国難打開の途

小磯内閣總理大臣

 一億の同胞諸君。
 わが本土に対する防禦線一角の要
点たる硫黄島守備の皇軍将兵は、三
月十七日夜半、全員壮烈なる最後の
総攻撃を敢行し、爾後同島は残念な
がら敵の手に委するの已むなきに至
つた模様であります。この事実は事
実としてそのまま正しく見つめなけ
ればなりませぬ。
 私は率直に硫黄島の喪失が大東亜
戦争の推移上、重大なる転機を劃す
る痛恨極まりなき出来事であること
を認めざるを得ませぬ。これは単に
敵が航空前進基地、または作戦基地
を一歩近く推進したために、わが本
土に対する空襲が一層激化され、ま
た敵の企図すべき本土上陸の可能性
が多くなつたといふばかりでなく、
永い歴史に輝くわが大日本帝国の一
角が、敵の泥靴に蹂躙せらるゝに至
つたことを意味するのでありまし
て、たとひ不毛の一小島であつても、
神州不侵の鉄則に傷をつけられた残
念さを禁じ得ぬ事実であります。

れをしも憤激せずんば何を以て憤激することがありませうか。
 かの元寇の役においてわが壱岐、対馬は雲霞の如く押し寄せ
る蒙古軍のために遂に敵手に帰しました。然し壱岐、対馬の失
陥はやがて敵の軍勢を玄海灘の藻屑と消えしむる前提であつた
のです。同様に硫黄島の失陥もまた大東亜戦争終局の勝利を獲
得すべき前提たらしめねばなりませぬ。

 従つて硫黄島の喪失によつて、吾人必勝の信念には微動も動
揺を来しませぬ。既に元寇の歴史の反復を確信する以上、硫黄
島守備部隊の十七日夜半における壮烈なる突撃は、残念ながら
避くペからざる尊い最後であつたと諦めなければなりませぬ。
硫黄島守備部隊将兵の一人一人の英雄的奮戦ぶりは、啻(ただ)に我が
国といはず、世界の戦史においても永遠に記録敬仰せらるべき
血闘であつて、寡以て克く衆に当り、真に純乎たる日本精神の
極致を発揮したるものであります。海を覆うて来た夥しい敵艦
船よりする艦砲の集中射撃と、四六時中わが頭上を掩ふ数千の
敵機の爆撃に晒され、その火砲の大部を失ひながら、われに数
倍する敵の攻撃を受け、後方より増援の望みなく、頭を抬(もた)げる
ことも出来ぬやうな惨烈なる鉄火の下に、皇土護持のため一寸
の土と雖も、これが争奪に当りつゝ敵に最大限度の損害を強要
したのであります。現に敵もその損害は激戦を以て称せられた
タラワ島その他の比でないことを認めてをります。硫黄島の戦
闘は一見物量の精神力に対する勝利の如く見えますが、私は寧
ろ極限まで発揮せられた精神力が、如何に偉大であるかを実証
した英雄的抗戦であると信じます。敵はこの精神力の前に僅か
二十二、三平方キロに過ぎぬ爾たる一孤島に向つて、連続
七十日に亘る爆撃を行つた後、全米艦隊八百余隻を集中し、三師
団余の兵力と数百輌の戦車とを使用し、海空より数万噸の鉄量
をぶち込むの余儀なきに至つたのです。この敵の兵力量と損害
とを考慮するとき、私はわが皇軍の精神力の測り知るべからざ
る偉大さに感激し、多大の誇りを感ずるのであります。
 かくてわれは極めて高価なる代償を払つたのではあります
が、敵は一歩々々わが本土に近づくに従ひ、わが抗戦力は等比
級数的に増大する事実を体験したのでありまして、敵にしてわ
が本土上陸を企図せんか、敵はその際如何なるものが彼等を待
ち受けてをるかを十分に自覚せねばなりませぬ。この純忠至誠
一死国難に殉じた硫黄島兵士の崇高なる精神は、即ち神風特攻
隊の精神であり、比島守備部隊の精神であり、また前線の将兵
すベてに通ずる精神であると同時に、また銃後一億の精神でも
あります。

 硫黄島の喪失によつて戦場は一層本土に近接し、空襲の被害
もまた激増するに至ることは争ふべからざる現実であり、今後
戦局は内地外地を問わず、刻々酷烈の度を加へて来るでありま
せう。しかしこれは固より覚悟の前であつて、今更焦り周章(あは)て
る必要はないのです。寧ろ一難加はる毎にますます闘志を旺ん
ならしむるわが伝統の精神は、いよいよその光彩を放つに至る
だけであります。既に勁敵米英両国を対手に戦つてゐる以上、
生やさしい気持を以て勝ち得るものとは思つてゐませぬ。これ
位の程度で勝ち得るならば、それは余りに楽に過ぎると考へて
ゐるのであります。将来悲況踵(きびす)を接して至り、艱難その極に達
することありとするも、その程度が大なれば大なるほど勝利の
価値は高まり、民族の栄光はますます輝くのであります。この
際において厳に戒むべきは弱気であります。古来弱気にして戦
ひに勝つたためしはありませぬ。戦争は最初に負けたと感じた
方が敗け、敵に比し幾らかでも強く勝利を信じたものが勝つの
であります。
故に徹頭徹尾、強気一本槍で押し通さなければな
りませぬ。目下国家の要求するものは国民の太く逞しき神経で
あります。鋼鉄の如き堅き心臓であります。この皇国の興廃を
賭け、大和民族の存亡を覚悟する大決戦に当つては、唯勝利か
死か何れかがあるのみで、絶対に妥協の余地はないのです。妥
協と無条件降伏は同意義であります。
 敵は既に伊勢の神域を穢し、更に畏くも宮城の一隅に投弾
し、わが民族信仰の中心にして神聖無二の地域に対し冒涜を敢
へてしました。また相次いで各都市に暴虐なる空爆を繰返し、
神社、学校、病院等を焼き払つたのみか、老人や女子や幼い子
供に至るまで、無辜の国民を殺戮したのであります。何といふ
不逞、何といふ暴虐でありませう。誠に倶に天を戴かざる鬼畜
の行為と申すより外はありませぬ。多くのわが同胞は、暴れ狂
ふ悪魔の暴虐と戦つて、或ひは家、家財を焼かれ、或ひは親兄
弟を失ひ、妻子と別れました。戦災者諸君、この仇はきつと討
たねばなりませぬ。全国民一緒になつて、この敵に対し必ず痛
烈な報復を加へねばなりませぬ。
 この敵に対する報復の道は一つしかないのです。即ちその野
望を粉砕するまで戦つて戦つて戦ひ抜き、その驕慢なる鉾先を
目茶苦茶に叩きのめすことであります。
敵もし支那沿岸に上陸
するならば、支那大陸において叩き、また若し本土に侵寇する
ならば、本土において叩きつけ、苟も日本人一人にても生存す
る限り、海に、空に、水際に、陸上に、部落に、市街に、山に、
川において敵を叩き潰し、飽くまで屈するを知らざる日本男児
の真面目を遺憾なく発揮して、以てその貪婪飽くなき野望を木
端微塵に打ち砕くまで戦ひを止めてなりませぬ。
 一億の同胞諸君。
 今や帝国の総力を挙げて戦争目的完遂の一点に結集して、敵
の物量に体当りを決行すべき秋であります。同胞一人々々が胸
底に内蔵する特攻精神を表面化し、これを一つに纏めあげて、火
の玉の如く敵にぶつかつて行かねばなりませぬ。既に一命を皇
国護持のために捧げてゐるのです。地位や名誉や利益や権勢や
一切の世俗的なものは、寸毫も顧るべき場合ではないのであり
ます。
 同胞諸君の中には、この危急の戦局を目の当りにして、果し
てわれわれはこれで良いのか、どうしたら自分達の力がもつと
直接的に戦争に役立ち得るであらうかといふ、反省と悩みとを
持つてをられる方も多いといふことを聞いてゐます。もつとわ
れわれを働かして貰ひたい、存分の力を発揮させて呉れる道を
はつきり示して貰ひたい、さういふ熾烈な要望を屡々耳に致し
ます。皇國日本人なればこその悩みであり、焦燥であり、全身
全霊を打ち込んで、この苛烈な戦争に突入して行きたいとい
ふ全国民のこの真剣な叫びこそは、われわれ同胞が遠い神代
の昔から承け継いで来た血脈に流れる醇乎たる愛国の至誠その
ものの発露といはなければなりませぬ。私はこのやうな国民の
魂からの叫び声を聞く度に、勇気づけられ、励まされ、どうし
ても勝つ、断じて戦ひ抜くといふ気魄がむくむくと生れて参り
ます。
 また同時に、同胞諸君のこの痛切なる願望に応へて、私は一
日も速かに、全国民挙つて、心から時局の中に没入し、あらん
限りの力を振つて戦ひ抜いて戴くための方途を確立しなければ
ならぬことを痛感する次第であります。
 政府においては兵農一本、国民皆兵の本義に基づき、本土防
衞態勢の確立と、生産増加の一体的飛躍強化を図るため、事態
の現況に即応し得る如く、挺身総出動を強力に指導実施するた
めの措置を近く決定致したい覚悟でありまして、同胞諸君は、
其処に今後の行くべき道を見出して戴きたいものと思ひます。
 今や一切の議論は既に不必要であり、唯実行のみが残されて
ゐるのです。
 私は有らゆる障碍を突破し、最も迅速に、最も強力に諸施策
の実行を推進せんことに努めてをります。
 今や官も軍も民も何等差別すべき時ではありませぬ。等しく
日本人として将又 陛下の臣民として、一億の同胞は須らく天
を仰ぎ地に俯し、自ら愧ぢざる良心を対手として反省を重ね、
一切を擲つて団結し、結束して、唯々皇国護持の一念に燃え、
以て戦力増強に邁進し、敵来らば軍隊と共に戦ひ、断じて敵
を撃滅せねばなりませぬ。
一億同胞諸君の力強き支援と協力と
を懇請して已まない次第であります。
                            (昭和二十年三月二十一日)