仏教の日本化と世界化


       一

 仏教復興と云はれる現象が初めて現はれたとき、それは少くとも意識的には、いはゆる日本精神乃至日本主義と特別に結び付いたものではなかつた。そのことは、当時仏教家自身でさへ屡々、それを仏教復興といふよりも、一般的な「宗教復興」といふ名称で呼んだといふこと、またそれが当時わが国においても流行を極めた弁証法神学、実存哲学等々を援用して理由付けられたといふこと、などの事実によつても明かである。ひとは社会科学の時代の後に宗教の時代が来たもののやうに考へた。従つてまたひとは仏教の如きも自分自身の力で自然的に復興し得るものと考へた。
 けれども、事情はそのやうに単純ではないことがやがて明かになつた。自然的に盛んになつて行くものと思はれた仏教復興も程なくその華やかさを失ひ始めた。おひおひ勢力を増して来たのは仏教でなく寧ろいはゆる類似宗教である。また次第に顕著になつて来たのは宗教そのものの復興でなく、却つて日本精神や日本主義の宣伝である。かやうにして仏教復興も、最初に考へられた形態を変じ、もしくは方向を転ぜざるを得なくなつた。即ち仏教は現在日本精神運動の一翼として、これに仕へることによつて自己の再興を計らうとしてゐるかの如く見える。
 仏教家が日本精神運動に対する発言権を獲得するために、如何に仏教が日本精神の発達に寄与したかを力説することは正当である。それは疑ひもなく歴史の事実に合致したことである。しかしその際仏教家は、かかる事実を強調することによつて同時に偏狂な日本主義を打破すべき立場におかれてゐるといふことを自覚し、この自覚の上に立つて行動することが大切である。なぜなら、そのやうな事実を力説することは、外来思想が日本精神の形成に貢献し得るといふこと、外国の影響なしには我々の文化も発展し得ないといふことを強調することにほかならないからである。嘗ての外来思想である仏教について云はれることが、たとひ全く同じ方面においてではないにせよ、西洋思想についても云はれ得ない筈はなからう。今日の仏教学の発達でさへもが、西洋科学の影響に負ふところが多いのである。


        二

 ところでこの点に関して、現在仏教家の態度は極めて消極的である。云ひ換へると、仏教家の努力は、仏教が如何に日本精神の発達に貢献したかを開明することに限られ、積極的に仏教がキリスト教などと同じく宗教学者のいはゆる高等宗教として「世界的宗教」であるといふことを自覚し、この自覚に基いて行動することが欠けてゐる、寧ろ日本精神に対する仏教の寄与を高調することによつて仏教家は、仏教が世界的宗教であるといふ誇りをみづから抛棄して偏狭な国民主義に追随し、仏教が何か民族的宗教であるかの如き観念を作り出してゐさへする。仏教は単なる民族的宗教でない。民族的宗教の色彩を濃厚に有するものと云へば、寧ろ大本教、天理教などであつて、それらのいはゆる類似宗教が今日の情勢において盛んになつた理由の一つも、そこにあると云ふことができる。従つて仏教は類似宗教から自己を区別するためにも、自己の世界的宗教としての性質を力説しなければならぬ。過去の日本の文化において、単に日本の特殊性を示すに止らず世界的性質を有するものがあるとすれば、それは先づ仏教であり、もしくは仏教に影響された文化であると云つてよいほどである。
 私はもとより単に文化の世界的一般性を考へて、国民的特殊性を否定するものではない。しかるにまた日本文化の特質が如何なる点に存するかを究める上においても、インド、支那、日本の三国の仏教の比較研究は、最も適当な場面を提供してゐる。日本文化の将来の発展のために今日特に必要と思はれるのは歴史哲学であり、我々の企てねばならぬかかる歴史哲学にとつて三国仏教の考察はひとつの重要な基礎となるべきものである。歴史哲学を用意してゐない場合、もし日本主義の運動が廃仏毀釈論の如きにまで進むことがあるとすれは、仏教は何をもつて対抗し得るであらうか。
 仏教が現代日本において有力なものとなり得るためには、その革新が必要であることは云ふまでもない。しかるにかくの如き革新は仏教が世界的宗教であるといふことの自覚の上に立つて行はれることを要求されてゐる。蓋し明治以後の日本は西洋文化の移植によつて世界の一大勢力となるに至るまで発達した。かくて文化のあらゆる方面が西洋化してゐる現代日本において、仏教が真に「日本化」されて新たに活きる道を見出すことは、同時にそれが「世界化」され得るための条件を作り出すことである。日本におけるキリスト教の発達がその日本化への欠乏によつて阻害されてゐるとすれば、仏教の現代日本における発展はその世界化への無関心によつて制限されてゐると云ふことができる。ユダヤの民族的宗教はイエスによつて世界的宗教にまで高められた。しかしそれが現実的に世界的となるためには、パウロの如き「異邦人の使徒」を必要としたし、またギリシア思想との融合が必要であつた。仏教も支那に入つては易の思想その他と結合し、このやうに支那思想と融合したが故に、仏教は、古くから支那文化の影響を受けてゐた日本においても伝播することができたとも見られ得るであらう。今や日本文化の全く異つた状況において仏教は同様の新たな問題を課せられてゐる。


       三

 私はもちろん仏教のいはゆる近代化(モデルニジールング)を要求するものではない。いはゆる近代化は却つて仏教の本質を喪失させ曖昧にすることによつて、仏教を類似宗教の位置に堕落させる危険がある。例へば仏教無神論の説である。無神論といふ語はもと唯物論的立場と密接に関聯した一定の意味を有するのであつて、単に仏教がテイスムス(有神論、人格紳論などと訳される)でないからと云つて、無神論であるとは考へられぬ。西洋においてもプロチノス、エックハル、スピノザ、へーゲルなどの思想は、厳密にはテイスムスではないが、無神論であるとは云はれないであらう。また私は仏教の革新が神道、儒教、基督教その他の混合によつて可能であるかの如く考へる混同主義に決して賛成するものではない。却つて仏教は自己自身の本質の新たな把握によつて世界化への道を発見しなければならぬ。
 その出発点における問題は、従来の日本の仏教の、そしてそれに影響された日本の伝統的文化の特質の認識である。かかる特質の認識はつねに二重の意味をもつてゐる。それは長所の認識であると共に短所の認識である。
 この場合、先づ考へられることは仏教と倫理の問題である。インド仏教の特色は戒律的な、従つて倫理的なところにあると云はれるが、私はただ戒律を問題にするのではない。今日我々の必要とする倫理は単なる心の道徳、主観的道徳でなく、客観的道徳である。この点について、支那における禅と宋学との関係は興味ある問題を提供してゐると思はれる。程朱の学は仏教の影響を受けたが、しかしそれは『大学』などを基礎として社会的政治的倫理の問題にまで発展することによつて、或る意味では禅の批判者となつたと見られ得るのである。特に今日我が国の仏教には倫理がなく、それ故に現実に対する批判力がなく、客観的倫理の問題になると、時世への追随のみが著しく目立つてゐる。真諦俗諦などと云ふもその俗諦における倫理は確立してゐない。
 かくの如き倫理の欠如は「無」の思想の力を示すものである。この無はあらゆる客観的に矛盾したものを心の上で統一する不思議な力をもつてゐる。そのために客観的矛盾に対して客観的に働き掛けることをしないで、結局それをそのまま承認することになつてゐる。客観的矛盾が客観的に追求されない故に、無の弁証法は過程的弁証法とはならず、その意味において歴史的とはなり難い。動即静、静即動と云ふも、その動は過程的、歴史的意味に乏しく、従つてそれは、その深さはどこまでも認めねばならぬにしても、つまり自然主義となるであらう。倫理と共に歴史の問題は、今後如何にして仏教がそこへ出て来るかといふ特別に興味ある問題である。
 仏教は哲学的だと云はれる。しかし単に仏教のみでなく、キリスト教の如きもギリシア思想と結合することによつて哲学的となつてゐる。尤も哲学と宗教とは同じでなからう。そして支那仏教の哲学的であるのに比して日本仏教の特色は、仏教を宗教として純粋化したところにあると見られることができる。日本仏教が哲学として仏教をどれほど発展させたかは寧ろ疑問であらう。
 仏教哲学は現在も我が国において訓話註釈の範囲を多く出てゐないやうに見える。その結果は仏教を従らに煩瑣なものにし、かかる煩瑣哲学に対する嫌悪が人々を類似宗教に趨らせる一つの理由となつてゐる。従つて現在の仏教にとつては、先づ日本において宗教として純粋化された仏教に還ることが必要であらう。そしてそれが純粋になつたところから出発して、新たに仏教哲学が組織されねばならぬ。これは仏教が世界化する為に必要な条件でないかと思はれる。
 今日の青年は例へば安心立命といふ語をやや嘲笑的な、或ひは自嘲的な意味で口にする。それは彼等が真の安心立命を把握しないからだと云はれるであらう。しかしまたそれは同時に彼等が昔のままの安心立命に満足し得ないことを示してゐる。西洋文化の洗礼受けた彼等は理論的なもの、哲学的なものを求めてゐる。かかる状態において仏教が真に日本化して現代に活きるためには、仏教は世界化されねばならぬ。仏教の世界的宗教としての自覚が、その民族主義への追随の濃厚になりつつある今日、特に必要である。主観的な安心立命によつて客観的な矛盾を解消するのでなく、現実の世界の矛盾を身をもつて苦しむことを辞せぬ仏教家が要求されてゐるのである。