文化の変貌


 先日丸善へ行つたとき、『イエス・マルクス・ムッソリーニ』といふ題の本が私の眼にとまつた。買はずにきたから、どんな内容のものか分らないが、恐らく表題から想像される通りのものであらうと思ふ。またかやうな題の本はこれに限られてゐないので、同じやうなものがいくらも出てゐるのである。
 丸善から帰つてのち、あの本はやはり買つておくのだつたと私は考へた。読むためにではない。後のために一つの資料として保存しておくためにである。やがてそれをこの時代の病理学的の研究資料として利用し得る時が来るであらう。もし私自身にそのやうな幸福な時が来ないとしても、後に生れてくる者にはそのやうな時が来るであらう。
 イエスとマルクス、或ひはムッソリーニ或ひはヒットラーとを同列において考へるといふこと自体すでに、この時代に特殊的な病理学的現象である。キリスト教信者でなくても、良心的な人人はこれに対して或る嫌忌の念を抱かされずにはゐられないであらう。この病理学的現象の原因は、我々の時代において宗教と神話との区別がなくなつたといふところにある。そこに我々の時代の無信仰が端的に現はれてゐる。一方において宗教的人格イエスが神話に堕されると共に、他方においてマルクスやムッソリーニが神話化され、すべてがキリスト(救世主)として同列におかれるのである。
 神話と宗教との混同もしくは同格化は現代の特徴的な現象である。ひとは神話と宗教との区別を真面目に考へてみようともせず、まして真剣に主張しようなどとはしない。そこに現代的無信仰があり、この無信仰は一つの病理学的現象である。この事実に対して宗教家は決して闘はうとはせず、むしろ何か宗教的な時代が来たかのやうに少くとも外観上は考へてゐるらしい。
 近代の無信仰は科学の発達の結果であると云はれてゐる。果してその通りであるかどうか、私はここで吟味しようとは思はない。ただ一つ確かなのは、科学の発達が宗教を神話に変へるのではないといふことである。神話は魔術的なものであり、宗教は魔術とは区別されねばならぬが、神話の宗教への浄化ではなくて神話の魔術への頽落が現代の特徴であり、そこに我々はその病理学的性格を認めることができる。
 私は『イエス・マルクス・ムッソリーニ』といふ本の名を挙げたが、かやうな現象はもちろん西洋的キリスト教的世界に限られてゐることではない。それはスターリンの名を云つただけの理由で除名された代議士があるといふ日本においても多く見られる現象である。この時代の病理学的徴候を後世のために記録するやうな文章が我々の目前においても無数に発表されてはゐないであらうか。
 思想の病理学を考へるとき、誰も精神の感染性について驚かざるを得ないであらう。精神的伝染病が世界を横行してゐる。ひとはこの侍染病をは「時代」といふ概念を実体化することによつてこれに帰し、それが一つの伝染病であるのではないかどうかを考へてみようとさへしないのである。自分と反対の思想は何でも単なる「流行」であると非難し、自分自身の思想は「時代的」であると弁護することが、今の時代の流行となつてゐる。流行的といふことと時代的といふこととの間にこの場合どれほどの差別があるのであらうか。
 曾てマルクス主義の時代には何事もただ時間的なものと考へられ、永遠といふものは嘲笑された。今日の伝統主義者は何事につけても永遠を語るのを好むのであるが、そのやうな永遠論者の多くが実は後世を全く怖れてゐないかの如き病理学的文章を得々と書いてゐはしないであらうか。後代の人々から尊敬されることは期待できないにしても、せめて軽蔑されないやうにしたいといふ念願と用意とがつねに文化人には必要である。
 この頃、日本主義とか日本精神とかいふ言葉と共に、或ひはそれに代つて、東洋思想とか東洋精神とかいふ言葉が新しい流行になつてゐる。岡倉天心などが顧みられるやうになつたのも、これとつながりを持つてゐる。日本精神論から東洋思想論へ、そこに何等かの発展があるであらうか。それとも、東洋思想論は日本精神論の単なる変貌に過ぎないであらうか。
 日本精神論から東洋思想論への推移の現象は、思想上における内面的発展の結果として現はれたものではないやうに思はれる。それは寧ろ日本の大陸政策に応じて、即ちいはゆる「国策の線に沿つて」現はれて来たのである。このやうな政治性がまづ注意されねはならないし、この点において東洋思想論は日本精神論と全く同じ性質のものである。
 例へば、日本文化の徹底した研究が、これに大きな影響を与へたものとしてインド思想、時に支那思想の研究を要求するやうになるといふことが考へられる。けれども最近の東洋思想論はこのやうな関係、このやうな認識から生じたものではない。この場合興味ある事実は、日本で支那文化を深く研究してゐる学者の多くが、東洋文化の問題に関して、甚だリベラルな思想の所有者であるといふことである。支那文化の研究の結果は彼等に偏狭な考へ方をすることを許さないのであつて、この点、最近の東洋主義者の態度と趣きを異にしてゐる。
 もちろん国策の線に沿ふといふのは望ましいことである。しかし、もし日支提携が日本の国策であるとするならば、この提携の基礎には日本と支那とを超えた思想がなければならず、この一般的な基礎の上で両国は結び付くのでなければならぬ。そしてもし東洋思想といはれるものがかやうな思想であるとするならば、それは民族を超えたものでなければならぬ。民族と民族とを結び付けるものは単に民族的なものであり得ないからである。
 そしてもしこの論理が誤つてゐないとするならば、まさにこの点において東洋思想論は日本主義論と区別されるのでなければならず、まさにこの点において後者から前者への発展、飛躍が認められるのでなければならぬ。東洋思想論は論理上かやうにして単なる民族主義であり得ない筈である。しかるに実際は東洋主義者が民族主義者であるといふのは如何なる理由に依るのであらうか。
 各々の民族が独自の文化を有することは云ふまでもない。日本の大陸政策といふものを考へるにあたつても、支那文化の独自性を認めてゆくといふことが大切である。日本精神を支那に押しつけるといふことは無意味であるのみでなく不可能でもある。しかるにこのやうな傾向が見られなくないとすれば、この偏狭な日本主義に反対するところに東洋思想論の意義があるのでなければならぬ。
 論者は、東洋思想を純粋に発展させたのは日本であると云ふ。仮にさうだとしても、日本が東洋において現在の地位を確立するに至つたのは西洋文化を取り入れて発展させたためであるといふことを、支那人は日本の歴史についてよく承知してをり、それだからこそ彼等は留学生を送つて日本において発達してゐる西洋文化―実は近代文化―を学ばうとしたのである。
 もし日本精神論から東洋思想論への推移が真に論理的に、飛躍的に行はれたとするならば、東洋思想論から世界文化論への推移は極めて容易である筈である。
 特殊はただ普遍の基礎において、普遍の中においてのみ真の特殊であることができる。日本文化の特殊性も、東洋文化の特殊性も、世界文化といふものを離れて考へられない。日本に最も欠乏してゐるのは「世界人」的な人物である。日本の宣伝が拙劣であるといはれるのも、このやうな世界人的な日本人が存在しないためではないか。我々は生れながらにして既に日本人である。我々の努むべきことはこの日本人を活かすことによつて世界人になるといふことである。真の世界人が出て来なければ、大陸経営といつても成功するものでない。
 日本精神といひ東洋思想といつても、根本的な問題は、世界史の現在において如何なる新しいものを作るかといふことである。過去がどうであつたかといふことでなく、我々自身の意欲がどうであり、どうであるべきかといふことである。
 それ故に問題は、文化形態学などのことではない。即ち例へば、風土といふやうなものを基礎にして、西洋の文化と日本の文化とがどのやうに異なるか、日本の文化と支那の文化とがどのやうに異なるかを明かにするといつたやうなことが現在の根本問題であるのではない。かやうな文化形態学的立場は結局相対主義に終らねばならぬであらう。ただ特殊性を考へるだけでは相対主義になる。特殊的なものの絶対性を主張するには、その論拠をば民族を超えた普遍的なものに求めねばならぬ。
 元来、文化形態学といふものはヨーロッパ文化の理想が見失はれてどこにそれを求むべきかが分らなくなつたとき、西洋において生れた相対主義である。ちやうど世界観学といふものが世界観に対する決意の動揺から生れた相対主義であるのと同じ事情にある。
 しかるに我々にとつて注意すべき事は、近年の日本精神が、一方では行動の立場において単なる神話になつてゐると共に、他方では文化形態学的立場に止まり、将来の日本の文化が如何にあるべきかを真に深く且広く考へたものが殆どないといふことである。文化形態学的考察はアカデミックな日本精神論において極めて普通に見られるところであるが、それは等の立場に立つものであつて行動の立場に立つものではない。相対主義からは行動することができぬ。現代日本の必要としてゐるのは行動の哲学であつて解釈の哲学ではない。文化形態学的考察における日本精神論は現実の行動的な神話的な日本主義のアカデミックな変貌であると云へるであらう。
 今日の日本の要求してゐるのは、封建的なものの復興でないことは固より、伝統的なものの解釈でもなく、新しいもの、真に将来性を有するものの創造でなければならぬ。このことはつねに繰返して考へることが大切である。
 時局の課してゐる文化的課題として、何よりも戦争物、戦争文学、戦争美術、等々、を挙げる者が甚だ多い。このいはば急進派に対して自重派は戦争そのものよりもこの時における人民の生活の有様を描くべきであると主張する。いづれにしても、如何なる立場からそれらのテーマを取扱ふかが問題でなけれはならぬ。
 戦争物を作ることも必要であらう。しかし日本の文化人にはもつと重要な問題が課せられてゐる。それは即ち日支親善、日支提携といふこの事変の終極の目的に対して真に貢献し得るやうな文化を作ることである。民族的利己心や民族的傲慢心を止揚して真の意味での東洋的見地における文化を作るといふ高貴な仕事が我々に課せられてゐることを忘れてはならぬ。
 支那人の生活を描いて支那人に愛せられるやうな作品を作ることも日本の文学者の仕事の一つであらう。どのやうな仕事をするにしても、それを支那人に読まれて恥しくなるやうなものはしないやうに心掛けねばならぬ。支那人にも喜ばれ、支那人をも納得させることのできるやうなものが書かれなければならない。そしてそのやうな仕事は実にまた世界的意味を持つことにもなるのである。
 一時の興奮に駆られることは慎まねはならぬ。文化人はその仕事の高貴な目的をつねに自覚してゐることが肝要である。単に日本人ばかりでなく支那人にも喜ばれるやうなものを作れといふことは、現在戦争をしてゐる際においては迂遠なことと考へられるかも知れない。しかしこの迂遠なことが実際には大きな力となるのであつて、文化といふものは政治の現実から見ればつねに何か迂遠なことと考へられるやうなものであるが、そこにまた文化の生命と力とがあるのである。知識階級の現状について、いろいろ云はれてゐる。しかし結局、我々はインテリゲンチャを信用して好いのであり、またさうするほかないと思ふ。インテリゲンチャの自信を失はせるやうな言をなすことは、今日の政治的情勢においては、それ自体最も慎むべきことである。
 事変以来、却つて、真面目な本がよく売れるやうになつたといふ一事を見ても、我が国のインテリゲンチャが決して悲観すべき状態にないといふことが分るであらう。彼等は彼等自身の仕方で何かを感じ、何かを求め、真面目に考へ、彼等自身の仕方で国を憂へてゐるのである。ただ彼等は現在自分の思想、感情、意欲を統一的に積極的に表現すべき場所をもつてゐないだけである。それには先づ我が国の政治にインテレクチェアリティが欠乏してゐるといふことがある。インテリゲンチャに積極的に働き掛けようとするやうな政治家がないばかりでなく、全体の政治の仕方にインテリゲンチャの活溌な関心をそそり得るやうなものがない。嘗ての左翼流行時代に多くのインテリゲンチャがあのやうに容易に左翼にひかれていつた理由の一つもそこにあつたのである。そして官憲が当時左翼に対して行つた諸方策の記憶は、現在、インテリゲンチャを一般に消極的な、非行動的な存在たらしめてゐる一つの大きな原因であると云ふこともできるであらう。インテリゲンチャを能動的たらしめるためには、政治そのものがもつとインテレクチェアリティを具へることが大切な条件である。
 次に知識階級は今日この階級の内部においても自分を表現することができなくなつてゐる。言ひ換へると、今日インテリゲンチャとして表面に現はれてゐる者とインテリゲンチャ大衆との間には一つの重要な乖離が存在するのであつて、インテリゲンチャは彼等の中の者によつても十分に表現されてゐない。
 更に言ひ換へると、今日の知識階級論は知識階級自身の内面的な問題を提げて現はれ、之を展開し解決しようとしてゐるものではない。インテリゲンチャにとつて本質的な問題が単なる国策論に変貌してゐるのが今日の知識階級論である。
 本質的な問題が何ひとつ解決されないままで政策論が流行しようとしてゐる。政策論の前提であるものについての検討は次第に背後に推し遣られつつある。このやうにして進んでゆけば、日本の文化は数年後にはいつたいどうなるのであらうか。大陸経営といつたところで、それにふさはしい優秀な文化を持ち込み得るのでなければ決して成功し得るものでないことは、何よりも支那の歴史が証明してゐる。文化人が国士であることは非難さるべきことでない。しかし彼等はただ徒らに悲憤慷慨したり大言壮語したりする旧式の国士であつてはならぬ。ともすれは単に本能的なものになりがちな愛国心を知的なものに変化することが今日のインテリゲンチャの任務である。
 インテリゲンチャが国民大衆から浮き上つた存在であつてはならぬとすれば、彼等は何更インテリゲンチャ大衆から浮き上つた存在であつてはならない筈である。インテリゲンチャ大衆から離れることが国民大衆に近づくことであるかのやうに考へるのは一つの幻想に過ぎないであらう。
 現在の日本の文化は国民大衆のうちに根をおろしたものでないといふ我が国文化の無地盤性に関する議論も誇張に陥つてゐるやうに思はれる。封建的残存物から解放されようといふ要求は日本の国民大衆のうちにも普遍的に存在するのである。いはゆる西洋的なものに対する憧憬の形をとつて現はれるのは根本においてこの要求にほかならない。
 日本のインテリゲンチャは日本人以外のものでない。この事実はインテリゲンチャを自己肯定に導くのであつて、我々はただ我々の良心と知性とに従つて前進すれは好いのである。
 今日我が国の文化はあらゆる方面において変貌してゐる。この変貌の実体を掴むと共に、これを真の発展の契機に転化することが必要である。