組織の持続性



 戦時内閣はなるべく変らないのが善い。その他の組織にしても、戦時中はなるべく変らないやうにすべきである。内に一貫したものがあつて、外に向つても一貫して行動することができるのである。
 ところが支那事変以来、国内における組織が余りにしばしば変化してゐないであらうか。伝へられるところに依ると中央物価委員会も今度改組されるし、また国民精神総動員の組織も変更されるとのことである。精動にしても、物価委員会にしても、従来の成績から見て、改組の必要があることは確かである。
 しかし他方から考へると、内閣が変るたびに、それらの組織を何とか変へねばならぬかのやうに思ふことは間違つてゐる。それは官僚的な考へ方に属してゐる。官僚は、ひとつの地位に就くと、何か自分の仕事といふものを示すために、前任者のやつて来たことを無理にでも変更したがるのがつねである。変更することが必ずしも悪いといふのではない。しかし一旦変更する以上、自分がその地位を離れても、変更しないで済むやうな確固不動のものを作る覚悟で十分慎重に、見透しのあるものを作ることが大切なのである。
 次に日本人の悪い癖として、一旦人を頼んだ以上、その人をどこまでも信用してやらせるといふことがなく、少しやらせてみて、うまくゆかないと、直ぐに取り代へるといふ風がある。他を信頼して永い目で見るといふことがないところから生ずる不利益は特に従来大陸の経営においてすでに十分に経験されてゐることである。精動の如きにしてもあんなに屡々改組で脅かされてゐるのでは落付いて一貫した活動を展開してゆくことができないであらう。もちろん、現在、精動や物価委員会などに改組の必要がないといふのではない。その必要は大いにあるのである。しかしそれらが屡々改組されねばならぬといふことは、従来単に間に合せのものを作つて来たことを示してゐる。その無責任な態度の責任が追及されねばならぬ。内閣そのものにしても一時の凌ぎに作るといふ風がないであらうか。
 日本は今、持続的な組織を必要としてゐる。好い加減なことでやつてゆけないことは日々益々明瞭になつてゐる。崩れるものは早く崩すが善い。そしてそのあとに、一日も早く将来のある、発展性のある組織の基礎をおかねばならぬ。現在のやうに動揺つねならぬ状態においては国民の精神消耗の結果が恐ろしいのである。


(三月十三日)