学 問 論


四七入
      肘
稲渾璽日の『学問のす〜め』は常時廣く影響を輿へた著述であるが、現在も学問に志す人にぜ
ひ一度讃むことを勤めたいものである0拳闘の意義について考へょうとする場合、そこには今も
重要なものが含まれてゐる0もちろん現代は南洋の時代とは異る一つの他の輯換期である。しか
                                                            「ヽ
し共に輯換期であるといふ意味において相通ずるものがあ見であらう。今日彼の思想をそのまま
承認することはできないにしても、学問に関する彼の把握の仕方そのものには学ぶべきものがあ
ると思ふ。
 『学問のす〜め』に現はれてゐるのは一つの新しい学問或ひは教養の理念である。それは拳闘
乃至教養の封建的理念に対する近代的理念である0幅澤はいつてゐる、「学問とは唯むづかしき
字を知り解し難き古文を讃み和歌を欒み詩を作るなど世↓に箸のなき文学を云ふにあらずこれ等
の文学も白から人の心を悦ばしめ随分調法なるものなれども古来世間の儒者和学者などの申すや
ぅさまであがめ貴むべきものにあらず古来漢撃老に世帯持の上手なる者も少く和歌をよくして商
費に巧者なる町人も稀なりこれがため心ある町人百姓は其子の学問に出棺するを見てやがて身代
を持崩すならんとて親心に心配する者あり無理ならぬことなり畢尭共学間の賓に藷くして日用の
間に合はぬ謹墟なりされば今斯る青なき学問は先づ次にし専ら勤むべきは人間普通日用に近き青
寧なり」と。即ち封建的な教養或ひは学問としての1文学Lに封して強調されてゐるのは1賓寧L
である。官学といふのは晋生活において有用な学問のことである0『学問のすゝめ』はただ浸然
            ‡1.If‡.
と学問を奨励したのでなく、その根砥は学問の理念の欒革に関係してゐるのである0これが先づ
注目すべき竺の鮎である。尤も、両津の説いたのは1学問」そのものの攣草、その方法論的欒
革でなく、むしろ文学よりも官学といふ1教養Lの理念の欒革であつたといはれるであらう0し
かしながらこの新しい教養、いはゆる音撃は、立代科学のもたらした学問上における方法論的攣
革を侯つて可能になつたものである。青際的な教養理念と論理的な学問理念とは密接に関聯して
ゐる。学問の理念の欒草なしには根本的に新しい教養の理念は存在することができぬ0
第二に、『学問のすゝめ』の根砥をなしてゐるのはまた封建的な人間覿−杜曾現に封する新し
学 問 論
四七九

                                              四入○
い近代的な人間観、杜合観である0この書は、1天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと
云へり」といふ、常時人口に瞼泉した句をもつて始まつてゐる。人が拳闘するのは、本来自由濁
立である人間が眞に自由攣止になるためである0自由はもちろん我俵と同じではない。またそれ
は利己主義とも達つてゐる01人の心身の働を細に見ればこれを分て二様に直別す可し竺は一
人たる身に就ての働なり第二は人間交際の仲間に居り其交際の身に就ての働なり」と南洋はいひ、
かかる1人の性」に徒つて拳闘の旨にも二様あるべきことを論じた。学問は身のため、世のため
である01固より濁立の活計は人間の〓八事汝の額の汗を以て汝の食を喰へとは古人の教なれど
も余が考にはこの教の趣旨を達したればとて未だ人たるものゝ務を終れりとするに足らずL、自
分で攣止ができるといふので得意の色を潰す者もあるが、かくの如き人はその青「唯蟻の門人と
云ふ可きのみ0」1人の性は群居を好み決して濁歩璧止するを得ず」、「凡そ何人にても研か身に所
得あればこれに由て世の盆を為さんと欲するは人情の常なり或は自分には世のためにする意なき
も知らず識らずして後世子孫自から其功徳を蒙ることあり人に此性情あればこそ人間交際の義務
を達し得るなり舌より世に斯る人物なかりせば我輩今日に生れて今のせ界中にある文明の徳渾を
蒙るを得ざる可しOL拳闘は音にかくの如き人間の産物である。「舌の時代より有力の人物心身を
人告丸卜ゝふ
∫ラにこぴ首こV
札訂
へ?ちニ?
 )一
′凌切ならず」と断じ、「攣芸気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、
労して世のために事を為す老少なからず今この人物の心事を想ふに豊衣食住の餞なるを以て自か
ら足れりとする者ならんや人間交際の義務を重んじて其志す析蓋し高速に在るなり今の学者は此
人物より文明の遺物を受けて正しく進歩の先鋒に立たるものなれば共進む析に極度ある可らず今
ょり数十の星霜を経て後の文明の世に至れば又後人をして我輩の徳渾を仰ぐこと今我輩が古人を
崇むが如くならしめざる可らず」、と編渾は述べてゐる。しかし彼は自分の濁立を維持すること
もできない者が徒らに天下国家を論ずることを嫌つた。即ち「濁立の気力なき者は囲を思ふこと
人を恐るゝ者は必ず人喧謡ふ軒のなり常に人を恐れ人に詔ふ者は次第にこれに慣れ其面の皮繊の
如くなりて恥づ可きを私ちず論ず可きを論ぜず」と述べ、更に「内に居て猫立の地位を得ざる者
                                       ヽ′■l青
は外に在て外国人に揺するときも亦濁立の樺義を伸ること能はず」と記してゐる。およそ「一身
濁立して一国濁立する」のである。「自由猫立の事は人の一身に在るのみならず一国の上にもある
こ之なり。」人が寧問するのは、自身の猫立のためであり、自国の猫立のためである。南洋のいふ
自由濁立がその時代の制約によつて自由主義的なものであることは学はれないところであり、徒
つてその限り現在そのまま承認され得るものでないことは言ふまでもない。ここで我々にとつて
拳 闘 論
四入一

                                              四入二

注目を要するのは、一定の教養或ひは学問の理念と一定の人間観、紅禽観、更に一定の時代にお
ける人間、祀合との問に聯関が存在するといふ一般的事晋である。いはゆる晋寧の思想は、自由
濁立の人間観、融合覿と連繋してゐる。大きく見ると、迂代杜合の蚤達と近代科挙の蚤達との間
享▼‡享
には密接な関係がある。近代科学はあらゆる人間において平等と考へられる理性を基礎とし、そ
れ以外に秘義はなく、それ以外の権威を認めない。この鮎それは、秘義とか構成とかいふものの
存在した封建的な学問と本質的に違つてゐる。近代科挙は封建的な学者のギルドを崩壊させるこ
とになつたし、またその崩壊によつて教達した。近代科挙は誰でもが近づき得る性質のものであ
る。それは観察、晋験、推理といふやうな、誰でも用ゐることができるいはば世俗的な方法に操
つてゐる0それは本質的にデモタラティツタであるともいひ得るせあらう0
自由主義の教達はか
やうな科挙のために授けられたし、また自由主義杜合の黎展によつてこの科学の教達も可能であ
ヽ一∫l■l▼
つたのである。
第三に、右のことと関係して『学問のす〜め』において注目されるのは、南洋が学問の普及と
君 主I・・享▼鼻
共に道徳、とりわけ杜・曾道徳の改善を期してゐるといふことである。ここでも目標が封建的道徳
に封して自由狩立の精紳に基く近代的道徳を鼓吹するにあつたことは言ふまでもないであらう。
かやうにして彼は、或ひは「人は同等なることL、また「囲は同等なること」を説き、或ひは「名
分を似て偽君子を生ずるの論」をなし、或ひは「国法の貴きを論じ」、また「国民の職分を論じ」
てゐる。なかにも彼が「学者の職分」を論じて、「此学者士君子皆官あるを知て私あるを知らず
政府の上に立つ術を知て政府の下に居るの道を知らずL、「是れを似て世の人心盆其風に靡き官を
慕ひ官を頼み官を恐れ官に講ひ竜も猫立の丹心を夜露する者なくして其醜饉見るに忍びざること
なり」と慨歎し、濁立の意義を述べてゐるのは、自己の行動に封する彼の自信のほどを示して輿
味が深い。学問の精紳と道徳との問には密接な関係が存在してゐる。智育と徳育とを分離して考
▲■l亨ll一・J′lil一l▼
へることは、道徳にとつて有害であるけみでなく、学問にとつても有害である。かやうな分離は、
例へば、学問の理念は自由主義的に止まりながら、道徳の理念は仝鰹主義的であらうとするやう
なところから生じてくる。倫理にとつて知識が必愛であるといふのみではない、知識にも知識の
倫理がなければならぬ。しかもその倫理は学問の理念の異るに従つて異ると考へることができる
であらう。古代的乃至中世的学問の根砥にある知識の倫理は、近代的学問の根砥にある知識の倫
理と同じではない。新しい道徳の理念には新しい学問の理念が相應し、逆に新しい学問の理念に
は新しい道徳の理念が相應しなければならないのである。
学 問 論
四入三

四八四
       〓

 さて頑渾諭吉が学問として勤めた音寧は、その後我が国において必ずしも順調な教達を見なか
つた。これは一般的には我が国における自由主義の教達に種々の制限がおかれてゐたといふ事情
に関係があるであらう。更に具膿的にいふと、それは我が国の大挙が従来主として官僚養成所の
戦があつたとか、そのうへいはゆる法科萬能の観があつたとかいふ事青において示されてゐるで
あらう。思想的に見ると、官学思想はドイツ哲撃と共に愉入された人文主義的教養の理念によつ
て抑燈されてきたのである。しかるに近年、日本の国家的必要は或る面において青寧思想を新た
に喚び超すに至つた。殊に最近、国際情勢の攣化と共にいはゆる秤寧・技術の蜃要性が痛感され
るやうになつた。南洋のいつた音寧の意味を特に科挙・技術の面において強調して考へると、彼
の説いた通り困の猫立のために学問の大切であることが現晋に明かになつてきたのである。しか
もやや誇張していふと、自由主義の克服が叫ばれるやうになつた今日却つて他方青寧思想が力説
されるといふことになつた。そこに現在我が国における学問の問題に絡む若干複雑な事情が積た
はつてゐる。
 今日いはゆる科挙・技術が自然科学とこれに基く技術を意味することは明かである。徒つて我
我は先づこのものが如何なるものであるかを考へてみなければならぬ。その科学性といふものが
音譜性と合理性、或ひは経験性と論理性の統一であるといふやうな議論には今は立入らないこと
にしよう。ここで注意すべき一つの簡軍な、しかし決して重要でなくはない事青漑、そのいはゆ
る科挙・技術が西洋においても近代に至つて初めて教達したものであるといふことである。その
止一 一 Z■■
.頭i
場合全く劃期的な世界観的欒革があつた。もちろんこの科学や技術の萌芽と見られるものは眈に
古くから存在してゐたけれども、近代科学や近代技術は畢にその連続的な蚤展と考へ得るもので
なく、そこに飛躍的な学問理念の攣化、世界観的攣革といひ得るものがあつたのである。科学が
輿へるのは世界像であつて世界観でないといふ議論は、この度史的事情においては適切でない。
近代科挙のもたらしたのは中世的世界観に対する一つの全く新しい世界観であつた。それだから
こそ近代科学の初期における指導者たちは歴史の示す如く幾多の迫害に抗してこの新しい学問理
念を戦ひ頼らねばならなかつたのである。科学的精紳といふものが何であるかを理解するために
は、かやうな世界観的攣革の意義を深く反省することが肝委である。我が国はこの科挙を結果と
して西洋から輸入したのであるが、そのためにその根源におけるかやうな世界観的攣革をそれほ
拳 闘 論
四入五

ど痛切に経験することなしに過すことができた。尤も、
l音−
的宗教が存在しなかつたといふ事情にも依るであらう。
四入六
これは東洋にはキリスト教の如き超越論
或る意味で東洋思想は西洋の中世思想よ
りもむしろ舌代ギリシア思想などに一層近いとも考へられる。しかし西洋でも古代思想と近代科
挙との関係は単に連績的に見ることができないやうに、東洋思想と科学との関係を簡畢に融合的
に考へることはできない。そこにはどこまでも非連績的なものがある。先づこの非達績性、言ひ
換へると、近代科学のもたらした全く新しい学問理念、世界観的欒革の意義を深刻に把握するこ
とによつて、しかる後これと東洋思想との統一も初めて眞剣な問題になるのであつて、その関係
−∫ミI∫     −     1一−I
を強ひて連績的融合的に考へょうとすると却つて眞の科挙的精紳の理解を妨げることになるので
ある0                    1淋
 例へば、今日、我々の組先が如何に科挙的であつたかを示すために挙げられるのは科挙である
    }
よりも技術であり、この技術のうちに如何に優秀な科学が含まれてゐるかが語られるのがつねで
ある。この議論は或る意味では正しく、しかし或る意味では的外れである。技術は人類と共に古
く、近代科挙が現はれる以前すでに世界到る虞に教達してゐた。それのみでなく、近代科学が現
▲一盲lll一書I
はれる以前においては、東洋における技術は西洋における技術よりも寧ろ進歩してゐたとさへい
ふことができ、少くとも東洋祀合の西洋杜▲曾に対する立遅れは存在しなかつたのである。しかる
にその後三百年の間に著しい懸隔が生ずるやうになつたのは何故であるか。そこに近代科学の出
現があつたのである。それ以後この科学を基礎にした技術は従来の技術に対して全く新しい性質
・・与一一lI.−
のものである。そこには造兵時代と機械時代といふやうな差異が認められる。人間は技術によつ
て環境を再形成するのであるが、かやうに再形成された項境は軍なる自然とは達ひ歴史的なもの
であるといふ意味でこれを自然から直別して景観ハランドシャフト〕と呼ぶならば、道具時代と
機械時代との間′には、或る人が名附けた如く、「文化景観」と「機械景観Lとの差異を認めること

ができる。文化景観においてはすべてのものが有機的である。造兵はいはば手の延長である。自
然と人間、身膿と精紳の関係もそこでは有機的である。この時代においては戦竿でさへもが有機
的であつたといふことができる。しかるに機械景観においては、項境と人間、身鰹と精紳の間の
非連続的な関係が著しく現はれてくる。機械はもはや手の延長ではない。人間の作つた機械が却
                                                                               i
つて人間を支配するといふやうなことが生じてくる。技術に対する攻撃の原因となつた如き、技
術に関する倫理的、杜合的、文化的問題は、機械時代に至つて初めて現はれてきたのである。かや
うなところからも知られる如く、近代技術とそれ以前の技術との間には極めて重要な性質の差異
拳 闘 論
四人七

                                            四入入

がある。近代科挙のもたらしたこの攣草の意義を無親して、この科学とそれ以前の技術とを軍に
連績的に考へることは許されない。もちろん昔の技術、いはゆる原始技術も、技術である以上、
ヽ′盲■il一l■
何等かの科挙を含んでゐるのは普然である。自然の法則に反して人間は何物をも作ることができ
∫▼
ぬ。そして例へば日本刀のうちに優秀な科挙が含まれてゐるといふことから、日本人に優秀な科
寧的性能があると考へることもその限りにおいては正しいであらう。しかしながらそのために近
代科学遊びに近代技術とそれ以前の技術との間に存在する本質的な対立、非連績を見逃すやうな
ことになるとすれば、大きな過失である。この対立、この非達績の意味を方法論的に正確に把握
するのでなければ、今日の科挙の眞の精紳は理解され得ないであヰぅ。
 以前の技術と近代技術との差異は、技術と科挙との封立を考へさせるに十分である。何故に以
前は西洋に此眉し得る程度に黎達してゐた東洋杜合における技術が停滞したであらうか。東洋杜
曾は鎗りに技術的であつたために却つて技術的でなくなつたといふことができる。科挙はその本
性上抽象的なものである。それは現青の具鰭的な晋践的技術的課題から出立するにしても、一旦
その技術的青践的立場を否定して純粋に知識のための知識、理論のための理論を追求するところ
に成立する。科学が求めるのは一般的な抽象的な法則である。科学的思惟は主として分析的であ
る。現代物理学は非直観性を特色とするといはれてゐる。しかるに東洋的思惟の特赦と見られる
のは直観性であり、綜合性である。東洋的世界観は、心身一如とか色郎是宰とかいふやうに、
「酎」とか「一如」
とかいふ字で現はされる直観的、綜合的把握において極めて鋭いもの、深い
ものをもつてゐる。しかしそれだけ分析的なところ、直別し、抽象し、論理的に構成してゆくと
ころ、また仮説的に考へてゆくことに鉄けてゐる、つまり科学性から速いものである0もちろん
そのために東洋的な直観が全く非合理的なものであるかの如く考へるのは愚かなことである0技
術の見地からいふと、或る種のものは東洋において西洋のものよりもすぐれたものが後見されて
ゐるのである。技術は科学に此して具饅的なものであり、直観とか綜合とかは或る意味で技術に
とつて重要である。東洋的思惟は行為的直観の立場に立つといはれるが、それは技術の立場に立
っといふこともできるであらう。しかしながら技術においても近代技術の如く科学を基礎とする
場合、もはや畢なる直観では不†分である。科挙は技術の立場を否定して抽象的になることによ
って却つて眞に技術に役立ち得るのである。東洋杜合は飴りに行為的技術的であつたために、科
寧の教蓮に遅れ、技術も停滞せざるを得なかつたといはれるであらう。技術と科学との間にかく
の如き関係が見られるとすれば、科挙を畢に技術の見地からのみ考へて科挙そのものの猫自性を
寧 問 論
四入九

四九〇
認めないといふことは、科挙の進歩を妨げることになり、延いては技術そのものの教達をも害す
ることになるのである。この鮎、物を行爵的立場から見るといふ深い俸統を有する我が国におい
ては特に注意しなければならぬ。


       三

 もちろん東洋杜合といつても支郷と日本とは同じでない。アジア的停滞性といふ言葉は支那の
杜禽についてはあてはまるにしても、日本の杜禽はむしろそのやうな停滞がなかつたことを特色
としてゐる。この粘から考へて、日本は科学の覆達に一層適してゐたといふことができるであら
う。既に述べた如く、近代的な拳闘は近代的な祀禽の黎達と密接に関係してゐる。そしてそれは
頑澤のいはゆる自由猫立の精紳によつて進歩した。近代科挙を継承して教展させようとする場合、
やはりその精紳が大切である。言ひ換へると自由主義の善いところがどこまでも活かされてゆか
なけれはならない。これは今日、一方科挙振興が唱へられ、他方自由主義打倒が叫ばれてゐる現
状において、特に注意を要することである。自由主義は超えられねばならぬ。しかしもしそれが
自由主義の畢純な否定であるとするならば、それは科学的精紳の否定に終らなければならないで
   ー
ぁらう。また近代料率はその本性上いはばデモタラティツタである。それには秘義といふものが
なく、その本質上公共的なものである。そしてそれは公共的であるために一般人の間に普及する
ことによつて教達したのである。自由主義の教達と閑聯した学問のこの性格は今日においても継
承され、更に教展させられねばならない。派閥とか秘密主義とかいふ封建的なものは学問の精紳
に反するのである。
しかし近代科学の教達に輿つてカのあつた自由主義は同時にそれに封して制限をおくことにも
なつた。かやうな制限がその功利主義、無統制な自由競竿、個人主義等に由来することはエ計ふま
′ll一−,
でもないであらう。例へばその功利主義のために基礎科挙の方面が忽せにされるとか、その自由
競竿のために技術が公開されないで改良を妨げられるとか、またその個人主義のために研究が粥
立的・断片的になつた。しかるに学問そのものは本質的に反封の要求をもつてゐる0近代的学問
はその本質に徒つて個人的・嬰止的・制限的・断片的研究から、組織的・協同的・大規模研究に
向ふべき傾向をもつてゐる。これは何よりも近代科学における方法論的攣革によつて指示されて
ゐることである。
                              il−
即ち近代料率は前代の学問の方法が主観的・思沸的・抽象的・演繹翰であるの
に対して、客観的・締約的・音譜的・音験的である。そけ研究は協同を必要としてをり、またそ
拳 闘 論
四九一

Z周一周潤一瀾頂璃凋ノ13イ当。頒‥.ふ。ノY▲−ミ1】ミ、ヲj″喜∂メヌg√∴∫弓一芸..−。至 ≡                                            ヨd周
           ヽ′・ノ
      告新しい研究組織は奮い協同祀合の復活に止まることなく、そのうちに自由主義のすぐれた遺
      産を継承しっつ新たに形成される協同杜合でなければならぬ。この新しい組織は新しい学問の理
      念の表現でなければならぬであらう。畢に組織を攣へるだけで、その学問の理念は依然として元
       のままであるとすれば、組織に生命がないのみでなく、寧問の教達を却つて阻害することになる
      であら、γ。いはゆる拳固新餞制において問題になるのはその学問の理念が如何なるものであるか
       といふことである。ここに学問の理念といふのは軍に学問を個人のためにするか杜合のためにす
       るかといふやうな問題に止まらない。それはむしろ学問利用の方途に関するものであつて、学問
       そのものの内的な理念に関係しないであらう。編澤の如きも、ただ自己のために学問する者を
       「蟻の門人」に過ぎないといつてゐる。問題は学問の内的な理念そのものである。しかしまたこ
      の理念は人間覿、組合覿と密接な関係を有し、徒つて個人主義とか仝饅主義とかいふ問題もそれ
        にとつて決して無関係ではないのである。
      自由主義的駁撃問は世界主義的であるといはれてゐる0もしこの世界主義といふものが学問の
      有する客観性、普遍安常性を意味するとすれば、学問が世界的なものであることは常然である。
      特に近代科挙はそのやうな客観性を獲得することに成功したのである。もちろん科学といふもの
                                             四九二

の方法は研究の協同を可能にしたのである0しかるにかやうな科学の啓求を完全に青現するため
には自由主義の制限を超えた新しい学問研究の組織が作られなければならぬ。
ところで学問研究の組織そのものはまた学問の理念の表現である。古代におけるアカデミーは
  ヽノl「 .一一..1
古代的寧間の理念の表現であり、中世における愴院は中世的学問の理念の表現であり、近代にお
ける学校は近代的学問の理念の表現である。
近代的学問の理念が如何に自由主義的であるかは、
近代の学校を舌代のアカデ、、−とか中世の愴院とかと比較して見れば明瞭であらう。今日我が固
において塾とか道場とかいふものが迫々設立されつつあることは注目すべき事音である。そこに
求められてゐるのは畢に教授法の改善といふ如きものに止まらないであらう、根本においては撃
                              榊
閏の理念が問題であるのでなければならぬ0塾とか道場とかの目指してゐるのは自由主義の克服
であり、協同組合的なものの復興である0嘗際、以前の学者乃至学徒の組織は協同杜合的であつ
た0その鮎において、自由主義を超えるものが求められてゐる今日、復活されねばならぬ多くの
ものがあるであらう0しかしそれは以前のもののその僅の再生であることができない。昔の塾や
道場のもつてゐた封建性をそのまま復活させることは無意味であるのみでなく、有害でさへある9
封建的な組織は封建的な学問の修業には適してゐても、近代的な学問の研究には適しないのであ
ーhrl−F−Fk−‥一
’一∃彗
学 問 論
四九三

                                             四九四
も一定の歴史的人間、即ち一定の個性を有し一定の民族に属する人間が研究するものであるから、
その到達された結果は論理的に世界的普遍性を有するにしても、それに到達する具膿的な手績に
     ー     T一li一,▲′11′一llll一−一l一一.i篭1.
おいてはおのづからその個性なり民族性なりが現はれるものである。
科学者にも直覚的な型と論
理的な型とがあるといはれてゐる0そのやうな意味において科学の民族性を考へることもできる。
しかし科学の国民的性格といふものは一層根源的に他の方面から考へてゆかねばならぬであらう。
                                                   阜
いま技術に注目するならば、技術は耗々の生存する環境を形成するものであり、この環境は歴史
的に限定されたものである0我々は無限定な客間に住んでゐるのでなく、一定の国土に生を享け
てゐるのである0それぞれの民族は歴史的に限定されたいはゆる生活審問を有してゐる。この生
活客間に見出される賓源もおのづから限定されたものである0かaにして表の技術はその困
盲−・′lミ1I・−音
の有する資源及び環境に郎應してその困濁自のものがあるべき筈である。自己の有する環境及び
資源を最高度に利用することはそれぞれの民族に課せられた任務であるといひ得るであらう。こ
の任務は各民族が世界に封して牟フてゐる任務である0日本には日本的技術がなければならぬ。
しかるに従来我が国においてはかやうな日本的技術の敬達に乏しく、その技術の大部分は欧米か
                           /
ら直渾的に輸入したものであつた0徒つてそ■の資材を我が国において補給し得ないものも多く、
耶州
払鮎
また外国製の機械で日本人の身鰭に適合しないために不便を忍んで使用しなければならぬ場合も
あつた。かくの如き事態は、営利的見地から自国の技術を培養するよりも外国の技術の輸入を選
ぶとか、また営利的見地から自国の資源の閑覆利用を計るよりも外国からの輸入資材に依存する
のを得策としたとかいふことに基くであらう。しかるに世界経済における自由主義が著しく制限
され、アウタルキー的傾向が穎著になるに及んで、我が国の技術が困難に直面することもそれだ
け多かつたのである。これは我々に技術の席史性についての反省を要求する深刻な事晋である。
技術は元来歴史的に限定されたものである。
我々に技術的課題をもつて呼び掛けてくる自然は、
いはゆる生活客間として、畢なる自然でなくて環境的自然であり、眈に歴史的なものである。
 ー


たそれを形成してゆく技術における我々の意欲或ひは目的も歴史的に限定されたものである。
かやうにして技術が歴史的なものであるとすれば、科挙もまた技術に制約される限り歴史的な
ものであることが理解されるであらう。科学ももと技術的賓践的課題の中から、その解決のため
に生れたものであることは歴史の示すところである。特に現在の事情において、我が国の科学が
日本の首面してゐる技術的課題の解決に努力すペきは常然のことである。そこから新しい日本的
                                                              }lヽ一l一1ヽ一
性格の科学が生れてくることも可能である。科学も歴史的世界から出てくるものである。科学が
寧 問 論
四九五

四九六
明かにしょうとするのは自然の客駒的な一般的な法則である。しかるに技術の見地から見ると、
科学は技術の一つの要素、
一つの契機に過ぎないといふことができる。按術は科学の明かにする
やうな自然の法則と人間の主観的な目的との綜合である。
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技術は因果論に徒ひながら同時に目的論を現はしてゐる。
科挙が明かにするのは因果論であるが、
力学の法則に徒ふ機械は同時に全能と
部分との目的論的構造を示してをり、技術的過程の構造もまた同様である。技術が作り出すのは
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一本の草、一本の木といふやうな具燈的なものである。
かくの如き鮎から考へて技術は科学より
も具鰹的なものであるといふことができる0近代的な学問の理念は自然科学に定位をとり、その
ために抽象的に陪つた。
これに対して新しい学問の理念はむしろ技術に定位を頼らねばならぬで
あらう0それはもとより科挙を排するものでなく−却つて今日の按術が科学を含まねばならぬや
うに、科学を含むものである○近代的な学問の理念が技術をそのうちに含まれる科学の面からの
み見て科挙と同
む按術の一層具

して考へたのとは逆に、新しい学問の理念はむしろ科学をその契機として合
な立場に立たねばならぬであらう0科挙と技術とはすでに理論と青践といふ
意味において封立してゐる。
技術においては軍に物を知ることが問題でなく、物を作ることが間
                                                                                     .1一l
超である0科挙の理念が法則であるのに対して、技術の理念は形であるといふこともできる。科
塵丁と技術との対立を理解することは科学の濁自性を理解するためにも大切である。しかも科学と
技術とは統一である。何等か科学性をもたないやうな技術は存在しない。新しい寧問の理念はか
ノ〜の如き封立の統一に立つのである。技術に定位をとる学問の理念はその本質上行為的でなけれ
ばならない。ケしてそこにおいて強調されるのは学問の歴史性である。自然科学も歴史的世界か
・ら出てくるものとして歴史的である。新しい学問の理念は決して技術に対して科学を放しめるも
のでなく、その本来主張するところは学問の歴史的行矯的本質である。近代的学問の理念は非音
蹟的、非歴史的であつた。これに封して新しい学問の理念は晋践的、歴史的であることによつて、
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鞋丁に自然科学のみでなく、杜▲曾科学とか文化科挙とか歴史科挙とかをも自己のうちに統一するこ
とができるであらう。その際技術の概念も自然に対する技術のみでなく、杜・曾に対する技術にま
で按張されねばならぬ。ところでかやうにして新しい学問の理念の確立さるべき方向が輿へられ
るとすれば、その場合には衆比什的世界観との統一も可能になるであらう。東洋的思惟は元来行鴇
的技術的であつたのである。しかし東洋思想のうちに従来映けてゐた科学がその否定的契機とし
■て敲き込まれ、これによつて媒介されねばならぬ。かやうな学問の理念はまた新しい人間観、杜
魯観とつながるであらう。それは形成的人間の人間覿である。それが協同主義的祀合覿に立つベ
拳 闘 論
四九七

きことは技術的活動の祀禽的協同的性質を見れば明かであらう。
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四九入
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