ジュネーヴより帰りて

     一


 半年前にジュネーヴに向つて日本を出発する時の私の決心と考へとを、極く
かい摘んで云ふならば、其の最も大きな目的は、何んとかして日本精神を世界
に徹底さす為に。一歩でも踏み出し得たならばと云ふことであつた。これが
私の終始一貫して最も大きな目的として居つた所である。そして満蒙問題に関
しては、我が国の満蒙政策遂行上、実質的に故障を起さぬ限りは、大概のこと
は我慢する考へであつた。出来ることなれば聯盟に踏み止まり、過去十三年間
世界も認めてゐる通り、我が国が最も聯盟に忠誠なる国の一つであつた此歴
史を継続して、依つて以て尚ほ世界平和の為めに尽す様にしたい。斯う云ふ
考へであつた。然し若し已むなく聯盟を脱退しなければならぬと云ふことにな
つたならばどうするか? 其の場合には最後まで最善を尽して、我が国民の本
当の精神、即ち日本精神−世界の平和を顧念する精神を出来るだけ徹底せ
しめ、此の点に於て誤解を抱かしめない。而も日本人らしく・・・・私の能く云ふ
桜の花の散り際と云ふことだけは忘れない。あの通りの姿で散りたい。と云ふ
考を私は有つて居たのである。
 それから今一つ一貫して持つて居つた考へは、たとへ外交が不味くても、亦
已むなく脱退することになつても、亦如何なる衝突がそこに起らうとも、嘘つ
きにだけはなるまい。斯う云ふことである。決して我が国が嘘をついた訳では
ないが、遺憾乍ら一昨年来動もすれば、欧米人から日本は食言する。嘘をつく
と云ふ様に思はるゝことになつて来てゐる。私は何時も若い時から、満蒙問題
は日本の重大問題ではあるが、それよりも更に重大なることは、我が国の国際
信義の問題である。我が国が国際的に信を失したならば、これは一番重大なる
ことであると考へ来つたのである。断じて信を失つてはならぬ。而して如何な
る難境に処しても嘘つきにだけはならぬと固く決心をして居つたのである。日
本人を有りのまゝに丸裸にして突き出さう、掛引はしない。と云ふのが私の考
へであつた。斯うした考へを持つて行つたのであるが、其の成績はどうであつ
たか?その経過については、已に我が国の新聞特派員諸君が、昼夜を分かた
ず熱心にしかも細かく、ジュネーヴの様子を報道された為めに、国民諸君には、
能く解つて居ることゝ思ふ。


      二

 其の成績と云ふことに就いて少し述べるならば、少なくとも私は、一つの点に
於ては完全に失敗して帰つた訳である。前述の考へなり決心の中で、何とかし
て出来ることならば一面我が国の立場を明らかにし、主張を通しながら、他面
聯盟に残つて居たいと云ふことは失敗したのである。この点に就いては私の微
力誠に国民諸君に申訳がないと考へて居るが、併し私が半年前に「ただ一本
道しか残つて居らぬ。其の一本道をしかも前に進むことしか許されて居らぬ」
と云つたが、これだけは、どうやらかうやら、やつて来た心算である。而して遺
憾なことには、其の結果聯盟脱退と云ふことに終つたのである。これだけを申
し上げて他は全部省略致します。成績に関しては、一つに我が国民諸君の判断
を願ふの外はないと思ふ。と云ふよりも、むしろ何れ将来歴史家が、筆を執つ
て評価するであらうと信じて居る。否、私から云へば、時が評価するだらうと
考へて居る。


     三

 次に脱退の已むなきに至つた理由も、略御承知のことゝ思ふが、此の点は最
も我が国民の関心さるゝ所であらうと思ふから、少し私の見方を述べさせて戴
きたい。脱退の已むなきに至つた一つの大きな原因は、本年一月二十日頃か
ら以後、殊に二月に入つてから、イギリス其の他が俄かに態度を硬化し来つた
ことであり、これが大きな経緯であり、同時に原因である、イギリスが態度を
硬化し来つたと云ふことに就ては種々理由はあるが、私の立場から云ひ兼ねる
点もあるから、さう云ふ点は省き、ざつと次の五つほどは云ひ得る理由がある。
 第一は、支那の脅迫である。昨年十二月聯盟総会で、イギリス外務大臣の
演説があつた。次いでカナダ、オーストラリアの代表者の演説があつた。これ
等の演説があつた後、支那側は大変気を悪くした。又イギリスでも支那贔屓又
は日本反対の新聞など、イギリス外務大臣初めを猛烈に攻撃したのである。而
して遂に支那側は、イギリスの商品をボイコットすると云ふ脅迫までするに至
つた。これは何と云つても、イギリスの態度を変更さすに強い原因となつたも
のと考へられる。
 第二が、初めアメリカとロシアを招請して、和協委員会の仕事を援助さすと
云ふ提議があつた。ロシアに関しては途中で諦めたが、アメリカはどうしても
招請したいと云ふ意嚮が聯盟内にあつた。殊にイギリスはこれに非常に重きを
置いた。が、我が政府は理由があつて、これに飽くまで反対した。其の結果遂に
アメリカの招請を断念すると云ふことになつた。斯くなつてから少くともイギ
リスは、折角和協委員会を作つて、一方時の力を借り、本問題を議論しながら、
和協に導かうと云ふ考を、捨てたとは云はぬが、此の考に対して、気乗りがし
なくなつたと云ふことは事実であつて、聯盟の事務総長始め其の態度を示した
のである。日本側は出来るだけ和協委員会の設置を慫慂したのである。けれど
も、何しろイギリスはもう気乗がしなくなつてゐる。それから小国側に於て
も、他に理由はあるが、其の中云ひ兼ねる点は省き、一昨年来の行きがかりか
ら見て、現に調査委員団にはAMリカのマッコイ将軍が委員の一人として這入
つて居る。斯う云ふ経緯からしても、義理にでもアメリカを招請しなければな
らぬと云ふ様な考を有つて居つたのであるが、我が政府の強硬な反対に依つ
て、これを断念せざるを得なくなつた。これを断念した半面、これに伴ふ反動
的作用が小国の間に多少あつたのである。
 第三は、十九人委員会議長の宣言書の末項、即ち以前の状態に還ることも解
決ではないが、現状を認めることも解決ではないと云ふ末項に対して、日本が強
硬に異議を唱へたことである。これは日本として当然唱ふペき異議であつたが、
これも何とかして妥協しようと云ふ考、殊にイギリス側はさう云ふ考を持
つて、此の未項は其のまゝに存して置いて、総会に報告せらるゝ時に、日本はこ
れに異議を唱へたら宜いではないかと云ふ。謂はゞ妥協申入れをしたが、これ
も亦我が政府の拒む所となつて、茲に全く和協委員会設置の望みが絶えた。
 第四は.ヨーロッパの現状である。ヨーロッパの不安状態を控へて居る所の
イギリス初め大国は、非常なる心痛をして居るのである。而して何とか再び欧洲
大戦の様な事が起らない様にと心配して居る。これは無理からぬ話である。殊
に欧洲の現状に顧みて、度々私がジュネーヴに於て述べ、又帰朝の途次新聞紙等
を通じて云つた如く、小国側は国際連盟を其の生命線として居るのである。而
して其の生命線とする根本は何であるかと云ふに、如何なる事があつても兵力
の使用は絶対禁物である。これを若し間接にでも認めると云ふことになれば、
小国側はいつ何時隣のの大国から、どやされをか知れぬと云ふ実情である。此
の小国側の感じつゝある非常なる脅威、これは吾々も認めざるを得ない。で、
ともかく小国側のみならず、大国側に於ても現在の欧洲の不安状態に
顧みると、どうしても兵力使用などと云ふ様なことは認める訳に行かぬ。
 而して聯盟を政策の基調とし、出来るだけ聯盟の威力を、少なくとも、ヨーロ
ッパでは保持して行かなければならぬと考へるのであつて、これ亦無理からぬ
事である。殊にヨーロッパの将来に対して、最も重大なる関心を有つて居るイ
ギリスが、これを犠牲にまでして、欧洲の問題に比べれば第二義的重要性しか
ない極東問題の為めに、譲歩をすることは出来ないのである。これは最初から
分り切つたことであるが、前述の如き種々な経緯乃至事情が湧き出て来ると、
此の一番大きな根本問題に就ての考慮が、一層頭を擡げて来たのである。
 第五は、前項の下に既に云つたが、小国側の脅威である。斯う云ふ様な原因
からして、イギリス其の他の態度が漸次と云ふよりも、むしろ俄かに硬化し始
めた。而して其の裏面には更に硬化を激成した種々の外交上の経緯もあるが、
それは今日尚ほ私の地位では云ひ兼ねるのである。



       四

 結局、吾々は衝突して物別れになつたが、私の能く云ふ如く、物別れをした
からと云つて、必ずしも片方が善くて片方が悪いとは限らない。両方が悪くて
物別れする事がある。両方が正しくて物別れをする事もある。私は今回の衝突
又は物別れは、両方が或る意味に於て正しいのであるが、仕方がなく物別れに
なつたと考へて居る。ヨーロッパの環境、此環境から湧き出る所の事情な
り観念と、極東の環境、それから湧き出る事情なり観念とが、相容れなくな
つた。吾々は極東の特殊事情を、ヨーロッパ人は認識しなければならぬと言つ
て居るが、ヨーロッパ人から云はせれば、日本人はヨーロッパの特殊事情を辨
へてくれなくてはいかぬ。と云ふのである。此の全く相容れない二箇の異つた
特殊事情に、今回の衝突が胚胎して居ると私は観て居るのである。
 そこで私は一つ御願ひしておきたいことがある。それは、どうもヨーロッパ
やアメリカでは極東事情に認識を欠いて居る。と云ふことを云ふ人が日本には
多いが、然し微力ながら同僚全権其の他の援助に依つて闘つて来た結果、日本
の立場及び主張、極東の特殊事情は漸次諒解されて来たのである。或は痒い所
へ手の届く程に理解はないとしても、大体に於て認識はして来たのであるが、
前述の如き欧洲の特殊事情よりして、彼等は、何とかしても間接にでも兵力使
用と云ふことを承認する訳に行かないのである。そこで吾々は彼らに彼等の認
識不足を叫ぶことは止めなけれはならぬ。寧ろさう云ふことを何時までも言つ
てゐる人は、自分がヨーロッパの事情の認識を欠いて居るのである。斯う云ふ様
に相容れない様になつた事に就て、もう一つの観方がある。リットン報告に載
せて居り且つ十九人委員会の報告にも勧告として載せて居る所の、「満洲を憲兵
制度の下に置いて、さうして、言薬は巧妙に書いてあるが、ともかく一種の国
際管理、一種の国際干渉を行ふ」と云ふ考へ方は、実の其の以前からして支那
の事態を非常に憂へて、何とかして之を改善したいと云ふ希望より、聯盟内に
 ― これは必ずしも悪い動機から来てゐるとは云へないが ― 真に支那の事態
を憂へて、どうして改善しようかと考へ抜いた結果、支那全土を憲兵制度の下に
置き、国際管理又は聯盟の管理下に置かうと云ふ案が考へられて居つた。そこ
で私は聯盟総会に於ける最終の演説の際、支那の全権達に「此の勧告は支那を
国際管理の下に置くと云ふことに結着するが、あなた方はそれを御承諾なさる
のか、なさらぬのか。先程顔恵慶君の述べられたところに依れば、此の所謂リ
ットン報告中にある十原則を何等の留保なしに承諾すると云はれたから、其の
意味であらうと思ふが、念の為めにこれをはつきり御聞きする」と質したが、
支那の全権は、それに答へなかつた。其のまゝで採決に入つたのである。
 私の観るところでは、支那の全権は、何等保留なくして十原則を承諾すると
云つたが、今日支那の国論は殊に支那の青年達は、支那を国際管理の下に置く
と云ふことを承知する筈がないと思ふ。然し支那全土を左様な制度の下に、即
ち国際管理の下に置くか置かぬかは暫くおき、満洲に対する斯かる案は、実は以
前から、国際聯盟内に有してゐた。斯う云ふ考の一端が、たゞ満州に就て表
はれたに過ぎないのである。これを段々悟つた時、満蒙に就ては、我が国民は
断じて国際管理は許さないと云ふことが明白である故に、私は此の二つの全然
異つた考への間に、調和点を発見することは最早不可能であると観念した。此
の事はジュネーヴを引揚げてから後に、各国を遊歴して益々私には明白になつ
て来た。


     五


 扨て聯盟を引揚げて先づフランスに退いた。それからドイツに行き、オラン
ダに入り、ベルギーを通り、イギリスに渡り、アメリカを通過して帰つて来た
が、洵に不思議な感がする。それは聯盟では四十二ケ国があゝ云ふ議決に賛成
したのであるが、此等の諸国に行つて見ると、識者の多くは、殆んど全部と少
し誇張すれば言へる位に、彼等は日本に同情し、或る者は日本を支持さへして
居るのである。日本ではどうかすると、日本は世界の輿論に挑戦して居るとか
云ふ人もあるが、それは大変な認識不足である。日本は断じて世界の輿論に挑
戦してはゐない。第一にシャムは棄権してゐる。シャムは、「棄権」したのみで
「反対投票」したのではないと云ふかも知れぬが、それは其の場合の光景を知
らない人の云ふことで、あの場合「棄権」と叫ぶことは、殆んど十九人委員会
の報告に対する反対投票と同一である。現にシャムがアブスタンションと叫ん
だとき、之に対する嘲笑の声が聞えた位である。さう云ふ空気の中にシャムは
厳然とし「棄権」と叫んだのである。又議場を離れて出た国が大分あつた。こ
れ等は種々理由はあつたらうが、中には棄権をする為めに退場したのもある。
そこで四十二ケ国が賛成投票した議場のテクニックでは、全部が決議に賛成投
票したと云ふことになつて居るが、それは全部の事実ではない。シャムが棄権
した ― 寧ろシャムが反対した。日本を除く外は、アジア広しと云へども、今
日其の能力と意志とを具有して、真に独立国と云へる国は、遺憾ながらシャム
しかない。其のシャムは嘲笑の裡に尚ほ毅然として「棄権」と叫んだ。これは
何を意味して居るか? これはアジアの声である。


     六


 世界の輿論とよく云ふ人があるが、世界の輿論の中に、地球上最も大きな
大陸であるアジアの声と云ふものが、勘定の中に入らないのか。私は一体、斯う
云ふ頭の持ち方が、即ち聯盟を破壊するものであると信じてゐる。又世界の平
和は斯う云ふ精神では得られないと思ふて居る。吾々アジア人に対しても或る
程度までの尊敬をすべきである。日本人ですら此のシャムの棄権を重大視しな
い人がある。それは西洋かぶれをして居るからである。此の一事を以てしても
世界の輿論があげて日本に反対でないと云ふ事が判る。況んや各国に行つて見
ると、識者の多く又は殆ど全部が寧ろ日本を諒解し、日本を支持して居る。ア
メリカの如きに於ては、誤つて日本を世界の平和攪乱者と思ふ人がある。殊に
聯盟支持者及び所謂平和論者等は、支那人其の他の宣伝に誤られて、日本を平
和攪乱者であると考へ且つ叫んだ。其の結果日本に対する誤解、延いて反感が
起つたことは事実であるが、漸次事態が明かになつて来るに従ひ米国民も亦
日本の立場を諒とするに至りつゝある。又必ず到るものであると信じて居る。
現に今回通過した時の私に対する歓迎振りは、殆ど意想外であつた。畢竟する
に米国民の対日非難は、主として平和と云ふ見地から ― 平和問題から出発し
て居るのである。其の以外には日本はチット偉くなり過ぎた(これは多くの場
合非自覚的である)と云ふことから来て居る感じも多少あらう。然し此の点に
就ては米人の感情をよくする為めに、我が国が態々三等国に下る訳にも行かぬ。
それはともかくとして平和攪乱者であると誤認されたことから、主として反感
も生じて来たのである。で米国民の中には日本同情者乃至支持者は沢山ある。
 又イギリス人に就ても一例を挙げると、あの偉い著述家、新聞記者として世
界的に名を知られて居るヂロン博士の如きは、其の静養して居るスペインのバ
ルセロナから私に五、六回も手紙を寄せ、其の中に、「今回、君は非常に困難な
戦ひに臨んで居る。恐らく聯盟の連中は君を諒解せぬだらう。併し一寸も譲る
な。我が輩は極東の平和は固より、世界人類の平和を真にもたらし得る能力を
持つて居るいのは、独り日本人のみであると信ずる」と書いてある。斯かる大
和民族の知己も少なくはないのである。
 欧米人の誤解に就て更に一言すれば、彼等をして誤解せしめた罪は誰が一番
多く担ふべきであるかと云ふに、それは日本国民が担ふべきではあるまいか。
と云ふのは、現に一昨年秋満洲事変が起つた当時は、如何であつたか? 内閣
ですら、はつきりと内輪割れを暴露し、そして我が国の新聞雑誌も盛んにそれを
伝へたではないか。又民間でも満州に於ける我が軍人の已むに已まれぬ活動を
理解せず、悪いとさへ考へたり、又は云つて居つた人もある。我が国の在外代
表者達の中でもさう思つてゐた人があるではないか。これ等が余程欧米人を誤
らせるに力があつたと私は観察して居る。そこで今日吾々は徒らに欧米人は認
識不足であり、誤解をして怪しからぬとのみ言ふ訳には行かぬ。其の罪は ― 
其の可なら大きな部分を ― 日本人も亦負はなければならぬ。そこへ持つて来
て支那人其の他が色々な宣伝をして、さうして日本は平和の攪乱者であると云
ふ観念を、欧米人の脳裡にきざみつけたのである。


      七

 私は日本の現状を遠くから眺めながら、実に深憂を懐いて帰朝した。私は大
和民族の将来と云ふものに対して、大乗的に云へば大楽観をして居る者である。
然しながら、小乗的に現状を見る時には、深憂措く能はざるものがある。現に
未だ日本人の中には欧米の顔色を見る連中が可なり数居るのである。而して余
計なことを、利口さうに議論する人が中々多い。これは知らず識らずの間に、
欧米にかぶれ、欧米に二目も三日も置いて居ると云ふ心理状態に胚胎して居る
のである。
 私が「六十余年来の外交を清算しなければならぬ」と叫んで居るのは、外交
術の清算を言つてゐるのではない。即ち斯かる属国根性を清算せよ、魂を入れ
替へよと云つて居るのである。まだ此の属国根性を捨て切らぬ人間が、日本に
相当多く居るではないか。吾々は一面には大和民族の使命を知り、さうして我
が大和民族の将来に対して、偉大なる希望と抱負を持つて楽観はして居る。然
し他面現状を見るに於て、私は深憂を禁じ得ない。吾々は内に於ても外に於て
も、尚ほ前途非常なる国家艱難を控へて居る。此の際何はさて措いても此の魂
生玉を清算し、国民精神を本当に作興しなければ駄目である。これが私のお願
ひである。
 欧米の大国は、今や此の非常時局に対して非常な真剣味を以つて闘つて居る。
然るに我が国は、まだ平常時の様な考へを以つて、政治遊戯に耽つたり、小股
を掬つたり、形式に捉はれて論議したりする人が余りにも多い。こんな態たら
くで以つて、一体、一昨年秋以来、日本の為め日本の生命線 ― 極東に於ける
日本の地位確保の為め、否、東亜全局保持の為めに、犠牲となつてくれた千七
百名の忠勇なる将士に対して、申訳があるか。彼等は命を投出して死んだ。こ
れ等の将士に対して今日の此の現状で申訳があるか。此の際須く国民をあげ
て深く反省し、畏くも我が 陛下が三月二十七日聯思脱退に際して、御渙発に
なつた御詔書に表はれて居る大御心を体し、飽くまで決心の臍を固め、「大義を
宇内に顕揚す」と云ふ高い大きな理想を持ち、形式病を打破し、真剣に実質を
掴んで、真黒になつて進むやうになりたい。これが私の願ひである。
 私は暫く考へさして頂きたい。今尚ほ方々から講演、執筆等の要求はあるが、
皆断つて居る。これは私は云ふことがないから断つてゐるのではない。又私は
官僚的に左顧右眄して黙つてゐるのでもない。言ひたいことが余りに多い。然
し暫く時を藉して項いて、私の頭を整理したい。而して他日又国民の前に口を
開く時もあるであらう。同時に諸君もどうか真剣に考へて項きたい。私の根本
の精神は、所謂吾々のよく言ふ「凝つては百練の鉄となり、咲いては万朶の桜
となる」と云ふにある。これが大和民族の精神でなければならぬ。