純正自由詩論


 詩に頚律が要求され、一定の形態が詩寧されるといふことは、本来詩を思ふ人間の心が、感情の自然的な抑
揚を俸へるために、言葉のおのづからなる節奏と音楽美とを呼ぶからである。肝心な常識は、心の哉律(音楽
Jβ∫ 詩人の使命

への要求)が先にあつて、形態の韻律が後にあるといふことである0たとへば世界のすぺての詩が、原則とし
て反覆律を採用するのは、つまり人間の言葉に於て、さうしたリズミカ〜の言語が誓耳に快よく、音楽上の
美感を感じさせるからである0即ち言へば、詩はリズムのためにリズム形態を取つたのでなく、音欒のために
その形態を取つたのである0この「詩」と「詩形態」との関係は、↑度「穫」と「檀作法」とのやうなもので
ある0祀の本意義とする所は、他人に頭をさげたり、帽子を脱いだりするといふ形式の行動にあるのでなく、
賓には敬意を表するといふことの眞目的にある0形態としての檀儀作法は、この目的を表現することの手段と
してのみ、初めて意義を有するのでかる。
今日多くの詩人たちは、不思議にこの鰐りきつた常識を忘れて居る0特に所謂「韻律論者」の中には、事の
本末を顛倒して、詩孝上の概念された形態から、逆に詩の本質を規定し、却つて詩の本然すぺき音楽性を殺さ
うとする人さへある0その最も甚だしき一例として、かつて自分は歌壇の所謂口語短歌を引例した。

 畢校は卒業したがどうしても食へないと言ふ杜合を知つた
 飛行機が来るといふので驚いて杢を見たらば鳥が飛んで居た

 この種の所謂口語短歌といふものは、形態↓に於て、まさしく和歌の定則するS7S77の語数律を守つて
居る0しかしおそらくどんな讃者も、かうしたものから何の雲的感銘をも受をことができないだらう。な
ぜならそこには言葉の節奏する抑揚がなく、本質↓の嘉美がさらに無いからである。つまりかうした口語短
                                             ふし
歌は、作者の心に湧いた詩情が、歌を歌ひ出ようとするリリカルな衝動からして、自然に節を求めて歌ひ出し
たものでほなく、ロ語にょつて和歌の形態を構成しょぅとするところの、頭脳の概念的観念にょつて作られた
Jβ4
ものなのである。前に言ふ通り、異の詩は「心の領律」が先にあつて、「形態の韻律」が後に来るぺき管であ
るのに、この種の歌はそれを逆の、反対にして居るのである。
 僕等の自由詩の詩壇に於ても、この種の同じやうな形態意識で、同じやうな詩を試作してゐる人がすくなく
ない。自分はその人々の態度と努力 − 彼等は自由詩の無節制な低落を慨嘆し、その散文化を救はうと努力し
て居る − に封し、異に深い敬慕と同情の念を持つものだが、ただ彼等の鶴文意識が根援してゐる旨鮎だけに
は、如何にしても賛意できないものがある。もとより今日の時代に於て、日本語の本質を研究し、その韻律性
の基本形態等を究めることは、最も必要喫緊な仕事であるが、その学問的研究の範囲を越えて、知識上に構成
された報文フォルムを、直ちに詩作品の上で肇術しょうと試みる時、彼等のあらゆる破綻と危険とが生ずるの
である。それの何より明白な澄援は、かうした頭脳の報文意識で作られた多くの詩に、一として眞の報文的魅
力がなく、却つて普通の自由詩よりも、不自然に悪律でゴツゴツして居り、非嚢術的であることの謹左である。
 詩に於ては、音楽が韻律(形態)を規定するので、韻律が音欒を規定するのではない。故に一定の反覆律や
定則律を持つてる者が、必ずしも眞の詩的韻文に非ざること、前に口語短歌で例祝した如くである。この反封
に不規則の自由詩や無定形の散文詩が、必ずしもまた非韻文に非ざること、ボードレエルがその散文詩論で論
澄した如くである。或る文畢表現が「散文」であるか「竜文」であるかといふことの眞の直別は、畢なる外見
の形態にあるのでなく、資には全くその「音楽性の有無」に存して居る。ボードレエルとゴルレーヌとは、こ
の鮎を最も強く議論した。しかし僕等の日本人は、彼等の西洋詩人から開かない前に、過去に既に本能的にそ
れを知つて居た。といふわけは、僕等の日本語そのものが特貌であり、国語の本来の性質上から、外国流のメ
ヵニカルな韻文に不適であり、むしろボードレエル等の主張する所謂散文詩(無定形自由律詩)に邁應してゐ
るからである。
∫β∫ 詩人の使命

人も知る如く日本の詩は、上古神代の昔に於て、原始に自由詩から出壊して居る。
     く め         ほじかÅくちひぴ
 みづみづし久米の子等が 垣↑に生えし董口響く、我は忘れじ打ちてし止まむ。
                                                  みかど
といふ神武天皇御作の歌は、初めにかうした形態があり、歌がそれに合せたのでなく、戦争を前に担へた帝の
心が、敵を一蹴しょぅとする勇躍の情に溢れて、おのづからその心の藁が、言葉の抑揚する勇ましい節奏と
なつたのである。
 さねさし相模の小野に燃ゆる火の焔中に立ちて問ひし君はも
といふ日本式尊妃の御歌は、後世の短歌の形式とよく顆似して居る0しかしそれは偶然であり、作者が意識し
たことではない0かつては賊に包囲されて火をかけられ、危ふく戦死しょうとする苦戦の際にも、剣を振つて
戦ひながら名を呼び績けて居た最愛の愛人を追懐して、妃の臨終の心に湧きあがつた哀切の働突が、おのづか
らこの言葉の自然的な節奏を生んだのである。
 すぺて此等の歌の如く、心の勇躍するりリシズムが、それ自ら言葉の節奏する軍歌となり、心の哀傷するセ
ンチメントが、それ自らまた言葉の働突する彗日となり、心の音楽と言葉の韻律とが、不離に必然に一致した
塞丁表現をこそ、眞に正しい意味での「韻文」と稀するのである0それが不定形の自由詩であると、定形律の
                                                                                                                                                                 −ヽ
∫β6
押懇請であるとは、あへて形態上に間ふ必要がないのである。
■−■FFF−F臣F臣ぎ冒≧
さて上古に於て、日本の詩がかうした自由詩形を取つたといふのは、本来我々の大和言葉が、外璧仰の如き
頑律性に紋乏して居り、その詩的表現の場合にさへも、自然的に散文性を帯びることの宿命を澄左して居る。
後に藤生した短歌や長歌やは、多分に支那の詩の影響と模倣からして、一定の詩孝的韻文形式を取つたとはい
 ち 1 「
 へ、仔細咋その韻律を分析すれば、これもまた賓質上の自由詩に過ぎないことを知るであら警山山嘗‥三 ノェ`‘∫ J。や題意
 そもそも詩に於ける韻律構成は、言葉の拍節としての律格部(漢詩に於ける五音律など)と、箇々の卑語が
構成する音報部(漢詩に於ける平灰など)と、二部の要素から構成され、この「律」と「韻」と合せたものを、
初めて眞に「韻律」と呼ぶのである。然るに日本の短歌や長歌には、畢に五七調や七五調の律格部があるばか
りで、箇々の言葉を有機的に関聯させ、内容上のメロヂイを構成さすべき音龍部が無いのである。これは昔か
ら日本の学者たちも知つてることで、香川桂園の如きも、日本の詩歌には「韻律」がなく、「調ぺ」があるば
かりだと言つてる。資際また昔の日本人は、漢詩人を除く外、決して報律など言ふ語を用ゐなかつた。明治に
なつて僕等の詩人が、西洋詩の盲目的な迫蹴からして、貰の日本語に無い杢虚な言葉を、外国語のリズムから
直詳し、その為め我々の詩を甚だしく迷錯させた。もし韻律などの語を用ゐず、昔から言はれる「調ぺ」とい
ふ語を用ゐて居たら、今日自由詩や韻律論やの問題で、詩壇が自ら困惑することも無かつたらう。なぜなら
「調ぺ」といふ日本語は、西洋の「韻律」や「韻文」と意味が異なり、すぺての「音楽的節奏を有する言葉」
                                                  ▲アローズ
を意味するから。それ故にまた「調べ」は、定型詩の中にもあり自由詩の中にもあり、洋語の所謂「散文」と
 〃ソアース
「韻文」との、両方にかけて共存し得るからである。
                             ヽ ヽ     ヴアース
 かくの如く日本の詩歌には、律だけがあつて領がなく、調べが有つて韻文が無いのである。しかし日本語に
領が無いといふことは、資には詩寧上に規定づけられて居るところの、定型則としての萌が無いといふこと、
即ち言へばメソッドが無いといふことなのである。貰際日本の歌や詩には、支那の詩に於ける苧灰法の●○●
○規約や、西洋の詩に於けるアクセントのI(T(1(法則のやうなものは存在しない。しかし我々の和歌や
詩文は、成る特殊な僻定則の自由律で巧みにその同じ音楽効果を構成させてる。一つの例をあげょう。
∫βア 詩人の使命

 足曳きの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜を濁りかもねむ

 これは「の」音の自由律な押韻である。
 瀧の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れて伶きこえけれ
 これも同じく、「な」音の不定則な押哉である。

 久方の光のどけき春の日に静心なく衣の散るちむ
これはハ行の音の不規則な押哉で、且つその彗日の陽快な長閑さを詩の内容の意味にかけてる。
 きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしき濁りかも産む
これはカ行とサ行の交錯した不規則の押韻であり、且つK音の強くきびしい響と、S音の塞く冷たい語撃と
に上って、巧みに歌の内容を感覚的に節奏させてる。
日本語の詩歌に於ける、かうした三イクな音楽とその構成法とは、在朝の俳人ボノオ博士が早く既に研究
して、その立汲な学術的論文を蜃表して居る0ボノオ博士によれば、日本語詩に於ける韻律法は、本質的に俳
蘭西語詩と全く顆似したものであり、語のアクセントによるのでなくして、音の感じの高低、感じの強攣及
甲王として頭韻、脚鵡、重親等の押韻律にょるのだと言ふ0博士はこれを主として都々逸等の民謡から引澄し
て居られるが、他の和歌や俳句に就いても、この日本語詩の原則は全く同じことである。つまり僕等の聴覚に
訴へで、何となくロ調が好い、語呂が好い、節が美しいと感じられるすぺての詩文は、それ自ら内部に不束則
∫ββ
 の自由彗師印句.「仙調べ」を具有しで居るのである.
 「調べ」はまた、西洋詩畢の頚律とちがつて、形態に指示されないところの、一つの無形な「感じ」でもある0
たとへば前に引例した神武天皇の御製が、讃者に勇ましく壮烈な感じをあたへるのは、「みづみづし」といふ
                                     はじかみ
語の感じの中に、「何を小療な」と言ふやうな楓爽たる語感がイメーデされ、「茎」といふ言葉、「口響く」
といふ語の音頚に、叫諒ゝ、等の強く響く弾力的の語感があり、さらに「打ちてし」「止まむ」等の語に強い
決心を示す調律を感じさせるものがあるからである。

  この秋は何で年よる雲に鳥  芭蕉

といふやうな俳句が、特挽なリリカルの感じをあたへるのも、「何で」の「で」といふ音の中に、やるせない
絶望的の感じが含まれ、さらに「雲に烏」の調子が、何うでもなれといふやうな、軽い親逸な哀愁を語感させ
る為である。
 所でこの紳武天皇の御製や芭蕉の俳句に具有されてる音楽感は、これを形態上に明記して示すことが出来な
いのである。なぜならかうした音楽は、言葉のアクセントによるのでもなく、平灰や押韻によるのでもなく、
全く語感の上での純粋な音の「感じ」によるのだから。日本語の詩で、形態上に指示し得る音楽性は、畢にそ
の語数律の外部的な骨格にすぎないのである。しか、豊岬敷律の定則するメソッドといふものが、日本語の詩歌
に於てあまり重要でないことは前に述べた。長歌の五七調、和歌の三十三日宇といふやうな形態も、内容上に
於ける語感の音楽性(感じとしての語の強弱、抑揚等)が伴つて、初めて韻文として形態されるので、前例の
口語短歌のやうに、畢にS7S等の語数律を並べただけでは、何等報文としての意味をなさない0例へば、
Jβ夕 詩人の使命
空虚
題濁ヨ一

 我のみや夜船は漕ぐと思へれば沖通の方に構の音すなり  (萬菓集)
といふやうな歌が、抒情詩としての琵感をあたへるのは、「我のみや」の「や」で調子の浪が高く揚りい「夜
舶」で低く浪が降り、「思へれば」でまた高揚し、全慣に感じとしての抑揚高低があり、感じとしての音楽が
琴乙るからである0もしこの内容上の音楽資質がなく、畢にそのS7S77の語数律を形態上に泣ぺただけで
は、

 拳校は卒業したがどうしても食へないといふ杜合を知つた
といふ顆の似而非韻文になり、全くナンセンスの物にすぎなくなる。つまり日本語の韻文で必要なものは、内
容(語感)上で感じられる無形の「形なき節奏」であつて、形態上に定律される節奏ではない。それ故に上古
の自由律歌や、漢詩の和訓朗讃のやうなものが、その無定律の散文形態にもかかはらず、本質上に於ての「調
ぺ」を具有するところの、正統な詩文撃として思惟されるのである。漢詩の和訓朗讃について言へば、
J夕¢
葡萄の美酒 夜光の杯
飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す。
酔うて砂上に臥す 君笑ふこと勿れ
古来征戦衆人か回る。
ハ王翰)
1汐、
とか、
「r
せんげりん
川原杏として何ぞ極まらん。
日暮れて飛鳥退り
行人去つて息はず。
(王維)
とか言ふ顆の物である。
 かうした漢詩和訓は、もとより原詩の韻律を無成したもので、支那人や西洋人の詩拳から見れば、全然萌文
と言へないもの、無韻の散文に属するものである。しかし僕等の日本人は、かうしたものも一種の詩文撃とし
て認め、日本流の観念で「萌文」と考へてる。なぜならこの種の文拳には、定律的な格調こそ無いけれども、
朗讃して一種の音楽的な快感、即ち古人の所謂「調べ」があるからである。そして日本人の観念する「韻文」
とは、支那人や西洋人の考へてるそれとはちがつて、一般に「調べを有する文学」を指してるのである。
 それ故前に言ふ通り、日本の文学は世界的に特殊なもので、外国流の意味で言はれる「韻文」「散文」の直
別がないのだ。外国流の詩畢で批判されれば、日本の詩歌と栴するものは、すべて皆本質上の無頚詩であり、
散文詩であり、自由詩であり、一も眞の意味での哉文が無いのである。昔の日本人と日本の詩人は、賢明にも
この日本語の特殊性をよく知つて居り、決して「韻律」などいふ外因の詩季語を、自己の文学に用ゐなかつた。
況んや「散文」「韻文」など言ふ相対観念を、日本の文学上に言語しなかつた。彼等は「詩」と「非詩」との
直別を、畢に「調ぺ」の有無によつてジャンルさせた。それ故に日本人の意味する詩文寧は、外国流の言語で
いふ散文の中にもあるし、報文の中にもあるわけであつた。散文と哉文との対立観念は、日本語の文孝で全く
J夕J 詩人の使命

意味を為さない杢語なのである。
然るに明治以来の新鰹詩人は、西洋文化を日本の詩壇に直詳しょうとする妄想から、かうしたナンセンスの
宝首輪入し、日本語の詩に有りもしない「散文」「韻文」の語を用ゐ、洋語のリズムを直詳して「韻律」な
どの語を使つたので、今日見る如き詩壇の不可思議な混乱とヂレンマを招いてしまつた。そしてこのヂレンマ
を代表してゐる詩人群が、今日のいはゆる報律論者や形態論者なのである。日本語に賓在しない萌律論で、日
本語詩を詩論しょうとして、自らその矛盾に苦しんでる彼等の態度は、↑度自分の持つてる縄で、自分の首を
しめて苦しがつてる人に似て居る0もし彼等にして、韻文といふ外璧岬を棄て、代りに「調ぺ」といふ日本語
をさへ使用すれば、その喉をしめてる自縄自縛の苦しい縄が、直ちにおのづからして解けるのである。
 今日の詩壇で、最も奇怪な詩論を持してる一汲に、いはゆる「新形態論者」といふのがある。彼等の説によ
れば、今日の詩人が求めてる新しい詩形態は、音楽を本質的要素とするものでなく、メカニズムの法則による
教理的の形態だと言ふのである0彼等の或る者は彗口して、詩の形態に音楽性を求める如きは、時代遅れの古
い思想だとさへ言ふのである○東西古今を通じて、自分はかつてこんな奇怪な新詩論を見たことがない。ラム
ボオ、ボードレエル以来、西洋の近代詩が追求して爽たものは、資に音楽の純粋性を詩の形態に求めることの
運動だつた0最近の所謂「純粋詩」といふのは、つまりこの運動の究極するイデアにすぎない。ポオル・グァ
レリイの如きも、就申その尖端者であり、如何にして詩を完全に音楽化すぺきかと言ふことの熱意のために、
二十年も考へて韻律の新しい法則を考案した0詩から音楽を捨象し、メカニズムの形態だけを創案するといふ
如き不思議な詩革は、かつてのキnビズムの立膿汲以外(それも今日既に磨つてしまつた)開いたことのな
い奇説である0そもそもまたかくの如くば、何のためにわざわざ求めて、詩に窮屈な形態を規定するのか。何
彪にその「必要」が有ることかと言ふことの、根本原理を問はなければならないのである。
f夕2
題』題眉
外として、流石に川路柳虹氏や佐藤一英氏等の調律論者は、詩撃の健全な常識に立脚し
て居り、今日の詩の散文的低落を防ぐために、詩形の標準すべき韻律を蜃見しょうと熱意して居る0その限り
に於て、僕は彼等と精神を同じくし、その良心を共にして居る。しかし彼等もまた、その方法論に於て形態論
者と軌を一にし、詩の必要さるべき本質のもの、即ち「調べ」の音楽性を閑却して、畢に外部的構成の語数律
ゃ法則ばかりを、メカニカルの分析表に指示することから、詩を形態的に規範づけようと考へてる0故に彼等
が現に試作し、新律格として示すところの詩を讃むとき、僕等はそこに形態あつて生命なく、律椅あつて音楽
なく、ポエムあつてポエヂイのない文学を態見する。この鮎では、川路氏も佐藤氏も皆明白に失敗して居る0
むしろ却つて自然的に、普通の自由詩意識で書いたものの方が、両氏の場合に於ても、概して逢かに傑作であ
り、且つ眞の音楽要素を具有してゐる。
 要するに今日の日本詩は、その優生期にある歴史からも、その園語としての本質からも、上古の原始的な詩
歌と同じく、純正に自由詩として出態し、自由詩としての嚢術完成を目指すべきだ0我々の詩に定律形態を求
めることは、すくなくとも今日の場合尚早である。しかしながら勿論、今日詩壇に行はれる如き非肇衝的な行
ゎけ散文を、自由詩の名に於て僕は肯定するものではない。自分の言ふ意味は、「自由詩」といふ言葉を、名
賓正しい意味に於て創造せょと言ふのである。ポオ〜・ヴァレリイは断定して、眞に詩といふべき文学は韻文
以外になしと言つた。この場合の「韻文」といふ語を、西洋流に鰐樺する限りに於て、僕等はグァレリイに賛
同できない。なぜなら日本語には、眞の韻文がないからである。しかしヴァレリイの言つた眞意は、本質上に
音楽を持たないものは、眞の詩でないと言つたのだらう0つまりこの思想を日本語に銚詳すれば、その言葉に
調べ(音欒)を持たない文学は、厳重の意味で詩と言へないと言ふのである0そしてたしかに、僕もその通り
だと信じて居る。
J朋 詩人の使命


口語自由詩以後、日本の詩壇は全くその音楽性を喪失して、本質的に散文化してしまつた。此虞で「散文
化」すといふ意味は、単に形態の上でだけ言つてるのでない0詩が詩としての純粋楕紳、即ちりリシズムを失
つたと言ふ事賓を指してゐるのである0なぜならりリシズムと音楽とは一であるから、詩がその精神にりリシ
ズムを持たない場合、形態がまた必然的に散文化して来るのである0詩人がもしその心に眞の純粋の詩的精神、
即ちりリシズムを持つてる場合は、己みがたくその表現に皇日楽の節奏を欲情して来る。これは理窟でなくて
質感であり、詩人が本能するところの欲情(生理学的欲情)である0ポオや、ゴルレーヌや、ヴァレリイやの
詩人が、詩の報律について言つてることは、畢尭、この;の生理学的欲情を強調して、詩の文学上に於ける
本質性を明示したものに外ならない。
 日本の詩壇は、今日たしかにこの詩の本能性と、その生理畢的欲情を失つてる。故にそれは眞の健康な文学
でなく、メカニカルの手細工によつて、人工的に構成された無機物の文寧である。何より僕等は、かうした今
日の似而非韻文を眞の本質的な詩文撃とし、魂のない無機物の詩に、眞の生理的欲情を吹き込むことが必要な
のだ0僕が所謂「行わけ散文」の自由詩と共に、その封舵たる所謂「新散文詩」や「新律格詩」のフォルマリ
ズムを排斥し、共に眞の純正詩に非ずと断定する所以のものも、畢責彼等が無機物の似而非詩文で、その魂に
眞町「歌」を呼ばうとするところの、眞の生理的欲情のないことをさしてるのである。
 この論文に題して、僕が「純正自由詩論」と稀したのは、上述のやうな原理に於て、自分の主張する自由詩
だけが、今日の日本詩壇に於て、正しく純正の懇文として思惟さるぺき、唯一の詩文畢であることを信ずるか
らだ0もし詩文革といふ語を廣義に取れば、今日行はれる如き一般の自由詩や散文詩も、一種の準位詩(詩に
似たもの)として許容され得る○だが、言葉の定義を厳重にし、純正の意味で言ふ場合は、眞に「詩」といふ
、ぺき文嬰はノつしかない0即ち僕の此虞に提唱するところの眞正自由詩である。すくなくとも僕自身は、過去
Jタイ
∧ H▲〔 淑J釣′こÅパf1方 ミも † `√
へば州≒†計猪」や「水島」に収めた多くの辞斉がそれである0宅
…湘姻姻欄題
僕の過去の詩作は、何等の定律形態によつたのでもなく、何等の語数律に準じたのでもない0それは純粋の自
由詩であつた。しかも僕はそれらの詩作で、できるだけ語感の音楽性を重んじ、感じとしての抑揚や節奏に意
を用ゐた。そしてこのレトリックは僕の詩作する立場に於て、常に必然的に要求された生理上の本能だつた0
なぜなら僕は、心に歌(りリシズム)を呼ぶことなしに、かつて詩を欲求したことが無かつたから0
僕は自分の詩に封して、もとより多くの自信を持つものでなく、況んや他に誇らうとするものではない0正
直に自己批判して、僕の詩は多くの稚態と映陥に充ち、時に自ら嫌厭たらざるを得ないのである0しかしなが
らただ、僕の過去に績けて来た詩作の態度と、僕の方法論の原則だけは、萬人に向つて普遍に公言できる自信
を持つてる。すくなくとも僕の態度とメソッドとは、今日の日本に於て、詩の意表すべき正統な方角を指示し
て居り、決して誤りのないことを確信して居る0それ故に僕は、自らこれを「純正自由詩」と呼び、今日の目
標を失つた日本詩壇に、新しくさらに提唱しょうと思ふのである0
今日の詩語である口語饉は、昔の詩語であつた文章語に此し、抑揚や節奏が稀薄であり、著しく音楽性に映乏して居る0
これ今日の詩壇に於て、純正自由詩が行はれず、且つ僕の詩論の普遍的に承諾されない所以である0この口語と文章語と
の関係は、他の論文「口語詩歌の韻律を論ず」で詳説した。よろしく併讃されたし0

日本語に於ける「音の感じ」といふことは、これを詳しく分解すれば、主として吋、ニ、β、∫日、ヨr−弓、の子音と、
Pこ妄の−○、等の母音との、有機的な結合によつて構成される関係である0この子音と母音との関係で、言葉が強く甲高
に琴是り、弱く柔らかに琴是りする0だがこれは「感じ」の上での抑揚だから、韻律の如く形態上に表記できない0
日本語詩の「調ぺ」と、西洋詩寧や支那詩寧の「顎律」とが、根本的にちがふ所以である0
∫夕∫ 詩人の使命
▼ 賢
             戸

最近、音楽理論家の乗常滑佐氏が、「讃費」紙↓で「日本の唄は何故五線紙に書けないか」といふ二者儀表してゐる。
日本の歌曲が西洋風の楽譜に書けないのは、日本語そのもののアクセントや高低やが、外璧仰のそれのやうに、純浪費的、
音譜表的のものでなく、多分に心理的聯想表象的なものである馬ださうである。余常氏はこれを科挙的賓験によつて澄明
してゐる。

                       仙T
Jク古