日本の巡査


 巡査といふものは−一体に何処の国の巡査でも−外国人にとつて特殊なエキゾチツクな印象を与へる者
らしい。ロンドンや伯林に行つた人は、ロンドンや伯林やの巡査を見ることによつて、初めてそれらの都市に
来たといふことの、強い旅愁的な印象を受けるさうである。やや誇張して言へば、あのヘルメツトを被つた
英国巡査が、それ自らロンドンといふ都市の象徴であり、あの軍人式で威風颯爽たる独逸巡査が、それ自ら伯
林の表象だとも言へるのである。
 日本の巡査も同様であり、外人旋客にとつてそれが東京のシムポルと思ほれるはど、強い印象的な感銘を輿
へるらしい0特に日本は警察制度が完備してゐて、巡査の教が非常に多いために、餞計に印象的な感じをあた
へるらしい0成る外人漫遊客の日本印象記に、日本の都市では至る所に1殆んど一間置きにl巡査が立つ
てると書いてある0そして殆んど慧の街が、巡査の自服とサーベルとで充満して屠ると書いてあつた。とに
かく外人にとつて、巡査ほ極めて印象的な存在で、この上にも壷の旗愁的…ゾチシズムの封象であるらし
い0東京のことを香いた外人の旋行記には、必ず巡査の挿檜が何棄か入つて居るし、日本に爽た外人室家も、
好んで巡査をスケッチする8さうした檜の典型は、明治初年の日本に住んだ傭人歪家ジヲルジユ・ピゴー氏が
描いた木璧芋あつたウニれはかつて佐藤春夫氏の雑誌「古東多万」にも樽載されて居たが、「日本の巡査」
といふ顔で十敷棄をノ阻とし、巡査の種今様々な勤務状態1交番で通行人に造を敦へてるところ。市中を進
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」璽祁確杏.尽簿謂亜楷魂泡むころ。人力車夷を叱つてるところ。馬上の薪異に遭を閏はれ斗しゐるとこ一
ろ。挙動不審者を誰何してゐるところ等々 − が、いかにも外人の挙らしく異国趣味にスケッチしてあつた。
大正年間、日本に衆て喜歌劇を指導した伊太利人の音楽家サルコリイも、また日本の巡査を主題として「深夜
の巡遜」といふ曲を作つた。僕はこれをギタアの濁奏で藷いたが、幽かに絃歌の費のもれる日本の深夜の色術
を、ひとり靴音高く、サdヘルを鳴らして巡遊する夜警の姿を為したもので、一種の淡い旗愁が侍しく感じら
れるやうな音楽だつた。
 かうした外人の冷や昔欒を通してみても、単なる旗愁やエキゾチック以外に、外人の眼に映じた日本の巡査
が、いかに勤勉で、職務に忠賓なものとして感銘されてゐるかが解るのである。賓際日本の巡査は、その勤勉
にして廉潔なこと(賄賂など絶対に取らない)で、世界的に模範巡査として好評されて居るのである。しかし
その鉄製は、官僚的でクソ威張りに威張ることと、生眞面目にすぎてユーモアを理解しないこととであつて、
これもまた世界的に知れてる日本巡査の映鮎である。特にこのユーモアを理解しないと言ふことは、日本のス
ポーツ選手や、官吏軍人やの仝鰹についての外人から言はれることで、おそらく現代日本文化の明朗性を失つ
てゐる反映であり、僕等の心を暗くしてゐることであるが、特に巡査の場合にあつて、その暗さの感じを深刻
にする。おそらく政府は、警吏にユーモアの必要など無いといふ以上に、有害部益のことと考へてるか知れな
いが、それが民衆と警官(人民の保護者)との問に、眞の相互信頒的な温かい理解を生むことを考へれば、思
ひ学ばにすぎる必要を感ずるだらう。故に英国を初め欧米の警察では、ユーモアといふことが巡査の一資格と
しで、採用試験のメンタルテストにさへなつでゐるといふ話である。その反対側の極端なものは、日本の江戸
封建時代に於ける警察制であつた。常時の警察官たる輿カ、同心、手先、岡ツ引の顆は、おそらくユーモアを
理解しない人間の典型であり、人民から地獄の鬼卒の如く恐怖された。けだし封建制度の下にあつては、警官
イ9ア 日本への恒】尉

が「人民の保護者」でなくして、単に「人民の刑罰者」であつたからだD日本の警察制度は、その本原精神に
於て、今日伶多分にかかる封建時代を遺博してゐる。そしてこの封建楕紳が、一方に於て官僚主義のクソ威張
りになるのである。日本に於ては、今日何程々の鮎で資本主義の批合情操が蜃育してない。
 とはいへ日本巡査が、その薄給にもかかはらず、鹿潔を守つて堅く身を持し、気の毒なはど眞面目に忠賓に
働いてるのは、外人と共に、僕等もまた驚嘆するところである。特に夏期の衛生布告に努めて、戸別訪問をし
て歩く巡査や、夏の炎天下に立つてる交通巡査や、冬の塞夜を夜遅く、外套の襟を立てて巡姻してゐる夜警の
巡査に逢ふ時など、職掌以上に廣高なものを感じ、心から感謝の意を表したくなる。日本の巡査は、その生眞
面目で犠身的なことに於て、日本の軍人と好一封である。けだし彼等の巡査が、その薄給にもかかはらず勤勉
なのは、日本人濁時の義務観念と自尊心とで、自ら「人民の保護者」といふ、神聖な職務意識を心に強く持し
てるからである0だがその職務意識の過剰は、時にプライドにすぎて傲岸となり、しばしば民衆の入植を度椀
したり、職権以上にその所謂「保護」意識を撲張し、ために却つで大衆の反感を買つたりする。以下新開記事
について、その二三の例をあげてみよう。
 某私立大寧の畢生が、その知つてる女畢生と一緒に、或るレス!フンで食事をしてゐた。すると巡査に誰何
され、警察に連れられて調ぺられた。二人共身許がわかり全く不審ははれたにもかかはらず、尚且つ散々に署
長から叱資説諭された。その理由は、勉強中の卑生の身で、かかる速柴に日を暮すのは有るまじきことだと言
ふのであつた0男畢生は款つて聞いてゐたが、女畢生の方は逆に警察官に喰つてかかつた。日く、寧枚の休日
に相識の友人と食事をするのが何故悪いか。警察の権限は、そこまで個人の生活に立ち入つて世話をやく必要
はないと○まことにこの女畢生の言ふ通りである。警察の権限は、敢曾の秩序と安寧を保つ為に、その法規に
憐れる範囲に於て、正しく取締りをすれば好いのである。警察は文部省の管理する畢枚ではなく、雪官は寄憎
鯛窮郡祁那鮎刹那州刹那水引針郎〔¶郎身が新都が刈がが“如那覇〓q那聯
鮎矧虹
その所謂「人民保護意地繊」 の悪過剰である。
 これと同じやうな一例を、最近また新開でょんだ。急ぎの用事を抱へた洋装の婦人が、或る交番の前で、千
人針を頼まれて謝拒したので、巡査から懇々その不心得を説諭されたといふ記事であつた。これも同じく、巡
査が職務の樺限を越えたおせつかいである。巡査がもし愛国心の赤誠から、かかる婦人の行為を内心不愉快に
思つたとしたところで、それを引致して説静するといふ楢利は巡査の職樺にない筈である。
 しかしかうした賓例には、常に何かの或る共通した一鮎がある。前の例の場合では、それが若い男女の畢生
であり、後の例の揚合では、それが洋装したインテリ風の婦人であつた。所で若い男女の異性が、自室手を組
み合つて散歩したり、公衆の前で食事をするといふことは、日本の封建時代に於ける嘗道徳から見て、反杜曾
的、反良風的の不徳事と考へられてる。洋装したインテリ婦人も、やはり同じ種類の人々から、図粋の美風に
反逆する階級のものとして、一種の敵意と恰意を以て見られてゐる。そして常にこの種の人々だけが、巡査か
ら叱られたり引致されたりするのである。此所に日本の杜曾現状と巡査の心理状態とについて、興味深く考へ
るぺき問題がある。
「人民の保護者」といふ警官意識が、その正しい良識に於て最もよく蜃達してゐるのは、おそらく英図の巡査
が第一だらう。友人竹村俊郎君の講によれば、英図の巡査は、いつでも民衆の最も親しい友人であり、単にそ
の温顔を見るだけでも、進んでこつちから握手がしたくなるはどださうである。竹村君は日本流の習慣から、
しばしば酒に酔つてロンドンの夜符を歩き、巡査からその特別の「保護」を受けたさうである。(西洋では、
酒に酵つて市中を歩くことを禁じられてゐる。自動車の交通が繁華な都合では、酔漢の千鳥足が危険であり、
且つ交通の障害となるからである。)酔つて市中を歩いてゐると、二人組で巡親してゐるポリスが爽て、左右か
イ9夕 日本への同鐸

ら饅を抱へ、一言もロを利かず、駄つてそのまま警察の留置所に入れてしまふ。そして翌朝になると、款つて
そのまま部屋から出し、一言のロも聞かずに辟してくれる0親切な巡査の揚Aロは、わざわぎタキシイを呼び、
警察から自宅迄迭らせてくれるさうであるが、これが本官の「保護」である。日本の警察で言ふ「保護」とい
ふ語は、これと少しく意味がちがつてゐる0「酒気ヲ帝ビテ云々0ヨソテコレヲ保護ス。」といふ巡査の勤務報
告は、賓際の場合の「虞罰」であつて、軽くて説諭、重くて一つ二つ位の拳骨を意味してゐる。
 数年前の新聞記事に、子供連れで交番の前を通つた母親の婦人が、巡査から理不義の侮辱を受けた記事が掲
載されてた0子供が無心に「お巡り、お巡り」と言つたのを、巡査が官吏侮辱だと言つて怒つたのであつた。
こんなのは例外かも知れないが、日本の巡査に明朗性がなく、ややもすれほヒステリックに狂激し易い病癖を
代表してゐる0(民衆にとつては、この巡査の狂激性がいちばん怖いのである。)何か一言反間すると、すぐに
それを官吏侮辱と曲辞して、理香もわからずヒステリカルに激怒するのは、日本の巡査の最も悪い病癖である。
成る人々はこの理由を説明して、過度の勤務と薄給の生活緊張から、巡査の多くが紳経衰弱症にかかつてるた
めだと言つた0さうだとすれば、まことに同情に耐へないことで、何とかして彼等の生活を今少し善くしてや
りたい0しかしもつと根本の事は、日本の警察精銅から改良して、も少し近代的の明朗性に立脚し、過去の封
建的暗鬱性を去ることである0特に就中、警官自身が人民を怖れ、常に民衆から侮辱されまいとして、自ら被
箸妄想狂的の幻覚に憑かれてるのは、封建的の暗鬱性を一層に暗く反映する。
 いつか数年前のことであるが、玩弄のョーヨIが流行してゐた時、交番の前で遊んでる子供と一所に、巡査
がそれを弄んでゐたといふので、直ちに免職塵分された記事が出てゐた。僕はこの記事を領んで、不幸な巡査
に深く同情すると頻に、かかる警察精神に反感した0かうした朗らかな交番風景は、決して「警官の或権」を
傷けるものでなく、却つて民衆をして警官に現ませ、警察の仕事に理解と同情を持たせるものである。供の知
談を言つたりして、慈父か親友かのやうに戯れて居る。だがその光景を見て、だれ一人巡奄を搾残するものも
ない。反封に通行人等は、巡査に対して心から親愛の笑蔚を送り、喋に「人民の保護者」として、深い無言の
感謝を捧げてゐるのである。
 最後に僕自身の事を言ふと、不思議に僕はしばしば警官に誰何される。どこか僕白身の風宋や挙動の中に、
一般人とちがふ異状のもの、調子外れのものがあるのだらう。特に夜遅く少し酒でも飲んで交番の前を通ると、
必ず「こらこら」と呼び止められる。もとより何の罪もない良民だから、すぐに放免されはするが、あの交番
の中に引き入れられて、住所、姓名、職業を問はれたり、財布の中の金額や持物迄調べられ、巡査に朗をじろ
じろと見られるのは、後まで記憶が頗るはど不愉快である。それで夜遅く歩く時は、出来るだけ交番の前を避
けて通るが、それでも時々巡遜の警官に誰何される。夜、交番で道を尋ね、逆に不審訊問を受けた事さへ二三
度ある。文士といふ人間は、官吏でもなく、商人でもなく、月俸生活者でもなく、稀れな型外れな人種である
ため、巡査に職業の見分けがつかず、その鮎で不審の嫌疑を受けるらしい。
 巡査が挙動不審者を調ぺるのは、職掌柄首然のことであるから、たとへ一時の煉炭者扱ひをうけたところで、
僕の如きむしろ至官の事と思ひ、却つて巡査の忠賓な勤務ぷりに感心する。しかし娩疑がほれた後でも、まだ
威丈高になつて人を侮辱し、非紳士的な暴言を吐く巡査が居るので、後々までも鬱憤を禁ずることができない
のである。不審訊問中は、もとより此方が嫌庚者の立場だから、準犯人として警察的に扱はれるのは仕方がな
い。しかし嫌疑がはれた後では、もとより天下の良民であり、僕の如きも一人前の紳士であるから、鵜苫の祓
節を以て應壊してもらひたいのだ。況んや一時的にもせょ、罪なき良民に嫌尿をかけたのは、たしかに巡査の
方の誤謬であるから、丁寧に謝罪して、すみませんでしたとか、失碩致しましたとか言ふのが常識である0然
∫0ノ 日本への同辟

るに多数の巡査の中には、かかる常識を快いたのが往々に屈る○しかも僕の経験では、いつもかうした巡査に
ばかり富るのである0散々人を罪人扱ひにして訊問し、警察的な侮辱を加へておきながら、不審がはれた後で
小言の謝罪もなく「よし締れ」と言ふ0そんな無法の言葉があるものか。一度は流石に僕も腹に据ゑかねたの
で、「その言葉は何だ、よし辟れとは何だ0」と言つたら、いきなり「生意気を言ふな」と頸をしめかけられた。
明治初年、日本に警察制度が初めて出来た時、民衆はポリスハ治安保護者)といふことの意味を知らず、昔
の岡ツ引や手先同心と〓現して、これを毛患扱ひに嫌廠した0そのため政府はしほしば訓新し、また警察官の
名栴を幾度か改正して、ポリスから遽卒、遜卒から巡査とした0しかし日本の警察精神自身の中に、封建的官
僚主義が残つでゐる以上、そんな苦心をしても無駄であらう。今の政府の為すぺきことは、民衆をしてポリス
の意味に徹底せしめ、警察が決して良民の恐るぺき費罰者でなく、反対に良民の書き友人であり、その生命財
産の書き保護者であるといふことを、親切に「賓例をもつて」教諭することにある。そしてこれが完了する時
−巡査が良民を侮辱したり、入植を度踊したりしなくなつた時1初めて賓に日本の警察は、世界第一に無
此なものとなるであらう。
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