義運動は数次の検挙に依り潰滅に瀕せるが、之が挽回策
として東京印刷工組合は現実に即する労働組合主義に依る再建を策
し、又農村青年社関係の予審は十二月未決定総検挙者三百五十余名
中三十四名を公判に附する事に決定せり。

三 一般左翼運動

 一般左翼運動は時流に便乗し益々活況を呈したるも、労協を中心
とする人民戦線運動は社大党に於ける依然たる忌避的態度によりて、
労協の企図する形態の人民戦線運動は所期の進展を見ず却て両党対
立に拍車を加へ、又陸軍工廠従業員の官業労働脱退に対し、各左翼
団体は之が他に波及せん事を恐れ相当頑強な抵抗を試み反軍運動を展
開したり。
 之を要するに右翼運動は表面非合法革新運動は影を潜め、大衆に
基礎を置く合法運動と戦線統一運動に転進しあるが、未だ全的合同
に至らず将来の動向に就ては、一部に於ては依然観念的運動を棄て
得ざるものある外、大勢は政治進出に依る革新運動展開を企図し中
には全右翼勢力を結集し軍部の国家革新を推進せんと企図しあるも
のあるも、大勢は尚既成政治勢力と結抗するに足らず。
 又極左運動は数次の弾圧にも屈せず凡有方法を以て執拗に再建を
策しありたるも一斉検挙に依り致命的打撃を受けたり。之に反し社
大党、労協を中心とする一般左翼運動は依然たる既成政党の不振に
乗じ漸次政治的基礎を固め其思想的、政治的影響は日を逐うて深刻
且広汎ならんとしあり。

  昭和十一年後半期に於ける右翼運動概況


    A 右翼団体の戦線統一運動



一 維新党準備会の動静

 [昭和十一年]
 本年六月二十日大阪に於て重大時局の秋愛国改造陣営は軍部依
存主義を捨て、飽迄愛国団体独自の立場より合法的国民運動を起し、
大衆の団結力に依り現状維持派を排撃し大陸政策の遂行と統制経済
に依る国民生活の安定を目標に、尊皇絶対生命奉還を信念として皇
道政治の確立に依り流血を見ざる昭和維新断行に邁進する事を目的
に生産党関西本部を中心に結成せられたる右会は、結成後大なる発
展を見ず後半期に於て僅かに支部準備会の結成せられたるもの四あ
りたるに過ぎず、大阪地方支部結成に際し対立的立場にある愛労全
国懇話会系団体に働き掛け拡大工作を計りたるも、依然運動方針に
容れられざる点ありとて拒絶されたる為め愛国政党の結成に至らず
微々たる運動に終始せるが、本会構成分子中非合法運動観に就て
『過去に於ける非合法運動必ずしも失敗にあらず、今後も非合法運
動ならざる可からざる場合に於ては同手段も又已むを得ず』云々と
論じたるものあり、具体的運動状況次の如し。

 (1) 京都準備会支部結成

 七月二十五日京都市中京区寺町昭和食堂に於て新日本国民同盟、国民協会、生産党、労働同盟各京都支部愛国公正会等に依り京都準備会支部を結成事務所を新日本国民同盟内に置き、其後十月九日事務所に於て委員会を開催。
 (一) 時局問題研究会開催の件。
 (二) 維新党中間大会出席者の件。
等を審議し、続いて十月二十五日京都市新京極永楽亭に於て新日本国民同盟増山則文以下二十五名、労働同盟加藤鉄太郎外十二名、愛国公正会近藤初三郎外八名、国民協会福島佐太郎外一名、生産党矢羽田慶三外五名、傍聴洛青中川裕等五十七名出席懇談会を開催、生産党河上利治及新日本国民同盟中央常任総務手島剛毅より日支問題と維新党の任務に就ての講演ありたる後、質疑に入り『過去に於ける非合法運動は失敗なりや』との問に対し生産党河上利治より次の如き場合に依りては非合法も又己むなしと注意を要する答解を為したり。

 維新党其他吾人の運動は勿論合法的ならざる可からざるも、過去に於ける非合法運動は必ずしも失敗に非ず、即ち現在の如き革新気分の醸成せられたるものも一に非合法運動の力なりと云はざる可からず、従って今後に於ても非合法ならざる可からざる場合に於ては非合法手段も亦己むを得ざるべし。

 次で十二月十六日委員会に於てクリスマス廃止竝にダンスホール閉鎖運動を協議し、其の決定に基き新日本国民同盟京都支部長橋本
03寅太郎外五名は十八旦兄都府警察部長を訪問陳情せり。

 (2) 神戸市準備会結成

 八月八日神戸市仲町協和会館に於て首題座談会を開催、全神戸日本主義団体代表者出席し、其後十月五日神戸市楠公前カフェーに於て神戸市準備会を結成せり。

 (3) 準備会の状勢報告書配付竝に時局批判演説会開催

 大阪市生産党本部内所在維新党結成準備会に於ては九月九日「暴支膺懲国民大会竝演説会」を開催参加者約千五百名ありて次の如き決議を為したり。

 吾が政府は支那に対し従来の軟弱追従的外交対策を改め速に皇国の伝統的大亜細亜主義に則する強硬国策を以て之に当り一切の抗日的行為を徹底的に根絶せしめ東亜和楽の基礎確立を期すぺし。

 十二月中旬開催予定の全国代表者会議に先立ち各地支部結成促進の目的を以て十月十三日次の如き内容の本部情勢報告を全国支持団体竝に日本主義団体宛発送せり。

 ○支部準備会の準備出来近日結成予定の情報ある地方
 愛知、名古見、岐阜、和歌山、宮崎、福井、大牟田、横浜、盛岡、台湾、青森、札幌、北海道天塩。
 ○世話人吉田益三氏上京を機として懇談の結果左記三氏世話人を承諾さる、其他各地方有力同志共緊密な連絡を採り個人的賛助或は加盟を得つゝあり。
   新日本国民同盟  佐々井一晁
   愛国政治同盟   小 池 四”郎
   国体擁護聯合会 入 江 種 矩

 (4) 大阪地方支部結成準備懇談会開催

 維新党準備会委員吉田益三、新日本国民同盟手島剛毅、国民協会藤沢猛等発起人となり十月十日大阪大槻会館に於て愛国青年聯盟、維新クラブ、立憲皇国青年党、市電交通倶楽部、大日本産業労働同盟、国粋大衆党員等二十四名出席の下に大阪地方支部結成の為め懇談会を開催し、名称を大阪府聯合支部とする事。事務所は生産党関西本部事務所内に併置する事。準備委員は当日出席者全部を準備委員とする事。経費は準備委員の月額三十銭以下の拠出に依り維持す。十一月中旬開催予定の党結成全国代表者会議迄に結成せしむる事。等を協議決定せり。
 尚前記発起人は党の拡大強化竝に愛国陣営統一の目的を以て対立的立場にある関西皇国労農協議会系労働農民団体宛支部結成懇談会に案内状を発送維新党加入方を勧誘せるも、右団体に於ては「主旨には賛成なるも運動方針に相容れざる点あり」とて参加を拒否せり。

 (5) 岡山市に於ける支部結成運動

 岡山市中国神武会員岡本岩松は維新党準備会結成に際し岡山県より列席し、爾来同地方に準備会を樹立すぺく同志獲得に奔走中の処対支問題が一般に論議せられあるを好機に準備会結成を促進すぺく九月二十二日岡山市内劇場に於て岡本主催の下に党準備会本部より狩野敏、柴山満の両名を招聘し演説会を開催一般聴衆約三百名あり。
   ●抗日諸団体即時解散要求
   ●在支同胞の生命線解散要求
   ●暴虐支那を徹底的に膺懲しろ
   ●人民戦線撃滅皇民戦線確立
等のスローガンを掲げ各弁士は終始愛国運動の再建に依る人民戦線撃滅を叫び広田内閣打倒を強調、実力行使に依る支那の徹底的膺懲と強力外交の必要性を力説す。

 (6) 倉敷市に於ける対支問題演説会開催

 九月三十日倉敷市に於て同じく支那問題に関する演説会を開催党準備会本部より手島、藤岡両常任委員出席せり。

 (7) 福井市に於ける対支問題演説会開催

 福井市商工会議所に於て十月四日維新党準備会加盟団体福井行地社主催にて「暴支膺懲国民大会竝に演説会」を開催せり。

 (8) 尼ケ崎支部準備会結成

 十月六日尼ケ崎市に於て阪神沿線在住の同志に依り尼ケ崎支部準備会を結成せり。

 (9) 全国代表者会延期

 維新党準備会に於ては十月十六日大阪市に於て報告を兼ね全国代表者会議開催予定の処、十月下旬神戸市に於て観艦式挙行に付上阪の地方代表者が途中阻止せらるゝの虞ありとして、十一月中旬に延期する事とし十月十三日附此旨通達を発したり。


二 愛国労働組合全国懇話会の動静

 昭和十一年三月二十四日日本労働組合総聯合を中心に日本主義労働団体十八(組合員約六万)の参加を得て『産業労働者として産業報告(国?)の至誠を以て国家産業の全面的発展に参加すると共に、共産主義社会民主々義を撃滅し更に進んで資本主義の合法的革新、国体明徴の為め一君万民制に則る道義日本の確立を目標とする日本主義労働運動大同団結に向って一大国民運動を展開せんとする事』を目的として東京に於て結成宣誓式に依り結成せる愛国労働組合全国懇話会は、爾来組織拡大運動に奔走し関東(東京)中部地方(名古屋)近畿地方(大阪)に各委員会を結成すると共に政治対策委員の任命、一般運動方針として「愛国労働組合の統一と組織の拡大、日本産業労働会議の促進、人民戦線運動撃滅、愛国政党樹立運動」等を決議すると共に、九月東京に於て第一回全国大会を開催右運動方針の実現及組織拡大強化を図り、労農戦線の統一に依り愛国政党の結成を目標に邁進したるも、内部に政治的進出に関し既存右翼団体との提携に依る政党の結成に関し意見の対立を生じ、為に進展意の如くならざるを以て各地方毎に政党を結成し然る後全国的政党樹立に進む事となり、関東に「愛国政治懇話会」を結成、中部地方は加盟各組合の合同及び未組織組合の積極獲得運動行はれ、関西に於ては右翼農民団体と提携し地方政党として「関西皇国労農協議会」を結成したり。
 其後十二月東京に於て懇話会の中心団体たる総聯合高山会長等参劃し、日本主義各団体の横断的連絡協同機関として時局協議会結成せられたるが、之に対し総聯合大阪聯合会を中心とする関西皇国労農協議会は「右協議会は大衆組織を無視せる反動的分子の政治的策動にして却って正しき日本主義運動を阻害するものなり」と反対的立場を取り別個に大衆に基礎を置く日本主義政党発展への母体として大和聯盟を組織し総聯合はこゝに東、関西が歩調を異にするに至り早くも渠溝を生じたり其の状況次の如し。
04 (1) 地方委員会の結成

 同会に於ては第一回常任委員会の決定に基き次の如く地方委員会を結成せり。

○関東地方委員会(事務所東京市芝区三田四国町一五)
  委 員
   新妻徳寿  矢ケ崎静馬  阿部已与牛
   緑川勝美  近藤栄蔵   稲荷山石松
   相沢新平  大久保秀治  森 昌示
   皆川利吉   高山久蔵
○中部地方委員(事務所名古屋市中区中の町一二)
   委員長  山 崎 常 吉
   副委員長  石 井 光 兵
   事記長  田井増五郎
   書  記  伊 藤 長 光
   会  計  高 橋 恵 蔵
   常任委員 米 口 外 治  土 星一堆
         森田平八郎
 ○近畿地方委員会(事務所大阪市北区曾根崎新地三ノ二九)
   委 員 長  大 橋 治 房
   書記蛙会計 音 川 六 郎
   常任委員  小 田  孝   三 谷 三 平
           中 地 熊 蔵   大 橋 治 房
    執行委員  矢一尾‖菩三郎   外十名
   政治対要員
  次で第二回常任委員会の決定に基き次の如く政治対策に関する委
 員を任命し必要に応じ各地方に於て常任委員と協力活動する事を決
 定せり。
  政治委員
   関東地方 高 山 久 蔵  矢ケ崎静馬
        新 妻 徳 寿  西山仁三郎
        城 戸 房 男  森  栄 一
   中部地方 山 崎 常 吉  土 星一堆
        伊 藤 長 光  霹久保賢治
   近畿地方 大 橋 治 房  今 井 武 青
        未申勘三郎  赤 崎 寅 蔵
        矢尾喜三郎  加藤鉄太郎
  第二回委任会の決議に基き七月二十九日附労働代表選出に関し
 「日本国内に産業労働会議を設置し国論を統一し以て代表を会議
 に臨ましめ代表の鉄衝は一党一派に偏せず国内各団体より鍵衡し、
 反国体的人物を排撃せられ度」との建議案を関係当局に提出し、七
 月二十三日附社会局長官より「退職積立金法施行に関する命令案要
 綱」に就て意見を求められ委員会に於て決定の上八月十二日答申書
 を作成の上長官宛演出せり。
 似 常任委員会開催行動方針決定
  九月十一日午後一時より名盲星市公会堂に放て常任委員会を開催
 常任高山久蔵以下各委員七名及近畿地方委員会今井武音、未申勘三
 郎、中部地方委員会伊藤長光外九名参集山崎常青議長となり関東、
 近畿、中部各委員会の活動報告ありたる後義案審議に移り。

 へこ 行動方針に関する件
 懇話会は我等の要綱及び創立宣言に基き祖国の繁栄とへ資本主義
経済の是正)「註( )内を削除」に努め更に日本主義労働組合の
大同田結と組織の拡大を其主要なる任務とし其の団結を通じて次の
如く行動す。
 (イ) 愛国労働組合の統一と組織の拡大。(懇話会当面の急務で、
 我等は今や祖国と其産業の強固なる基礎を確立し、以つて国民生
 活の安定に備へ且つ一切の反国体的氏戌労働運動を打破し日本主
 義労働運動の上に、全産業の組織を完了し皇国日本.の興隆に尽さ
 ねばならぬ。)
 (ロ) 失業問題の対策の樹立。(失業問題は又我国に於ける重大
 なる社会問題の一で、人口の過剰産業の機械化、深夜業労働等は
 多くの失業労働者を出し、農村窮乏と共に国民生活を脅かすもの
 である、吾等は労働時間の統制、製産品の自給自足其他の対策を
 政府及資本家に要望し次の一例に見るが如き積極策を捷唱す0)
  (一) 国内鉄道の電化 (二) 自動車の積極国産 (三) 国内
  土木事業の完成 (四) 国防の完璧)
 (ハ) 退職彗止金法、健康保険法、工場法、労働者災曹扶助法、
 臨時雇傭制度の改廃及び国情に即する社会政朱労働立法の促進0、
 へ以上の社会政策と労働立法とは現行法を改正し未だ立法されざ
 るものは我が国情に即する制度を創設する必要を強調し併せて之
 が実現の為に邁進す。)
 (ニ) 日本産業労働会議の促進。(産業労働会議を日本国内に設
 置し産業の国是を制定し以て(労資の協力に依る)「註( )内
  削除」産業の発表を耕し。且つ勤労従業員の福利粛設の身重に依
  って国民経済の基石たらしむる事。)
  (ホ) 日本産業の伸張と国際問題。(我等は又国際的にも産業と
 労働の運動に協力し、世界の資源の不公平を調整し併せて国際文
  化の為に貢献せんとす。)
 (へ) 政治問題の対策への協力。(政治問題の新らたなる方向は・
  我国民全体の現下必須の問題であって
   失業対策と労働立法の改廃及び制定。農村筋乏打破。中小商
  工業者の問題。国民生活の安定。移民問題。対外貿易の調整、
   国際環境の変化と国防の充実。
 等々は反国体的既成諸政党に依つては、皇国日本の発展と国民生
 活の安定を招来し得るものではなく、我等は熱意を持つて清新な
  る政治勢力の結成に協力する所以である。)
 (二) 全国大会に関する件
 九月二十七日東京に於て第一回全国大会を開催し各委員会は二十
 日迄に本部へ議案を堤出し、代議員数其他経費等に関しては在京委
 員会に一任に決定。
 (三) 電力国営問題に関する件
 右問題は国防上経済上極めて緊要にして政府案は完全なりとは言
 ひ得ざるも過度的形態として之を支持するを要し、但し
  (一) 電気事業従業員の待遇向上
  (二) 電気料金の値下
 (三) 電気事業の拡張に依る失業者の収容。
 を条件として支持声明する事に決し之に関する声明書案を起草した
05 hソ●
 (四) 退職手当法修正に関する件
 同法第六条第十七条、第二十四条の一但書第二十六号の第一項修
 正に向い運動する事。
 (五) 人民戦線運動撃滅の件
 人戦運動の非国家性を暴露し座談会、講演会、枚文、「ビラ」概
 関紙等凡有手段を以て一般に理解徹底せしめ又人戦撃滅青年挺身隊
 を組織も徹底的撃滅運動を展開する事とし声明書を本部より発行す
 る事とせり。
 (六) 愛国新政党樹立運動の件
 本件は近畿及中部は積極的なるも関東は振はず今後積極的運動を
 全面的開始の事。
 (七) 全国懇話会拡大強化の件。(積極的に邁進する事に決定)
 (八) 緊急動議(中部地方伊藤長光提案)
 陸軍工廠内に於ける社会民主々義組合を脱退せしめたる事は欣快
 とする所なるも、陸軍の意図が一切の組合を排撃し日本主義組合を
 も否定するに於ては黙過し得ずとして之に関する要請文を陸軍省宛
 本部より提出する事とせり。
 (九) 緊急動議へ中部地方露久保提案)
  伊勢電鉄会社が近日中に阪急と合併に伴い伊勢電鉄従業員組合切
 崩に対する対策は中部及近畿地方委員会より露久保賢治、大橋治房、
 今井武者、伊藤長光の四名を対策委員に任命講策する事。
 として午後七時三十分散会せり。
 仰 第」回全国大ム寄一閃催
 次で九月二十七日午前十一時三十分より東京芝浦会飾に於て第一
回全国大会を開催、全国代表者首七十名参集会場中央に、
  ●労農戦線統一の促進
  ●日本労働祭の徹底
  ●産業報国の徹底
  ●産業労働統制法の制定
  ●産業労働会議の設置
  ●日本構碑の宣揚
のスローガンを掲げ、中部地方委員会山崎常青議長に就任其他大会
役員選任後本部竝に地方の経過報告後陸軍工廠従業員の組合加入禁
止問題に付き質問し又意見を徴したるに中部地方委員伊藤長光は、
  陸軍の為したる労働組合加入禁止の処置は労働行政に対する陸
 軍の認識不足に基因するものにして、愛国労働朗体に迄之れを及
 ぼしたるは遺憾とする所なるを以て、今後吾々は軍が愛国労働団
 体の何物なるかを認識する様努力せざる可からず。
との意見を述ぺ満場の賛成を得、次で新日本国民同盟外三十七団体
 の祝電、祝辞朗読後農に名古屋市に於て開催せる委員会に於て決定
せる運動方針外六件の議案を満場一致可決之が実行方法は新常任委
員に一任する事に決定し、新役員の選任及宣言を可決午後五時散会
 せるが、本大会に於ける特殊状勢として見る可きは、前途の如く陸
軍の官労加入禁止問題に対し軍の処置は拙策にして陸軍は労働行政
 に対し理解足らずとしたる点及自体の組織拡大強化を図り愛国労貴
戦線の統一を斯し之を基礎とする愛国新政党の結成を期しある点な
 hソ0

  新役員‥与q∴短Jc・巧ノ き`1d頭J′nョ増絹1鶴湾絹∨き礪寸1…‥礎川で対頂湧・一り
   へ一) 本部常任役員
  常任委員 西山仁三郎  矢ケ崎静馬
        大 橋 治 房  露久保賢治
        新 妻 徳 寿  矢尾書三郎
        山 崎 常 吉  高 山 久 蔵
  書 記 皆 川 利 青
  会 計 大久保秀治
   (二) 各組合委員
  日本労働組合総聯合(高山久蔵、高橋慶治、稲田米太郎、高橋
   峯青、皆川利青、森栄一、川島矯三、風向高次郎、石井光長、
   土屋一雄、今井武青、未申勘三郎、三谷三乎、栗山角次郎、
    佐野好男)
  大日本労働組合協議会(大橋治房、樋口書徳、伊藤長光、捗谷
    為友)
  東電愛国同盟(鈴木高夫、青市賞蔵)
  生活防衛聯盟ハ緑川勝美、田中己代書、霧久保賢治)
  新日本海員組合(新妻徳寿、狸田信一、福田武男、紘山書太郎、
   赤崎賞蔵、松田喬平、岡部一二)
  愛国労働農民同志会(阿部己与午、鴨下栄一、内田広告)
  中部港概労働組合(田中増五郎、森田乎八郎、富田甚五郎)
  懇話会中部地方委員会(山崎常吉、梶田勝利、三浦俊二欄井
   宗助)
  日本産業労働倶楽部(石井熊蔵、西山仁三郎、大久保秀治、森

瀾パパ瀾昌保、城戸房男、小出遭生、森本兵生、林十造、塩田勲、渡
  辺繁三郎、小田島輝治、石本朱書、横地福三郎)
 日本労働同盟(矢尾喜三郎、小田孝、近藤栄蔵、萩原貞一)
       宣   言
  愛国労労働組合全国懇話会は去る四月十九日東京に於て結成
 式を挙行した、当時帝都は尚戒厳令下に在って、結成宣誓式の
 みの挙行なりしも、参加各田体の熱烈なる支持に依って次第に
 発展を遂げて今日に至った。
  爾来各種の行動実践を通じて我等は「日本主義労働運動の堅
 実なる地歩を確保した、従来日本に於ける政治、経済外交其他
 一切に亙る分野に於て欧米追随主義を生み出し、従って労働運
 動それ自体も共産主義、社会民主主義の思想的影響を受けて欧
 米模倣主義に堕して居た事は先に指摘した通りである、然るに
 之等の共産主義者社会民主々義者乃至一部自由主義者は粕提携
 し、最近人民戦線の結成を策し益モ露骨なる反国体思想の宣伝
 に狂奔しっ1あるのである。
  観よ! 之等の社会民主々義労働団体は社会民主々義政党と
 共に最近陸軍部内に於ける労働組合が社会民主々義陣営より去
 った事実を日して単純なる団結権の揉摘なりと林し、憲法論を
 振り翳して大衆を煽動し軍民離間を策し斯くして敗戦主義への
 拍車を加へて居るのである。我等は斯の如き一切の非国家的思
 想の排撃の上に起つて日本精神の昂揚に努め以て日本全国の労
 働者を日本主義に再編成する事が必要である。
  又政府は「退職積立金法」を制定したのであるが尚幾多の改
06  正を要する項目あり、吾等は其重要なる改正を当局に要求する
  のみならず更に進んで日本の国体に即する労働立法の制定と、
  併せて日本産業の公正なる経営を通じ其発展伸長の為産業労働
  会議の設置を要望するものである。
   今や日本内外の情勢は愈モ切迫せる情勢を示し居り吾等産業
  労働者の正しき行動は延て皇国の繁栄に直拝関連する所甚大な
  ると同時に国防の上から欠く可からざる緊急事である、竝に日
  本主義労働組合の大同団結に腋然として邁進するものである。
   吾等は亦政治問題の新なる方向が我国現下必須の問題にして
  従来の反国体的諸政党に依っては断じて皇国の発展と国民生活
  の安定とを招来し得るものにあらざる事を知り、我等は熱意を
  以て強力にして清新なる政治勢力の結成に協力するであらう、
  既くして愛国労働組合全国懇話会は共産主義、社会民主々義其
  他一切の非国家的行動の絶滅を期して全日本へ日本主義労働運
   動の大道を打ち立てなくてはならない。
    右宣言す。
     昭和十一年九月二十日
             愛国労働組合全国懇話会第一回大会
 仰 懇話会の政治的進出に対する対立
  懇話会将来の政治的進出に関する態度に就き、日本労働組合捻聯
 合、新日本海員組合、東電愛国同盟等は民有の愛国政治団体又は丑
 の首脳者等との掟携に依る政党の結成を可とし居るに対し、日本産
 業労働倶楽部は絶対に之を排撃し在来の国家主義団体の主脳者と政
  治行動を井にする事は過去に於ける実践上よりして結局利用せらる
 るに止り、真の日本主義政治運動たり得ずとして意見の対立を生じ、
 総聯合をして一党づ政党運動を断念せしめたるが、結局本部に於て
 は現下の状勢下に於ては全国的単一政党樹立は困難なるを以て各地
 方毎に政党を結成し然る後全国的日本主義政党樹立に進むぺしとの
 煮見に一致し、十月二十八日日本労働組合絵聯合、新日本海員組合
 及東電愛国同盟の幹部は国民協会、新日本国民同盟革正会、敬天塾
 の幹部等と会合単一維新党結成準備会を開催し、各モ個人の資格を
 以て相協力主として、東京城南地区の日本主義戦線統一を第一目標
 とし全国的統一勢力結成促進の助勢的役割を為す為め「愛国政治懇
 話会」を結成するに至れり。
 求@関東地方委員会開催
  懇話会に於ては十二月一日芝区三田四国町総聯合本部に於て関東
 地方委員会を開催、高山久蔵以下十一名集合、皆川書記より中部地
 方の報告として、(一)愛国従業員聯盟結成の件、(三大日本労働
 組合協議会の総聯合への合同の件等の情勢報告後議事に移り。
  m 尾去沢鉱山ダム決潰に関する件
  惚 日独防共協定の件
  梶@電力国営問題に関する件
  仰 郵船会社の不敬事件糾弾の件
 等を審議決定せり。
 求@懇話会中部地方の組織拡大運動
 (一) 懇話会中部地方委員会に於ては十月二十九日名古屋市に放て
 常任委員会を開催大日本忠孝労働組合山崎常吉外四名、中部労働聯
 盟田中実、総聯合愛知県聯石井光長、国朝礼綜合労働組合横井宗良
 血丁邸港独唱労働組合下川徳之、三河愛国従業員組合聯盟露久保賢治、
 新日本海員組合名古屋支部福田武男等出席、山崎常青開会を宜し続
 いて第一珂大会状況報告後、
 日本主義政党樹立の件。人民戦線排撃運動の件を協議せるが、懇
話会の日本主義政党樹立問題は遅々として進捗せざる為各地方毎に
政党を結成し然る後金国的政党樹立を計画せるも、中部地方に於て
 は各団体間に感情的軋轢委員会内部の不統一其他に依り大なる発展
 は不可能の状態なり。
 (二) 懇話会常任委員露久保賢治を常任理事とする在豊橋市三河愛
国従業員組合聯盟に放ては、活発な運動を為し本年八月頃伊勢愛国
従業員組合を結成し、其後十月初旬より霧久保理事以下幹部数名は
 三重県下に出張同地方交通従業員の獲得に奔走の結果十月未に至り−
  合同愛国従業員組合(約官名)
  志摩電愛国従業員組合(約百五十名)
  神都バス愛国従業員組合(約雷名)
等の組合結成を見十一月七日津市に於て之が統制機関として伊勢電
愛国従業員組合竝に合電愛国従業員組合を以て懇話会中部地方委員
 会々長山崎常青外友誼田代表九名の列席を得て三重県愛国従業員組
 合聯盟結成大会を開催せり。
(三) 更に蕗久保は、懇話会中部委員会山崎常育と図り三河三重両
聯盟の統制機関として愛国従業員組合総聯盟を組織し懇話会中部地
方委員会に協力日本主義政党樹立運動に奔走中の処、中部地方委員
 会幹部間に感情軋轢を生じ山崎は中部労働聯盟伊藤長光と対立する
 に至りたるを以て三重、豊橋、瀬戸、一宮各地方日本主義団体と掟
 携十二月十二日名古屋市公会堂に於て参加二十六組合代意貞五官七
 十六名集合の上「愛国従業員組合総聯盟」結成大会を挙行、各聯盟
 情勢報告及聯盟結成に至る迄の経過報告ありて後祝電祝辞の朗読来
 賓の祝辞ありたる後議事に入り議案。
 一綱領決定の件
  (一) 我等は建国の本義に基き和衷協同皇通日本の完成を促し
    以つて国家産業の発展を期す。
  (二) 我等は公正なる労資関係を確立し従業員の向上栄達を図一
   り進んで現行経済制度の改新を期す。
  (三) 我等は業に励み智を磨き徳を樹て自省以て人顆文化に貢
    献せん事を期す。
  (四) 我等は全日本主義労働団体の全的合同に邁進せん事を期
    す。
  二 規約決定の件
  三 行動方針決定の件(内容懇話会の方針と同一)
  四 総本部設置の件
  五 日本主義労働団体の全的合同の件
  六 愛国新政党樹立促進の件
  七 中部日本未組織従業員組織化の件。
 等を審議可決実行方法は新役員に一任せり。
  役  員
   会 長 山 崎 常 青
   副会長 鈴 木 高 夫
   主 事 梶 田 捗 利
07 書記長 露久保賢治
 書 記 原  治 天  外三名。
 中央執行委員
  山 本  実  青山半三郎  木村平次郎
  林元茂十郎  二 村  責  渡 辺 重 大
  水 越  樺  戸松専九郎  谷 万 次 郎
 理 事 倉橋和三郎  外三十三名
 参加組合
 一大日本忠孝労働組合(中部牛乳従業員組合)
 一名港造船エ組合
 一東部製画工親睦会
 一熱田労働同志会(未組織 1一宮合同労働組合 2起合同
  労働組合 3一宮鮮友同志会)
 一日本主義労働組合瀬戸地方聯合協議会(1錦旗愛国労働組
  合 2報国水野陶工組合 3愛国電機陶工組合 4瀬戸硝子
  陶工組合 S瀬戸製陶和物動力工組合)
 一三河愛国従業員組合聯盟(1豊鉄愛国従業員組合 2渥電
  愛国従業員組合 3豊軌愛国従業員組合 4鳳鉄愛国従業員
  組合 S東三愛国運動者組合 6三河愛国従業員倶楽部 7
  豊橋製陶所協和会 8豊橋愛国映画人同盟)
 一三重愛国従業員組合聯盟(1伊勢愛国交通従業員組合 2
  合電愛国従業員組合 3神都バス従業員組合)
         唐且  宮
   本日褒に三河愛国従業員組合所属入組合、三愛国従業員組合
 聯盟所属三組合、大日本忠孝労働組合所属四組合、日本革新労
 働組合所属三組合、日本主義労働組合、瀬戸地方聯合協義会所
 属五組合他各私鉄従業員有志を合し総計六千四百余名の歴史的
 合同に依り愛国従業員組合総聯盟を結成せる事は全従業員の最
  も喜びとする所である。
  顧るに中部日本に於ける日本主義労働運動は昭和十年春より
 急速に進展し攣P市、一宮市、名古屋市の各労働組合の大部分
 は従来の誤れる指導精神を一櫛日本主義に続々結集し、又豊橋
 市を中心とする三河地方及び三重県一帯にも自覚せる交通従業
  員の結集を見、各地方に単独聯合体を組織するに至り各団体共
 従業員の福利を計り国家産業の興隆と国内革新を目的に邁進す
  ぺく努力し来たのである。
   然るに最近非常時が益モ深まるに至り同一主義を有する各団
  体は合同統一する事に依つて速かに吾等の目的を実現し得る事
  を認識するに至り竝に小異を捨て〜大同に就くに至つたのであ
  る。吾国従来の社会状態を見るに政治、経済、外交、社会政策
  其他一切に亙る分野に於て欧米追随主義を生み出し、従つて労
  働運動それ自体も共産主義社会民主々義の思想的影響を受け、
  欧米模倣主義に堕して居たのであるが、之等の共産主義社会民
  主々義者乃至一連の自由主義者資本家階級は最近提携してヨー
  ロッパ流の人民戦線の結成をたくらみ益モ意識的なる反国体思
  想の宣伝に狂奔しっ1あるのである、吾等は斯の如き一切の非
  国家的思想の排撃の上に立つて日本精神の昂揚に努め以て日本
  全国の従業員を日本主義の下に結集せしむる事が日下の急務中
   の急務である.
   富国産業の繁栄は我国民全体の幸福を蘭し得るものであり産
  業協力こそ従業員が国家に報ゆる唯一の道である事を痛感する
  ものである。されば吾等は各モの職場に於ては能ふ限り構助格
  勤を持し、切磋練磨、人格の向上に努め以て産業の繁栄を通じ
  て生活の安定を期し福利施設の増進を実現せんとするものであ
  る。それ竝に我国情に即する労働諾立法の制定は吾等の熱心に
  要望する所である。
   然るに見よ資本家側は今日に於ても尚労働立法の制定に反対
  し従業員の福利施設の制定を阻止しっ1あるのである。例へば
  内務省社会局は先般退職積立金法を制定したのであるが、資本
  家側は全産聯を先頭にして同法の通過及び活用を阻止し、それ
  竝に制定発布された退職積立金法は尚鵠多の改正を要する項目
  あり。吾等は共重要なる改正を当局に要請するのみならず更に
  進んで日本精神に立脚せる労働立法の制定を要望し併て日本産
  業の公正なる経営を通じて其発展伸張の為に日本産業労働会議
  の設置を要望するものである。
  今や日本内外の情勢は愈モ切迫せる情勢を示し居り列国は吾
 が生産品の上に関税の障壁を高め輸出貿易に不当なる圧迫を加
  へ我全国民の生活不安を一層倍加して居るのである。されば吾
 等産業従業員の正しき行動は延いて皇国の繁栄に直接関連する
 所甚大なると同時に又国防上欠く可からざる緊急事である。故
 に日本主義労働運動の任務益モ重きを加へ且つ大同団結に邁進
  せん事を確信し、吾等は又政治問題の新たなる方向が従来の反
  国体的諸既成政党に依づては断じて一国家繁栄竝に一国民全体の章
  福を蘭し得ない状勢となりつ1あるに鑑み、日本主義労働団体
  の全的合同を促進すると共に、熱意を持つて強力にして清新な
  る、日本主義新政党の樹立に協力するものである。
   吾が愛国従業員組合総聯盟は本日竝に結成すると同時に以上
  の見地に立つて日本主義諾団体と協力し勇往邁進する事を誓ふ。
   右宣言す。
    皇紀二千五官九十六年十二月十二日
                   愛国従業員組合総聯盟
例 日本労働組合総聯合(組合員約二万七千)及大日本労働組合協
 議会(組合員約二千八百)の合同及合同大会
 懇話会加盟首題両組合は従来より友誼関係にありたるが、本春大
日本労働組合協議会が本部を東京より大阪に移転以来両組合の労働
運動、政治闘争方針の一致に俵る著しき親書関係を加へ、本年夏以
来総聯合主事未申勘三郎、協議会々長大橋治房の間に合同を計画し、
爾来東京、名古屋に於ける両組合幹事とも了鰐打合の結果合同後に
於ける組合名称綱領主張役員振当等を、
  名称日本労働組合総聯合、主張綱領全的に総聯合の夫れを継承、
 役員揖当、協議会々長大橋治房を絵聯合主事に、其他のものを中
 央委員及本部委員に任命。
する等協定頻り十一月十五日東京芝公会堂に於て両組合代表約四首
五十名参集し合同大会を開催せり。当合同会場正面には
  ●日本主義労働団体の拡大強化
  ●日本精神に依る労働立法の制定促進
08  ●日本精神の宣揚
  ●産業報国
  ●産業労働会議の設置促進
等のスローガンを掲げ高橋峯曹司会の下に、合同斡旋者金子忠青登
壇国歌斉唱皇居造拝後、協議会代表樋口幸衛、総聯合代表今井武青
 の合同経過報告後次で高山、大橋両組合長登壇し金子患者の宣誓文
  吾等は日本主義労働運動の大同団結を志し本日竝に日本労働組
 合総聯合、大日本労働協議会の二組合は合同し爾今新組合は益モ
 全員協力して目的貫徹を期す云々。
 の朗読ありて両組合長の握手を以て合同式を終り、引続き総聯合合
 同大会に移り高山会議長席に就き各種役員の任命を行い地方情勢報
 告に先立ち本部の報告に対し承認を求めたるに「陸軍の官業労働組
 合禁止問題」に関し質問あり、之に対し高山会長は
  陸軍当局に於ては深き根拠なく組合加入は統制上国防上の見地
 ょり決定したるものにして利害関係に基くものに非ず。
 と説明其他二三質疑応答ありて報告を承認後続いて地方情勢の報告
 ありて議事に移り議案て 工場鉱山休日全国的統一の件、外六件を
 順次審議可決し宣言綱領行動方針の説明あり、
 新役員
  会 長  高 山 久 蔵
  副会長  今 井 武 ▲音
   主  事 森  栄 一
   会  計  皆 川 利 音
   会計監査  坂本清太郎  一岡 本 鉄 次

  顧  問 山崎今朝弥  金 子 忠 書
  中央執行委員
   高 橋 峯 書  皆 川 利 音   字野信二郎
   川 島 稽 三   未中勘三郎  長 岡 留 音
   石 井 光 長  高 橋 慶 治  佐 野 好 男
   大 橋 冷 房
  中央委員
   原田武二郎  岩 田 通 則  風岡高次郎
   赤 羽 徳 橋  水 元 仲 次  坂東清三郎
   永井永之助   申 出  登   森田保之助
   栗山角次郎  青 川 六 郎   多 田 福 芙
   稲田未太郎  斉藤卯三郎   岡 見 鈷一
   今 井 猛 行   鈴 木 力 蔵  茂 呂 五 郎
   伊 藤 長 光  渡辺馬五郎  金 井 三 男
   町 田 住 弘  樋 口 喜 徳  中 島 近 敏
   森  用 一  三 谷 三 乎  左右田勘一郎
   上岡勝太郎  深 見  弘  福 島  繁
   堀     某
を発表後祝電祝辞(代読)三十五通、陸軍少将江藤源九郎外十名の
人民戦線排撃愛国労働団体の拡大強化を強調せる祝辞あり最後に組
合万歳を三唱後散会せり。
 尚両組合合同を奥概に従来両組合の影響下乃至は友誼的関係にあ
りたる、
  伊勢電鉄従業員組合


  掛声陶器労働組合
   大日本忠孝労働組合
  奈良運輸労働組合
  広島自動車従業員組合
  和歌山木材労働組合
  北日本労農聯盟
 等をも一挙に合同し以て日本主義労働組合の戦線統一を図る可く関
 東、中部、関西各地幹部に於て之が実現に奔走すると共に、東京、
 千葉、群馬、京都、佐世保地方に於ける未組織及既成団体の一部に
 対しても活動を開始せり。
 求@絵聯合大阪聯合会年度拡大委員会に於ける大和聯盟支持表明
 十二月十六日総聯合大阪聯合会に於ては首題委員会を開催大阪聯
 合会側は会長今井武青外支部代議員等六十六名、旧労働協議会側は
 会長大橋治房外六名出席協議事項
 (一) 総聯合、労働協議会合同承認の件
 (ニ) 綱領、規約制定の件
  (三) 宣言審議
  (四) 大和聯盟支持に関する件
 等を審議せるが、総聯合未申勘三郎より大和聯盟結成経緯に付説明
 ありて万場一致之れが絶対支持を決議したるが、総聯合高山会長の
 時局協議会関与に対し大阪聯合会幹部との意見対立に依り大阪は時
 局協議会に反対的立場にある大和聯盟を支持しある点等より、将来
 稔聯合は関東関西に二分し相当内紛を惹起するに非ざるやと思料せ
 らる0



     三 日本主義農民団体の統一運動

 m 運動の経緯
  大阪所在皇国農民同盟理事長青田賢一は予てょり全国に分散する
 日本主義農民団体の急速なる結合を企図し運動中の処、維新青年倶
 楽部今旦勝雄等の愛国農民戦線統一運動にカを得六月二十入日芝協
 調会館に於て各地右翼農民団体代表三十七名参集青田賢一座長とな
 り「皇国農民団体結成関東地方準備会」を結成し、次で七月五日大
 阪中央公会堂に於て関西各地日本主義農民団体代表者三十名及傍聴
 者東京帝大助教授橋爪明男外四十名出席皇国農民団体結成関西地方
 準備会を開催「国体的農民団体の全国的統一の為め我等団体は滋に
 単一組織として合同し、進んで皇国農民団体結成関東地方準備会と
 協力し速に全国的大集結に努め更に政治的に発展せしむる事」の申
 合を為し将来政治的に発展せしむる事となれり。
  然るに関西準備会に出席せる名古屋皇国農民組合同盟の岩内隆平
 は、七月九日新潟に赴き折柄同地に戦線統一促進運動の為め東新中
 の維新青年倶楽部今里勝雄及所潟皇国農民聯盟会長柄沢利清等と会
 合し、「青田賢一の主宰する皇農関西準備会は、農民団体以外の学
 生団体其他の未組織分子をも糾合統一せんとしあるが、愛国農民団
 体の統一は組成ある愛国農民団体のみを統一糾合すぺきで、異分子
 の介入は将釆の運動に支障を来す虞れあり斯の如きは絶対排撃すぺ
 し」との意見一致し関係五団体連名にて「皇国農民戦線統一に対す
 る我等の態度」と題する声明書を発表し日本主義農民団体統一運動
09   ●日本精神の宣揚
   ●産業報国
   ●産業労働会議の設置促進
 等のスローガンを掲げ高橋峯青司会の下に、合同斡旋者金子忠青登
 壇国歌斉唱皇居逢拝後、協議会代表樋口幸衛、総聯合代表今井武昔
 の合同経過報告後次で高山、大橋両組合長登壇し金子忠音の宣誓文
   書等は日本主義労働運動の大同団結を志し本日竝に日本労働組
  合総聯合、大日本労働協議会の二組合は合同し爾今新組合は益モ
  全員協力して目的貫徹を期す云々。
 の朗読ありて両組合長の握手を以て合同式を終り、引続き総聯合合
 同大会に移り高山会議長席に就き各種役員の任命を行い地方情勢報
 告に先立ち本部の報告に対し承認を求めたるに「陸軍の官菜労働組
 合禁止問題」に関し質問あり、之に対し高山会長は
   陸軍当局に於ては深き根拠なく組合加入は統制上国防上の見地
  より決定したるものにして利害関係に基くものに非ず。
 と説明其他二三質疑応答ありて報告を承認後続いて地方情勢の報告
 ありて議事に移り議案一、工場鉱山休日全国的統一の件、外六件を
 順次審議可決し宣言綱領行動方針の説明あり、
  新役員
   会 長  高 山 久 蔵
   副会長  今 井 武 蕾
   主  事  森  栄 一
    ■会  計  皆 川 利 ▲昔
    余計髭査  坂本清太郎  一岡 本 鉄 次


  顧  問 山崎今朝弥  金 子 忠 書
   中央執行委員
   高 橋 峯 青  皆 川 利 音   字野信二郎
   川 島 稽 三   未申勘三郎  長 岡 智 者
   石 井 光 長  高 橋 慶 治  佐 野 好 男
    大 橋 治 房
   中央委員
    原田武二郎  岩 田 通 則  風岡高次郎
    赤 羽 徳 橋  水 元 仲 次   坂東清三郎
    永井永之助   申 出  萱  森田保之助
    栗山角次郎  音 川 六 郎  多 田 福 美
   稲田未太郎  斉藤卯三郎  岡 見 鶴一
    今 井 猛 行   鈴 木 力 蔵  茂 呂 五 郎
   伊 藤 長 光  渡辺馬五郎  金 井 三 男
   町 田 住 弘  樋 口 喜 徳  中 島 近 敏
   森  用 一  三 谷 三 乎  左右田勘一郎
   上岡勝太郎  深 見  弘  福 島  繁
    堀     某
 を発表後祝電祝辞(代読)三十五通、陸軍少将江藤源九郎外十名の
 人民戦線排撃愛国労働団体の拡大強化を強調せる祝辞あり最後に組
 合万歳を三唱後散会せり。
  尚両組合合同を契概に従来両組合の影響下乃至ほ友誼的関係にあ
 hソたる、
   伊勢電鉄従業員組合




   ‖河戸陶拳労働組合
   大日本忠孝労働組合
   奈良運輸労働組合
   広島自動車従業員組合
   和歌山木材労働組合
   北日本労農聯盟
 等をも一挙に合同し以て日本主義労働組合の戦線統一を図る可く関
 東、中部、関西各地幹部に於て之が実現に奔走すると共に、東京、
 千葉、群馬、京都、佐世保地方に於ける乗組織及氏成団体の一部に
 対しても活動を開始せり。
 求@総聯合大阪聯合会年度拡大委員会に於ける大和聯盟支持表明
  十二月十六日総聯合大阪聯合会に於ては首題委員会を開催大阪聯
 合会側は会長今井武青外支部代議員等六十六名、旧労働協議会側は
 会長大橋治房外六名出席協議事項
  (〓 総聯合、労働協議会合同承認の件
  (ニ) 綱領、規約制定の件
  (三) 宣言審議
  (四) 大和聯盟支持に関する件
 等を審議せるが、総聯合未申勘三郎より大和聯盟結成経緯に付説明
 ありて万場一致之れが絶対支持を決議したるが、総聯合高山会長の
 時局協議会関与に対し大阪聯合会幹部との意見対立に依り大阪は時
 局協議会に反対的立場にある大和聯盟を支持しある点等より、将来
 稔聯合は関東関西に二分し相当内紛を惹起するに非ざるやと思料せ
 らる0




     三 日本主義農民団体の統一運動

 m 運動の経緯
 大阪所在皇国農民同盟理事長青田賢一は予てより全国に分散する
 日本主義農民団体の急速なる結合を企図し運動中の処、維新青年倶
 楽部今里勝碓等の愛国農民戦線統一運動にカを得六月二十八日芝協
 調会館に放て各地右翼農民団体代表三十七名参集青田賢一座長とな
 り「皇国農民団体結成関東地方準備会」を結成し、次で七月五日大
 阪中央公会堂に於て関西各地日本主義農民団体代表者三十名及傍聴
 者東京帝大助教授橋爪明男外四十名出席皇国農民団体結成関西地方
 準備会を開催「国体的農民団体の全国的統一の為め我等団体は竝に
 単一組織として合同し、進んで皇国農民団体結成関東地方準備会と
 協力し速に全国的大集結に努め更に政治的に発展せしむる事」の申
 合を為し将来政治的に発展せしむる事となれり。
 然るに関西準備会に出席せる名古屋皇国農民組合同盟の岩内隆乎
 は、七月九日新潟に赴き折柄同地に戦線統一促進運動の為め東新中
 の維新青年倶楽部今里勝雄及所潟皇国農民聯盟会長柄沢利清等と会
 合し、「青田賢一の主宰する皇農関西準備会は、農民団体以外の学
 生団体其他の乗組織分子をも糾合統一せんとしあるが、愛国農民団
 体の統一は組成ある愛国農民団体のみを統一糾合すぺきで、異分子
 の介入は将来の運動に支障を来す虞れあり斯の如きは絶対排撃すぺ
 し」との意見一致し関係五団体連名にて「皇国農民戦線統一に対す
 る我等の態度」と題する声明書を発表し日本主義農民団体統一運動
0b の主体勢力未だ構成せられざるに先立ち早くも関東関西側に溝渠を
 生ずるに至りたり、依つて七月二十五日関西地方準備会代表青田賢
 一は東京に於て関東地方準備会幹部愛国勤労同志会(略称愛同)阿
 部己与午と会見全国統一結成大会開催に関する協議を行い関東側に
 於ては翌二十六日関東地方準備会の組織主体たる愛同主宰となり新
 潟、名古屋、富山、山形、の代表者を召集し、八月十三日東京に於
 て結成大会を開催する事とし着々準備を進めたるが、関西側に於て
 は「山形、新潟、富山、名盲星等の農民団体が今里勝雄を介して愛
 同に参加するに至りたるは、今里の背後に三六倶楽部ありて関東側
 の遣り方は農民運動の統一を政治的に利用せんとするものにして不
 純なり」とし、関東側の動向に対し単に友誼的態度を持するのみに
 て暫時静観的態度を採り結成大会に参加せざる事となし、かくして
 日本主義農民団体の戦線統一運動は全国大会結成間際に至り関東側
 と関西側の意見対立に依り実現に至らずして関西側は「愛国労働組
 合全国懇話会近畿地方委員会」と提携し次項の如く関西皇国労働協
 議会を結成するに至り、又関東側は十月四日川口市に於て開催せら
 れたる「愛国労働農民同志金策−回全国大会」に参加する等両者全
 く歩調を異にするに至れり。
 似 関西皇国労農協議会結成
  前述の如く愛国農民団体の戦線統一問題に関し関東側と意見の対
 立を来たせる関西側に於ては、之が対策として皇国農民同盟は八月
 十五日支部代表者二宮十一名を招集代表者会議を開催し「名古屋以
 西に於ける同一方針を持つ労農団体を打つて一丸とする関西労農協
  譲合の.筋成しを可決せり。
  之より先愛国労働組合全国懇話会近畿地方委員会は七月十九日の
 結成大会に於て「愛国労農協議会開催の件」の議案の下に愛国農民
 の同志と協力して一大国民運動を展開せんが為愛国労農協議会開催
 を提唱し、又「新政党に対する懇話会の要望故態度に関する件」な
 る議案の下に「新政党の結成を促し天業翼賛に一路邁進すぺき事」
 を可決せり。
  斯くして愛国労農戦線の統一提携改新党樹立に関し意見を同じう
 する愛国労働組合全国懇話会近畿地方委員会及皇国農民同盟の代表
 者九名は八月十九日関西皇国労農協議会準備会を開催し労農戦線の
 統一提携に依り所期の愛国政党結成促進を目標とし関東側不純分子
 の策動防止の為先づ関西の絵聯合、皇国農民同盟、新日本海員組合、
 大日本労働組合協議会、八月会、海上同志会、労働同盟等を以て関
 西皇国労協議会を結成する事に決定し、八月二十五日大阪中央公会
 堂に於て結成会議を挙行したり、当日右団体代表三十一名出席議案ハ
  ハー) 宣   言
  (二) 農民戦線統一の件
  (三) 人民戦線粉砕の件
  (四) 労働戦線統一の件
  (五) 日本主義政党樹立の件
  (六) 規  約
 等に就き審議可決後左の如く役員を決定せり.
   議 長 赤 崎 賞 蔵(新日本海員組合)
   副議長  青 田 賢一へ皇国農民同盟)
        今 井 武 書(日本労働組合飴聯合)

   軍記長  大 橋 治 房へ大日本労働組合協議会)
   委 員  未中勘三郎へ総聯合)外九名。
 尚本協議会の使命とする所は当日発表せられたる左記宣言に依り
 明かなり。
         宜  ▲言
   比類なき日本国体の専厳に自覚せる労働農民は、我が皇国の
  歴史に省みて今や未曾有の国民精神の昂揚期に遭遇せるを横線
  として自らの負ふ歴史的使命を認識するに至れり、歴史的使命
  とは何ぞや、昭和御維新翼賛の使命である、資本主義の制度に
  俵つて階級分化を遂げたる国民の二大陣営を資本主義の革新に
  依つて一元化し以て一大国民的更生を期するにある。今日関西
  皇国労農協議会を結成せる所以のものは、又実に日本労働者農
  民の歴史的自覚に基く処である。由来我皇国は肇国の古よりや
  む事なき生命発展を遂げて今日に至つたものである。思ひを故
  に致して皇国の現状を観、現段階の政治的経済的客観情勢を分
  析する時、資本主義制度は成に全面的に体系化せる政治勢力と
  して国民の上に臨むに至つた。最早国民は個々の経済的欲求す
  らも資本主義の革新といふ政治的目標に進む事なくして到達す
  る事を得ない見透しを持つに至つた。
   斯の如くして資本主義制度は階級闘争を助長し皇国々体の尊
  厳を害ふ処となった、而して我等が皇国の現状が資本主義に依
  って進路を阻まれるものを自覚するとき皇国発展の生産力の中
  枢を形成し、幾千年来皇運扶翼の基礎的努力を継続し来つた愛
  国労働者農民の堪へ難き所である。斯る時歴史的使命を持つ本

  協議会が結成せられたのであるが、斯くて昭和御津新璽変の主
  体として来る可き維新政党の結成を促進すべき任務を持づもの
   である。
   従つて本協議会の組織成員たる労働団体、農民団体は組織の
  拡大強化と戦線統一を当面の任務とし、一国一党一組合の基礎
  を作り、目的を異にする既成労働団体農民団体に対しても其転−
  向、分解、併合浄化を以て臨み乗組織労働者農民を組織化し、
  皇国労働者、農民の正しき思想統一を完成する事に依つて亡国
  人戦線を撃滅し進んで現状維持の観念を排し、不純なる政治的
  意識を注入する事に依つて常に維新勢力を後退せしめつゝある
  政治ブローカー的存在を断乎として粉砕し、強力にして純真な
  る御維新の基礎工作を遂行する事に依り関西皇国労農協議会の
   使命に一路邁進せん事を期ず。
 其後本協議会は九月七日第一回委員会を開催したるのみにて特殊
 運動なく、大阪所在維新党準備会とは全く対疏的位置にあり.


      四 青年層結集運動


 m 大日本青年党の結成
 予簡役砲兵大佐橋本欣五郎は在職当時より国家革新の必要を痛感
 し、既に十一年一月「飛躍的大日本国家体制大網」を起案し他日に
 備へありたるが、十一年八月予備役編入を見るや同大佐を中心とす
 る愛国新党樹立計画は八月初旬より下中弥三郎、赤松克麿、津久井
 竜雄、松延繁次、小池四郎、宮崎竜介、岩田愛之助、中谷武世、矢
0c 次一夫等と協議を進め居たるが、組織方針に関し薦見の対立を来し
 具体的進展を見ず頓座の形に在りしが、九月一日附東方経済通信及
 九月四日附の「二六」「やまと」新聞紙上に該運動の計画経過等発
 表せられたる為め、同大佐の服心松廷繁次は独断にて急遽九月五日
 橋本大佐の名を以て各方面に挨拶状を送り革新運動への熱意を表明
  し大佐には事後承諾を求めたり。
  以上の如く橋本大佐は度成団体に依存する事なく不純分子の加入
 を排除すると共に優秀幹部は之を可及的に獲得して団体自体を其の
 影響下に吸引するの外新に組織対象を青年層に求め「飛躍日本の国
 家体制」を中心に絶対的中央集権制に依る新党を結成する事とせり0
  本運動に対し三六倶楽部小林大佐とは革新雀動の方法論に関し意
 見の一致を見ず結局単なる精神的支援に止り又小林省三郎中将との
 関係に付ては種々に伝へられしが、同中将は「未だ其の時期にあら
 ず」との理由にて積極的支援を躊躇し、斯くて橋本大佐は全く独自
 の立場に於て立党する事となり本部として十月十日明治神宮参道に
 面する渋谷区穏由二ノ一二五の故横田千之助の邸宅を七万円にて買
 収し、黒詰襟の党服又赤地に自の日の丸の党旗を制定し木曜倶楽部
 松延繁次、愛国政治同盟陶山篤太郎神武会関係者今牧嘉雄淡交会南
 本喬等を中心に創立準備を進め十月十七日神昔祭の青日を卜し「真
 に愛国至誠の青年を以て党を結成し、厳重なる党規と統制の下に軍
 隊式に訓練せられたる党員が国家革新の響導となり大衆覚醒の原動
 力たらんとする」目的を以て明治神宮神前に於て厳粛なる結党式を
 挙行せり、党の宣言、主張、規約次の如し0


     大日本青年党宣言

  世界は今や唯物的自由主義制度の行詰りにより竝に一大更新
 を必要とする歴史的転換期に直面せり
  然るに世界各国は何れも旧国家生活姿態より未だ完全に更生
 し得ず其の実力伯仲し斬然他に光被するに足る体制を有する国
 家なし、此の時代に於て一歩を先んじ優秀なる国家体制を確立
 するものは正に世界に光被するを得ぺし、惟ふに八紘一字の疏
 現を国是とする我国は即時其の本然の発揮に依り国民の全能カ
 を挙げ、天皇に帰一し奉る物心一如の飛躍的国家体制を確立し
 光輝ある世界の道義的指導者たるを要す
  右宣言す
      大日本青年党主張(飛踵日本の国家体制)
  一文   化
  我国体の尊厳は無上絶対普遍的真理の窮現なることを国民に
 感得徹底せしむると共に、此の主張を以てすれば当然世界の道
 義的統一を為し得ぺき確信を信仰的ならしめ、且つ現唯物的自
 由主義概構の下に萎徽しっ〜ある我民族の純正明朗にして、不
 遍中庸叡智武勇的仁義的なる高級特質を進歩的形態に於て再生
 堅持せしむるは勿論、益モ之が助長発達を繁し精神文化の中枢
  とす
  二 経   済
  経済は之を営利主義の極椅より開放し資漁労力及技術を価値
  の根瀬とし、国家之を統制管理す、生産に於ては労力資源の有
  する限り調制したる国家企業を最大限に拡張し、国民生活を極
  度に向上せしむるを第一とし、飛躍的増産を敢行、労力の能率
  を最大限に発揮する為、近代科学を極度に利用す、貨幣は資源
  労力技術にょり生産せらる1価値質量を其の準備実質たらしめ、
  国家之を発行し単に交易的価値を有せしむ
   三 外  政
   我版図内に於ては緊密なる有機的体制の下に各民族の特質を
  発揮せしめつ1制限的自治を行はしめ、全体的民族文化の向上
  を図り皇化の実体化を行ふ此の方式を以て逐次世界に及ぼす
   四 軍   備
   皇業恢弘の実行に対し主義を異にする諸国豪妨害を為す場合
  随時之を克服し得るの絶対的軍備を完成し、軍備の主体は無敵
  空軍とし軍の航空概たるの観念より脱却し、国家国民たるの観
  念に至らしむること恰も古来我国民の日本刀に対する信瀬と同
  様ならしむ
   五 政   治
   政治は皇業恢弘に全能カを集中し何等の徒労なからしむる為
  之を完全に信奉する仝版図の同志を以て其の指導に当り 天皇
  に貴を受く


      大日本青年党規約


  一本   則
  第一条 本党は大日本青年党と称し本部を大日本東京に置く
  第二条 本党は皇業の恢弘に依り道義世界を建設するを以て目
     的とす
 第三条 本党は党の目的実現に献身奉仕する同志を以て組織す
  第四条 本党は統領之を統轄す
  第五条 本党は党務執行の為別に細則を定む
   二 党務細則「目下立案中のもの」
  宣伝局 − (出版課、宣伝課)
  組織局1(情報課、連路課)
  調査局1(国策課、資料課)
  事務局 − (事務課、会計課)
   三 入党心得
  第一条 党員たらんとするものは党員二名の推薦にょり党本部
     に入党志願書を提出すぺし
 第二条 統領の入党許可を受けたるものは一ケ年分党費一円前
    納の上入党宣誓式を行い党員たるの資格を得
 第三条 入党宣誓式は統領又は統領代理者の下に神前に於て行
     い党員章を授与す
   四 党員守則
 第一条 党員は宣言主張の実現に邁進し他をして同化せしむぺ
       し
 第二条 党員は忠節礼儀武勇信義質素を旨とし国民の儀表たる
     ぺし
  五 入党申込書(様式を添付す)
0d 同党は当初純然たる政党を標傍し居るも過渡時代に於ては教化運
 動を併行すること1し、又党員獲得要領は入党心得にも示す如く一
 般団体とは趣斉異にし、量より質を本旨として厳選主義に依り一般
 青年及氏戌右翼同体の優秀幹部は之を可及的に獲得し以て団体自体
 を其影響下に吸引して党の拡大強化を計らんとしあり.
 而して其の対象は成る可く地方に於ける未組織の純真なる青年に
 之を求め、訓練の為本部に道場を設け概ね二箇月の予定にて二十名
 位宛を交互に入場せしめ充分に教育し将来之をオルグとして各地に
 於ける革新運動の潜導たらしめんとし、斯くて党の拡大強化運動は
 漸進世義を採用し其の目標を入年後に指向して議場に於ける多数党
 員の獲得を企図し、党拡充の方法手段としては各地に於て産談会を
 開催すると共に党のシンバを以て各種のグループを結成し且つ展モ
 パンフレットを発行し以て各階層に主義綱領を徹底せしめんとし、
 結党以来右方針に基き宣言入党案内パンフレット等を全国各地方面
 に郵送配付し党員獲得に専念しっ1あるが十一月未党員十名、准党
 員約五官名、支持団体四、入党申込者千五官余名に達せりと伝へる、
 党に於ては之等正式党員申込者(会費前納者)中より鍵衡の結果入
 党を許可し在京の入党者に対しては明治神宮に参拝の上宝誓式を挙
 行する外、地方入党者には入党許可書竝に入党通知状を発し党員の
 体面保持、党規厳守、 天皇第一主義運動達成、新党貞の推薦を要
 求しあり.
  既成右翼団体方面に於ては之に対し江東懇話会へ十月十五日愛国
 革新聯盟、勤労日本党等十二団体を以て結成)副委員長(愛国革新
 聯盟全長)伊藤侶司を正式党員として入党せしめ、或は帝大七生社、
 千葉農民自治聯盟、愛国政治同盟、皇国農民同盟、日本労働組合総
 聯合等各団体中より二名乃至三名を党員に獲得せんとしあるが、前
 述の如く橋本大佐は厳選主義により大衆運動より先づ青年党員養成
 にカを注ぎ既存愛国陣営に対し相当慎重なる態度を以て臨みたる為
 め、一般右翼団体の支持少く反対運動さへ行われあるを以て早急な
 る発展は望み得ざる可し、尚同党に於ては十二月未左の如き同党全
 国分布状況を明にせり。
  同党今後の運動方針は立党主旨に鑑み蕨選主義を採りありて准党
 員に此し党員比較的少なきも、准党員中より比較的右翼陣営に関係
 少なき有職恒産ある純真青年を厳選の結果入党せしめありて、昭和
 十二年末迄に党員一万名を目標に従来の方針通り文書言論に依る組
 織運動に邁進すぺく準備中にて、之が実現手段として明春全国各府
 県より優秀党員三十名内外を本部に召集、約三ケ月間教育し憂国至
 誠の人格的人物を養成し地方党員の指導者たらしむぺく企図しあり▲
  又三六倶楽部小林大佐等発起の下に全日本主義運動の横断的連絡
 統一強化を目標に、十一月二十一日以来時局協議会結成に着手し準
 備中の処十二月二十一日創立第一回会員総会を開催せるが、本党も
 之に参加し橋本大佐は世話人として捻会席上に於て時局協議会の声
 明書を朗読せるが、時局協議会の運動資金は世話人長谷部照僧及小
 林順一郎より出資せられあるも、時協に於ては今後橋本欣五郎等よ
 りも之れが稔出を計らしめんとしあり。
 似 純正日本主義青年運動全国協議会の結成
  在京都洛北青年同盟、愛国青年隊及則天会の四粗体を以て組織す
 る純正日本主義共同陶争協義会へ昭和十年四月鈷成)は七月八日幹
0e 部会を開催協議の結果「二、二六事件後の混沌たる社会情勢下に在
  つて支配階級層の反動的攻勢と維新陣容の結滞とに鑑み青年の奮起
  を必要とし、維新運動全的統一の推進力として先づ、維新青年層の
 横断的大同団結を以て国体開店を目標に思想団体は政党、労農団体
  等の譜運動と相呼応し全国的統一に邁進するを必須の急務なり」と
  の意見に一致を見、其実践の第一歩として七月十日全国友誼団体宛
 「全国純正日本主義青年思想団体の統一促進」に関する赦文泣其意
  見を徹せんとする依頼状を発送し之を契機として右翼思想団体の統
 一的概運熟し、先づ中部及近畿地方の有志準備会を開催する事とな
  り八月二十三旦只都に於て洛北青年同盟外十二団体代表二十三名会
  合し左の如き申合せを為し、十月中旬「純正日本主義青年運動全国
  協議会」を開催する事として連路場所を洛北青年同盟事務所に置く
  事とせり。
          申 合 せ
  一、国体の本義を開明す。
  一、一切の反日本主義的語勢カを粉砕す.
  一、全維新運動の浄化統一を期す。
   斯くて結成大会は十一月三日明治節の昔日を卜し京都市公会堂に
  於て開催、全国より代表者六十二名参集議長に大森一声、ハ直心道
  場)副議長に三浦延治(中部青年同盟)徳田惣一郎(洗心塾)等を決
  定、大森議長は左の要旨の挨拶を為し、続いて大会役員の決定及経
  過報告後次の如き大会宣言、規約、議案の審議等あり役員として全
  国に亙り代議員∧十四名、連絡員十四名を決定せるが、本会は全国
  群小愛国思想団体の懇諺会的のものにて、其後十一月十五日名古屋

 市に於て、名古屋、瀬戸、豊橋の九随体代表二十五名を以て「名古
 屋地方協議会」を結成せるが将来の発展性に就きては未だ疑問なる
 も本会の指導樺を有する中川裕(洛青)大森一声、西郷隆秀(直心
 道場)等は何れも三六倶楽部の影響下にありて同倶楽部の各層統一
 運動の一翼を為すぺく共鳴下に活動しあるを以て、将来特執事情の
 発生せざる限り同倶楽部の影響下に入ると共に相当の発展を予想せ
 らる0
         議長挨拶要旨
   顧れば、二月事件以来我が愛国陣営は久しく沈黙閉塞の状態
  にあつた。然しながらそれは単なる弾圧に対する辟易とか方途
  を失つた為めではない。実に自らの深き反省内思の為の沈黙で
  あつた。然るに今や内外の情勢は我等不肖と錐も起たずんば祖
  業の恢弘を如何とするかと言ふ状態に迄迫つて来た。
   今や農民、労働、政治、学生等々の各層、各分野を通じて大
  同大団結が叫ばれ且つ其の行動が起されつ1ある。然るにそれ
  等の分野の大同運動をして真によく強化し祖国の危急負担に堪
   へしむるものは実に青年の力に倹つ所が多い。凡ゆる分野の愛
  国運動をしてイデオロギーに統一を与へ、方法論に於て一致を
   計り、同一目標に向つて邁進し得る為には、南洲翁の所謂「名
  もいらぬ、金もいらぬ、命もいらぬ」青年が結束して仝運動の
  鉄筋となり、核心とする時に始めて可能である。此の意味に於
  て本日の此の大会の今後の動向は日本改造運動の勝利か香かを
  決すぺき決定線である。皇国日本の現状を息ふ時、我々は、と
   うしても勝ち抜かねはならぬ。

      設立宣言

  欧洲に於ける左右両翼思想の対立尖鋭化に起因する第二次世
 界大戦の危機及び之を東洋に転化せしめんとする老檜極まる諸
 種の陰謀陽策と、而して東洋自体の包蔵する危険性とが相合し
  て、皇国日本を鋳る国際環境は、今や深刻其極に達せんとして
  ゐる、両も内には歴史の必然に逆行し、国体の真義と国民生活
 とを犠牲に供しっ1、所謂金融支配の最後的型態としての老廃
 矛盾概購を官僚と金権との全き抱合を以て、之を擁護し之を維
 持せんと狂奔を続けつゝあるの現状である、謂ふところの庶政
 一新とは幕府当局の尊皇維新論に等しき矛盾に充てる彼等の断
 未魔的坤吟の声である。彼等は皇国日本をしてこの脆弱なる老
 廃機構を内に抱いて以て未曾有の危局の前に立たしめんとして
 ゐる、噴々かくて如何にしてか国命を無窮に弥栄えしめ、何処
  に祖業を恢弘せしむぺきぞ
  二月事件以来、久しく内省と沈滞とを重ねたる我等が陣営内
 に、その再整備し全国統一に依る全面的なる新興維新勢力の組
 織結集の叫ばる1は、正に歴史的必然性に基づく之が辞答であ
 る聴け! 農村から都会から、形済として叢り起りつゝある
  『我執を去つて大同につけ』との絶叫を、之こそ大地を揺り動
 かし、全日本の鉄魂から遮り出づる天来の碓叫である、愛国の
 赤誠に燃ゆる維新党、農民層、労働運動、学生団体の凡有分野
 は、この天来の導きのま1に、一路大同へ統一へと養進しっ1
  ぁる、而してそれらの各分野の運動を綜合すぺき中心運動、核
 心体として、之に統一的なイデオロギーを与へ、其の方向を決
 定し躍進カを添加するのは実に純真なる青年層の動きでなけれ
  ばならぬ
  青年の結集! 青年の使命I・
  まことに皇国日本を救ふものはかくして統一づけ、組織化さ
 れたる皇道国民の天業翼賛、維新奉行である、我等は此の必然
 性と其重大性とを深く自覚せる全国同憂同成の士と1もに、故
 に『純正日本主義青年運動全国協議会』を創設した、我等は真
 によく日本主義運動の中核たるに塊ぢざるぺく正しく、純なる
 選書と行動とを以て、観念的大同より血脈的融合への大飛躍を
 試み、倶に濃かに赤誠やを披渥して、天美侯弘の宏諜奉翼の大
  使命に挺身奉仕せんとする
  今、輝かしき出陣の門出に当つて、敢て満天下に宜す
    昭和十一年十一月三日
            純正日本主義青年運動全掬協成会
      純正日本主義青年運動全国協議会規約
 第一条 本協議会は純正日本主義青年運動全国協議会と林す
 第二条.本協議会は純正日本主義青年運動の全国的統一を以
      て目的とす
 第三条 本協議会は維新翼賛の為め純正日本主義青年の積極
     的共同運動を為すを以て目的とす
 第四条 本協議会は純正日本主義を信奉実践し且つ本協議会
    の規約に基き積極的に協同運動を行ひ得る青年抒体及
0f      ぴ個人を以て構成す
  第五条 本協議会は特に本部を設けず役員の協議に依り会務
      を遂行す、但し当分の問連絡事務所を京都市内に置く
  第六条 各地区に地方協議会を置く地方協議会の規約は各地
      区に於て別に之を定む
  第七条 本協議会は役員として代議員及び連絡員を置く
  第入条 代議員は本協議会の概能発揮に努むるものとす
  第九条 連路員は代議員会の意見に基き各地区問の緊密なる
      連絡を為すものとす
  第十条 地方的局部運動は地区代議員の議決を以て之を行ひ
      連路員は常に当該地方活動情勢を各地区連組員に通知
       す
  第十一条 全国的全面運動は仝連絡員の協議に基き之を決行す
  第十二条 各地に青年の修練道場として塾を設置し人格識見の
      向上に済む
  第十三条 加盟員相互の修練、人的結合を目的として各地に研
      究会、討論会、座談会等を常時開催す
  第十四条 毎月一回概関紙及報告等を発行し国民の啓発と同志
      の連絡に充つ尚随時小冊子を発行す
  第十五条 加盟申込ありたる時は当該地区代議員の厳選審議を
      経て之を決定す
  第十六条 本協議会の規約は大会の協賛を得るに非らざれば修
       正変更する事を得ず
  締成木会に於で可決せる議案次の如し。

 一、維新運動の指導者養成を目的とする塾の全国的開設と其の
  統一の件。
 一、維新運動の再検討竝に基本的指導理論確立の件。
 一、純正日本主義青年団体の全国的統一促進汝びに組織拡大の
  件。
 一、人民戦線排撃の件。
 一、日本主義経済の定義確立及日本主義に基く政治原則確立の
  件。
 一、対外国策遂行に関する国民輿論指導方針決定の件。
   「対露問題、是は人類の敵として更に極東平和撹乱の元兇と
  しての共産ロシア徽底贋懲」、「対支問題、皇道の本義に基く
  対支積極政策の遂行」、「対英問題、全面的排英運動の展開」
 一、全国同志連絡の件。
 一、友誼団体の件。
 一、財政部確立の件。
 一、共同機関紙発行の件。
 一、非常事件誘発素因に対する政治的責任徹底的札弾の件。
 一、徹底的国防完備の国民輿論喚起運動展開の必要性確認の件∧
 役 員 連終貞
  北海道 林 貞 四 郎
  東 北  入 江 五 郎
  関 東 大 森一声  西 郷 隆 秀
       工 藤 定 雄  影 山 正 治
   東 海  西 村 暢 夫

   中少部∵〕ニ滴 延 治
   北 陸 伏 木 治一  太 田 幸一
   近 哉 中 川  裕  徳田惣一郎
        田 島 勝 武
   中 国  横 田 左 輔
   四 国  泉 田  武
   九 州 木 本  柴  田 中  静
        四宮九州男
   清 洲 橋 本 重 雄
   代議員 林 貞四郎  外十三名
  参加団体
 東京地方 憂国学生同志会(工藤定礎)、直心道場(大森一
      声、西郷隆秀)、生産党青年部(影山正治)
  九州地方 日本護国軍(久保美嘉)
  四国地方 愛国団体共同闘争同盟(泉田武)
  京都地方 西陣青年同盟(雲井修洲)、洛北青年同盟(中川
      裕)、興国青年同盟(泉静夫)、京大清明会(遠藤秀
       男)
  北陸地方 伏木教皇塾(太田幸一)
 東海道地方 東海青年同志会へ西村暢犬)
 名首足地方 中部国民道場(三浦慶定)、親盟会(古川令三)、
      皇道塾(伊藤義夫)、天仰塾(横井彦三郎)、一誠会
       (山田義政)、新興青年党(川村信行)、中部青年同
      盟へ三浦延治)、愛国青年同盟(伊藤長光)、皇国農
        民組合(岩内隆乎)
  中国地方 山口護国革(青木作成)、岡山純正日本主義協議会
       (横田左輔)、兵庫新日本海員組合(杉田喬平)
  大阪地方 洗心塾(徳田惣一郎)、生産党青年部(小部英男)
      立正社(住田徳市)、日本主義学会へ白坂励)、命会
       (重岡勢)、国社党(飯石豊市)
 仰 純正維新共同青年隊結成準備会の結成
 二・二六事件後客観的情勢の変化に伴ひ、右翼陣営戦線の徹底的
 整備の必要に迫られ、且洛北青年同盟擁唱の純正日本主義青年蹄体
 の結集運動。竝に東京に於ける大日本青年党結成運動の刺戟を受け−
 九月上旬以来大日本生産党青年部長影山正治、新日本国民同盟中央
 常任総務委員三木売孝、愛国政治同盟前総務委員大槻正秋等中心と
 なり三団体青年分子を糾合「明日会」の名を以て維新運動の主体中
 心勢力として純正日本主義青年の結集と実力的合法運動の展開を期
 すぺく前後十数回に亙り協議の結果、十月十七日全国友誼団体に対
 し「純正維新共同青年隊の結成を前に全国の青年同志に赦す」と題
 する政文を配布し次で二十四日赤坂三会堂に於て愛国政治同盟維新
 青年隊、大日本生産党青年部、新日本国民同盟錦旗青年隊等を中心
 に国民協会、直心道場、又薪倶楽部、大亜細亜青年聯盟、政党鮮消
 聯盟、皇道会、日本産業革、日本国民軍等の有志は傍聴の形式にて
 参会者六十名の下に「二・二六事件後右翼陣営戦線の根本的改変の
 為め実践的青年大衆運動を基礎とせる維新戦線統一への段階として
 尊皇絶対、生命奉還を目的とする純正維新共同青年隊の結成に邁進
 する」事を目的として首題結成準備会を開催し、愛政維新青年隊佐
10 々木武雄司会の下に準備会の結成経過報告及純正維新共同青年隊結
 成に対する賛成及び意見を議長指名にて出席各団体代表者に意見を
 求めたるに、概ね個人としては絶対的賛成を表するも参加に就いて
 は概関の採決を倹つて決する事とし、又尊皇絶対生命奉還等窮極の
 目的は同一なるも其の方法論は明確ならずとの理由にて保留の態度
 を持する者多く、結局本会結成に賛成する者を以て準備委員に充つ
 る事とし次の如く常任委員を決定後左の如き申合を為したる後緊急
 動議として、
  ∵純正日本主義青年運動全国協議会結成大会に代表者を派遣支
   援の件。
 一、維新党準備会の報告大会に代表者を派遣支援の件。
 を採決常僅委員に一任せり。
  常任委員
   愛国政治同盟維新青年隊 佐々木武雄 松 下 彦一
   新日本国民同盟錦旗青年隊 三 木 売 孝
   大日本生産党青年部 影 山 正 治 牧 野 晴 雄
   直心道場 大 森一声
   又新倶楽部 小 鼻 将 永
   皇道維新聯盟 揖 屋 捻一
   日本国民軍  四 宮 六 郎
          申 合 せ
   書等は皇国内外の客観情勢と維新運動戦士の使命に鑑み、一切
   の情実と利育とを超絶し実践的青年大衆運動を基礎とせる維新戦
   線統ノ ヘの段階として「純正‖維新英一同青年隊」の結成に邁進せん
 事を期す。
 尚同隊の勢力結集に裁て最初は純正日本主義青年運動全国協議会
と合体し、関東地方は本青年隊が中心となり、関西地方は同協議会
が主体勢力となりて之に当らんとする方針の下に、影山正治は洛北
青年同盟の中川裕に廣モ交渉せしが、協議会側は「純正維新共同青
年隊の組織分子たる新日本国民同盟、愛国政治同盟とは思想的に絶
対相容れざるものあり」との理由の下に之を拒絶せる為将来緊密に
提携する事を約束せるに止り合同に至らず、結局同隊は主として東
京地方に於ける青年糾合運動に従事しあり。


      五 維新制度研究会結成


 全日本主義同盟国大教授松永材、終生義塾木島克之、国民協会赤
松克麿等は、惟神顕修会富田鏡彦の財的援助に依り
 (一) 自由主義政治形態の排撃
 (二) 輸入的政党政治の打倒
 (三) 日本主義的議会制度の確立
 等をスローガンとして日本主義思想を純化確立し、陣営統一の思想
 的根砥を与へると共に、日本主義思想を方法論的に具体化し以て戦
 線統一工作を側面的に推進せんとする目的の下に、前記三団体関係
 者約六十名を以て十二月三日首題研究会を結成したるが参会者は、
  国民協会(赤松克麿、津久井竜雄、倉田百三、森本耕、柴尾親
    弘)
   全日本主義同盟へ独永材、米持格夫)
  終生義塾へ木息完之、前田虎雄、大森一声、鈴木幸一)
  大日本生産党(影山正治、八幡博堂)
等六十三名ありて松永材は同会創立埠旨に関し、
  『現在の如き政党政治が我国体に相容れざる所以は今更贅青を
  要せざる所なるも、近時の政情を観るに五・一五事件以来後退
  せる既成政党が本年九月以降護憲運動に名を籍り、非日本的憲
  政常道論を唱へ議会改革問題を続り軍部と正面衝突を為しっゝ
  ぁるが、之に対する陸柏の言明は実に軟弱迎合的にして益モ政
  党をして増長せしむるものなり、本会は斯る現況に鑑み国政を
  墾断せんとする自由主義政治形態の根本的絶滅を期すると共に
  軍部を鞭棲して、軍民一体の下に庶政一新に邁進すぺく思想戦
  を展開せんとするものなり』
と述ぺて、次で赤松克麿より同会の組織運動方針等を説明議事に入
り、松永材座長の下に左記の如き決議を満場一致可決し役員として、
  委員長 松 永  材
 禽任委貝 赤 松 克 麿  木 島 完 之
 幹 事 米 持 格 大  森 本 耕
  評議委員
  前 田 虎堆  富 田 鎮彦  倉 田 百 三
  大 森一声  津久井竜雄  小谷 文 済
  篠原市之助  橋 田 政 雄  木下好太郎
  田 口 衷 資  角 田 清 彦  鶴島 三 郎
  遠 山 雅一 神庭仲之助  石塚幸次郎
  枚田秀五郎  猫 原 久 重  大 森 恭之
  木 崎 見dゥ 倉田甚作 森 直 次
                     l∵d′

   徳 村 謙 吉  松 本 官 犬  島田庄七郎
   柴 田 武 福  川 瀬 宏  高 山 欣 収
   入 幡 博堂  鈴木善一 丹 羽 五 郎
   柴 尾 親 弘  宮 崎 竜 介  亀 川 保
   神 田 兵 三  上 村 勝 弥  守 繁 歳
   増 田  光  大 野  慎  森 清 人
   狩 野 敏  松 田 有 弘  永 田 健 三
   上 領 三 郎  萩 原 基 由  牧 野 晴 址
   佐 藤 晃 雄  宇都宮良久  田 島啓 邦
   浜 田一郎  影 山 正 治  今 瀬 裕 資
   玉 盛 栄 八  工 藤 定 堆
等を任命後散会せるが、其目的達成の実行方法として十二月八日附
決議文を全国郷軍分会長及右翼団体宛送付すると共に、当面の運動
としては演説会、パンフレット発行等を企図し、自由主義政治形態
否定、輸入的政党政治絶滅、日本的議会制度確立をスローガンとし
て、十二月十日より十五日に亘り、東京市内各所に於て政党政治撃
 滅演説会を開催せり。
        決  議
  庶政一新の基本的且つ先決的内容は国体原理を明徹して自由
  主義政治形態を改革するにある。現在の個人主義に立脚したる
  朋党的政権争奪の政治形態が我が一国一家の道義的全体主義と
  本質的に背馳し其の結果政治を茶毒し道義を破壊し国運の進展
  に大なる陣碍をなし来つた事は明白である、彼等政党政治家は
11  憲法擁護に名を潜り故意に憲法政治なりと妄断して国民を欺瞞
  し功利亡国的政治形態を維持すぺく狂奔しっ1あるが、我が帝
  国憲法の精神は皇国独自の議会制度の確立とその概能の発揮を
  要求し断じて輸入的議会中心政治と相容れざるものと確信する
  今や内外の時局益モ急迫を告ぐる時我等同志は竝に起つて自由
  主義政治形態絶滅のため一大思想運動を展開し政党政治家の潅
  省を促し、一方軍部をして皇国の使命に鑑み挙軍一体の下庶政
  一新に邁進せしむぺく鞭捷し他方国民に正しき認識を与へ、純
  正なる国論を喚起し、以て維新運動促進に一腎の貢献を致さん
   とするものである、我等は同心協力一切の派閥感情を清算し強
  正なる統一カを以て飽くまで初志貫微に直進せんことを誓ふ。
     昭和十一年十二月三日
   維新制度研究会(東京市麹町区内幸町一ノ六商興ビル本筋)

     六 三六倶楽部の右翼団体戦線統一運動

 小林大佐は政治的進出に依る国家革新運動を企図して先づ労働、
 農民、青年学生、郷軍各層毎の統一促進を計ると共に、右翼戦線の
 全的統一に対し共鳴する譜団体を支援し以て単一政党の結成に邁進
 し、右運動の中心的主体勢力は、
 (一) 愛国労働農民同志会を中心とする労農層統一運動
 (二) 終生義塾竝に直心道場を中心とする青年層糾合運動
 〔三) 全日本主義各層の横断的統一強化を計り以て一大国民運動
    を展開し、非常時克服昭和維新の主体勢力を結集すぺき綜合

   統一機関としての時局協議会の結成運動
 等にして其の状況次の如し。
 m 愛国労働農民同志会(略林愛同)の拡大運動也第一回全国大会
  開催
 右会は「純正日本主義旗峨の下に一君万民の大家族的我建国の大
 精神に基く皇道日本の実現」を目的として昭和入年十二月小林順一
 郎大佐を中心に「勤労報国遂行、階級闘争打破銃後の産業補強」等
 を標語として結成し、当時会員約千二宮名なりしが、同年会員千二
 宮名を有する川口支部の結成を見るに至りたるが、三六倶楽部が昨
 夏以来国体明徴運動に発端し郷軍本部と対立的軋轢を生ずるに及び
 郷軍層を主体勢力とする統一運動に一頃座を来し方向を転換、労働
 農民層の全的統一より単一政党結成運動に移行し、本年七月同志金
 本部を東京に移すと共に三六倶楽部理事長松本勇平少将を会長に推
 し之が指導に当らしめ、同会幹部を全国的に動員し右翼戦線統一に
 共鳴する労働農民団の糾合未組織分野への拡充に努めたる結果、頓
 に会勢進展し東京外九県下の愛国労働農民団体(富山勤労農民同盟■
 愛知、新潟、東北、滋賀、群馬、山梨、岐阜、三重、福井、茨城、
 埼玉の各皇国農民組合等)の参加を見、更に本年九月会員二千四首
 名を有する日本労働同盟(満洲事変に刺戟せられる我国最初の全国
 的愛国労働組合として近藤栄蔵を主事とし昭和七年十一月結成せる
 もの)の加盟ありて其の影響下田体を合算すれば二府十七県に亙り
 会員二万五千名に達せり本会の綱領は次の如し。
         ▲網   領
  一我れ等が竝に労働者及島民と名づくるは、知識労働者、筋

    肉労働者山環」民等あらゆる勤山労h者を包括す。
   二 我等の思想、我等の勤怠は、我が帝国の興亡安危を左右す
    る最も力あるものなるの事実を前提とし、我等は之に関する
    重大なる責任を自覚す。
  三 帝国は世界に全く比類なき一君万民の精神的大家族なり。
   我れ等は此の建国の大精神に廼り、国内に於ける総ての物質
  ′ 的対立抗争を排撃し進んで結束固き皇道日本の実現を期す。
  四 我れ等は皇通日本の大義に則り、神を敬い、人を愛し、信
   義、礼節を重んじ、勤勉力行日に進み、日に新たに率先して
   他に比類なき美しき社会相を実現化し、其光をして八紘を被
    はしめんことを期す。総ての利害問題は此皇道日本の大精神
   を、使ふものも、使はる1ものも相互ひに理解する所に常に
   一点辞決点のあるぺき事を確信す。
  五 我れ等は、愛国の至誠を捧げて、祖国日本を強化し、護国
    の中堅たらん事を期す。
  六 我れ等は、我国体と全く相容れざるマルクス主義の徹底的
    克服を期す。
  七 我れ等は非常時日本の光輝ある打開の為に、最もカある結
   束の下に、適正なる国内革新の中心勢力たらんことを期す。
 尚本年四月我国産業史上の一画期を為したる「愛国労働組合全国
 懇話会」結成せらる1や、本会は之に参加して其の主体を為し、更
 に皇国農民団体関東地方結成大会にも参画し之が主動団体たるの実
 力を示しっ1ある等本会は今や我国愛国陣営の重鎮を形成するに至
 り、純正日本主義旗峨の下に全国団体を打つて一丸とする大同団結
 を目標として果敢なる渾進を為しっつあるが、国会拡大藤化前進の
 先鞭として十月四日其第一回全国大会を埼玉県川口帝に於て開催、
 当日地方より上京せる代議員七十六名は佐藤鉄馬大佐の指揮に依り
 午前十時川口駅に到着、駅前の広場に整列せる川口支部貞代表五官
 名と其青年義勇隊百五十名の出迎を受け、数十の会旗を先頭に其前.
 面に整列し、相互に敬礼歓迎故謝辞を述べたる後、隊伍を組み市中
 施行進、県社氷川神社に参拝し、再び行進を起して会場たる公会堂
 に到着したるが、会場正面には、
   ●国体明敏の徽底を期せ
   ●非常時を認識し国防の強化を図る事
   ●反国体社会主義団体の即時解散
   ●純正日本主義経済横構の確立
  ●純正日本主義労働団体の拡大強化戦線統一
 等のスローガンを掲げ代議員七百三十五名の外、来賓は、
  帝国飛行協会長陸軍中将 四王天延孝
  陸 軍 中 将 l一子石官太郎
   同       等々力森歳
  費族院議貞男爵 井 田 磐 楠
  関東国粋会 梅津勘兵衝
 等にて、午後一時開会を宜し国歌合唱宮城逢拝後大会役員の選任後
 出席代議員総代阿部己与午の新会長松本勇平に対する「新会長の備
 乎たる統制に服す可き」旨の宣誓を為し新会長より、
   「我国は今や重大なる危概に直面しあるを以て労働者、農民を
  合体し成立したる本会会員は創立当所の宣言綱領を其の信条と
12   して邁進すハー
    之が為人民戦線の如き悪思想は徽底的に排撃し、更に蘇聯共
   産党の魔手を撲滅するが為めには精神的経済的に、又武力的に
   拡充するが如く努力し、本会をして統制ある精神的団結と為し
   救国的大事業を念頭に邁進し、従来の労働団体と異る点を発揮
   する様心掛くぺし。」
 との訓示ありて本部の経過報告後、出席代議員総代杉本笹喜は前会
 長小林順一郎に対し会長引退に際する謝辞を朗読し、小林大佐は其
 の抱懐する新経済機構論(国体に即する皇道経済論)を高調し、顧
 問植松練馬(海軍少将)相談役佐藤鉄馬の就任挨拶竝に来賓の祝辞、
 清読後左の宣言を朗読後議事に入り、
          宣   言
    皇国を中心とする国際情勢は、昭和入牢本会創立の際に於け
   る宣言中に述べたるが如く多くの憂国者の警鐘乱打に拘らず、
   遺憾乍ら遂に有史以来未曾有の重大危局に直面した。
    皇国の外交は此際極めて慎重、決して大事を誤るぺきに非ざ
   ると同時に断乎たる手段を以て、国内の徽底的強化は最早瞬時
   と雄も辟躇し得ぺき時ではない。
    国内の徽底強化は、全国民が皇国は真に全世界に此顆なき一
   君万民の精神的大家族国家なる事を先づ以て深刻に自覚する事
   に依て始めて望むことが出来る、此自覚あつて全国民相互間に
   同胞相愛の度しき温情湧き、総ての利害問題の如きは、皇通日
   本主義の明鏡に照して悉く膵決せられ真に章固なる精神的一丸
    と太る事が出・釆る。
   然るに今日の如き、皇国の危概に直面しても、尚ほ、此国体
  精神を無視し労資の対立を激化せしめ、階級闘争、軍民離間を
  叫び、各種の物質抗争の為に却て国内を四分五裂せしめんとす
  る各種反国体的団体の跳梁は、明に亡国的存在である。此危局
  に直面しっ1も尚ほ斯かる亡国的諸団体の跳梁を合法的に容認
  しっ〜ある現政府の態度は、我等は全く諒解に苦しむものであ
   る0
   数十年来弱肉強食に堕せる資本主義を助長し、功利主義、自
  由主義を以て民心を腐敗せしめ弱者を塗炭の苦に陥れ、しかの
  みならず、皇国独特の欽定憲法を解するに国体破壊の天皇機関
  説を以てし 天皇政治を全く諸外国の如く民主政治化せしめん
  としたる既成諸政党の如き竝に斯かる資本主義的勢力に対抗し
  て物質抗争を主とする西洋流社会主義団体たる社大党、無産党
  及び是等と運動を共にする労働組合農民組合等は何れも皆前述
  の反国体的団体と謂はなければならない。真の国内強化は斯る
  反国体的諸団体を速に清算し、思想的に、経済的に、政治的に
  且つ全国民の実生活に触れて、真に国体明敏の徴底を図るに非
  ずんば、到底望むことが出来ない。即ち抜本塞源的の庶政一新
  換言せば昭和維新の断行は之を以て目標としなければならない■
   両して二二一六事件の政治的貴住も亦之に依つて始めて明と
  なり得るのである。又国民生活の真の安定も斯くして現在の我
  が国体に反する民主経済機構を清算したる純正日本主義経済機
  構の確立に依つてのみ始めて望むことが出来るのである。国防
  の真の強化、農村漁村岡垣、労資−間鈷喝の解決等々二汚すれば、
  今日 皇国の直面せる内外重大危局打開の為に要する各種の重
  要問題は斯くすること以外には全く解決の途なしと確信する。
 而して之が為には最早蹄躇し得べき場合では断じてない。
  我等は此確信を以て、全国憂国純忠の人々と共に、力強く要
 路を鞭撞し、愛国の至誠を捧げて、国体明徴、国内大強化、国
 難打開の為に進んで協力せん事を期す。
  尚ほ労働問題竝に農村問題は資本と労働を区分し之を対立抗
 争せしむることに依て決して解決し得ぺきものでなく、国体を
 明徽にし国家全体家族主義精神を経済部門に徹底せしむること
  に依て初めて解決し得ぺきものなることを改めて為に宣言する。
    昭和十一年十月四日
           愛国労働農民同志会第一回全国大金
  (議 案)
 一本会の拡大強化に関する決議
  急迫せる現下の非常時局打開の為には純正日本主義を休する
 労働也農民団体は極めて急速に全国的に拡大強化を要する、我
 等は其範たるぺく全力を挙げて先づ我が愛国労働農民同志会を
 拡大強化することに奮闘努力せむとす。
 二 全国に亙る純正日本主義国体の戦線統一に関する決議
  現今皇国内を支配する非日本主義的大勢を合法的に堂々たる
 手段を以て圧倒駆除せむが為には全国に亙る純正日本主義的団
 体の戦線を統一し其力を一にする事が最も大切である。
  之が為には各団体は小異に依て他を誹議する事を止め皇国全
 体の為に大同に附くの心掛けが一番大切である、然るに日本主
  義を標傍する団体中にも尚此点に目醒めず恰も従来の功利主義
  的団体相互間の如く自己本位に勢力を争い徒に似たるかの如く
  他を誹議排斥して却て愛国戦線の統一を妨害するものなきに非
  ざるは悲むべきである。我が愛国労働農民同志会は過去に於て
  も此点に関しては柳かも私心なく率先して其理想の実現に努力
  し来れるも大勢尚熟せざるを頗る通憾とする、然れども皇国内
  外の情勢は決して此儀にして放置し得べきに非ず我等は万難を
  排して飽く迄も其理想の実現に向って邁進せむことを期す。
  三 進 言 書
   皇国噴古の重大危局に際し内外難問題の解決の為に日夜御苦
  心の御事と恐察致します。
   純正日本主義を体し別紙綱領に基き組織されたる会員約参万
  の我愛国労働農民同志会は御同様皇国民として時局深憂の余り
  十月四日川口市に於て第一回全国大会を催しまして別紙の如く
  宣言し之に基き左の譜項目に対し貴大臣閣下の深甚なる御考慮
  を煩はすべく決議致しました、謹んで之を進言致します。
  (一) 支邦の背景には皇国を敵視する侮り難き若干列強あるこ
   とは頗る明瞭なる事実なるを以て対支外交は極めて慎重にし
   て且つ十分の威厳を保たれたき事。
  (二) 前古未曾有の国難打開の為に此際頗る断乎たる国内強化
   策を速かに講じられ度き事、之が為には
   イ 我が国体の本義に惇り功利主義、自由主義、民主主義、
   社会主義を奉ずる総ての団体を断乎として解散せしめ純正
    日本主義のみを以て速かに全国民を結束せしむぺく教化を
13    進められたき事
  口 国防を強化せしめて平和を維持する為に今日の財政は戦
   時財政と同様の気分を以てなされたき事、而して此気分を
   以て全国民を緊張せしめられたき事
  ハ 併しながら現在の我が国体に反する民主的経済機構を以
   てしては到底極東大戦の場合を想定する戦時財政の維持困
   難なるぺきのみならず現在の難局打開をも不可能なるぺき
    ことを真面目に考慮されたき事
  二 新経済概構に於ては今迄の如く国家の働きが国民の貧弱
   なる所有金力の為に制限せられるが如きことなく国民国土
   設備の全能カを何等の制肘なく挙げて君国の為に活動せし
    め得らるぺき事
  ホ 農山漁村の生産物の価格は生産者本位に其収支が労力に
   相伴ふ如く統制し今日迄の如く投機の目的物たらしむる事
   を厳に禁止さるぺき事
   へ 過去の枇竝に原因する農村其他一般貧困同胞の債務は此
   際国家として整理を断行し以て民力更生の途を拓かるぺき
    事
  卜 農山漁村の過剰労力其他の失業者に国家として常に生活
   安定の職業を与へ得る如くされたき事
   チ 労働者一般の奉公的至誠勤労者が常に労務に応ずる公正
    なる報酬を伴ひ且づ正しき生活に一切の不安を与へしめざ
    る如き適切なる総ての処置を講ぜられたき事
   り 労管し問題の辞決の為には農工業界に純正日本主義を特に


   速に透徹せしむる事
   而して資本家側竝に地主側をして他に率先して此世界に比
   類なき国体精神に目醒め粛者と維も悉く是れ至尊の赤子に
   して吾人の同胞たることを感ぜしめ温愛扶導の念を懐かし
   むるに到ることを急務とすぺき事
 (三).、皇国民は実に例外なしに全部が純正日本主義者でなけれ
  ばならぬ、然るに過去の枇政の為に皇国内が今日の如く非払
  本主義を以て醍る如き悲しむぺき状態を是正せむとする誠忠
  なる日本主義愛国運動者を、左翼に対抗する外国式右翼運動
  者の如く解する者甚だ多き事は我が尊厳なる国体の認識欠如
  に原因するものである、当局は此緊要なる純正日本主義運動
 、を此際大に奨励する為に斯かる誤れる認識を全国的に至急是
  正されたき事
 四 運動方針に関する決議
  現状に即すぺき本会の運動方針は今回政府に捷出せむとするり
 進言書の内容竝に第一第二の決議内容とす、尚ほ実際に方りて
 ほ左の事項に関し特に深甚の注意を要す
  国体を明徴にし皇国を純正日本主義化することは皇国に放て
 は絶対必要の事にして此事は決して国民の多数決に依つて決す
 ぺき筋のことではない、苛も我が専厳なる国体を理解する者は.
 此の義に関して異存はあるぺき筈はない、而して此大義を知る
 者には皇国を日本主義化せんが為に、議会に多数を獲るの必要
 ありとなして政党を作るといふ事は考へられないことである、
 斯かる考へ方は明に多数決に俵て国体を菜めんとする外国流民
   主主義思想であつて却て皇桓の国体を破壊するものである。
   純正日本主義運動は、政界、経済界、思想界、農村都市の区
  別なく全国民をして例外なしに悉く日本主義化せずんば止まず
  以て真の道義日本を再建せむとする所の頗る貴重にして広汎な
  る教化実行運動であつて、窄も現在の非日本主義的一般国情を
  認識する日本国民としては悉く自発的に之に参加しなけれはな
  らない筈のものである。
   之が為に団体を組織するは其運動を組織附け且つ其組織のカ
  を以て各方面の反対組織を速に圧倒紛砕し貴重なる目的の達成
  を容易ならしめんがためである、決して政党政治のカに依て国
  体を左右せむことを企つるが如き反国体的民主思想を些かたり
   とも含めたものではない。
   本会の拡大強化の運動に方りては此の義を特に明瞭にして誤
  辞なからしむるを要す。
 の審議に入り、議事中第三項の進言書は十月五日本部幹部故地方代
 議員に於て関係各大臣を歴訪手交することに決定後、信州郷軍同志
 会、東電愛国同盟、新日本海員組合、日本労働組合総聯合、国体擁
 護聯合会、愛国労働組合全国懇話会、日本産業軍、愛国労働組合全
 国懇話会関東地方委員会等の友誼団体代表祝辞を述ぺ、滋賀県代表
 矢尾書三郎は緊急動議として
  「在満将兵に対し愛国労農同志会の名に放て慰問状贈呈の件」
 を提出し満場一致之に賛同慰問文書の起草竝に発送等は会長一任に
 決定し、地方代義員の状況報告は時間の都合上地方各代議員の個々
 の報告を省略し本部書記長をして各地方の参加流体及人数等概要を
 報告せしめたる後本部役員任命を次の如く任命
         本部役員
   顧  問  海 軍少将  植 松 練 馬
         陸軍 少将  林     業
         陸軍砲兵大佐  小林順一郎
   相談役 陸軍砲兵大佐 佐 藤 鉄 馬
                 近 藤 栄 蔵
   理事長         阿部己与午
         総 務 部
                 佐藤相談役
                 近藤相談役
                 阿部理事長
       書 記      西 川 伍 朔
         労 働 部
   常任理事         阿部己与午
   本部理事  (川 口)   名古屋喜代造
         (同  )   内 田 広 青
         (同 )   鴨 下 栄一
         (同 )   矢木橋祐七
         (和歌山)   在里美作夫
         (大 阪)   小 田  孝
         (京 都)   加藤鉄太郎
          (滋 賀)   矢尾書三郎
   理 事  ハ京 都)   近藤初三郎
14       (和歌山)   土 山 正 重
        (大 阪)   里 辛 苦
     」  (宮 山)   米 原一郎
       (滋 賀)   神山勝二郎
 実動部長        阿部己与午
     書 記      沌 口 義 雄
 調査部長        渡 辺  薫
     書 記      滝 口 義 碓
        農 村 部
 常任理事        今 里 勝 堆
 本部理事  (新 潟)   柄 沢 利 清
       (富 山)   萩 果 真一
        (愛 知)   岩 内 隆 平
       へ山 梨)   田 中 正 則
 理 事  (新 潟)   高橋与次郎
       へ同 )   登 石  清
       (同 )   長谷川長治
       へ同 )   高橋音次郎
       (富 山)   河 原 治 作
       (同 )   上島仁三郎
       (同 )   浅 井 宗 平
       (同 )   石丸佐八郎
        (愛 知)   石 垣 徳 重
         ハ同  )   浅野官次郎

       へ同 )   榎 本  朗
       へ山 形)   松 本 笹 書
       (同 )   遠藤勝千代
      (同 )   横 山 政 瀧
 実動部長
     書 記
 調査部長        今 旦 勝 建
     書 記      渡 辺  薫
       青 年 部
 常任理事        伊 藤 良 夫
 理 事  (新 潟)   山 谷 信一
       へ同 )   藤 田 誠 太
        (同  )   武 石 篤 市
       (富 山)   和久手幸一
       (愛 知)   伊 藤 念 坊
       宣 伝 部
 宣伝部長         近 藤 栄 蔵
 轢関紙編輯主任      今 里 勝 雑
     書 記      伊 藤 良 夫
               平 沢  潤
       会 計 部
 会計部長         阿部己与午
     主 任      阿部己与午
     監 事       佐 藤 鉄 馬
       書 記       西 川 伍 朔
 役員総代近藤栄蔵及松本会長挨拶を為し、四王天中将発声にて
 陛下の万歳を三唱して閉会し、大会終了後会場に於て本部竝に地方
 代議員五官四十名の懇親会を開催午後入時散会せり.
 本会は予て小林大佐の企図しある郷軍層、労働、農民層、青年層
 学生層等凡有愛国団体を包容する右翼戦線の統一に依り、単一右翼
 政党結成の母体たらしめんとして同大佐の指導下に生起したるもの
 にして松本少将会長に就任し、小林大佐其の顧問に転じたりと錐も
 依然として小林大佐の指導下にあり、雨して同会役員中には相当多
 数の在郷軍人を包容しあり、且会員は概して現社会状勢に照応し維
 新運動の実現を理想とする熱情豪比較的多きを以て将来相当発展を
 予想せらる。而して本大会は会長以下本部役員の軍隊的統制の下に
 最も静粛且緊張裡に終始し、従来の此種会合に対比し稀に見る真筆
 の盛会なりしを以て、最近の社会的趨向たる右翼戦線統一運動上に
 多大の影響を及ぼすものあるぺしと認めらる。
 似 直心道場終生義塾を中心とする青年糾合運動
 三六倶楽部の企図する各層統一運動の一翼を為す青年運動は
  直心道場(大森一声、西郷隆秀)
  終生義塾(本島完之、鈴木幸一、前田虎雄)
  洛北青年同盟(中川裕)
 等中心となり青年層の結集、三六倶楽部への吸引を策し小林大佐よ
 り資金の供給を受け昨年末以降之が運動に携り「純正維新共同青年
 隊結成準備会」「純正日本主義青年運動全国協議会」を結成(別項
 参照)同倶楽部の影響下に吸引せんとしあり。

 仰 時局協議会の結成
  二・二六事件以後弱体化せる右翼陣営は、我が国内外の客観的情
 勢の推移に伴い同事件を葵撥として分散勢力の結集大同団結への新
 運動形態を取るに至り、之が動向は漸次具体化するに及び三六倶楽
 部の影響下に在りて青年層の統一運動に専念しある直心道場大森一
 声、西郷隆秀等は「我国内外の情勢と日本主義運動の現状に鑑み此
 際日本主義各陣営の横断的統一乃至連鎖に依り一大国民運動展開の
 要あり」と為し十月未小林大佐に進言したる処小林大佐も之に賛意
 を表し爾来、大日本生産党青田益三、新日本海員組合赤崎貫蔵、日
 本労働組合総聯合高山久蔵等と屡々協議を為すと共に関東関西地方
 主要右翼団体に対し参加方交渉したるに、概ね其賛助を得たるを以
 て、小林順一郎、書見隆治、佐藤鉄馬、井上清純、渡辺良三、江藤
 源九郎、永井了青、長谷部照僧等各世話人は十二月二日以来数次協
 議の結果
 一、政治組織の皇道化
 一、国民生活の皇道化
 一、皇道外交の確立
 一、国防絶対強化
 の綱領に基き、全日本各部各層の日本主義運動の横断的統一強化を
 計り以て一大国民運動を展開し、非常時克服昭和維新の主体勢力を
 結集すぺく、之が綜合統一税関として時局協議会(略称時協)結成
 に着手し規約草案の作成竝に世話人及客員人選に関し協議の結果
   小林順一郎(三六社)
   入 江 種 矩(国体擁護聯合会)
15    渡 辺 良 三(明倫会)
    ▲吉 田 益 三(生産党)
    高 山 久 蔵(絵聯合)
    江藤源九郎(淡交会)
    橋本欣−五郎(大日本青年党)
    黒沢主一郎(皇道会)
    赤 崎 賞 蔵(新日本海員組合)
    長谷部照僧へ満洲協和会)
  等を以て世話人会を結成し、十二月八日案内状に時協規約を添付世
  話人及客員(推薦予定者)其他右翼団体幹部宛郵送すると共に本会
  の発達を期せんが為め革新運動に理解ある知名士を同会客員に推薦
  する事とし左記の如く交渉決定せり。
    陸 軍 中 将  建 川 英 次
    同        菊 池 武 夫
    同       渡辺満太郎
    伯     爵  柳 原 義 光
    海 軍 中 将  小林省三郎
    元 外 交 官  堀口九万一
    黒一 竜  会  葛 生 能 久
    大日本生産党  内 田 良 平
    政  教  社  五官木良三
    明倫会陸軍中将  ■匝 瑳 山胤 次
    一同法学博士  大山卯太郎
     公     爵 一 条 実 孝.


   子     爵  三宝戸敬光
   陸 軍 中 将  安藤紀三郎
  其後創立準備を進め十二月二十一日麹町区平河町宝亭に於て之が
 第一回会員総会を開催し出席者
   陸軍中将男爵  菊 池 武、失
   費族院議貞公爵 一条 実七孝
   貴族院義兵男爵  井 上 清 純
   貴族院議貞男爵  井 田 磐 楠
  .陸 軍 中 将、.建 川 英 次
   海 軍 中 将  小林省三郎
   三六倶楽部  小林順一郎
   明倫会海軍中将  渡 辺 良 三
   政  教  社  五官木良三
   皇道会陸軍少将  黒沢主一郎
   大日本青年党  橋本欣五郎
   黒  竜  会  葛 生 能 久
   国体擁護聯合金 入 江 種 矩
   大日本生産党  青 田 益 三
 等を始め三府一道十四県客員以下官五十名其他七十名計二宮二十名
 あり、定刻国体擁護聯合金理事長入江種矩司会の下に、皇居逢拝国
 歌合唱ありて三六倶楽部理事長小林順一郎は
   現下皇国内外の客観情勢と国家統制強化充実の必要、竝に日本
  主義運動の現状を論述したる後、日本主義運動の独尊的割拠対立
  を清算すべき必要を述ぺ、宜しく日本棉神の大義に立脚し、相愛
  共同の頼神に依り全日本主義運動の横断的連絡と、強力にして而
  ち意義ある一大国民運動の展開を強調し、本協議会創立も亦此の
  趣旨に外ならず云々
 と開会の辞を述ぺ、次いで座長に男爵菊池武夫、副座長に男爵井田
 磐楠推挙せられ議事に入り
  (〓 時局協議会創立経過報告汝規約発表(大日本生産党青田
    益三説明)
        時局協議会規約
  第一条 時局協議会は速かに貞道政治を確立し急迫せる時局に
    対応する為の各層各部門に於ける全日本主義運動の連絡
     強調竝に強化を以て目的とす
  第二条 会員は此の主要目的達成の為に小異を捨てゝ大同に就
     き日本主義の美徳たる和衷協同の精神を発揮するものと
       す
  第三条 本会に世話人会を置く
  第四余 世話人会の推薦に依り本会に客員を置く
  第五条 世話人会は左の事務を掌る
   一調査部を設けて各種原案の作成
   二 会員総会の決議を現実化せしむる為めの一切の事務
   三 各会員間の連賂
  第六条・会員は本会目的達成のため必要なる意見を世話人会に
    提示す、各会員は全く本協議会の着任圏外に在りて各々
    独自の立場に於て行動し第一条の目的達成の為に相協力
      するものとす

  第七条 本会々員として入会せんとするものは世話人二名以上
      の紹介を要す
  第八条 本協議会成立の基礎は各会員の歌心協力の誠意に在る
    を以て別に細則を設けず、依つて本規定外の総ての事項
    は一に各会員の此の誠意の結晶を背景として、世話人会−
     に於て随時之を処理すぺきものとす
       時局協議会調査部竝に事務局内規
  一調査部に当分の内左の委員会を置く
   思想文化委員会 政治委員会 経済委員会 外交、国防委員
   会 運動方針研究委員会
  二 本協議会に事務局を置き世話人会の管掌に属せしめ世話人
   会幹事(少くも二名)の統制の下に本会の事務を行ふ
  三 事務局に庶務係、会計係及調査部係を置く
  ハ二) 時局協議会声明書発表(大日本青年党橋本欣五郎朗読)
         声   明
   皇国内外の情勢は絢に容易ならざるものがある。特に皇国を
  中心とする急迫せる国内情勢に対し、一朝其挙措を誤らんか国
  運の前途は実に測り知るぺからざるものがある。之が打開を目
  指して深く其の禎因に遡り非常の決意を以て抜本塞漁の処置を
  講ぜねばならぬ時機に際会した。
   実は其時概すら既に遅きの憾があるのである。
  抑々内に充実強化の実なくして如何に堅実なる外交はあり得
  ょぅぞ、実は今日の如き一般情勢馴致の真因も憂ふぺき国内事
  情に根ざすものが頻る多いのである、則ち抜本塞瀕的処置も留
16   体の本義を明徽にし、国家活動の基本たる国内政治の最正を以
   て第一着手とすぺきは論を倹たない。換言すれば日本主義を透
   徽せしめ皇道政治を確立することが総ての先決問題である。
    是なくして対外問題の光輝ある静決は到底庶幾することが出
   来ぬ、然らば日本主義とは何ぞや
    筍くも帝国臣民として一切を捧げて皇運扶翼に終始するは日
   本主義である、官費栄達放韓享楽其事自身を以て行動窮極の目
   的とするものは功利主義である
    皇国全体一豪族国家たるの事実を明確に体識し、道義と相愛
   とを以て智能材幹の推進力となし、総ての物質問題をして之に
   随従せしめんとするは日本主義である、之に反し物質的利害打
   算をして精神問題を支配せしめんとするほ功利主義である。分
   裂、抗争、道義廃懲、国家的衰運の淵源は功利主義であり、協
   同、和借、明朗邁進国家的飛躍の原動力は、一に日本主義に胚
   胎する。竝に日本主義と功利主義との問には妥協の片影すら容
   る1ぺきものではない
   天皇の臣民は全部が日本主義者でなければならぬことは必然
   の道理である
   憲法発布せられてょり既に五十年に垂んとして居る、憲法政
   治は 天皇統治の大道であり、同時に皇運扶翼に参ずる臣道の
   軌範であり、肇国本然の日本主義を覇揚せるものなるに拘らず、
   之に烙還すぺき政治運用機関の現状は何事ぞ
    帝国議会は、立法予算等を通じて宏課を翼賛すぺき機関とし
   での臣道舶行の神聖なる殿堂である、即ち階級利曹の代表機関
  でもなく、政権争奪の堵湯でもなく、功利主義に立脚したる欧
   米諸国の議会とは其の発生原理に於て苛くも相容れざるものが
   ある。然るに現在我国の議会を観るに、其職務運用の母胎をな
   せる既成諸政党、勿論無産党を含めたる此等の諾党は、悉く民
  主民権の主張に其発生の機縁を有し、立憲の指導靖碑は功利主
   義の外に一歩を出づることが出来ない
    是等政党が過去の日本に決したる事実を見来れば歴々として
   其然る所以を指摘することが出来る
    功利主義に依りて結成したる政党は単に議会の占領に甘んぜ
   ず、更に進んで行政、司法等の諾機関にも進入して悪政の淵源
   となる、教学は忠孝の純真を失ひ、経済は互助の美風を損じ、
   産業は相対の苛辣に走り、道義立国の日本精神の消磨は指導力
   と安定カの分裂抗争となり、之を地方に及ぼしては打算情実を
   以て織り成せる地盤を醸成し、一大家族国家たるぺき皇国を権
   勢競奪の開場たるに至らしめた
    語弊の総ては是れ政治が功利主義に立脚したるが為めである.
   彼等が政党政治と誇称する内容は同胞相剋であり、憲政常道と
   大呼する実質は、政権争奪の妥協条件を内規せんとする詐謀に
   外ならぬ、其精神は正に達意であり日本主義の揉摘である。勿
   論党人中にも善良なるもの砂なからず、如何せん既成政党の指
   導精神下にありては、点滴の清泉を以て大江の濁流に注ぐの憾
   なきを得ない
    日本主義こそは斯くて憲政確立の運動であらねばならぬ。
    斯くて一切政治の浄化と向上の発酵煮でなければならぬ。全
   的不審二掃の唯一無二の根瀬は此運動以外には断じて無い
   過去数年来の政局を珂顧して遺憾此上なきものは、義憤遣る
  頼なき多くの人々が秋霜の国法をまで犯して、自ら非合法の死
  地に赴きたる悲壮の事実である、此の事実を何と観て然るぺき
  であるか。彼等は悉く功利主義的政治の支配に激して法を省み
  るの追がなかったのだ。明らかに既成政党は功利主義的政治の
  大支柱として、彼等義憤の大因をなした事は人皆周知するとこ
  ろであろう。然も若し政界の現状が今日の儀に続くならば此深
  刻苛烈なる睨み合は永久に解消し難いものであることは自明の
  理ではあるまいか、何が竝に解消し得ないか、日本主義は到底
  功利主義の前に屈服することが出来ないからである。若槻内閣
  倒壊し、斎藤内閣成立して以来今日迄の政局推移の畔跡を仔細
  に点検すれば意識的将又無意識的かは別として、砂なくとも日
  本主義と功利主義とを妥協せしめんとするか、乃至は其間に妥
  協点を見出さんとする政治であつた。然し其は不可能を可能と
  なさんとし、火と水との妥協を策する徒労に過ぎなかつた。国
  体の明徽は斯かる老痴なる情実より生まる1ものでは断じてな
  い。日本主義が功利主義を掃蕩することにょりて、日本主義に
  即する独自の議会機能の全的発動となり、同じく行政、司法の
  概能と相倹ちて、国体と体合する政治の更生国策の遂行が生ま
  れ、初めて難局は打開され国民生活の安定を竝に求むることが
   出来るのである
   皇国が今や数箇国の武力と経済力との侵略に対抗し、形勢の
  危急旦に夕を測り得ざるものがある、此際挙国一致は何物とも
  替へ難い生命条件である、だが形式の挙国一致は益々国民不安
  の波涛を高め、国民理想の昂揚を阻み難関突破の前途に却つて
  暗雲を投ずるに過ぎぬ。真実の挙国一致こそは功利主義団体の
 一切を清算して、日本主義に基く安定勢力の結成の上に、初め
  て其全貌を現はし得ることであることは明々白々の事理である
   時局協議会は実に此国家鎮護の安定勢力築成の目的の上に立
  つ、従つて既成政党の清算を要求するのは当然であるが斉しく
  至尊の赤子たる個々の政党員が本来の日本主義に覚醒し来るな
  らば、是又温き手を伸べて歓迎するに決して客なるものではな
        ヽ
   ヽ∨
   時局協議会は全会員悉く如上の信念に全国忠良の国民を動員
  し、皇国政治の確立純正護憲運動を目がけて直往し渾然一如の
  皇道日本を完成し、悠久なる皇基を振張し、以て国難打開に向
  つて邁進せんことを期す、之が為め第一着手として、国内充実
  強化の至大陣碍たる個人、民主、唯物、功利思想の上に立つ既
  成語勢カの清算の目的を、最も速に達成し以て皇道に帰一せん
   とするものである
    昭和十一年十二月二十一日
                時局協議会第一回会員冶金
  (三) 頭山満声明書発表(黒竜会葛生能久代読)
   今邦家の危急は累卵よりも甚だしく、朝野官民憂慮措く能は
  ざる所にして、是れ全く我が国民が、立国の本義と国体の本質
  とを忘却し、輔弼の重臣亦た献替其の宜しきを得ざるものあり
  し結果に外ならず
17 今や憂国の諸士胥謀り時局協議会を設け、国体を明徴にし協力一致君国の為めに報効する所あらんとす、冀くば奮励努力あらんことを
 (四) 客 員    陸軍中将   建 川 美 次
     客 員    海軍中将   小 林 省三郎
     客 員 新日本海員組合  赤 沢 寅 蔵
     客 員    政教社    五百木 良三
     世話人 貞道会 陸軍少将 黒沢 主一郎
     会 員    直心道場    大 森 一 声
等の意見発表ありて、公爵一条実孝の発声にて 聖寿万歳を三唱、午後四時三十分閉会し、午後五時より会員懇親会に入り晩餐を共にしつゝ、日本労働総聯合高山久蔵指名の下に卓上五分間演説ありて同六時三十分盛会裡に散会せり
 本会創立と資金関係に就ては各方面より疑惑視せられあるを以て、本件に関しては総会当日世話人吉田益三より「本会運動資金は参加客員以下会員其他有志の寄附を以て之に充当し、之が収支も亦明瞭ならしめ、参加会員に対しては何時にても一覧に供すぺく、毫も不純の収入に依り運動するものに非ざること、及同協議会が何等背景等なき旨」を言明せるが、目下本会資金は三六倶楽部小林大佐の手を通じ、出資せられありと称せらるるも相当潤沢なるものありて、本会今後の運動に就ては、総会当日発表せる声明書の如く、当面先づ政党政治の清算運動に全力を傾注し併せて「皇道外交の確立 皇道政治経済の確立と国民生活の安定 国防の絶対強化」等の運動に出づぺく企図しあり、尚世話人会に於て推薦せる会員次の如く又同会組織内容関係会員の所属団体等別記の如し
   会   員
    吉 田 益 三    手 島 剛 毅   永 井 了 青
    千 家 尊 建    柴 山  満     小 部 英 夫
    藤 沢   猛     村 田 村 治   橋本 寅太郎
    重 岡   勢     佐々井 一兎    稗 田 兵 三
    藤 岡 文 六  半 田 玉 三  蔦 木 武 士
    古 川 文 平 渡辺半十郎  三 木 売 孝
    片 岡  駿 狩 野  敏 伊 藤 武 男
    住 田 徳 市 佐々木民三郎 高 橋 義 雄
    近 藤 栄 蔵 阿部已与午 今 里 勝 雄
    名古屋書代三  松 永  材 嚢 田 胸 喜
    板 橋 菊 松 作 田 荘一 鹿子木員信
    中 原 謹 司 船 生 利 量 白 井 為 雄
    関根書四郎 永 富 以 徳 奥 戸 足 首
    中 川  裕 三 浦 糞 治 土 岐 侶 治
    松 田 禎 輔 岸 本  清 徳田宗一郎
    西 浦 貞 雄 高 橋 松 治 寺田希一郎
    永 島 義 高 山 本 千一 久 野一雄
    佐 橋 尚 政 鈴 木 幸一 影 山 正 治
    八 幡 博 堂 太 田 耕 造 今 村  等
    米村長太郎 佐 藤 鉄 馬 野 田  豊
    未中勘三郎 佐 野 好 馬 藤原書代独

    独 田 喬 平 那賀瀕三郎 蔭 山  寺
    林 貞四郎 四宮九州男 久 保 実 害
    山 口 光 蔵 太 田 幸一 井 上 農 夫
   木 本  栄 青 木 作 雄 横 田 左 輔
   西 村 暢 夫 大 石  茂 戸 田 清一
   入 江 五 郎 大久保弥三郎 大 森一声
   西 郷 隆 秀 瓜生書三郎 上 村 達 弥
   佐 藤 守 義 山 田 耕 民 中 谷 武 世
   松 本 勇 平 大 橋 治 房 青 田 賢一
   西 光 万 青 今 井 武 青 〔以上九十二名〕
  大和聯盟との関係
  関西皇国農民同盟青田賢一一派に依り創立せられたる同聯盟
  は、時局協議会が大衆組織を無視し反動的日本主義分子を糾合
  せる政治的策動なりとし、時局協議会に対立し結成せられたる
  ものなりと伝へられあるが、本件に関し、総会当日会員として
  出席せる同聯盟世話人千家尊建は懇親会席上
   吾人有志に依り通日在大阪其他の団体を以て時局協議会と
  同一趣旨に依り大和聯盟を結成せるも、之は便宜上のものに
   して、決して時局協議会に対立し結成せるものにあらざるこ
  とは、本日私が会員として参加しあるに見るも明かなり、今
  後大和聯盟も本会と相共に捷携維新運動に邁進せんとするも
   のなり云々
 と述ぺ、対立云々の巷説を打消したるも、実際状況は時局協議
 会が観念的運動者と実践的運動者とを混滑し、然も前者其多数
   を占めるを快しとせず、同聯盟を結成せるもの1如く、将来両
   者の内面的対立は免れざるぺしと思料せらる
 其後協議会に於ては社会に於ける誤伝等あるに鑑み此際全国参加
 会員に対し本会の内容及び運動方針等を充分に認識せしむる必要あ
 hソとし0
 (一) 本会は短時日の間に於て一部同志を以て結成せられたるもの
  なるが、尚此際会員を督し全国各地方各層各部内に亘り客員乃至
 会員の獲得を為さしめ本会の内容充実を計る事。
 (二) 本会運動の根幹たるぺき調査部各委員会を速かに確立し対議
 会策として政党清算運動に着手する事等を世話人会に放て決定此
 方針に基き十二月二十八、九日会員宛。
  時局協議会の目的は全国に亘り各層各部門の日本主義運動相互
 問の連絡協調機関として存在し相互の運動が全局的協調内に行は
 れ、全日本主義運動が各方面に於ける従来のパルチザン的運動形
 態より脱却し、結果的に観て統制ある有力なる一大国民運動たら
  しめんとするにありとし、此目的達成の為。
  (イ) 各会員改各会員の関係されある方面の日本主義運動情況
   の梗概を知り、要概を失せず之を全会員に通報し運動相互問
    の協調に資する事。
  (ロ) 非国民的現状維持勢力方面の緊要なる情報を克集して速
   かに之を全会員に通報し各会員の運動に資する事。
 等を要望し、尚協議概関としての活動内容等を記載せる時局協議会
 計画要綱其他を発送し。
 当面の運動方針を対議会策として速かに政党清算運動を超す事と
18   し之が運動の根幹たる調査部各委員会を十二年一月上旬迄に確立し
   具体的運動方針を樹立の上大々的運動を為す可く各委員の鉄衡に着
   手せり。
    尚資金関係に就ては前述の如く世話人長谷部照僧及小林順一郎の
   両名より出資せられありたるが、今後両名の外客員小林省三郎、建
   川英次、世話人橋本欣五郎等より資金捻出を計らんとしあり。


        七 大和聯盟の結成


    時局協議会(略稀時協)の設立未だ表面化せず之が準備中大阪皇
   国労農協議会に於ては時協の戦線統一は『大衆組織を無視せる反動
   的日本主義分子の政治的策動にして其の結果は却つて正しき日本主
   義運動を阻害するファッショ政権確立の陰謀』なりとし、機関紙皇
   民戦線紙上に其の反動性を攻撃すると共に皇国農民同盟青田賢一、
   総聯合今井武音、未申勘三郎、新海員組合松田喬平等は連日協議を
   重ね、別に大衆組織に基礎を置く日本主義政党発展への母体と皇国
   皇民量産の理想実現の為め赤子思想と奉還思想に依る、御維新翼賛
   運動を皇民大衆の実生活に即し、大衆的規模に於て政治的に展開す
   る事を指導精神とし時協成立と日を同うして十二月十五日大阪中央
   公会堂に於て大和聯盟を結成せり。
    結成会議には総聯合今井武蕾、大橋治房、未申勘三郎、青川六郎、
   坂東清三郎、三谷三平、皇国農民同盟青田賢一、西光万富、音岡八
                  〔ママ〕
   十て米田官、寺島宗一郎、命会千家尊建、日本産業軍山本竜助、
    勤労供楽都ハ名古屋)伊藤長光、八月会ハ三重)田中和三郎等参集

 し、千家尊建(出雲大社教訓副総監)座長の下に青田賢一の経過報
 告後、左記の如き申合せ及び聯盟趣旨書を決定、世話人に千家尊建、
 青田賢て今井武青之に当り、新加盟者は会員の推薦に依り世話人
 会に於て協議決定する事を申合わせたり。
  尚十二月二十一日東京に於て開催せられたる時協第一回会員総会
 に世話人千家尊建出席し懇親会席上
   吾人有志に依り過日在大阪其他の団体を以て略時協と同一趣旨
  に依り大和聯盟を結成せるも、之は便宜上のものにして決して時
  協に対立し結成せるものにあらざることは、本日私が会員として
  参加しあるに見るも明かなり、今後大和聯盟も本会と相共に墟携
  維新運動に邁進せんとするものなり云々
 と対立云々の巷説打消に務むると共に聯盟幹部問には時協との公然
 たる対立を香定し両者共極めて慎重を持しあるが、実際状況は聯盟
  に於ては時協が観念的運動者とを混清しファッショ的色彩を多分に
 持つ既成団体と大衆的基礎を持つ皇民革新団体とを合同せんとする
 事は「小異」にあらずして「大異」なるを以て断じて実現不可能に
√ て、而も今回の合同は金融資本の至上命令に依る次期ファアンヲ独
 裁権への準備工作に外ならずとし、斯るファッショ化の陰謀に断乎
‥ 反対すると共に日本主義運動の正常なる発展を計らざる可からずと
 しありて、此の旨十二月十日機関紙に左の如き反対論を掲げ同聯盟
「 の目標を指示しありて時協と聯盟は将来内面的対立は免れざるもの
  と思料せらる。
          申 合 せ
…一広く同志を求め天業翼賛の政治的行動主体結成の為め、国体の
  本義に基き量民大衆の実生活に即して其の運動を展開する事
 二 其必要上事務所及若干の世話入を置く事(事務所は近日独立家
 屋を借入れる事とす)
 三 会員加入方法に就ては会員の推薦に依り世話人に於て決定す
 四 会費徴収竝に維持方法は会費一人年一円として其他有志の寄付
  により維持す
 五 運動方針は関東にも「大和会」を結成し其の結成を待ち協定の
 上発表す
        大和聯盟趣旨
   皇国が其の当面せる深刻非常なる時局に照応して、真に国体
  主義の頚揚を必須とする処今日の如く切実なるはまさしく史上
  稀に観る処である。我等皇民は等しく其の享けたる総てを挙げ
  て千歳一遇の覚悟を以て聖事マツリゴトに奉仕せねばならぬ、
  即ち皇国皇民皇産の理想実現の為に今こそ、其惟神なる赤子思
  想と奉還思想に依る御維新翼賛運動を皇民大衆の実生活に即し
  大衆的規模に於て政治的に展開すぺく努めねばならぬ。滋に我
  等は広く同憂同志の加盟協力を希ひ以て聖業翼賛の微衷を致さ
   んとするものである。
    大和聯盟の時局協議会に対する反対論(十二月十日皇民戦
   線に「時局協議会の反動性を衝く、今次の大合同は資本主義
   幕府擦護の為の公武合作論である」と題し掲載)
   二・二六事件以後の戦線統一運動は、前期旧日本主義時代に
  於ける浪人型大衆型の色別と同じく、著しく統一されて行く陣
  営を色別した、それは何であつたか? 単的に音へば日本型フ
T〜 ブ宅ショ公武会体派と革新派−尊卓訂葬派に色別せしめて行く
 動向であつた…今や次期(或は次期たらずとも最近)政権をし
 て強力なるファッショ政権たらしめんが為めに、彼等支配階級
 は皇民大衆をファッショ政権下に置かんとする一切の計画的行
 動をとり始めたのである、彼等は皇道政治をロにし、皇道化身
 唱ぶ、それに依つて日本主義陣営を自己の支配下に統一せん上
 するものである。それは明らかに徳川幕府のとれる公武合体と
 軌を一にする、果せるかな今次の大合同論の擡頭である。
  全日本主義陣営を打つて一丸となさんとする工作は時協を撞
 成せんとする委員の中の一部の人達に依つて秘密裡に運ばれ、
 独裁的規約を以て大合同を敢行しょうとしている、之こそ明か
 に昭和の公武合体を実践化そうとする最所の大きな計画である
・::・誤れる独善的独裁は明らかに大衆運動を、大衆の意志を、
 所謂皇民の意志を無視する処のものである。天下り的統一に依
 って総てを処理して行こうとする事は、大衆運動の承認し得た
 い処である、明かに成立過程を見ても大衆運動を無視して居る
 が、時協の人的構成要素を見てもそれが如何に「大衆運動の危
 機」であるかゞわかるのである、常任理事、理事(役員として
 独裁権限を附与せられている)の人々は大体旧型の日本主義者
 であり、或は世に兎角の評ある人達が混じているのが見えるの
 である。斯る人的構成要素をみたゞけでも「大衆運動の危機」
 が叫ばれる事勿論であり、真実の皇民意識の上に立ち絶対性の
 把握の上に立つて行動し得るものでない事がわかるのである。
 左に役員竝に委員として選定せられんとしている者の顔ぶれを
19    挙げてみよう=:・・斯の如く妓に挙げられた人達は日本主義のビ
    ンからキリ迄である、此尤大なる時協の結成の歴史的意図は何
    処にあつたか? 勿論それはファッショ政権確立の準備であり
    公武合体の進的実践化であるのだ=:=




J
                                                             一
り                                      ‥
ソ     B 右翼団体の一般的運動




      一右翼田体の人民戦線排撃運動


   二・ニ六事件後の客観的社会情勢に刺載せられ、左翼団体方面に
  擡頭せる「反ファッショ」人民戦線運動の拡大に鑑み右翼団体方面
  に於ては文書演説会及未組織労農団体の組織化等の手段に依り之が
  排撃運動を開始せるが其の状況次の如し。
  ●東京地方
  仙 三六倶楽部にては、八月十日附「三六情報第三十六号」を以て
  之が正体暴露竝に排撃を飛赦せり。
  倒 立憲養正会本部に於ては八月二十三日機関紙「養正時評」特輯
  号を以て「ファッシミナチス人民戦線と日本の将来」と題し人民
  戦線運動出ファッショ等の両極端的運動を排撃せる記事を掲載せる
  外、九月十日附機関紙に「撲滅人民戦線」と題する記事を掲載し排
  撃を強調せり。
  求@大日本生産党同党関東本部に於ては、八月三十日常任委員会を
  開催「日本海員組合米窪満売等の策動に依り、大阪官業労働組合が
  社大党支持を表明せるは人民戦線運動の影響によるものにして国防
  上重大問題なり」とし之が対策を協議の緒果、
   「此際」関係当局に進言し同組合の社大党支持の取消又は解散赤
   軍求すること」
 に決し翌三十一日同党幹部三名は、陸相、憲兵司令官、造廠長官身
 歴訪前記主旨の進言書を揖出之が善処方要望に関し陳情せり。
 同党仙台支部に於ては、左翼団体の人民戦線運動排撃の為には岩
 翼団体の統一を計らざるぺからずとなし、八月十日愛国団体の合同
 促進を強調せる印刷物を党員及友誼団体方面に配布せり。
 他 国民協会々長赤松克麿は、人民戦線運動に対し一般に軽視しあ
 るは憂ふべき傾向なりとし、九月十六日「人民戦線打倒論」と題L
 人戦運動の徴底的撲滅を強調せるパンフレット一万部を作成し陸、
 海軍官街右翼団体方面に配布すると共に市井に販売せり。
 求@愛国労働組合全国懇話会に放ては、九月二十七日東京芝浦会館
 に於て第一回全国大会を開催せるが、宣言中に「我国に於ては労働
 運動自体が欧米模倣主義に堕し之等組合幹部たる共産主義者社会静
 主々義者一部自由主義者等は最近人民戦線運動に狂奔しっ1ある壮
 況にして、吾等は斯る非国家的思想を排撃し日本滞神の昂揚に努め
 ざる可からず」と強調せり。
 求@三六倶楽部小林大佐を中心に結成せられ会員約二万五千全国的
 に組織を有する愛国労働農民同志金に於ては、十月四日川口市に放
 て第一回全国大会を開催せるが「人民戦線の徹底的排撃」を強調せ
 hソO
 m 在東京皇道日報社(元進め)は、十一月十二日発行「貞道□
 報」「邪教的匪昧的スペイン政府倒る」と題し人民戦線運動を排撃
 し、軍部の軍工場従業員労働組合加入禁止は不徹底なりと、軍需工

 場等にも及ぼすぺきを主張せる記事を弗載し各地軍隊共催に醍布せ
 hソ○
 ●新潟地方
 m 新潟皇国農民聯盟に放ては八月七日常任委員会開催の席上人戦′
 運動撲滅に就き「人民戦線運動は国際共産党の指令下に極左団体が■
 偽装して反日本主義運動を強化せんとするものなれば之を本質的に
 暴蕗し国家的立場より積極的に闘争すること」を協議し、更に九月
 四日緊急常任理事会に於て、人戦運動及反国体思想団体の即時解散
 に関する要請書提出を決議九月七日首相也陸海内相宛発送せり。
 似 同聯盟北蒲原郡支部聯合会に於ては八月十六日会長柄沢利清以
 下十一名会合、東京市電気局より金子忠孝を招碍し支部長会議を開
 催人民戦線撲滅の件外五件を満場一致可決せるが、人民戦線撲滅に
 関し「吾等は全国の愛国団体と掟携して人民戦線運動を根底より撲
 滅費除すぺき必要あり、而して之が対策として人民戦線撲滅の声明
 書を発表すると共に、全愛国団体にも同様声明書の発表方を懲憑し、
 且演説会、講演会を開催全国的に撲滅運動を展開し、更にポスター
 印刷物を発行全国に郵送すぺきなり」と決定せり。
 仰 皇国農民聯盟一帯二郡支部聯合会に於ては、九月十五日聯合会
 事務所に第五回役員全体会議を開催、幹部十一名集合
  「人民戦線撲滅に関する件」及
  「組織拡大強化に関する件」其他
 を審議可決せり。
 仰 皇国農民聯盟北蒲原郡支部聯合会に於ては、九月十五日事務所
 に支部長会議を開催
1a  (イ) 人民戦線運動撲滅に関する件
  (ロ) 組織拡大方針に関する件其他
 を審議可決せり。
 求@皇国農民聯盟西蒲原郡支部聯合会に於ては、九月十入日事務所
 に常任理事会を開催
  (イ) 人民戦線撲滅運動に関する件
  (ロ) 組織拡大強化に関する件其他
 を審議可決せり。
 求@在若松市皇道維新会に於ては、現下我国思想的危急の秋に当り
 青年の人格を酒養し人民戦線運動を撃破し以て神洲の正気を天下に
 宣布すぺきなりとし、九月十六日若松市に於て貞道維新会青年部を
 結成せり。
 ●名古屋地方
 m 在盲名産大日本忠孝労働組合に於ては、九月四日「忠孝ニュー
 ス」第七号に「人民戦線を糾弾せょ」と題し人民戦線の正体は共産
 主義運動なりと排撃せる記事を掲載し、組合員其他に配布せり。
  似 在名盲星正剣社に於ては九月一日附「正剣」九月号に人民戦線
 運動に対する国民の覚醒を促したる記事を掲載し、第三師団管下各
 部隊改造満部隊及在郷軍人分会其他友誼団体宛配布せる外、九月十
 日附轢関紙に「亡国的人民戦線を撃破せょ恐るぺき彼等の反軍運
 動」と題し人戦運動の正体を暴露し、之が撲滅を強調せる記事を掲
  げ、二千部を発行各地軍隊官街学校其他友誼団体等に配布せり。
  梶@在名古屋市、名潜維新倶楽部に於ては、九月二十日人民戦線排
  細野の声明書二千部を作製倶楽部貞及各地友誼団体宛配布せり。
 仰 国民協会名古屋特別支部に於ては、人戦運動は国際共産党の指
 令に基く反軍運動にして、我国体を毒するものなりとし、九月二十
 八日排撃スローガンを掲げたるビラ二千枚を作成名古屋全市内に胎
 教布せり。
 求@在名古屋大日本郷軍同志会同盟に於ては、十月二日『一君万民
 の国体を破壊せんとする人民戦線の絶滅を期す』と題する、人戦運
 動排撃のニュース五官部を作製会員故各地団体に発送せり。
 ●京都方面
 m 洛北青年同盟執行委員長中川裕は、九月三日事務所に純正日本
 主義団体共同闘争協議会常任委員会を開催協議の上「人民戦線を絶
 対排撃すると共に之に名を潜り維新戦線逆転化の策謀を粉砕せょ」
 と題する印刷物を作製し全国友誼団体宛発送せり。
 似 明倫会京都支部書記長福井憲売主幹の碓誌「京都公論」社は、
 同誌十月号に『人民戦線の繊減提唱而して守れ祖国を!』の題下に
 人戦運動排撃を強調せる記事を掲載せり。
 ●大阪地方
 m 八月二十五日大阪に於て結成せる関西皇国労農協議会(皇国農
 民同盟愛国労働組合全国懇話会近畿地方委員会を主体とせるもの)
 に於ては、結成当日の議案中に「人民戦線粉砕の件」を上提可決し
 宣言中に於て、「乗組織労働者農民を組織化し皇国労働者農民の正
 しき思想統一を完成する事に依つて、亡国人民戦線を撃滅せん事を
 期す」と其運動方針を明示せり。
 似 新日本海員組合に於ては、九月三日評議委員会を開催席上緊急
 動議として「人民戦線運動排撃」 にh閑し決丑喝文▲牢作成し之を九月十
 三日大阪市に放て開催予定の愛国労働組合全廃懇話会に凍議し、全
 国的反対運動を捲き起す可く企図せり。
 仰 大日本生産党関西本部に於ては、九月十八日全国友誼団体宛
 「人民戦線撃滅及皇民戦線確立其他」のポスター盤政文を郵送せり。
 糊 新日本海員組合大阪支部に於ては、十一月初旬『人民戦線排撃
 宣言』と題し、
   『日本主義に依り全労働戦線を統一し、以て一大国民運動を開
  始せんとするに当り、此の運動を阻止せんとする者は其の何者
  たるを問はず非国民と認め、我等の持つ一切のカを動員し断乎
  抗争する意思なる事を明確にし、人民戦線撃滅の一大闘争を展
   開せょ』
 と人民戦線排撃を強調せる印刷物を各師団司令部其他右翼団体等に
 配布せり。
 ●岡山方面
 中国神武会員岡本岩松は維新政党地方準備会結成を企図し、九月
 二十二日同人主催の下に岡山市に於て演読会を開催せるが、弁士は
 人民戦線打倒皇民戦線確立改対支庸懲等を強調、聴衆約三宮名に相
 当の感動を与へたり。
 ●広島地方
 広島興国同志会幹事(退役大尉)松蒲保次郎は予ねて人民戦線運
 動の排撃を企図しありたる処、偶々在京三六社の「人民戦線の概況」
 と題する印刷物の記事に共鳴し、同社より三富部の郵送を受け之に、
 排撃強調の印刷物を附し、八月二十四日第五師管内郷軍人分会に配
 布せり。

 ●九州地方
 日本産業軍支部に於ては、九月十九日福岡市に於て第一回全九州
 聯合協議会を開催長崎、福岡、佐賀各県会貞約四十名来賓として神
 兵隊関係者十数名出席の下に「人民戦線撲滅」其他数項を審議可決
 せり。


      二 右翼田体其他の対支鷹懲運動

 支部に於て発生せる数次の排日、侮日、抗日のテロ事件に対し右
 翼団体に於ては当局に対し、自主的積極外交武力解決鞭撞の決議文
 提出、故国民的輿論喚起運動及直接進言書等を蒋介石、駐日支那大
 使、領事等に送付或は之等に面接せんとする等活撥なる対支庸懲運
 動を敢行せり、其の状況次の如し
 ●東京地方
 仙 明倫会に於ては九月三日理事会を開催し田中大将以下各理事出
 席決議をなし、首相改陸、海、外各相に手交当局を激励、次で九月
 二十六日本部に於て緊急理事会を開催石光中将以下十七名参集頻発
 せる排日抗日テロ事件に対し強硬態度を以て之が絶滅を期すぺしと
 の決議文を作成、首相、陸、海、外各相に進言し各地支部及在京愛
 国団体に配布すると共に各新聞社に発表せり。
 同会横浜支部に於ては十一月二十二旦戸部分会結成式に於て緊急
 動議として
  今次の所謂按遠問題は単に支那軍閥の抗争に基く内乱として軽
 視すぺきものに非ず、我国は此際積極的に内蒙を支援し大陸政策
1b   を遂行すぺきなり吾々は政府の消極的態度を鞭撞するの要あり.
  とし蒙古軍支援の決議をなし首相、外相、陸、海相宛郵送せり。
  似 勤王聯盟外十七団体代表十四名は九月七日陸軍省を訪問決議文
  を繰出す。
  仰 大日本生産党に於ては九月七日陸、海、外各相を訪問し抜本塞
  源的強硬態度を進言し駐日支那大使に抗議文を繰出せり。
  仰 建国会外十ケ田体代表者十二名は駐日支那大使に面会を求めた
  るも拒絶さる。
  求@新日本国民同盟に於て九月八日各支部に対し当局宛決議郵送方
  指令し代表者五名は首相也陸、海、外相に決議文を捷出し、十月二
  日附日支問題は皇国興亡浄沈の岐る1重大問題なりとし『急迫せる
  日支問題に対し何時にても即時善処活動し得る如く準備対策を講ず
  ぺし』との通達を全国各地支部宛発送し、更に十月十日『日支問題
  の将来を過誤なく判断する為には抗日人民戦線の動向及中国共産党
  の活躍址其新政策に関する実情を認識すること肝要なり』とて之が
  情勢を繰祝し対支問題の輿論喚起を要望せる通達を各支部に発送せ
   hソ0
  求@在東京愛国新聞社に於ては九月十八日附「愛国新聞」を発行各
  地に配布したるが同紙上には、
    「軍部果して健在か」
  と題し成都事件の状況を報道すると共に同事件に対する我当局の緩
  漫政策を論難し武力鮮決を要望軍部を鞭捷せる記事を掲載したり。
  仰 在京右翼団体青年有志二十九名は九月二十九日懇談会を開催、
  対壷に一関し意見を交換の結果『断乎強硬手段を以て禍根を絶滅
 せざる限り内閣倒壊の外なし』との要請書を首相、外、陸、海各相
 に提出すると共に駐日支那大使及東京朝日新聞社に捷出する事に決
 し、翌三十日代表九名は各々訪問の上提出せり。
 梶@経国聯盟に於ては九月三十日対支問題座談会を開催し、一条公
 爵外三十六名出席の上『政府は碍躇する事なく断乎たる決意を以て
 之が解決に当らざる可からず、之が為には実力の発動も亦己むを得
 ざる可し』等の意見を開陳せり。
 梶@在東京血戦社代表大庭一は日支問題に憤起し『此際一般国民の
 輿論を喚起し現政府を鞭捷し強硬外交に依り国辱を雪ぐの要あり』
 とし、征支国民大会の開催を企図し、皇国血戦団本部名義にて十月
 五日之が趣旨書を首相、陸、海、外各相其他に配布する一方、在郷
 将官方面にも運動し征支国民大会の開催を計画せしが、頭山派に於
 て右大会の開催は広田内閣倒壊の動因となる惧れありとの反対意見
 あり。加ふるに資金難等の為め大会開催は不可能となれり。
 戟@対支問題の解決遷延に関し十月十五日在京右翼団体の
   黒 竜 会  生 産 党  政 教 社
   飴 鳴 荘  洗 心 荘  内外更姶倶楽部
   建 国 会  兵日本建設同盟  白 玉 社
   愛 国 社  国粋大衆党  勤 王 聯 盟
 等の代表者十六名は会合意見交換の結果、
   『対支問題の円満解決は理想とするも最近の如く悪化せる日支
   問題は従来我当局の採り来れるが如き姑息不徹底なる外交方針
   にては益々支那国民の排日侮日の気風を醸成するものなり。故
   に吾々は国民の輿論を喚起し当局を鞭揺するを要す。』
 との意見、致し対外硬各派同志会を結成し、東京市内各所に於て講
 演会開催を計画せり。
 [ 大日本国粋会総本部に於ては、最近に放ける支那事件に対し静
 観的態度を採り来りたるが、各支部より会の態度表明方要望し来る
 ものあるに鑑.み十月九日、
   「国民は静かに其の推移を注視し一旦必要に際しては挙国一致
  国威を発揚するに遺憾なきを期すぺし」
 と会員の自重を促したる通牒を各支部に発したり。
 伯 鶴鳴荘に於ては十一月十八日機関紙「鶴鳴荘」第三号に『陸軍
 パンフレットと陸軍々備の充実と其精神』と題し日支問題に対する
 当局の軟弱外交を攻撃し、皇軍充実の当面の目標は赤彦粉砕対支実
 力発動にありと武力解決を強調せる記事を掲載、二千部を発行全国
 右翼団体及関係方面に郵送頒布せり。
 戟@国体耗護聯合会関係右翼団体幹部十一名は十一月二十四日、支
 那問題懇談会を開催協議の上、
 1 対支外交を打切り暴支膚懲の軍を起すこと
 2 絞速問題に関しては防共の立場より内蒙自治軍を応援するこ
     と
 3 対蘇問題に対しては即時国交断絶すること
 を申合せ之が目的達成のため本会を「対外同志聯合会」と命名せり.
 ●新潟地方
m 在高田上越錦扶育年隊に於ては、戌都事件に関し本部の指令に
俵り九月十日幹部協議の結果首相、陸、海、外相に激勅決議文を発
送す.
 似 在新潟皇国農民聯盟北蒲原郡支部聯合金に於では、九月十五日
 事務所に於て支部長会議を開催「支那の俸日事件に対する軍部当局
 の強化要請に関する件」を協議決定し、即日陸、海、外相宛激勅電
 報を発したり。
 梶@在新潟、皇国農民聯盟西蒲原郡支部聯合会に放ては、九月十八
 日事務所に於て常任理事会を開催「支那の侮日一掃の為当局へ打電
 の件」を協議決定即日陸、海、外相宛激励電報を発したり。
 ●福井地方
 福井行地社に放ては、十月四日暴支暦懲国民大会竝に演説会を開
 催し『強硬政策を以て之に当り一切の抗日侮日行為を徹底的に根絶
 すぺし』との決議を為し陸、海、外、内各相に郵送せり。
 ●長野地方
 長野県東筑摩郡里山辺村に於ては、九月二十一日同村役場に村内
 有力者集合日支問題に関し協議の結果同村出身者北海派遣嵯峨艦長
 宮坂少佐外一名宛激励文を発送せり。
 ●静岡地方
 静岡中小商工聯盟に於ては、九月十八日満洲事変記念日を意義あ
 らしむぺく幹部八名会同記念座談会を開催当局の積極的対策要望を
 申合せたり。
 ●岐旦丁地方
 岐阜新聞社に於ては、九月二十八日対支問題時局講演会を開催し
 市民大会の名を以て、
   『支那現下の抗日的態度は到底外交々渉を以て終旭すぺきもの
  に非ず、我国は国家自衛権の上より宜しく実力を発動して彼の
1c   自覚を促し其の目的の達成を期すぺし』
 との決議を為し陸、海、外各相宛発送する事とせり。
 ●名古屋地方
 m 名古屋雑誌倶楽部に於ては、九月七日当局の実力発動を要望せ
 る決議文を首相竝に陸、海、外各相宛発送すると共に其他に配布す■
 似 在名古屋市正剣社は、九月十三日対支問題座談会を開催し市民
 有志大会の名を以て対支強硬外交の決議文を作製首相、陸、海、外
 相改出先官憲宛郵送せる外九月十日附機関紙に「暴支麿懲に徴底を
 期せょ」と題し、成都事件に関し政府鞭捷の記事を掲げ二千部を発
 行各地軍隊、官街学校其他友誼団体等に配布せり0
監照硝…m約粥は悶悶悶悶ほ謂洞議ほ
 首相、陸、海、外相宛郵送せり。
 ●京都地方
 ∽ 新日本国民同盟京都支部に於ては、九月五日評議会席上成都事
 件に対する態度に関し協議の結果自主的積極外交鞭撞の目的を以て
 決議文を首相蛙陸、海、外各相宛送付することに決し九月六日発送
 せり。
 似 国民協会京都特別支部に於ては、九月六日要請文を首相也陸、
 海、外相宛郵送す。
 ●大阪地方
 山 犬日本生産党関西本部に於ては、九月五日進言書を蒋介石及駐
 日大使竝に領事宛送付すると共に建白書を陸、海、外各相及川越大
 便宛発送したる外、暴支暦懲国民大会開催を計画せり0
 似 大毎記者今枝四郎等は成都事件に憤慨し、報道使命擁護聯盟を
 結成し九月六日大阪に於て国民大会竝に演説会を開催し暴支庸懲を
 強調す。
 伽 新日本国民同盟近畿協議会に於ては、九月六日決議文を首相故
 に陸、海、外相宛郵送す。
 梶@在碑戸日本主義協議会は、八月二十九日鹿神中国領事に対し成
 都事件に関し善処方決議文を手交す。
 求@大日本生産党関西本部に於ては、九月十日より大阪市内数ケ所
 に於て暴支贋懲演説会を開催輿論の喚起に努めたるが九月十九日大
 阪中央公会堂に於て、
  新日本国民同盟近畿協議会
   愛国政治同盟
   報道使命擁護聯盟
 等支援の下に暴支暦懲国民大会を開催、当局激助決議文を首相故外
 相宛発送すること1せり。
 求@和歌山市九月会に於ては、九月二十七日『当面の日支紛争を即
 時武力行使に依り解決すぺし』との意見書を作製し首相、睦、海、
 外相宛発送す。
 ●四国地方
 新日本国民同聯高知支部盟合会は、成都事件放電カ国営問題に対
 し本部の指令に依り幹部協議の上当局宛激励決議文を郵送す
 ●広島地方
 m 広島興国同志会松浦保次郎明倫会広島支部木谷裕寛の両名は、
 九月九日首相、陸、海、外相、郷軍本部、明倫会本部各地軍要新開
 社英他各地殉教勒建白書を発送せり。
 惚 福山市久魅園に於て、満洲事変記念祝賀市民大会開催席上緊急
 動議として、対支庸懲を要請せる決議文を首相、陸、海、各相、参
 謀次長、軍令部次長、支那駐屯、関南軍各司令官、貴衆両院議長宛
 発送り。
 ●九州地方
 m 大日本護国軍紀本部(小倉)に於ては、成都事件批判演説会を
 九月上旬開催せり。
 似 明倫会鹿児島県支部に於ては、対支問題に関し九月十四日幹部
 会を開催し川越駐支大使宛激励電報を発したり。
 伽 郷軍宮崎市聯合分会に於ては、上海郷軍宛十月上旬激励電報を
 発せり。
 ●台  湾
 在台湾皇政会外二団体は、九月三日夫々断乎たる処置を要望せる
 電報を首相故陸海外各相宛発送せり。

     三 右翼団体の電力国営反対に対する排
        撃運動

 電力国営問題に関する電気協会、仝産聯其他経済団体の反対運動
 に対し右翼田体方面に於ては、電力国営の実現は産業を振興し国民
大衆の福祉を増進する等極めて大なるものにして庶政刷新の先駆を
 なすものなりと国営案を支持し、反対論排撃運動を起し在京各田体
 は原則として過信省案を支持したり其の状況次の如し。
 m 日満経済調査局理事長三宮維信は、八月六日附「不合理なる電
 力国営反対運動を断乎排撃すぺし」と題する印刷物を発行し主とし
  て財界方面に配布せり。
 似 建国会に於ては、之が早期実現を期し輿論喚起の為め在京右翼
 団体の懇談会を提唱する外、軍部故逓信大臣に建白書を提出し、且
 っ本案に反対的態度に出である全国産業団体聯合会に警告書を発し
  たり。
 仰 大日本国家社会党に於ては、八月二十六日幹部会を開催「電力
 民有国営案の問題化を概に政府及資本家に勧告す」と題する声明書
 入十部を作成、同二十九日首相、遁、睦、海各大臣及全国産業団体
 聯合会政友誼団体其他関係方面宛発送せり。
 仙 在横浜国民協会、二月会、元政党解消聯盟を以て結成せる日本
 主義電力国営促進同盟に於ては、九月六日電力国営促進演説会を開
 催したるが、中途市民大会に変更し決議を可決関係大臣に陳情する
  こと1せり。
 求@新日本国民同盟東京府支部協議会に於ては、九月十三日指導者
 養成講習会を開催し、佐々井一見は電力国営問題に関し「電力事業
 は其の特質上営利会社の独占を許さず、国有国営の前捷として民有
 国営を支持する」旨の講述をなしたり。

      四 右翼穎体の郵船会社不敬事件糾弾運動

  大阪湾に於ける観艦式に際し十月二十五日御召艦神戸入港当時日
 本郵船会社所属船の国旗不掲揚問題其他に関し、在阪及各右翼団に
1d  於ては各々糾弾運動を行ひたるが、本闘争の目的は其の称ふる所に
  依れば旧海員組合の赤化、社会主義化せるものを駆逐し、戦時に於
  ける陸海軍の為めに極めて重要なる任務を負担すぺき一般蛙高級船
 員の思想を是正し、以て非常時に於ける基礎を確立せんとするに在
  り、其の状況次の如し。
  m 在東京純正維新共同青年隊結成準備会に於ては十一月十一日常
 任準備委員会を開催し、生産党青年部、愛国政治同盟維新青年隊、
 新日本国民同盟、新日本海員組合等の幹部会合協議の席上、郵船の
 不敬問題及日本海員組合の対日本主義組合態度に就き「不敬郵船糾
  弾、不逸日本海員組合撲滅の件」を凍議し、
  (一) 郵船会社へ。会社海務課長址不敬船舶九隻船長引費及社長
    の謹慎謝罪要求。
   (二) 内務省へ。旧海員組合の辟散要求。
  (三) 陸海軍省へ。国防的見地より旧海員組合の解散に努力せょ。
  との決議文を掘出する事に決定十一月十七日夫々手交せり。
  似 新日本国民同盟東京支部協議会に於ては、十一月十八日中央常
 任総務委員稗田兵三以下十一名訪問委員となり、郵船本社、内務省
 社会局、響保局、陸海軍省、首相官邸を訪問し各々前項同様の決議
  泣に要請書を提出せり。
  仰 在東京又新倶楽部に於ては十一月十四日幹部集合し協議の結果
 郵船の国旗不掲揚問題に関し、全国同憂の士に飛敬一大輿論を喚起
  し之が徹底的膚懲を期すると共に、取締当局の徴底的取締を要請す
  ぺく、十一月十六日日本郵船本社泣海、内、逓各省、右翼団体及関
  係各方面宛「日本郵船の反国家的盲動を暦慾す」と題する声明書を
 郵送せり。
 側 在阪、碑戸愛国青年聯盟、新日本国民同盟碑戸支部、郵船BC
 倶楽部、維新党準備会、関西皇国労農協議会等の右翼団体は、十一
 月六日新日本海員組合を中心として「不敬郵船問費委員会」を組織
 し、爾来同会の名の下に糾弾運動を行ふことに意見一致し、代表者
 五名は十一月十日神戸市長、兵庫県知事に糾弾陳情書を提出すると
 共に之を逓信大臣に郵送せり。
 求@問費委員会加盟団体たる関西皇国労農協議会にありては、十一
 月一日別途に大阪逓信局長宛、郵船糾弾要請書を捷出すると共に日
 本郵船会社々長に抗議書を手交せり。
 求@禅戸愛国青年聯盟に於ては「庸愁せょ国敗的日本郵船を〓」と
 印刷せるポスター約五官枚を阪神地方各要所に肪付せり。
 m 在神戸真心青年同盟本部に於ては十一月七日「再度の大不敬問
 題を惹起せし日本郵船会社糾弾の聖戦列に任するに当りて声明す」
 と題する糾弾声明書を印刷、各友誼団体に配布せり。
 求@大日本生産党関西本部に於ては党本部に要請し、日本郵船会社
 に対し警告文を発し間貴重貞会に加盟一丸となり糾弾庸懲を加へん
 とする意潜を有しありたり。
 梶@在東京、団体擁護海上同志会に於ては、日本郵船会社所属船不
 敬事件は、会社側の責任のみならず乗組船員の大部分を占むる旧海
 員組合の反国体的不達兇悪思恕に基因するものなりとし「海上赤鹿
 討滅に当り全国民の愛国心に訴ふ」との題下に郵船会社竝に日本海
 員組合を糾弾せる散文一万部を作成し、十一月十五日全国右翼垣体
 蛙に友誼団体宛発送せり。
 戟@大日本生産党に於ては十一月十二日夜専門部長会議を開催日太
 郵船会社不敬事件に関し協議の結果、新日本国民同盟、純正維新共
 同青年隊の運動に協力すぺく決定し、十一月二十四日代表者五名は
 郵船本社、逓信、海軍、内務省を訪問し、
 1 郵船本社に対しては速に謹慎謝罪の赤誠を表明すぺしとの抗
   議文
  2 関係省に対しては郵船当局に厳重警告を発すると共に日本海
   員組合の解散に努力方に関する要請書
 を手交せり。
 皿 新日本海員組合大阪支部を中心とし結成せる「不敬郵船詰問委
 員会大阪地区委員会」に於ては十一月十九日「市民に懲ふ鳴呼皇国
 の恥辱、錦旗に敬意を表さぬ非国民、空前の大不敬事件を発き、国
 賊日本郵船会社を膚懲せん」と題する傲文一万二千部を大阪市内要
 所に於て通行人に配布せり。
 ∽ 大日本生産党関西本部書記長及統制部長の両名は十一月十九日−
 日本郵船会社神戸支店長を訪問し、不敬行為を糾弾し其の反省を促
 したる勧告文を手交せるが、将来本問題に関し「不敬郵船詰問委員
 会」に合流糾弾運動を継続し徴底的糾弾をなす予定なり。
 戟@新日本海員組合に於ては日本郵船会社所属船箱崎丸が西班牙公
 使館より委託せられし 御真影を、ジブラルタル港より外務省に奉
 送するに当り、船長福田橘次郎は御真影は荷物扱となり居るを以て
 奉迎の理由なしと主張し敬礼を尽さゞりしも、機関長木坂良民等は
 全員整列奉迎すぺきを主張し税関部員のみ整列奉迎申上げたる由な
 るが、若し事壌とせば灘長の誹掬民的行為竝に日本郵船会社の数次
 に亙る不敬行為に鑑み、徹底的糾弾をなす必要ありと称し友誼団体
 の奮起を促したり。

     五 二・二六事件後の右翼運動の動向を
       窺知し得ぺき通信

 九月頃東京某右翼運動者が全国主要日本主義坪体、国家社会主義
団体関係者及学者等二宮名に対し通信を以て「刻下の時局を通観し
二・二六事件以後の愛国戦線は如何に前進すぺきか」に付意見を徹
したる処、現右翼運動の中心的存在と目せらるゝ四十一名より各意
見を郵送し来れり之等の意見を要約するに、
 一皇国真使命の了待と日本精神の透徹
 一尊王絶対生命奉還の大眼目を以て思想統一
 一感情功利を排して純正愛国運動戦線の統一
一愛国運動者の人格完成と党内維新を行ひ強尚なる田結完成
 一愛国運動の国民大衆との結合
 一国民生活充実安定を抱拝する一大国民運動の展開
 一政治改革と経済改革運動に邁進
 一日本主義政治経済の理論体系の確立
 一軍部の一体化、愛国団体化に俵る大同団結
一人民戦線の名に依る自由主義赤化主義思想の征服
 一現愛国団体の思想的内省の必要
 一職業的運動者の一掃
一帝悟生存権の主張なる資源再分配植民地再分割の強調
1e  一直接行動を排し合法的活動
  一累次不祥事件の帰趨を明にし維新の契枚大衆組織の基礎を作
     る0
 等の祝を為しあるも中には、
  一国豪革新の為民主々義者と提携し現状維持派の掃滅を期すぺ
   きなり(改造断行請願運動本部)
  一政治概構の大改革を行はんが為、愛国的政権の拡大強化を図
   り現存の政権粉砕に邁進(大日本生産党関西本部)
  一内閣は国政一新を叫ぶも只掛声のみ、尊皇倒幕の志士を小塚
   原の刑場に断頭した安政大獄の上には明治維新の暁が展開した
   愛国運動前進は神のみ知る(大日本錦旗会)
  一力は総てを解決し力は軍部を意味す、然し軍部は将校の軍部
   に非ず、其母体は労働者なり将来国民待望のカは此母体に俵り
   左右せらる1に至らん、一般大衆は漸次社会民主々義に統制せ
   られ日本主義的愛国戦線は寧ろ退嬰の傾向を辿るぺし(愛国労
   兵隊本部)
 等の如き相当注意すぺき意見を寄せたるものありたり。


      六 禅兵隊関係者検束取調状況

 (一)一般状況
  警視庁に於ては神兵隊関係者其他都下右翼急進分子の言動公安を
 零する虞ありと認め、陸軍特別大演習其他を考慮し行政執行法第一
 条に塞き九月二十二日午前五時を期し、神兵隊関係者安田鉄之助外
 五十三名を一斉に検束取調を為したるが、大体に於で不亀計画等な
 きこと判明したるを以て取調終了者より漸次釈放し、十月八日安田
 鉄之助、小池銀次郎を最後として全部釈放せり。
 (二) 綜合的陳述内容
  検束前に於ける言動中公安を害する虞ありと認めらる1に至りし
 件に関し綜合的陳述内容左の如し。
  九月五日東京市掟橋区戸塚町一ノ五〇八番地影山正治の主宰する
 維新寮「五ノ日」会に於て
  神兵隊関係者
  安田鉄之助  白 井 為 堆  影 山 正 治
  中 村  武  森 川 長 孝  小    重
   中野勝之助  白 坂  英  正  日 之
  其   他
  飯島与志堆  牧 野 晴 雄  影  八 雄
   大 和 正 俊  高 鍋 哲 夫  地  代 治
 等約二十名会合したる席上安田鉄之助は西班牙革命の性質故其歴史
 的経過を述ぺたる後継新原理を貌明し最後に、
   『自分は常に国体原理、国体事実を基礎として一切の判断をせ
   ょと力説するものである。世上概ね種々虚偽晴着を被せて真実
   の露出を妨害する傾あるも、神の思召は夫等の読動には関せず
   破壊に次ぐに破壊を仕向けられるのである。
   此の席に居る神兵隊の人々も其魂に日醒めて祖桓の真実の姿
   を疏現せんと企図したるものであるが、平素の特進が充分でな
   かつた為失敗に帰し誠に申訳なき仕儀となつた。
    然し未等には関せず事態は刻々として進み彼の二・二六事件
   が惹起するに至つたのである、之が最後であるとは中々断言出
   来ぬ、日本が皇国体の健なる姿となる迄永遠を志す碑の理念に
   依り動く事であらう。
   秩に自分は軍人出身であるから軍の精神軍の内容は知悉して
   居る、事件後軍当局は粛軍に努むると共に国体明敏庶政一新を
   要求し今日に至つたが、当の相手が依然たる呉下の旧阿蒙では
   如何にもならず此の状態では大なる犠牲を払つた軍の統御は出
  来ぬ。端的に言へば専き皇軍が国軍に堕した計りでなく閥族の
   私兵化したることは誰の貴任ぞやと寺内陸相に対し問責の企図
   計画を為すものあるは当然過ぎる事である。
   換言すれば勅諭に依つて教育せられたるものは勿論、将来教
  育せらる1者は続々として輩出し歪曲せられたる皇国体の現状
   を対象として皇国軍人の真実なる忠誠心を発揮するものである、
   乗れは私が予言して悍らぬ云々』
 と述ぺたるが、各出席者は之を主観的に解釈し他に漏したる為躾て
 は「デマ」となりたりもの1如くにして特に不穏計画の企図せられ
 あるを認め得ざる状況なり。
 (三) 本件に対する碑兵隊関係者等の態度
 仙 神兵隊関係者 前田虎堆 鈴木善一奥戸足首 影山正治 白
 井為雄 片岡駿 の六名は、十月十五六日警視庁特高部長、同第二
 課長、内務大臣、同保安課長を訪問『今回の検束取調は何等法的根
 拠を有せず愛国運動者に対する不当弾圧なり』と記載せる声明書を
 手交すると共に全国友誼団体宛郵送せり。
 惚 大日本生産党関西本部に於ては緊急理事会の決議に基き ∧幡
 博堂 佐藤尚政 奥戸足百 鮎沢俊雄 の四名は十月二十日党を代
 表し首相官邸、内務省及警視庁を訪問首相及内相秘書官、警視総監
 に面接し。
   『這般東京、大阪、山梨及北海道各庁府県に亙り行はれたる神
  兵隊員の一斉検束は、全右翼陣営に対する暴庄にして斯る処置
  は国憲国法を素し我が党の根本精碑を無視せるものにして、当
  局自ら国体国憲の明徽を妨害し所謂非合法的態度を強ふる覇道
  的態度と断ぜざるを得ざるなり』
 とて警察当局の処置を難語せる「抗議文」及『党員不法拘禁事件の
 真相』と題する印刷物を手交し、尚右翼陣営の輿論を喚起し将来の
 闘争に利用すべく該印刷物を全国友誼団体汝関係方面に郵送せり。
 仰 後歩兵中佐安田鉄之助は十月八日釈放後特異の行動を認めざる
 も左記言動を洩したり。
   『今回は大演習直前に於ける保釈出所中の碑兵隊貞一斉検束は
  内務省の指令に基き決行せられたるものにして、其原掬は元老
  重臣等の虎戌勢力が吾等神兵隊貞の解放的存在に恐怖を抱き隊
  員の保釈を取消し刑務所に収容せんとし資料蒐集に努めたる結
  果「神兵隊貞が窃に二・二六事件残党及右翼学生等を糾合し大
  演習を機としテロ行動に出でんとし前田虎雄は資金獲得に安田
  中佐は茨城県下の同志糾合に夫々暗躍中なり」との情報を内務
  省に密告したる為にして、之を更に探究すれば前田の資金獲得
   云々は前田は某財閥を訪問生活費提供方申出でたる事実あり、
  之が為該財閥関係者は農に三井財閥等が二・二六事件関係者に
1f  捷供せる金野が事件関係資金等となりたる等に鑑み、前田等が
   不穏計画資金に充当するにあらずやとの怖れを抱き之が他に洩
   れたること。
   又安田中佐茨城県下同志糾合云々は彙に八月初旬茨城県北相
  馬郡布川町在住元町長小池銀次郎方に到りたる際、県警察部の
  尾行刑事が日本精神とは如何と質問せる為懇々と説適したるに
  拘らず、却て彼等が上司に対し「安田が県下を歴訪し日本刀所
  持の有無、就中錆を生ずる日本刀所持者に対しては直に研ぎ置
  く様厳重注意し巡りたり」と捏造せる報告書を提出したること
   に起因せるものにして、此等の捏造的情報に基き敢て吾等の人
   権を揉摘したるものなり。
   今回の不当不法なる弾圧は来るぺき神兵隊事件大審院公判廷
   に於ける公判闘争資料を官憲自ら吾人に提供したるものなるを
  以て、日下同志一同が当局の不当弾圧に対し極度に恰慨し何等
  かの挙措に出でんとするを一時慰撫し、来るべき公判時に於て
  徹底的に闘争する決意を有しあり云々』


      七 主要右翼団体の動静

 ●大日本生産党
 山 犬日本生産党に於ては「尊皇絶対生命奉還」の絶対道を体現し
 昭和維新に翼賛することを指導原理として、相当清澄なる運動を続
 けあるが九月十日青年部行動目標として、
  二) 亡国資本主義刺を香定し一切の非日本的特権支配勢力と対

   立し兵日本創建のため断乎之が撃滅を期すること。
  (二) 純正維新青年運動の全国的統一に尽力し以て純正維新運動
   の主体勢力結成に貫献すること。
 竝に規約
  (一) 青年部は党の主義政綱政策を信奉し総裁委員長の指導下に
  在つて、尊王絶対生命奉還の大義に立脚し維新聖業翼賛の大道
   に教力邁進以て、党の最前衛部隊たらんとするものなり。
  (二) 本部は部員の皇魂琢磨と理論的深化肉体的鍛錬とに資せん
  がため随時研究会、座談会、討論会、行軍、野営等を行ふこと
   あり。
 等を作成党員汝関係方面に配布せり。
 似 同党労働部は社大党の労働組合法制定に関する請願運動計画策
 に対し『社会局に於ては立案に際し組合結社の指導精神は純正日本
 主義を条件とし其の資格を厳重審査の上認可制となす様』九月中内
 務大臣泣社会局長官に進言せり。
 梶@同党関東本部に於ては九月二十二日一斉検挙せられた神兵隊事
 件関係者は十月八日全部釈放せられたを概会に、十月十二日常任委
 員十六名会合、緊急理事会を開催し検束問題を中心に協義し。
  (一) 不法拘禁に対する抗議文手交の件
  (二) 毎月一回定期演説会開催の件
  (三) 決議事項に関し総本部鞭撞の件
 を決定し、不当検束に関しては代表者前田虎雄以下六名は十月十五
 日警視庁を、十六日内務省を訪問抗議すると共に全国各支部に対し
 同様弾圧の有無を調査報告方指令せり。
 軸 大日本生産党中央委員永官以徳の主宰する『維新戦旗』は、二・
 ニ六事件後の厳重なる取蹄のため一時発行停頓の状態に陥りありた
 るが、最近に於ける社会情勢に即する運動促進の為『維新運動』と
 改題し、十月五日附創刊号約一千四古部を発行全国右栗田体宛発送
 せり。
 ●新日本国民同盟
 m 新日本国民同盟東京府支部協議会に於ては十一月一日代表者会
 議を開催し議案
 (一) 運動方針決定の件
 (二) 暴支膚懲に関する件
 (三) 大衆課税絶対反対に関する件
 (四) 電力国営に関する件
 (五) 行政概構改革促進に関する件
 (六) 市政刷新に関する件
 (七) 広田内閣打倒に関する件
 を審議し緊急動議として『目下神奈川県鶴見に於ける大日本生産党
指導の帝国磯城株式会社争議援助激励の件』を満場一致決定し各自
醸金と激励文を送ることゝせるが、本事例の如きは同盟が二・二六
事件後に於ける運動方針の転換即大衆獲得を企図しある一事例なり∧
 似 新日本国民同盟に於ては十二月十七日附通達を以て「対支対蘇
関係を中心とする極東情勢の重大性に関する件」と題し西安事件に
 ょる支那問題の重要健也に日蘇国交に就き詳述し、日蘇国交打開の
第一条件は広田内閣を打倒し強力政権樹立に在りと強調せる記事を
掲載し全国各支部其他に郵送せり。
 ●三六倶楽部
  右倶楽部に於ては二・二六事件に関し幹部小林大佐、四王天中将l
 松本少将、野田大佐、伊藤大尉等は叛乱射助として事件送致せられ
 たるが、九月十九日全部不起訴釈放せらる1や、九月二十一日全国
 関係団体宛『二・二六事件に際し倶楽部貞が恰かも事件に関係しあ
 るが如く、一般に宣伝せられありしが九月一日改めて当局より無関
 係なる旨公式に申渡され青天白日となりしを以て之が認識是正に努
 められ度し』との釈明通信文を発送せるが、同倶楽部は二月事件の
 影響と帝国在郷軍人会よりの排撃を受け在郷軍人たる地方会員は萎
 縮状態にありて各幹部は之が対策に腐心中なるが結局在郷軍人の会
 員は現状を維持するに困難なる状態となり、最近は愛国労働団体及
 農民団体方面に働き掛け益々之が拡大の傾向を示し全国の在郷軍人l
 愛国労働組合、農民組合等に組織網を有するに至り之を以て維新運
 動の新勢力たらしめんとしあり。
  而して現在は組織時代なりと称し専ら組織拡大に没頭し、一面在
 郷軍人会官制化せられたるも、在郷軍人個人の政治運動思想運動に
 は何等変化なしとして此旨機関紙及倶楽部資料等に掲載し会員其他
 多数に配布し宣伝に努めつ1あり。
 小林大佐が本倶楽部代表として橋本大佐、江藤少将と計り嬢唱中
 なりし、時局脇議会は小林、建川両中将井田磐楠等を客員とし日本
 主義団体の達路概関として十二月二十一日総会を開催したるが、漸
 次三六倶楽部を中心に大部の右翼団体は統合するに至るの気運にあ
 り(其の詳細は統一運動の項を参照)。
 ●明 倫 会
20  明倫会は昭和八年五月陸軍大将田中国重、同中将奥乎俊蔵等一部
 在郷将官、知名士等に依り創立せられ、其後順調なる発展を遂げ現
 在全国に七十四支部、九十四支部準備会を有するに至りたるが、
 二・二六事件前情勢漸次急迫を告ぐるや田中大将、徳川義親侯、石
 原広一郎等は之が対策に没頭せるも結局何等の効果をも収め得ず、
 理事斎藤少将は栗原中尉等と連終革新運動に援助を与へ来りしが、
 十一年二月二十日栗原中尉より直接行動を起す資金調達方の依顧を
 受け石原広一郎より支出せる金一千円を同少将を経て叛乱将校栗原
 中尉に手交し、次で二月二十六日栗原中尉より「只今威起せしに付
 き速かに出馬し軍上層部に折衝の上事態収拾に努力せられ度き旨」
 の懇請を受くるや急遽首相官邸に赴き叛乱者に対し慰問の言を発し
 之を激励し、更に陸相官邸に到り大臣に対し叛乱将校の主張及終局
 の目的を活かす如く臨概徹底的に処置せられ度旨進言し、又陸軍次
 官に対し叛乱将校の決意を告げ、更に彼等は維新の曙光を見る迄は
 断じて現位置を撒せず所謂惟神の政治を要望し居る旨を力説して其
 の善処方を要請し、又翠一十七日首相官邸に於て坂乱将校数名と面
 談し、其際栗原に行動資金として現金官円を供与し、同人より昭和
 維新促進の為め叛乱部隊を成る可く首相官邸附近に集結せしむる様
 戎蕨司令官に交渉方の依頼を受け之を戒厳司令官に進言する等親乱
 行為を支援し之に利益を与へたる為め斎藤少将は坂乱を利する罪を
 以で収容せられ(十二年一月十入日陸軍刑法第三十条第二十九条に
 依り禁鋼五年に処せらる〕之等諸般の事情の為め殆んど活動なかり
  しが、安部各地の邦人虐殺事件勃発するや、当局の軟弱なる態度を
  黙し得ずとて対支方策を協議し要地の保障占領を断行すぺき決議を
 為し当局を鞭捷激励し、更に又十一月議会制度改革に対する軍部の
 意志即ち国体の本義に基く我国独特の立憲政治の確立を期すぺく決
 議を為し之が実現を当局に要望せり。
 尚不清澄なりし青年部の確立強化を図り学生の根本教育、農村青
 年の根本訓練に努むぺく対策を協議し、中山少将を中心に具体策に
 出づる予定なり。
 然れ共本会創立以来運動資金の負担者たる理事石原広一郎は事件
 以来心境の変化より右翼運動より手を引き自己清算を為すぺく、十
一月十日田中総裁に辞表を提出すると共に従来出資しありたる同会
 維持運動資金(毎月三千円内外)の供与を断りたる為め幹部は会内
 の動揺を慮り石原の辞任を砿し善後策考究中なりしが、石原及総務
 井上勝好の辞任問題流布せらるゝや同会が鉾散せるが如き誤報を新
 聞紙上に報道せられたる為め全国各地支部分会等の動揺を憂慮し、
 十二月十五日鰐散説等の浄説に惑はさる1事なく益々結束を輩固に
 し志気を振作して目的の貫徹に尽捧せられ度き旨の通達を全国支部
 分会其他関係方面に郵送せり。
 ●愛国政治同盟の鮮体
 m 同盟荒川支部に放ては支部長君島茂が七月三日陸軍大臣宛相沢
 中佐の上告棄却に反対し、「若し死刑にしたる時は二箇年内に00
 及重臣を必ず暗殺し内乱勃発する事確実なり」との不敬不穏の投書
 を為したる事発覚不敬罪として検挙せられ、且脱退者も砂なからざ
 る為め八月十六日役員会を開催解散に決定自然解消の方法を採る事
 とせり。
 似 維新青年隊九州聯合支隊結成
  雪掬政治同盟小倉支部主動に係る首題支隊結盟準備会に於ては、
 九月十八日満洲事変記念日を卜し隊長佐々木武雄の西下を得て同日
 小倉市県社八坂神社に於て二十余名出席結盟式を挙行、席上佐々木
 隊長の指名に依り支隊長菊池勇外役員の任命あり更に隊曹、隊律、
 隊則宣言を原案通り可決終了せり。
 伽 愛国政治同盟に於ては、本年二月総務委員長小池四郎の衆議院
 議員落選後全く財政的に行詰り、且異体同心の関係を有し組織実体
 たる日本産業軍との感情的遊離に依り漸次運動不振の状態に陥りつ
 っぁりたる処、偶々三河島支部貞の不敬事件惹起し幹部は総辞職せ
 る為部内は不統制に陥り有力幹部離反し活動不能となりたる為、十
 月三十日幹部協議の結果十一月二十日明治神宮に参拝解散の声明を
 為すことに決定せり。
 然れども同盟の実権を握りある前稔務委員長小池四郎は、関西址
 福岡地方を巡歴せる処各地支部員中解消は当分保留するを可とする
 旨進言する者多き為、之を容れ帰京後幹部会に解消保留方建議すぺ
 き意潜を有しありしが、十一月三十日幹部小池四郎以下八名明治神
 宮に参拝辟体式を挙行し、「新政党結成を促進せしむる発展的目的
 の下に組織を解体し大目的達成に邁進する」旨の宣言を発表せり0
 尚本同盟の解散は解体宣言に「全国的単一新政党結成の為因縁の
 旧衣を脱ぎ棄てることが現下の急務であると信じ他に先んじて解体
 する云々と」述ぺあり。
 梶@愛国政治同盟辞体後の各地支部の情勢
 愛国政治同盟の鰐体に対し、福岡県支部聯合会中従来同盟の総務
 委員長小池四郎を支持しありたる小倉、門司、各支部は解体し同盟
 総務委員今村等を支持しありたる田川、∧幡、糟屋支部は存続する
 ことに決し県聯合会を愛政福岡県本部と改称せり。
 長崎県支部聯合会に於ては、全国的維新党の結成実現を見る迄は
 之を存続し地方的単一団体として活動することに決し愛政長崎県本
 部と改称せるが、本同盟解体に伴ひ小池四郎一派は将来橋本大佐皇
 宰の大日本青年党に参画せんとする意図あるに反し、日本産菜軍関
 係者今村等は小林順一郎の指導下に走らんとしあるもの1如し0
 ●農民生活擁護聯盟
.右聯盟に於ては九月二十七日目黒区中根町一入四一委員長予歩大
 尉長野朗宅に於て、
  茨 城 県 弓野征矢太  金子徳三郎
         菊池喜代太
 長野朗(予乱撃大尉)   浜 勇 治
  静 岡 県 永田信四郎  萩 田 新 作
        西 具 至 弘  北  栄 一
  千 葉 県 鈴 木 捗一 原  正 利
        伊 藤 像 正  庄 司 清 治
         山 口 進 平
  福 島 県 桑原美津堆
  東京王子区 菊 池 三 郎
  中 野 区 川 崎 本 蔵
  権藤戌卿方 船田久万青  松 沢 保 和
等十九名集会時局に対する座談会を開催長野委員長より支那の抗日
状況及極東情勢が一触即発状態にあることを説明し之に対する広田
21 内閣の無能を攻撃したる後左の如く電力国営問題、増税問題、人民
 戦線統一問題等に関し意見交換を為したり。
  (長野朗) 今日取締が敢重で何事も出釆ず又議会陳情等は何等効
   果なく今後は自分の生活を護る事が賢明な策でそうして居る内
   に国民の輿論が起つて来るものである。次に電力国営に対する
   地方の意見を承りたし。
  (静岡代表永田) 電力国営となりても国民の負担は減らず、自分
   の方では水は充分あるから発電所を作り充分自給自足が出来電
   気会社が自分の村に電燈施設する際料金を取るのは良いが強制
   的にヲヂオを引かせて居る事実があるも其処にインチキが多分
    にある事と思はる。
  (千葉県鈴木) 増税に対する御意見を承り度し。
  (長野朗) 結局大衆課税である、少しは金持に出させるらしきが
   蔵相は結局物価を釣り上げ消費国民の経済方面は少しも考慮せ
   ず、目下農民は自分の作りし米は食せず二年後に政府米の払下
   を受け居るが之等は相当研究すぺき問題なり。
  (静岡県永田) 地方的に農民は産業組合なり何なりに依つて自治
   的に米を貯蔵し土地米を食ぺる如き方法を考ふぺき事と息ふ、
   近頃叫ばれて居る人民戦線とは如何なる事か。
  (松沢保和、「権藤方」) 国民戦線所謂仏蘭西に於ける挙国一致に
   対抗して生れたものが即ち人民戦線なるが、仏国に於ては社大
   党も之に参加しあるが社大党は恰度日本で云へば政友民政位に
    て過激なるものなきも国民戦線所謂ファッショに対抗する為に
    今迄・王轟を異にせる者が皆な統一されたものなり。
  (永田) 樺藤先生の出版せる「制度研究」の如きものは最も我々
   忙必要にて非常に有難く思ひ居るが、時事問題の解説各地の情
   勢政策の正解と云ふ如き新聞又はパンフレットを出し地方農村
   の連絡税関として前の農村新開の如きものを発行され度し。
  (長野朗) 希望意見として聞くが経費其他時節柄相当困難を伴ふ
   を以て研究すぺし。
 ●立憲養正会の動静.
  立憲養正会に於ては会員百二十五万獲得を目標に本春以来総裁田
 中沢二は各地を巡歴幹部を激励する一方、講習会を開催闘士の資督
 向上に努め来れるが、最近約七十九万へ内在郷軍人九万二千) の会
 員を獲得し得たりと称し、八月十七日全国支部宛激励文竝に会員某
 集成績表等を郵送せり。
  同会事務局長原利重は「軍の特異性たる尊皇至誠の精神も次第に
 技術的能力倍重主義化し、之を清算せざる限り軍事予算を如何程合
 捕るも国防の完備は不可能なり。又陸相は軍内一部不純勢力の伐偶
 となり有為の人物を投獄或は待命となしたるが、斯の如き粛軍政態
 は自由主義共産主義を勃興せしめるものなり」との言辞を洩せり。
 ●直心道場
  右道場西郷隆秀は鹿児島市に墓参の途次八月九日小倉市大日本護
 国軍を訪問木本栄に対し「昭和維新実施案」と現し
  m 内閣制度案
  似 地方行政の改正案
  櫛 議会制度案
   求@学制改革案

  求@経済更生案
 等を記述せる印刷物を手交せるが、該印刷物には特に不穏の内容な
 きも、取締の厳重化するに伴ひ這種印刷物は今後右翼分子相互間に
 於て、直接極砿裡に手交せらる1に非らざるやと思料せらる。
 塾長大森一声は八月中は京都、大阪、名古屋方面の右栗田体同志
 に連勝の為西下、帰京後何事か策動しあるもの1如く連日外出しあ
 るが、本団体は北海道、青森、若松、静岡、清水、浜松、名音量、
 九州等全国℃点在する元核心社関係団体とは引続き密接なる連絡を
 有しあり、尚大森は国家革新運働の動向に関し『今後の運動は粛軍
 の犠牲となりたる一部将校の「ブロック」及之に糾合せる浪人の手
 に移るぺく、今や之等陸海軍将校間に漸く「プロツタ」形成の気運
 あるを窺はれ純正日本主義国家革新運動は一段と飛躍進展するなら
 ん』と捜しあり、其後大森は十月十三日富山県伏木愛国青年同盟に
 招碑せられ時局座談会を開催せるが、席上彼は人民戦線運動に付
 「人民戦線運動の根源を排除すぺきなり」と力説せるが、大森は近
 時各所に於て「人民戦線運動が起るが無理か、人民戦線運動を起さ
 しめるが如き現国家撥構が無理か、吾人は此点に関し深く考慮せざ
 る可からず」との論法を以て国家改造を説きあり、直心道場一派と
 密接なる達路を有する純正日本主義団体共同闘争協議会の人戦排撃
 運動の香定と共に注意を要するものなり。
 ●政党解消聯盟
 政党解消聯盟に於ては近時著しく国家革新運動を強調し会員獲得
 に奔走中なるが、九月一日機関紙「昭和維新」に『広田内閣は資本
 主義の頭絆を脱することが出来ず寧ろ之等の奴隷となりあり』等と

 広田内閣を誹誘し昭和維新の必至革新気運の経醸を強調したり¢
 ●維 新 会
 維新会機関紙「維新」は創刊以来廣々発禁処分に附せられ居たる
 が、本年八月号は其の内容矯激なるため八月三日発禁処分に附せら▼
 れ発行前金部を差押へられたるに不拘、更に一千部を印刷し全国争
 右翼団体等に対し常に頒布したること発覚、同誌の締輯兼印刷人維
 新会常任中央委員田中近蔵外関係者八名は警視庁に検挙、九月四日
 東京刑事地方裁判所に送致せられ審理中の処十月二十八日印刷人田
 中近蔵は懲役六月を求刑せられ他は何れも釈放せられたるが「維
 新」十月号は謄写版にて印刷十月二十一日各方面に配布し、更に十
一月二十日附十一月号を発行内容に植村中将の漬職事件を取扱ひ軍
 人の忠誠心を庚ふが如き記事ありて十二月二日発禁処分に附せられ
 た、り。、
 尚『維新』八月号〔他に平凡社発行の「維新」なる一般理論雑誌
 あり〕は二・二六事件以来初めて見る悪質の軍部誹誘記事を記載せ
 り、本誌は将来引続き注意を要するも今回の打撃により大なる発展
 は為し得ざるものと認めらる畑
 ●黒竜会本部の移転
 黒竜会本部に於ては会長内田良平方を本部としありたる処、内田
 の債務不履行に依り強制執行を受け家屋明渡を命ぜられたるため、
 十月二十六日内田の住居と共に本部を東京市世田谷区世田谷町一ノ
 九七八に移転せるが、本事例は右翼団体に於ける資金欠乏状況を示
 すものなり。
 ●日本国民軍
22   在東京已本国民軍は昭和七年創立昭和維新の大業翼成と皇適宜布
  を標樺し国家改造運動を為し来りたるが、最近行政機構改革等の問
  題論議せらる1に至りたるに刺戦せられ十月二十六日「国家改造計
  画大網」(昨年七月発行せるもの)を関係方面に配布すると共に統
  制部長四宮六郎は「最近に於ける日支問題の険悪化は日満支の外交
  を破壊し東洋平和の危概を招来するを以て皇道宣布の必要あり」と
  し現地実情を調査し対策樹立の資料たらしめむと称し十一月六日渡
  満せるが、十二月十八日緊急御相談と題し
     『本軍の主張して来た国家改造の目的が、只今やつと全面的に
    表面化して来しまたので、言はゞ本軍の「トップ」を切つた主
    張が容れられましたので、本軍の思想的精神の役割は其の目的
    を遂行したものであると信じます云々』
  と鰐散に対する意見を間ひたる印刷物を各支部其他関係方面に郵送
   せり。
   ●皇道義盟
   在久留米市皇道義盟に於ては九月十六日「国防時報」創刊号第一
  千部を印刷九月十八日軍部在郷軍人、学校方面泣皇道義盟関係者宛
  発送せるが、該時報には資本主義の日本精神と相容れざる所以、電
  力国営の必要性、軍事予算に関する反軍策動排撃、清洲移民の必要
  等を強調しあり。
  ●全日本護国聯盟
   在北海道、元金日本護国聯盟の外廓団体たる護国日本社に於ては、
   従来の撥閑紡「護国日本」を「北海国民」と改題すると共に名称も
   北海国虎社と改耕し、十月四日「北海国民」第六十二号釣一千都を
 作製、全国友誼団体宛発送せるが、内容に軍部誹誘の記事あり.
  尚全日本護国聯盟は直心道場一派と密接なる連路を保持し、昨年
 来所謂皇道派的立場に於て機関紙、赦、講演等の手段を以て盛んに
 軍首脳部及重臣財閥等を排撃しありたるが、二・二六事件後の社会
 情勢に鑑み且つ本年度特別大演習時に於ける弾圧を遅くる目的を以
 て七月一旦解散したるが明年国民道場を建設すぺく計画中なり。
 ●愛 郷 会
  奄水戸市愛郷会本部は、五・一五事件以来久しく運動休止の状態
 にありたるが、現下内外の状勢に鑑み十一月二十日幹部会を開催各
 地支部代表等二十名集合協議の結果
  1 会費を徴収し塾の維持を計ること
  2 知名士を招聯、盛談会等を開催、会員の啓蒙意思の疎通を計
    ること
 等を協議決定し会の拡大強化を計ることとせり。
  在水戸市、愛郷塾元教育部長弓野征矢太は愛郷塾退塾後農園開設
 計画中の処、茨城県東茨城群石崎村大字上石崎字安住に約七町歩の
 未開墾地の貸与を受け、十二月十三日より元塾生数名と共に愛郷塾
 安住道場を開設したるが開墾の進捗に伴ひ漸次元塾生等を糾合大農
 場建設の抱負を有しあり。
 ●皇民意識研究会の辞散及本学会の結成
  奄東京皇民意識研究会は昭和七年創立以来長沢九一郎会長となり
 皇国の真髄を研究し錦旗守護の士を養成することを主義目的とし来
 りたるが、二・二六事件後活動不振となりたる為之が対発考究中の
 処一先づ同会を解散し
   『昭和触新の実現は今や日時の問題にして現下主要且緊要なる
  一事は昭和維新原理の開明に在り』
 となし、之が究明体得改皇道日本の興隆進展に奉仕貢献すぺき目的
 を以て改めて「本学会」を組織すること1し九月一日皇民意識研究
 会を解散し同時に「本学会」を組織、機関誌として「国体原理」を
 発行すること1せるが、同会の幹部次の如し
  総 裁 宮中顧問官 山口鋭之助
  会 長 元日本思想主宰 遠藤友四郎
  理事長 元皇民意識主宰 長沢九一郎
 ●日本国民戦線協会創立
 元日本労働同盟中央常任兼国際部長坪井専治郎は右翼転向後思想
 労働運動に従事し来り、今回時局革新の目的を以て同志と図り現下
 非常時局に処する為め国民的団体の結成に就き意見の交換を行ひつ
 っぁりたるが、九月十日第三回会合の席上「日本国民戦線協会」設
 立宣言規約を承認し機関紙として雑誌「日本公論」を発行すること
 とし、九月十七日創立宣言泣規約を各方面に発送せり。
 ●亜細亜学生聯盟解散
 在東京亜細亜学生聯盟(理事代表下中弥三郎)は昭和八年結成以
来独自の立場より改造戦線に活動し来りたるが、二・二六事件後の
 社会情勢特に日本主義運動の方法論的躍進に伴い、其の組織も質的
奉換の要ありとし十一月十二日挨拶状を作成、聯盟員其他友誼団体
 宛郵送し解散を宣言せり。
 雨して同会は今後関東学生協議会に参加し、尚姉妹団体たる大亜
細亜青年聯盟とも一層緊密に提携し学生運動を展開することに決定
 しぁるが、本聯盟の屏教理由は其挨拶状に依れは主力師争団体締成
 の為の発展的鰐散なるが如く結局最近に於ける群小団体の整理過程
 に於ける一事象にして、反面関東学生協議会の膨張なりと見るを得
 べし。


      八 元神武会員の寺内陸相故事垣大将暗
        殺計画


             熊本帝大江町大字大江六二六番地
     帝国新報熊本支局員 黒 田  実 (当二十五年)
 右は八月七日熊本を出発上京の途次久留米市に下車し大日本護国
 軍第七軍団長外右翼分子を歴訪中、久留米署に引致せられ取調を受
 け、同人の所持せる小刀及紹介名刺等に依り追及の結果寺内陸相、
 手塩大将の暗殺を企図せし事判明、九月五日福岡地方検事局に於て
 左の犯罪事実に依り殺人予備罪として起訴へ昭和十二年二月六日福
 岡地方裁判所に於て懲役一年六ケ月「求刑通り」未決拘留百日通算
 の判決ありて本名は服罪せり)。
一犯罪事実の概要
 被告人は予てょり国家革新思想を懐き、我国現在の社会機構は一
 部特権階級蛙既成政党と結託せる財閥とによりて支配せらる上局度
 資本主義撥構にして、首弊之より生じ労働者農民の窮乏も亦之に基
 くものなりと断じ、非常手段による昭和維新の断行を念願し居たる
 ところ、二・二六事件の後を享けて成立したる広田内閣特に其支柱
 たる寺内陸相は、当初の期待に反し維新断行の熱意を欠如せるもの
23 と為し、之れが打倒を企図し居たるが、偶々八月陸軍定期異動によ
 り軍部に於ける維新断行派と目せらる1者の待命を見るに及び、右
 は寺内陸相が現状維持派に妥協粛軍の美名に隠れて国家革新派を弾
 庄するものと妄断し、寧ろ寺内睦相を暗殺し以て広田内閣を崩壊せ
 しむるに於ては後継内閣により昭和維新の断行を見るに至るぺしと
 の見解の下に、捨石たらんことを決意し其実行方法として
  (一) 兇器は短刀を使用すること
  (ニ) 場所は陸相の私邸に於て面談中若し面談叶はざる時は私邸
   附近、又は陸相が離京入京の途次を東京駅にて遊撃すること
  (三) 時期は上京後陸相の動静を探究したる後遅くとも九月下旬
   迄の間に於て決行すること
 等を考究したる未陸相に面接を求むる手蔓として、予備役陸軍中将
 深沢友彦同石光真臣等に対する紹介状を入手したる上、昭和十一年
 八月七日右計画に使用すぺき短刀と共に該紹介状を携帯し、熊本市
 大江町六二六番地の自宅を出発し上京の途に就き以て殺人の予備を
 為したるものなり。
 二 黒田の経歴
  本人は熊本県飽託郡清水村に出生、高一修業後熊本市私立鏡西簿
 記学校に入学同校二年中退後、爾来大毎新聞配達、蓄音器店員日稼
 等を為し転々として職業一定せず、昭和十年十月頃上京浅草区田島
 町植松源書方に寄宿硝子職工其他に稼働、十一年四月帰郷し帝国新
 報の取次販売を為す傍ら、熊本市大江義塾に塾生として出入しあり
  たるが、性単純にして感激性に富み思慮浅薄軽率なり。
  三 右襲運動関与の状況
  本名は敬神の念強く画家主義思想を泡持し、昭和九年神武会熊本
 支部結成と共に之に入会・大川周明を宋拝之が運動に奔走中、昭和
 十年二月十一日神武会解散せらる1や其の後在熊本各種右翼団体に
 関係し居たるが、十年十月頃上京浅草区田島町八六、郷軍明徽同志
 会植松汝書方に寄宿中二・二六事件勃発するや、所轄暑に検束せら
 れたるも其後釈放せられ、十一年四月二十一日帰郷し、帝国新報熊
 本支局を経営の傍ら、核心社系大江義塾の塾生として専ら国家主義
 思想の研究に没頭しありたる者なり。
  尚今回上京企図に付ては大江義塾主北原一穂に帝国新報熊本支局
 の後継交渉を兼ね、新宿方面所在「、、、ソギ会」書記として就職すぺ
 く洩らしありたり。


      九 右翼団体関係者の首相暗殺未遂


             本籍福島県若松市諏訪四ッ谷三番地
            無職 渡 辺  浩 (当三十六年)
  右者十一月三十日午後四時三十分頃日此谷公園桜田門入口附近の
 ベンチに於て物思に耽り居れるを丸ノ内署巡査が不審尋問を為した
 る際懐中にブリキ縫製ダイナマイト爆薬及槍先及各大臣宛陳情書泣
 遺書等を所持し居るを発見、本署に同行取調ぺたる処広田首相暗殺
 を企図しあること判明、引続取調中なる状況次の如し。
 一行動の概要
  本人は会津大治郡新鶴村耕地整理組合境野組合に放ける幹部の不
 正事件に激憤し、十一月二十六日夜同組合副組合長たる五十嵐太郎
 を親等せんとしたるが目的を果さず、更に時局に憤慨し広田首相殺
専の目的を以てダイナマイト其他を所持し、十一月二十日夜上野駅
着上京し、同夜下谷区下車坂町恒川旅館に宿泊、三十日午前十時頃
旅館を立出で円タクにて日比谷公園に到りたるが、腹痛の為公園内
 ベンチに休憩し居たること判明、取調の結果前記恒川旅館方にて白
 色「ボール」紙箱一個中に
 ハ一) 雷管(紙包)三本及包装紙に
  ◎ 爆薬「危険に付素人は絶対に手を触るぺからず」と記載せ
     るもの
 (二) 恒川旅館主人宛、書状壱通(内容)恒川旅館御主人御中
   御迷惑相掛け申訳ありません、此のポール箱の荷物の中に爆
  発薬ダイナマイトの雷管三本人つてゐますから警察署へ御届け
  願ひます。又谷中の墓地矢野修蔵墓石花立中にダイナマイトが
  二本隠してありますから此の由も警察署へ御顧ひします
     十一月三十日
      福島県会津若松市諏訪四ッ谷三 渡 辺  浩
等を発見し同人の供述に依り共犯者と認めらるゝ、福島県若松市材
 木町居住松本角平を即日同地に於て検挙取調中なり
 二 平素の行状
 本人は極右思想を抱持し性矯激にして二・二六事件刑死者渋川書
 助、竹島継夫等とは友人関係にありしが、常に所轄官憲を訪問暴言
 を吐きあるのみならず、同地方耕地整理問題に関し組合幹部に非行
 ありとて訴訟を起したるも意の如くならず不満を蔵しぁりたるが如
 し0
 三 経歴の概要
  静岡県清水町に於て出生し其後渡辺家の養子となり、高小卒業後
 十七歳の時東京市神田区大工町某運送店の雇人となり、十九歳の頃
 土工として熱海丹郡随道工事其他各所を転々しあり。
  尚本人は十一歳にして養父と死別し二十五歳の頃一旦帰宅せるも、
 家族は貧困にして其後諸所を転々し、昭和七年大同興信所を創立経■
 営、其他三富代言等を為し現在に至る。
         陳 情 書
   内務大臣、司法大臣、農林大臣、陸海軍大臣閣下に陳情す
   今日此処に拙者広田首相を痩せる理由は、彼は時事の横に乗
   じて現職を得たるを事とし、非常時に術ひて表に庶政刷新吏這
   粛振思想善導日く何々と、我国現状に応はしき美辞農句を以て
   国民を欺惑し、裏裡は只単に自己の栄誉のみに腐心し真に皇国
   を惟ふの忠臣たらず、非常時日本のょり良き建設者にあらずし
   て光輝ある我々皇国の破壊者たり。
    即ち拙者は彼に対し我会津大沼郡新鶴村耕地整理組合境野組
   合が為したる耕地整理に付き、該組合の役員等は当県庁の役人
   を買収之と通謀し一般組合員より拾有余万円の金員を詐欺横領
   なし、剰へ工事箇所は顆なき大不正工事を施し此の悪事の暴露
   するや、大沼郡高田警察署長他署員を買収し、是等警察官 天
   皇陛下の手代たる行政官の地位を忘却し、職種を濫用悪人共と
   歩調を合して莫大なる損害を蒙りて泣く湛弱の農民を暴虐し、
   偽て一般組合員の該大不正整理に寄りて蒙りたる頻害を、求償
   するの心境を逼塞且つ此の概を通せしめ、現在に於て佑ほ国法
24   を犯しっ1ある悪人共に対し、何等処分を執ることなく若松警
   察署及検事局又誠意皆無にして竝に捜査を為さず、竝に当地万
   民の思想著しく悪化せり行政道の素乱之より甚しきは無し、然
   れば拙者之に付彼に之を訴へたるも、彼是に対し何等の方策に
   出ざるなり之、即ち明らかに俗に謂ふ禄盗人寄生虫的国賊なり。
    依而斯の如く我国体的主義よりして彼に天誅を加へたるもの
   なり、願くば各大臣閣下殿 天皇陛下 の勅を奉体し、先日拙
   者が警視総監に送付した該大不正整理に関する詳細書を細密に
   御詳査の上、急遽貧しき農民等を救ひ給ひて、険悪なる思想を
   善化改而奉懇願侯。
                          恐催謹言

     一〇 二・二六事件関係者に対する右翼
         団体等の賞揚行為


 m 大日本生産党関西本部書記長柴山満は、二・二六事件刑死者の
 法名遺族の現住所等を記載したる印刷物を作製し、九月十六日各地
 党員有力者汝愛国団体同志宛発送せんとしたるを、憲兵発見中止せ
 しむ。
 惚 在東京鶴鳴荘に於ては九月十五日附機関紙「鶴鳴報」第二号に
 「七つの遺骨眠る賢崇寺訪問記」と題し、二・二六事件刑死者等に
 関し直接行動煽動記事を掲載配布せんとしたるが、九月十四日附発
 禁処分に附せられ、次で十月二十八日『天下同憂の士に赦す』と題
 する椒文を発行せるが、内容に二二一六事件関係者を賞揚し、元老
 重臣財閥を攻撃せる記事ありて治安に妨害あるものとして十月三十
 日発禁処分に附せられたり。
 梶@在福井市福井行地々長長谷部官太郎は九月五日「主張」と超し−
 内容に直接行動を煽動し二・二六事件関係者を賞他せる記事を掲載
 せる印刷物を作成頒布せんとしたる処、九月九日発禁と共に印本差
 押処分にせられたり。
 梶@在東京市維新会概関誌「維新」九月号に二・二六事件処刑者賞
 揚の記事を掲載発禁処分に附せらる。
 求@福岡県若松市居住元大日本生産党理事梅山満雄は敷乱元将校の
 死刑執行に同情しありたるが、八月十五日北九州右翼分子を糾合し
 若松市に於て之が慰霊祭を執行すぺく企画し極租裡に準備中なりし
 を憲兵探知し中止せしめたり。
  大日本生産党概関紙維新戦旗社税関碓誌「維新戦旗」第六十七号
 は「粛軍論」と超し、『日本軍隊は外国流の「国防」の為めのみに設
 けられたる軍隊に非ず、陛下の近衛であり皇這扶翼、国体擁護等皇
 道を賊する万悪を折伏する使命を有する軍隊である』と冒頭し「維
 新の鬼となつた青年将校こそ真に勅諭に随順し皇軍の本旨に徹底覚
 醒せる真乎の近衛兵である之を裁く軍上層部こそ却て皇軍の本義を
 悟らず国防軍人を以て足れりとなす皇軍私兵化の元兇と云はねばな
 らぬ」云々と敷革将校を賞揚せる記事を掲載し八月二十九日内務大
 臣より発禁処分に附せられたり。
 求@在名古屋市守国発行の機関誌「守国」九月号は生産党機関誌
 「維新戦旗」六十七号記載の「粛軍論」と題する事件関係将校を賞
 揚せる記事を転載し九月十六日発禁処分に附せらる。
    一叫 ニ・二六事件関係の不穏文書作製
         者検挙


 1              東京市牛込区若宮町二七
       東京商科大学教授 鹿水事 峯 間 侶 音
 右は二・二六事件関係青年将校の行為は真に国家革新の目的より
 出でたるものなりと其の心情に深く同情し居たるが、偶々本年七月
 九日商科大学事務室に於て同校事務員青柳春雄(林八郎元少尉の叔
 父)ょり「林八郎少尉が獄中より実母に宛てたる書信の写なり」と
称する文章を借用之を謄写し約四首三十枚印刷内約六十枚は校徒其
他に配布せること判明警視庁に検挙せられ、七月三十一日不穏文書
臨時取締法第二条違反として東京刑事地方裁判所検事局に送致せら
 れ■たり
           東京市渋谷区幡ヶ谷笹塚町二六七
                 無職 中 山 民 世
 右は本年三月頃「皇道派と統制派の区分及動向」「00中佐の手
記一丁二六事件の概要」「広田組閣反対の主勢力及事件後の一般的
動向」と題する不穏文書を印刷配布せる事判明、八月十三日出版法
違反として一件書類を東京刑事地方裁判所検事局宛事件送致せり0
似 「全国同憂の士に赦す」と題し、「君側の好を撃破せしめたる
は一大痛快事なりき、但し現下の司直警察当局は士を遇するに厳罰
に処す吾々は此司直を反省せしめ挙国一致昭和維新の断行を期す」
と暗に直接行動を示唆し司直の処置を論難反省を促し昭和維新の断
行を強調せる不穏印刷物を郵送せる犯人に付憲響協力捜査の結果、
富山県警察部に於て高岡市在住の国家主義者中根松男を容庚者と−
 て取調ぺたる処、同人外三名の所為と判明不穏文書臨時取締法華
 とし事件送致す尚該概文は八月八日発売頒布禁止処分に附せらる〇

    一二 右翼頗体の左翼団体等との捉携等
          の運動

m 左右両翼団体の提携及国家主義団体の国家社会主義転向
 二・二六事件以来右翼隊陣営の凋落傾向に反し、左翼陣営の活版
目覚しきに刺戟せられ、最近右翼分子にして左翼分子と提携し或什
国家主義より国家社会主義に転向して局面の打開を図らんとする息
のあり之左右両翼分子が各々相手方を自己のイデオロギーに同化心
しめんと企図しあるものなるべしと維も、実質的には右翼が左翼の
為利用せらる1の結果を招来するの虞多分にあるは注意を要する曳
象なり、具体的事象左の如し。
 (イ) 松本市に於ける左右両翼運動者懇談会
  長野県中借地方左右両翼運動者懇談会第一回創立委員会は、七
 月十七日松本市に於て開催せられたるが更に同二十六日第二回悉
 員会を開催、政経同盟、生産党、日本農民協会、科学者同盟及祉
 大党の代表者出席社会運動者懇談会及大会開催に関し協議したる
 処、該懇談会を研究撥関と実行機関の何れに為すぺきや意見の対
 立を見たるが、結局左右両翼協同政治闘争を行ふことに決定し、
 更に九月十五日開催の第四回委員会に於て該懇談会を研究会とす
25  ぺきか実行機関とすぺきかに就き意見対立したる為、従来の懇談
  会は一党解散し新に委員会を開催協議すること1せるが、十月十
  八日運動関係者、科学者聯盟、日本農民協会、生産党南安心耕会、
  土曜会、新人同盟、社大党等の幹部十八名会合協議の結果
   1 従来の如く左右両翼相反目しありては真の革新は不可能な
    れば両者一致団結すぺきこと
   2 団体的加入は中央部に於て認可不可能なるを以て、個人的
    に加入すること
  とし『革新運動聯合会』を創立することに決定し十一月中旬創立
  総会を開催する事とせり。
  (ロ) 名盲星に於ける左右両翼労働組合の共同闘争
   日本労働組合全国評議会中部地方評議会に於ては、退職手当法
  の通用範囲拡大闘争を目標に八月十八日懇談会を開催したるが、
  名盲星製陶労働組合外三団体幹部七名出席協議の結果、名称を
  「退職手当法改正名盲星労働組合有志懇談会」とし、本闘争に関
  しては左右両翼を問はず在名仝労働団体を包含し、一元的運動を
  展開すぺく各組合の参加勧誘を申合せたり。
  (ハ) 東京に於ける左右両翼思想の統合運動
  中央大学々生を以て組織しある青年新聞社に於ては十月二十五
  日附「青年新開」第二号を発行配布せるが内容に『右翼、左翼其
  他凡ゆる思想を再検討し新指導原理を生み出すものなり』と左右
  両一翼分子の論説を併載しあり。
  ハエ) 浜松市に於ける国家主義団体の国家社会主義転向
   庇い珍帝所密、愛国政治同盟静岡県支部聯合会は、八月二十八日
 浜松地方右翼無産団体の戦線統一協議会を開催せるが、同聯合会
  の外皇道金浜松支部、碧色同盟等の代表者十名参集協議の結果
  ュ 既成の団体を酵消し全く別個の立場に於て新団体を結成し
    之に合流すること
   2 新団体は国家社会主義の下に結成せらるぺきこと
  3 党の主義綱領団体名は起草委員に一任すること
 等を可決し出席者全部委員となり二十九日団体名を浜松革新同盟
  と名付け、資本主義の打倒及政党を其の走狗なりとし之を排撃せ
 る綱領を発表、更に九月五日各団体の代表者集合し「浜松革新社
 会同盟」を結成、綱領、宜言、規約を決議し役員の決定をなした
  るが闘争方針としては
   1 政府米の無償払下
   2 電力電燈の値下
   3 労働条件の改善
   4 肥料国営
  S 中小商工業者の生活権擁護
  等を挙げ経済闘争に主力を置きあり。
 惚 右翼分子の政党接近
 在東京、報国新報社内の青年懇談会に於ては『最近の我国現下の
 政治状態は政党無力のため軍人官僚のみ国策を論議しあるの実状に
 あるを以て政党を鞭捜するの要あり』と為し、政党員に対し意見を
 聴取すると共に之が賛同を求むべく十月十二日右翼関係方面へ案内
 状を発送したるが其の賛同の結果を倹つて十一月初旬頃政党各漁代
 表を招碍し意見交換会を開催する計画を為せり。
 右事例は最近に放ける右翼運動の政治運動化に伴ふ一つの事象と
 して注目すぺきものなり。
 伽 左翼分子の皇民青年同盟結成
 社会大衆党堺支部幹部藤原賞書は支部長の独断的行動に不満を抱
 き同党を脱退し、日本主義を標梼十一月一日皇民青年同盟を結成せ
 hソ〇


      二二 各地方に於ける戦線統一運動

 仙 北九州日本主義者懇談会の結成
 九州若松市在住元大日本生産党理事梅山満雄等九州右翼分子十三
 名は、八月二十三日日本主義陣営の強化と大同団結を目的として北
 九州日本主義者懇談会を結成せり。
 似 右翼団体の労働組合組織運動
 江東産業報国聯盟結成準備会に於ては新日本掬民同盟内山一平。
勤労日本党森川松太郎。緑川勝美。日本産業軍佐瀬秀雄等中心とな
 hソ
  「独占的産業資本家を掃滅し一切の産業を国家統制に帰属せし
  め、以て全産業の円満なる発展を図り勤労階叔の生活棒を確立
  し、理想的国家の実現を図るぺし」
と捉唱同志糾合中の処最近約三〇名を獲得し、十月初旬以来再度準
備会を開催し主張、綱領、規約及趣旨を決定し一般大衆を啓蒙すべ
く運動を開始せり。
 右事例は二・二六事件後に於ける右翼運動の方向転換即大衆に基
 礎を置く合法運動への進出及日本主義団体(本事例の瘍合は新日本
 国民同盟)と国家社会主義団体(勤労日本党)との提携気運の醸成
 なる点に於て注目すべきものと認む。
 梶@富山県右翼農民団体の戦線統一運動
 富山県勤労農民同盟会長萩原貞一は同県下の農民戦線統一を期す
 ぺく運動中なるが、十月十五日「本部充実活動基金募集に際し組合
 員及同志諸君に訴ふ」「県下各地大演説会開催準備に関する件」と
 題する基金募集に関する印刷物五〇〇部大会開催達示一〇〇部を作
 製し、同盟員各地友誼団体宛発送せり。
 梶@仝和歌山愛国同志会懇談金持成
 和歌山市在住元東京飛躍塾々主原意正は和歌山九月会幹部等の協
 力を得、全和歌山愛国同志闘争準備会結成準備中の処、新日本国民
 同盟、旧碑武会、愛国労働農民同志会等の和歌山支部幹部を糾合し
 十一月十五日「仝和歌山愛国同志懇談会」を結成し
   『吾等は全県下愛国団体及同志を以て一路昭和維新断行に邁進
   すること』
 を誓約し将来愛国運動者個人の懇談機関たらしむることゝせり0
  本懇談会は結成に際し一部のものに於て名林共他に関し不満の
 意を表明するものありて、将来同地の愛国団体が果して結束して
  進み得るや杏や疑問とする状況にあり。
 求@泉州愛国同志懇談会結成
 堺地方右翼団体は従来見るぺき活動なか卜し処、最近新日本国民
 同盟支部、皇民大衆聯盟幹部等の斡旋に依り、日本労働組合総聯合
 堺支部、皇民青年同盟の同志を糾合し日本主義陣営の拡大強化を期
26   するため懇談枚関として十二月十二日「泉州愛国同志懇談会」を結
   成し
    m 日本主義陣営の拡大強化を期するため未参加団体の参加勧誘
       のこと
    似 人民戦線粉砕時局批判演説会開催
    併 堺市会議員改選に日本主義団体より立候補せしむること
   を協議決定せり。
     本懇談会は目下の処加盟団体は四団体に過ぎざるも、未参加の
    立憲養正会、明倫会、大日本生産党の加入ありたる際は将来相当
    期待すぺきものあるにあらずやと思料せらる。
   求@生産党員の全九州愛国団体統一運動
    在福岡帝大日本生産党九州書記局書記長山村義則は、予てょり全
   九州愛国団体統一を企図運動中の者なるが、十二月二十一日維新皇
   盟結成準備会の名を以て「非維新を暴露しっ1ある軍部の猛省を促
   す」と題し軍首脳部の粛軍政議会制度改革問題等に対する態度を非
   維新的なりと誹誘せる赦文を作成し、軍隊竝に全国同志等宛配布す
   ぺく企図しありたるを憲兵探知し中止せしめたり。