詩の原理と詩の研究


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 「籍の原理」が出てから約十年になる。何を需いたのか、今となつては殆んど忘れてしまつたのが、その亡げれ
た頃になつて、始めて自分は、この書物の棺和してゐた主意が脾つた。つまり自分は、この書に於て浪漫精南
の呼び離しと、失ほれた主観恍の回復を説いたのである。なぜなら僕の意味に於て、「詩」といふ言葉は「主
観性」や「浪漫楠神」と同義字であつたから。
「詩の原理」を書いた頃は、日本の文壇からも詩壇からも、青年性の文学であるロマンチシズムが全く失ほれ
て、卑俗的レアリズムの低姻文挙が全盛して居た時であつた。そこで僕の著書は、時代に封する叛逆の旗をひ
るがへして、新しき詩の黎明を呼ばうとしたところの、一の叛逆接紳によつて書かれた詩論であつた。そして
この親逆精神 − 主観性の同復、青年性の文筆運動、ロマン棺紳の呼び醍し等 − は、最近日本文化の全野に
亙つて、各方面から虜く熱情的に叫ばれて居るのである。つまり僕の蓉著である一詩論は、今日の新しい時代
を呼ぷべく、先騒しで嘲机を吹いたやうなものであつた。
 この僕の著書に少し遅れて、春山行夫君のボエデイ運動と、その詩論集「詩の研究」が出た。(最近出版さ
れたのは、その嘗縞の訂正版である。)春山君等の詩論と新話題動とは、その精神に於て、丁度僕と正反封の封
庶に立つでるものであつた。即ちそれは、昔時の詩壇的、文壇的の主潮であつた主知主義や客観主義に迎合し、
詩をその時代の潮流に合せて、本質的に散文化しょうとするのであつた。つまり僕の詩論が「薮逆的」「反時
潮的」であるのに反し、春山君等の詩論は「迎合的」「順時潮的」のものであつた。
 しかし詩を散文化するといふことは、本質上に於て詩を喪失することに外ならない。詩の純正を守る楕紳は、
常に時代の敢文主義に扱逆し、時代に戦ひを挑む精神にある。時代の散文主義に順應するのは、一時的には詩
の文壇的衰滅を防ぎ、正に亡びようとする文筆を、時代の好尚に迎合することから、漸くその攣貌的存在を可
能させることになるかも知れない。しかしながらそれは、暫師が結核患者に安静を命じ、精神病者に沈静剤を
町凝→
イ占′ 無からの抗争

輿へると同じく、病気そのものを治すのではなく、一時的の饅作を止める封症療法にすぎないのである。病気
そのものを根本的に治す為には、第一に先づ、病気の原因である病菌を殺し、外科手術によつて患部を切除せ
ねばならないのである。僕の詩論はこの根本療法を説くのであつて、一時的の方便主義を排斥し、詩棉紳の病
菌であるバタチリヤ(卑俗的に散文化してゐる時代、詩精神を失つた時代)を、徹底的に殺菌せょと言ふので
ある。
 それ故に普時に於ても、春山君等の詩論は「詩壇人」に喝来され、僕の詩論は「公衆人」によつて磨く讃去
れた0つまり日本の詩壇人は、他の一般の専門職菜家と同じく、自己の狭い部門的蜃術に於てのみ、意見や功
名の関心をもち、耽舎人や生活人としての、県のヒューマン・ライフを持たないのである。そして春山君の
「詩の研究」は、かうした人たちに盲バーセンーの興味であつた。然るに一般人はこれに反し、すぺでを自己
の賓生活する杜合上から膿感する。一般インテリゲンチユアとしての青年や畢生やほ、詩の奉術的鑑賞は知ら
ないまでも、自己の寮生活してゐる時代の悩みと、現代文化が意欲するイデアの賓髄をよく知つてる。そして
僕の「詩の原理」が、かうした一般人であるところの、時代の若いインテリゲンチェアに主で、誠賓の良心を
以て呼びかけたのである。