異邦人としての郷土詩人
          大手拓次について


 「藍色の蟇」の詩は、北原白秋氏も序文に書いて居られる通り、過去の日本の、いかなる伝統をも持たない文学であるところに、ユニイクな価値を高く買はるべきである。明治以来の新詩人は、藤村氏を初めとして、有明、白秋等の諸氏に至る迄、すべて皆旧日本の伝統に対立して、新しい西欧思潮を詩に取り入れることに努めて来た。この意味に於て日本の詩人は、すべて皆「伝統の破壊者」であつた。しかも日本人であるところの彼等は、いつのまにか伝統の文化するインテリゼンスに、彼自身を因果的に巻きこまれて、結局やほり伝統の詩を歌ふところの、伝統の詩人群になつてしまつた。薄田泣菫氏も、蒲原有明氏も、その詩想の根拠は所詮古典の伝統にすぎなかつたし、北原白秋氏もまた最も多くさうであり「思ひ出」はこれによつて多数の読者を捉へたのである。
 「藍色の蟇」の詩人だけは、独り彼等の中にあつて異例者であり、殆んど日本的なる何の伝統にも捉はれなかつた。そしてこの事情は作者大手拓次といふ人が、稀れに不思議な変人であり、仏蘭西語の詩集以外、殆んど如何なる日本人の古典をも勉強せず、日本文学について、殆んど完全に近い白痴であつたといふことに原因する。「君が日本の古典を知らないことは、君の一番の強味だ。」と故芥川龍之介がかつて私に言つたことは、もつと一層完全に、大手拓次の場合に適応する。しかも尚その上に、彼は私と同じく、上州といふ所に生れた。その上州といふ所は、おそらく日本国中に於て、最も文化的伝統のない殺伐野蛮の白紙帯である。人は環境によつて支配される。京都や金沢に生れた人は、一冊の古典すら読まないでも、生れながらに伝統の文化を慣得して居り、如何にしても伝統人たる宿命を脱れ得ない。大手拓次が上州に生れたことは、私の場合と同じく一面に於て彼の損失であり、一面に於てまた彼の所得であつた。
 しかしながら彼の詩には、上州的なる粗暴性や殺伐性は絶対にない。彼の詩想はすべて仏蘭西近代詩から得たものであり、神経の極めて細かい優美のデリカシイを尽して居る。環境的に文化を所有しない白紙人は、これを異国の物に学ぶ外なかつたのだ。この点内村鑑三や新島襄などの上州人なども同じであつた。文化的伝統のない上州には、宗教上でも仏教の根強い伝統がなく、したがつてキリスト教のプロテスタントヘ、徹底的に狂信することができたのである。
 「藍色の蟇」の詩人は、絶対的にプロテスタントではない。彼はあらゆる小心者の中の小心者であり、常に孤独でおどおどとして居り、絶対に反抗の意志を持つことのできない性の男であつた。しかしながら彼は、プロテスタントではない所の、他の別派の基督者、即ちカトリシアンであつたことで、同じく内村鑑三等と魂を触れ合つてゐる。但し私は、此処で彼が洗礼を受けたことを言つてるのではない。彼の生活そのもの、彼の生涯を通じてイデアし、モラルした熱意そのものが、すべてに於てカトリック教的であり、中世紀基督教的であることを言つてるのである。詳しく釈いて言へば、彼は生涯そのイメーヂに浮ぶ聖母マリアを恋人とし、天国の結婚を夢みながら、四十八歳で身を終るまで、童貞不犯の生活をした。これをしもカトリシアンでないと言へば、どこにローマン・カトリックの十字架があるのだらうか。
 私が「藍色の蟇」の詩人を愛するのは、何よりも彼が上州人であることにより、上州人のあらゆる悲劇的宿命性を負つてることに、私と同じ魂を触れ合つて感ずるからである。彼よりも早く死んだ詩人、山村暮鳥もまた上州人であり、日本基督教の牧師をして居た。すべての上州人は、気質的に皆クリスチアンたるべく宿命され、それ故にまた異邦人として、この国の伝続から入れられない悲劇性を因果してゐる。
 文化をその環境に所有しない上州人は、自己の生れた故郷に対してさへ、何の愛着も関心も持つて居ない。内村鑑三は、人にその生地を問はれる毎に、常に奮然として答へて言つた。人が偶然に生れた地方の如きが、何で故郷と言へるものかと。
 新島襄もまた、その墳墓を故郷に建てることを嫌つた。山村暮鳥はその本当の生地を最後まで曖昧にかくしで居た。およそ上州人ほど、いはゆる愛郷心のないものはない。単に愛郷心がないばかりでなく、自らそれを嫌悪さへしてゐるのである。文化伝統の深い他所の人々が、自己の故郷についてお国自慢をしてゐる時、上州人は横ッぽを向いて不機嫌になり、内村鑑三のあの言葉「人が偶然に生れた土地が、何で故郷であるものか」を心の中に呟いてゐる。
 けだし日本の異邦人である私等には、初めから「故郷」といふ観念がないので掛る。国定忠治の昔からして、私等の血統は漂泊者であり、草鞋をはいて諸国を放浪する無宿者だつた。私の同郷の善き詩人が、すべて皆心の家郷を椅たないところの、コスモポリタン的漂泊者であつたのは当然である。