世界変局と帝国の地位

 私は今晩の演説を始めます前に、一言御挨拶申し上げます。既にゼネバから
帰りました時に、五月一月全国民に対して一応御礼を申述べておきましたが、
今回岡山に参りまして、皆様に親しく御目にかゝりました、この機会におきま
して、昨年の冬から本年の春にかけ、我が帝国にとりましては、殆んど空前と
申してもよい程の非常重大なる外交戦の第一線に立つて居ります間に、諸君か
ら絶えず至大なる御後援を受けましたことに対しまして、重ねて厚く御礼を申
し上げます。また本年五月始め帰京の途次、御当地を通過しました時も、熱烈
な歓迎―私自らは過分あつて、はなはだ恥かしく思ふのでありますが ― 
兎に角皆様から熱烈なる御歓迎をうけました。その上にまた昨夜は遅く御
当地につきましたに拘らず、多数のお出迎へをうけました事に対しましても、
茲に謹んで深甚なる感謝の意を表します。さて今朝起きまして、御当地の新聞
を拝見いたしますと、私が岡山に参りますことについて、歓迎の社説を載せら
れてゐるのを拝見致しましたが、むしろ私は恥かしく思つてゐる。その中にジ
ュネーヴから帰りまして田舎に引き籠り、沈思練想、この半歳殆んど口を開か
なかつた。たゞ九月十八日満洲事件記念日に際しまして、已むなく多少の感想
を述べましただけであります。ところが今回この岡山に参りまして第一声又は
第二声を放つものであるといふ意味の事が書いてありましたが、若し左様な御
考へで、今晩皆様がお集り下さつたのであれば、恐らく大変先望されることで
あらうと思ひます。私は第一声は固より、第二声も第三声も放たうと考へては
ゐないのであらます。
 しかし、何時かは多少の事を全国民に述べる事もあらうと、竊かに期して居
りますが、今晩は別に左様な考へは持つて居りませぬ。この事を予め申上げ
て置き度いのであります。実は各方面からの講演又は演説を求められて居りま
すが、総て断つて居ります。ところが、本日当地でお開きになつた教育会に、
これは全国的であるから、是非来て講演して呉れといふお話であつたので、こ
れだけを私は躊躇しながら御引き受けしたのであります。然るに何れが岡山に
来て今晩泊ることになるのである以上、一般市民に向つて顔を見せて呉れ、又
そのついでに何か話をして呉れと迫られたので、終に屈して只今此処にやつて
参りました訳であります。
 斯ういふいきさつで今皆様に御目に掛るのであります。これから暫くの時間
を拝借いたしまして、「世界の変局と帝国の地位」といふことについて、私の思
ひ浮べるまゝを、話して見度いと思ひます。それが若し少しでも諸君の御参考
になるならば誠に幸(しあはせ)であります。私の演説は、前もつてつくつてゐるものを
御話するのでない。私はこれだけは諸君に申します。それは、私のは雑誌や新
聞の切抜きをつなぎ合せたり、書物から得た知識を基に文を綴つたりしたので
はない。自身でほんたうに知つて居る事、真に感じてる事を端的に申し上げる
までのことであります。又御断りして置きますが、私は大風呂敷をひろげるの
でも脱線するのでもない。松岡は脱線するなどと非難する人があるかも知れな
いが、私はそんな事を云ふ人の方が脱線してるので、私の方は本筋に乗つてる
のであると思つでゐるのであります。
 よく後藤新平伯が言はれた「日本人の多くは半巾しか持ち合はせない。俺を
大風呂敷といふが、それは自分等が半巾位しか持合せないのだから、俺がさう
見えるまでのことだ」と、吾々はいやでも応でも世界三大国の一にまで押し上
げられた。そこで我が国民もいま少し眼界(がんかい)を広くし、気魄を大にし、風呂敷も
出来だけ大きな風呂敷にする様にしたい。極東の小島に眼界を限ることは出
来ない。
 今晩時間の都合でくはしく申上げることは出来ませんが、出来るだけわかり
易く、先づ、世界の変局が何であるか、その実質は如何なるものであるかと
いふことに就てお話してみたいと思ひます。
 世界の変局について、私はその大きな輪郭で吾々の目につく著しい現象とし
て次ぎの二つをあげたい。その一は、欧州大戦―即ち人類史上極めて大規模
の戦争が行はれたのであるが、これが何う幕を閉ぢたか、夫れから世界が何う
なつたか、又どうなるかでありまして、これを考へて見ますると、まだ欧州大
戦の結末はついて居らぬのである。私は十五年前パリ講和会議に参りまして、
会議の模様を親しく見た一人でありますが、世界の政治家、外交家がやる事は
常識的には考へられない。寧ろ素人がやつた方が、モット戦争の結末を常識的に
つけて居たのではあるまいかと思ふ様な、誠に不思議な非常識結末を告げた
のである。その証拠には爾来十四年経過致しまして、今日ヨーロッパは何うか、
大戦の直前に何倍した不安状態に置かれて居る。と、私は断言して置きます。
 若しも欧洲人があの悲惨な戦争を経験せす、あの深刻な苦素(くそ)を嘗めて居なかつ
たなれば、その後モット大きい、モット悲惨な、大戦争が疾ツくに起つて居つ
たらうと、今日の欧州の事態はあらゆる方面で非常な不安状態にあるのであり
ます。唯だ何故、戦争をしないかを考へますと、大戦の悲惨な事実が、余りに
も記憶に新(あらた)であつて、これが辛うじて今日欧州戦争の再発を防いで居るのであ
ります。日本も大戦に参加は致しましたが、遠距離にて加勢したに過ぎず、大
して悲惨な影響を受けなかつたのみか、成金国にまでなつたといふ位で、欧州
大戦の恐ろしかつたことは、日本人には余り判らない。が、欧洲人の頭の中に
は再びあの様な戦争を繰返したくないといふ考へが浸み込んでるので、戦争の
爆発を免れて居るのである。若しさうでなければ、欧州大戦直前の原因をもつ
てすらあれだけの大戦争を惹き起した欧洲人が、今日それに何倍する原因をも
つて居て、戦争を捲き起さぬ道理はないと思ひます。かく観察して見ると、何
ういふ結論になるか。パリ講和会議に於て、浩瀚な条約を結んだが、夫れは戦
争の結末をつけたのではない。寧ろ戦争を継続したのである。変つた形で―
今度のドイツの聯温脱退、軍縮脱退は、その一つの現れであります。十五年前
大戦の結末をつけるべく、パリに集つた各国の代表者等は固より戦争爆発の原
因を除去し、真の平和をヨーロッパのみならず、全世界の上に打ち建てたいと
云ふ熱望を抱いてた。然れども其のかちえた結果は何うであつたか。より一層
不安の種を撒いたのに過ぎない。一体人間といふ者は利巧さうに見えて、案外
智恵がない動物だと私は思つてゐる。国際聯盟は欧洲大戦の結果突如として生
れたものではない。改めて説明するまでもないが、聯盟といふやうな案は、昔
から理想家の間で屡々描かれて来たものであり、大戦のある毎に、その惨禍に
省みて、何とか平和を保つ機関を設けたいといふ熱望から聯盟の如きものを案
出した者は数(かず)あります。聯盟創設してより十三年兎も角やつて来た。聯盟組織
の音頭取りは、大英帝国であるが、夫れは英国が世界の平和を維持するに、最
も大きな利害関係を有して居るからであります、尤も最初はアメリカが音頭取
りのやうであつたが、途中で逃げて了つた。そこでイギリス、夫れについでフ
ランスが機会ある毎に、アメリカを聯盟に引き入れょうと苦心して来た。満洲
問題なども見方に依つては、之を利用してアメリカを引張り込まんとしたので
あるとも言へる。要するにイギリスは何とかして、アメリカを聯盟の一員に加
へ、そして曲りなりにも、世界の平和を維持して行かうといふのであります。
 勿論平和を維持することは結構なことでありますが、英国の平和維持を欲する
真意は那辺にあるか。イギリス人は平和そのもの欲する国民性を有して居る
から、といふ考へもありますが、然し夫れが主ではない。彼の考へてる平和と
は現状維持なのである。然るに人類―国民―といふものは発達するものだ。
丁度赤ン坊から、だん/\発育して少年になり、青年壮年になり、終ひには年
をとつて死ぬやうなものである。生物の発達は一刻として休まない。イギリ
ス人と雖もこれを知らない訳ではないが、出来るだけ発達を止め、これを抑圧
して、そして現状を維持する。これを平和と唱へて居るのであつて随分面白い
考へをもつた人達である。しかしさうすることが、大英帝国から見れば一番利
益であるからであつて、これが一つの手段としての聯盟に力を入れてるのであ
る。日本には結局その発達上之が障凝となるので、脱退したのである。イギリ
スのためになつても、日本のためにならないから袖を分つたまでゝある。
 日本人は極めて正直なよい人間であつて、自身の利害は、無意識的ではあら
うが、棚に上げて、世界平和のために聯盟に居残つて居なければ不可(いけ)ないとい
ふ考へをもつてゐるお目出度い人もあるやうである。そんな人間は世界の何処
を探しても日本以外には余り居ないやうだ。吾々と雖も公平無私な世界の平和
なら、之を顧慮することに於て一歩も譲るものではないが、今日の世界はさう
云ふ考へで動いて居るのではないことを申上げて置く。而してイギリスは十九
世紀から二十世紀に亘り―大戦後に於てもインターナショナリズムを高唱し
て来た。勿論イギリスの立場から見て利益であつたからである。アメリカを引
張り込めば最も都合がよいと考へてたが、折角ウイルソン大統領が大きな手形
を渡してたの、アメリカ国民は承知しなかつた。理窟は色々あらうが、つま
り、アメリカ国民の第六感が許さなかつたのである。私から云へば、一体アメ
リカが手を引いた時に日本も手を引くべきであつたと思ふ。だが当時、日本に
はアメリカが手を引けば、日本も聯盟に入らぬとマツ直ぐに言ひ得る政治家が
なかつた。何が故か、簡単である、「属国根性」に支配されてゐたからである。
今回の聯盟脱退はこの属国根性の清算に外ならないとも言へる。属国根性は独(ひと)
り政治家のみでなく、全国民が知らず識らずの間にさうなつてたのである。そ
の結果欧米人がやることは、自分の国の利害関係を無視して―無論無意識的
に―御多聞に洩れぬと言ふ風に仲間入りをする。やれ不戦条約とか、やれ何
条約とか云つて印判を捺し、手足を縛し自ら動きの取れぬ様にする。吾々は欧
米の都合のよい方にだけ引づられて行くのを御免蒙りたい。縛られた手足を自
由に動けるやうにしたいといふのである。日露戦争や欧洲戦争の結果として、
此の根性が直るかと思つたが、依然直らずして今日に及んだのである。ところ
が、日本国民中の或る者等、殊に若い連中が目覚めはじめ、この儘で行けば俺
達は亡ぶるより外はないと感じ出した。殊に満蒙に関してさう言ふ感が強くな
つた。我が生命線は脅かされ、二十万の同胞は支那人にさへ馬鹿にされ、踏み
つけられるのである。これでは不可ない、と自覚した。この自覚が遂に二年前
の九月十八日の夜爆発して満洲事変となつたのである。日本の政治家は無関心
で事情を御存知なかつたから、何か若い軍人連が事を起したやうに考へ、これ
はいかんと押へつけようとした。あれは軍人達がやつやことではない。我が二
十万同胞が打つて一丸となつて爆発したのである。それを若い軍人が余計な事
をやつたやうに考へて、誤解の種を自ら世界に蒔いて、苦んだ揚句のドタン場
に私が使ひにやられたのであります。欧米人は認識不足だといふが、日本人の
一般が先づ認識不足にかゝつてゐた。処が日本人は自国の生命線の問題だから
早く目ざめた。が、欧米人は別に大した利害関係のない事であるから、日本人
から ― その一半は ― たゝき込まれた誤認を解く必要も別にないので、その
まゝ之を持ち越して来たのである。これは横道に外れたが、兎も角自分の国の利
害関係も先づ第一にハツキリ正視し、よく考へて而して後行動してゆかないと
飛んでもない事になる。日本も今日は夫れが出来るだけの国となつたといふこ
とだけは諸君も自惚れをもつて宜しい。欧米の顔色を見て追従して行かねばな
らぬ程弱い日本ではない。吾々はイギリスが自国本位で動いて居ると云つて非
難する何らの理由を持たない、当り前の事である。他の国のために働いて自分
の国を忘れて了ふ ― つまり身を殺して仁をなすと云ふ様な国は、国際関係に
於ては今尚ほ一国もない。イギリスも自国の利害を基に打算してインターナシ
ョナリズムを唱導して来たのである。勿論のその間に多少は理想的動機がないと
は云へないが、主として自己本位の立場からインターナショナリズムを唱へ、
それには聯盟をシツカリもり立てゝ、さうして聯盟で世界を拘束して行くべき
であるといふのが、イギリスの考へ方である。日本も御多聞に洩れずで這入つ
た。何が故に聯盟に加つて居るかに就ては実はハツキリした信念がなかつた。
 属国根性の勢(いきほひ)である。ところが、満洲事変以来民族意識に目覚め、我れとそ
の主張異にする聯盟から決然脱退したのである。私が聯盟と決裂して帰つた
のではない。諸君が ― 国民が決裂せよと云ふから、決裂した迄である。国民
も今や日本の国際的立場を自覚し、所謂属国根性の清算を為し又為さんとしつ
つあると私は思ふ。而してイギリスがその外交上指導精神として来たインター
ナショナリズムに依つて、世界が国際主義化したかと云へば、決んて然らず、第
一アメリカは自分の国の大統領が一生懸命になつてた聯盟に這入らない。何故
入らなかつたか、国民投票 ― 大統領選挙の際 ― に問ふた結果、アメリカの大
多数は「米国第一主義」即ち吾々は先づアメリカ自身のことを考へて行かう、
ヨーロッパなぞのことに余計な口を利かぬ方がよい。アメリカには出来るだけ
欧洲問題に携はらぬといふ伝統的方針があるといふので、この伝統的方針の示
せる精神が、勝を制して、ウイルソン大統領は選挙場裡に於て惨敗を喫し、遂
にアメリカは聯盟外に立つことになつたのである。
 アメリカは欧洲大戦には途中より参加したが、欧洲の問題から早く手を引か
うといふ意思が強くなつた。換言すればナショナリズムである。国家本位、国
民本位で行きたいと考へたのであります。ところがアメリカは、ヨーロッパに
沢山の金を貸してゐる。奇妙なもので、人間は生命はいざとなれは投げ出すが
貸した金を帳消しにしろといふと却々(なか/\)しない。この奇妙な心理作用で聯盟に這
入らないと頑張つて来たアメリカが、今日では殆んど半分以上実は之に這入つ
た形になつて来た。それは一つにはヨーロッパに大金を貸してる因縁からであ
る。モウ一つは世界がだん/\小さくなつたからだ。現にドイツが今回聯盟を
脱退したといふ報道をスグにアジアのはてで受けるやうに、世界が小さくなつ
た。況んやアメリカは欧洲人が移住して出来た国だけに、その間には非常に密
接な関係がある。其処でジョージ・ワシントン以来の米国の伝統であるヨーロ
ッパの事には一切関係しないといふ方針を貫徹し得ず、一種のインターナショ
ナリズムとアメリカの伝統のナショナリズムとの間を行つたり来たりしてゐる
が兎も角、聯盟に這入らないと頑張る点に於てはナショナリズム ― 「アメリ
カ、ファースト」即ち国民本位、国家本位 ― がアメリカによつて強調された。
英は外交もうまいが宣伝も巧い。夫れに日本はスグ引ツかゝる。聯盟結構、国
際主義結構、平和結構と出る。平和を不結構と云ぶものはないが、この世界平
和を強調する国際主義とか、聯盟主義とかを日本ほど徹底的に宣伝した国は、
不思議にも世界に其の類を見ない。中学校、小学校の教科書にまで、聯盟や国
際主義が書いてある。実に正直なお人よしの国である。
 二年前までは我が生命線である満洲の放棄論さへ唱へられ、国民も亦これを
怪しまなかつた。日本のやうなお人よしの国が若しヨーロッパの真中にあつた
ら、到底今日まで存在しなかつたらう。幸にも日本は欧米から非常に距つたア
ジアの絶海の孤島であるため ― これからは飛行機でスグ飛んで来ることが出
来るが、今まではさう容易に来る訳に行かなつた ― そのおかげで国も亡び
ずお互に日本国民として、今日こゝに顔を合はすことが出来のである。国際
主義、聯盟主義、平和主義に私は反対するものではたが、国として考へてさ
う無条件にこれらを受け入れることは出来ない。次ぎに、ヨーロッパは何うな
つて居るか、と言ふに、一面イギリス ― 夫れにフランスが附和してインター
ナショナリズムを唱へてゐる。他面日を追うてナショナリズムの傾向が強くな
つて来た。このナショナリズムを十年前欧洲の天地でハツキリと主張したもの
はムッソリーニ氏だ。又ドイツではヒットラー氏が起(た)つて、周知の通りの形
勢で、極力ドイツ本位のナショナリズムを唱へて居る。独伊ともにファッシ
ズムの行き方である。ところが更に面白いのは、イギリスに於てケインズ教
授の如き、従来インターナショナリズムを強調して来た大学者が、そろ/\ナシ
ョナリズムに転向し始めて来た。一体イギリスばかりでなく、他の国は其の国
民教育に自身の国の利害を打算してシツカリと目標を立てて居る。自分の国が
亡びやうが一向お構ひなしの教育をやつてゐるのは世界に日本しかない。私は
学校を造つてゐるのは何とかして日本の国をよくし、お互の生活の向上を図る
ための教育を為すのが目的であると考へて居る。学問の独立なんと云ふ事を振
り廻して、自身の国家がどうならうと介意しない。夫れが学問であると澄(す)まし
て居れる日本は誠に結構ではある。ケインズ教授は素よりイギリスの利害関係
から打算したのであらうが、従来あれまでにインターナショナリズムを主張し
て来たに拘らず、最近各国が経済的孤立をなすことが、却て世界平和のために
よいのではあるまかといふ議論をし始めた。私も昔から、真の国際主義は健全な
る国民主義を通じてでなければ行へないと主張して来たのであります。イギ
リスの大学者、ケインズも何うやらこゝに考へを及ぼして来たらしい。今日イギ
リスの動向を見ますと、何うもナショナリズムが可なり強く頭を擡(もた)げて来るの
ではあるまいかと思はれる。世界の変局に於て、私の目に一番大きく映つて来
るものはインターナショナリズムとナショナリズム、即ち国際主義と国民主義
とが抗争して、国民主義が勝を制して行きつゝあるといふことであります。こ
の点は諸君も見逃してはならぬ。
 かくの如く観じ来つて国際聯盟といふものゝ将来は如何になるであらうか。
日本人といふものは面白い、日本は自ら脱退する時には、御承知のやうに新聞
でも有識者でも足並が却々揃はぬし、また実際無闇みと心配してた者もある。
ところが、他の国が何うかすると共鳴する。少くとも感服する。ドイツが脱退
したら遽かに力づいて日本の脱退を正当づけてくれたやうに思ふ傾(かたむき)がある。
 そして数日来、聯盟は一体何うなるであらうかと聞かれる人がある。奇妙な国
民だ。自身が脱退するとき、聯盟がどうなるか見透しをつけて脱退したらよか
つたに、何も他の国が脱退したからと言つて遽かに聯盟の将来に関する疑問を
持ち始めぬでもよささうなものと私は思ひます。これが属国根性なのである。
私は預言者でないから、聯盟が愈々どうなるかハッキリ言明はよく致しませぬ
が、聯盟のためにアンマリよいことではない。倒承知の方もあると思ふが聯盟
を引揚げ、本年二月二十四日、ジュネーヴの地を去るに臨みまして、告別の辞
を世界に公表しました。簡単なものであるが、その中にハッキリと云つて置い
た。即ち「私は非常に深い悲しみをもつて今日この地を去る」と。深い悲しふ
日本語では寧ろ「憂ひ」と云ふ方が当つてるでせう。そしてこの「深い憂ひ」
とは日本のためではなく、聯盟のために言ふのである。ジュネーヴの地を去る
に臨んで私は心の底にある考を何の粉飾なく其のまゝそつくり吐露した。私
には外交だの云ふ思惑は少しもなかつた。ドイツが出たからとて今更聯盟が何
うなるかかうなるか遽かに考へてみる必要はない。日本自らが進退した時によ
く思索し、已(すで)に見透しが付いて居た筈である。要するに、私はジュネーヴを去
るに際し聯盟の為めにその将来を悲しみ、憂へたその事が段々と具体的に現れ
て来たまでだ。私はせめて聯盟はヨーロッパの平和維持にだけで役立つやう
にと窃かに祈つてたのであるが、それすら段々覚束なくなつて来た。要するに
かうした事態が起るのも、先ほど申上げた如く、ヨーロッパには非常な不安
欧洲直前に何倍する ― があるからであると思ふ。故に諸君に注意して
置きますが、どんな事が起らうが驚かれる必要はない。当然起るべきことが起
つて来るだけのことで、他国のことをさう心配する要はない。夫れよりもお互
の足許に気をつけた方がよいと思ひます。世界を概観いますと、ヨーロッパの
事態だけではない、アメリカにしても亦、非常な有様である。アジアにしても
亦不安の原因が幾つもある。時間がないので詳しく申上げることの出来ないの
は遺憾であるが、世界をあげて今や未曾有の変局に臨んで居る。吾々が若い時
に習つた経済論は何う当て嵌めてみても駄目である。たとへば独り日本だけで
はない。どこの国も自分の国の通貨が国際為替に於て値下りのないやうにと考
へ、値下りすれば国の信用にかゝる。又値下した時には国が貧乏になるといふ
やうに思つてた。従つて日本も遅蒔き乍ら金の輸出禁止を解いて円金の外国為
替相場を釣り上げて見た。日本人はどうも真似をする事が好きな人間で、この
金輸問題にしたところが欧米が止めた又は止めんとする頃に遅蒔きに真似た。
嚢にロンドンで開かれた世界経済会議で、種々の問題が出ましたが、吾々の目
に映じた一番大きな問題は何か ― 夫れはアメリカが、俺の国の金を国際為替
に於て勝利尚ほ値下りさせる自由は放棄出来ぬと主張したことである。会議が
物別れとなつた半(なかば)以上の原因はこれが為めである。この一事を見ても、私共が
若い時に大学で教つた為替論や財政・経済論では分らなくなつた感が起らざる
を得ない。
 今日、日本を背負つてゐる人は、大部分若い時に習つたことに捉はれて居る
から魔胡ついてるのではあるまいか。世界は非常なスピードに変りつゝある。
政治、社会、思想、経済、あらゆる問題が吾々の若い時に習つた学問のみをも
つてしては、分らなくなり又処理出来なくなつて来た。況んやこの非常時を背負
ひ第一線に立つて居られる七・八十の御老人達は吾々より何十年前の学問で頭
が硬化してるのだから、甚だ心細い。この御方達にこの大変局が日々産み出し
てる問題に追付き得られる筈がない。つまり世界を挙げて迷つてゐるのだ。こ
の変局に兎も角、大努力をなし、思ひ切つたる試験をしてる国としては先づ第
一に指をロシアに折る。次いでイタリヤ、夫れからアメリカである。ロシアの
ソヴェート主義は到底成功するものではない。ロシアの首脳者も内心ソロソロ
それに気づいて居るのではないかと思はれるが、表面は兎も角執拗にやつてゐ
る。即ち人間を機械化し、個人の意思を殆んど認めないといふのが、ソヴェー
ト主義である。日本にも物好きな人間があつて、自身の意思を認めない国がよ
いといふ人が居る。そういふ人はロシアに行けばよい。国としてさやうな人間
を養ふだけ損である ― 刑務所に入れても日本の穀は潰すのである ― 私は人
間と云ふ者はとかく極端に機械化し得るものではないと信じます。然しあの広
大な領土と一億六千万の民衆を持つて誠に思ひ切つたる試験をしてる。これも
畢竟光明を求めんとする悩みであり、努力ではある。ロシアの国民一億六千
万人の損失勘定で敢て試みてるのである。別に日本人には損はないので、何も
吾々が心配する要はない。所詮は不成功に終ることでありませうが、不成功な
ら不成功で、兎角人類の為めにソヴェチズムの到底成功するものでないことを
立証することになるのであつて或は結構な事かも知れない。又その思ひ切つた
る武者振りだけは或る意味に於て、私は今日、日本人よりか偉いところがある
とも見れると思ひます。次ぎにイタリヤでありますが、その根本の社会及び政
治哲学に於て、ソヴェートと絶対に相容れぬ所がありますが、然しその行ふ所
は或る点まで、ソヴェートに似てゐる。何処が似てゐかと申しますと、種々の点
が似かよつて居りますが、大きな一つの点は、イタリヤは国家至上主義を掲げ
て居る。個人の自由はロシアの如く全く認めないといふのではないけれども、兎
も角個人は国家のために、社会のために存在し、働くのであるといふ建て前で
ある。そしてこのイデオロギーの下に相当強力なる国家統制を行つてるので
あります。この点は確かにソヴェーチズムに似かよつてる。イギリス人が従来
唱へた思想であるが、社会は個人のために存在して居るといふ考へ方とは反対
であります。社会なり国家はその組成してゐる人間から成り立つ有機体であつ
て、過去現在未来に亘つて継続的の存在であると言ふのがその根本思想である。
この有機体のために個人は一生懸命に働かねばならぬ。犠牲にもなるべきであ
るといふのが過去十年に亘り一貫してムッソリーニの強調し来つた所のもので
あつて、現に今日、イタリアの青年は「義務あるを知つて、権利を言はない」と
の精神に生きて居る。即ち個人がマッス ― 集団 ― のために犠牲を払ふとい
ふ精神に於てソヴェートに似通つてゐる。従つてその行き方もよほど似たとこ

ろがある。何れも、アングロ・サクソンが従来伝統として来たところの個人の
地位、殊に経済界に於ける個人の自由主義の建て前を、ソヴェートは絶対に否
定し、イタリアは或る程度まで制限して居るのであります。イタリアのファッシ
ズムは、これまで世界殊に西欧の非難と無理解の中に戦つて来たが、案外成績が
よい。そこでドイツのヒットラー君が起つて之に倣はうとしてゐる。これが何
処まで発展するか、まだ予断するには少し早いが、然し今や澎湃として起つて
居る独逸に於けるヒットラー主義の激浪は、一ヒットラーが仆れても止まぬも
のと考へます。次ぎにアメリカでありますが、吾々と太平洋を距てゝ、否太平洋
によつて緊切な関係に結びせけられて居り、そして世界に覇を唱へてゐるとこ
ろの大陸国アメリカも亦今日、非常に苦境に陥つてゐるのである。この苦境に
陥つたアメリカが、今何を為しつゝあるかを省みますと、これも大体ファッシズ
ムの真似をせんとして居る傾向がゐるのであります。アングロ・サクソン文明
の流れを汲みまして
個人の自由競争を根本義として来たアメリカも、少くとも
イタリアのコーポレート、ステートの跡を辿らんとしてるのではあるまいか。
国家権力を用ゐて、各経済本位に協力せしむるといふ仕組が即ち所謂スタト、
コーポラチヴオ、ファシスタであつて、ムッソリーニが過去十年間にたうとう
ものにしたのであります。大体この行き方を真似しようとアメリカはしてるので
あると想はれる。本年三月四日経済界の大恐慌の中に就任したルーズヴェル
ト大統領に対する委任状とも見られる産業復興法を御覧になれば、この点は稍
や瞭然になるのである。勿論、国の事情が違ひ、国民性が違つて居りますから
ピッタリとイタリヤのそれと合つては居りませんが、大体同じ行き方であるや
うに観察されるのであります。更にイギリスは何うかと云ふに、イギリス人は
一体鈍重な国民であつて、掌を返すやうにものを悟らない。廻れ右をするに
も大きな輪を描いてする国民性を有して居る。アメリカ人のやうに一足飛びに
項上に達し得ないが、イギリス人近来の動きを見ますと、矢張自由主義では
いけない。何とか国民生活を統制して行かなければならぬ。国民の自由を或る
程度まで国家又は社会存在の目的のために、制限して行かねばならぬといふ方
向に動きつゝあるのであります。
 主なる国の動向、先づ之を世界の動向と言つてよからうと思ひますが、その
動向の一端は以上述べましたところで窺はれると思ひますが、この動向は何う
して起つたのであるかと言へば、資本主義の行詰りがその大きな原因の一つで
あります。資本主義の弊 ― 諸君が即断されては困る。私は資本主義の全部が
悪いと云ふのではない。資本そのものは必要なのである。がしかし、資本を覇
道的に使ふことから大変な弊害が生じて来たので、若し吾々が皇道、少くとも
王道で之を使ふならば、問題はない。即ち覇道的に資本を使ふことが悪いので
ある。換言すれば、利益にならぬことはやらぬ、と云ふ利潤主義に流れ過ぎた
からである。諸君が若し俺の利益にならぬことは一切やらないと決心なさるな
らば、余ほど欧米人に近くなつて来るので、純粋な日本人ではなくなる。然し
吾々にはまだ/\先祖から受けた血が流れて居る。現に農村は採算できなくと
も、百姓をやつて居る。必ずしも外にやることがないからやるのではない。田
畑を耕すこと即ち働くことは天とう様に対する人間の義務だと云ふ精神 ― そ
れがよし唯潜在意識的であつても ― を持つてるのである。この考へ方が、こ
の精神が欧米人にはだん/\なくなつて来た。個人主義、資本主義が発達して
来た。個人主義は人間を利己に走らせ、資本主義は人間を利潤の一念に堕せし
めた。今の世界の行詰りの主なる原因はこゝにある。若し徹底的に利益になら
ぬことは一切やるなと、私が諸君に勧めるとすれば、夫れは「米を作つて損す
るこの頃の農村に対し百姓をやめよ」と云ふことで、日本人口の半数を占むる
農民が百姓をやめたら、一体日本は何うなるか。若しも、利益にならないから
罷めると云つて農村全部が百姓をやめ、都会に押しかけてきたち、日本は大騒動
だ。そして国民は飢餓に瀕する資本主義機構の下に、現に欧米に於て ― 或る
程度まで日本に於ても ― 見るが如き利潤観念の徹底が、果して人間の集合
である国家又は社会に取つて健全なことであらうか。アメリカが広大な国土、
殆んど無尽蔵の天然資源、一億二千万国民を有し、世界の金(かね)の三・四割を占めて
居ながら尚ほ世界で一番不景気のドン底に陥つてゐると言ふ始末、これは何が
ためであるか、農村までが利益にならぬことはやらぬといふ観念が余りにも強
い。国民を挙げて個人主義と利潤観念に走つてるからであると私は思ひます。
尤も資本主義不可、利潤観念不可と云つても、利潤を全然度外観せよと言ふの
では固よりない。又それが行へることでもない。程度の問題であります。今日
欧米の経済学者の考え方が漸次変りつゝある。今まで、人間は経済的動物なり
と云つて、利潤観念を主として議論したのが、これはいけないと考へて、心理論
殆ど宗教論ではないかと思ふやうな方向に歩み出してる者がある。即ち人間は
再び人間らしくなれ、唯だ利益のみを追ふて動いてはいかん。個人主義に沈倫
してはいけない、今少し道徳的動物に立帰るべきではないかと云ふのである。
これは現実に個人主義、利潤観念の行詰りに対する反撥的動向として当然であ
る。時間がないので、詳しく説明することは出来ませんが、世界変局の実体が
どういふものであるかは、今まで申述べましたところだけでも相当御判りにな
つたことゝ思ひますが、今や欧米の文明 ― 一方思想的には極端なる個人主義、
利潤観念に偏し、他方物質的には機械化と科学化へ突進した ― が今や崩壊の
彼岸に全速力を以て進んでゐる。此の感を抱いて居るものは独り私のみではな
い。欧米の先覚者にも相当多い。この頽勢を如何にして挽回するかと云ふ。そこ
にソヴェートの大きな試みが現れ、イタリヤの試練が行はれ、更にドイツにヒッ
トラーが起ち、大西洋を越えてアメリカに於て復興運動が起つてるのである。。
世界、少くとも欧米の変局に就て、私の見る所をこれでざつと申述べたので、
次に支那の現状、極東問題、アジア問題等についてお話し致したいと存じまし
たが、時間が迫つて参りましたので出来るだけ簡単に致します。
 支那の現状=御承知の如く、支那は一語にして云へば、厄介な隣人でありま
す。私は支那が一日も速に秩序を回復し、健全なる発達を遂げんことを希む
者であるが、夫れは今のところ見込みがつかない。支那はヨーロッパ全体より
か領土が大きく、民衆も四億五千万、これが混沌状態にあるのであるから、甚
だ厄介な憐邦である。私共は迷惑至極だから出来ることなら日本の国を何処か
他へ持つて行き度いが、それは出来ないことであるから私共は出来ることな
ら、支那の家に火事が起つてるのを消せるなら消したいものであると考へてる。
が今のところ却々消せさうにもない。満洲問題など中華民国人には容易に諒解
して貰へさうにもない。併し満洲国だけは何うか、かうか火を消して、立派な
国が出来るだらうと大に希望を継いでゐる。支那本部の人達には、誠にお気の
毒だが幾ら苦しまれやうと。今のところ手が出せぬ。唯だ見て居るより外仕方
がなさゝうである。聯盟あたりでは支那の国際管理計画を立てゝ、夢を見てる
人がゐるやうだ、聯盟の衛生部長とかいふライヒマン君が、支那に来て憲兵制度
を敷き、聯盟管理で以て、火事を鎮定さすといふから傑(えら)い。左様なことが出来れ
ば日本は従来あんなに苦しまんでもよかつたのだが、実はそれは夢である、と言
つても、ものゝ判らぬ人にはやらして見るより外ない。私は予言して置く。左
様な馬鹿なことは断じて行へない。正直な人ならば、今にをれは出来ない相談
だとわかるだらう。日本人のいふことの方が尤もだ、と悟つて引き下るだらう。
日本もその中に余裕が出来て、支那の人達を、多少とも、東亜全局保持の国是、
大方針の下に、助けることの出来る時が、来るだらうと思ひ且つそれを祈つて
居る。
 更にアジア問題では、当面の問題としてインド―シャムは復た革命を起し
て居りますが、これは大したことはない―英国の領土として三億五千万人の
人口で以てガンヂが総帥となつて反英運動をやつて居りますが、これは畢竟ア
ジア民族がだん/\自覚して来て、何時迄も虐げられては居らぬといふ動きで
あります。しかし印度問題はイギリスに取つては非常な重大事である。大英帝
国の政治的運命を決するものはインドであつて、インドが英国の頸木(けいぼく)を脱する
時は、大英帝国崩壊の時であると私は信ずるのであります。更にアジア問題と離
るゝことの出来ないロシアが、今後如何なるかについて、吾々は絶へず注視しな
ければなりませぬ。翻つて日本は此の世界変局に於て如何なる地位に在るか、
といふことについて考へて見たい。先づ経済的に見て、極く簡略に判り易く説明
しますと、日本はこの七八十年間に輸入が五十倍に増加して居る。輸入の主な
るものを見ますと、原料又は半製品即ち棉・羊毛・木材・機械類がその七八
割を占めてゐる。輸出は何うかと云へば一面から見れば誠に心細い。何故か、
その貸捌き先が限られて居り、又輸出貨物の種類が少ないからである。輸出貿易
といふものは、その輸出先きが全世界であつて、輸出品も成る可く種類の多いこ
と要件とせねばなりませぬ。我が国の輸出は生糸及綿織物が其の三割五分
から四割を占め、一時海産物が盛んであつたが、近年やゝ衰へて其の代りに繊
維工業が非常な勢ひで進出し、今や日本の斯業は
世界に雄を称へるまでに発展
しました。唯だ麻だけはまだ幼稚だ―其の主なるものは、御承知知の如く紡績
工場から吐き出れる綿織物、次ぎに最近顕著な発展を遂げつゝある人絹であ
ります。其の他衣類、反物などがあり、全輸出の三割五分を占めて居る。而し
て輸出先は人絹その他の織物は最近南米・アフリカ・南洋方面に進出し更に欧洲
に其の販路を求めて居りますが、従来我が輸出先は主としてアメリカとアジア
大陸に限られてゐたのである。まだこの傾向を脱し得ない。日本で生産する生
糸の七割までがアメリカに行くのでありますが、若しアメリカがこれを不要と
するなら大変である。我が農村は直ちに大打撃を受け惹ひて我が国民生活が全
般に一大変調を生ずるのである。次に何と云つても支那・印度等アジア大陸が
吾々の顧客である。
 我が国の輸出品の捌け口がかやうに、限られてるといふ事は、余り喜ばしい現
象ではない。我が貿易業者も近年世界各方面に向つて大飛躍を試み、その熱心
と努カとは、誠に驚嘆に値ひするものであるが、まだ/\これからであつて容易
ならぬ闘ひであります。我が商品が世界到る処に進出すればする程、相手は悲
鳴を揚げる。その著しいものが近年のイギリスのあの立ち廻はりである。ざ
つと、これが最近の国際経済戦場に於ける日本の姿である。こゝで一寸私の貿
易に関する考への一端を御参考に供したい。驚く人、少くとも一寸腹入らがせ
ぬやうに感ぜられる方があるかも知れないが、自身の考へは誤つてゐないと信
じて居る。欧米人は日本の貿易の姿を見て、日本は非常に弱い立場に立つてゐ
ると云つてる。一体貿易とは何ぞや。貿易は道楽にやつて居るのではない。国
民生活のたしにしやうと云ふので貿易をやつて居るのである。然るに日本は、
外国貿易を始めて以来茲に七十何年、其の間大部分の年は支払ひ勘定である。明
治初年以降六十四年間に、貨物貿易に於て大約四十五億円輸入超過となつて居
る―日本から外国へ輸出した品物と差引いて、つまり汗水流した結晶、それ
を金にして外国に支払つたのである。これ丈の品物を外国が只でくれはせぬ。
金銭勘定で言へば、つまり損をしながら日本人はこの長年外国貿易をやつて来
たといふことになるのであつて、資本主義観念から云へば、道楽のために貿易
してゐたといふ結論に達するのであらう。損がいくのなら止めたがよいと云ふ
ことになるのであらうが、私の見方は違ふ。私は果してこれが損であつたかと
申せば、損どころか日本人は、その生活を四十五億の程度までより豊かにして非
常に得をしたのであると思ふ。少しく説明しますとこう云ふ事である。私は、も
と/\吾々の刻々の勤労以外に、吾々の生存の為めに役に立つ物は一物も造り
出すことは出来ないと思ふ。例へば山に出来る桃でも誰れかゞ採つて来て呉れ
ねば、吾々の口には入らない。この公会堂でこれを固定資本と呼ぶのであらう
が、実は人間生活に役立つ意味の資本といふのなら、この公会堂それ自身は資
本とは云へぬ。唯死物無益の存在である。人間が之を人間の役に立つやうに使は
ぬ限り、使ふやうにせぬ限り、即ちこれに人間の勤労を加へぬ限り何の役にも
立つものでない。即ち人間に役に立つか立たれぬかと云ふ見地から見れば、勤労
を外にしては、一物も資本とか何とか云ふものはない。金銭にしたところが、金
銭そのものは食へも飲みも、着も出来ないではないか。かゝる考へ方から出発
して、明治初年以来四十五億円外国に払つたと云ふことは何を意味するか、夫
れは吾々が汗水流して働いた結晶を相手の物と交換するため、金と云ふ媒介物
又は符号を通じて払ふて来たまでゞある。そして驚いた事には現に総決算をし
て見ると、我が国には外国への借金は一銭もないと言へる帳尻になるのであ
る。よく調べて御覧なさい。先年国民が恰も大借金があるやうな事を言つて脅
されたのは、あれは調査が杜撰であつて間違つてたのであります。外国との関
係に於ても、経済状態に就て日本程健全な国は恐らくあるまい。我が国民勤労の
力も実に偉いものであります。つまり営々として働いて、その力で以て外国の
物をウント輸入して、これを飲んだり、喰つたり、使つたりして来た。即ちそ
れだけ我が国民生活の内容を広くし、深めた訳である。これまでの金に魅せら
れてる資本主義的経済観念から見れば、成り立たぬ結論でありませうが、私は
これが正しい見方であると信じて居ります。而してこの輸出入の支払勘定四十
五億を一体誰が負担して来たか―資本主義の下で叩き上げられた紡績は除外
例として、大体これは大衆の力、殊に農村の力が主として之を負担したのであ
る。前にも申しました如く、働くことは天とう様に対する人間の勤めだと云ふ
考へで働いて来た、その力であります。若し利益がなければ一切働かぬといふ
考へに徹底してたら、これ丈の支払ひ能力は到底発揮し得られなかつたであら
う。然し、だからと云つ了永久に農村を踏みつけ搾りとるといふことは出来な
い。吾々は農村に対し深く感謝し、農村問題を速かに解決せねばならぬと思つ
て居る。日本を三大国の一にまでたゝき上げ、現在の如きえらい陸海軍をも造
り出し、これを維持して来た力は、主として農村である。農産物を原料としての
家内工業、その延長である中小工業、これ畢竟農村の延長であるが、これ等が
実は我が国の外国貿易の中堅であるのであります。資本主義的機構は過去に於
て一二を除く外、割り方貢献して居ないのである。此の点から見ても国民は、農
村に酬ゆるだけの施設を急いでせねばならぬ義務があると思ふ。夫れは別問題
として、かゝる力の根源は何であるかと云へば、それは社会奉仕、国家奉仕の
犠牲心である。
 今年の上年期に於ける貿易は何うかと云ふに、日本は驚くべき勢ひで外国貿
易を回復してゐる。しかも資本主義の上に樹てられた大工業が、その大部分を
占めてるのではない。今言つた農村及び農産物を基礎とした家内工業と、その延
長である中小工業が回復の一大原動力なのであります。外国でも、北欧のデン
マーク、スエーデン、ノールエーなどは、日本に次で回復して居りますが、実はこ
れ等の諸国も、農村と家内工業、その延長たる中小工業の状況が、日本と似て
居るのであります。この点を対照して見ると面白い。是等諸国の回復も決して
偶然ではない。勿論為替が下つたといふことが、大変我が輸出貿易の回復を助
けたことは事実であるが、これのみを以て全部を説明することは出来ない。デ
ンマーク、スエーデン、ノールエーなどが、日本とは大分の距離はあるが、兎
も角大資本主義国とは、比較にならぬ程の回復を為しつゝあると云ふことは、
吾々の注目に値ひする。
 日本が欧米に比し、世界的不況の影響を蒙ること比較的軽く、然かも貿易に於
ては非常な回復を示しつゝあることは、繰返すやうでありますが、日本に於て
は、特にこの天とう様に対する義務といふ、人間らしい考をもつてをること
が、その基をなす真の力なのではあるまいか。私はさう思ふのである。翻つて
かういふ見方もある。損ばかりしてゐる貿易なら、やめたがよい―資本主義
的利潤観念から云へば勿論でありますが、実質的に考へ、日本の全生産を百二
十億と見て、その内輸出に振り向けられるものは、一割何分位しかない。或る
年は一割以下だらう。少し極端な考へ方でありますが、観念をハッキリさせる
ため述べるのであるが、若しこの一割何身の輸出がなくなれば、どう云ふ事に
なるだらうか―日本人民に飢餓するだらうか、どれ丈の影響があらうか、之
が戦争までせねばならぬ程の重大問題であらうか。国内で消費されるものは百
億円の生産と見てよからうが、この百億円丈の物を如何に生産するかゞ国家と
して、国民として、実はより以上の問題でなければならぬ。これが一番重要な問
題であつて、輸出に向ける僅か一割にしか相当しない部分とは。丸で比較の取
れぬ大きな問題である。全生産のたつた一割にしかあたらない貿易が、一時全
部なくなつたところが、究極のところ何であるか。況んや資本主義観念から云
へば、損がいくのだからやめてもよいのではないか。これはかりに極端な考へ
方をして見たのであるが、こんな考へをして見ると、吾々の頭が稍々ハッキリ
すると思ふ。日本のみならす、世界各国とも、余りに貿易病にかゝつてる者が
多い。。今少しその根本に就て考へて貰ひたい或は国内で消費する物の生産と、
分配とが一番の問題である。
 次に政治的に日本が何ういふ立場に在るか―問題の範囲をせばめ、過去二
年間に就いて考へて見たい。二年前、即ち満洲事変までは、満洲を退却する
か、然らすんば巍然として起つてたか、その孰れかを選ぶより外ないところ迄事
態が押し詰つて来た。而して大勢は退却主義に傾いてゐたのであります。夫れ
は日本に所謂平和主義、国際主義。乃至聯盟主義が、漸次国民の間に徹底して来
た為めであるとも言へる。各方面に於て後ずさりしてゐたが、夫れが満洲事変
を契機として一変した。私はこれを日本精神の爆発と解して居ります。この爆
発以来の日本は、国内は申すに及ばず、国際関係も非常に変つて来た。二年前
と今日を比べて考へますと、隔世の感がある。先程申ました様に、二年前迄は
東京の真中で満洲放棄論をやつて居た者すらあつた。今日ではそんな人間は一
人もゐない。満洲事変の御蔭で日本精神がよみがへりつゝあるのである。そし
て外に対しては、東亜全局安定の為め、明治大帝の御示し下さつた大方針の下
に、積極的行動に出で、満洲国の独立を承認し、遂に我れとその主張を異にす
る聯盟を脱退したのであります。聯盟を脱退するについては、一時大変心配した
人がある。天でもおつこちて来るかのやうに脱退を恐れた者があつた。或は今
でも震へてゐる人が多少あるかもしれない。我が代表部は本年二月二十三日聯
盟を引揚げ、三月二十七日に脱退すべき旨を通告した。二年前に日本が満洲国
の独立を承認するだらう、とか、聯盟を脱退するだらうなどゝ予言した人があ
つたとすれば、多くの人はあれは気狂だと云つたに違ひない。左様な事は到底
出来るものでない。又聯盟脱退などとは考へて見るさへ身ぶるいしたのである
が、結局脱退して見たが別に何事もない。私はこの機会に申上げますが、或る人
は聯盟を脱退したので国際関係が悪化したといふ、―さういふ人は、最初に繰
返して云つた属国根性が抜けない人である。何ぞ知らん、かういふ人達が却つ
て従来国際関係を悪化させて来たのであります。聯盟を脱退した事により国際
関係は悪化してゐない。寧ろ脱退によつて態度をハッキリした為めに、欧米各
国では之で物事が、ハッキリしてきまつて来たと云つた形であります。これは
各国を歩いて見ればわかる。吾々はこれから満洲国を援けて大成を期せねばな
らぬが、欧米人は満洲問題など真剣に考へては居ない。もう疾くに忘れてる。
日本人は単純な所があるから、自身が一生懸命になつてゐる問題であれば、他
人も亦大に問題にしてるものと思ふ癖があるが、欧米ではもと/\満洲がどこ
にあるかすら多くは知らない。支那の巧妙な口車と狂気じみた平和論者、聯盟
患者の宣伝にのせられて踊つたのであるが、もと/\大した関係もない問題で
あるので、大風一過、もはやこの問題にさして興味も感じては居らぬ。もう忘
れてる。
 世の中は忙しい、スピード時代である。欧米では自らの大変局に臨んで、自
分の国のことに殺(ころ)されてる。だから、日本人は自身達の手も足も出ぬ時に乗じ
て、陰謀を遂行したのであると信じてるものさへある。吾々は断じて左様な事を
やつたのではないが、西洋人はさういふ事を時にやるので、自然自分の心を以
て他人を忖度するのでありますが、兎も角さう想像する程に、今や非常な苦境に在
るので、自分の事の方に忙(せは)しくて、満洲問題など長く考へ続ける暇はないので
ある。
 私は聯盟脱退の為め特に国際的に我に対して変化が起つた跡を認めない。英
国との間に経済戦が起つてゐるが、それは聯盟脱退と何も関係はない。聯盟に
居残つたからと言つて、英国が経済戦に於て我れに対し寸分でも手を緩めるも
のでないことは申すまでもない事である。そんな考へ方をしてる人は余程どう
かしてる。日本国民があまりに有能であるから、英国との経済戦が起つたのであ
る。つまりこの変化は有能に対する代価であります。だん/\偉くなれば止む
を得ない事象であつて。始めから覚悟の前でなければならない。夫れは困ると
云ふならば、有能にならなければよい。すれば明日からイギリスとの経済戦は
やむ。無能にならうとしてもなれぬものではない。故に話し合つて折合をつけ
るより外はない。それも敢てむづかしい事とは私は思はない。殊にイギリス人
は却々聡明で、止むを得ないことは潔くあきらめる。吾々も亦譲るべき処は譲
る精神をもつて居るのであるから、結局は御互に生き行く途は見付かると信じ
ます。兎も角、対外的にこれを見て、満洲事変を契機として自主的となり、更
に聯盟脱退により之を力強く且明確にし、独自の方針と信念に基き、大陸に向
つて着々歩を進めるのが、対外関係に於ける日本の姿であります。支那も却
々厄介であつたが、我が軍が北支那に進出した結果、先方も腰を折つて、今で
は大分静まつてゐる。支那とは結局よく諒解を遂げて、仲よくせねばならぬ、
と思ひます―時はかゝりませうが、兎も角二年前迄の退譲外交よりか、今
日の積極行動の方が支那からも敬意を払はれてるのか、事実幾分日支関係は少
くとも表面険悪さを減じて来た。少くとも悪くはなつてゐない。がしかし、問
題は愈々これからである。或る方南では非常時は解消したなど申して居ります
が、私は真の非常時はいよ/\これからだと思ふ。それは一体どういふ訳であ
るか―支那はあの通り混乱状態を呈して居り、その向ふにはロシアが控えて
ゐる。太平洋を越えてアメリカが在る。委しく申上げる必要はないと思ふ。又
日英を経済戦、大したことはあるまいとは思ふが、商人側から見れば相当重大問
題である。この中にあつて日本が弱くなれば問題はないが、益々強くなる。偉
くなるとそれだけ動(やや
もすると、他国と突き当る可能性が増して来るのは当然の
事である。偉くなればなるほど、それに相当する代償を支払ふ覚悟と用意がな
ければならぬ。日本の今いふ国難なるものは事は偉くなるからであつて、悲観
する必要はない。夫れを突破する毎に日本は益々偉くなるのである。実は前途
に希望が輝いてゐる国難であります。私は去る九月十八日の夜、全国民に対し
放送を致しました際にも申上げましたが、向ふ五年間は非常に大きな国難に逢
ふのであると考へてをります。世界の形勢と日本の国情―殊に極東の事態に
顧みれば、この事は自ら首肯されやう。私は運命観としては楽観して居りますけ
れども、然し運命観は将来に関する事で、ほんとうは神様より外に知る者は無
いとして置いて、人間としては有るがまゝの事態をよく観察し、思索し、準備
もしなければならぬ。そしてあらゆる方法を講じて国難突破を期せねばなら
ぬ。而して幸ひに之を突破し得れば、明治の歴史を造るに企画努力した偉人等
すら夢想だに為し得なかつた諷爽たる日本の英姿が、富士山の如く世界に向つ
て雲上に顕れ来るのではないかと思ひます。かく想ふとき、吾々は実に愉快な
時に生れて来たものであると感せざるを得ない。
 世界の一大変局に直面して、各国は種々の試験を行つてゐる。果してどうな
ることであらう。かくの如く大変化を捲き起しつゝある真ツ只中に生れて来て
るのは実に愉快ではないか。働き甲斐がある。この変局がきり抜けて、皇道日本
の光明を世界に輝かすといふ事は、日本帝国に生をうけて居る吾々として、実
に愉快であり、生れ甲斐のある事であると信じます。徳川時代に百年生きて居
るよりも、この五年間生きて居る方が遙かに生き甲斐がある。聯盟を脱退して
世界の変局に厳然として立つて、吾々大和民族の世界的使命完成に向つて進ん
で行かうと云ふのであるから、これが愉快でないものは大和の男子ではない。
真に世界的使命に堪ふるか否かを決するはこの五ケ年間である。如何なる国難
が来やうと、如何なる大試練に逢ふと。吾々はこれに堪え、これを突破する覚
悟がある、上に皇統連綿の天子を戴くこの瑞穂の国に生を享けた吾々が、世界
文明の行詰りに依り、崩壊や彼方に全速力で走つて居る世界人類を救ふに非ら
ざれば、何人がこの大使命を完ふし得ようか。
 世界人類の危機を救ふ大和民族の使命や重し―これが為めに降りかゝる国
難の突破には、日本精神を取戻して、神ながらの道によつて先づ自らを正し、
自らを清め以て世界に範を垂れ光明を与えてやるより外ない―この決心で
行かねばならぬ。欧米に見るが如き個人主義では世界の人類を救ふことは固よ
り出来ない。自分だけの国難すら切抜けることも出来ない。全国民を挙げげて真
の、本来の日本人に立帰り、我が民族意識を明瞭にし、大和民族の本然に基い
て、皇道日本の再建設に向つて精進することによつてのみ、日本の偉大にして
清浄な英姿が現はれ、世界人類に真の平和と幸福が齎されるものであると信じ
て居ります。
 欧米人が尚ほ吾々を誤解して居るなら、それは吾々の姿にも汚点があるので
はあるまいか。富士山が雲の為めに大分蔽はれてるのではあるまいか。ほんと
うの富士山の姿―日本精神に更生した本当の日本の姿を仰がば、欧米人も釈
然たらん。亜細亜人も亦日本の真意を認めるであらう。斯く考へるとき、私共
はこの世界変局に処して容易ならぬ負荷を自覚すべきあつて、西洋の学問な
どに捉はれず、本心に立帰つて真の日本精神に生きねばならぬ。而して外交と
いはず、内政と心はず、各方面に亘て大改造が必要である。自身が跛(びつこ)でゐて、
俺は跛でないと云つても駄目だ。先づ自分の跛を直し、形を改めて置かねばな
らぬ。改造と申しましても、其の根本は自己の本然に立帰ることである。今日の
日本の現状に対して満足して居られる方が、正直なところ、一人でもあるか。
私は満足して居らぬ。これが私がジュネーヴから帰つて、田舎に引き込んで考
へてゐた所以であります。その内に自分の意見を提(ひつさ)げて国民諸士に訴へること
があるかも知れない。今晩はその用意をして来なかつたが、兎に角今のまゝで
行つては不可だ。老人達はお茶でも喫してゐたらよいが、青年が決然奮起せね
ばいかぬ。私が望みを嘱してゐるものは、我が国の青年と主として無産階級で
ある。私は無産階級の人に敢えて云ふ―労働問題やプロ運動に就て、欧米の運
動を何時まで真似をするのか、労働問題で解決すべき点があり、又無産者階級
の問題で改善すべき点があれば、それは大和民族として、日本精神によつて内
輪で解決したらよいではないか。何も欧米の運動を模倣したり、之に合流した
りする必要はない。それは即ち私の謂ふ属国根性である。実は已に欧米人は、
吾々に教ゆる多くのものを持つてゐないのであります。吾々の本然に帰つて、
神ながらの道によつて、即ち日本主義に依つて、是等の問題を立派に解決し、そ
して世界に範を示し、欧米人を訓へてやらうではないか。これだけの信念と気
魄とを日本の労働者諸君は持つて居らぬのか。これを要するに労働者も、無産
者も、有産者も、国民総てが民族意識に生き、相助け相結束して、共に倶に国家
の為めに民族全体の為めに力を致さうではないか。斯ふ云ふ考え方が若し日本
国民に判らないとすれば、日本は果してどうなるであらうか。ロシアは先程も
申し述べたやうに、エライ試験をやつて居り、イタリヤ、アメリカも亦共に大
きな試練の過程にある。更に。ドイツも亦非常な苦境にあつて非常な努力をして
居り、過股は遂に聯盟を脱退し軍縮会議からも去つた。日本の様に離れ島でな
いから隣邦から何時斬り込まれるか判らない。けれども決然として起つた。私
はドイツの脱退そのものが好いとか悪いとか云ふのでなく、その決然否憤然と
して起ち上つた根本の精神に之れを顧れば、我が国民が以つて自覚の一助とす
べきものがあらうと思ふ。
 欧米は斯くの如く、未曾有の変局に鑑み、その成否は兎に角として、兎も角
思ひ切つたる試験を行ひ、非常な奮闘をしてるのでありますが、我が国は一体
何をしてゐるのか―今日の日本の行き方では、非常時国難来の五年間が切り
抜けられるなどとは思ひも寄らぬことである。どうか覚(めざ)めて頂きたい。繰り返
して同じ事をいふ様であるが、どうか日本精神に真によみがえつて、神ながら
の道によつて、総ての問題を、日本人として解決し、その範を世界に示すこと
が、国難を打破し進んで大和民族の世界的使命をはたす所以であります。私は
切に諸君に此の自覚と、国民の綜合的努力とを求めて止まないものであります。
                                       (十月十八日)