興亜の大業  松岡洋右 1941



第一章 大陸日本への道


革新断行と青年の力

 私はすべての希望を青年に懸けて居る。之は決しておだてや、おべんちやらではない。なにも私は青年諸君をおだてたり、青年諸君におべんちやらを言つたりしなければならぬ義務もなければ亦其の意志もない。自分の偽らざる気持を、そして諸君への期待を、率直に表明するだけである。「国家の興隆は青年の手にある」とは昔から言い古された言葉である。皇国は今や空前の国難に直面して居るのであるが、それは同時に亦大和民族の発展史上、未曾有の大飛躍の機会だとも考えられるのである。否。私は今こそ大和民族の大発展の絶好の機会であつて、此の機会を失つたら、皇国は衰亡とは言わない迄も、当分―それは少なくとも二、三百年以上と見ねばならぬが―は大和民族は屏息の外ないのではないかとさえ考えるものである。真に皇国は危急存亡の秋であり、大和民族は興廃の岐路に立つて居るのである。而して此の興廃の決は一に青年諸君の自覚に、勇気に、信念に、実力に、而して活動に懸かつて居ると謂わねばならぬのである。
 此の非常時局に臨む皇国が是非共なさねばならぬことは、少なくとも二つある。其の一つは現に総力戦体制と称われて居るものであつて、之は表現の言葉は違つていたが、私がジュネーブから帰還以来、国民に呼びかけて来たところのものである。私は何も先見の明を誇るのではないが、当時既に今日の危機を予見したが故に、どうしても皇国がそれに備える為には、国内に於ける凡ゆる不合理を生産し、相克摩擦を解消し、国論を統一し、全国民の総力を一丸として、来るべき難局の打開と、国威の発揚とに備えねばならぬと考え、其の為には全ての非皇国的なものをきれいさつぱりと洗い去つて本来の日本人の真面目に還ることである、即ち思想革新であり、精神の革新であり、一切の非皇国的な制度 ― 政治的、経済的、社会的、文化的 ― の革新にまたねばならぬと考えた。斯様な革新は老人や老人に近い壮年者の出来るものではない。革新は専ら青年の任務である。青年とは革新的であるもののことである。暦の上の年齢がどんなに若くても、精神的に革新性を有たぬ者は、青年ではないのである。それで私は青年に呼びかけたのである。之が私の政党解消の運動であつたのである。私は政党解消を振り翳して全国を巡礼して回つたが、それは私が常に言う通り精神運動であつて、全国の青年に革新の自覚を吹き込み、亦全国の革新青年を発見して廻ると謂ふことを以て、最大のそして最終の目的としたのである。之は決して私はいいころ加減のことを言うのではない、松岡は如何なる場合にも嘘と偽善だけは持合せがない。此のことは全国の政党解消運動に関係した程の青年達は認めて呉れていると信ずる。又現に真に私の意のある処を正しく捉えて呉れた、全国の青年の中の同志達とは今日に到る迄、全く其の信念と、思想と、行動とを一にして居り、亦一にせんことを誓つて居るのである。此の意味に於て、私自身も亦青年である。話が細かくなり過ぎたが、兎に角私は世界危機に直面し、東亜民族復興の使命を以て皇国が敢然として立ち、且最後の勝利を確保することが出来る為には、満洲事変直前に於て日本の上下を支配し、満洲建国に関連して、日本がジュネーブの桧舞台で聯盟脱退と謂ふ大芝居を打つた時に於いてさえも、猶且解消し切れないで居た −否、厳格に言えば今日と雖もはたしてそれが完全に解消出来ているかどうか頗る怪しいのであるが− 様な国内の態たらくでは到底望みがないので、何を措いても国内の統一を期せねばならぬが、其の統一は思想、精神、制度の革新にまたねばならぬと考え、之等の革新を遂行するには青年に依る外ないと謂ふ結論に達したのである。皇国の青年諸君が、先ず此の革新の意気に燃えると謂ふことが何よりも大切である。
 革新は青年の性質だと謂つたが、唯現状を打破すればいいと謂ふのではない。革新には積極的の目標がなければならぬ。革新の理念と謂ふものが必要である。而して諸君の革新の目標、革新の理念、革新の指導原理とは何か?それはさきにも一寸触れたが皇国体の正しき認識であり、真の日本精神の体得である。惟神道の絶対遵奉である。即ち私が政党解消運動の機関紙に「昭和維新」と名づけた所以もそこにあつたのである。我国に於ては偉大な国家的革新の行わるる時には、常に先ず此の皇国体の正しき認識があり、そして日本精神の発揚があつたのである。最も近い例は明治維新である。遡つては建武の中興も、大化の改新も亦皇国体への反省と日本精神の発揮に依て行われたのである。けれども此の指導原理に就ての細説詳解を試みることは後に譲ることとする。此処で諸君の反省と再認識とを求めて置き度いことは、正しき指導原理の上に立つた、青年に依る国内革新が、国難の打開、国威の興隆、国運の発展の先決条件であると謂ふことである。之は大切な二つのことと謂つたものの中の第一の用件である。
 第二は生々溌剌として外に展び拡つて行く力である。百折不撓の国民の気力である。膨張し、横溢し、氾濫する、民族の生命力である。此の力は外に表れては武力ともなり、又経済力ともなる。皇軍は既に聖戦五年に及んで、陸に海に赫々たる戦果を挙げ続けて居る。又我国の産業や経済の持久力は、支那事変の勃発当時に於て、欧米の専門家たちは恐らくは半年は続くまいと謂ふ推定をしていたにも拘らず、五年間も戦い続け乍ら、消耗し尽される様なことはないのである。英米は日本の経済的実力を過小に評価し、既に戦う力がないかの様に故意に宣伝して居るが、此んなことでびくともするものではない。未だ我国には食料の不安等と謂ふ様なものはない。炭や砂糖やあるいは米が切符制になるのは当然である。四年も五年も戦争を続けて置いて、国民の主食物である米の切符制さえも、つい最近迄は行われて居なかつたと謂ふ、此んなベラボウなことは世界の何処にもあり得るものではない。日本だからこそ夫れが出来て来たのである。直接の戦争資材にしても少しも心配することはない。鉄や鋼等が主として米国依存であつたし、我国の石油の生産が問題にならぬ程貧弱であること等が周知の事実である為に、英米は日本を見くびり、国民の中にも或は不安を抱く者があるかも知れぬが、東亜の安定勢力を以て任じ、大東亜共栄圏の指導者であることを自任する抔いうことが、何等の用意なくして、出来るものではない。国民は意を安んじて可なりである。と謂つても私は決して国民は手を束ねて居ていいと謂ふのではない。為政者も亦無為無策でやつて行けると謂ふのではない。国を挙げて非常な覚悟を定め無駄を省き、贅沢や奢侈を去り、消費の欲望を制し、勤倹し、節約し、一切を挙げて生産設備の拡充に充て、国民挙つて国防産業の発展に協力せねばならぬことは謂ふ迄もない。或意味に於ては吾々は元冦以上の国難に直面せるものと見なければならぬが、今日の日本の国力は北條時宗時代の比ではないのである。要するに、武力に於ては固より、経済力に於ても、日本は国民をして不安を感ぜしめねばならぬ程弱つては居ないと謂ふことを言い度いのである。それは何に因るかと謂えば、幸にして大和民族が未だ未だ昇り坂にあるからである。御覧なさい、此の事変前迄の日本の産業の素晴しい躍進と、世界進出を。
 国際聯盟脱退当時の日本の人達の心配の主たるものは何んであつたか、それは経済断交をやられはせぬかと謂ふことであつた。私は後になつてから言うのではない、其の時から言つて居たが、なあに日本が固い決意を以て立てば経済断交などは怖れるに足らぬ、又国際聯盟には其の勇気も力もないことを私は見抜いて、国民に大きな口をきいたのであつた。果たして国際的な経済断交が来なかつた許りではない。世界は不況で青息吐息の最中に、日本の生産はどんどん躍進し、貿易は鰻登りに盛んになり日本の商品は世界市場到る処に氾濫して行き、世界中が脅威を感じてu々関税障壁を高くし出したが、その突破不可能と思われる障壁をも押切つてどんどん発展していつたではないか。
 もちろん日本の生産事業や海外貿易の躍進と謂つても、其の大部分は輕工業に基礎を置くものであつて、所謂重工業部門が必ずしもそれと歩調を合わせて拡大強化されたのではなかつた。国防上から考えても之は弱点をなすものであつて、我国民の十分な自覚反省を要する処である。私はジュネーブ行の途次ロシアに立寄つたのであるが、当時のソヴェート・ロシア国民の消費生活は実に惨憺たるもので、道を歩いて居る女や子供は皆蒼い顔色をして、ひょろひょろして居る有様であつた。それにも拘らずスターリンは実に頑強な鉄の意志を以て、何の仮借するとことなく、第一次、第二次の五箇年計画を強行する、国民も亦世界に類のない彼のスラブ魂を以て辛抱強く耐えて行く、当時ウクライナ地方の大飢饉では何百万の人が餓死したと謂われるが、政府も国民もびくともしない。そして遂々第一次、第二次、第三次と次から次に大きな国家統制の力で計画経済をやり上げてしまつた。其の為に凡ゆる重工業面の画期的な、否革命的な大発展を遂げたのである。其の結果が即ち、御承知の如くノモンハンの戦争に現れて来たのである。彼の大量な新鋭の武器、彼の完全な近代的な輸送の整備は、皆そこから来たのである。誠忠勇敢な皇軍の将兵なればこそ、それを迎えて敵の心胆を寒からしめるような豪勇無比な戦争が出来たのである。欧米自由主義国の人々は皆ソ連国民の消費生活の悲惨を憐み、或は密かに嗤笑さえもして居た、否、我々日本国民も之等の民主主義国家の尻馬に乗つて、我々の日常生活の豊かさを誇り奢侈に耽つて、大に優越を感じてさえも居たのであるが、スラブ魂は兎に角万難を排してそれをやり上げた。我々日本国民は大にそれを学ばねばならぬ。とくに青年諸君は物の不足や、生活の不自由等に対して、不平不満を訴えるが如きことが仮りにもあつてはならぬ。お隣りのソ連の女や子供にさえも笑われる。
 それは兎に角、国防の必要から考えても、産業全体の強化から考えても重工業拡充は何よりも必要であるが、我国の海外貿易は従来輕工業を基礎として居たので、重工業は比較的に立遅れた。英米両国はそこに日本の弱点を見出して居る。特に日本は支那事変に因て、既に莫大な消耗をして居るのだから―前に述べた様に英米の専門家は日本は支那事変半年にして経済的に行詰りを来すものと見て居た―武力を用いないでも、経済封鎖に因て日本を参らせることが出来ると誤算した。現に米国はさきには通商条約廃棄で日本を虐めようとかかり、現に今では挙国援英と相俟つて凡ゆる商品の対日禁輸を断行して居る。之こそ支那事変発生以来彼が幾度か柄を叩き、鯉口を切つて我に擬せんとした伝家の宝刀であつた。鞘が遂に払われた、日本はびくともしないのである。脅かされて引込む様な日本人ではない。それほど日本精神は腐つて居ない。さればとて単なる負け嫌いで瘠腕を捲つて居るのではない。既に述べた様に米国の禁輸に依て窒息せねばならぬ程我々は不用意ではない。スクラップアイアンでも、飛行機用ガソリンでも、何でも勝手に禁輸なさるがいい。私は国防上の機密になるから、我に用意あり安んじて可なりと謂ふこと以上には申されないが、強がり、空威張りは申さぬ。国民は安心して居ていいと謂ふことを重ねて断言する。
 私は今こそ日本の重工業の躍進の絶好機会であることを信ずる。遺憾乍ら過去に於ける日本の重工業は米国依存であつたと謂ふことは之を認めねばならぬ。何事に依らず、どうにか人ョみでやつて行ける間は仲々独立は出来ないものである。赤ン坊は親が押切つて乳離れさせぬと、歯が生えて飯が食えるようになつても、お乳を離れようとしないものである。其の様に日本の重工業―例えば製鉄や製鋼業でも立派に独立が出来る様になつて居るに拘らず、アメリカの屑鉄が手に入る間はそれに依存して離れられなかつたのである。母親の乳なら未だしも、他所の屑鉄で大切な軍艦や大砲の原である鋼を製造するとは何事か。人或は経済の原則を知らぬと笑うかも知れぬ、けれ共日本精神は到る処に発揮されねばならぬ、唯精神々々とだけ言つて居たらそれは空念仏だ、寢言だ。日本精神は日本人の全ての行動の上に具体的に発揮されて始めて生きて来るのである。外交、軍事、政治、経済、産業の上に大規模に日本精神を発動せねばならぬ。儲けがよい、安上がりである、手間がかからぬで全てを考えることは皇道主義経済のやり方ではない。
 私は満洲事変を以て日本精神の爆発だと謂つた。日本人は明治維新以来余りに長く欧米追従になり、外国崇拝になり、属国根性になり、自主独立の気迫を喪失して居た。けれ共日本精神は決して死滅して居たのではない、それが爆発して満洲事変となつたのである。私は満洲事変以来、国民に向かつて敗北宗の廃棄、追隨外交の清算、欧米依存の属国根性の徹底的解消を叫び続けて来た。幸にも満洲事変に於て一度爆発した日本精神は一団の炎となつて燃え上がつて来た。けれどもハイカラの反動勢力は未だ未だ絶滅はしない。外交も遺憾乍らジュネーブの聯盟脱退に依て一大転換を与えられた方向に向つて、一気に押し進められはしなかつた。否、徒に逡巡し、彷徨し、低徊した。国内の革新も亦5.15、2.26等大きな犧牲が払われたにも拘らず、未だ徹底して居るとは言い難い。だが一度燃え上がつた精神の火は消えはしないのだ。個人主義、自由主義の思想は未だ何処かで燻つては居る。共産主義の不逞思想も亦少しは地下に潜んで残つては居る。けれ共、最早や夫等は反動思想でしかない。曾つて夫等は純粋無垢な大和魂を、崇高偉大な日本精神を、黴の生えた反動思想と嘲笑して、神聖な日本の国土にのさばり散らして居た思想であつたが、今や完全に所を換えてしまつた。私は全国を行脚して、此の思想の新旧の転倒を説いて廻つた昭和八年の頃を追懐して多少の感なきを得ないものである。


外国依存から自主独立へ

 兎まれ、満洲事変以来日本人の腰は決つた。文化に、思想に、政治に、外交に、決して十分であるとも、完全であるとも言い得ないが、兎に角満洲事変前に比すれば、一応方向転換をしたことだけは事実である。属国根性、外国依存、欧米崇拝を排撃し、真の日本精神に目覚め、独立独行、自己の信ずる処を敢然として断行すると謂ふ国民的態度が出て来たことは確かである。そして其の中にあつて我が国の重工業の特に重要な部分が、依然としてアメリカ依存の儘に放置されて居たのである。之は何としても遺憾なことと謂わねばならぬ。私は心からそれを憂いた。けれ共唯憂いてのみは居なかつた。自分の力で出来るだけのことはして来たつもりである。即ち満鉄副総裁の時代には故山本総裁の指導の下に、撫順にオイル・セールの工場を設け、鞍山製鉄所の拡充並銑鋼一貫の計画を樹てた。又独逸から石炭液化のパテントを買取つて満洲に於て之を工業化することも考えた。昭和十年満鉄総裁を拝命するに及んで、此のオイル・セールの増産計画を進め、石炭液化の研究を激励鞭撻して、撫順に試験工場を建設する迄漕ぎつけた。更に満鉄独自のプランに依る純鉄の生産を企て、満鉄の営業とは何等直接の関係はないが、国策の立場から合成ゴムの研究に手をつけ、漸く其の試験に成功するに到る等々、些か微力を致して来たのである。之は決して自己宣伝の意味で書いて居るのではない。満鉄の如き国策会社が率先して、国防産業の自主独立化の為に貢献するは蓋し当然だからである。唯惜しいと思うのは日本全体の重工業が今少し早く目覚めて其の編成替を断行して居なかつたことである。
 けれども物事は全て機運が熟さなければ決して成るものではない。私は楽天主義者であり、皇国の天祐を信ずる者であり、神風を疑わない者であるから何時も独自の悟りを開いて居るのであるが、日本の重工業の場合でも少しも悲観をしない。丁度絶好の立直しの機会が今現に到来したものだと信じて居る。私がそう考える理由を説いて見よう。日支事変の勃発した時から、之は困つた、日本の準備は未だ十分に出来上がつて居ないと謂ふことを心配した者は、恐らく日本国中に隨分あつたのである。けれども蘆構橋事件は支那軍の不法な攻撃に因て起り、支那事変は国民の欲すると欲せざるとに拘らず拡大して行き、遂々長期戦に発展して了つた。今でも、も少し満洲の開発が進んでからやればよかつたと死児の齢を数える諦めの悪い人が何処かに居りはせぬか。戦争は相手のある仕事であるから、そう我方の都合の好いように許りは行かない。けれ共果して準備が整うと謂ふのは何の程度のことを言うのか、又支那事変が五年前に始まつて居なかつたら、果してどれだけ世界相手の戦争準備が出来て居たか?(日本には世界は愚か、支那を相手としても戦争をしかける意志はなかつた、仮りに其の意志があつたとしての話である)私は後に説くように満洲国の開発に世界無比の日本人の開発精神を見出し、其のスピードの早いのに嬉しい驚きを有つた者であるが、其の日本人の開拓力を以てしても、戦争の刺戟の伴わない過去五年の間に、果して何れだけの準備が出来て居たかを疑うものである。何故かと謂えば満洲が如何に国防本位であると謂つても、平時の産業開発は平時の基礎条件の上に行われるからである。固より事変が起こらなかつたら、生産設備に必要な資材が豊富に外国から供給されたかも知れない。けれども之も仮定である。何故ならば支那事変の有無に拘らず、欧州の第二次大戦は早晩起こつたに相違ないからである。其の場合は独逸から輸入が出来なくても或一部の人達の希望した様に、開発資材も、製造工場も、生産機械も、そして技術者や資本さえもそつくりアメリカから来たかもしれない。併し此の仮定が実現されたにしても決して無条件ではなかつたに違いない。さすれば満洲事変の爆発に依て、折角日本精神を回復し、外国依存と属国根性とを清算しかけた日本国民は、其の外ならぬ満洲の地に於て、産業的には、仮令如何なる形式を採ろうとも、米国人の支配を容さねばならぬと謂ふことになりいいはしなかつたろうか。
 固より日本人が狂人でない以上、先ず満洲国の開発が相当に進み、準備が或点迄出来上がつた後に、支那事変は起こつて呉れたらよかつたにと考えない者は一人も居ない。私と雖も誰よりも真先にそれを希望したのである。私はジュネーブに使し、現在の人類文化の段階に於ては、国際聯盟の如き組織に依て世界の平和を維持せんとすることは空虚な夢であつて、常識としては世界の強国が夫々責任を取つて、地域別に平和の保持に任ずると謂ふ方式による以外には、当分世界平和の確立は望むべくもないと謂ふ、自分の平素の考えに一層確信を得て帰つたのであるが、昭和八年十一月のある講演で此の考えから次の如く語つたのである。


外交は常識で手品ではない。私は聯盟に使して今回愈以て此の考えを強うした。世界平和を継ぎ止めるには常識で考える外ない。日本は兎も角東亜全局の安定に向つて一路邁進するが宜しい。斯様に考えるとき私は若い時から信じて居るのであるが、満蒙は極東平和の鍵である、我々は飽く迄満蒙の開発に専念努力し、満洲に立派な国を造り出さねばならぬ。向う十年我々は満蒙だけで沢山だ。全部の支那問題は今の我国力に過ぎる。支那本土の事は気の毒であるが暫く放つて置くの外ない。万已むを得ない限り手を出さぬが宜しい。日本の力はそれ程はない。東奔西走して、唯奔命に疲れることは御免蒙り度い。先ず満蒙を安定させねばならぬ。満蒙こそが東亜安定の礎石であり、鍵である。私は昔からそう主張して居るのであるが、此の頃同感の人も出来た。が、全国民を挙げてよく徹底しなければいかぬ。過去の散漫な外交に再び帰つてはならない。


 之はもちろん外交を中心にして言つたことであつたが、我々の希望の有無に拘らず、売られた喧嘩は買わねばならぬから、日本軍は立つた。戦争は支那どころは措いて世界大に拡つた。
 日本も独り、満蒙や支那だけではなしに、大東亜共栄圏全体の責任ある指導者となつた。又独自の立場と判断から独伊と盟んで、確りと世界新秩序建設の同志となつた。従つて英米の日本に対する共同戦線は日を逐(お)うて強化された。けれ共日本は微動だにもしない。而も有難いことには、それが刺戟となり、原動力となつて、大規模な戦争の遂行と新東亜の文化建設と言う、此の二つの動きの取れない要請に依り、日本の重工業は従来の外国依存から脱離して、嫌やでも応でも独力で大発展を遂げて行かねばならなくなつたのである。愉快ではないか。
「松岡の奴愉快だなんてよくも呑気なことを言うて居れるものだ」と考える者があれば、それは臆病風に憑かれて居る者か、英米第五列の催眠術にかかつた者である。何故愉快だと言うか。それには二つの理由がある。日本の重工業が完全な独立が出来ないで居たとすれば、其の大きな原因の一つは、米国が独立させたがらなかつたと謂ふ処にあるのだと私は考える。丁度、赤ン坊は立派に歯が出揃つて固い御飯を欲しがつているのに肉体的に乳離れをさせたがらない母親がある様に、又息子や娘は相当は年齢になつて独立の判断や行動を欲しているのに、それをさせたがらない、即ち我が子に心理的な離乳をさせ得ない父親がある様に、アメリカは屑鉄と謂ふ不味いオツパイを離したがらなかつたのである。それが今度は日本を虐めるつもりで供給の手を切つた。日本は参らない。御覧なさい、大冶の鉱石は従来のレコードを破つてどしどしと輸送されているのではないか。
 第二に重工業は其の生産品の供給範囲が大きくなければ健全な発達は遂げられるものではない。従来日本の重工業の弱点はそこにあつたのだと思う。ソ連の様な国であれば、経済の原則を無視して強行することも出来るであろうが、いな、ロシアと雖も決して徒に無理を強行しているのではなく、彼の豊かな資源と、広大な土地と、そして一億八千万の人口との基礎があるのである。日本は現に戦争の必要から、如何に重工業を拡充してもし切れない状態にあるが、戦争が終息しても広大な、そしていくらでも開発を要する満洲、支那、並大東亜共栄圏を控えて居る。而も其処には鉄、石炭、石油其の外の鉱産資源が無尽蔵に埋蔵されて居るのである。実に我が重工業の前途は洋々たるものだと謂わねばならぬ。而して尚考えなければならぬことは、重工業の場合においては特に其の生算量の増進に比例して、生産物の品質が向上されると謂ふことである。日本の重工業が大規模になればなる程、大切な武器や機械類製作の原料たる鋼の品質もu々向上することになるのである。之に反してアメリカはどうか?今や自国の狂気じみた軍備拡張と、正気の沙汰とも思われぬ援英政策の為に、重工業は弥が上にも殷賑を極めて居るけれども戦争が終息したら何うなるか。日本は固より全アジアはもはやアメリカに依存しない。何となれば、日本に於て戦争目的のために拡充された生産設備は各種の大規模な平和産業に振り向けられるからである。アメリカは曾つて支那事変前に於てそうであつた様に、否それにも幾層倍して、多くの向上の操短又は閉鎖を行わなければならなくなり、又最近のデプレツシヨンの場合以上の失業者を出さねばならぬことになるであろう。斯う謂ふ風に見て来ると、早きに失したと考えられた支那事変の発生も、アメリカをしてしすましたりと思わせた経済封鎖も、実は日本の重工業の健全急速な発達のために加へられた愛の鞭であつたと謂ふことになる。之が天祐でなくして何んであろうか。神風でなくして何んであろうか。


禊場としての大陸


 大陸に志す青年諸君に対して、私の専門でもない重工業問題に就ての長談義を試みたのは、決して調子に乗つて余計な饒舌を弄したわけではない。私は此の重工業の問題を通して、日本の存続と発展とは大陸を離れては考えられないことを言おうとしたのである。私は先に少しく触れ、亦後に詳説するであろう様に、世界人類を其の破滅の運命から救い、現代文化の危機を超克し得るものは、独り大和民族あるのみであることを確信するものである。其の為には日本が内に向つては其の世界救済原理たる日本精神、皇道精神に徹すると共に、外に向つては大に其の国力の充実と増大とを図らねばならないのである。いかに皇道が卓越した世界観であつても、又如何に尊い救世の要道であつても、それを宣布し、それを承服せしむるだけの力を日本国家と日本国民が、現実に有つて居なければ道は行われないからである。力は正義ではない。それは宜しい、けれ共力を伴わざる正義もまた正義ではないのだ。何んとなれば凡そ貫徹せられざる正義は意味をなさないからである。コーランは剣と共にあらねばならぬ。然り而して、日本皇国をして強大をなさしめる道は、唯一つ大陸の開拓あるのみである。大陸進出あるのみである。大陸から切り離された日本、大陸に足場を有たざる日本、東海の小島に跼蹐するのみの日本は、如何に手を張り、足を張つても如何に背伸びをし爪立ちをしても、最早今日以上に膨張のし様はないのである。
 私は其の一つの説明材料として、日本の重工業と大陸との関係を語つたのであるが、次に日本の農業を見てみよう。日本の百姓の如く勤勉で、日本の百姓の如く器用な農民は世界の何処にも居ない。彼等は徳川三百年の鎖国と封建の治下に於て、限られた狭い土地を相手に、倦まず、撓まず農事にいそしんだ先祖達の血を受け継ぎ、それに新しき近代農法の知識をも採入れて、世界に類のないほどの多角的集約農業を営んで居る。そして増産又増産、「収穫逓減」の法則を無視するかの如きレコードを作つた。けれども彼等の力にも、狭い日本の国土の如くに、又自ら限度がある。今日の日本の人口は、彼等の勤勉と器用のみを以てしては、既に養い切れない処迄、早くから来て居るのである。
 彼等の或る者は、北米に往き、南米に行つた。曾つては彼等の行くべき天地は之等遠隔の外国以外には得られなかつたからである。けれ共今や満蒙の曠野は、日本農民の来り拓くのを懐を拡げて待つて居るのである。軈て支那本土が彼等を迎えるであろう。人或は支那本土には日本農民を容れる余地なしと謂ふかも知れない。支那本土に殆ど未耕の土地なく、支那の農村位人口の稠密なところは世界中に滅多にないと謂ふかも知れない、一応はそうであろう。けれども支那本土の農業は余りにも原始的である、又ダムを設け、溝を掘り、堤防を築き、湿地を乾拓する、等々の途を講ずるならば、地域に依ては今日に殆ど倍するの耕地を得ることも決して難しくはない。私は黄河の治水の如きをも心に大きく描いて居るのである。私は又日本人の農民が混住することによつて、却つて大陸の農業生産の向上を達し得る余地が大にあると考える。又私としては其の適正の故に出来るだけ支那人を工業労働者たらしめ、日本の農民を大陸に移動せしむべしとの持論を有するのであるが、茲には詳説を避ける。
 私は日本の農村の現状を見る時、本土に於て破壊、或は亡滅されんとしている農村を、大陸において維持発展せしむるの必要を切に痛感するものである。日本の農村が破壊又は亡滅せしめられんとして居ると謂ふのは、農村の子弟が盛に都市に吸収され、工場に動員されている事実のみを指すのではない。其のことも勿論問題であるが、それ以上の大問題があるからである。それは農村が文化的に都会に蚕食され、農民が心理的に、都市的商業主義に侵害されつゝあることを指すのである。日本は土地が余りに狭く機会文明化が余りに速かであつた為に、都会の文化は最も安価にして粗末な形で農村に侵入した。そして農村の空気を甚しく残毒した。更に悲しむべきことは、都市的商業主義の侵入である、即ち農民の土地に対する観念は、先祖の墳墓の地として之を尊び、我が生命を託するの土地として之を愛し、儲かろうが儲かるまいが、一鍬一鍬を之に加へて汗と脂の報酬として、自らを又妻子眷属を養う糧を得ることを感謝して天を祈り、塵労を楽しみ、生に安んじて来た処にあるのである。然るに都会の商業主義の侵入の結果、農民は次第に土地を営利の対象物として見ることを覚えたのである。彼等にとつて、土地は今や利潤を生む資本として考えらるゝ様になりつゝあるのである。此の事実に思い到る時、私は寒心を禁じ能わぬものである。
 農村は何と謂つても、健全な国民精神の水源地である。皇国の精神は其の剛健と素朴と、質実と、そして非打算的な奉仕や感恩の心と、自らなる忠孝の念と、愛郷心等を、農村の郷土共同体の生活に仰がねばならぬのである。然るに、都市的商業主義の侵すところとなつた農村は、肺病に見舞われた結核処女地の如く、脆く人心を荒廃せしめられるのである。何と謂つても日本は狭い。其の意味に於て甚だ危いのである。曾つて満洲国を訪れた十数名の米国青年達があつた。彼等はテキサス州立農科大学の学生の一団であつたが、一行の或者は日本に来て東京に於て始めて地下鉄と謂ふものに乗り、六甲山に到つて初めてケーブル・カーと謂ふものに乗つた驚きを無邪気に語つて居たと謂ふことである。アメリカの土地の広さを私は此の話を聞いた時程羨ましいと思つたことはない。地下鉄も、ケーブル・カーも日本は恐らくはアメリカに学んだのである。而も其のアメリカには、大学生になつても未だ此の文明の利器を知らぬと謂ふ青年が居るのである。アメリカには未だ未だ若人の自由奔放な魂を養う広大な田園があり、原野があり、森林があり、牧場があるのである。其処に於て彼のアメリカ人の若い、亂暴な、奔放不羈な冒険心や、負けじ魂が未だに陶冶され、涵養されて行くのである。
 私は日本の青年にも亦、此のアメリカの大学生の如く、自由に窒ホたくことの出来る広濶な土地を与え度い。粗野な自然を有たせ度い。けれ共それを与え様にも、日本本土には最早其の場所はないのである。然るに幸なことには、我々は指呼の間に自由に闊歩することの出来る大陸を有つて居る。日本の青年は此の大陸の曠野に於て陶冶され、鍛錬されて、其の卑小偏狭なる島国根性を叩き直さねばならぬ。私の門下生の上村君杯も満洲事変前から、日本の国民性の鍛錬所としての大陸を考え、其の意味に於て、日本の大陸進出が倫理的要請であることを説いて居たものである。


満洲事変以後の日本


 私は満洲事変前から満蒙を以て日本の生命線なりと説いた。そして此の観念は今や日本人の間に行き亘つたと信ずる。勿論私は初めこの言葉を主として国防上、経済上からそう考えて用いたのであるが、其の後満洲事変の爆発を契機として、新しく日本精神が燃え上がつたのを見て、精神的な意味に於ても、満蒙が我が生命線であることを覚つたのである。即ち私は昭和八年の満洲事変記念日の講演に於て、此の感想を発表したのである。私は先ず満洲事変が契機となつて、日本国民は次第に其の敗北宗を超克するに到つたこと、外に向つては独自の立場から敢然満洲国を承認し、国際聯盟を脱退したこと、亦内に於ては其の善し悪しの論は別として、五・一五事件の如きものが起つたが、それは悉く日本精神の昂揚であることを語つた後、次の如く附け加へたのである。


 で、斯う謂ふ様に考えて見ますと、先程私が述べました意味だけじやない、此の九月十八日の事変を偶々契機として、我が国民が此の日、復活の途に上つたのである、日本精神に甦り始めたのである。既に甦りつゝあつたから起つたのであるが、それに拍車をかけて更に其の速度を増したのである。一般国民は此の事変に刺戟されて、そうして、愈々はつきり意識して日本精神に甦る方向に突進したのである。仮に満蒙がどうなろうとも、蓋し之だけでもが、此の事変は我が大和民族史上にえらい光彩を放つものではあるまいか。 次で満洲国承認を断行したのではないか。それから更に聯盟脱退を敢行したではないか。之等はみな日本精神に甦りつゝある立派な証拠である。之等の事象―此のニ年間に起つた之等の事象を以て、諸君は何を物語るものであると思うか。即ち我が国民が日本精神に甦りつゝあると謂ふ事実を物語るものではないか。唯我が生命線を守り且東亜全局保持の国策を遂行するの途に上つたと謂ふだけのことでなく、実に之を契機として、精神的に消極であつたものが積極に変り、退却が進出となり、生気溌剌の心地に移り、漸く自主の気持に転じて自己の使命に目覚め来たつたのである。斯くなりてこそ初めて、明治大帝の御遺策を奉ずるに稍庶幾からんかと謂ふことになるのではないか。私は従来、満蒙は我が生命線なりと、ご承知の様に叫んで来た。が、其の時は主に国防上、経済上そう考えたのである。何ぞ知らん、今日になつて見れば、満蒙は精神的にも亦我が国の生命線であると謂ふことに気が附いた。斯く考えますればu々以て此の日は記念せざらんと欲するもせざるを得ない。


以上の如く、満洲事変を契機として日本精神が発揚され、大和民族が自分自らを取戻したと謂ふ意味に於て、此の事変の精神的意義の重要性があるのであるが、此の満蒙の地、延ては支那大陸全土が常時に日本精神を鍛錬し陶冶し、涵養する為の環境としても亦大切な場所であることを忘れてはならない。
 以上の如く、経済上からも亦精神的意味に於ても―そして国防的重要性に至つては説く迄もないことであるが―日本民族の大陸進出、大陸発展は必然であり、不可避であると共に又当局としても万難を排して之を決行せねばならぬものであると私は信じ、自ら大陸主義者、大日本主義者を以て任じて居る者である。私は必然であり、不可避であると謂つたが、それは我々が敗北宗でなく、退嬰主義でないことを前提としてのことである。敗北宗、消極論、退嬰主義も亦立派に一つの国策として成立つのである。之を小日本主義と名づけ島国日本主義と名づけることが出来るであろう。それは亦一つの立派な主義である。
 祖国日本の風光は実に明媚であり、気候は寔に温和である。米は水晶の如く麗しく、野菜は新鮮潤沢に、河海の魚類は美味である。土地広からずと雖も人口の増殖を抑え、軍備を制限し、原始共産主義生活にでも帰つたならば、豊かに又安楽に子孫を養うには事欠かない。否、トルストイの寓話の如く世界に率先して軍備を撤廃し、絶対無抵抗主義の楽園を築き上げて、此の小さく美しいお伽話の島だけを、温順無害な善い子の褒美として分けて頂いて満足するならば、日本国民は現世乍らの極楽世界を享楽することが出来るであろう。野に咲く花、空を飛ぶ鳥の幸福を以て満足し得る者はその虚しき平安を選ぶがよい。他人のお情けに縋つて安逸を楽しむることの出来る者はそれに満足するが宜しい。小日本主義の道は、トルストイの寓話の様な縁遠い架空談抔を要しない。現に満洲事変前の日本の歩んだ途は、それに稍ゝ近かつたのであるが、日本皇国がバルカン諸邦以下の小国に成り下り、大和民族が大四流民族に堕することを厭わないならば、それは明日からでも直に実現され得るのである。即ちベルサイユ平和会議に於て、勝手に英米本位に描き上げられた世界地図を、絶対的、最終的に、そして唯神意的に決定された万古不易なものとして承認し、九箇国条約を遵奉し、国家の勢力には消長があり、民族の生命には成長と老衰ありと謂ふ生きた事実を否定し、満洲国は解消せしめ、支那全土からは撤兵し、そして支那は英米諸国の共同管理なり分割なりに委せてしまい、三国同盟を離脱し、徳川時代の版図に朝鮮、台湾、南樺太を加へた地域に引込んで了つて、英米の頤使に甘んじ、其の御情けに縋つて生きる道が即ち夫れである。
 若し、それを敢てし得たならば、日本人は明日からでも平和愛好民族、人道主義の民族として、英米の絶賛を博することが出来るに違いない。経済封鎖も立地になくなるであろう。米国の名家の出で又優れた閨秀人類学者であるルス・ベネディクト夫人は、近著「人種」の中で、「日本は西欧世界に対比を見ない様な平和と非侵略の歴史を有つて居る。其の記録的歴史の始まつてからの最初の十一世紀の間に、日本は唯一回対外戦争に携わつたのみである。実に此の唯一の戦争は西暦一五九八年に終り、それ以来一八五三年外部世界に対して交通の門戸を開く迄は、其の独立政策の確保を目的とする幕府の命令に依て、外洋航海向の船舶の建造が禁止されて居たのである。日本人の儀礼の正しいこと、明朗快活なこと、美的鑑識の高いこと等は、其の民族素質の真髄として久しく認められた処である。日本は一八五三年以来五回の対外戦争に携わり、そして世界中における最も侵略的、好戦民族の一に立派になりつつある。云々」と謂つて居る。
 ルス・ベネディクトは冷静な学者として、第三者の眼に映じた客観的事実を有の儘に記述して居るのであつて、少しも感情的なものを交えては居ない。外国の学者の眼から見れば寔に其の通りであろう。私はむきになつて之を否定しようとは思わない。又彼の支那贔屓の女流作家パール・バックは支那事変の最初に当つて「私は自分の知つている曾つての日本、私の夢に描いた美しい日本をこよなく愛するものである」と謂ふことを告白した。米国人に愛される日本とは如何なる日本であるか。ルス・ベネディクト夫人の記述した鎖国時代の日本である。フジヤマとサクラと、ゲイシヤ・ガールと、藁の家、紙の障子と、茶の湯、活花との日本である。鑑賞に適する日本であり、愛玩に値する日本人である。それは外から眺める者の眼にこそ、何時迄も斯くてあらま欲しきロマンスであろうが、我々日本人は自らを矮小優雅、賞美すべき鉢植の花卉たらしめる訳には行かぬ。我々はアングロサクソンの為にあるのではない。曾つての日本は彼らの後塵を拝し糟粕を嘗め、彼らに追隨し精神的には彼等に隷属していたでもあろう。満洲事変後の日本は全く其の面目を改めた日本である。満洲事変後の日本は彼自身を自覚し、彼自身の本質を取戻した日本である。満洲事変後の日本はアングロサクソンの従属者どころか、彼等を以て其の代表とし、支配者とする堕落せる西欧文化の慘毒から、世界人類を救済し得る者は我が皇道文化の他にはないことを確信し、其の手始めとしての東亜新秩序建設の指導者たることを以て自任するものである。
 大和民族は独自の信念と、独自の使命感と、独自の理想と、独自の世界観とを以て進む。大和民族はアングロサクソンの下風に立つて、快楽と幸福との分配に与らんとことを欲するものではない。それは大和民族が自らの理想を捨て、誇りを空しくし、使命を蹂躙することだからである。我々は安逸の故に理想を捨て、快適の為に誇りを空しくし、易きを選んで使命を抛擲することは出来ない。大和民族の血がそれを許さないからである。大和民族は、柳條溝の爆発に、既にルビコンを越えたのである。退却の途は最早やない。前進、唯前進あるのみだ。青年諸君、諸君は人類救済の使命を担う大和民族の第一陣を承る戦士達である。
 青年諸君、諸君は新東亜建設の重責を自ら選び取つた、大和民族の先頭を切つて進む選手たちである。諸君が此の光栄ある使命と、誇るべき義務とを欲しないと謂ふならば又何をか言はんやである。が、若しも諸君が進んでそれを取持とうと謂ふならば―そして私は諸君が一人残らず夫れを欲するであろうことを信ずるが―然らば諸君は全て先駆者の歩んだ道を歩み、開拓者の選んだ道を選ばねばならぬ。
 諸君、安逸と怯懦を愧じよ、諸君を中から駆り立てるものの駆り立てる儘に、山碧く、水清き大八洲を後に、大陸へ大陸へと進まねばならぬ。全日本の青年諸君、大陸こそ真に諸君が、当に進み、切り拓き、打建て、築き上げるのを待つ契約の地であるのだ。諸君の腕は鳴り、脚ははづまぬか。
 麗しき日本、けれ共それは諸君の猛々しい心を繋ぐには余りに柔軟過ぎる。
 美しき日本、けれ共それは諸君のはち切れる生命力を盛るにはあまりに狭隘である。
 日本の空は如何に清澄であろうとも、諸君の奔放自在な空想を天駆らしめるには余りに小さく、日本の野は如何に爽かに日本の水は如何に清冽に、日本の山峰は如何に秀麗であろうとも、諸君の若い溌剌たる肉体に包まれた、大きな野心を駆け廻らせるには応わぬ侏儒の運動場でしかない。大八洲国日本を老人たちの隠居所たらしめよ、幼な子達の遊園たらしめよ、病み傷つけるもののサナトリアムたらしめよ。そして日本を唯祖先達の安らかに眠る墳墓の地たらしめよ。
 全日本の青年諸君、大陸こそ君等の天地である。そして大陸のみが諸君の天地である。