認識第一歩の現詩壇


 「詩は情熱だけが一切である。技巧も趣味も必要がない。」これがかつて民衆派やプロ派詩人によつて、前代
の詩壇に横行した論であつた。
 「詩は技巧だけが一切である。情熱も詩情も必要がない。」これが和製シュル・レアリストやモダン詩人によ
つて、最近まで権威されてた詩論であつた。所で前の時代の詩壇には、詩がその「藝術」を喪失し、後の時代
の詩壇では、詩がその「詩精神」を無くしてゐた。(僕は前の詩壇から技巧詩人として罵られた。後の詩壇か
らは、自然発生的な素朴詩人として軽侮された。)
 今や漸く、詩壇が正しい認識に目醒めて来た。そして最近、漸くその「藝術」と、その「詩精神」とを、二
つながら正しく具備するところの、真の本物の詩が現はれょうとしてゐるのである。詩壇は認識第一歩を卒業
した。真の開明期はこれからである。