政府の文費関心


 文肇賞と云ひ、文化動草と言ひ、近頃政府が奉衝に関心を持ち、褒術家を優待するやうになつたのは、何と
云つても慶賀に堪へない現象である。元来日本は、上古建国の昔からして、政府が最も重婚を尊重して、文化
主義を以て国是として爽た国柄である。遠き奈良朝は勿論のこと、平安朝時代に於ても、皇室が常に文肇のオ
ーソリチイで、天皇御親らがまた大詩人、大美術家でさへあらせられた。降つて武家政治になつても、筒近世
の足利時代迄は、室町牌革自身が風流の蛮術家で、政府が国費を透して拳術を保護奨励した。然るに徳川時代
になつてからは、朱子畢の儒教を以て国是とし、厚生利用の賓利主義的道草を強制したため、人生に直接の茸
jアア 日本への岡師

益なく、且儒教の道徳と一致しない文孝肇術の顆は、有害無益の淫らごととして邪教的に渚斥された。そして
文化ほ政府の手を離れ1むしろ政府の目を忍んで − 民衆自立の聞に保譜された。
 しかもその民衆すらも、儒教の道学によつて強制され、政府の国憲を百日的に信奉して居たため、自らその
為す所を恥ぢ賎しみ、自辱卑下して自ら戯作者と解し、河原者と構し、浮世檜師と言ひ、遊蛮人と名づけてゐ
た。世界の何れの圃の歴史を見ても、日本の江戸時代の如く、文明囲に於て、整備が図法的に侮辱されてゐた
時代はない。
 かかる江戸時代は、世界的に「例外」であるばかりでなく日本歴史に於てもまた「例外」であり、神武建図
以来の日本の園長と矛盾し、大和民族の自覚する文化使命を冒漬汚辱するものであつた。早く既にその時代の
泥中にあつて、本居宣長はこれを憤つて義を構へ、図粋日本へのルネサンスを塊唱したが、明治維新の大革命
は、賓にこの本居等の精神を継ぎ、王朝復古のルネサンスを斉現させた事業であつた。故に本来ならば、今日
の文北賞剃の如きも、早く明治初年に於て議事さるぺき筈であつた。然るにさうでなく、維新後も尚依然とし
て文黍が膿まれたのは、常時の要局に立つた政府人等が、徳川期の儒教教官によつて養成され、利用厚生の賓
利的追撃主義で、素因的に囲晒化して居た為であつた。
 今や新しき時代が衆て、政府人の思億が一愛した。文蓼保護の趣旨は大に善し。しかしただ恐れるのは、そ
れが国民思想の善導と言ふ如き、国家的御用筋の為にする者でないことを。もしさうであるならば、昭和政府
の頭脳する所は、依然として儒教の賓利的利用厚生主義であり、明治維新によつて埋葬された筈の、徳川幕府
の放らしき亡亜に過ぎないのである。昭和維新の精神は、断じてかかる「お化の復活」を許容し得ないD政府
はこれを知るであらう。
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