第八章 マルクスの中心思想 (二)
                                                                                      も
     へエゲル左派

 いよいよ私は、マルクス自身の取つた唯物論の立場を説明しなければならなくなつ
た。これより以後は、特に重要な個庭であe○          、
初期に於けるマルクスは、ヘエゲルによつて輝く影響せられ、その思想の構造をへ
エゲルの辣藷法に求めるに至つたことは後に述べるが、なは唯物論に関しては、彼に
い影響を輿
たものが二つゐる。それはフォイエル、バッハの哲学と十人世紀のフラ
ンス唯物論哲学とであつた。尤も彼の時代は、ドイツに於いてはへエゲル哲学への反
                                                                         「
抗として、唯物論哲学の勃興した時代でゐつた。近代のドイツ観念論を最も輩固な土
重石の上に据ゑつけたものはカントでゐるが、引き績いてそれを大成して行つたもの
第入章 マルクスの中心思想 へ二)
一〇五

第入睾 マルクスの中心思想 (二)
一〇六
七は、フィヒテ、シェリング、ヘエゲル、シエライエルマッヘルなどの大哲がゐる。
現代にな−サ このカントの観念論を更に吟味し直して、一層堅賓な哲学を建設したも
    ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
のは、新カント学派の哲学者と呼ばれてゐる。最近までその新カン寸学派の哲学は、
ドイツの学界を、いや日本の学界をも風靡してゐた。これは後の講であるが、前にあ■
げた大哲学者の中でもへエゲルは、その規模最も雄大な哲学の大建築物を建て、プロ
シアの官許哲学として一世を風靡した。
エゲルはいふまでもなく観念論哲学の大元
締であるが、見方によつては唯物論に轄じた、または轄じ得ると見られるところがみ
つた。唯物論者はこの観念論的なa」ろを攻撃してゐるが、この純然たる観念論でも
なければ接た純然たる唯物論でもないところこそは、
エゲル哲学の眞賓なる鮎でゐ
るとして推讃せられ、近来はマルクスよりへエゲルへ締らなければ々らぬと見る哲学
者もある∩−或はそれが正しい立場でゐるかも知れない。
幻エゲル哲学隆昌の直後に朴いては志田然その観念論を保存して行く.針と、
唯物論的傾向を蚤展せしめて行かうとするものとの問に、分裂を超した。この後者は
へエゲル左派と呼ばれてゐる。左派が勃興したにはYなは別の一川の原因絹あつ托レ
ハ鴻…パパ増川棚欄瀾湖瀾瀾欄瀾瀾欄瀾瀾瀾欄瀾袖減欄欄瀾瀾瀾¶憎凛W欄周増対頂…ミt′′ ‥う祁∴.芸等、.ん
、Y】題.“題欄励
    ヽ
それは常時自然科挙が興隆七、またそれと共に社会にも急激な欒化動揺の起つたこと
である。その時唯物論が勃興するのは、常然のことでぁつたらじついでにその後り
ことを寸へば、Iあ自然科挙を吸収して、またも観念論を復活せしめたのは、最近り
新カント学派でゐつ七が、最浜の社会動揺により、再び唯物論哲学が興起したと†ふ
やうな順序になつてゐるのだ。マルクスは、ヘエゲル直後の唯物論哲学興隆の時に出
たのである。
     フオイエルバッ∧と十八世紀唯物論         、
                                                                                   −
             ハ済▼
 マルクスが先づ強く影響を受けたフォイエルバッハは、ヘエゲル最大の門弟の一人
 であつた。役はへゴゲル哲学の中より出て東て、「人間」 を究極の土童に取らうとす
 る。その立場より宗教論をなしたことは、殊に有名となつてゐる1彼によれば、「紳」
 が 「人間」を創つたのではなくて、「人間」.こそは 「紳」を創つ√たのだぎ銅は伺庭にも
存奄せずh壷心め申虹存在甘るし1紳の持つ性墳は−J八問の持つ性質a打に輿
 べ′1だもめに過ぎない。斯様にしてフォイエルバッハは人間を中心としつつ、。すべての
節入章 マルクスの中心思想 二一)
一〇七

欝人事 マルクスの中心思想 (二)
一〇入


l−▲
わ● ●




 イ.′
  †′
ものを説明して行かうとする。この場合の「人間」は学に心としての存在をする「人
間」だけ窒息味するのではなく、肉鰹をも持ち、かく具健的に生活してゐる我々「人
                                       ヽ ヽ ヽ
間」を意味することは、いふまでもない。近来の哲学として、人間聾を壬張する一派
が出て来てゐるが、それはフォイエルバッハからも強い影響を受けてゐる○
 次に十人世紀のフランス唯物論哲学は、一見してはフォイエルバッハの哲学と正反
対になるところのものだ。マルクスはそれをまだずつと若い時に知つてゐた勺 いやも
つと早く、彼の父がその哲学を家庭で懐いてゐたといふものもある。併し本営に有力
にそれによつて影響せられたのは、ずつと後であるといふが至常であらう。尤も彼の
場合には、いつでもそれにより渇く影響せられたといふことは、また直ちにそれよ→
強く離脱すること窒息味してゐることについては後に述べよう。十人世紀のフランス
唯物論は、尊ら環境の影響を主張する哲学でゐる。人間甥由盛跡感項の産物、壷情
の愚物忠恕aない。その環項の限定する力を∵心閏は突き破ること泌卦驚い○人間
                                    …y〜寸小才JちJ才。モノチニナ

は、由分の職業を選揮するニュも出来なければ、自分で自分の幸福をつくることも出
叩 来ない。この唯物論の説くところは、主としてさうしたものであつた。
 ●
,しや坤札
    ●′
りグ〆〃Jハ
‥∴ゾ扱けrh
 フォイエルバッハの哲学もフラ。ンス唯物論哲学も、非常に強く薮逆的な要素を含
 み、我々に教へるところは少なくない。我々は或る時は 「人間」を土豪として、すべ
 てを考へなければならないが、また或る時はそれとは全←反封に、「環境」 を壬にし、
 人間はそれの産物であるとして考へなければならぬ場合もゐらう。併しフォイエルバ
 ッハの人間学も、結局は∴あフランス流の唯物論を含むものになつてゐた。何故な
 れば、紳を創造するその人間もまた結局は、環境により支配せられるところの人間で
 あると見られてゐたからである。
                                         、
      客髄的唯物論と責踵的唯物論

 さていよいよマルクスの取つて立つ汁批判。である。彼のアオイエルバッハ批判は、
川極めて短葦ではあるが、「フォイエルバッハ静網」と「ドイツチェ。イデオロギイ」と
ァ払見えるので、この二つは、近来は特に垂妥なマルクス文献と見られる。やうになつ
 た。彼の後年の努力は寧ろ経済撃の賓質の方に向けられ、哲学だけについて論じたも
 のは少なくなつてゐるが、この頃は彼もまだ尊ら哲学を研究してゐた時代であつたの
第入牽 マルクスの中心思想 ハニレ
一〇九




⊥… 1

=F J

      山
  〆‥削

節八草 マルクスの中心点想 (二〕
一一〇
で、哲学の思索としては周到な考察をしてゐる。マルクス後年の悪日的経済学的見解
もまた殆ど全部この「ドイツチェ。イデオロギイ」の中には現はれてゐるし、彼の唯
物史観の考へは、既に早く一入四五年の秋に払出来てゐたと観察するものもある。尤
もこ秒時代にマルクスは、フォイエル、バッハより離れたとはいふものの、その後年の
思想に比較すれば、人間撃的部面を多分に含みフォイエル、バッハ的であつたといつて
よい。後年には、その社会的部面が特に張く高調せられてゐる。
 マルクスは批評していつた。 環境が人間を創るaいふ見方は、物質としての環
境を、あまりにも固軍した、ただ在るが使に動きのないものとして見てゐる。例へば
机■はただ乍−に机そのものとしてゐり、我々の行動とは何の関係もない○我々はそれ
を目に見て、在るが儀り机をただその使に受け取るに過ぎない○のみならずそれは、
                ●
人間を鴻づりにも無力に見たものではないか。この様な唯物論ならば、物質はただ辞
的にそこに固定して在るのだから、宇宿人生の動的方面が何虞から出て来るかを説明
  一舟
 、“

するために、人はやはり観念論の力を借らなければならないであらう。即ち静的に固仙
定して在るものは環境としての物質、動的にそれを動かして行くものは観念、といふ丁
                                                                                                                         一
■。−,I■I,I−I−−−I−1I−−−−−−III−一一T】,−I−III.1■■■■■■..                                             ′■          一




         ■止H州HH‖‖   ■。−
           一
                】
                  卜\、.r〓「h」
環境が我々を離れ

.什γ山
 ヽ ヽ ヽ ヽ
的唯物論止呼ばれ
鴇止椚州H−′∨‥仙山洲‥..■矧珊W‥山刊州叫山剖訓W


∧川‖フ
之になつて、1在来
併し眞賓はさうで
見て受け取つたとい
サ托 その行動、賞践
場合は、たギの観念
蹟であることは、言
我々を離れて世界が
よhソ、
斯く凝る世界



.■ム■










の中心鮎である。
















【lll



元論
い。

けの
り我
曳り

でも
に初
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的な
我々
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々は

では

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間の
哲学
に墜

\一」

なく
を受
て、、
念が
はそ

ではわ
環塊九
なくノ
。観Å
lりそこに
前に現前
するより外はあ
に辞的にある環
て、人間は行動
け取つてゐるの
身鰹を持つたこ
世界を斯く存在
存在したのでも
せしめてゐるの
るまい。
項を、またただ
をしてゐる、也貰
だ。この行動、
の仝鰹的な人間
せしめたのでも
ない。我々の行
だ。そこがマル
辞的に目で
践をしてゐ
賓践といふ
の行動、賞
なければ、
動、賓践に
クス唯物論
、勺′
i略儀い柑ほ憎
る。これに反しマルクスは、
‖耶トハ に=卦卦椚朴 仙■小山川卜‖什爪 〃‥川V ∧佃り LJ廿。hr。は仰l巾‖▲川−h
論は、マルク
それを
壬僧瀾
幣hu川Y 人
スによつ
きllll
に掴まう
山郡叩い.竹∵M‖〓州川:▲ハ¶u
といふ。
H加川仙川J判別耶利山mM別州1m
ては、客
朋尉凧桝軋什  伊蜃爪噸、〔¶



 血














 →

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▲増=欠m
           r≠エ
  = ▲い発
    ≡▼  。
                       ■ ¶h。= J 〓‖■山.り‖
−t−1−−−1−1Il−11111−1−;−,■■
が−−

節入牽 マルクスの中心思想 (二〕
一一〇
で、哲学の思索としては周到な考察をしてゐる。マルクス後年の悪日的経済学的見解
もまた殆ど全部この「ドイツチェ。イデオロギイ」の中には現はれてゐるし、彼の唯
物史観の考へは、既に早く一入四五年の秋に払出来てゐたと観察するものもある。尤
もこ秒時代にマルクスは、アオイエルバッハより離れたとはいふものの、その後年の
思想に比較すれば、人間撃的部面を多分に含みフォイエル、バッハ的であつたといつて
よい。後年には、その社会的部面が特に張く高調せられてゐる。
 マルクスは批評していつた。 環境が人間を創るaいふ見方は、物質としての環
境を、あまりにも固軍した、ただ在るが使に動きのないものとして見てゐる。例へば
机■はただペニに机そのものとしてゐり、我々の行動とは何の関係もない。我々はそれ
を目に見て、在るが儀り机をただその倍に受け取るに過ぎない○のみならずそれは、
                ●
人間を濁づりにも無力に見たものではないか。この様な唯物論ならば、物質はただ辞
的にそこに固定して在るのだから、宇宿人生の動的方面が何度から出て来るかを説明
 …ニ一

 エ
★泌
するために、人はやはり観念論の力を借らなければならないであらう。即ち静的に固仙
定して在るものは環境としての物質、動的にそれを動かして行くものは観念、といふ丁
                                                                                                                         一
■。l,一.。■l■。I−I■−1I−I。II−I。−I−1。II−】一.1一一I,I−−1,Il■■■■■■..                                               ●l■          一
こせになつて、1在来の二元論的な哲学に墜するより外はあるまい。
 併し眞賓はさうではない。我々はそこに辞的にある環境を、また七だ辞的に目で
見て受け取つたといふだけのものではなくて、人間は行動をしてゐる、貰践をしてゐ
サ托 その行動、賓践により我々は環塊を受け取つてゐるのだ。この行動、賓践といふ
場合は、たギの観念的な曳りではなくて、I身饅を持つたこの仝鰹的な人間の行動、
践であることは、言ふまでもない。観念が世界を斯く存在せdめたのでもなければ、
我々を離れて世界が紆的に初めよりそこに存在したのでもない。我々の行動、賓践に
より、斯く凝る世界を我々人間の前に現前せしめてゐるのだ。そこがマルクス唯物論
                 、や
粥訣ラ川断割
 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
鰹的唯物論ほ呼ばれてゐる。これに反しマルクスは、それを壬饅的に掴享フといふ。
割卦瞥
凋むのだ。ここにマルクス唯物論州→熟覧噂思そこです
ルクスは十人世紀唯物論に反封して、環境が人間を創るとする見方を顛倒させ、人間
斤 ■




 ニ▼▼
汝「


    一
第入睾 マルクスの中心思想 (二)

第入睾 マルクスの中心思想 (二〕
一一ニ
こそは環境を欒化させて行くものだと見た。環境といふも、我々の行動、賓践妨創つ.
た淑りの環境である以上、この見方は常然のものでゐらう。
 然らばマルクスの人間的、壬饅的な見方と、フォイエルバッハの人間的な見方Jの
                                 廿
間には、どういふ相違が見られるのでゐるか。今述べて来ただけのことならば、アオ
イエル、バッハの立場からもいへさうである。が、マルクスはまた直ちにフォイエル
バッハからも離れて行く。彼は考察しイ行つた_フォイエルバナハは人間を土童にし
            甘
たが、彼の「人間」とは、打とりびとりの人間を意味してゐるではないか。人間が紳
を創るといつても、個人としての人間が、紳を創るに過ぎない。だが、この世界人生
の何虞に、さうしたひとりぴとりの、個人的な人間が存在するか。存在する人間は、
必ず直ちに他の人問と行劇的、賓蹟的に相互陶係を結び、社会を組成せしめてゐる
勾の人間ではないか。個人主義的人間ば、ただ頭で考へた抽象的な人間でゐ→、虜賓
に、具膿的に在る人間はそれではなくて鹿骨的人間」だ。だから人間が環境をつ一
くるといふ場合には、この鹿骨的人間が環境をつくるといふ意味でなければならな
い¢。計れだけでなイフォイエル、バッハに於いては、個々的な人間はまた環境の産物で
。L埠。

d洲
,仙


ぎ、
針.イd瀦〜
       、
−\   ▲ −rI ト
も.1dJネ 、「軒、‥≠=d〔り=〜」★
ー礫
ぁるといふのだから、結果は十人世紀の唯物論がなしたと同一でゐり、人間は軍に受
身に立ち、自分には何一つ能動的つ力のないものになるではないか。aれならば折角
人間を土童にしながらも、フォイエルバッハの唯物論もまた客憶的の唯物論であるに
翠なくなる。        一.
 フォイエルバッハは宗教的の性質のものを人間的な性質の中へ解消せしめたが、そ
の卜ふが如き人間的な性質が、学猶に土婁として初めより々こに存するものではな
い.一入閏は社会的人間でゐるから、その人間的な性質は、いろ心ろの社会的関係の線
和としてそこに在ろに過ぎな廿ものだ。ここに宗教的な感情といふも、
つ/み鹿骨
的な生産物に過ぎず、アオイエルバザハの取つたやうな個々的な、帥ち抽象的な人間
は、或る一定の社会形態の中に属するものでゐる。1ここに我々は、マルクスが十
人世紀のフランス唯物論に於ける環境論を
旦は否定したに拘らず、直ちにそれを別
の意味で廼生せしめ、逆に人間的見方の哲学に制限を加へるところのものにしてゐる
ことを、見て取ることが出爽よう。
 人間はその相互関係を以て社会を組成せしめるといづても、この取り結ぶ開係はま
奔入牽
マルクスの中心思想 ハ二)
一三

郊入睾 マルクスの中心思想 ハ二)
一一四
               確
た受動的な、固定的なものではない。Jそれは全く葦践的なものである。社会生活その
ものは、本来賛践的である。従来の哲学者は、世界はしかじかのものだといろいろの
解繹を下した。併し世界を掴むことそのことが、行動的、賽践的七なされてゐる以
上、世界の学なる解繹といふものが存在し得ようか。解繹をすることは、ま緑直ちに
害践を以て働らきかけることでなければならない。働ちきかけた時に、世界は襲更せ
られる。即ち世界を襲更するやうに賓践に働らきかけた時に、我々は正し鷹



     「薫践」 と 「生産」

 マルクスは右の如く、行動、賓践を去張の土童に置いてゐるが、彼の思想の全健的
特色が、何故賓践的にならなければならなかつたかの意味は、はぼ分明になつたであ
らう。トキルクスは更にこの 「行動」「軍践」を、従来は経済学的の一息酪〕餞
概念の「生産」ともしばしば同一視してゐる。蘭」耶
L ノ 〜
† り



 ー、
.仇ンヽ 。√簸
d1 い、l準
            d卜′Pr
   ≠  \
ーd 赦M
産」でゐるかどうかは疑問でゐるザともかト山盛喝引ヨ劇訂して哲学を立てたマル
久スが、社会論軒なす時範 」を にしたことの意 は、我々にもはつきり分
ヨルクスの「資本論」は、その生産を土婁にした綿密な考察だが、′生産といへ
ば、また個人的の生産ではなく、常然社会的の生産でなければならないから、考察は
その社会的生産より出費することとなる。個人的の生産といへば、私がノオトを綴る
とか、箸をけづるとか、もその中に含まれるであらうが、社会的の生産といへば社会
的に交換の出来るもの、帥ち商品の生産でなければならないりそこでマルクスの「資
本論」では、社会的生産トしての「宮野の性質の分析から進むことになつたポa
の性質を分析する時には、一度は人間論的に見、もう一度は社会的に見なければなる
ま.い。斯様に考へて行イと、マルクス「資本論」の根本の構造が分かつて来る。

     融 合 的 人 間

 以上のやうにしてマルクスは、世界の認識に於いて、一度は世界を壬饅的に人間の
行動、賓蹟.eよつてかく掴まれたものとするが、また直ちにがの次には、逆に人間を
.‡】;.≡...≡.=−1…。一。l。……。。】。lず。。=。。。−。。=。…。!=。‡】=一l。。lI†。。▲。一…。……。。=。‡−
  第入睾 マルクスの中心点想ハニ)                   】一五



為▲,。
汽紆藍弘町iか打払肘掛監隠匿
 も
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第入費 マルクスの中心思想 ハ二)
一〓ハ
個人的のものとは見ずに社会的の規定の中に遣入つたものとして見る。人間そのもの
は、壬膣的であつて、社会的である。これを平易にいへば、壬鰹的は人間から矢が外
へ向いたもの、社会的は外から人間へ矢が向いたもので、この外向きと内向きの矢の交
錯するところが、具鰹的の人間なのだ。私は今「一度は」「直ちにその次には」ト、時
間を別のもののやうにいつて説明して来たが、これは便宜上のことで、具饅的には、
人間に印して、この相互関係が行はれてゐるのである。もう一つ進めていへば、ニの
矛盾をその儀に含んだものとして、人間がゐるのだ。傍し具饅的に存在するものは、
すべてその矛盾を含¢ものとして存在するのである。机が存在する−1それは王饅的
の賓践としてかく在らしめられたものでゐると同時に、社会的の存在として逆に人間
へ立ち向ひ、人間を規定して衆るところのものだ。
 それ故にマルクスの哲学に於いては、我々が生活的に行動的に掴むが儀の値瀞が、
眞責の世界でゐり、それ以外に何等か障れた世界が存する澤ではないD 斯様にいへば
哀してはまたすつかり責朴の見方にかへつ七やうに見えるであら卜。だが、観念論
と唯物論との封立論寧を考察しつくした後、一めぐりしてまたこの元の立場へ蹄つた

brr●−ト■いトいトトh卜。。F「トトドト【rkh卜。。1「Lトレーートト。−。トr一甘トr●卜h。tr上。“■l†l●γlrl一Lr一P:1.■■【rrl,t■■r▲l
のだといふことが出衆る。
け卜指摘掟筋転鞋
スは、その世界のことを
「物質り崩れ。今のロシアの学界では、今
”侶け。
さ一一−11
ず、
そ¢仙澗.ん.パH男.当1}わ封酢に仙澗パ川川.H川畑「関当川J椚「カ「加dl
行動を以て欒草せしめられて行く世界である。マルク
私が説明したかうした方向へ、唯物論哲学を一層精緻に登展させようとしてゐる。私
の説明もまた尊らその学者達の説明に準嫁したものであることは、眈に述べた通りだ。
 最も困難な、マルクス唯物論の説明がこれで終つた。が、マルクスの唯物論は、.学
に唯物論と呼ばれるものではなくで、非家法的唯物論でゐるdそれ故に非澄法のこと
                         ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ

を述べて了はないと、マルクスの思想の土蜃はまだ明らかにせられたとはいへない。
引繕いて次に、沸藷法のことを説明して行かうつ尤も唯物論の内容を述べる時に、沸
澄法の問題には眈に解れてゐる。矛盾を含んだしのを、具健的なものとして掴んでゐ
る、といつた秒がそれである。講のきつかけは、そこである。′
     ヘエゲルの所諾法

舛澄法的な見方をはつきりと創設したのは、
いふまでもなく哲学者のグオルグ。ウ
藤入睾
マルクスの中心思想
(二〕
  】−叶七
                、
II,■−一一■■l■一...一
.′魂ハ
          此r
γ=.臣FyF巨ウ〔』n附い

蒋入睾 マルクスの中心思想 ハ二)
一一入
ィルヘルム。ヘエゲル (−ヨ○T−悪−)である。舛藷法といふ言葉の起りはギリシアにゐ
つて、ギワシアでは、辣藷法は、談話と應答との技術のことを意味してゐた。ギサシ
ヤでは持論が盛んであり、随つて稗論術が研究せられてゐた。政治家は先づ何より雄
稗であり、辣論を以て敵を論破し、大衆を魅了するだけの拝命の技術を持つでゐなけ
ればならない。ここに塀論をするための特別の研究が起り、論理学だとか修辞学だと
かいふものも、この必要に應じて、高い程度に登達したのである。々こで碑澄法は、
反封者町主張と論澄とを否定しむの反対者を撃破して行ノk技術、矛盾と封立とaはつ
                                                                                                                                                                                               ′
                                                                                                                 ふ
aポリγト塀別じで行ぐ技術者意味嘗吟でゐる。(稗論に於ける技術だからといふので、
拝澄法といふ文字を使ふ人もあるが、それは産嘗でなく、辣詮法といふ原語の賓質的
の意味は右に述べた通りのものでゐるから、拝の字でなく、非の字を使ふが正しいの
だ。ヘエゲルになると、「非家法的」 はまた 「思沸的」とも呼ばれてゐる一。沸の号を使
はなければならない意味は、一層強められた。)
 ヘエゲルは、この沸澄法の考へを論理学の中で用ひた。ヘエゲルによると、点.な
概念でもそれの対立又は矛盾を持頂てゐ毎といふのでゐaこれだけでは意味が分ら
 一
 一
 一
 一
 一
 一
 一
 一
 一
 一
 一
 一
 一
 一
 一
 一
 一
 一
 一
−L

ないことになつて、むづかしくなるから、例を以て説明して行くつ今我々は「有」とい
ふ概念を取つたとしよう。「有」とは「在る」ものである。「有」と考へることは、何で
もない簡学のことのやうに見える。併しよく反省して見ると.「在る」と考へた時は、r
直ぐに 「無」をも考へてゐて、。その無に封立させ、無を他へ押しつけながら、その「有」
を取つでゐるのでゐる。。だかn「有」の概念は、学にその概念だけのも′のとして受取
られず、「無」 との封立を自らの中に含みながら受け取られ.廿ゐるのだ。このことは、
何かを肯定する態度の中につねに現はれる。例へば私が今「これは机でゐる」と主張
し、その机を認識してゐるとすれば、学にその机の存在を肯定してゐるだけでぼなしす
に、「これは机より外のものではない」として、他面に「机でなルもの」最り、それ
を強く否定してゐるのである。肯定と同時に否定をしてゐる。何物か針断頭い上裔題U▼
なければ、何物かを椎茸に肯定することが出来なル。肯定すか時には否定するところ
がをるのだし、否定する時には肯定する卜ころがあるのだ。我々は先ウニのことをは
つきりと内省して置く必要がある。それでな。ければ沸藷法の意味は分らない。
 が、更に進んでさきの「有」の概念を掴んでゐる場合を考へるならば、「有」を掴むと
第入睾 マルクスの中心思想 ハ二)
一九

第人事 マルクスの中心思想 へニ)
一二〇
同時に、「無」との封立を掴むといふだけでも、本営に具健的のことを語つてはゐない。
甲と乙とが封立するには、また何虞かで甲と乙とはしつかりと関係してゐなければな
らない。例へば今太郎と次郎とが成績寧ひをするといへば、太郎と次郎とは同級生だ
から成績寧ひをするので、太郎は高等学校の学生、次郎は中学校の生徒といふのでは、
お互ひに土豪が建つてゐて、成績牢ひをすることも出衆ない。対立する場合には、さ
                    ヽ
らにその封立を成立せしめそれを含み得る「共通の土董が掴まれてゐなければならな
い。「有」を掴む時にそれと同時にこれに封立する「無」が掴まれてゐるといふならば、
なほ一層具鰭的には、「有」
「無」 とを含む、一層基礎的に土蔓になるものを、同時
に掴んでゐるに相違ないのである。学に 「有」
ふ概念を掴む場合を考
ても、
償に具鰹的のもの々考へると、関係はこれほど複雑のものにな
るのでゐる.ノ
エゲルの耕澄法は、書ら論理の上でのもの、思魂の上でのものであるから、.我々
は先つ外界の現象の観察などから離れて、純粋に論理だけの世界に於ける稗澄につづ
はつきりした理解を持つてゐなければならない。それでないと、マルクスに於ける耕
澄法の意味もまた本常には分らないものになる。さて今説明して充たことによ
て明
らかになつたことと思ふが、学に瀾象的に「有」を掴むと♪ふならば、「有」を掴んだ
それだけで絡つて了ふけれど、具鰭的に掴んでゐる場合には、右に述べたやうな手績
き々含ムで二有」とそれに封立する「無」と、更に両者の封立を成立せしめそれの土
壷になつてゐるところのものと、この複雑の構造になつたものを掴んでゐるのでゐる。
そこで「有」と抽象的に掴んだ打のを「正」と呼び、それの反対を掴んだものを「反」、
南者々併せ含むところのも町を掴むことを「合」と呼ぶのでゐるつ へエゲルの哲学は
正反合の哲学であるなどと、いJいやすやすと言はれ七ゐることがゐるが、その意味
                                             ′
は右に述べた通りである。                    .
 ヘエゲルはこの非澄法の考へを使つて、我々の掴み得る限りの概念を、すつかり正
                                                        ヽ
反合で位置づけて行き、途方もない大規模の概念系図をつくり上げた。道徳でゐれ、
図家でゐれ、乃至は肇術であれ、宇宙萬般の概念は、すづれり系図に経め上げられ、
学校が下級から上級へ進むやうな具合に、綺麗に等級づけられてゐる。葦に壮観とい
ひつべしでゐる。ヘエゲルの整理は、平面的の整理ではなくて、下級上級に配置せら
れた整理であつた。ヘエゲルはそのことを、矛盾は前進を起させるとルつてゐる。正
                                                                                                                                                                            ▲  †
第入費 々ルクスの中心思想 (ニレ
一二一

第入孝 マルクスの中心思想 (二.)
一二二
がゐれが反がゐり、その正反が矛盾対立すれば、この正反よりも一段飛躍した高い立
場の合へ前進するウニのことが肝要であり、マルクスの取つたのがそこでゐつた。
エゲルの正反合は、抽象的なものより具髄的なものへ進んで行くのであるから、
宇宙全般の概念を整理して行く場合にも、か卜抽象的な概念よりかい且顔的な概念へ
と進んで、これを段階的に整理して行く○かい且塵的の概念になれば、社会や図家の
ことを取扱ひ、生物的なものなどをも取扱はなければならなくなるが、この場合には、
最初に最も抽象的な論理だけを取扱つてゐた場合と達ひ、論理的ではない現葦的なも
                                  −
の物質的なものを取扱つてゐるやうな観を墨して来る。即ち社会の現象や生物の現象
を観察して\ゐるやうな形のものになるのである。かうなるとへエゲルが、その中にひ
そむ矛盾を指摘し、その矛盾によつて運動の起らなければならないことを考察して行
」ところは、何か前とは建つた理論を語つてゐるもののやうに見えて来るの絹ゐる。
言ひ換へれば、成る程そこにも稗澄法はあるに相違ないが、その辣澄法は、純粋に思
耕的であつた碑澄法ではなくて、もつと現害に印した、物質に印した耕澄法でゐるや…
うな観を睾し、
一見奇異のものになつて見える。併しよく考へれば、
エゲルの哲学 叫
                   一
                一
−一llトll一■r■●■l一∫−
は依然としで思稗的の哲攣 観念論的の哲学であり、この思辣的観念論的の根本態度
を以て、この壮大無比の大建築を、かくも根気よく組み上げたのであつた。

      マルクスの所諾法

 さてマルクスの沸詮法である。後払へエゲル沸藷法を周到に研究した結果、ヘエゲ
ルが社会だとか国家だとか生物だとかに於いて示した耕家法を、非澄法としては寧ろ
根本的のもの、純樺甜理に於いて示したものは寧ろそれeり渡生せられて来たも畝と
見た。マルクスによれば、沸澄法は思殊に印してあるのではなく、物質に印し廿ある
町だ、といふことになる○私は先きに、マルクス唯物論によれば、また最後は素朴的
に我々が生活してゐるままの世界へ蹄つて来て、それが物質と呼ばれてゐる、といつ
て置いたが、坪澄法は観念的思沸的に行はれてゐるのではなく、物質の世界に於いて
行はれてゐるのだ。物質的世界の存在する仕方が、坪家法的に存在してゐるのだ。す
べて存在するとして我々に掴まれてゐるものは、ただ抽象的に掴まれてゐるのではな
く、具饅的に存在す&ものとして我々に掴まれてゐ左限り、矛盾的に掴まれてゐるの
第入睾 マルクスの中心思想 ハ二)
一二三
F。トL汀舶


1






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1











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■.





1
1

















1







.●.1一一
第入章
マルクスの中心思想 へ二)
一二四
だ針矛盾
法は今や
せら.れた
  ヽ 1ヽ
法は唯物
た。
 然らば
何故であ









 ヽ






にでなければ
具鰹的に存在することは出衆ないのだ。斯様にして、
坪澄
エゲルに於ける如く思非的には説明せられないで、唯物論に印しつつ説明
坪藷法は思辣の沸藷法ではなくて、物質の沸藷法なのだ。そこでこの稗諺
掛掛


々の
か。
、と

呼ば


理、
               ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
れ、マルクスの唯物論は非諺法的唯物論と呼ばれることになつ
                            尊
印ち物質からすつかり離脱してゐる論理がまた沸藷法的なのは
これは唯物論者に取つては、最も困難な問題である。が、この点につ
いては
、マルクスよりもエンゲルスが、一層詳しく唯物論的の説明を書いてゐる。彼
によれば
それは沸澄法的に出衆てゐる人間の頭脳で考へる論理でゐるから、やはり
輝澄法的の
つたものになるといふのである
どうか大分
といふ考へ
難問題を唯
ほぼエンゲ/
仕組を持▲
疑問で、−
に接近しノ
物論的に氷
ルスの取(
て行くし、
説くにはさ
つたやうな
」の考へは
傍し説明はこれで出来てゐるか
、つきつめて行けば、人間の思想は脳髄の分泌物だ、
自然科挙的唯物論の特色を渇く帯びてゐる。け.がこの
ぅでもするより外はない
考へ忽推し進めてゐる。
ので、現にロシアの学界でも
今後卓越した哲学者がロシア

    」



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 鵠
▼′心

†、


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                                                                            】▼
に現はれるなeば、その難鮎を唯物論的に立派に切り抜けて行くやうになるかも知れ
ない。
か。
エゲルの沸澄法は、マルクス等の考へた如く、全く観念論的な沸澄法であつた
これにも大分に疑問がある。私もまたその疑問に賛成七てゐる一人である。近来
は、丼澄法はこれでよいのだし、
エゲルのいふやうな碑藷法は、観念論的でもなけれ
ば唯物論的でもなく、それを合一せしめてゐるものだ、とする見方も、大分有力にな
つて来た。併しそれにしても、
エゲルに観念論的の調子の強いことは蔽へない壌責
であつて、反封論の起つたのも道理のあることであるが、今は尊ら考への中心鮎を以
ていふのでゐる。が、それはそれとして、マルクス主義者は、
エゲルの沸澄法は眞
の沸澄法をひつくり返しにしたものであるからといがので、これを「倒立した沸澄法」
と呼んでゐる。

     所諾法′的唯物論

 唯物沸澄法は鹿つそれとして、さてその言葉の上下を逆にして言ひ現はした稗澄法
弊入壷T マルクスの中心思想 (二)
ニ五

第入費 マルクスの中心思想 へ二し
一二六
的唯物論は、′どんな内容のものになるか音れを理解するには、非澄法的でない唯物論
を先きに考へて見るのが早道だ。坪澄法的でない唯物論であるならば、物質はたゼそ
                                       ●■
の如く存在するものであり、物質世界虹固定し辞止してしまふ。物質世界が何等か欒
化したとしても、ただ最初より存在したものが姿を欒へて行くだけのことである。然
るに非家法的唯物論にあつては、最初より固定して膚在する物質といふものがない。
物質世界は、社会的人間の行動、賓践eよつてこれをその如く獲得した世界だ。この
見方を以て、この唯物論が従来観念論より非難せられた点を免れることが出来る○観
念論者は唯物論者に封し、「いし物質なるものが存在するとしても、それを誰れが認識
するのでゐるか。我々の認識する働らきを離れてなほ且つ存在するものなどは、よし
存在するにしても、我々はそれを存在するともしないとも、何ともいふことが出来な
いでは頂いか」といつて、根本的に唯物卦の不成立を王張することも出来たが、沸澄
法的唯物論にあつては、人間の行動賓践により獲得した限りのものを物質卜払すかで
ぁるから、右の難点を免れてゐるのでゐる。トや、もう一つ進めていへば、観念論者が
観念的行動を壬としたところを、この唯物論者は行動賓践を以てそれに置き換へ、
▲_
「■

















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I





1





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l



■..1.
念論の長析をすづかり自家稟籠中へ取り込んだ観がゐる。が、然らば物質世界はその
行動賓践により獲得せられる限りの主観的の世界になるではないかといへば、また次
のやうにしてその難鮎をも免れてゐる。
。第一には、人間の行動賓践といつて絹個人的のそれではなくて、整晶人間のそれ
だ。だから物質世界もまた社会的に獲得するところの世界であり、徒らに主観的に獲
得するところの世界ではないC 第二に、物質世界に於いて、我々の行動責践がこれを
壬鰹的に獲得すると同時に、物質世界はその行動賛践に封立し反抗し、逆にこれを限定
しようとしてゐるのだ。相互作用では、いつでもさうなつてゐる。赦曾の仕組が、
の通りのものであつた。物質世界もまた祁の如くにして出来てゐるものである。ただ
                        h平
平面的に、固定的に存在するといものはない。すべてのものに於いて、相互作用が働
らいてゐる。方向の建つた矢が含まれ、つねにその矛盾が現はれてゐる。何物かが先
                           蝕T
つ存在し、然る後にその中に矛眉が凌生するのではなく、最初より矛盾を合心ものと
して、それは存在するのである‥いや、具鰹的に存在する限り、矛盾はそれの要件で
あるつ 矛盾を含むものなればこそ、具憶的の存在物であ勺得るのだ。

節入牽
マルクスの中心思想 (二)
一二七
掛肌軋畝憫緒川仙m附吋洲払憫闘mM[岨珊柑仙m柑珊雌尉

第入睾 マルクスの中心思想 (土)
一二八
だから物質世界が存在するといつても、固定的にそのやうな世界が存在するのでは
なく、矛盾を含みつつ絶えず尊属する世界として存在するのである。ここで
つ術語を
使はう。
エゲルは正、反が結局合に進展するこ】とをいつたが、斯様に正、反より
              ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ                  ヽ ヽ
高い合へ進むことを彼はアクフヘエペンといつた。従来哲学者はこれを止揚と詳して
              ヽ ヽ
ゐたが、近来はまた揚棄と辞すものもある。ア頭アペアヰげぜにはni低蕃−。へ
礪葺さ耶跡〕傾t吋立場歓含魂づ、づ音」申遠場ペ払持ぢ上げ筆意味が含まれでゐ.る。(ここに
立場といつたのは、観念論的の言葉で厳密には面白くないが、今分かりよいためにこ
の言葉を使つた。)だから合は、正反いはすつか軒遽つャ粥舅ミまた正戻督含むも
量私儀義軍等                                ヽ ヽ ヽ
のでもある。反は正を否定した。が合はまたその反を否定した。だからこれを否定の
 ヽ ヽ
否定ともいつてゐる。否定旬否定であるところの合は、また新らたに正を取つたむの
であるから、/それに封して反が起り、また否定の否定が行はれて合に進むゥゝ斯様にし
て、運動は何産までも績いて行くC合によつては、元の正へ戻つ流のではなく、喋旋
をぐるりと一つ廻つで、一段高い正へ戻つたのだ1い物質世界は、この運動し進展する
世界であつて\、固定し辞止し七世界ではないつ
能含もまた固定した社会ではなく、蓮…

叫 更に一の社会へ進展するのだ。従来の唯物論は、この運動を考へてゐない。

仙 物質世界は運動し進展する。だから今我々が一の物質世界を持つてゐたとしても、

∵それ以外に物質世界はないかといへば、さうはいへない。今儀我々はいくらでも複雑仙
仙 に潮らしい物質世界を持つやうになるであらう。だがその新らしい物質世界は、神様伽
仙 ではなく、我々の行動1惑呵耶釧。割郡、掛掛レて行卜のだ。行動、賓践の役目は、仙
b戟c……附…………袖打gい……〓糾糾…gg州…鎚………仙
仙 だから物質世界とは‥乱心抑割符勅軍餞を以で獲得しでゐる世界だけ窒息味せず、仙
動物ではなく、人間がその環境や鞋曾やをその行動賓践を以て欒化させて行くのだい 仙
一「一1−■l■−■一1■l−一■●一−】1−Il■−−I−−−T−I−Il−−IIIII−−−−1−−−11−−−11Illll一l■−■l■一‘1−−11■−11−■一1−■−I■l■111

叫 勤し進展する社会だ。ただ一本の道を漸進するのではなく、反対するカが内に働らき、
一の正に封しこれを否定するカが現はれ、その矛盾対立がもはや以前の儀の社会の姿
を以ては堪へられないものになつた時に、否定の否定即ち止揚が行はれて、飛躍的に
が行儀をよくしてゐる我々にお土産物をくれるといつた凰にして与へられてゐるもの
ここに於いてか益々垂妥のものになる。我々は世界を解繹するだけでは駄目で、世界
                                                                                                                  一
                                                                                                              ■
l■−■■■■−∫−II−−−−−−I−−−−−−−−−−−I−Il−−−T−1−IIII−1−Ill−−1II−−−−IIII−−I−−I−−−−−1I−−−−I−−−I−−−II−一丁−−−

欝入睾 マルクスの中心思想 ハニ)

刑批批耶陛靴師m野m野打払掛ma掛釘粁甑酢m駄紺打払野馳挽椚払陛m臥酢打払掛川汁町紆掛吼
                   一二九
際眺際際膠際際際私膨臥膠陛膠掛瓜膠隠膠耶耶際際断掛掛卜帆臥臥肘掛眠鮎
陛眺際附匪k鮎陛

Vl、tl
l


−.
1

第入章

な感.
得せ
へば

ては
川挙




















マルクスの申

達績して
や,aにな
心思想
(二)
一三〇
■■■−1.1I一■l1.1−
                                         ■
それの周商にうすぼんやりとでも存在し、将来我々によつて獲州
る叶打払世界桝もこれに傍せ含んでこれ
                】
↑針孟息味するものか、とい 州
                                   −
                                 一
それ恨徒衆の唯物論にかへつた言ひ方をしてゐるので、耕家法的唯物論に於い
行動賓践により獲得する世界以外のいかなる世界も存在してゐるとは断言しな
い。
併しまた現在獲得してゐる世界がこれで全部の世界だともいつてはゐないで、な
ほ新らたにいくらでも世界を獲得するにいたることを、主張するに過ぎない。
これでやつ」、難物の耕家法的唯物論の全貌豊叩り絡つた。これこそはセルクスの
思想の中核であるから、出来るだけ砕いた言葉で、納得の出来るところまで詳しく述
べて衆たが、マルクスの思想の他の部分は、ずつと簡学に述べることにする。中核に
なる思想さへ分れば、他は雑作なく分つて行くし、この沸澄法的唯物論の部分の説明
が従来はまるでなつてゐなかつ。たし、なほマルクスの他の部分の思想はこれ憎でいく
らでも説かれてゐて、相常に世間の常識になつてゐるからである。′
l:■−■lI.T.1−1一.I●−
   一
   一
   一
   一
ヽl■.‘−.■−−。−−I−1−I。−一一1−一■一一■T.−■■−■lll
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。−1−−■−−1−。−。−■−− −。−1− − −−−I−1一−−−I−■
                           【
                            −
                                 一
                                  ■
                                  】
                               一
                                 −
                               一
弟九葦
マルクスの中心思想二二)


史。観

ルクスの思想として有名なのは、】
展いて行卜歴史を、唯物論的に見た、
ヽ ヽ ヽ ヽ
唯物史観でゐる。唯物史観とは、入野献身の温
といふ意味で、我々の社会は昔より今ま式ま
た今より今後へ進展して行くが、その進展の仕方は唯物非藷法的に行はれてゐるとい
ふのだ。だからこれは、人間社会の沓展史の上に坪澄法的唯物論町見方を適用したと
いふに過ぎず、すでにその唯物論を知り、しかもこの唯物論的見方が何の上にでも通
用せられなければならない、とマルクスがいつてゐることを知る我々に取つては、何
でもない理解でゐる。或は全く諷明を省いてもよい位だ。
の内容をいつて見よう。
併し順序で、めるから、大略
第九睾
マルクスの中心思想 ハ三)
一三一


  l
`…
    −
   一
    1
    】
   −
   →
   一
    】
   −
    1
   −
    】
    l
   −
    】
    l
   −
    ▼
   −
    −
   −
    −
    ■
     l
第九睾 マルクスの中心思想
ハ三)
一三ニ
「■l
l


1


1


唯物史観といふ言葉
蹄するところは、同一
が使
⊥であ
はれてゐる
る。。第一は



一】よ
も .1HU▼
大健二通りの意味があると思ふ。勿論
唯物史観の原則風のもので、歴史を根本的に
かやうかやうに見る、といふその根本的の見方をいひ現はしたも秒だ
。従来はこれを
唯物史観の公式などといつたものがあ
第二は、その公式だけではなく、歴史の
進みについてマルクスの観察したその
南の場合は、いはば方法だけのものだ
容である。以前は我が周でもこの前者
いつて来たが、マルクスの思想からい
つた。
金牌の
が、後
が珍ら
へば、
結論を
の場合
しがら



ユよ










れ、それだけを一般に唯物史観と
めていつてゐる場合でゐるく
マルクスの主張した仝膿の内
形式と内容とに垣別するのは辞的な見方
になるから通常でなく、歴史について観察することの全部を唯物史観と呼んだ方が本
嘗のやうである。併し今は便宜上二つに分けて説明をしよう
全礁的言ひ現はし



1

TJI
 先つその
い、短かい
形式的の見方から始めよ
口菜で書かれて居るので
    。
’「ノ

有名
マルクスの唯物史観の考へが、最も要領のよ
になつたのは
その著「経済学批判」(一入五
 。ん ●
■l
  す I
九年) の序文の中にある次の文章である。
  d人間は、その生活の社会的生産に於いて、′一定の、必然的な、ノ彼等の意志より
 猫立した、諸関係を、即ち彼等の物質的生産諸カの一定の車展段階に相應する生
 産諸関係を、認容するものでゐる。この生産諸関係の全鰹は、社会の経済的組立
 ての眞の土童を形成し、をの経済的組立ての上に、法制的、政治的上部建築が築
 かれ、またそれに一定の社会的意識形能箭封磨する。物層的生活の生産様式は、
 憩曾的、政治的、精紳的の生活過洋二般を條件つける。人間の存在を決定する絹
 のは、人間の意識ではなくて、逆に人間の意識を決定するものは、人間の鹿骨的
 存在である。」
 かつて我が掲の学界では、輝澄法的唯物論の全貌が分らないで、といふよりもそれ
を理解する努力を避けて、掌らこの短かい一文の解繹に全力を注いだものだから、
繹に異論百出し、申論乙駿資に賑やかなことであつた。時に収ただ一語の謬語の仕方
に清々敷革言の議論をするといふやうなことで、法律條文の解繹か何かのやうに厄介
なことになつたが、今や紳澄法的唯物論の何たるかを知つた我々に取つては、その論
節九章