詭弁を戒む

      若き詩人のために

 今の若い人の議論をよんで感ずることは、詭弁が多すぎるといふことである。そこで先づ、詭弁と逆説との相違を述べる必要がある。なぜなら詭弁と逆説とは、しばしば誤つて混同されるほど、大いに似て大いに非なるものであるから。
 逆説とは、議論を説明風に平叙しないで、弁証論的に裏返して言ふ説である。昔ギリシァのツェノーンといふ人は、イソップ物語にある兎と亀との競争で、亀がもし一歩先に出発したら、兎が後から追ひかけても、永久に追ひつかないといふ説を立てた。その同じ数千年の昔に、支那の公孫龍といふ哲学者は、白馬が馬に非ずといふ説を立てて世を驚かした。当時の人々は、彼等を称して「詭弁家」と呼んだ。しかし実際のことは、決して詭弁を弄したのではない。これが即ち「弁証論」といふのであつて、通俗に言ふところの「逆説」なのである。そこでツェノーンと公孫龍とが、西洋と東洋とに於て、共に弁証論の元祖と言はれてる。すべての逆説は此処から興つた。
 逆説の最も代表的な思想体系は仏教である。仏教では善と悪を同じだといひ(善悪一如)、賢と愚を無差別だと言ひ(賢愚無差別)、有と無とを一如だと言ふ(色即是空・空即是色)。特に親鸞の如きは「善人尚もて往生す。況んや悪人をや。」と、普通の常識の逆を言つてゐる。ソクラテスもまた有名な逆説家であり、「悪と知つて悪事をするのは、知らずして悪をするよりも優る。」と言つてゐる。これもまた常識の反対であり、そのため親鸞と共に誤解され、親鸞と共に迫害された。逆説といふものは、それの弁証論的真意を理解し得ない人々にとつて、いつも奇矯な邪説として、不都合な危険思想として敵視される。ニイチェの如きもその為め「道徳の破壊者」といふ悪名を張札された。世人は逆説を理解しない。それ故に歴史上でも、逆説家に迫害はつきものである。
 ところで藝術といふものが、本質的に見てまた一つの逆説である。藝術の掲げるモラルは、常に常識道徳の反対であり、学校修身の逆を書いてゐるのである。(それ故にまた藝術家は、常に政府や民衆から迫害される。)すべての藝術家は逆説家であり、逆説家であるのが普通である。藝術が逆説を持たなかつたら、それは詰らぬ常識にしか過ぎないのである。藝術の世界に於て、逆説を排すべき理由は絶対にない。しかしこれと似て非なるもの、即ち「詭弁」を排斥しなければならないのである。
 詭弁とは何だらうか? 詭弁の定義は一言で尽く。即ち自己の信じて居ないことを、議論の上でだけ論ずるのである。昔ギリシァのソフィストと呼ばれた人たちは、朝に富豪の宴会に行き、人生の意義は物質の快楽に尽くと演説しながら、夕に貧民の群に立つて、生の意義は無所有の徳にあると説教した。彼等はその博識と聡明さで、論理を縦横無尽にうまく使ひ、白を黒と弁証したり、馬を鹿と言ひ曲げたりして、あらゆる奇抜な奇説を立てた。その限りに於て、彼等はソクラテスの徒と同じく、逆説的な弁証論者であつたのである。しかもソクラテスが彼等を敵として戦つたのは、彼等一味の学者たちが、自ら心に信じて居ない嘘のことを、単に議論の上で弁証的にロヂックづけ、信仰もなく良心もなく、単に「議論のための議論」をし、「奇説のための奇説」を弄して居たからである。つまり彼等は、奇説によつて世人を驚かし、自己を売名しようとすることを動機にした。真理の追求に殉教した義人が、彼等を「詭弁家」として憎んだのは当然である。
 かくの如く詭弁家とは、自己の心に確く信じて居ないことを、何等かの目的や手段のために、強ひて弁証的にロヂックする人々を言ふのである。それ故に例へば、政党的な議員や政治家の言ふ言葉は、たいてい皆詭弁である。彼等はその政敵を失脚させる目的からは、自らよく知つてることを知らばつくれたり、全く自ら信じないやうな嘘のことさへ、平気で堂々と演説し、あらゆる巧妙な理屈をこねて、無理にも敵を論責する。それ故にこの種の連中とは、いくら議論しても駄目である。すべての議論は、対手が正義への良心をもち、正しい真理の前に額づくところの、認識的誠意を持つてる限り有意義である。対手がもしさうでなく、単に敵をやッつけることの目的で戦つてるなら、その論争は解決のない無意義事である。なぜなら理窟といふものは、ロヂックの将棋駒を動かすことで、どんなにでも勝手放題に附くからである。だから諺にも、詭弁家には敵がないと言はれてゐる。どんな宇宙の賢人でも、理窟で詭弁家を負かすことは出来ないのだ。
 所で僕等の文壇や詩壇にも、かうした詭弁家がすくなくない。例へば最近まで盛んであつた、例のマルキスト文学論などがそれである。彼等は勿論、ギリシァのソフイスト等のやうに、衒学や売名を目的としてゐるのではなく、理想社会を作らうとする正義の道徳観で書いてるのだが、藝術上の見地から批判するとき、やはり一種のソフイストである。なぜなら彼等は、その内心の本能に於て、藝術と政治との区別をよく知つて居り、自ら密かに欺いてゐるからである。どんな非常識的な人間でも、まさかマルクスの経済学で、藝術が律され得るものとは考へまい。彼等の所謂マルキスト等も、内心ではそれを直覚的に知つてゐるのだが、藝術を政治行動の一手段とする目的(即ち彼等の政策)からして、無理にもそれを弁証づけて、強論する必要があつたのである。即ち彼等の場合に於て、文学論が「政策」として扱はれた。そしてすべての政策的、功利的目的を有する議論は、本質上に於て皆「詭弁」である。
 西洋の中世紀には、スコラ哲学といふものが繁栄した。彼等の哲学者たちは、基督教の弁護と教会の権威のために、種々の煩瑣な理窟を作つて、無理にもキリスト教を合理的に論証した。そしてこの目的から、真理が様々に歪曲され、あらゆる巧妙な詭弁的論証が行はれた。だが今日から見れば、彼等の哲学は全く一つの虚妄であり、無意味なコジツケ議論に過ぎなかつた。なぜなら彼等の議論は、「真理のための真理」を追求する動機でなく、初めから「教会のための哲学」を弁証する目的から出発してゐる。即ちその思想の出発する精神が、初めから政策的、功利的であつたのである。マルキシズムの文学論も、これと同じく「政治のための文学」を動機とするところの、一種の社会主義的御用文学論なのである。彼等のあらゆる弁証論的理論に関せず、本質上に於て、それが初めから詭弁であるのは明らかだつた。
 マルキシズムは、中世のスコラ哲学と同じく、一つの大規模に組織された群団の詭弁であつた。しかしこれらの小規模に組織された個人的の詭弁家は、今日の詩壇や文壇にも沢山居る。箇々の者の名を言ふ必要はない。詩壇にも文壇にも、今日多くの党派的、個人的の議論が行はれる。彼等の或るものは、煩頸なロヂックと理論を以て、彼等の他のものは単純な感情論と毒舌とで、互に他をやッつけょうとして議論して居る。しかしながら彼等の中の幾人が、果して異に確固たる信念を内に抱き、強い正義の念によつて、自己の主張を立ててるだらうか。思ふにおそらく大多数者は、自己に強い信念もなく、正義もなく、単に敵が憎いために、或は敵を失脚させるために、もしくは自己の文壇的地位を築くために、もつと尚甚だしいのは、異説を立てることの興味と世間体の衒気とから、無用なくだらぬ議論をして居るのである。
 文学は政治家の議会ではない。言葉の揚げ足を取つて敵をやッつけ、論理のトリックを弄して敵を理窟詰めにしたところで、文学にあつては何の役にも立たないのである。議論の勝敗を目的とする論争ほど、文学上に於てくだらない遊戯はないのだ。すべての文学上の議論や主張は、ロヂックの勝負を争ふゲームでなくして、宗教と同じく全人格の衝突であり、身を以てするところの表出なのだ。内に自ら深く信ずることなく、正義の義憤によつて叫ばれないやうな主張や議論、即ち単なる機智的の思ひ附や、個人的な私情からする敵愾心や、何等かの為にする功利的の議論だつたら、文壇に取つて無益以上に有害である。そしてこの種の議論や主張は、その論証の正邪如何にかかはらず、本質的に皆「詭弁」なのである。反対に自ら信じ、身を以て正義を称へる主張だつたら、たとへロヂックが如何に誤り、思想が如何に逆説的に奇矯であつても、文学上に於て義しい「正論」と見られるのである。
 最近、日本の詩壇で称へられたシュル・レアリズムと称する詩論の如きは、この意味に於て明らかに一つの詭弁であつた。彼等の詩人は、内心の偽らない本能の直覚上では、真の詩的精神の何物であるかをよく知つて居ながら、時代の散文思潮と流行のハシリにかぶれて、詩をリリシズムの外に独立させ、純理的な主知主義を以て詩の本質とした。即ち彼等は、従来「散文」と呼ばれたものを詩の位置に置き、従来「詩」と呼ばれたものを散文の位置に入れ、両者の観念を正反対に入れ換へることの主張をした。これはたしかに驚くべき「奇説」であつた。そして奇説であることによつて人気を博した。しかもこの詩論は、ソフイスト的詭弁によつて巧妙に論理づけられた。そこで当時のソフイスト等が、多くの希臘インテリ青年を魅したやうに、彼等の詩論もまた多くの若い詩人を魅した。だがそれにもかかはらず、詭弁はたちまちにして敗亡する。常に新しく、永久に残り輝くものは正論である。
 ボードレエルは、正論のロヂックを体操にたとへ、詭弁のロヂックを軽業にたとへた。無智で単純な世俗人は、綱渡りをする軽業師を見て、この世で最上のスポーツマンだと思つて居る。しかし彼等の軽業師は、好奇心で衆人を驚かすことの外、実際に何の役にも立たないのである。真の健全な運動法で鍛へた正論家の前に立てば、詭弁の軽業師等は一たまりもなく飛んでしまふ。ゲーテはその 「若き詩人に与ふる書」に於て、一つの最も適切な警告をして居る。曰く、諸君は真に自ら深く感じ、深く信じ、自らよく知つてることだけを書け、と。けだしゲーテの晩年時代は、仏蘭西革命の余波を受けて、種々の奇矯な言論が行はれた。特に若い詩人がその先走りをした。ハイネでさへが、自ら深く信じない奇説を述べて新しがつた。ゲーテがこれを戒めたのは、つまり詭弁の虚妄を悪んだからである。