(九) 現代 (欧州大戦勃発以後) 

欧州大戦と思想の動揺
 御大典の挙行に先つ事数箇月、大正四年夏、久しく欧州の点を覆へる戦雲遂に破
れて前古未曽有の大乱を起し、引て其戦渦世界に及び、我国も亦其惨劇の中に投ぜ
ざる能はざるに至れり。 人類に及ぼせる惨禍の状態今更此に説くを要せず、只記
さゞる可らざるは此大惨禍が齎せる思想界の大動揺なり。 大戦初期より漸く動
き始め、末期に近づくと共に益々表面に現はれ、最先に其犠牲となれるものは露国
皇室にして其悲劇なる末路は云ふに忍びざるものあり。 而して其国は全然無秩
序、無節制、殆ど阿鼻叫喚の修羅場と化し、今に及びて、秩序回復し、国民塗炭の苦より
救はるゝの何時の日なるを知らざるの状態にあり。 其国をして導いて爰に到ら
しめたる所謂過激思想なるものは今や漸く世界の各方面に拡充せんとし、我国の
如き直接に戦禍を被れる事は殆ど云ふに足らざるものにして寧ろ国を利したる
事情尠からざるの有様にありと雖も、其思想動揺の禍害を免るゝ事を得ず、近時漸
く動揺を来せる事は到底覆ふ事能はず、其所所謂民本主義なるもの必ずしも不可な
らずとするも、思想の浅劣なるもの或は其真意を誤り解して我数千年来の国粋に
禍するもの無しと云ふ能はざるやも知る可らず。 此に対抗して識者は一層声を
大にして我国粋、國體の真相を宣明し、以て国民の帰向、万一に誤なからしめざる可
らず。 而して此思想上最も緊要の時機に際して、所謂識者とも云ふべきもの如何
なる努力を尽しつゝありやを見るもの本項の目的にして、そは必ずしも従来と異
なれる國體説を見る能はずと雖も、対照たるべき一般思想界が其大変の危期に臨
めるを以て、此に仮に一期を立てたる所以なり。 而して其動揺し始めたる思想は
今日猶帰結点を発見せるにあらず、其何れに嚮ふやを見るは今後を待たざる可
らず、之れ現代と称する所以なり。
  今大戦勃発以後に於て発表せられたる国体関係の論を概説せん。
佐藤範雄 世界の大乱と我帝国
 従来多年國體思想宣伝に努力しつゝありし佐藤範雄は逸早く、「世界の大乱と吾
帝国」を著はし、我國體の尊厳を説いて曰く、

建国の精神 天神の三大神勅
 大日本帝国の國體は地球上一あつて二なき無比の國體なり、上に万世一系の
皇室を戴く国柄なり。 皇室は民の総本家の如く、民は皇室の支家分家の如く、天
皇は民の父、民は天皇の子として立てる国柄なり。 此芽出度き君臣の情誼は何
に因りて得られたるか、そは一に我建国の大精神に基くなり。 其精神は天神の
三大神勅に現はれたり。 天照大神皇孫に勅り給はく、豊葦原千五百秋之瑞穂国
は是吾子孫の主たるべき地なり、爾皇孫就て治むべし宝祚の隆えん事天壌の
むだ窮りなかるべし。
 天照大神御手に宝鏡を持たして天忍穂耳命に授けて宣はく、吾児此宝鏡を視
まさんこと吾れを視るが如く、同じ床に共(ヒト)つ殿に座せて斎の鏡とし給ふべし。
  高皇産神因りて勅り給はく、吾は天津神籬また天津磐境を樹てゝ皇孫の御為
めに斎き奉らん、汝天児屋根命、天太玉命は天津神籬を持ちて豊葦原中つ国に降
り、亦皇孫の御為めに斎ひ奉れ。 と、此三大神勅は皇祖天照大神より天忍穂耳命
に伝へ天忍穂耳命より皇孫瓊々杵命に伝へ次々に神武天皇まで伝へたるもの
なり。

広地千九郎  伊勢神宮と我國體
と、九月には広地千九郎は、嘗て著述せる「伊勢神宮」に神宮中心國體論なるものを附
加して、「伊勢神宮と我國體」と題して之を公にす。 即ち、神宮と我國體との関係を論
じて曰く、

万世一系の國體の生ぜし最大原因
 我天壌無窮、万世一系の國體を生ぜし最大原因は天祖の慈悲寛大、自己反省の
偉大なる御聖徳に在る事と、次には即ち吾人日本国民の国民性にして、此国民性
の発展の如何は招来我国運の消長に関係するものなり。
  斯く我天壌無窮、万世一系の國體は天祖の御聖徳に本づく国民の信念の結果
なるが故に、我日本帝国憲法は素より純然たる欽定的性質を有する御定憲法に
して、其降下改廃皆勅命に依る。 天照大神が天の岩戸籠りの際に現はされたる
御心事状態は正しく慈悲寛大自己反省の宗教的大聖徳の御発現にして、之れ即
ち我日本魂及び武士道の根本観念、教育勅語、戊辰詔書に現はれたる国民、公私道
徳の基礎、祖宗の遺訓、我万世一系の國體の精華、教育の淵源なり。

亘理章三郎国民道徳序論  國體の広狭二義  市村光恵・帝国憲法論
と、十月に亘理章三郎は「国民道徳序論」を著はし其第一編第二章に國體を論じたり。
先づ國體とは国家組織の体制を云ひ、之に広狭二義あり、広義に於ては國體とは一
定の有様を以て存立せる国家組織の全体をいふと述べ、又國體の語は古来様々の
解釈ありと説き、又狭義に於ては国家組織に於ける主権存立の体をさしていふと
なし、我国の君主國體なるを説けり。 十一月に市村光恵は「帝国憲法論」を著はし、國
體とは何ぞやの問題を述べて曰く、

 國體とは国家の形体(Staatform)を云ふ、故に國體の区別と云へば国家の種類と
云ふ事を意味す。
國體の区別は統治権の総攬者の区別
 國體の区別は国家と他の社会現象とを区別すべき特徴即ち国家が特有する
統治権を基礎として之を為さゞる可らず。然らば統治権の如何なる方面を標
準として國體の区別をなすべきかと云ふに、「統治権の総攬者の区別」によるもの
なり。
 我国に於ては従来國體の区別を統治権の主体の区別に求め、政体の区別を統
治権行使の形式に求むること一般の通説たり。 穂積博士、清水博士、上杉博士等
皆此説を採る。 我国の学者中、君主を統治の機関なりとし、統治権の主体は国家
自信なりと云ふ事を説明するに汲々たる結果、遂に國體の区別を抹殺して國體
に区別なし、唯政体の区別あるのみと云ふものあるは曲れるを矯めて直きに失
するものなり、美濃部博士は此種の論者なり、然れども採らず。
國體の三種
 然らば國體を区別する標準となるべき統治権の総攬者の特質如何、此特質は
次の二点に存す、一は夫れが国家の最高機関たる地位を固有することなり。 最
高機関とは国家に原動力を与ふる機関を意味す。 例へば君主国に於ては君主
が官吏を任命し、議会を召集して始めて議会も開会し、官吏も亦就職して其職務
を執るを得るが故に、君主は国家に原動力を与ふる機関なり。 民主国に於ては
人民は原動機関なり。 右の意味に於ける統治権の総攬者が一人なるか、数人な
るか、又は国民全体なるかに従ひて君主国、貴族国、民主国の三國體を区別するも
のにして又其以上に國體の区別を認むる必要なきを信ず。

と、而して、天皇に就て定義を下して曰く、「天皇は統治権を総攬す、天皇は最高の国家
機関なり、天皇は国家の機関なり、天皇は神聖にして犯す可らず」と、
大隈重信 我國體の精髄
 十二月には国民叢書第十巻として大隈重信の「我國體の精髄」公にせられ、祭政一
致が我國體の根本にして其礎石は神武天皇が神の遺詔を奉じて天下を平らげ、鳥
見山に天神地祗を祭り給ふにありと述ぶ。
小野徳吉 国民道徳の原理
 翌五年三月に、小野徳吉は「国民道徳之原理」を公にし、国民道徳は教育勅語に拠ら
ざる可らざるを述べ、國體を説きて曰く、

 世界に比類無き万世一系の皇室を戴き、忠孝不岐の美風を成し、所謂凝て百錬
の鉄となり、発して万朶の桜となるてふ日本魂は世々皇室の仁風慈雨に沐浴し
て覆育せらしものなれども四囲の風景に感化誘掖せられて釀熟一種特
殊の美風を董し、茲に世界無比の國體を創立したるものなり。
忠君愛国併立の國體
 世界広しと雖も忠君愛国の併立して岐つべからざるは我日本より外無く、万
国無比の国風を陶冶し、万世一系の皇室を戴き、之に臣事し之に子事し忠孝不岐
と同時に忠君愛国併立の國體を創立せし所以なり。

千家尊福「国家の祭祀」 深作安文「国民道徳要義」

と、四月には千家尊福「国家の祭祀」を著して、我が國體の本義は大方の儀式典礼を悉
く祭祀を中心として行はせ給ふにありとて、諸種の国家的祭典を説明し、七月に深
作安文は「国民道徳要義」を著はし、国家の形式及び我國體の特色を説くこと詳密な
り。 大要に曰く、

我国は自然的国家
 国家に二形式あり、一は自然的、他は人為的のものなり、前者は家族より氏族、氏
族より部族、部族より国民又は国家と進むを以て其模範的のものとす、我邦は即
ち之なり、我国は一の大なる家族なり、国家組織の体裁を國體といふ。 即ち国柄
なり、国風なり、國體は主として主権の所在に依りて定まるものにして其内容を
限定するものは主として建国の事情と、其国の歴史となり。
 我邦の如く古より國體論の論議せられたる国家は他に無し、之れ国を建てゝ
此方、皇室が国民の尊崇の焦点となりて君臣の分一定せるが故に、苟も指を此國
體に染めんとする者出づれば直ちに之を抑圧せざる可らざるが故なり。
大権の独立
 我国は自然的に構成せられたる皇室本位の国家なり。 随て上御一人の大権
は如字的に大権なり、我国憲法学者の「大権は親裁専断の権力なり」といふもの即
ち之なり。 故に国務大臣が之を輔弼し奉るとも、之等機関の意志を採用すると
せざると自由なり、即ち我国の君主の大権は毫末も制限せられず、又我国には議
会あるも其権力は微塵も大権を左右し得ず、之れ大権の独立なり。
 家に於て父と子とを同一視する能はざる限りは、国に於ても君主と警察官と
を同一視する能はず、之を一成員として同一視するは機械的に量的に考えたる
ものにして其本質は別問題なり。 所謂天皇機関説は必ずしも誤らざるやも知
れず、然れどもそは我国の君主我国の國體を説明し尽すには大に不備なり。
 何となれば國體の内容を限定するものは専ら建国の事情と国家の歴史とな
ればなり、従て我国の主権を解するに西洋諸国のそれの説明原理を以てするは
一概に誤れりと云ふ能はざるも不十分なるを免れず。
 世界中真に君主國體と称し得べきものは我国あるのみ、我国に於て国家統治
権の総攬が畏くも君主の大権に存するはいふまでも無し。 兵馬の統一、陸海軍
の編成、宣戦講和何れも大権に属して議会は之に容喙するを得ざるなり。 又法
律は君主を責問する力を有せず、議会は立法に参賛する権能を有するも、そは決
して主権を分割するにあらず。 故に議会は国法を議するも之を定むる権なし、
且つ議会の参賛の権能は憲法に限定する範囲内に止まるものにして決して無
限絶対のものにあらず。 議会会期の延期、臨時議会の召集、衆議院の解散後新議
員の選挙、皇位の継承、皇室典範の改正等皆臣民の容喙を許さず。
我國體成立の淵源五項
我國體の斯の如くなるを得たるは何によるか、之を大要左の五項に帰すべし。
皇位一系、君先後、君民一家、君国一体、君民一徳。
我國體にはこれ五つの特色ありて、歴史上昭々の跡を示せるものなり。

佐伯重夫「國體講演 護国の叫」  塚本清治「敬神思想の根本及國體との関係」
と、國體論の横議斯の如く盛なるに当り、五年十月に、佐伯重夫が「國體講演 護国の叫」と
題して國體に関する講演をなさんとする者の為めに専門の書を公にするに至れる
は偶然にあらざるなり。 之より先き、夏七月、塚本神社局長は、地方官会議席上に於
て、「敬神思想の根本及び國體との関係」を説く、大要に云ふ、

 我国家が祖先を同うせる子孫より成る血族団体なることは今更云ふまでも
無し。 始め同一祖先より出でたる子孫の中、本家を襲ふもの以外は各幾多の氏
族となり、各氏はまた分れて多数の小氏となり、茲に本家分家の関係を結んで各其
所在に繁衍せり。 而して小氏は大氏に、分家は本家に属し、大氏、本家は又共同の
総本家に統御せらるゝといふ組織を以て創始せられたるものなり。 爾来此の
総本家の直系の御子孫は万世一系相承けて天皇の御位に在らせられ、他の氏族、
家族の子孫は世々天皇に統御せられて皇室に臣事す。
家族本位の国家
 抑も日本国家は家族を単位として成立し、個人を単位とせず、其結果家を重ん
じ、祖先を尊ぶの思想を醸成し、其頗る旺盛を見るに至れり、即ち建国の当初より
祖宗を神として奉祀し、報本反始の礼を尽し、以て血族の繁栄、即ち国家の発展を
期するの信念を有すること頗る鞏固となれり。 是れ即ち神社奉祀の起源にし
て各氏は其祖先を氏神として崇敬の誠を致し、氏神を中心として一族相率ゐて
活動す。 同時に又各氏の総本家として崇敬の誠を致し、氏神を中心として一族相率ゐて
活動す。 同時に又各氏の総本家の御先祖は総ての氏族即ち国民全体の共同の
祖先なるが故に、之を総氏神として奉祀するの習俗馴致す、即ち以て我尊厳無双
の國體を今日に伝へたるものなり。

植木直一郎「國體の基本」
と、同十一月、植木直一郎は國學院雑誌に「國體の基本」と題して、我國體の特殊なる所
以を論じて曰ふ、

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