世界文化の現実


 現代世界の文化を通観して、最も重要な特徴は何かと云へば、何よりも、文化に対する政治の支配である。従来しばしば論ぜられた文化の危機とか混乱とかといふことも、政治の文化支配といふ今日の世界文化に特徴的な事実晋に関聯してをり、これを離れて理解することができぬ。この特徴は極めて重大であり、恐らく中世における宗教の文化支配と比較し得るものである。中世哲学は「神学の奴婢」であつたと云はれてゐるが、今日の哲学は「政治の奴碑」であると云はれないであらうか。そしてこれは単に哲学のみのことではない、あらゆる文化がすでに政治の下僕であるか、或ひは政治の下僕であることを要求され、且つ政治的に強制されてゐる。中世における文化の宗教的統制に類似する文化の政治的統制が、今日における世界文化の最も顕著な現象であると云へるであらう。

 バートランド・ラッセルは宗教と科学との関係について論じ、その結びに次の如く述べてゐる(『宗教と科学』一九三五年)。今日では科学とキリスト教神学との間に最早や昔のやうな不和は存しない。キリスト教は迫害の欲望から癒された。かやうに「旧宗教」は純化されたのに、今や「新宗教」が現はれて、元気な青年の熱狂をもつて、ガリレオ時代の宗教裁判に劣らぬ性急さで、科学を迫害し始めてゐる。もし諸君がドイツにおいてキリストはユダヤ人であつたと主張し、ロシヤにおいて原子は物質性を失つたと主張するならば、諸君は厳罰に処せられるであらう。これらの国におけるインテリゲンチャに対する迫害は、その厳重さにおいて、過去二百五十年の間教会によつて行はれた何物をも超えてゐる。イギリスにおいてさへ、演説やパンフレットでコムミュニズムの意見を述べれば、生活の道を失ひ、時には投獄せられる。最近の法令に依ると、政府が危険と認める書物の著者のみでなく、そのやうな書物を所有する者までも、処罰せられることになつてゐる。ドイツやロシヤにおいてはオーソドックスの範囲が遙かに広く、この正統教義に従はない者に対する処罰も遙かに厳重である。これらの国のいづれにおいても、政府によつて公布されたドグマの一体があり、何人も公然とこれに反対することを許されない。尤も、一方で異端であるものは他方では正統であり、一方で迫害された者は、他方へ遁れることができれば、英雄として迎へられるといふことはある。しかし、いづれも、あの宗教裁判の理論、即ち、真理を促進する道は、一度にそして最後的に、何か真と認めらるべきことを正式に発表し、そして次にこれに反対する者は罰するといふ理論を支持する点においては同じである。科学と教会との闘争の歴史はこの理論の誤であることを示してゐる。我々は今日みな、ガリレオの迫害者たちが真理を知らなかつたといふことを確信してゐる、しかし我々の或る者には、ヒトラー或ひはスターリンもさうではないかと疑つてみることができないのである。知的自由に対する脅威は我々の時代において一六六〇年以来の如何なる時よりも大きい。しかしそれは今ではキリスト教教会から来るのではない。それは、現代の無政府状態と混沌との危険に基いて、以前には教会的諸権威に属した神聖不可侵の性格を襲ふた諸政府から来るのである。
 現代文化の状態をかくの如く叙述した後、ラッセルは、迫害のこの新しい形式に対して抗議することは、科学者及び科学的知識を尊重する凡ての者の明白な義務である、と主張してゐる。この義務は現に迫害を行つてゐるいづれの政治理論に好意を有するかに関はりなく大切である。コムミュニズムに対する如何なる好意も、ロシヤにおいて間違つて行はれてゐることを承認するやうに我々を傾かせてはならぬ。また逆に、コムミュニズム乃至社会主義に対する如何なる嫌悪も、これらの思想を弾圧するためにドイツにおいて行はれてゐる野蛮を宥すことに我々を導いてはならぬ。知的自由が自分に大切な者は社会の中で少数であるかも知れないが、彼等のうちには将来にとつて最も重要な人間がゐる。コペルニクス、ガリレオ、ダーウインは人類の歴史において重要な位置を占めてをり、そして将来もはやかやうな人間が出て来ないとは考へることはできぬ。知的自由に対する脅威が今日のままで継続するにおいては、人類の文化は停頓し、「新しい暗黒時代」が来るであらう、とラッセルは論じてゐる。
 知的自由或ひは自由研究を擁護するラッセルの説には我々も全く同感であるが、しかし問題は決して簡単でないことを考へねばならぬ。例へば、ファッシズムに好意を有しながら知的自由を擁護することができるであらうか。思想の自由を認めることなく、却つて思想の統制を行ふことがファッシズムの本質に属するとすれば、知的自由を擁護することはファッシズムに反対することにならねばならぬ。この反対は全面的な反対でなくて部分的な批判に過ぎぬと云はれるかも知れない。まさにその通りであつても、この部分的な批判をも許さないといふことがこの政治思想の特徴なのではなからうか。ジードの『ソヴェト紀行』は、ソヴェトの友として、ソヴェトに知的自由が有しないことを批判したものであつた。しかるにソヴェト自身は、この部分的な批判者をも敵として攻撃したのである。政治に絶対性が存する限り、部分的な批判も部分的なものでなくて全体的なものと認められざるを得ない。そしてそのことが今日の政治の根本的性格であると云へる。今日の政治のこの根本的性格は何に由来するかが究明されねばならぬであらう。しかしこの点が究明されたとしても、インテリゲンチャはそのとき、自分に大切な文化的自由を全く文化的な仕方で擁護することができるか、みづから政治的になることなしには文化的自由を擁護することも不可能なのではないか、といふ問題が生じてくる。そしてもしそのために政治的になることが必要であるとしたならば、この場合政治的とは如何なることであるか、といふことが更に問題であるであらう。これらの問題を離れて、世界文化の現実を論ずることはできぬ。なぜなら、これらの問題は今日の世界文化の根本的性格に関聯してそのうちに含まれてゐる最も「問題的な」問題であるからである。
 現代の政治が或る絶対的性格を有するのは、世界政治において統一的な原理が失はれ、却つて根本的な対立が現はれたことに基いてゐる。この対立は、云ふまでもなく、自由主義が世界政治の原理として認められなくなつた時に生じたものであり、根本においてはファッシズムとコムミュニズムとの対立である。この対立においてそれぞれの絶対性は激成される、この対立がこの絶対性の基礎である。かやうな絶対性において、例へばファッシズム国においては、コムミュニズムが絶対に排斥されることは勿論、注目すべきことには、何等かの自由主義でさへ、第三の中立的な思想と認められることなく、いはゆる赤化思想の一種と見做されて排斥されるといふことが生じてゐる。政治において本来中立といふことはあり得ないと考へられる。今日の政治の絶対性に伴つて現はれるこの特徴的な状況は−ナチスの理論家カール・シュミットによつて甚だ直截な方式をもつて表現されてゐる。シュミットに依れば、政治にとつて最も根本的な範疇は「敵と味方」といふ概念である(『政治の概念』第三版一九三三年)。敵味方の関係が政治の現実的な可能性の根拠であり、この関係の存在しないところには一般に政治といふものは存在しない。かやうにしてまた「戦争」が政治の根本概念である。戦争が政治の目的或ひは内容であるといふのでなく、一層原理的に、戦争が政治の可能性そのものの前提であるといふのである。およそ政治といふ現実は戦争によつて基礎付けられてをり、敵か味方かと絶えず決意するところに我々の政治的存在は可能になる。ここに戦争といふのは単に軍事行動としての戦争のみをいふのでなく、一層原理的に、我々が政治の領域にある限り、あらゆるものが戦争であり、敵と味方に分れると考へられるのである。いはゆる戦争は謂はば政治の最大の可能性の表現である。かやうにして、戦争の可能性が残りなく除去され消滅した世界、終局的に平和化された地球は、味方と敵との区別のない世界であり、従つて政治のない世界である、とシュミットは云つてゐる。ところで政治のない世界はアナーキーと呼ばれねばならぬであらう。それ故に戦争のない平和な世界はアナーキーの世界にほかならず、戦争を根拠として一般に政治は可能になるといふシュミットの政治論は、その内実においては、逆立ちしたアナーキズムであると見ることができるであらう。現代のアナキーを救ふと称して現はれた政治思想がみづから一種のアナーキズム、逆立ちしたアナーキズムにほかならないのではなからうか。戦争のないところに果して如何なる政治も可能でないのであらうか。シュミットに従へば、政治の存在が現実的に可能であるためには、永久に戦争牢が存在しなければならないわけであるが、かやうな永久戦争論はあの永久革命論と同じく政治の浪漫主義である。それはアナーキズムと同様、或ひはそれ以上、浪漫的であると云はねばならぬであらう。現代のアナーキーの克服はかやうな政治理論をもつてしては不可能である。


       二

今日の政治に特徴的な絶対性は、ラッセルがそれを「新宗教」と呼んだやうに、或る宗教的性格をとつて現はれてゐる。嘗て人々は、マルクス主義に対して、科学的と称し且つ宗教を排斥するマルクス主義自身がその態度において全く宗教的であると云つて攻撃したが、今日では他方かやうにマルクス主義を攻撃した者自身も同様に宗教的になつてゐる。それのみでなく、ここでは政治の宗教化が寧ろ積極的に主張されてゐる。政治と宗教との同一は勿論、一部の人々が考へるやうに、日本固有のものでなく、もともと古代の政治は世界到る処において祭政一致的であつたのであるが、今日再び政治の宗教化が新しい形態をとつて現はれてゐる。例へば、ナチスのイデオローグなるアルフレット・ローゼンベルグの説くのは、「血の神秘」であり、「血の宗教」である(『二十世紀の神話』第一版一九三〇)。今日、民族といはれるものは全く一個の政治的概念であり、政治化されると同時に宗教化されてゐる。民族について問題になつてゐるのはその実証的或ひは科学的な、乃至は文化的な概念であるのではないといふことに注意しなければならぬ。その科学的な研究も、その文化的な考察も、予め政治的に決定された一定の方向に従ひ、一定の限界を守ることを要求されてゐるのである。即ち民族論は政治に対する護教論的な関係に立つてゐる。政治は新宗教として現はれ、旧宗教に代らうとしてゐる。シュプランガーに依れば、人間は生存するために生活上の「信仰」を必要とする。しかるに近代の科学はこの信仰を与へることも支持することもできなかつた故に、信仰は他の精神的表現形式を必要とするに至つた。そして他方既成宗教もまた啓蒙時代以後ますます弱体化してしまつた。かくして宗教と科学との中間に特異の一形態が、即ち「イデオロギー」といふものが新しい積極的な「信仰」として生れて来た。イデオロギーは宗教性の一形式である(邦訳本『文化哲学の諸問題』一九三七年)。政治的イデオロギーは単に宗教と科学との中間に現はれた宗教性の一形式であるに止まることなく、それは絶対的なものとして、科学を支配し、宗教を自己に隷属せしめようとしてゐる。
 かやうな政治的イデオロギーが現はれたことは、先づ、宗教にとつて勝利を意味するのではなく、却つて宗教の敗北を意味するのである。今日の政治が宗教的であるところから、これに追随しようとする場合、宗教は自己の本質を失はねばならない。政治は宗教と竝んで一つの宗教であることに満足してゐるのでなく、寧ろ自己が宗教に代らうとしてゐる。嘗て政治を支配した宗教も、今や政治に支配されてゐる。嘗て宗教と政治とが争つたとき、政治には「権力」(ポテスタース)が、宗教には「権威」(アウタトーリタース)が属するといふことで妥協の成立したことがあるが、今日では最早やかやうな妥協の仕方は許されてゐない。政治の権力が同時に権威であることを主張してゐるのである。かやうな政治の支配のもとに、宗教は自己の権威を主張する気魄を有しないのみでなく、自己の権威の存在さへ忘れてしまつたかのやうである。嘗て知識と信仰とが争つたとき、「二重真理」の説に遁路が見出された。しかるに新宗教はかやうな二重真理の如きものを認めないであらう。なぜなら、政治は一方どこまでも天上のものでなく却つて最も地上的なものである故に、宗教的になつた政治の主張する真理とは別に天上的な真理も地上的な真理もあり得ないからである。そのことはまた、従来云はれて来た形而上学と科学との区別といふが如きものをも撤廃し、科学と形而上学とは相異る領域を有するといふが如き考へ方を不可能ならしめ、政治の形而上学に対する科学の独自性も認められなくなるのである。要するに、宗教の文化支配の場合、文化がこの支配から独立であらうとして相争ふとき、少くとも理論的には、宗教にとつても、文化にとつても、妥協の道が可能であると見えたのに反し、政治の文化支配の場合、かやうな可能性が全く有し得ないやうに見える。
 今日よく云はれることは、思想なしには政治はあり得ないといふことである。この言葉は一見思想に対する尊重を現はしてゐるやうである。しかしながら、思想と政治との関係において支配的であるのは政治であり、思想はつねに政治に従属することを要求されてゐる。先づ、今日、思想と云へば政治的思想のことである。政治的でないやうな思想は思想とは見做されず、かやうな思想があるとしても、それは政治的範疇即ち敵味方の範疇に入れて処理されてしまふ。次に、思想と思想との争ひは、思想的に即ち論理的な仕方で解決されるのでなく、政治的に、政治的手段に訴へて解決されるのである。更に、思想において何がオーソドックスであるかは政治的に決定されてをり、思想はこれに対して護教論的な関係に立つことを命ぜられてゐる。そこには不可侵の絶対的真理が予め存在する。思想はこの絶対的真理を前提した上で種々の演繹を試みるかの絶対的真理をあらゆる種類の異端に対して護ることを企てるかいづれかでなければならぬ。この異端の防止にはラッセルのいはゆる「宗教裁判の理論」が適用される。これら凡ての場合において見られるのは、中世の神学の場合におけると同様の構造である。政治学は、シュミットの言葉を転用すれば「政治神学」(彼の著書、第二版一九三四年の名)であることは勿論、あらゆる哲学、社会科学、文化科学が、本質的には政治神学であることを要求されてゐる。 旧い神学的精神は根本において政治的精神である、とアランはその戦争論『マルス』の中で云つてゐる。この言葉はアランの用ゐた意味以外においても極めて含蓄的であると思ふ。中世の終り近世の初めにおいて教会が「宗教裁判の理論」によつて新興の諸理論を弾圧し始めたのは、単に宗教上の理由に依るのでなく、ラッセルも書いてゐるやうに、寧ろ主として経済的理由に依るものであつた。例へば、ルターの教会攻撃は法王にとつて莫大な財政的損失の原因となつたし、ヘンリ八世の謀逆は法王がへンリ三世時代以来有した大きな収入を奪ふことであつた。科学は
人々の心の教会支持を弱めて、遂には多くの国において教会の財産を没収させるやうに導いた。そして今日、我々は、アランの言葉を逆にして、政治的精神は旧い神学的精神であると云ふことができはしないであらうか。しかも純粋に理論的に見れば、中世の政治的精神であつた神学的精神には、「自然法」といつたやうなものに合理的基礎を求めようとするところがあつた。しかるに今日の政治的精神はかやうな合理主義をも排斥しようとしてゐる。シュミットはドイツの法律学の現状について論じて、今日の法律学的思惟は具体的な「秩序の思惟と形成の思惟」でなければならぬと云つてゐる(『法律学的思惟の三つの種頬に就いて』一九二四年)。この概念そのものは立派である。ところで、この秩序乃至形成の思惟は従来の思惟の中では「制度主義的思惟」に近いものであるが、フランスの制度主義的法律学はカトリック的、新スコラ哲学的世界観を基礎とする故に、ドイツ的法律学はかやうな制度主義的思惟であることができない。秩序的思惟の原理は何かと云へば、それはまた民族である。しかも民族とはこの場合、絶対化され宗教化された政治的概念である。ローゼンベルグに依れば、血は「我々の到達し得る究極の現象であり、その背後に溯つて探求し研究することはもはや我々に許されてゐない」。シュミットに依れば、本質的に政治的統一であるところの国家には何よりも「戦争の権利」(ユス・ペリ)が属してゐる。しかも正義の規範に照して決定されるやうな「正義の戦争」といふものは存在せず、民族は「自己自身の決意によつて、自己自身の危険において、みづから味方と敵との区別を決定する」のである。民族を超えて正義はなく、民族が正義である。「社会正義」とか「国際正義」とかといふやうなものもあり得ないであらう。「戦争は、理想もしくは法の規範のためになされるといふところにその意義を有するのでなく、却つて現実の敵に対してなされるところにその意義を有するのである」。しかしシュミットにとつて民族は如何なる手段によつて、如何なる政治的方法を通じて真に大衆的に自己の決意を表明するのであるか、またその決意の根拠は何に基くのであるか。決意の根拠は血といふ神秘的なものであるのであらうか。かやうな決意の根拠が合理的に明かにされない限り、「秩序の思惟」は何等秩序を齎らし得ないのではなからうか。秩序の思惟とは独裁者が政治的権力によつて作り出すもの以外のものをいふのでないやうに見える。
 決意はまさに無根拠である。無根拠である故に宗教的であると云はれるであらう。しかしそれは真に宗教的であるのではなく、却つて決意の浪漫主義に過ぎないのである。この「決意」(エントシャイドゥング)といふ語は現代のドイツにおいて最も愛好される表現の一つであり、我が国にも日本浪曼派の文士によつて輸入されてゐる。それは元来宗教的な意味のものであつた。即ちそれはキェルケゴールによつてドイツに流行するに至つたものであるが、彼においては超越論的な意味を有したに反し、やがてハイデッガー等のいはゆる実存哲学のうちに採用されると共に、人間学的・内在論的なものとなり、更にシュミットによつて採用されると共に政治的・内在論的なものとなつたのである。その本質上超越的なものを認めない浪漫主義にとつて、如何にして「決意」といふものが可能であるかは、哲学的に云つても困難があるであらう。また超越的なものを認めない宗教が真の宗教として可能であらうか。政治は宗教に代らうとするものであつて、真の宗教ではない。しかしともかく、絶えず戦争の前に決意すべく立たされてゐるといふことに我々の政治的存在の唯一の可能性を考へようとするシュミットの政治論が現代の性格を巧に捉へてゐることは争はれないであらう。
 文化の政治への従属が如何なる姿をとるかについて更めて叙述することを要しないであらう。それは右に述べたところから容易に描き出され得ることである。神学的精神は、ラッセルやジードの記述に従へば、今日のソヴェトの政治竝に文化のうちにも支配してゐる。重要な相違は、ソヴェトにおいては宗教が否定されてゐる。ソヴェトの政治はむしろ科学に立つと解せられる。その国においてさへ、今日、政治乃至科学は神学化されてゐる。ジードのソヴェト紀行についてすでに多くの文章が書かれてゐる現在、問題はあまりに多い故、我々はここでその点に立ち入ることをやめておかう。如何なる議論にも拘らず、ただ一つ確かなことは、ソヴェトにおいても文化の政治への従属が存在するといふことである。


       三

 かやうにして今日における世界文化の根本的特徴は文化の政治化であり、そしてそれはまた文化の神学化である。そこに現代文化の危険がある。かくてシュプランガーでさへ、この政治化について、「これこそ今日西欧の学問が直面してゐる危機である。それは単なる危機ではなく、明かに恐るべき死の危険である」と云つてゐる。但しこの哲学者が他面、如何にしてこの政治に妥協乃至追随する道を準備したかに就いて、私は他の場所で述べておいた。かくの如き文化の「死の危険」に際して我々は如何にすべきであらうか。
 先づラッセルの云ふやうに知的自由が要求されねばならぬことは確かである。この要求が、今日の政治的情勢において果して効果を収め得るかどうかは疑問であらう。しかし、すべての事柄について、とりわけ文化上の事柄についてさへ、ただその結果をのみ問題にするといふことは、それ自体すでに今日の政治主義の影響を受けてゐるのであつて、政治への屈服の最初の形態であると云へるであらう。結果主義にとつては現実に追随することが最も賢明な方法である。私は今この文章を書きながら桑木ケ雄(いくお)博士の「マッハの世界観」の中に引かれたアインシュタインのマッハ論の一節を読んで或る感動を覚えた(『科学ペン』新年号)。アインシュタインはマッハの認識論的研究について云つてゐる、「自然科学の研究者たるべき人々が何が故に認識論の如きに煩はされるのか、さやうなことよりも一層価値のある仕事が眼前にないのであらうか、とは多くの専門家たちが口に云ひ、又云はないまでも、さう心に思つてゐると感じさせるが、自分は夫には同意しない。……マッハのメリットを価値づけるためには、マッハがかやうな一般的な問題に、彼より以前の人が嘗て想到し得なかつた何物かに考へ及んだのであるかなどとの問を投げてはいけない。かういふ事柄に於ける真理は、何度でもいいから、その時代の要求に応じて、新たに力強く彫りつけることが必要なのである。さうして繰返さないと遂に夫れは失はれてしまふ恐れがある」。聯想はやや唐突であるにしても、知的自由といふことも、何度でもいいから、その時代の要求に応じて、新たに力強く彫りつけることが必要なのである。さうして繰返さないと遂にそれは失はれてしまふ恐れがある。知的自由が失はれてしまへば、人類の文化にとつては「死の危険」があり、「新しい暗黒時代」の来る危険があるのである。この危険は、人間は特に勝れた適応性を有するものであるから、今日の世界の情勢において存在するのである。教育が現在のやうに政治に従属してゆくならば、やがて彼等にとつては知的自由などといふものは最初から全く問題にならないやうな人間を作り出すことになるかも知れないのであつて、危険は単なる仮想に過ぎないやうなものではない。近代科学は決して突然に興隆したのではなかつた。中世の神学的時代のうちにも科学的精神、自由研究の精神を失はなかつた少数の人間が存在し、彼等によつて「聖火」は守り続けられて来たのであつて、それがやがて天に冲する炬火として燃え上つたのである。この場合、先づ政治が、そして次に文化が問題であるといふやうな考へ方に危険があることに注意しなければならぬであらう。我々は両者を発展的に考へることに全く反対するのではないが、しかしそのやうな考へ方は問題を絶えず未来へ押しやつて、現在が現在として有する意味を抹殺することになり易い。未来はあらゆる責任を自分に負つてはくれないであらう。たとひ文化的自由は将来に至つて初めて可能にならねばならぬものであるにしても、今日においてつねに説き続けられることが必要なのである。
 今日の形態における「政治の優位」に対して反対する者は文化主義者として軽蔑されるかも知れない。かやうな軽蔑は従来すでに一部のマルクス主義者から投げられて来たものである。しかし考ふべきことは、今日においては文化主義も決して文化主義に止まるものでなく、それ自身一つの政治的意義を有し得るといふことである。なぜなら、凡てのものが政治化されるといふことが今日の必然性であつてみれば、この必然性そのものによつて文化主義にも一つの政治的意義が賦与されるであらう。今日においては、例へば、藝術至上主義といふが如きものも、その名目以外他の一つの政治的意義を有し得るのである。文化主義は、今日の政治に対する一つの批判、しかも一つの厳粛な批判の意義を有し得るのであつて、このバラドックスを理解することが凡ての文化人にとつて大切である。
 政治は運命であるといふ言葉ほど、今日誘惑的なものはないのであらう。「ナポレオンは、嘗てゲーテと悲劇の性質について語つたとき、近代の悲劇と古代の悲劇との本質的な区別は、人間が屈服すべき運命といふものを我々は最早や有しないで、昔の運命の代りに政治が現はれたといふところにあると考へた。政治はかくして悲劇にとつて新しい運命として、個人が屈従しなければならぬ環境の不可抗的な権力として使はれねばならぬであらう」、とへーゲルは彼の『歴史哲学』の中でローマ的世界について論ずる発端に書いてゐる。ローマ的世界はかくの如き権力である、と彼は書いてゐる。政治は運命であり、また悲劇であるといふ言葉は、今日のドイツのイデオローグたちの共鳴を喚び起し得るであらう。古典悲劇のテーマは運命であつた。ギリシア人にとつて運命も、それを取扱つた悲劇も彼等の民族的宗教と全く密接に結び付いてゐた。ところでギリンア悲劇は、この運命をそのまま受取つたのでなく、不合理に見えるこの運命に対して問を覆して止まなかつたところから生れたのである。即ちギリシア悲劇の根本問題は、いはゆる神義論、言ひ換へれば、宗教的運命的であるものが如何にして理性の要求、我々の倫理的要求と一致し得るかといふことであつた。もし今日我々にとつて政治が「新しい運命」であるならば、我々の文化もまた、この運命に対して如何にしてそれが理性の要求、我々の倫理的要求に一致し得るかといふことを問ひつづけることから生れると考へられるであらう。しかしそれは一つの神義論としてすでに護教論的立場に立つてゐると云はねばならぬであらう。しかも、もし類推を大胆に進めるならば、今日の時代はすでに前進してゐる。ギリシアにおいて悲劇詩人についでソフイストが現はれたやうに、今日においてもすでにソフイストは現はれてゐるのである。眞に要求されてゐるのはソクラテスではなからうか。ソクラテスはその時代の人々からソフィストと見做され、ソフィストとして処刑された。しかし彼は単なるソフイストではなかつた、彼はどこまでもソフィストでなかつたと同時に彼こそ真のソフイストであつたとも云へるであらう。かくして比喩的に云へば、現代のソクラテスとは如何なるものであるか、といふことが現代文化の根本問題であらう。もとより、すでに史上のソクラテス問題が簡単でないやうに、現代のソクラテス問題は尚更簡単でないであらう。