詩人とジャーナリスト


 故芥川龍之介君は、自ら詩人を以つて任じ、且つジャーナリストと自称して居た。芥川君の意味によれば、詩人とジャーナリストは同字義になるからである。
 ジャーナリストと言ふ言葉は、本来の正しい語義に於ては、必ずしも月刊雑誌や新聞の記者編輯人を言ふのではない。ジャーナリストの本質的な使命は、単にニュースを報伝するといふのでなく、筆説によつて時代を指導し、文化の新しい思潮を批判し、所謂「社会の木鐸」たる責務を果す事にある。所で詩人の本分もまた、単なる韻文作家に止まるのではない。言語の正しい意味で言はれる詩人とは、時代思潮の先導に立ち、文化を指導し批判するところの人々を言ふのである。即ち「詩人」と「ジャーナリスト」とは、言語の本質上の意味に於てシノニムである。
 それ故に外国に於て、詩人は常に実際のジャーナリストであつた。即ち例へば、十八世紀末の世界思潮であつた浪漫主義の運動は、ゲーテ、バイロン、ユーゴー等の詩人によつて指導された。自然主義の新思潮は、ゾラやモーパッサンよりも早く、実際には高踏派(パルナシアン)の詩人群によつて先導された。象徴主義もさうであつたし、表現主義や超現実主義の新思潮も、すべて皆詩人を先導にしてジャーナルされた。そしてこの事情は、日本に於ても或る時代まで同じであつた。即ち人も知る通り、明治初年から中期にかけての、あの溌剌たる浪漫主義の新思想は、与謝野鉄幹、高山樗牛、登張竹風、北村透谷等の詩人、もしくは詩人的精神の文筆者によつて指導された。特に就中、与謝野鉄幹は雑誌「明星」を発行し、それのジャーナル刊行物によつて一世を指導した。明治後期から大正期にかけての文壇は、主として森鴎外、上田敏、北原白秋等の諸氏によつてジャーナライズされた。白秋氏は勿論のこと、鴎外、上田敏の諸氏もまた詩人であり、単に詩を愛好するばかりでなく、自ら実際に詩作されたところのポエトであつた。そして彼等の雑誌「スバル」が当時の文壇的新思潮を主宰して居たのであつた。
 しかしながら日本の詩人は、森、上田両氏の死後、全く文壇的圏外に追ひ出されて、不本意にも孤立の不遇を忍ばなければならなくなつた。その理由の一つは、高山樗牛や森鴎外等の如き、文壇に重厚な権威を有する詩人的評論家が、爾後の日本に全く生れなくなつた為でもあるが、一には主として、社会経済組織の変化からして、ジャーナリズムが文学者の手を離れて、商業出版業者の手に移つた為である。既に商人の手に移つたジャーナリズムが、文学の純真な本道と背馳することは言ふ迄もない。彼等の商業ジャーナリストが、如何にマルキシズムの新思潮を紹介し、如何に二十世紀のモダーン文化を宣伝しようとも、これ皆算盤の割り出した計算であり、利益の為の際物プロパガンダに過ぎないのである。真の正しい文化思潮が、それによつて指導され得る筈はないのだ。
 かうした商業ジャーナリズムの支配する時代に於ては、彼等の算盤に迎合さるべく、キハモノの煽情的な流行思潮や、大衆向に読者の多い伝統的文学や、わけてもその時々の編輯都合で、記者の目先の新しく変はる方へと、絶えず小利口に気をくばつてるやうな文学者(商人的に抜目のない文学者)だけが、いつも極まつて登龍し、ジャーナリズムの表皮に乗つて羽振りを利かして居るのである。真の純真な文学者は、かうした時代に不遇であり、自ら昧まして山に隠れる外はない。況んや自尊心高き詩人等が、今日の如き時代に於て、世を白眼現して孤高に超然とするのは当然である。
 詩人といふ存在は、文化の雰囲気に張られたアンテナであり、電波の受信機みたいなものである。詩人の神経は鋭敏である。しかしながら彼の言葉は、常に「暗号」でのみ書かれてゐる。それは翻訳されねばならない、翻訳されない限りに於て、詩人の言葉はナンセンスである。しかも今日の文壇には、それを翻訳する人がないのである。そこで今日の日本の詩人は、受信機の無い宇宙に向つて、無益にラヂオの電波を放送して居る。そして彼等が、最後にその無益を知つた時に、自ら馬鹿らしくなつて止めてしまふ。今日の日本では詩人が生育できないやうな事情にある。日本の詩人は不幸である。だがもつと不幸なのは、詩人によつて指導されず、商人によつて指導されてる文壇である。
 商人と相場師とは、ニュースの第一号外を一番先に読む人種である。世界の新しい変動は、だれよりも先に彼等が最もよく知つてる。だがその新しい知識の故に、彼等は文化を指導し得ない。なぜなら文化の指導原理は、相場師的なニュースの知識でなくして、実の崇高な精神と感覚にのみ存するから。詩人は常に、新しい文化に於ける最初のヒントを啓示する。そして且つ、実の最も崇高な精神を高調する。一国の文化と文壇とが、もし詩人によつて指導されず、商人や相場師によつてジャーナライズされるとすれば、その国の文化的発展は絶望であり、無意味な暗黒の中に低迷中絶する外はない。
 再度明治時代の如く、詩人をジャーナリストの位置に取りかへせ、新しき与謝野鉄幹を呼びかへせ。そして初めて文学の崇高なる精神と文壇の健全なる発育とが望めるだらう。