日常口語の人代名詞


 文化発生期にある今の日本語は、いろいろな点で未完成の猥雑を極めて居るが、特に人代名詞が不備であり、日常の会話にさへも困るのである。それも男同士は好いのであるが、異性間で対手を呼ぶ時、適当な人代名詞が無いのに困つてしまふ。例へば諸君は、その婚約の愛人を呼ぶ時に何と呼ぶか。普通は先づ「あなた」であらうが、之は何人にも一般的に通ずる普遍的の敬称であり、何の個性もなく親愛もなく、実に没情味で白々しい言葉である。「あなた」といふ言葉は、女房が亭主に言ふ時にのみ、特殊な情愛をおびる痴語となるので、恋人同士の間に使用さるべき言葉ではない。しかも今の日本語では、それより外に人代名詞が無いのだから困つてしまふ。
 珈琲店に居る客は、女給のことを「君」と呼んで話をして居る。男同士で君と呼ぶのは当り前だが、異性に対して「君」といふ語を使ふ法はない。(昔の文章語では、恋人のことを君と言つてるが、これは今の日常語とちがふのである。)如何に対手が女給とは言ひながら、女に対して「君」といふ語を使ふ位、殺伐で荒んだ感じがするものはない。況んや自分の妻や妹のことを、君と呼んでる人々を見ると、如何にも神経の荒々しい、粗野で殺伐な家庭人を聯想する。しかもたいていの人々は、妻や妹に対してさへ、平気で君と呼んでるのである。なぜなら今の日本語では、他に適当な人代名詞がないからである。
 諸君はその妻や親しい女に手紙を書く時、対手の呼名を何と書くか。日常会話の場合とちがつて、手紙の場合に「お前」と書くのは息苦しい。と言つて「そなた」は可笑しいし、「君」は殺伐で使へないし、「あなた」は勿論滑稽である。口語文で手紙を書く時、僕はいつもこの人代名詞に困つてしまふ。先日郷里の親しい友人が訪ねて来たので、妻に手紙を出す時何と書くと聞いたら、成るべく人代名詞を避けて使用しないやうにして居ると言つた。僕もやはり同様にして居たのだが、どうでも使用せねばならない場合が出て来るので、後には文章語の候文を書くことにした。候文の方だと、昔からある「お許様」といふ言葉がぴつたりする。
 ついでだから言ふが、口語文の手紙の不便さは、単にその一事だけではなく、文章全体にもれかつて居る。例へば妻子に書く手紙で、「火事を気をつけろ」とか「病気を養生しろ」とか命令語で書くのは、如何にも荒々しくて情愛がない。と言つて 「気をつけなさい」「大事におしなさい」など敬語を使ふのは白々しい。何うにも適切の書きやうがなく、これには全く困つてしまふ。そこへ行くと文章語の手紙は、一様に皆「侯」ですむので甚だ都合が好い。
 詩人といふ人種は、言葉に対してひどく神経過敏の耳を持つてるので、僕等の日常生活の四六時中に、絶えずかうした現代語の不備と猥雑さに悩まされてる。すべての日常会話の中で、人代名詞は最も多く使用する言葉である。それがこの有様だとすれば、それだけで今の日本の文明が呪ひたくなる。便不便の算用ではなく、実のデリカと情操を全く欠いて居るところの、現代日本の言葉と文明とを厭ふのである。