日本主義の発展




 日本主義といはれる思想にとつて今日飛躍的な発展が必要になつてゐる。いつたい日本主義は支那事変の前に現れたものであるが、すべての思想はその現れた当時の事情に制約されるものであるとすれは、支那事変と共に甚だしく事情の変つた今日、日本主義の思想にとつてもこれに相応する発展がなけれはならぬ筈である。
 尤も或る意味では日本主義は今日においてその必要を増してきたとも云へるであらう。即ち事変の進行は我が国民の思想的統一が益々鞏固にされることを要求してゐるのであるが、その目的にはさしあたり日本主義が最も適切な思想であるやうに思はれる。しかしひとたび対支工作といふ問題を考へるならは、従来のやうな日本主義では不十分であるやうに思はれるのである。
 この場合、日本の国内は日本主義でゆき、支那に対しては何か別の思想でゆくといふやうな考へ方も存在するのであるが、それは間違つてゐる。今度の事変の意義は、思想の問題についてもかやうに二元的に考へることが不可能になつたところにあるのであつて、日満支一体といはれる意味もそこになければならぬ。
 日本主義はこれまで日本固有のものを強調することに努めてきた。そのことは従来の事情においては意味のないことではなかつたにしても、支那事変と共に事情は大いに変化してきた。日本固有のものを求めようとすれば勢ひ復古主義にならざるを得ない。なぜなら現代の日本の文化は実質的に西洋の影響を著しく受けてゐるからである。しかるにそのやうな復古主義は現在大陸に発展しようとする日本の進歩的な、乃至進取的な行動に対して矛盾を生じてくるであらう。
 今日支那における思想工作として最も困難な点は支那の民族主義を如何にするかといふことである。これは現に中支などで思想工作に実際に従事してゐる人々が語つてゐることである。支那の民族主義は既に事変の前から盛んであり、三民主義の中でもその民族主義の思想が特に力説されてきたのであるが、この傾向は事変と共に益々強化されてゐる。事変がそのことを必然的ならしめてゐるのである。この場合に日本主義がまた従来のやうに民族主義を力説してゐるのでは、日支提携は困難であらう。日本主義は単なる民族主義を超えたものにまで発展するのでなけれは、今日の思想であり得ない。
 日本とドイツとでは事情が異つてゐる。ドイツの場合には国外に多数のドイツ人が土着的に存在してゐるから、民族の統一を唱へることはそれら国外のドイツ人に呼び掛けることになり、大ドイツの発展に役立ち得るにしても、日本の場合には民族主義をもつて呼び掛け得る人間を支那において有するわけではない。この差異に注意することが肝要である。
 支那事変は一方日本の国内においては民族主義の益々強調せらるべき理由を作り出すと共に、他方支那に対しては単なる民族主義に止まり得ない理由を作り出すに至つた。この矛盾を如何に解決するかといふことに日本主義の自己止揚による自己発展の重要な契機が与へられてゐるのである。


(九月二十八日)