再教育の必要



 この頃各方面で再教育の必要が唱へられてゐる。これは今に始まることでなく、既に事変前においていはゆる革新の声が高まると共に官吏の再教育、教員の再教育などが叫ばれたことがある。官吏や教員の再教育がどれほど真剣に考へられ、どれほど一般的に行はれたかは疑問であるが、この頃の再教育論は多くの現実性をもつてゐるやうである。
 再教育の必要は種々の社会的事情から生じてゐる。傷痍軍人の優遇は今後の日本において大きな問題であるが、傷痍軍人に通する新しい職業のための再教育が要求されてゐる。これは国家の事業としてぜひやらねばならぬことである。次に綿、皮革、金属等に対する統制の結果生じた失業者の転業の問題がある。その転業が果してどの程度に可能であるかは現在大きな問題であるが、いづれにしても転業の場合には再教育の必要が生じてくる。
 更に最近実施されようとしてゐるものに、いはゆる青白きインテリの再教育がある。東京市社会局では今度失業インテリゲンチャのために職業輔導所を開設することになつた。それは知識階級の失業者を集めて精神的にも技術的にも再教育を行ひ「国策型」に叩き直して満洲、北支、中支に送らうといふのである。これはまことに結構なことである。従来満洲や支那は内地の失業者の「落ちてゆく」処であるかのやうに考へられる傾向がないでなかつた。
 しかし今日では満洲や支那はもはや単に日本の過剰人口のはけ場ではない。「植民」といふ言葉さへ既に不適当になつてゐる。従つて今日、内地失業のインテリゲンチャをそこへ送るにあたつても、そのまま送るのでなく、再教育を行つて真に大陸の開拓者の資格を有する人間に鍛へ直して送らなければならぬ。日本の大陸居住者から「落武者」の意識を駆逐し、新しい希望と抱負とを代りに注入することが大切である。
 この再教育において技術は甚だ重要な意味をもつてゐる。日本は最も優秀な技術を大陸へ持ち込まなければならない。これはつねに記憶すべきことである。イデオロギーだけを問題にして、ただ気焔を揚げてゐるといふのでは困るであらう。イデオロギーよりも技術が先であることに注意しなければならぬ。もとより思想教育が重要でないといふのではない。しかし思想のことについては、その問題の困難を理解しないで、余りに簡単に考へることは却つて弊害を生ずる。何よりも忘れてならぬことは特にいはゆる「大陸向き」の思想といふが如きものの存在しないことである。満洲や支那へ持ち込むべき思想は内地においても教育の必要がある思想でなけれはならない。
 従つて思想上の再教育をいふならば、それは単に新に大陸へ行く人々のみでなく、現に大陸で働いてゐる人々にも、また内地で働いてゐる人々にも必要である。この思想、言ひ換へるとアジアに新しい秩序を齎すべき思想は如何なるものであらうか。一般的なことは分つてゐても、これを体系化するのは容易なことではない。思想の問題についてはその困難を正しく自覚して、新しい探求の精神を活溌にすることが大切である。それが独断の傾向の流行してゐる今日、凡ての人人にとつて必要な思想上の再教育の第一の仕事である。

(八月二十二日)