『國史概説』 1943

緒論

 我が國體 国土 国民 国民性 文化 国史の時代区分

 

 国 土

 我が国土はアジアの東部にあり、東は太平洋を隔てて遙かにアメリカ大陸に相対し、西と北にはアジア大陸を控へ、南は南洋の諸島を望んでゐる。而して太平洋の暖流は南洋に起り、その海域の島々を廻つて我が国士の海岸を洗ひ、更に東流して北アメリカの西岸に至つてゐる。
 我が国土の中枢部は古来大八洲と呼ばれた四面に海を環らせる島々である。そのために我が国はアジア大陸、南洋の諸島及び近時はアメリカとの文性的関係を有する機縁に恵まれ、また陸地を以て境する国々とは異なつて他国との政治的・軍事的衝突を比較的少くした。而して古来独自の文化圏を構成しながら、世界各国の文化を摂取し、また国民の協調和合を齎してよく自主的なる国家発展を遂げ、今日の大東亜建設の基礎に培ひ来つたのは、国民精神の旺盛なるによるが、また叙上の如き国土の地理的環境に負ふところも大であると考へられる。
 我が国土は緯度及び海流の関係によつて、概ね気候温和にして四季の変化があり、山幸・海幸に富み、これらは国民の生活を豊かにし、その活動を旺盛ならしめてゐる。尤も時々天災地変が起るけれども、しかもそれは国民をして自然の威圧を感ぜしめるよりも、むしろその試煉に堪へて奮起努力せしめる原因となつた。
 国土の地理的景観は、山川の美に富み、草木豊かに繁り、風光極めで秀麗である。国土生成に関する伝承によれば、大八洲は何れも伊邪那岐尊・伊邪那美尊の生み給へるものであつて地上の森羅万象及び青人草と共に斉しく同胞の関係にある。これ即ち神及び国士・人民の一体融合であり、かゝる一体融合の精神は史書や歌文の内容に永く生かされてゐる。国士を「瑞穂の国」と讃へた古人の心には農作が豊かに稔るといふ客観的観察と併せて国土と一体となる生業の喜びが含められてゐる。事実、農に従ふ人々が国土や季節に応和する精神は頗る強く、祭祀を中心とする年中行事や、衣食住に至るまで、国士、殊に風土との蜜接な関係が示されてゐる。
 我が国土が祖神の所生であるといふ伝承は、また大八洲が天皇の下に大和(たいわ)を旨とする国柄として生成発展することを現はしてゐる。さうして国土が常に神々の鎮め護らせ給ふ安らけき国であるために、「浦安の国」の頌語となつてゐる。国士は隅々まで皇土に非ざるはないとの思想は国史を通じて存し、大化改新の公地制、明治維新に於ける版籍奉還などの政治改革は、何れもこの精神のもとに行はれたものである

 国士の中枢が大八洲であることは古来変るところがないが、皇威は既に古代より大陸の一部及び四囲の島々に輝き、それらの民も皇化に浴してゐた。このことは明治以後に於いて特に顕著となり、八紘為宇の宏謨は愈々著しく展開せられつゝある。

 

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