文化動牽に就いて
一一四
文化整早が制定されたのは何にしても結構なことである。それは何等かの程度において、文化
人の杜禽的地位の向上に賓し、また文化に対する民衆の尊敬と関心とを喚起することに役立ち得
るであらう0併しそれにつけても、我々は廣田内閣の見識とか林内閣の賢明とかを思ふ前に、例
へば文拳に携はることを名著ある仕事と考へる老が絶無であつた時代から、文拳をともかく今日
の位置にまで高めるために悪戦苦闘してきた眈に多くは物故せる頸人たちの功績を新たに想ひ超
さねばならぬ。
 文化動章が授けられるに就いて、外国人に対する儀祀的意味の場合などを除き」その人選は難
しい問題である0いつたい、現在作られつつある文化のうち、いづれが最高のものであるかを決
めることは容易でなく、寧ろ棺を琴フて後その慣値が定まるといつたことが多いのである。文化
塑早はもちろん官民の直別なく文化上の功労者に授けられる性質のものである。併し青際問題と
しては、文化に徒事する老が同時に官吏である場合、国家は彼等を既に従来の位階動等などによ
つて表彰してゐるのであるから、文化動章にあつては、民間の文化人を特別に考慮するのでなけ
れば、その制定の意義も少いわけである。然るに人選が官更の手で行はれるとすれば、これがま
た困難な問題であつて、民間人にしても、既にその人物が性行において「官吏的人格」を有する
者がおのづからその選に入ることになる。純粋に市井的な人間は、謂はば人格的に除外されるで
あらう。文化上の業績そのものから云つても「官僚的文化」の代表者が選ばれ易いであらう。と
ころで文化に携はる者が同時に官吏である場合、囲家は彼等を眈に恩給によつて優遇してゐるこ
とを考へれば、民間人の場合にあつては特別に賞金とか年金とかの音質的な優遇方法が考へられ
て好い筈である。
 或る制度の意義に就いて考へるとき、時代といふものを無税することができない。同じく文化
勲章が制定されるにしても、杜合の安定期、文化の開花期と、今日の如く杜合の危機、文化の混
乱が叫ばれてゐる時代とでは、意味がおのづから違つて来るのである。その制定が飴りに遅かつ
たといふ憾みが特に強く感ぜられる理由もそこにある。なるほど、嘗て今日ほど政府が文化の問
題に封して熱心であつたことはないであらう。このことは一般には我が国の文化の向上を語るも
のであるが、他方このことこそまさに今日の統合の不安、文化の危機を語るものである。近年多
文化動章に就いて
一一五

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故に作られた1文化」と名の附く官設または牛官学民の研究所とか協禽とかが、奨励し、宣俸し、
海外へ輸出してゐる1文化」といふものが、およそ如何なる性質のものであり、如何なる目的を
有するかを考へるならば、文化動章の制定は文化統制の役割を演ずるものでないかといふ懸念が
此虞に生じてゐるのも、無理のないことである。
 そこでもし非難のないやうにしようとすれば、学士院の授賞の例に見られる如く、少くとも文
化科挙の方面において、その範囲が主として東洋に関する歴史的研究に限られ、創造的な仕事は
顧みられなくなり、その杜禽的意義は少くならぎるを得ない。
 林首相は文化動牽制定の際における談話の中で「日本固有の文北」といふことを云つてゐる。
我々は固より日本的といふことを頭から反対する者ではないが、その日本的とは何であるかが、
賓は容易に決定できないことである0例へば、島崎藤村と徳田秋撃とは、いづれが扁日本的で
あるのか、西田幾多郎と長谷川如是閑とは、いづれが二暦日本的であるのか。およそ日本人が作
つた文化が日本的でないといふことがあり得るのであるか0文化が歴史的に蚤展するものである
以上、日本的と云つても固定したものでない○外国文化の畢なる紹介や畢なる模倣でない限り、
日本人の生産した文化には如何なる場合にもおのづから日本的性格が現はれてゐるのであつて、
その便値は寧ろ世界性の見地において許憤さるべきものである。
 然るに今日いはゆる日本的なものとは文化的概念であるよりも政治的概念である。徒つて文化
動章に謂ふ文化が政治的意味を伴ふ惧れがあることは想像し得ることである。
 尤も、ほんとの文化人自身の立場から云へば、文化勲章などは、音はどうでも好い問題である。
「文部省推薦」といふ名の附く本を書いたつて、あまり名著なことでないのと同然である。時の
政府が文化に就いて最高の審判官でないことは、従来の歴史があまりにも明瞭に澄明してゐるこ
とである。
 またもし政府にして眞に文化を奨励する意志があるならば、いはゆる功成り名遽げた人を表彰
するに留まらないで、これから仕事をしようとする若い人達のために晋際的に計ることが大切で
ある。新しい文化を作るといふこと、そして文化を大衆に近づけるといふこと、これが文化政策
の基準でなければならない.
文化動章に就いて