雄弁について


    !雄持と政治11

先日イギリスの政治家ボんドヰンの『英国論』といふ演説集を讃んでみたら、その中に雄将
について論じたものがあつた・この演説は、レーリツタ(雄挿)に関する各人の意見は、彼がそ
の能力を有するか杏かによつて着色される、といふ言葉で始まつてゐる。私は、苧ルドヰンが
どれほどの雄持家であつたか、もしくはなかつたか、を知らない。ともかく、この演説において
彼は、雄拷の償値を否定し、イギリスの運命を託すべき人は最も筋縛な人間であることを要しな
いと結論してゐる0この意見が、彼が初めに言つたやうに、彼自身雄持の能力を有しないといふ
             ヽ−1育1−−11・Ii−
個人的理由に基づくとしても、人間はどのやうに個人的な意見でも普遍化しょうとするもので、
Iこれが雄挿の一つの動機にもなるであらう、1ポールドヰンは種々の説や様々の事賓を挙
げて彼の意見を立讃しょうとしてゐるのである。
 雄拷は政治家に必変な資格乃至教養であると考へられる・ポールドヰンも、青年時代には他人
の演説を讃むのを柴しみにしたと述べてゐる。雄辟を政治家の、また一般市民のもたねばならぬ
教養と考へることは、ふつうデモクラシーと関係があると見られてゐる。雄辟はとりわけ古代キ
リシアのアテナイにおいて花を開いた。そこで西洋では、古典の教養をもつといふことは、殊に
政治家の場合、雄将についての教養をもつといふ意味をおのづから含んでゐるのでぁる。しかる
にアテナイにおける雄辟の開花はそのデモクラシーの教達と関係があるといはれてゐる。デモク
ラシーの蓉達は言論の薔達を伴ひ、そしてそれは雄拷の教達を促すと考へることができるであら
〜フ0

 我が国においてもデモクラシーの思想と共に初めて言論が現はれ、雄辟が尊重されるやうにな
つた。頑澤諭吉は次のやうに書いてゐる。「人事の進歩は賓に驚く可きものにして我国演説法の
如きは即ち英一例なり今日の賓際を見れば人が其心に思ふ所を口に述べて公衆に告るは尋常普通
の事のみならず速記法さへ行はれて費用を達する程の世のヰに演説などは百千年来の慣習ならん
と思ふ人もある可きなれども其演説は廿何年前の奇法にして常時之を資行せんとして様々に工夫
したる吾々の苦労は白から容易ならず」、と。即ち頑渾は、明治六年「スピーチュ」に関する英
書を見、この「日本には新奇なる書」の大意を飛語して「此新法」を日本囲中に知らせようと欲
雄拭川について
四五九

                     四六〇
し、抄して『合議辣』といふものを作つた0その時1スピーチュ」といふ語を「演説」と詳した
のが、我が国における演説といふ語の初めであるといふ0彼は畢に謹書を出版するに止まらず、
杜友と共に1此新事業」を研究して賛地に試みるために、明治六、七年の頃、或ひは頑澤家の二
階に集り、または杜友の私宅に曾席を設けて、盛んに演説を練習した。そこで更にこの道を弘め
ようとして塾外の友人に同意を求めたが、何分にも新奇のことであるので應ずる者は少く、森有
祀の如きは1西洋流のスピーチュは西洋語に非ぎれは叶はず日本語は唯談話應封に適するのみ公
衆に向て思ふ所を述ぶ可き性質の語に非ず」といつて反封するといふ有様であつた。しかし頑澤
はいよいよ熱心にこの新法を弘めようと欲し、それには演説の曾堂を作ることが必要であると考
へて建てたのが慶應義塾の演説舘であつて、これは1日本開聞以来最第嘉の建築」として囲民
の記憶に存すペきものであると書いてゐる0この頑澤の文章は、明治の初め日本において頃説或
ひは講演といふものが如何に珍しいものであつたかを侍へてゐて、まことに興味が深い。
 その後デモクラシーの薔達に伴つて、我が図においても演説に封する関心が高まり、私ビもの
中学時代には、田舎の青年でも熱心に『維持』といふやうな雑誌を讃み、盛んに演説を稽古し、
時には擬囲曾をさへ催すといふやうな状態であつた0その頃の『雄持』は最近とは蓮つて、その
たノ′巨転i
表題の通り有名な雄縛家の演説の速記を載せてゐたもので、多くは雄拷術を研究するために讃ま
れてゐたのである。
 しかるにこの頃ではよほビ様子が攣つてきたやうである0学校などに璧細部があつても、その
性質は以前とはかなり達つてゐるやうである○今度、校友禽とか学友曾とかが改組されて報囲曾
になつたといふが、璧細部のやうなものはどうなつたであらうか○畢に畢生の間はかりでなく、
表市民の間でも、近頃、雄将に封する関心は昔のやうでないらしい0これは辟舌よりも内容が
問題だと考へられることが多くなつたのに依るであらうか0それとも、これはデモクラシーの思
想が衰へつつあることに関係するのであらうか0或ひはもつと一般に、これは囲民の政治的情熱
が少くなつたことを現はすのであらうか。近年は政治家の間でさへ雄辟がそれほど重んじられて
ゐないやうである。いつたい雄将はデモクラシーと運命を共にするものであらうか0
 私は今日の仝憶主義囲家の賓情を詳しくは知らないが、ともかくヒットラIとかムッソリ⊥l
とか、その指導者はなかなか雄辟家のやうである0雄辟が彼等にとつて大きなカになつてゐるや
ぅにさへ思はれる。指導者政治において雄辟は指導者の一つの重要な資格であるといへるであら
ぅ。かやうなことは仝慣主義といふものもやはり何等かデモタラティツタな基礎に立たねはなら
雄将について
四六一

頂」い卜`
ナシd
四六二
ぬことを意味するものであらうか。
                ∫葺
いづれにしても政治家が圃民の前に立つといふには言論に依らねはならぬ。公の性格をもつた
                  ミl_
政治には言論が必要である0言論のない政治は公の性格をもつことができぬ。そして言論に封す
                               ヽ与ll一一llI
る関心はおのづから雄将に封する関心となるのである○かやうに考へると、雄将に封する関心が
ないといふことは、政治が公の性格を失つてゐることを意味するであらうか。それは政治に待合
 ヽ・−一首


                 一.〜.1I一.1.1−
政治とか闇取引とかいはれるところが多い讃挨であらうか0他方から考へると、言葉は宰虚なも
ので、事賛はつねに言葉よりも雄持である0だから不言賛行が大切であるといひ得るであらう。
けれどもたとひ革質があるとしても、事賓はそれだけでは廣く停はらない。そこで不言賛行とい
ふ金言は、何もしない或ひは何もできないことを蔽ひ隠すために利用されるといふことにもなる。
磨く侍へるためには言葉に依らなければならぬ。
そこで不言賓行を稲する政治家も、少くとも、
1俺は不重貝行だ」といふことだけは言つて、自分を他から直別しっっ、この金言の力で自分を
        ′


宣博するのである。
言葉のない政治は考へられない0言葉があるところには雄持が出てくる。殊に今は宣侍の時代
であるとすれは、この時代において雄挿の力は大きいと考へ得るであらう。尤も今日は書かれた
言葉、口でなくて印刷機械が宣侍において極めて重要な役割を演ずるやうになつた。印刷機械が
雄将を駆逐したといへるでもあらうか。しかし演説と文章は違つた性質のものである。ポールド
ヰンは、「もし或る演説が讃んで善いものであるなら、それは悪い演説であると呪はれねはなら
ぬ」といふ有名な雄持家チャールズ・フォツタスの言葉を引用してゐる。この言葉は演説と文章
とが達つた性質のものであるこ托施意味するだけで、それのみでは雄将を排斥する理由にはなり
                        †lJ・,−1一 人ヽ
難い。賓際、速記者に開いても、、」網持の人の話は筆記してそのまま印刷し得る文章になつてゐる
が、雄辟家の場合はさうでないとのことである。善い文章を書かうといふ人はあまり演壇に立た
ないことが賢明である。尤も、名文といはれるものにも雄蹄の名残のあるものがある。ポールド
ヰンは、カーライルは人の為し得る最上のことは自分を永久の沈獣におくことであるといつたが、
カーライル自身は恐らく最大の雄持家で、彼がテニスンと一緒にパイプを喫む時以外、決してそ
のことを賓行しなかつたと述べてゐる。カーライルの文章には雄拷の名残があるといへるであら
ぅ。演説と文章、雄持と散文との直別についてはいろいろ考へ得るであらうが、そのいはば常識
的な直別として、演説は文章よりも一層煽動的であるといひ得るであらう。散文がより知性的で
あるのに封して、雄辟はより情熱的である。煽動的致果からいへば文章は演説に及ばないであら
雄出何について
四六三

                                               四六四
う0宝倖と煽動とは結び附くのがつねであるとすれは、今日この宣侍の時代にはまた雄将が必要
であると考へられるであらう0ともかく近来注目すべきことは、雄将に封する関心がそれほビ大
きいとは見えない我が圃においても、書かれる多くの文章が、アランの理想としたやうな散文の
性質を失つて、著しく煽動的なものになつてゐるといふことである。ひとは澄明する代りに垢動
する0文章におけるかやうな欒化は宣停の時代といはれるこの時代を反映するものであらう。そ
れはやがて雄拷の時代の出現することを攣ホするものであらうか。まことに多くの文章がそれぞ
廃勧痛_見れの仕方で雄誓憧れてゐるやうに思はれるのである。
ノデマ
′禍硝b
そ雄誓危険なものにするのであ溝そこから雄蹄鉄マゴギ⊥
である例は多く、そのために雄将は絶えず非難されてゐる。絶つ
て雄挿そのものよりも内容が一層重要であるといふことにもなるのである。雄辟をその内容から
切り離して考へるとVそれはどのやうな目的にでも仕へる言葉の技術と考へられるであらう。ボ
ールドヰンは、1雄拷は技術中の費笑好である」、といふフロードの句を引用してゐる。雄将はど
のやうな場合にも役立つことができ、弱い論を混くすることができるといふのが、ソフイストの
雄将についての意見であつた0雄締は論理によりも心理に訴へようとする、知性によりも情念に
訴へようとする。
それだから雄将に封してはつねにその内容の論理的反省が必要である。もちろ
ん論理のみからは雄将は出てこない、そこに心理的なものの把握がなければならぬ。どのやうな
雄辟家も人間心理を何等か把握しようと心掛けてゐるのであり、そしてこれは政治家にとつて大
切なことであるに相違ない。政治に雄辟の要素がないのは、囲民の心理を無税してゐるためであ
るとさへいはれるであらう。しかしながら雄将そのものが問題でなく、その内容の眞理性が問題
である。そこに嬰なる心理とは異る論理の問題がある。眞の雄将は心理と論理との統一の上に立
たねばならぬと考へ得るであらう。ギリシアの哲学者プラトンやアリストテレスが常時の雄将に
封する批判から新たに建てようとしたレトリックはこのやうに心理と論理との統一を目標とした
のである。ともかく雄将に封してはその内容を論理的に反省してみることが必要であるといふ注
意は、この頃塙動的な文章、いはば雄持を憧れてゐる文章が多くなつてきつつある場合、文章を
讃むについても忘れてはならないことである。
 雄辟は民族性或ひは囲民の心理的素質とも深い関係をもつてゐる。ギリシアにおいて雄辟が花
を開いたのは、ギリシア人がプラトンの書いてゐるやうに言葉を愛しそして多く語ることを好ん
だのにも依るであらう。それはまた民族の言葉の性質にも関係があるであらう。lTチェはギリ
雄地河について
四六五

四六六
シア語をあらゆる言葉のうち最も語り得る青菜であるといつてゐる。そこで森有祀が繭澤に反封
                                                 ヽ′ll一.‡ll
して、日本語は演説の言葉ではないと\いつたことにも一理があるかも知れない。雄持といふもの
音i
は、少くとも西洋のそれは、なかなかテアトラーリッシ
ユ(劇場的)で、芝居懸つたものである。
演説するヒットラーやムッソリーニは、なかなか劇場的である。ところが日本人は一般に芝居懸
つたことを好まない0日常生活における話し振りや身振りでも西洋人は我々に比べると甚だ芝居
懸つてゐる0日本において西洋においてほビ雄将が重んぜられないのは、かやうなこととも関係
してゐるであらう0嘗て私はドイツに留学したとき、教授たちの講義振りが如何にも雄辟で、そ
して如何にも芝居懸つてゐるのに驚いたことがある。しかしまた雄持が時代とも関係があること
は、編澤のいつた如く日本においても明治になつてからは演説とか講演とかいふものが行はれる
やうになつたことによつて知られるであらう0雄将に封する理由のない嫌意は封建的気風の遣物
であるともいふことができる。
それぞれの政治形態が雄将のそれぞれの形態を決定する。デモタ
ラシーの時代にはデモクラシー的雄将が、全慣主義の時代には仝慣主義的雄辟があるであらう。
しかしまた民族の性格と言葉がそれぞれ興るに従つて雄将も同じであることができぬ。
 アリス土アレスは、レトリック的思惟は行為に関係するといつてゐるが、これは重要な眞理で
a臥
ある。レトリック的思惟は純粋に理論的な思惟とは性質の興るものである。賛成的でない観想的
な人間、行動的でない理論的な人間は雄将に封して嫌悪を感じるのがつねであるが、これは雄辟
家の思惟が彼等の思惟とは性質の異るものであることを理解しないのに基づくことが多い。雄辟
は人を考へさせようとするのではなく、人を動かさうとするのである。それが知性よりも情念に
訴へ、論理的であるよりも煽動的であるのは、そのためである。政治は行動的なものとして雄縛
を必要とするであらう。この頃の文章がいはは雄辟を憧れてゐるのも、それが政治を模倣してゐ
るためである。すべての政治的文学は雄辟を憧れるといふことができる。ところで煽動的であら
う起する雄辟は、人間における知性を軽んじて感情を重んじるといふ自然的傾向をもつてゐる。
そこからそのやうな雄拷はスタイルを失つて客虚になるといふことが生じてくる。普通に知性は
一般的なもので感情は個性的なものであると考へられてゐるが、事資はむしろ反封であるからで
ヽ■i
ある。自分のスタイルがないことも、政治における雄辟の場合にはそれで好いとしても、文学に
おいてはそれでは困るであらう。政治の場合ですらスタイルのない雄翔はデマゴギーに過ぎない
であらう。ともかくこの頃の文章においてはスタイルが轟々失はれてゆく傾向が見られるやうに
思ふ。        /
雄出河について
四六七

                                            四六八

眞の雄拷が如何なるものであるかを定義することは難しい。今私はまたパスカルを思ひ出すの
である。「自然的なスタイルを見るとき、ひとは全く驚喜する、なぜなら彼はひとりの著者を見
ると思つてゐたのに、ひとりの人間に出合ふからであるL、と彼は書いてゐる。文章において人
人の眞に求めるのは「著者Lではなくて「人間」である。だからまた「眞の雄辟は雄辟を蔑成す
る」、とも彼は書いてゐる。眞の雄将において求められるのは自然的なスタイルである。しかし
ながら著作家に要求されることを政治家に封して要求するのはあまりに理想的に過ぎるといふべ
きであらうか。政治的現資といふものはもつと荒々しいやうである。マキアヴユリズムと雄持と
の関係を考へてみなけれはならぬ。
                           祓
貞ヨ■
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                               ′、′レ