混沌たる思想界     河合栄治郎




 独逸社会民主党に属して曾ては急進的なマルクス主義者
として有名であつたコンラード・ヘーニッシュの「戦時及
戦後の独逸社会民主々義」といふ著書の中に、注目すべき
一節が見出される。彼はそこで次の如くに云ふ ― 自分は
過去廿五年間マルキシズムを信奉し聊かも之に対して疑惑
を抱いたことがなかつた。マルキシズムと云ふ一つの魂が
完全に私を占有し統一し切つてゐると信じてゐた。然るに
あの時 ― その日とその時とは今も忘れることは出来ない、
あの一九一四年の八月 ― 私の中に別の魂が存在してゐた
ことが始めて発見された、二つの魂は私自らが意識しない
のに実は私の中に戦ひ続けてゐたのであつた、その今一つ
の魂は勃然として頭を抬げて、忽ちの内に私の全部を占領
して了つた、そして私は何等の不安なく疚しさなく朗かに、
声高く叫んだ、独逸よ独逸よすべての上にと。
 之は彼れの文章の直訳ではない、私は多少の補足を加へ
てかう書き直してみた。人は之を読んで無意識の裡に潜在
してゐる国家主義の力の、今更に大きなことをこゝに見出
して、会心の笑を漏らすかも知れない。だが此の一節を読
んだ私の感想はそれではない、一の極端から他の極端へと
移り往く独逸思想界の悲劇を、まのあたり見るが如き心地
がするのである。前時代の思想に対する反動として起つた
マルキシズムのやうな偏奇の思想は、それが反動であるそ
のことの故に人間の心の全体を包括しえない、その間隙は
平生は意識されずに過ごされるが、何かの事件の起つた時、
その間隙から突如として叛逆が起つて来て、今まで否定さ
れて来た自己の一部を力説する反対思想へと、全部の自己
が浚(さら)はれて往く。一の誤りが他の誤りを誘発する事例は、
吾々が思想史上に屡々出会するのであるが、その一適例を
示したのが一九一四年八月の独逸である。だがかうした悲
劇は必ずしも独逸ばかりでない、今現に吾々の眼前に之と
類似の悲劇が展開されてゐるではないか。


      二

 最近私は日本労働組合会議が政府当局に建議した産業及
び労働の統制に関する成案を披露した会合に招かれた。そ
の席上で各方面の多くの人々の意見を聴いてゐた時に、身
の昭和八年に在ることを忘れて、大正十年前後に在るが如
き心地がしたのである。日本の特殊性を力説するものあり、
日本の家族制度を語るものあり、日本の資本家の温情主義
を語るものがある。今より十数年前の日本に於て語られた
ことが、そのまゝに何等の変更もなしに繰返されてゐるで
はないか。此の十数年は日本の思想界はマルキシズム華か
なりし時であつた、その長い間のマルキシズムは好かれ悪
かれ何等かの痕跡をば日本の各方面に印刻すべき筈であつ
たに拘はらず、恰もマルキシズムの何ものもなかりしが如
くに、そこには大正十年前後そのまゝが現出されてゐる。
マルキシズムの影響はまことに果敢ないものであつた。曾
て二三年前資本主義第三期と云ふ説があつて二三年の後に
プロレタリア革命が勃発して資本主義が崩壊するが如くに
云はれたことがあつた。熱に浮かされた患者のやうに革命
来を説き廻つた人達は、その二三年が経過した今日、何処
に何を説いてゐるかは知らないが、一九三四年の初頭にプ
ロレタリア革命来が声を潜めたことだけは疑へない。まこ
とに思想界の有為転変は目まぐるしい、往時を知るものに
して隔世の感に打たれないものはあるまい。
 マルクス主義者は近時好んで「自由主義の没落」を云ふ
が、没落するほど華かなりし自由主義は日本にはなかつた
のである。「自由主義の没落」をいふよりも、より鮮明な
事実は「マルキシズムの没落」であらう。共産党が潰滅に
瀕してゐることは、引き続く○○○○○〔官憲の弾圧〕に
よることで、必ずしも共産主義の無力に帰することは出来
ないが、共産主義者の間に転向派なるものが現はれて、内
部の陣営が分裂して来たことは、何としても共産主義の弱
性を表白したものとして、外部に於ける信用を失墜したこ
とは打消すべからざる事実である。共産主義者以外のマル
クス主義者を眺めても、曾ては日本の評論雑誌を独占して
ゐた黄金時代と比較して余りにも萎徽沈滞してゐる。その
思想圏内に在つた労働組合は相次で、その陣営から脱離し、
曾てマルキシズムとさへ云へば随喜渇仰した読者及び聴衆
の大衆の支持からは見離された。曾て社会改革の闘士を以
て自任してゐた人々は、相次で或は自由主義に或はファッ
シズムの陣営に投じつゝある。現下の思想界に無惨な情景
は、マルキシズム凋落の姿である。
 一つの思想が永く民衆を指導するには、一はその恩恵が
体系として矛盾なき渾然たる調和性を持つことと、一はそ
の時代その民衆の要望に適応することとの二つの要件を必
要とする。マルキシズムは此の点に於て体系として内的矛
盾を持つのみならず、日本の現代の改革的要件を満たしえ
ない弱点を持つてゐた。かうした理論的欠陥に加へて、元
来マルクス主義者を以て自任してゐた人々は、必ずしもマ
ルキシズムと云ふ特定の思想に牽引されたのではなくて、
一般的に改革への自己の要望をマルキシズムへ投影して、
マルキシズムに陶酔してゐたものが少くない、之等の本来
は他の思想陣営に属すべき人々が、雑然としてマルクス陣
営に集合してゐた、早晩その整理が行はるべき必要に迫ら
れてゐた。而もマルキシズムの思想家と実践者とは、漠然
として頼み甲斐なき大衆の喝采に魅せられて、日本の思想
界と実際界との中に自己の有する少数者の地位 ― 改革者
は常に少数者でなければならない ― を認識しなかつた。
彼等は少数者が進路を開拓するに必要な、哲人的の洞察と
政治家的の巧さとを欠いてゐた、少壮未熟の境地を脱却し
てはゐなかつたのである。
 筆者は過去永くマルキシズムに反対し、之が為に反動の
汚名を与へられた一人であるが、同時に日本に於けるマル
キシズムの思想上の功績と、実際上に於ける貢献とに就て
は、決して適当の評価を怠らなかつた積りである。マルキ
シズムの運命に転機が来た今日、マルキシズムは日本に於
て何を為しえたか、何がマルキシズムの与へたものとして
保存さるべきか、又マルキシズムはどこに弱性を持つたか、
何故に国民の信頼を維持することが出来なかつたか、之等
の諸点を冷静に検討することは、曾ての敵と味方とを問は
ず、日本の社会の進歩を希望するものの重要な任務である。
筆者は之が為に別に一文を草して、卑見を開陳してみやう
と思ふ。だが何としてもマルキシズムが孤影飄然として凋
落の途上を辿りつゝあることは、打ち消すべからざる現下
の事実である。


      三

 朝にマルキシズムを見捨てた日本の思想界は、夕に何を
迎へたであらうか。多くの人は言下に「ファッシズム」と
答へるだらう。なるほど出版界に日本の歴史に就て、又日
本の武勲に就ての多くの著書の刊行されたことは確かであ
る。ファッシズムの立場に立つ日本改造のパムフレットの
公にされたことも確かである。評論雑誌の上に国家主義、
独裁主義、日本主義礼讃の論文感想が続々として掲載され
ることも確かである。若し二三年以前であつたならば、反
動と云ふ一言の下に貶されたであらう意見が、意気揚々と
して闊歩しつゝあることは事実である。だがそれはまだ断
片的な思想の表現たるに止まつて、日本の広汎な社会層の
中に潜在してゐた直感や本能を表白する程度であつて、渾
然たる思想体系と目するには至らない。マルキシズムは好
かれ悪かれ大規模の体系を所有してゐた、然るにファッシ
ズムには未だマルキシズムに代置さるべき思想体系を持つ
とは云ひえない。
 凡そ思想体系の名に値するには四つの内容が必要である。
一は世界観であり、二は現存社会秩序の解剖分析であり、
三は往くべき将来社会の対案であり、四は現存社会より将
来社会へと転化すべき方法論である。日本のファアシズム
は日本主義とか国家主義とかを唱へる点に於て、世界観の
一部に触れてはゐるが、世界観の全部を包括するに至らな
い。独裁主義を唱へることに於て、将来社会実現の方法を
説いてはるるが、その将来社会の対案に就ては漠として与
へる所なく、現存社会の解剖分析に至つては最も弱性を包
含してゐる。之等四種の内容を網羅して、而もその相互の
間に矛盾なき調和性を持つならば、始めて思想体系として
完璧に近いと云はれる。だがファッシズムはかくの如き思
想体系を遂に構成してはゐないのである。人は思想体系の
価値に就て疑惑を挿むかも知れない、然し体系を所有する
ことにより、始めて外部的には異端の思想に対抗し、内部
的には陣営を結成統一することが出来るのである。日本の
ファッシズムが少くとも現在までかゝる体系を持たないこ
とによつて、既に破綻の一部を示したことは後に一言触れ
るが如くである。
 それでは何故に日本のファッシズムは思想体系を持たな
いのかと云ふ問題に逢着する。一般に日本のみならず世界
各国のファッシズムは程度の差こそあれ、何れも思想体系
を持たないとも云へる。之は一つは元来ファッシズムなる
ものは非常緊急の状態に適応する臨時的の思想であつて、
社会の永続的恒常的な思想ではないと云ふことにも因るの
であらう。今一つは元来何等かの思想なくして統一的運動
はありえない筈であるが、ファッシズムの場合には本能的
な又直覚的な感じとも云ふべきものが国民の間に既に潜在
してゐて、たとへ之は体系と云ふには遠いものではあるが、
思想の萌芽的のものとして、ともかく一応思想の果すべき
役割を果してゐることにも因るであらう。だがそれにして
もイタリアに於てさへ、ムソリニーは流石に社会主義者の
出身であるだけに、一九二二年の羅馬への進軍の前に、一
応の改革的綱領を公表してゐた。ヒットラーに至つては政
権を掌握するまでに、十数年間「国民社会主義党」の首領
として、一定の綱領と一種の世界観とを標榜してゐたので
ある。然るに日本のファッシズムに至つては之にさへ対応
する思想的工作を欠いてゐる、之は何故かと云ふ問題は依
然として残されてゐる。
 之に対する一応の答へは、ファッシズムは外国の出来合
思想の輸入が困難だと云ふことだらう、日本の思想は好か
れ悪かれ、外国からの影響を受けることが多く、マルキシ
ズムの如きは出来合品そのまゝの輸入であつたが、ファッ
シズムに至つては外国に於けるファッシズムから傾向とし
ては影響を受けたであらうが、思想内容までを輸入するこ
とは出来ない、何故なればファッシズムは他の思想と違つ
て、その国の特殊性を高調する思想であるだけに、外国の
出来合品の輸入が不向になるからである。だがそれよりも
より大きな理由は、日本のファッシズムは思想的準備工作
あつて運動が起つたのでなくて、準備的工作をなすの暇な
き時に国内事情の必要が先づ運動を起させて、思想的工作
は暫らく後に廻はされたと云ふことである。ファッシズム
は一般に前述したやうに非常緊急の必要に対応するもので、
運動が思想よりも出足の速いことは各国類似の傾向ではあ
るが、特に日本のファッシズムに於て、此の特異性が顕著
である。此の点はマルキシズムが思想界に於てこそ素晴ら
しい活躍をしたが、日本の実際的勢力には殆ど指を染める
ことが出来なかつたのと、正に好個の対照をなすのである。
その結果として日本の思想界に於ける今後のファッシズム
の勢力は、ファッシズムの運動の消長如何に依存すると云
ふことが起つて来る。こゝに於てか吾々はファッシスト運
動そのものに視点を投ずる必要がある。
 日本のファッシスト運動に就て総括的批判をなすには、
現在はまだ運動自体が進展中でもあり、又適当の時間的間
隔が与へられてもゐない。然し少くとも日本ファッシスト
運動に於て注目すべき三個の特務性のあることだけは看過
することが出来ないと思ふ。その一は、此の運動の中心を
なすと云はれる○○〔軍部〕なるものは、ファッシスト運
動を目的として特に成立した集団ではなくて、過去六七十
年軍事国防の為に存在してゐた集団であり、何れの時代何
れのイデオロギーの政府の為にも役立ちえた………………
……………。たとヘムソリニーやヒットラーの運動にも軍
人及び退役軍人団は参加してゐるとは云へ、日本の場合の
如くに従来から存してゐた……………………………………
…………………。その結果として吾がファッシストには下
から湧き上つた大衆的の運動と云ふ色彩が極めて稀薄であ
る、よし幾多の右翼団体が参加し、無組織の広汎社会層に
ファッシストの味方が存在するとも、………………………
……………………………。
 第二に軍部は啻に従来から存在してゐた現存制度上の産
物だと云ふだけでなく、それは吾が憲法上に於て統帥権の
名の下に、内閣と独立した特殊の地位を与へられて居り、
たとへファッシズムの時代が到来しなくとも、現存国家機
構の中に既に法律によつて保証された権力的存在だと云ふ
ことである。日本の軍部の憲法上の地位に近いものを求め
るならば欧洲大戦以前に於ける独逸の軍部のそれであらう。
独逸軍部は皇帝に直属し議会に左右されることなく内閣か
らさへ独立し、ビスマルクの声望を以てするも之に指を染
めることが出来なかつた。之が独逸と英国との間の重要な
る相違であつた、一九一八年戦後の独過革命の意義の一つ
は独逸の軍部よりして此の特殊的地位を剥奪したことに在
つた。日本の軍部は之と類似する地位を持ち、此の地位を
確守する限りに於て、時の政局に変動を与へうることは、
かの朝鮮二個師団増設問題に就て、上原陸相が第二次西園
寺内閣を倒壊せしめたことを想起すれば足る。換言すれば
軍部は今何ものも所有せざるものではなく、既にあるもの
を所有するものである。既に有する一城を以て満足するか、
更に進んで全局を掌握するか、その二つのみが問題であり、
いかなる最悪の場合と云へども、退いて守りうる一城を所
有してゐる、之れ軍部が何ものも持たざるもののみに可能
なる、裸一貫の捨身になりえない理由である。此の点が日
本のファッシスト運動の進軍に重要なる関係があり、かゝ
る特殊の地位を軍部に与へたのは、日本の自由主義の特殊
性に原因することを私は曾て述べたことがある。(昨年〔昭
和八年〕十月号「改造」拙稿「自由主義の再検討」参照)
 その三は日本のファッシスト運動打目標が著しく消極的
反動的であり、積極性と建設性とに欠けてゐることである。
積極的建設的の目標は唯一定の思想体系ある場合にのみ可
能であるがそれがない為に当然にかゝる帰結に来らざるを
えなかつたのである。試みにファッシストの目標とみるべ
きものを窺へば、幣原氏により標榜された協調外交殊に支
那に対する協調外交の否認、浜口内閣がロンドン条約に於
て為したと伝へられる統帥権干犯の反対、軍事国防を危殆
に陥らしめる危険ある議会政治の否認、陸軍及び海軍の軍
備縮少に対する反対、資本主義のある種の機構に対する
反対等が挙げられるだらう。(昨年十一月号「文芸春秋」拙稿
「五・一五事件の批判」参照)之等は何れも所謂自由主義の上
に立脚した諸政策を反対の対象としたものであるが、若し
更に思想上に反対の機運を促成したものを求めれば、國體
否認の傾向や階級国家論や日本の独立性を認めないインタ
ーナショナルの思想、一旦緩急の場合に於ける敗戦主義等
が、マルクス主義者により唱へられた為に、由々しき危険
思想なりとしてそれに反撥したものと云へるかも知れない。
その何れにしても曾て為された政策や唱へられた思想に対
する反感拒否の跡が認められるだけで、自らが実現せんと
する積極的の理想に就ては漠として知る所がない。若し少
しなりとも積極的の目標を持たんとする時に、忽ちに見解
の不統一が曝露されて来る、之は資本主義に反対して何を
行ふべきかと云ふ点に就て特に顕著である。ファッシズム
が多少なりとも日本の大衆を牽引した理由は、単に国防外
交の点に在るのではなく、資本主義の機構に何らかの変革
を加へるであらうといふ期待に在つた。此の期待を曾ては
プロレタリア運動に求めたが、それが絶望と観取して同一
の期待をファッシスト運動の上に投じたのである。然るに
ファッシスト殊に軍部は此の点に就て当然に平生の準備を
欠いてゐた為に何らの成案を持たなかつたのである、仮り
に成案らしきを持たんとした時、先づ右翼団体との背離が
行はれ、更に之に次で伝へられる軍部内部の三段階の思想
間隙が現出して来たのである。前に述べた思想的準備工作
なきことの結果は、外に対する抗争力と内に対する結成力
を欠き、ファッシスト運動は一転機に来らざるをえなくな
つたのではないか。日本のファッシズムは運動を先にして
思想を後にした為に、運動の運命が思想の運命を左右する
ことゝなり、而も運動は思想なき為に停頓するといふ奇怪
な循環に陥つてゐる。


   四

 以上の如き特異性を持つ日本のファッシスト運動は、単
なる一傍観者たる私の観測によれば目標上よりは二段の発
展があつたのではないかと思ふ。即ち第一段に於ては軍事
国防の問題に関聯して従来所有してゐた特殊の独立的地位
を確保しやうとしたのである。之れファッシスト運動の中
心が………………より来る当然の結果であり、浜口内閣に
より動もすればその独立的地位が脅威を受けたが如くに感
じたからである。然るに少しく運動が進展した時に、軍事
国防の問題を逸脱して社会改革にまで目標を拡大して来た。
之れ将校軍人の大部分が、中産階級に属して資本主義社会
の不安を感じるばかりでなく、それが日常接触する兵卒よ
り、農村の疲弊の惨状を聞いて農民救済と云ふ目的からも
外敵に当る国家の統一と云ふ見地からも、偏農主義の社会
改革にまで発展して来た。然るにいかに改革すべきかに関
して、遂に分裂不統一の傾向が現はれ、自己分解の兆候さ
へ現はれ、いかに局面を収拾すべきかを腐心せざるをえな
い窮地に陥つたのである。此の目標上の発展と大体に於て
照応するのは、次のファッシスト運動と現存政治機構との
関係の発展である。
 元来ファッシスト運動なるものは、共産主義の運動と同
じく、現存政治機構に真正面に対抗し、その全般的の変革
を企てるものでなければならない。日本のファッシスト運
動も亦その初期に於ては、凡そ日本の憲法上の譜機構を無
視して、特異の政治機構を建設しやうと意図したのであら
う。然るに現存政治機構にはたとへ確乎不動の信念の上に
立脚してゐるほどの強みはないとしても、流石に五十年間
持続し来れる伝統と堕性とがある。複雑なる機構は砂上の
楼閣の如くに一挙にして潰滅するほど脆弱ではなかつた。
最初に於てこそ思ひもかけぬ奇襲に狼狽したものゝ時の経
過に伴つて現存諸機構は徐々としてその機能を快復して来
たのである。恰もその時ファッシスト運動内部に自己分解
が兆し始めた為に、外は現存政治機構を敵とし、内は帰趨
を弁ぜぬ反対分子を擁するならは、腹背敵を負ふ窮境に立
たないとは保し難い、ここに於てか日本のファッシスト運
動は第二期に入つて、現存政治機構の中に自己を没入しそ
れらの機構を左右することによつて自己の目的を達しやう
とした。現在は正にその段階であり、軍事予算の閣内に於
ける争奪五相会議内政会議に於ける社会改革論等はその外
部的表徴である。既に現存機構の中に没入したならば現存
機構は崩壊の危機を脱却したのである。少しく世上の現象
を注意するものは、上層政治家と政党と資本家階級と官僚
と言論界とが、各々の立場より少しづゝファッシスト批判
の声を揚げつゝある兆候をば、歴々として指点することが
出来るであらう。現存政治機構の外に在つて一敵国たりし
○○〔軍部〕は、野に放たれた虎であつた、今や現存機構
の中に入つた時は、檻に入れられた虎であつた。此の状景
は恰もミルランのブルジョアー内閣入閣に類似する。現存
政治機構をブルジョアー的なりとして、それと無縁の地位
を保つた社会主義者が、ブルジョアー内閣の一椅子を占め
る時に、それが社会改革の為に採るべきか否かの問題は別
としても、少くとも野に在つた時の鋭鋒は鈍らざるをえな
いのである。
 何故に日本のファッシスト運動がかゝる第二期に早くも
進展したかと云ふならば、そこに前述した日本の軍部の憲
法上の特殊的地位が関聯して来る。何ものも持たざるもの
ならば現存政治機構に自己を浸入する可能性は毫も与へら
れてゐない、唯外に在つて現存機構と抗争するより外に余
地はない、然るに日本の軍部は現存機構の中にすでに有力
なる足溜りを持つ、進んで自己の権力を増大しうると共に、
退いて此の根拠に立て籠もりうる闊達自在の地位に在る。
当初意図した抱負の実行が、案外に障害の多きに逢着した
時に、遂に此の妥協に落付いたのであらう。彼等は鉄鎖の
外何ものも持たざるプロレタリアではない、日本の憲法は
彼等に一定の資産を保証した、為に彼等は此の資産を提げ
て以て中原を馳駆しうる、それと同時に日本の憲法は彼等
に小成に甘んずれば退いて守るべき資産を保証して、彼等
の軟化の根拠を与へたのである。まことに日本憲法の妙法
は素敵らしい。
 以上の私の観測にして大過なしとすれば、日本のファッ
シスト運動はすでに峠を越したのである、少くとも一九三
一年の初頭に萌芽して満洲事変によつて拍車を加へられた
ファッシスト運動は、一転機に到達したのである。何故な
れば現存政治機構に自己を没入して、和衷共同すると云ふ
ファッシズムなるものは世にありえないからである。だが
今までの所でも軍部は相当大きな成果を収めたと云へる。
統帥権に指を染めることは遠い未来は別として、当分は思
ひもよるまい。軍備縮少も亦至難であらう。協調外交はた
とへ復活するとしても満洲国建設以後の協調外交は日本か
ら云へば協調でも外国からは協調外交とは考へられまい。
又何よりも時と人とをえたならば、軍部は全政局を震撼せ
しめうると云ふ自己の力を意識しえたのであらう。此のす
べては既に偉大な収穫である。たとへファッシスト運動が
今日挫折したとしても、彼等は之を以て裕に慰めるに足る、
或は始めから此の位の成果を意図してヤマを賭けたのかも
知れない。勿論斎藤内閣が倒壊した後に、政友会内閣が成
立するとも考へられず、政党総裁を首班とする政党聯合内
閣が出来るとも予想されず、政界が常正に復するにはまだ
相当の時期を要するだらう、然し二三年来日本を震撼した
ファッシスト運動は今までの接続した運動としては一転機
に到達した、たとへ余震は幾度か繰返されやうとも大震は
既に経過したと看做すべきであらう。


      五

 だが、まだファッシストにとつて最後の切り札が残され
てゐる。それは一九三五年の軍縮を契機とする戦争の危険
である。若し此の軍縮会議にして成功せずんば、たとへ直
後にではなくとも戦争にまで日本を駆る危険性があると云
ふことを私は曾て書いたことがある。(昨年十二月号「経済往
来」拙稿「非常時の実相とその克服」参照)戦争の遂行は臨時
非常の政治状態を必要とすることを何人も承認する、此の
承認の心理に乗じて、戦争の遂行目的を逸脱したファッシ
スト政治が確立される危険は多分に存在する。凡そ日本を
中心とする戦争は絶対に避けなければならないと同時に、
戦争に藉口して出現するファッシスト運動も亦吾々は極力
阻止せねばならない。それが為には軍縮会議の成立と戦争
回避との為の外交的工作が今から必要で為ると共に、○○
○○〔軍備拡張〕と○○〔軍部〕とファッシズムと云ふ一
聯の連鎖を、今から切断する思想的準備を必要とする。な
るほど戦争は臨時非常の状態ではある、又軍部の活動に俟
たねばならないものではある、然し日清日露の両戦役も決
して軍部の独裁政治を必要とはしなかつたのである。戦争
とファッシズムとを必然に糾合する錯覚は今から警戒せね
ばならないのである。
 それではファッシスト運動にして現在の如くに停止し、
又一九三五年の危機に戦争を回避しえたと仮定したならば、
日本のファッシズムはそれで遠く地平線上に姿を没するも
のと考へてよいかと云ふに、決してさうではない。日本国
民の大部分は元来国家主義的であり、独裁主義的であり、
強力主義的である、此の国民はファッシズム醗酵の恰好の
地盤である。況んや日本のファッシズムは思想よりも運動
が先んじたが、運動と伴つて続々としてファッシズムの文
献は現はれて来た、無意識の裡に潜在してゐた国民のファ
ッシズム的傾向は、意識され潜在より化して顕在となりつ
つある。思想的準備なき為にこそ停頓したファッシスト運
動は、寧ろこゝに暫らく休息して、徐に思想的工作の進展
するを待望しておるかも知れない。更に況んや軍部は外に
○○○○○○〔六字伏字不明〕して兵威を高めたと共に、
過度にファッシズムを強行せずに、逸早く政戦の局面を収
拾した為に、余り多くの反感を蒙らずに手を引くことが出
来た。又更に況んやこゝに日本の特殊の憲法がある。彼等
は憲法上の特権に立て籠つて、確実に一城を固守して天下
を睥睨しうるのである。民衆の意志に立脚した内閣と併立
して、天皇に直属する彼等は、その内閣にして民衆の支持
ある限り、之と協調するだらう、然し一度民意にして内閣
から離叛した時、民衆の輿望を負うて内閣倒壊を策するか
も知れない、否時に応じて再び陣容を新にしてファッシス
ト運動に乗り出すかも知れない。ファッシスト運動の鋭鋒
を挫きえた日本の憲法は他面に於て不断永劫のファッシズ
ムの策源地である。此の意味に於て日本のファッシズムは、
突発的な激震から去つて、慢性的の震動に姿を変へたとも
云ひうるのである。
 若し日本の憲法にして、徹底した自由主義的憲法であつ
たなら、統帥権の一項を憲法に残さなかつたであらう、だ
が日本の特殊事情は自由主義をこゝまで実現せしめえなか
つたのである、かくて憲法は政局の永続的震源をその内部
に包蔵して来た。日本の社会改革は此の一点に逢着して常
に頓挫するだらう。之こそ……………………である。若し
日本の社会改革にして自由主義的に進展するならば ― そ
れが真正の社会改革の路であるが ― 早晩此の一点に於て
血塗れの争奪戦をせねばなるまい。その時が日本のファッ
シストがこゝを最後と戦ふ天下分日の血戦であらう。だが
日本の国際上の地位にして非常な安定をみない限り、日本
の進歩的分子と云へども此の戦を思ひみることさへ出来な
いかも知れない。そこでファッシズムの禍乱を根絶するこ
とが不可能とみて、寧ろ軍部をして社会改革を遂行せしめ
やうと云ふ希望が一方に湧いて来る。之がファッシズムを
永久的に日本の妖雲たらしめる心理でもある。だが○○
〔戦争〕と社会改革とは遂に調和しえない異質物である、
此の希望は一場の幻滅に終るの外はないのであるが諦め兼
ねる人間心理は当分の間此の希望を容易に抛棄せしめまい。
かくて日本の社会運動は統帥権を中心として、シーソー台
の如くに上下を繰返して往くだらう。
 軍部は相当の戦果を収めて、而も大した手傷を受けずに
手を引いたとは云ふものの、何ものも失ふ所なかつた訳で
はない。軍人が軍事に精励する時に部内の統一節制は保た
れうるが、………………………………、……………………
…………………………、政策の内容は常に異論あらざるを
えないからである。……………………………に乗り出さう
として、部内の各階級に………………………………………
………………………と云へないだらうか。それより生ずる
禍乱は今はさほど大きくはないかも知れない、然し将来に
於て必ずや臍を噛む悔を感ずるやも図り難い。今之に就て
多くを語ることを好まないが、今日軍部の名に於て起つた
ものが、他日軍部より逸脱して独自の発展をなさないとも
云へない、此の点に於て○○〔政府〕は測り難き○○〔怪
物〕を未来永きに亙つて吾が体内に導き入れたとも云ひう
る。之に気付いたことが、ファッシスト運動を転機に至ら
しめた理由でもあらうが、国民皆兵主義の場合は英国の志
願兵主義の場合と違つて、国民生活と軍隊との間には、一
条の毛細管があつて相互を疎通する。国民生活より来る思
想上の変化が敏感に軍隊に反影し、…………………………
……………が現はれないとは保しえない、此の注目すべき
問題を残して、日本ファッシスト運動の第一場には幕が下
りかけてゐる。


      六

 国外的に又国内的にかなりの好条件を背景として、一気
に押し出して来たさしもの日本ファッシズムを停頓せしめ
たのは何かと云ふ問題が起つて来る、それにはファッシス
ト運動自体の内部的不統一が挙げられねばならないが、運
動の外部に之を阻止したものがなければならぬ、それは日
本の各方面に散在してゐる自由主義的勢力である。人は之
を聞いて異様に感ずるかも知れないが、それはその人が自
由主義なるものに就てマルキシズムから来た奇妙な偏見を
持つてゐるからと、日本の自由主義者と云ふものの特殊的
存在形態を認識しえないからである。
 私は曾て日本の自由主義の特殊性を述べて、日本では自
由主義が完全の姿に於て発展しえなかつた、国家主義の許
容する限りに於てのみ移植されたのだ、従つて自由主義は
存在はしたが歪曲された自由主義たるに止まつて、真正の
自由主義は未だ曾て全面的に説かれたことがないと云つた。
(前掲「改造」論文参照)一面に於て日本の自由主義の歪曲性
をかうして述べることが誤謬ではないと共に、又それとは
矛盾せずに云ひうることは、歪曲されてはゐたがともかく
も自由主義は存在してゐたと云ふことである。思想は社会
制度に実現をみると共に、実現された制度は逆に思想を育
成する。日本の憲法を作る前に相当の自由主義があつたの
であるが、憲法が制定されてから五十年間の伝統と惰性と
は、憲法に認められた限りの自由主義を育成せねばならな
かつた。況んや明治の末期から大正初頭にかけて、主とし
て文芸の方面で個人主義が説かれて、今までの国家主義に
反省が与へられ、更に大正七八年欧洲大戦の末期からマル
キシズムの抬頭に至るまでの間に、短かくはあつたがデモ
クラシーが説かれてゐた時代があつた。此の雰囲気に育つ
た青年は今や長じて三十五から五十までの少壮期に在り、
日本の年齢層の中堅を形成してゐるのである。
 だが、卓越した自由主義の思想家がなかつた為に世界観
から現存社会の解剖、未来社会の構想、理想実現の過程に
至るまでを全面的に網羅して、一つの渾然たる思想体系を
構成するに至らなかつた。自由主義者は社会の広汎なる方
面に散在してゐるに拘はらず、彼等の自由主義は意識され
ず組織化されず、唯消極的反撥的たるに止まつて、強烈な
る信念となるに至らない。既に体系をなしてゐないから、
それ自身矛盾し対立する各個の思想は、雑然として一自由
主義者の内面に混在してゐる。若し確然と整理されたであ
らうならば、敵と味方とに分たるべきものが、自らも人も
自由主義者と目してゐることが少くない。だがそれにも拘
はらず自由主義者は、大体の傾向を同じくし、同一の範疇
に属せしめることが出来ないではない。その特異性と認む
べきものは、世界観に於て唯物論に反対して理想主義を採
り、国家主義に反対して個人主義を採る、その結果として
内政に就て強権を排斥し、外交に就て国際平和を希望する、
然し国民の特殊性を認識する限りに於て国民主義者であり、
国民主義と調和する限りに於て国際主義者である。資本主
義に対する立場に就て、自由主義は分裂する、今絶対的の
自由放任主義を採るものは絶無であらうが、どれだけの改
革を資本主義に加へるかに就て自由主義者のあるものは唯
局部的の改革を以て足るとする、之が社会改良主義派であ
り、根本的の改革を必要とするものは社会主義派である。
何れにしても社会改革を実現する方法に就て、独裁主義に
反対して議会主義を採る、然し現在の議会制度にも現在の
政党にも満足するのではなく、議会主義の立場に於て議会
制度と政党との改革を希望す
 以上が日本の自由主義の特徴であるが、此の中のあるも
の例へば議会主義を採る点に於ては自由主義者であらうと
も、国家主義に反対する個人主義者でないものがあるかも
知れない。又以上の特徴も単に粗雑な概念を列挙したに止
まつて、同一の概念を以て表現されても、その実質は多種
多様に分れるのである。然し大体に於て自由主義は以上の
如くに特徴付けられ、之を以て一面にファアシズムに対抗
すると共に、他面に於てマルキシズムに対抗し、何れにも
満足しない社会層のイデオロギーを構成してゐるのである。
人は自由主義に負担者となるべき階級のないことと、自由
主義者が一集団に結成されてゐないことを咎めるかも知れ
ない。然し一つのイデオロギーの負担者が階級でなければ
ならぬと考へることが、マルキシズムより来る独断的の前
提である。事実に於てマルキシズムを負担するものも、特
定の一階級ではなかつたのである。若しそれ自由主義者に
結成がないと云ふならば、いかにもその通りである、而し
て結成のない所に日本の自由主義の特殊的存在形態がある
のである。
 日本の自由主義者は英国の自由党の如き一政党を結成し
なかつた。彼等は自由主義のイデオロギーを提げて、夫々
各種のエキスパートとして現存社会機構の中にそのまゝに
浸透したのである。あるものは政党の中に、あるものは官
僚の中に、あるものは学校の教壇に、あるものは言論界に、
又あるものは工場の技師として、あるものは病院の医師と
して、その他ありとあらゆる機構の中に浸入して、その機
能を運転することに、自由主義のイデオロギーを躍動させ
てゐるのである。なるほどそれは組織されてはゐない、然
し組織が力であると共に、又ある場合には無組織が力であ
ることもある。天下に散在する自由主義者は夫々の地位の
専門的技術者として、かけ甲斐なき存在価値を持ちつゝ、
蔚然として一勢力を形成してゐた。それこそが見えざる内
にファッシズムの進展を阻止して、此の停頓にまで導いた
のである。若し之を疑ふものがあるならば、唯一つだけを
思ひみよ、軍事予算の討議に際していかに大蔵大臣が奮闘
したかを、更に大蔵省に於ける少壮官僚がいかに細微なる
予算の査定に努力したかを、更に軍部の中に於てさへ自由
主義の一片はファッシズムを撃肘してゐたではないか。


       七

 何故に自由主義者がかくも現存社会機構の中に浸透しえ
たかと云ふならば、自由主義と云ふ思想が従来の思想と全
面的に対立してゐないからであらう。殊に道徳に関する見
解が正反対でない為に主義を主義として保持しつゝ、却て
忠実恪勤なるエキスパートとして重用されたからである、
此の点に於てマルキシズムと著しい差別がある。マルキシ
ズムの場合には啻に思想が従来の思想と全く相容れないの
みならず、その目的の為に手段を択ばないと云ふ道徳観の
為に、現存機構はマルクス主義者を信頼しうる実務家とし
て、遇しえないのである。何故に自由主義者が一政党とし
て結成しなかつたと云ふならば、イデオロギーを同じくす
るものが一政党に所属し数個の政党が全国民を何れかに分
割すると云ふ慣習が、此の国になかつたからであらう。か
くて彼等は組織されずに散在して来た。マルクス主義者は
無組織なることを以て、自由主義者を無力だと云ふが、結
成が有利か不利かはその主義の目標とする所により異り、
又その主義の発達段階の如何により異らねばならない。徒
に早くより結成を唱へた為にマルクス主義者は、現存社会
機構より閉め出しを喰ひ、徒に従来の思想と尖鋭的に対立
する思想を構成した為に、早くより多数者と別居して孤立
の境地を歩まざるをえない。之が大衆を誘導し社会に大を
なす所以か否かは俄に予断を許すまい。少くとも職業的の
マルクス運動員を養成するに止まつて、実際社会を運転す
るエキスパートに乏しいことは、日本のみならず世界共通
のマルキシズムの欠点である。華かな一握りの集団が景気
よき社会批判をするがよいか、堅実なエキスパートを各方
面に配置して、抜き差しならぬ存在価値を握るがよいかは、
日本の社会運動家の考慮せねばならない点であらう。独逸
社会民主党は戦前に於て此の欠陥を意識した、露西亜共産
党は此の欠陥があつたが為に、革命後に外国よりのブルジ
ョアー技術者に依存せねばならなかつた。英国労働党の強
味は実に豊富なるテクニックのエキスパートを各方面に持
つことにある。ともかくも日本の自由主義者に組織なく結
成なかつたからこそ、現存社会機構に浸入して、見えざる
裡に一勢力を形成しえたのである。徒に結成なきが故にと
て自由主義の無力を語るのは、マルクス主義者の速断でな
ければならない。マルクス主義者は型にはまつた規矩準縄
を各国一様に通用することによつて、数多くの誤謬を犯し
たが、自由主義に対する認識と評価との如き、其過失の最
大なるものの一つであらう。彼等の自由主義に対する偏見
は、自由主義が跳梁跋扈した英国をみたマルクスの批評と、
十九世紀中葉の独逸自由主義者の無力と、今世紀の露西亜
自由主義者の不徹底さとをみたマルクス、レーニンの批評
とに累(わずら)はされてゐる。だが英国に於てこそ自由主義を無視
してもよい、何故なれば英国に於て自由主義は既に其使命
を果したからであり、又自由主義は姿を変へて英国社会主
義の中に躍動してゐるからである。又露西亜に於てこそ自
由主義を軽視してもよい、何故なればそこには。軽視されて
はならないほどの自由主義はなかつたからである。だが英
国の如く自由主義がその使命を完了せずして、国家主義が
依然として重圧を加へてゐる日本の如き国に於ては、自由
主義にはまだ果すべき使命が残されてゐる。露西亜とは比
較にならない自由主義者の存在する日本に於て、自由主義
を軽視することは重要なる社会勢力を打算の外に置くこと
である。社会を単純に二分して労資両階級とするマルキシ
ズムからみれば、マルキシズムに非ざる自由主義は資本家
階級のイデオロギーと云ふことになるだらう、だが英露何
れにも属せざる日本の如き中間国家に於ては、社会組織は
より複雑でありイデオロギーは多彩に交錯してゐる。此の
国に於ては国家主義なるものがあつて、労資のイデオロギ
ーの何れよりも独立し、ある場合には資本主義を支持し、
又ある場合には資本主義を改革しやうとする。国民の上に
持つ国家主義の魅力は素晴らしい、人は国家主義がその名
に於て出現する時に、曾ては労資関係に就て明確な去就を
決定をしてゐたものが、徒に混乱し惑迷させられるのであ
る。英国の如き先進国に於て、国家主義の本質を分析し、
之を神聖なる祭壇より引き下ろして、民衆の帰趨をより単
純にせしめたのは、実に自由主義の偉大な功績であつた。
日本や独逸伊太利の如きに於ては、自由主義の此の任務は
未だ果されずに残されてゐたのである。その間隙に乗じて、
国家主義はその新粧を凝らして、ファッシズムなる名を帯
びて出現し、マルキシズムをも重圧の下に呻吟せしめてゐ
るではないか。マルキシズムは自由主義の残された此の任
務を自由主義を支持して果さしむべきであつた。而もそれ
は、決してマルキシズムの不利に於てではないのである。
徒に自由主義を敵視することにより、ファッシズムをして
名を為さしめたるが如きは、マルクス主義者の驚くべき認
識不足に因るものと云はねばならない。今やマルキシズム
が凋落の一転機に来た時に、彼等が反省せねばならないこ
との一つは、恐らく自由主義に対する認識と評価とそれへ
の向背とであらう。
 以上に於て私は日本の自由主義の特貌的存在形態と、そ
のファッシズムに対する抗争の功績とを述べた。だが日本
の自由主義は前に述べたやうに、未だ、思想体系を確立し
てはゐない。これ私が日本に真正の自由主義がなかつたと
云ふ所以である。マルキシズムは思想体系を所有してゐた
が、実際勢力としては無力であつた。ファッシズムは実際
勢力としては有力であるが、体系を所有するに至らない。
此の点に於て自由主義はファッシズムと類似してゐる。然
るに自由主義者は最近のファッシズムの抬頭に際会して、
之と自己とを比較することにより、始めて自己を意識する
ことが出来た。ファッシズムと見えざる裡に抗争すること
により、始めて自己の力を認識することが出来た。今より
後自由主義者に残された任務は、今まで単に消極的反撥的
たるに止まつた自由主義に、組織と体系とを与へることで
ある。自由主義は自由放任論をどう始末したらよいか、資
本主義の改革をどの点まで必要とするか、ファッシズムと
マルキシズムとの差別をいかに確守すべきか、日本の社会
改革の為に、いかなる階級と協同したらよいか、之等の諸
点を明確にすることは、社会思想家に負はされた、重要な
課題であらう。自由主義が体系化されることにより、従来
雑多なりし自由主義者は各々その所に整理され、従つて自
由主義者の範囲は狭められるだらう、だが日本の各方面に
散在して夫々重要なるエキスパートとして、現存機構を動
かしつゝある彼等の存在は、無視すべからざる勢力である。
彼等を敵とするか味方とするかにより、日本の改革は決定
されると云ふも過言ではない。苟くも進歩を意図する社会
運動家にとつて、彼等への去就をいかに決定するかは、今
後慎重に考慮すべき重要な問題となるに違ひない。


      八

 私はマルキシズムが凋落の途を辿りつゝあること、之に
代はるべく旋風の如くに現はれたファッシズムが、思想的
準備を欠いた為に一応の頓挫をしたこと、自由主義が特異
の形態に於て粘り強い任務を遂げたことを述べた。眼前に
去来しつゝある思想の運命の見通しを付けることは、困難
でもあれぼ適当でもない、だが敢て私は可能の限りに於て
之を試みた。さてその総括的批判に移らう。
 マルキシズムは去りつゝある。その去ることに惜しむべ
きものありとせば、充分に批判が為し尽されずして去るこ
とである。マルキシズムは何としても大きな思想体系であ
つた。それはありとあらゆる問題に夫れ自身の解決を与へ
てゐた。たとへマルキシズムに不満だとしても、それが提
出した課題は、充分に検討され別個の対案を与へることに
よつてのみ、それを清算すべきであつた。然るにその批判
が充分に為されざる内に、ファッシズムの登場によつて
徐に背景に退きつゝある。日本の思想界はマルキシズム
からより多くのものを摂取すべきであつた。ファッシズム
も亦運動に於て停頓した、若しそのことに惜しむべきもの
ありとすれば、それが日本の社会に与へた震撼が、充分に
効果を挙げない内に停頓したことである。ファッシズムが
出現した時に、日本の政治櫻構も経済機構も砂上の楼閣の
如くに崩壊すべく脅威を受けた。たとへファッシズムの立
場に立つ再建が望ましくないとしても、それが全社会を揺
り動かした不安は、間接の原動力となつて望ましい改革が
遂行される希望が抱けないではなかつた。だがその脅威も
去りつゝありとせば、現状維持を謳歌しつゝある一部の人
人は、漸く愁眉を開いて会心の笑を漏らしてゐるかも知れ
ない。かくてマルキシズム去りファッシズム鈍る時、何が
吾が思想界に残るであらうか。
 凡そ個人にとつても社会にとつても、思想変遷の跡を回
顧すれば、平凡に伝統を辿り惰性に動いてゐる時が多いが、
時として心の底から揺り動かされ魂の高揚する時期がない
ではない。個人も国民も此の時に於て成長の飛躍を遂げ、
やがて再び平凡単調な時代が之に続くものである。だが日
本の民衆はマルキシズムとファッシズムとから、社会の根
本問題に就て揺り動かされたに拘はらず、真剣に問題を取
り上げることなしに、従つて成長の飛躍をすることなしに、
平凡単調な時代へと移り往くのであらう。かうした時に起
り勝ちなことは一は地上の問題とは直接の聯関なき高踏的
な哲学に耽溺することである。混沌たる地上の問題に手を
染めることの煩に堪へないからであり、又危険を恐れる怯
儒の心が、無風安全の地帯に身を避けしめるからである。
哲学上の思索は最も必要なことではある。だが地上の問題
と切り離された哲学の思索が果して何の役に立たうか。今
一つは根本的な問題に触れることを回避して、瑣末な技術
的な問題に没頭することである。技術的な問題に亙らずし
て、地上の問題は結局に於て解決は為されない。だが根本
的な問題を高閣に束ねていかにして枝葉の問題が片付くで
あらうか。かくて思想界の此の瞬間に警戒すべきものは、
徒に天上高く舞ふ哲学の空論と地上末節を弄ぶ技術者の小
策とである。
 だがより以上に警戒すべきことは、枝葉の技術的問題た
るかの如き粧ひの下に重要なる根本問題が知らぬ間に片付
けられてゆくことである。問題の実質をありのまゝに展開
すれば反対論が続出することを恐れて、名を瑣末な技術約
改革に借りて、その実反対思想に眼潰を食はせてゐること
がある。その一例を議会制度の改良工作にみる。議会制度
を改革することは議会主義者の立場からも必要が認められ
る。それと同時に、独裁主義者は議会制度をあれどもなき
ものたらしめんが為に、議会制度の改革を提案しうるだら
う。此の時に独裁主義か議会主義かの問題に触れることを
回避して、単なる議会制度の枝葉の改革たるかの如き外観
の下に、独裁主義者から提案が出されることがある、かの
議会以外に於ける国策審議会の設置の如き、案それ自身は
必ずしも反対ではない。然し真に蔵する意図を観取するこ
となければ、議会主義者は悔を残すことがないとは云へな
い。又他の例を統制経済にみる。資本主義を改廃せんとす
る社会主義者も、資本主義を延命せんとする資本主義者も、
等しく統制経済を提議しうる。此の時名は経済の統制と云
ふ単なる技術的問題であるが、資本主義者の意図に乗ぜら
れたならば資本主義のより重大なる弊源たる私有財産の問
題は隠蔽されて、生産の統制を行ふことを以て資本主義を
改革し尽したと云ふ錯覚に陥ることがないとは云へない。
社会が根本的に震撼させられた後の小康の時期に於て、比
の種の警戒すべき事柄が少くない。
 かくて吾々は結局に於て根本問題に就て、不断の決答を
準備して置く必妥がある。そのことは至難ではあらう、だ
が至難なればとて吾々はそれに面を背けてはならないので
ある。人は眼下の目まぐるしい思想界の変転をみて、いか
なる感慨を抱くであらうか。なるほど現代は世界を通じて
解決すべき問題を、あり余るほど課せられて居りそれに応
じて各国の思想界は何れも混沌としてゐる。だが欧米先進
国に於ては、新旧思想が対立し抗争しながらも、各人を通
じて、大体の基準となるべき原理が与へられてゐる。此の
原理は必ずしも理論的でないかも知れない、たとへ、平凡
なる常識であらうとも共通の原理は規矩準縄となつて、そ
の上にて各種の思想は一波一動しつゝあるのである。だが、
日本に於て課せられた問題は余りに複雑である、欧米各国
が過去二百年間に済し崩しに片付けて来た問題は、明治以
来七十年の短期間に圧縮されて吾々に解決を迫りつゝある、
而も大体の基準となるべき共通の原理なるものがなく、各
個の思想は夫々が底の底まで触れつゝ去来してゐるのであ
る。マルキシズムとファッシズムとは此の制度彼の制度の
改革を求めてゐるのではない。凡て一切の社会制度の再検
討を求めてゐるのである。全制度の再検討は世界観の再建
を以て始まらねばならない。国際団体と国家、国家と個人、
強権と自由経済と生活、との如き根本的問題に就て明治以
来夙に態度を決定しなければならなかつたのが、次々に延
期されて今や総決算をせねばならない時に到達したのであ
る。人はマルキシズムとファッシズムとの抗争の中から何
を観取するか知れない、だが私に観取されることは此の抗
争を通して民衆が自ら知らずして闇を手採りつゝ、新たな
る世界観を要望してゐることである。若し日本の思想家に
人あらば、此の要望に答へねばならない。伝へられる昭和
維新とは、正に要望の世界観を提げることである。
 今から丁度百年前ジョン・スチェアート・ミルは「ベン
サム論」を書き「コールリッヂ論」を書いた。彼は十九世
紀初頭混乱の英国を支配した此の両巨人を拉して、前者に
於て現存社会制度の中にいかに害悪があるかを指摘した天
才をみ、後者に於て現存社会制度の中にいかに合理性があ
るかを指摘した天才をみた。而して、その何れもに真理が
ありと云ひ、要望される哲学は、此の二人の天才を調和し
たものでなければならないと喝破した。マルキシズムは改
革の思想を作るが為に現存制度の一切を否定した。だが否
定し尽されぬあるものはファッシズムの名に於て之に叛逆
の声を揚げた。若し改革が一切の伝統を否定せねばならな
いとするならば、改革と伝統とは止め度なき抗争を繰返す
の外はあるまい。だが改革を要望する人間の理性は、今日
までの伝統を作り上げて来た。今までの伝統を保持して来
た理性こそが、正に改革の要望となつて現はれて来るので
ある。やがて作らるべき世界観は両刃の剱の如くである。
一刃を以てその保持することに役立つと共に、他刃を以て
その改革すべきに改革すべく役立たねばならない。而も改
革と伝統とは卑怯なる妥協苟合の産物たるべきでなくて矛
盾なき渾然たる体系の中に、夫々が所をえて布置按配せら
れねばならない。此の要望にして満たされざる限り、思想
界は之から後も永久に、或は右に或は左に軽々しく変動す
るであらう。かくて民衆はその応接に忙殺され疲弊困憊し、
制度は安定の暇なくして機能は停止するだらう。本文冒頭
に引用したコンラード・ヘーニッシュの述懐は、類似の事
情に在る独逸思想界の一の魂より他の魂への飛躍を語つた
ものであるが、日本の思想界も亦近くマルキシズムより
ファッシズムへの推移に於て同一の飛躍を経験した。唯憐
れなるは此の国に於て、そのスケールがより小にして、そ
の徹底さに於てより惨めだと云ふことである。
 だが憐れなるはそれだけではない、無名の民衆が一つの
主義から他の主義へと附和雷同するのは止むをえまい。だ
が許し難きは主義を唱へた人々の進退である。吾々の身辺
を顧みよ、曾ては吾々を反動だと貶した人々は、今や続々
としてファッシズムの陣門に降りつゝあるではないか、又
曾ては自由主義者たりしもの今は相次でファッシズムの陣
営に近づきつゝあるではないか。主義を堅く持する節操に
乏しいのは、まことに此の国民の弱点である。マルキシス
トにせよファッシストにせよ、若し異例に自己の主義の前
途を思ふ時、恐るべきものは反対の思想家に非ずして、頼
み甲斐なき同志の無節操なることに想到しないであらうか。
こゝに凡そ此の主義彼の主義といふ問題を離れあらゆる主
義の上に超越した根本的な問題がある。何れの主義を採る
かの前に、凡そ主義に殉ずる節操が教へられねばならない、
だが周囲相次で動く時、波に浚はれずして独り止まること
は至難の事である、然し人を此の難事に堪へしめる鍛練こ
そ、あらゆる主義の前に必要な条件である、之を果すこそ
正に理想主義の使命なのである。