国 是 網 目 ほか                 伊藤博文


  国是綱目


第一条 綱ニイワク、列世ノ連綿タル皇統ヲ奉戴シ、コレヲ国家万民トトモニ永世不朽ニ伝エ、タトイイカナル政治ノ変アりトイエドモ、上下誓ツテ立君ノ体裁ヲ変ズべカラズ。
 目ニイワク、各国基ヲ立テモツテソノ国脈ヲ維持シ、万民コレヲ奉ジヨツテモツテ自安スルトコロノモノ、必ズ本ヅクトコロアルナり。恭ク惟ミルニ、ワガ皇朝ノゴトキハ神孫連綿開闢以来イマダカツテ絶ユズ。コレスナワチ万世不易ニシテ君臣ノ分オノズカラ明ラカニ、万民仰イデモツテ累世ノ聖徳ニ信服シ、上下ヨツテモツテ安ジ、他邦万国沿革不一、朝ニ君トナりタニ臣トナルノ国トハ天壌ノ別アり。コレスナワチ立君ヲ重ソズルノ国体トナス、ワガ議ヲ待チテ明ラカニセザルナり。
第二条 綱ニイワク、全国政治兵馬ノ大権ヲ朝廷ニ帰セシムルヲ目的トシテ、ツトメテ区々偏頗ノ制ヲ除キ、万民ノ方嚮ヲ一定セシムべシ。
 目ニイワク、海外諸国卜並立シテ文明開化ノ政治ヲ致サシメ、天性同体ノ人民賢愚ソノ所ヲ得、上下ヒトシク聖明ノ徳沢ニ浴セソト欲スレバ、タダ全国ノ政治ヲシテ一斉ニ帰セシムルニ若クモノナシ。ソレコレヲ一斉ニ帰セソト欲スルヤ、方今ノゴトク各藩各自工兵権ヲ擁シ、互イニ相抗衡スルノ弊ヲ除イテ、ソノ権ヲ朝廷ニ帰シ、政令法律イツサイ朝廷ヨり出デ、イヤシクモコレヲ犯スモノナキニ至ラザレバ、海内ノ人民ヲシテ偏頗ノ政令ヲ免レシメ、悉皆帰一ノ徳化ニ服セシムル能ワズ。故ニ大イニ各藩ニ令シソノ兵権ヲ返還セシメ、ソノ藩主ヲシテ公卿ノ列ニツカシメ、ワガ皇国ノ貴族家卜称シ、各国議事ノ体裁ニ倣イ上院ノ員ニ備エ、ソノ藩士モマタ各ソノ所ヲ得セシムべシ。
第三条 網ニイワク、天地自然ノ理ニ随イ、博ク世界万国卜交通シ、信ヲ他邦ニ失スベカラズ。
 目ニイワク、人間ノ交際ハ、患難相扶ケ、喜歓相楽シミ、共ニ天地ノ通義ヲ全ウスルニアり。コノ理ヲ拡充スル時ハ、世界万国交易ヲ務メ、有無相通ズルコトマタ天地自然ノ理ナりトイウベシ。シカレドモソノ風俗人情各小異アルヲモツテ、コレヲ喜ビカレヲ憎ムノ情実ヲ免レズ。然りトイエドモ、政府ノ大体ニ至りテハ、独り天理
 ニ従イ衆庶ニ代り、節度ソノヨPシキヲ失ワズ、懇信ノ
 実ヲ行ナイ、彼此ノ強弱盛衰ヲモツテアユテソノ交際ノ
      カ
 一道ヲ易ユズ、ワガ国威ヲ張り、彼ノ凌辱ヲ受ケズ、永
          ハカ
 世国民ノ便利ヲ図ルべシ。
 第四条 網ニイワク、博愛ノ心ニ基ヅキ、人命ヲ重ソジ、
 万民ヲ視ルニ上下ノ別ヲモツテ軽重スべカラズ、人々ヲ
 シテ自在自由ノ権ヲ得セシムベシ。
  目ニイワク、衆庶ノ世ニ在ル、貴睦賢愚、・、ナ異殊アり
 トイユドモ、天地ノ通義ヲ保チ、ソノ生命ヲ重ソズルニ

 至ツテハ、モトヨり差別アルコトナク、政府モマタコレ
 ヲホシイママニスルノ権ヲ執ルべカラズ。コレヲモツテ
 貴モ嘘ヲ奪り能ワズ、賢モ愚ヲ侮ラズ、各自天命ニ安ソ
 ジ、人職ヲ勤メ、士農工商コト.コトクソノ所ヲ得セシメ、
 士ヨり農トナり、農ヨり商工トナルモマタ妨グべカラズ9
 イヮソヤカノ地ノ民コノ地ニ移住シ、コノ地ノ民カノ地
 ニ往来スル等、スべテ自由適意ニシテコレヲ束縛セシム
 ベカラズ。
 第五条 綱ニイワク、全国ノ人民ヲシテ世界万国ノ学術
 ニ達セシメ、天然ノ智識ヲ拡充セシムベシ。
  目ニイワク、ソレ耳目鼻ロノ人身ニ具有スルヤ、各ソ
 ノ用ニ適セザルべカラズ。吾人イタズラニ鼻ロノ用ヲナ
 スヲ知ツテ、耳目ソノ用ニ適スルヲ知ラズソバ、耳目ナ
 キニ同ジカルベシ。自今宇内ノ形勢一変、四海交通ノ時
 テ当町、人々競ウテソノ耳目ヲ広メ、一人ヨりニ人ニ及
 ビ、ヒイテ万姓ニ達ス、ココニオイテカ欧洲各国ノゴト
 ク文明開花ノ治ヲ閑ケり。今ヤワガ皇国数百年継受ノ旧
 弊ヲ一新シテ天下ノ耳目ヲ閑クベキ千載ノ一機会ニ当レ
 り。コノ時ニ臨ミ速カニ人々ヲシテ弘ク世界有用ノ学業
 ヲ受ケシメズソバ、ツイニ人々ヲシテ耳自無キノ末俗ニ
 陥ラシムベシ。故ニコノ回新ニ大学校ヲ設ケ、旧来ノ学
 風ヲ一変セザルベカラズ。
  スナワチ大学校ハ東西南京ニ営シ、府藩県ヨり郡村ニ
 イタルマデ小学校ヲ設ケ、各大学校ノ規則ヲ奉ジ、都城
 辺僻ニ論ナク、人々ヲシテ智識明亮タラシムべシ。
 第六条 綱ニイワク、外国卜交際スルニ信義ヲ重ソジ、
 全国ノ民心ヲココニ帰着セシメ、政府一定ノ方郷ヲ知ラ
 シムべシ。
 目ニイワク、国是スデニ開国■ニ定シ交誼ヲ各国ニ結
 ビ、従前ノ条約ニ従イ、通商貿易、彼我ノ人民ヲシテ各
 ソノ職業ニツカシメ、互イニ懇親ヲモツテ相交ルニ至り
 テハ、全国ノ人民アニソノ政府ノ国論ニモトり、区々各
 自ノ違論ヲ主張スベケソヤ。方今皇国更始一新ノ際、士
 庶、アルイハ旧来ノ隈習ヲ免レズ、ヤヤモスレバ他邦人
 民ヲ目シテモツテ葵狭トナシ、禽獣トナシ、壊葵ノ説ヲ
 モツテ人心ヲ浮動シ、ミダりニ外国人ヲ殺害シ、大イニ
     カモ
 国難ヲ醸スコトスデニ枚挙ニ暇アラズ、歎ズルニ堪エソ
 ヤ。ケダシ当時政府ノ官吏ハ、断然確明ノ議論ヲ主張セ
 ズ、アルイハソレガタメニ廟議ヲ変ジ、内ハスナワチ世
 間ノ誘議ヲ圧制スル能ワズ、外ハスナワチ外国ノ交信ヲ

保全スルカナク、国論時トシテ岐分シ、モツチ人心方向
ヲ定ムルナシ。何ヲモツテ政体ヲ維持シ交信ノ実ヲ著ス
べケソヤ。故ニ今日既定ノ国是ヲ全国ニ布告シ、確乎不
抜ノ官民同一ノ公義ヲ順奉シ、万ニ異説ヲ興張シ世人
ヲ煽惑スル老アレバ、スナワチコレ乱臣賊子ナり、宜シ
ク厳責ヲ加エテ国論ヲ明ラカニシ、廟議ノモツテ動カス
ベカラザルヲ知ラシムべシ。
 ソノ他理財ノ要点ヲ明瞭ニシ、歳入出ノ規程ヲ建ツル
等ハスべテ今日ノ要務ニシテ、博文ノ黙々ニ付スル能ワ
ザルモノナり。ソノ詳細ノゴトキハ、垂問ニ応ジテナオ
コレヲ上言スベシ。
   明治ニ年正月
            (『伊藤博文伝』上巻所収)


  教 育 議(資料且


 イツワり−
 詐 ヲ尚ビ利ヲ務メテ廉恥ヲ知ラズ、訟ヲ好、、、争ヲ長
ジテ情誼ヲ顧ミズ、礼譲地ニ堕チ、倫理ヨウヤク衰り。
                            タヤス
コレヲ制行ノ敗レトス。好ソデ怪僻ノ説ヲナシ、輌ク激

。2

 昂ノ論ヲ掲ゲ、人心ヲ煽動シ、国体ヲ破壊シ、禍乱ヲ醸
 成シテモツテ快トナス、コレヲ言論ノ敗レトス。コノニ
 ツノモノ、ソノ勢相ヨル。要シテコレヲ論ズル時ハ、実
 ニ風俗ノ弊ニホカナラズ。コノ時ニ当りテ教育ノ道ヲ慎
               夕〆
 ムコト、モトヨり緊要トス、但シ風俗ノ弊、ケダシ由ツ
 テ釆タル所アり。タトユバ疾ヲ治ムルガゴトシ。マズソ
 ノ病因ヲ求メテ、シカシテ後ハジメテ薬石ヲ下スべシ。
 病因明ラカナラズシテ、モツバラ病侯ニカカワルトキハ、
 剤ヲ下スニ誤ラザル老少ナシ。今弊端ノ困由スル所ヲ求
 メテ、コレヲ左ニ述ペントス、
  維新ノ際、古今非常ノ変革ヲ行ノウテ、風俗ノ変マタ
 コレニ従り。コレ勢ノヤムヲエザル老ナり。何トナレバ、
 第一鋳国ノ制ヲ改メテ交際ノ自由ヲ許シ、第二封建ヲ廃
 シテ武門ノ紀律ヲ解ク。ケダシ鎖国ノ制ハ、人心ヲ拘束
 シテ故常ニ安習シ、耳目ヲ制限シテ範囲ノ中ニ局促シ、
 他ニ企テ望ムトコPアルヲ得ザラシムモノナり。封建ノ
                 レソ〆ウ † レイ
 紀律ハ、戦国ノ余ニ出デ、土人廉隅ヲ磨礪シ、名ニ死ス
 ルヲモツテ栄トス。生ヲ計ル者ハ汚トシ、利ヲ言り者ハ
 歯セズ。シカシテ拠割ノ遺風、各藩ミズカラ限り、運輸
 通ゼズ、人民去留ノ自由ナク、郷里ニ葛死シテ郡部相移

 ラズ。コノニツノモノハ、中古数百年以来、現ニ十年前
 マデニ行ナワレタル風俗ナり。シカルニ世道一変シ、靡
 堂深ク宇内ノ大勢ヲ察シ、断ジテコレヲ行ナイ、コトゴ
 トク鎖国封建ノ旧ヲ改ム。ココニオイテワガ人民ハジメ
                     ナシユウ
 テ意ノ向ウトコPニ従イ、尋常列格ノ外ニ馳辟シ、云為
 自由ナルコトヲ得。然り而シテ一時勢ノ激スルトコロ、
                        トキ
 淳風美俗ソノ中ニアルモノモ、マタ従ツテ倶ニ亡ビタり9
 コレヲ一大原因トス。
                ●
  言論ノ敗レニ至りテハ、サラニマタ諸般ノ原因アり。
 今コレヲ列挙セソニ、新タニ世変ヲ経、兵乱相継ギ、人
 心躁急ニ習ウテ、静退ニ難シ。シカシテ詭言行ナイ易ク、
 激論投ジ易シ、コレソノ一ナり。士族ノ産ヲ失り者ソノ
 方郷ニ迷イ、不平コレニ乗ジ、一転シテ政談ノ徒トナり、
 コトサラニ激切ノ説ヲナシテ、モツテ相饗動ス。コレソ
 ノニナり。欧洲過激政党ノ論、mウヤク世変ヲ醸成シ、
 イマダ底止スルトコPヲ知ラズ。シカシテソノ影響ハ時
 ニワガ東洋ニ波及シ、唱和ヲ相為ス者アり。コレソノ≡
        ア † タ
 ナり。コノ数多ノ老ハ、前ノー大原困ヲ驚助シテ、ソノ
                     ヒト       アツ
 勢ヲ激成スルコト、ナオ数個小川ノ均シク一大川lニ衆マ
 り、ソノ流レヲ増加スルモノノゴトシ。概シテコレヲ論山

 ズルニ、風俗ノ弊ハ、実ニ世変ノ余ニ出ヅ。シカシテソ
 ノ勢ヤムヲ得ザル者アり。故ニ大局つ通観スルトキハ、
 コレヲモツテ偏エニ維新以後教育ソノ道ヲ得ザルノ致ス
                                     イカ
 トコロトナスベカラズ。タダコレヲ救ウユエソノモノ如
  ソ
 何トイウニ至ツテハ、教育ノ法モットモソノ緊要ノ一ニ
 居ルノ・`ソモソモ弊端ノ原因ハ、スデニモッバラ教育
 ノ失エアラズ、故ニ教育ハコノ弊端ヲ療スルタメニ間接
 ノ薬石タルニ過ギズ。モツテ永久ニ洒養スべクシテ、シ
 カシテ急施紛更モツテ速効ヲ求ムべカラズ。
  明治五年学制ヲ頒布セシ而釆、各地方遵奉施行、今日
     ワズ
 ニ至り繰カニ成緒ニツク。タダシソノ興立日浅ク、アル
 イハ形相ニ失シテ精神ニ欠キ、ソノ末ニ馳セテソノ本ヲ
 遺スモノアり。今マコトニ廟議ヨり出デテ、振作シテコ
 レヲ拡張シ、ソノ足ラザルトコPヲ修補セバ、文明ノ化
 ナオコレヲ数年ノ後ニ望ムべシ。ソノ教則ハ、ホボ現行
 ノ法ニヨり、シカシテ読本ノ倫理風俗ニ係ルモノハ、ソ
 ノ良書ナルヲ択シテコレヲ用イシメ、マタ教官ヲ約束シ、
 教官訓条ヲ施行シ、ソレヲシテミズカラ制行ヲ護ミ、言
 議ヲ平ラカニシ、生徒ノ模範タラシムベシ。
  サラニマタ慮ルべキモノアり。オヨソ物ソノ弊ヲ見ル

ニ当りテ、アルイハ勿遽紛更シテモツチ橋正ヲ求メ、従
 ツテマタ一偏ニ傾歌シ、他ノ弊端相困りテ生ズルモノア
 り。コレモットモ政柄ヲ執ル者ノ慎重ニセザルベカラザ
 ルトコロナり。維新ノ初メ、廟堂遠ク観深ク慮り、隋ヲ
          カタ   パソヨソ サ
 洗イ、頑ヲ破ル、ソノ歎キコト略取ヲ折クガ.コトシ。全
 力ノ致ストコPワズカニ成績ヲ期ス。今アルイハ末弊ヲ
 救ウニ急ニシテ、従ツテ大政ノ前轍ヲ変更シ、サラニ旧
 時ノ随習ヲ回護スルガゴトキコトアラバ、甚ダ宏遠ノ大
 計ニアラザルナり。モシソレ古今ヲ折衷シ、経典ヲ勘酌
 シ、一ノ国教ヲ建立シテモツテ行ナウガゴトキハ、必ズ
 賢哲ソノ人アルヲ待ツ。シカシテ政府ノヨPシク管制ス
 ベキトコロニアラザルナり。
 タダ政府深ク意ヲ留ムベキトコロノモノ、歴史文学慣
                             ’■
 習言語ハ、国体ヲ組織スルノ元素ナり、宜シクコレヲ愛
 護スべクシテ、コレヲ混乱シ、オヨビコレヲ残破スルコ
 トアルベカラズ。高等生徒ヲ訓導スルハ、宜シクコレヲ
 科学ニ進ムベクシテ、コレヲ政談ニ誘ウベカラズ。政談
 ノ徒過多ナルハ、国民ノ幸福ニアラズ。今ノ勢ニ困ルト
 キハ、土人年少ヤヤ才気アル老ハ、相競ウテ政談ノ徒ト
 ナラントス。ケダシ現今ノ書生ハ、タイティ漢学生徒ノ

。3

 

 種子ニ出ヅ、漢学生徒往々ロヲ閑ケバスナワチ政理ヲ説
    ヒジ シ川′.ゾ
 キ、皆ヲ撰ケテ天下ノ事ヲ論ズ。故ニソノ転ジテ洋書ヲ
 読ムニ及ビテマタ静心研磨、節ヲ屈シテ百科ニ従事スル
 コト能ワズ。カエツテ欧州政学ノ余流ニ投ジ、ウタタ空
 論ヲ喜ビ滑々風ヲ成シ、政談ノ徒都部ニ充ツルニ至ル。
 今ソノ弊ヲ矯正スルニハ、宜シク工芸技術百科ノ学ヲ広
 メ、子弟クル老ヲシテ高等ノ学ニツカソト欲スル老ハ、
 モツバラ実用ヲ期シ、精微密察歳月ヲ積久シ、志郷ヲ専
 一ニシ、シカシテ浮薄激昂ノ習ヲ暗消セシムべシ。ケダ
 シ科学ハ実ニ政談卜消長ヲ相ナス者ナり。モシソレ法科
 政学ハ、ソノ試験ノ法ヲ厳ニシ、生貞ヲ限り、ヒトり優
 等ノ生徒ノミソノ入学ヲ許スベシ。ソノ詳細節目ハ文部
 ノ委員ニ任ジ、按ヲ具エシムベキナり。
      (一入七九年九月、『伊藤樽文伝』中巻所収)

   枢密院帝国憲法制定会議
   開会の辞(資料V)

  ……憲法政治ハ東洋諸国ニオイテカツテ歴史ニ徽証ス
 べキモノナキトコロニシテ、コレヲワガ日本ニ施行スル
 ハ事マツタク新創クルヲ免レズ。故ニ実施ノ後、ソノ結
 果国家ノ為ニ有益ナルカ、アルイハ反対ニ出ズルカ、ア
 ラカジメ期スべカラズ。然りトイエドモニ十年前スデニ
 封建政治ヲ廃シ各国卜交通ヲ閑キクル以上ハ、ソノ結果
 トシテ国家ノ進歩ヲ謀ルニ、コレヲステテ他ニ経理ノ良
      イ カ ソ
 途ナキヲ奈何セソ。ソレ他ニ経理ノ良途ナシ、シカシテ
                                     ブ ロ
 イマダ効果ヲ将来ニ期スべカラズ。然レバスナワチ宜シ
 クソノ始メニオイテ最モ或慎ヲ加エ、モツテヨクソノ終
 りアルヲ希望セザルべカラザルナり。スデニ各位ノ蛇知
 セラルルゴトク、欧州ニオイテハ当世紀ニ及ソデ憲法政
 治ヲ行ナワザルモノアラズトイエドモ、コレスナワチ歴
 史上ノ沿革ニ成立スルモノニシテ、ソノ萌芽遠ク往昔ニ
 ヒヲ
・発カザルハナシ。コレニ反シワガ国ニアりテハ事マツタ
 ク新面目ニ属ス。故ニ今憲法ノ制定セラルルニアタりテ
 ハ、マズワガ国ノ機軸ヲ求メ、ワガ国ノ機軸ハ何ナりヤ
 ト云ウコトヲ確定セザルベカラズ。機軸ナクシテ政治ヲ
 人民ノ妄議ニ任ス時ハ、政ソノ統紀ヲ失イ、国家マタ随
 ?ァ廃亡ス。イヤシクモ国家ガ国家トシテ生存シ、人民
                 ブ ロ
 ヲ統治セントセバ、宜シク深ク慮りテモツテ統治ノ効用
 ヲ失ワザラソコトヲ期スベキナり。ソモソモ、欧洲ニオ
          キザ
 イテハ憲法政治ノ萌セルコト千余年、ヒトり人民ノコノ
 制蜜こ習熟セルノミナラズ、マタ宗教ナルモノアりテコ
 レガ機軸ヲナシ、探ク人心ニ浸潤シテ人心ココニ帰一セ
 り。然ルニワガ国ニアりテハ宗教ナルモノソノカ微弱ニ
 シテ、一モ国家ノ機軸タルベキモノナシ。仏教ニタビ
 隆盛ノ勢ヲ張り、上下ノ人心ヲ繋ギタルモ、今日ニ至り
 テハスデニ表替ニ億キタり。神道ハ祖宗ノ遺訓ニ基ヅキ
 コレヲ祖述ストイエドモ、宗教トシテ人心ヲ帰向セシム
 ルノカニ乏シ。ワガ国ニアりテ機軸トスべキハ、ヒトり
 皇室アルノ・、、。コレヲモツテコノ憲法草案ニオイテハ、
 モツバラ意ヲコノ点ニ用イ、君憲ヲ尊重シテナルべクコ
 レヲ束縛セザラソコトヲ勉メり。アルイハ君権ハナハダ
 強大ナルトキハ濫用ノ虞レナキニアラズト云ウモノアり。
一応ソノ理ナキニアラズトイエドモ、モシ果シテコレア
 ルトキハ、宰相ソノ真ニ任ズベシ。アルイハソノ他ソノ
 濫用ヲ防グノ道ナキニアラズ。イタズラニ澄用ヲ恐レテ
 君権ノ区域ヲ狭縮セントスルガゴトキハ、道理ナキノ説
 卜云ワザルベカラズ。スナワチコノ草案ニオイテハ、君
 権ヲ機軸トシ、ヒトエニコレヲ毀損セザランコトヲ期シ、
                             ヨ
 アユテカノ欧洲ノ主権分割ノ精神ニ拠ラズ。モトヨり欧
                            キ
 洲数国ノ制度ニオイテ君権民権共同スルトソノ揆ヲ異ニ
 セり。コレ起案ノ大網トス。……
     (一入入入年六月一入日、清水伸『帝国憲法
     制定会議』所収)


   全国府県会議長に対する説示(資料W)


 …:・今般発布せられたる憲法はいうまでもなく欽定憲
 法なり。けだし欽定とは諸君の熟知せらるるごとく、天
  みザノか
 子親ら定め賜うの辞にして、天子の特許して一国の臣民
 に贈与した憶うの義なり。故にこの憲法はまったく天皇
 陛下の仁意により、臣民に贈与したまいしものなるを、
 っねに諸君の心に銘して記憶せられんことを巽望す。
      ●●●●::●●●●●●●●●−●■●●●●●■●●●●●●●●●●●一●●●●■●●●●●■●●●●一●●●●
  今わが憲法制定の体式をもって他の立憲法国の憲法と
 比較するに、その問大差別の存するものあり。すなわち
 第一章に君主の大権即主権を明記するものは他国の憲法
 にその例あるを見ざるところなり。しかしてその然るゆ
 えんのものは一考ただちに了解するを得べし。そもそも
                  Åずか
 わが日本国は開聞のはじめより天皇親ら開きたまい、天

。4

皇みずから治めたまうをもって、これを憲法の首条に載
するは実にわが国体に適応するものというべし。これ他
国の憲法と大いにその構成体裁を同じくせざるゆえんな
                                      ▲」ノ
り。しかして第二章は臣民たる者のまさに享くべきの権
利とまさに尽すべきの義務とを掲げたり。想うに法律の
範囲内においてまさに臣民の享くべきの権利はおおむね
羅列して余サところなし。第三章は、天皇立法権を行な
わせらるるにあたり、あらかじめ臣民の代表者に殉謀し、
その協巽参賛を得らるるがために構成すべき集合体の制
を載す。その他条章については殊に賢弁するを要せず。
 今般発布せられたる憲法は天皇陛下の深く聖慮を労し
たまい、また充分審議を尽させたまいしところ忙して、
この憲法において日本国民たる老の享受すべき権利の墳
域ははなはだ広汎忙して、普通憲法学上よりこれを論ず
るもほとんど完全なりというもあえて不可なかるべし。
 それ議会を開設して政治の得失を誘するの必要如何を
問えは、第一におよそ法律を制定するは臣民の代表を待
         と
 って衆謀を詞うを要し、第二に国家の歳計すなわち歳出
 入を定むるは衆言を聴くことを要す。けだし国庫の歳入
 は臣民より致するの租税より成立し、歳入は国家生存の
                       ↓J■
 ために必要なる需給に充つべきものなるをもって、均し
 く議会に謁謀してその議決を経るを要す。これすなわち
 議会を開いて政治の得失を議せしむるの最大効力なり。
 しかしてわが憲法中このニ個の最大要素は整然として備
 わるところあるを見るべし。
 次に政府はいかなるものなるかといえば、すなわち政
 府は天皇陛下の政府なりと云わざるべからず。わが政府
 は主権の存するところに支配せられ活動すべきものたり.
 けだしわが国の主権は天皇陛下の玉体に集合するをもっ
                                      と
 て、百揆の政みなこれを至尊に総べてその綱領を携らる
             ひと
 るなり。宰相のごときも独り天皇陛下の任免したもうと
 ころ忙して、あえて他の千預を待たず。しかして宰相は
 国政を行なうにおいてその責任を負わざるべからず。す
 なわち責任宰相たらざるべからざるなり。これもまた憲
 法学上において種々議論あることなれども、わが国将来
                     へいえん
 の政体においては責任宰相たることはすでに柄焉として
 さらに疑いを容るるの地なしというて可なり。
 予は論点を前に施し主権について一言せん。そもそも
 主権においては欧米学者の説くところ数沢に分れ、いま
 だ全く帰一せるところなしといえども、饗封ぞの国の歴
 史人情風俗等の異なるよりおのおのその国の成立を同じ
 くせざるをもって、主権の帰着に差違あるは各国みな然
 り−′トうべし。しかしてあるいは君主国と称するも主権
 必ず君主に存せずして、かえって君民の間にあるものあ
 り、あるいは主権民にありというもその実しからざるも
 のあり、かの共和国にありては主権全く人民にありとい
             かいぴやく
 えども、わが国のごときは閑蹄以来の歴史と事実とに致
 して主権は君主すなわち王室に存し、いまだかつて主権
 の他に移りたるの事実なく、また移るべきの道理あらざ
 るなり。これをもって憲法すでに定まり、人民はその範
 囲内において各般の権利を享受することを得るも、これ
 をもって主権人民に移れりと思わば、これ謬見の最も大
 なるものなり。何となれば臣民の権利を規定せらるるも、
 主権は依然天皇陛下の有したまうところなれはなり。試
 みに国家学の大体より論ずるも、一国といわば国家を為
 す施のならざるべからず、しかして国家庶般の権力は主
 権者の総捜するところたり。欧洲においても中古主権論
 の薫々たる時にあたり、モソテスキュウのごときはかの
 三権分立の説を主張したり。けだし三権分立とは諸君の
 了知せらるるごとく、立法司法行政の三権を三個の検閲
としておのおの独立せしむべしというにあり。 しかして
 はんきん
挽近の学者が学術上に教え事実に致して唱導するところ
 の説においては、主権は帰一にして分つべからずという
にあり。たとえば人身の四支百骸ありて、しかして精神
 の経路はすべてみなその本源を首脳にとるがごときなり。
 これをもって今の時にあたり主権を講ずるの学者は、お
おむねみな主権の分割すべからず、必ず帰一せざるべか
らざることを唱導せざるものなし。しかしてこの学説の
たまたまわが国体に基づくところの主権の解説と相投合
     あに
するもの童故なしとせんや。すでに主権は帰一忙して分
         ひと
割すべからず、独り君主の一身に存する以上は、国家の
官吏たるものの動作は主権これを為さしむるなり。故に
行政各部の活動は主権の委任権に過ぎずして、けっして
固有のものにあらず。故に官吏の動作は委任権にして、
行政各部の機関は支派をわかちおのおの定分を有して独
立に運動するの機能を有するにかかわらず、帰一の主権
は君主の総捜せらるるところなり。これをもってたとい
議会を開き公議輿論の府となすも、主権はただ君主の一
身に存在することを遺志すべからず。
 しかりといえどもすでに窓法をもって立法権の活用を

。5

 規定せらるる以上は、天皇固有の大権を施用せらるるに
        しゆ九ノそぇノ
 あたりては謀議周匝を旨とし、輿論の公平を期し、もっ
 て臣民と和同してこれを行なわせらる。これ憲法の約束
 なり。然れども将来如何の事変に遭遇するも、日本にお
 いては開聞以来の国体に基づき、上元首の位を保ち、没
 して主権の民衆に移らざることを希望してやまざるなり。
  それ憲法は永遠不磨の宝典たるをもって、その規定す
 るところは天皇陛下も官吏も人民も等しくその範囲内に
 おいて享くべきの権利にょっておのおのその働きをなし
 て、もって一国の幸福を増進することを期せざるべから
 ず。これ、天皇陛下の大典を親裁して天下に宣布したも
 うゆえんにして、要ただ上下和同して内は一国の康福を
 増し、外はわが国威を張るの叡慮にあらせらるるは昭々
 たり。故に今憲法発布の盛事を歓呼し、その権利を暁知
 するとともに天皇陛下の至仁至愛の叡慮に対し奉り、そ
 の聖慮を奉戴せんこと全く余が真望に堪えざるところな
 hソ。
  おょそ一国の事を分析すれば、政治上にもせょ、また
 人民の営業上にもせよ、おのおのその利害得失を異にす
 る点より、これを利とし、かれを害とするは数の免れざ
                  つな
 るところなり。もとよりその得失の繋がるところをもっ
 て分岐するは妨げずといえども、その帰着する点は一国
 の和同ならざるべからず、聖天子の御心もまたこれにほ
 かならざるなり。ゆえに異日憲法の実行を観るの日にお
 いて、代表者を出して政治に参与せしむるも国家の存続
 すなわち君民間調和の切要なることを遺志すべからざる
 なり。諸君はおのおのその住居する地の相異なるに随い、
 その人情風俗利害得失の異同あるも、君民調和の一事に
 至っては常にその心を一にせざるべからず。この点につ
                 ■▲
 いては余は諸君のカに侍り、ようやく諸君の郷里の人々
              あわ
 をしてこの心を養わしめ、併せて今余の述べたる聖天子
 の叡慮を伝えられんことを深く希望せざるを得ず。
  次に予は政党に論及せんとす。すでに各地の人情風俗
 等を異にしおのおのその利害を同じうせざるの点より、
 府県会といえどもなおかつ小党派の存するを見る。いわ
 んや憲法を設け議会を開かんとするにあたり、党派の起
 るは人類群集の上において免るべからざるの頼なり。し
 かれども他日国家の政事を臣民代表者の議決に付するに
 あたっては、その利害は一府県の利害得失にあらずして、
     ひい
 すなわち延て全国の利害得失となるペし。故にいやしく
 も帝国議会の議員たるものは、自己の撰挙せられたる一
 部の臣民を代表するにあらずして、全国の臣民を代表し、
           きよくせき
 あえて郷里の利害に蹄蹄せずして、あまねく全国の利害
 得失を洞察し、もっぱら自己の良心をもって判断するの
 ▲覚悟なかるべからず。
  しかりといえども互いにその意見を異にするに至って
 は勢い党派を生ずべし。けだし議会または一社会におい
 て党派の興起するは免れ難しといえども、一政府の党派
 は甚だ不可なり。予はいささかここに学問上の講究を為
 さざるを得ず。そもそも欧洲の党派のごときも一利一害
 ょりしてその党派の争いをなすや、もとより政治上の主
 義目的あるを要すといえども、事々物々にその目的を予
 定するものにあらず。なんとなれば時と場合とにより政
 府はこれに適応するの処置を施さざるべからざるの責守
 あるものなればなり。ゆえにいやしくも政府たるもの、
 そはかの党の為なりこはわが党の為なりとして自党を庇
 護することあるべからず、かえつて政府はわが国威を宣
                           おも
 揚し内に対しては臣民一般の幸福を増進することを念わ
 ざるべからず。これ政府当行の責守にして政府そのもの
 の固有の義務なりとす。あるいは自党の唱道するところ
 も時ありてこれを排撃せざるを得ぎることあるべし。そ
 の遭遇したる時梯と場合とに依りては、かくのごとき処
 置を要するほけだし勢いの免れざるところなり。およそ
 政党政府の国を観るに、称すべきものははなはだ稀なり.
 すでに前に述べたるごとく、わが国において主権はこれ
 を至専に帰するをもって、天皇陛下は全国を統治したま
                        ほ ひつ
 い、宰相は天職を行なわせらるるについての補弼たるの
 み。しかしてその補弼たるの任に至っては一定の分義な
 かるべからず。けだし君主は臣民の上に位し、各政党の
 外に立つものなり。故に一の党派のために利を与え他の
 党派のために害を与うるの政治を施すべきものにあらず、
 すなわち不偏不党ならざるべからず。また宰相は可否献
 替して天職を補佐し奉るものなるをもって、政府をして
 常に党派の左右するところたらしむるはまたはなはだ容
              ひもど
 易ならず。欧州の歴史を播きて党派政府の跡を見るに、
 常に一の党は必ずこれを行ない、必ずかれをしりぞくと
 いう一定不動の主義を採るにあらず。時としてはただ人
 民の東西に分れて互いに勢いを制せんとするの観なきに
 しもあらず。試みに党派政府をもって称せらるる英国の
 内閣更迭の跡についてこれを観るに、必ずしも道理にの

。6

 み支配せらるるにあらずして、多くは偶然勢いの然らし
 むるものなりと認むるもあえて不可なきがごとし。しか
 してその国の事情に照らせば場合にょりては党派政府の
 利なることあり、また全く然らざることもあるべし。こ
 の事たるやわが国においてもまた今日に至るまですでに
一の問題たりしをもって、憲法発布の後にありては大い
 に考慮すべき事項なるを信じ、予は予の所見を腹蔵なく
吐露するなぺ畢尭党派は民間にありてはやむを得ざる
‥結果なりといえども、これをもって政府にまで及ぼすは
 難事なりと思考せざるを得ず。将来の大勢はよく一人の
 抑制し、または作為し得べきところにあらざるをもって、
 容易に確言するを得ずといえども、憲法の規定するとこ
 ろを投じ、議会の前途を考うるときは、わが天皇陛下は
      ふ
 九五の位を賎みて大政を統治したもうというにあり。欧
                す
 洲一種の学者中には王は一国を統ぶるもナ国を治せずと
 噌うるものあり、英国の政体はすなわちこれなり。わが
 日本の政体において天皇はいっさいの国権を総捜してこ
 の国を統治したもうをもって、宰相の進退一に勅裁に出
                 かな  しか
 ゼぎるべからず。もとより衆望に協うと香らざると、ま
              A止Tか
 た鰭不能とのごときも陛下親ら裁鑑したもうところなり∧

 しかして宰相は一国の任を帯び国家の安危を担うに堪う
 るの材能を挙用せらるべきはまた論を待たぎるなり。今
 後議会を開き政事を公議輿論に問わんとするにあたり、
 にわかに議会政府すなわち政党をもって内閣を組織せん
 と望むがごとき最も至険のことたるを免れず。けだし党
.派の利を説くもの少なからずといえども、すでに一国の
 基軸定まり、政治をして公議の府に拠らしむには充分の
 カを養成するを要す。もしこの必要を欠きて容易に国家
 の取木を揺撼するがごときことあらば、将来の不利はた
            ひそか
 して如何ぞや。これ予の私に憂慮するところなり。諸君
        ねがわ
 においてもまた希くは予が誠意正心をもって叙述したる
 言語を岨噂翫味せられんことを。おょそ一国の利害得失
 は政府のなすところに関係するもの多し、しかして政府
 の常になすべきことは国内を同一視して偏頗なきにあり。
 その第一の要はこれを公けにすること、次にその人物の
 カにょること、これなり。けだし一国の責任を負うこと
 これを口にいうははなはだ易しといえども、実際にこれ
 を行なうははなはだ難し。国民たるものょくこの難事を
 察せず、ついに平和を望んで平和を破るの極に陥るごと
 きことあらば、実に一国の不幸なり。予は信ず、今ほ篭

 洪政治の初歩の日なり、りもし今日にして不幸にも進路を
 誤るときは異日の安固を期すべからざらん。諸君はいや
 しくも一府県民の望みを負うて議員となり、またその中
  つ
 に就き推されて議長となりたる人々なるをもって直ちに
 解せらるべし。予不肖といえども国家の幸福と人民の安
   ねが
 寧を希う一片の赤心をもって諸君に告ぐ、世上ややもす
 れは藩閥政府と云い、また蔭長政府と説き、今の当路者
 は、水久その地位を保たんことに恋々するかごとく評する
           し ま
 ものあるも、これ指摩のはなはだしきものなり。試みに
 維新以還今日に至るまでニ十年間政府の施措したる事業
 を寂ればおのずから釈然たるべし。しかして、もとより
 その間意のごとくならざるもの多しといえども、維新の
   たす
 大業を科けたる者にして、いやしくも一身の安黍を謀る
 の意に出でざるはまた明らかならん。今在廷の官員すな
 わち予の同僚の各大臣はみな皇室を重んじ、国家を重ん
 じ、人民を重んじ、国家人民のためにその身心を致す者
 なるは予の深く信ずるところなり、また職務上かくのご
 とくならざるを得ざるなり。また維新以来経理したる事
 業の一を指点せば、かの一般の教育を奨励したるごとき
 ほ政府の恵まったく人材を陶冶せんことを願うにあり、
 あに人民を抑圧しておのれ永く靡要の地位を占めんと欲・
 するものあらんや。かくのごときことはひとりわが政府.
 の目的ならざるのみならず、今日国家を経理するにおい‘
 て為し能わざるところなり。わが国ニ十年来長足の進歩
 をなしたるは事実に徹して疑いなきなり。試みに回顧し
 てニ十年前の日本と今日の日本とを比較せば、おそらく・
 は別乾坤の感あらん。今後この方針に従い上下相待って}
 誤ることなく相共に臣々として進歩するときは、つい狩
 吾人の国家に対する最大目的を達するに至るべし……。
    (一入入九年ニ月一五日枢密院議長官舎における・
    全国府県会議長に対する説示。指原安三 「明治政卜
    史」『明治文化全集』第一〇巻正史篇(下)所収)1



   立憲政友会宣言・綱領(資料X)


      宣  言

  帝国憲法ノ施行スデニ十年ヲ経テソノ効果見ルベキモ
 ノアりトイエドモ、憲法ヲ指導シテヨク国政ノ進行ニ一声

。7

 献セシムルユエソニ至りテハ、ソノ道イマダ全ク備ワザ
 ルモノアり。スナワチ各政党ノ言動、アルイハ憲法ノス
 デニ定メタル原則卜相拝格スルノ病イニ陥り、アルイハ
 国務ヲモツテ憲法ノ私ニ絢スルノ弊ヲ致シ、アルイハ宇
 内ノ大勢ニ対スル稚新ノ宏謹卜相容レザルノ随ヲ形シ、
 外帝国ノ光輝ヲ揚ゲ、内国民ノ俺信ヲ繋グニオイテ、多
 ク遺憾アルヲ免レザルハ、博文ノ久シクモツテ憂イトシ
 タルトコロナり。今ヤ同志ヲ集合シ、ソノ連行スルトコ
            タ〆
 Pノ趣旨ヲモツテ世ニ質スニアクり、イササカ党派ノ行
 動ニ対シテ予ガ希望ヲ被陳スべシ。
  ソモソモ閣臣ノ任免ハ憲法上ノ大権ニ属シ、ソノ簡抜
 択用、アルイハ政党員ヨりシ、アルイハ党外ノ士ヲモツ
 テス、ミナ元首ノ自由意志ニ存ス。シカシテソノスデニ
 挙ゲラレテ輔弼ノ職ニツキ、献替ノ事ヲ行ナウヤ、党員
 政友トイエドモ、決シテ外ヨりコレニ容喚スルヲ許サズ。
 イヤシクモコノ本義ヲ明ラカニセザラソカ、アルイハ政
 機ノ運用ヲ誤り、アルイハ権力ノ争奪ニ流レ、ソノ害言
 りべカラザルモノアラソトス。予ハ同志ヲ集ムルニオイ
 テ、マツタクコノ弊風ノ外ニ超立セソコトヲ期ス。オヨ
 ソ政党ノ国家ニ対スルヤ、ソノ全力ヲ拳ゲ、三息公ニ奉
 ズルヲモツテ任トセザルべカラズ。オヨソ行政ヲ刷振シー
 テモツテ国運ノ隆興ニ伴ワシメソトセバ、一定ノ資格ヲ
 設ケ、党ノ内外ヲ問ウコトナク、博ク適当ノ学識経験ヲ
 備ウル人才ヲ収メザルべカラズ。党員クルノ故ヲモツア
 地位ヲ与ウルニ能力ヲ論ゼザルガゴトキハ、断ジテ或メ
 ザルべカラズ。地方、モシクハ団体利害ノ問題ニ至りテ
 ハ、マタ一ニ公益ヲモツテ準トナシ、緩急ヲ按ジテコレ
ガ施設ヲ決セザルベカラズ。アルイハ郷党ノ情実ニ撃、、l
 アルイハ営業ノ請託ヲ受ケ、与ウルニ党援ヲモツテスル
 ガゴトキハ、マタ断ジテ不可ナり。予ハ同志卜共ニカク・
 ノゴトキノ隈套ヲ一洗セソコトヲ希り。
 政党ニシテ国民ノ指導タラント欲セバ、マズ・、、ズカーア
 戒筋シテソノ紀律ヲ明ラカニシ、ソノ秩序ヲ整エ、モッ
                                   ヒソカ
 バラ奉公ノ誠ヲモツテ事ニ従ワザルベカラズ。博文窃ニ
     ハカ
 ミズカラ指ラズ、同志卜立憲政友会ヲ設ケ、モツテ党派l
      アラタ
 ノ宿弊ヲ革メソコトヲ企ツルモノ、区々ノ心、イササカ
 帝国政治ノ将来ニ碑補シテ報数ヲ万一ニ希図セントスル・
ニホカナラズ。ココニ会ノ極月トスル要領ヲ具シ、モツー
エア天下同感ノ士ニ問り。
 明治三十三年八月ニ十五日 侯爵 伊藤博文

      綱  領

  余ラ同志、ココニ相謀りテ立憲政友会ヲ設ケ、忠誠モ
 ツテ皇室ニ奉ジ、国家ニ対スル臣民ノ分義ヲ尽サント欲
 ス。ソノ趣旨トスルトコロノ要領左ノゴトシ。
 一、余ラ同志ハ、意法ヲ恰守シ、ソノ条章ニ循由シテ統
  治権ノ施用ヲ完カラシメ、モツテ国家ノ要務ヲ挙ゲ、
  モツテ各箇ノ権利自由ヲ保全セソコトヲ期ス。
 ニ、余ラ同志ハ、維新中興ノ宏謹ヲ遵奉シ、コレヲ翼賛
  シテモツテ国運ヲ進メ、文明ヲ扶植スルコトヲ勉ムべ
   シ〇
 三、余ラ同志ハ行政ノ機能ヲ完全ニシテ、ソノ公正ヲ保
  タソコトヲ望ミ、選叔ヲ精ニシ、緊縛ヲ省キ、責守ヲ
  明ラカニシ、紀律ヲ正シ、処務ヲ敏活ニシテ、時運ノ
  進歩卜相伴ワシメソコトヲ謀ルべシ。
 四、余ラ同志ハ、外交ヲ重ソジ、友邦ノ誼・、、ヲ厚クシ、
  文明ノ政モツテ遠人ヲ侍安セシメ、法治国ノ名実ヲ全
  カラシメソコトヲ努ムべシ〇
 五、余ラ同志ハ、中外ノ形勢ニ応ジテ国防ヲ完実スルヲ
  必要トシ、常ニ国力ノ発達卜相伴行シテ国権国利ノ防
  護ヲ充全ナラシメソコトヲ望ム。
 六、余ラ同志ハ、教育ヲ振作ツ、国民ノ品性ヲ陶冶シ、
                         い とく
  公私各々国家ニ対スル負担ヲ分ツニ耐ウルノ喪徳良能
                     カメ
  ヲ発達セシメ、モツテ国礎ヲ牢クセソコトヲ希り。
                 スス
 七、余ヲ同志ハ農商百工ヲ奨メ、航海貿易ヲ盛ソニシ、
                                       カタ
  交通ノ利便ヲ増シ、国家ヲシテ経済上生存ノ基礎ヲ撃
  カラシメソコトヲ欲ス。
 八、余ラ同志ハ、地方自治ヲシテ隣佑団結ノ実アラシメ、
  ソノ社会上オヨビ経済上ノ協同ヲ完全ナラシメソコト
  ヲ図ルべシ。
 九、余ラ同志ハ、国家ニ対スル政党ノ責任ヲ重ソジ、モ
  ツバラ公益ヲ目的トシテ行動シ、常1て、、ズカラ或鋲シ
                   ツlr
  テ宿弊ヲ襲ウコトナキヲ晶ムべシ。
              (『伊藤博文伝』下巻所収)


   日韓協約交渉(資料Y)


 大使 博文はここにわが天皇陛下の勅旨を奉じて使命の
  大体を陳奏せんとす。そもそも去る十八年天津に赴き、

。8

 清国政府と韓国の地位を決充するに当って、李鴻章は
 韓国虚名の属国を改めて名実具体の属国に引直さんこ
 とを主張せり。=…・外臣おもえらく、もしそれ清国を
 してその主張のごとく韓国を純然たる属邦として彼に
帰せしめんか、その前途ついに露のために併合せらる
 るの虞れなき能わず。ゆえに我は絶対にこれを拒絶し、
貴国の独立を堅持してこれを貫き、ついにかれをして
 その非望を遂げしめず。
 ニ十七年に及んで…=・日活両国の戦闘となり、清の
 ほいじく
故地後、馬関の講和条約成るや、我は韓国百年の計を
 投じ、竜東の地を清より一旦割譲せしめたるも、露国
 はこれに故障を鋏み、他ニ国を率いていわゆる三国干
渉を試み、ついに我をして遼東の占有を徹せしめたり。
爾来露の態度はようやくその欲望を増進し、…=・明ら
 かに韓半島を海陸包囲の中に掌握し、その併呑の実全
く備わるを見る。誰か貴国のために寒心せざらんや。
 また突に東洋安危の繁るところ、すなわちこれわが日
 本が…=・発を執りて起ちたるゆえんにして、しかして
 今やその戦勝の結果、貴国の領土を保全したるは事実
 の示すところ、また天下公論の均しく認むるところな

 り。その間貸国においてたまたまわが措置に対し、多
 少の苦痛また多少の不満ありとするも、そは免れざる
 ところ忙して、けだしわが国の心労を察し、これを忍
 ばるるにおいて、篭も過当と認むるを得ず。それ韓国
       よ
 の領土は因ってもって全きを得たり。東洋平和は今や
 克復せられり、しかりといえども、なお進んで平和を
 恒久に維持ユ、東亜将来の滋端を杜絶せんがためには、
 両帝国問の結合を一層撃固ならしめんこと極めて緊要
 なりと認められたるわが天皇陛下は、特に博文を流し
 陛下に接近してその要件を親しく伝えしめらる。その
 方法に至っては政府に命じてこれを確立せしめらるる
 ところあり。すなわち貴国における対外関係、いわゆ
 る外交を貴国政府の委任を受け、わが政府みずから代
 ってこれを行なうにあり。その内政すなわち自治の要
 件に至っては、依然として陛下御親裁の下に陛下の政
′府これを行なうて少しも従前と異なるところを見ず。
 これ第一東洋の禍乱を根絶し、第二貴皇室の安寧と尊
 厳とを堅実に保持し、第三国民の幸福を増進せんとの
 善意的大義に基づくゆえんなるをもって、陛下は宇内
 の地勢を察し、国家人民の利害に顧み、直ちにこれに

  御同意を与えられんことを望む。
       もた
 韓皇 卿裔らすところ使命の趣を諒とす。また貴国皇帝
                 ご しんねん
  陛下がわが国に対せらるる終始御珍念の厚きに想到し
  深く感謝す。さりながら対外関係委任の一事、あえて
  これを絶対に拒否するにあらずといえども、要はただ
  その形式を存し、内容のごときに至ってはいかに協定
  せらるるにせょ、断じて異議なきところなり。
 大使形式とはいかなる意味なるや。硝謂謂柁娼詣畑
 払おょそ外交には形式内容の区別あるものにあらず。
  貴国の外交にして依然現状を維持せんか、領土に関す
  る国際関係等その他錯雑なる滋端を惹起し、再び東洋
  禍乱の基をなすを免れず。これ極めて危険にしてわが
  国の忍ぶべからざるところ、ゆえにこの横において日
  本は断じて貴国の外交を代って処弁するの必要を認め、
  事ここに至りしものにして、己往の事歴に鑑み百方考
  慮の末に出づ。今や牢としてこの断案は動かすべから
  ざるものなり。博文今その写しを携う、ここにまずこ
  れを陛下の御内覧に供せん。=…・
 韓皇詑娼地謂朕が卿に依頼するところはわが臣僚
           けんけん
  以上にして、常に春々の念に堪えず。===しかるに、

  今その使命の基、、つくとこるnいわゆる外交委任のこと
                              オーストり′−
  のごとき、その形式をも存せずとせば、必克境地利・
   ハソガりI
  旬牙利の関係と等しく、もしくほ最劣等国、例せばか
        ア フ H′ カ
  の列国が阿弗利加に対すると同一の地位に立つの感な
  きか。
 大使博文つとに陛下の殊遇をか別けぐす。故に此次また
  貴皇室ならびに国家のため謀って忠実なるもの、あえ
  て陛下を欺きわが国のため利益をただこれ計らんとす
                            ハソ
  るものにあらず。しかして輿旬関係のごときすでに句
  ガサー
  牙利に皇帝なるものなし、しかして輿国併せてこれを
  主宰す。日韓両帝国がおのおのその君主を有し、その
  独立を維持するものと日を同じうして語るべからず。
        ア ブ ■y カ
  はたまた阿弗利加に至っては、ほとんど独立国として
  生存する国あることなし。これらをもって日韓関係の
  上に引用せられんとするがごときは、妄想もまたはな
  はだしきものにして、比較当を失するの極にあらずや9
  それ日韓の関係は前に詳述したるがごとく、ただ一に
  東洋禍乱の根砥を杜絶せんとの璧息より、帝国政府は
  貴国の委任を受け、外交を担任するにありて、その他
  いっさいの国政に至っては、もちろん貴政府の自治に

 

。9

 放任するがゆえに、なんら国体上に異動を生ずるもの
                     とく
 にあらず。その辺の利害を篤と御了解相成ること肝要
  なり。
韓皇 日本政府の意思のあるところおよび卿の忠言あえ
 てこれを諒とせざるにあらずといえども:==ただその
 形式の幾分を存することについては、卿の斡旋尽力に
 待たんとす。捌充分考慮を加え、朕が切実なる希望を
 貴皇室おょび政府に致さば、多少変通を見るを得べき
  か。
大使 本案は帝国政府が種々考慮を重ね、もはや寸竜も
 変通の余地なき確定実にして、さきに成立したる講和
 条約の初項に宣朗し、なお進んで貴国の国境における
 兵備の規定、おょび露国人の貴国に在るものの取り扱
 いぷりにまで立ち入って協定したるほどなれば、その
 講和の目的の上に顧るも、重きをなすものにして、断
 じて動かす能わざる帝国政府の確定議なれば、今日の
 要はただ陛下の御決心批仰に存す。これを御承諾ある
 ともまたあるいは御拒みあるとも御勝手たりといえど
                        な へん
 も、もし御拒み相成らんか、その結果ははたして郵辺
 に達すべきか、けだし対外関係上貴国の地位は将来非

 常に困難なる境遇に陥り、一層不利益を釆たすことを
 覚悟せられざるべからず。
    ●●●−●●●●●●●■●●●●●●●●●●一●一●●●●■●●●●●●●■●●●●●■●●●一●●■●●●●●●
    (一九〇五年一一月一五日、韓国皇帝に日韓協
    約実について説明。『伊藤樽文伝』下巻所収)