純粋詩と主知主義


        日本の和歌と俳蘭西詩
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 最近欧洲、特に備蘭西を中心とする欧洲の詩壇では、純粋隷のイデアが叫ばれ、主知主義が詩の時代的潮流
となつてるのである。日本でもこの外図詩壇の新思潮を直詳して、自ら二十世紀の尖端詩人を気取り、純粋詩
や主知主義を稗へてる人が居るけれども、彼等の自ら主張し、作品する所を見ると、殆んどその思想のエスプ
リしてゐるところが、何を意味してゐるのか了鮮に苦しむほど、本質的に得鰹のわからないものが多い。少し
く皮肉に屏蒋すれば、彼等は畢に「主知主義」といふ言葉、「純粋詩」といふ言葉の、尖端的モデーンな言語
感覚に酵ひ、流行の背廣をきて銀座街頭を歩くやうな、他愛のない無邪気なプライドを背負つてるにすぎない
のである。おそらく本書の讃者の中にも、日本の詩頓に於て、純粋詩や主知主義やの名目論が、早くから既に
絶唱されてることを知つてる人は、決して少くないであらう。それにもかかはらず、名目だけの智識であり、
それの賓饉性については、おそらく曖昧膜腱を極めて居り、少しも判然とした正碍を知らないだらう。なぜな
らそれを提唱する詩人自身が、自らその列然たる智議を持たず、際騰曖眈とした頭脳の中で、備蘭西語の字書
的な幻影にのみ、漠然としたゲイジョンを浮ぺて居るにすぎないからである。以下自分は、これについて賓例
イ2ア 瀬モからの抗争

をあげ、眞の判然明白なる具饅的の解説をしたいと息ふ。
最初に教へておきたいことは、かうした純粋詩や主知主義詩論は、西洋に於てこそ、始めて最沈にイデーさ
れた新思潮であるけれども、我々の日本に於ては、既に早く享年皇宗らして、和歌の歴史と共に有つた物
だといふことである0単にそれが「有つた」ばかりではない0詩作品そのものとしても、詩孝の考へ詰めたイ
デーとしても、奉術美挙の絶封的な究極に達したもので、おそらく西洋のいかなる進歩した近代詩にも、決し
                                                 .ソル
て少しも劣るものではなかつたのである○ヴアレリイの言によれば、今日現在の詩壇に於て、純粋詩は一の理
念にすぎないのである0然るに日本には、早く既に昔に於て、彼等のゾルレンにすぎない純粋詩が、事箕上に
レソ
存在し、世界に顆なき抒情詩の芙花を開いたのである0これは驚くぺきことである。だがまた富然のことでも
ある0なぜなら日本の文化は、西洋よりもずつと早く、今の悌蘭西人や猫達人やが、全く裸鰭の野哲人であつ
た頃に、既に早く文化の高い生育をして居たからである0今日、二十世紀が持つてる欧洲文化は、その物貿文
明の一部を除いて、概ね皆過去の日本が、自家に所有して居たものにすぎないのである。
 それ故に西洋、今やその「文化の段落」に際してゐる西洋が、此所に始めて「西より東へ」の目を開き、期
せずして我等の古文化に潮流して来るのほ官然である0おそらく彼等の西洋詩人は、そのイデーする純粋詩や
主知主義詩(即ち抒情詩の究極のもの)が、既に早く中古の日本に有つたといふことは、智識上に全く知らな
い所であらう0しかも西洋の行き詰めた尖端思潮が、期せずして我等の古文化に締結することは、歴史的に官
然の経過と言ふぺきである。
「純粋詩」とは何だらうか○プアレリイ等の説によれば、詩から一切の散文的要素を除き、詩をして敢文の鈍
                                               1...E
一璽耶り那斬り詳しく香車島の言葉か寿叫新野を排除し、萌文としてのフォルムが構成
するところの、純粋の音楽美、頚律美によつて、特挽なボエデイを象形する物を言ふのである。したがつて純
粋詩は、これを普通の常識として、文章上の「意味」を観念する限り、全くナンセンスの文学にすぎなくなる0
即ち純粋詩とは、韻律の美だけがあつた、内容上の意味のない詩(ナンセンス・ポエデイ)を言ふのである0
 所でこの種の詩文拳は、日本に早くから蛍育して居た。その特娩の理由と原因は、元来日本詩歌の出餞が、
西洋の如く散文的の観念内容ハ思想牲)に捉はれず、純粋にナイーヴの抒情詩として出磯し、古来幾世紀の長
い間も、抒情詩としての一途な研究に組頭し、その狭い範囲で長足の進歩を遂げたからである。(西洋で抒情
話が専念的に意識されたのは、近々十九世紀以来にすぎない。今日西洋で「詩」もしくは「近代詩」と呼んで
る文学は、瓢約的に皆抒情詩を指してるのである。なぜなら抒情詩以外の韻文孝は、今日皆廃滅してしまつた
から。)
 抒情詩は、すぺての詩の中で最も純粋に韻文主義のものであり、最も封庶的な反散文主義のものである0故
にその徹底した極致のイデーが、ヴアレリイ等の所謂「純粋詩」に辟着するのは自然である。日本の歌史に於
ては、早く眈に常葉集時代から、苧つしたイデーへの傾向が現はれて居たが、これを明らかに意識に把捉し、
且つ作品上に明示しで、今日の所謂「純粋詩」や「主知主義璧粥」と皇ロふぺきものを、歌壇の意識に標椿し
たのは、賓に中古の平安朝に入つて、古今集時代からのことであつた。
 古今集の美挙と拳術とは、明らかに萬棄集の封放であつた。萬棄集は情熱本位であり、自然蜃生的の詩歌で
ぁった。之れに反しで古今集は、理智を尊び、知性の構成主義を重んじ、主観よりもむしろ客観を尊んだ○常
葉集の精紳はロマンチシズムであつたのに、古今集は、レアリズムの主知主義を標樗した。「抒情詩に於ける
主知主義とレアリズム」は、日本の諸史に於て、貸に古今築から始まるのである。古今集の歌風を示す為に、
イ29 無からの抗争

次に一例をあげょう。
 袖ひぢて結びし水の凍れるを春立つ今朝の風やとくらむ
墓、この歌は葺集の代表作として知られて居るが、これは「理智的」と言はむょりは、むしろ理璧和め
の観念詩に顆してゐる0即ち「袖ひぢて結びし水」で夏の季節を現はし、「慧るを」で冬を表象し、以下の
句で春を示し、盲の中に春夏秋冬の四季を詠み込んだといふので、貰の歌人等を感嘆させたものであつた。
しかしかうした詩歌は、本来抒情詩として高級なものではない三今集のかかる理智主義は、知性の毒とし
ても、極めて素朴的なものなのである0そこで爾後の歌壇は、この素朴的重宝義を著して、これを充分
高璧雷にまで洗練完美させる事の努力にかかつて居た0そしてこれの完成させた有終の美が、即ち拾遺集、
千載集を経て到達された、王朝末期の悲しい歌集新古今柴であつた。

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 文化が最高の極度に熟爛し、或るインテリ階級の中に停滞して、その野性的な冒険性と霊位とを失ふ時、
その奉術は猫創的な個性美ひ、内容上の飛琶と情熱とを要して、必然にフオルマリズムの嘉的唯登
義に締結して爽る○現代欧洲の悌蘭西詩壇が、正にかうした文賃潮を妄してゐる。彼等の売主義詩論が
掲げるところは、詩からその主観性(ドグマや情熱)を除書ること○知性の冷徽実に澄み切ること。内容を
詩の素朴的な不純性とし、形式を詩の最高の純粋美とし、翼至主義をモットオとして、徹底的なフオルマ
 リズムを奉ずること等である。

 [雪山ョ」召J∴
所言古藤原時代の是文化が、あだかも正にかうした物の象徴であり、現代二十世紀の俳蘭西文化と、こ
                                                       ∧巨巨..巨
〜J一日Jめ鮎で軌をりktて梧たのである。公卿貴族階級のインテリによつで専有され、爛熟崩壊の域に達してゐた償
時の文化は、全くその零術の主観性を失ひ、非個性的な形式主義に個重し、
徹さによるところの美の結晶を求めたのである。
ひとへに知性の冷徹さと、その冷
  聞くやいかにうはの室なる風だにも松に普する習ありとは
  年もへぬ折る契は初瀬山尾上の鐘のよその夕ぐれ
  たち別れいなばの山の峯に生ふる松としきかば今かへり来む


 試みに見よ。此等の歌のどこに明白の個性があるか。作者は夫々ちがつてゐても、詩想は殆んど皆同じであ
り、一つの公式的の美挙にょつて規範づけられてる。だがそれにもかかはらず、このフオルマリズムの抒情詩
には、何といふ知性の美しい冷徹さがあるのだらう。最初の歌は松の枝を吹く凰の音のイメーヂにかけて、棲
人を待つ心鯖を訴へて居るのであり、次の歌は、初瀬の観音に願をかけて契つた懸が、室しく他人の物になつ
てしまつたといふ矢懸の悲嘆を、晩鐘の鳴り渡る夕暮の風趣にかけて、一幅の給費のやうに摘出して居り、最
後の歌はまた、「いなば」を「往なば」と「因幡」の二義にかけ、「松」を「待つ」の語呂にかけて、一つの歌
から二重のイメーデを浮び出させるやうに工夫されてる。
 古今集時代に於て、未だ東朴の椎態を睨しなかつた主知主義の詩は、此所に至つて箕に明朗完美の至奉に達
した。此所に引例したのは三首共敬愛歌である。しかもその憶愛が、いかに知性によつて冷徹に客観され、給
養的観照で重き出されるかを見よD此等の歌には、もはや萬菓集に見るやうなパツショネートの情熱はない。
パツショネートのものは、この種の歌の前にあつて、あまりに非肇衝的に、あまりに粗野すぎてさへ感じられ
イブJ 無からの抗争

る0それはど純粋に唯美主義的である0そして蜃衝的に純粋であるといふことは、二阿に於て主観の喪失を意
味するのである0拳衝は主観的であればあるはど−浪漫主義的、自然蜃生的、野性奔情的となり、唯琴王義の
フオルマリズムから封配しでくる。
だがしかし、讃者はさらにまた反讃して、此等の歌がその冷徹の主知主義にもかかはらず、本質に於ていか
に抒情詩としでの魅力に富み、江温するりリシズムに富んでるかを見よ。そしてこのりリシズムの本館が、何
所にあるかをさらに考へて見よ0それは決して、詩の内容たる詩想の情緒や感傷性にあるのではない。「歌の
善しといふは、調ぺ、すがたのよろしきなり0その他にほ非ず0」と、昔時の代表的歌人であつた藤床俊成が、
常時の詩畢梢紳を代表して言つてる0彼の諜によると、詩歌の表現すぺき賓貿の物は、決して内容の詩想にあ
るのではない0「内容」といふものは詩に放ては畢なる「素材」にすぎない。表現の究極意義は、ひとへに歌
の「すがた」「しらべL即ちフォルムやスタイルの芙につきるのである。故に普通の意味で言はれる内容とい
ふ言葉は、極めて素朴的な観念であつて、茸には無意味な歪岬にすぎない。といふのが、俊成定家を始めとし
て、常時の主知主義歌人の定見する所であつた0即ち彼等によれば、フォルムが詩の一切の物であつて、あら
ゆるポエヂイの資質要素は、すぺてフォルムの中に壷され、フォルム即ちボエヂイ、フォルム即ちりりシズム
なのである。
 そこで上述の歌を検討して見よ0「開くやいかにうはの峯なる風だにも捻に香する習ありとは」といふ歌ほ、
これを内容上から観念的に思惟する限り、全く知性の作りあげた非情の観念的構成詩にすぎず、詩歌の生命た
るぺきりリシズムハ讃者の心に直接働らきかける情感性)がないのである0しかも一度この歌を朗吟する時、
何か知らそこに心を探り楽ますところの、艶になやましく、優にらうたげな轡愛思慕の情を切賓に感じさせら
れる0そしでこのりリシズムの質鰹が、ひとへに全くその言葉の報律や書架性、即ち盲人のいはゆる「すが
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Z「声
ir巨ヒ
姻虹
此所に放てか讃者は、フォルムが詩の一切であり、フォルム以外に詩の内容といふぺきものが瀬いといふ、
形式的主知主義の眞抒がょく解るだらう。同じ主知主義者のプアレリイが、詩の秘密は韻律の秘密に透きると
                                            プアース                シ ノ一一人
言ひ、領律至上主義を主張して、
「抒情詩」と「韻文」とを必然不離の同義字に考へてるのも、またこれによ
って讃者に了屏されるであらう。詩は知性的に澄み切るほど、純粋の意味でリリックになるといふ、同じ主知
主義者の逆説的の言葉も、昔の日本の歌人たちが早く既に直覚的に知つて居たことなのである。
 平安朝末期に於ける、かうした主知主義の和歌の中から、その代表的な佳作を選んで、藤原定衆が媚したと
言はれるものに、有名な小倉首人一首がある。自分は少年の時にそれを骨牌で遊戯し、殆んど全部の歌を暗記
したが、それらの歌が何事を意味してゐるのか、丸きりわけが解らなかつた。長じて解説をよむに及び、初め
てその大意を了解したが、しかもそのリリックの本質してゐるものは、依然として伺不可解であり、茫漠とし
て捕捉できないものがあつた。それらの歌の顆形的常套である「縁語」や「掛け詞」は、自分にとつて一種の
文筆的遊戯であり、くだらぬ駄洒落や語呂合せのやうに思はれた。それにもかかはらず、そのワケのわからぬ
歌を朗吟する毎に、自分は常に一種の陶酔的なりリシズムを心に感じ、詩美の最も純粋なものを感銘した。そ
して最近、漸く初めて、この不思議な日本の詩に就いて、その深奥な謎を理併し得た。即ちこれがいはゆる近
代詩壇のイデアする「純粋詩」といふものなのである。それには全く内容がなく、ミーンスとしての文字がな
く、すぺてが掛け詞や縁語やの、音韻的メロヂイで構成されて居るのである。そしてしかもその「純粋竜文」
のフォルム中に、詩の内容する一切の意味やりリシズムやが、風情深く匂ひこめられて居るのである。故に小
倉百人一首の歌は他の一般的なる昔時の歌と同じく、これを散文的、内容的に見る限り、概ね皆ナンセンス・
ボエヂイである。そしてしかも、これを哉文的、形式的に見る場合、逆に最高の充賽した賃貸を持つた詩にな
イjj 無からの抗争

るのである。
しかしながらこの種の詩は、それを所産すぺき魂墳條件を具へたところの、特殊の文化、特殊の時代に非ず
ば蜃育し得ない0第三それは、前言ふ通り、文化の爛熟したデカダン的崩壊期、人々が眈に生理的な情熱や
感激性を喪失してしまひ、一切の物に退屈を感ずるほど、知性のインテリゼンスに飽和したる時代でなければ
生れ得ない0第二にそれは、時代の攣化する革命や推移に際して、文化人たるところのインテリゲンチユアが、
自らその生活の目標を失費し、自己の非力と汲落とを、ニヒリスナツタに嗟嘆して居る如き時代にのみ雲Rす
る0そして今空手世紀の彿蘭西人0欧洲大戦後の文化崩壊期に面接して、インテリのあらゆる末路的温落の
悲嘆を味つてる悌蘭西人と、中世平安朝末期の日本の貴族、文他の行き詰めた山頂に坐しながら、新興武士階
級によつて不平におびやかされて居た過去の日本の公卿者流とが、この鮎の時代環境で全く}致し、偶然にも
同じ文化意識、同じ季術理念を所有して居たのであつた。
 自分はかつて、或る短文の中で、「彿蘭西語のサンチマンといふ言葉は、英語のセンチメンタルともちがふ
し、それを和詳した日本語の感傷ともちがふ0サンチマンといふ言葉の蔭には、知性と趣味性との深いインテ
リゼンスがこめられてる0それは日本の昔の言葉で、あほれといふ語によく似てゐる如く思はれる。Lと書い
たが、最近佐藤春夫君は、さらにこの思想を詳説して、日本語のいほゆる「物のあはれ」が、知性の行き詰め
たインテリゼンスの究致であつて、しかも同時にりリシズムの極致であるといふことを、その「日本的なるも
の」の讃美論の中で述ぺてる。
平安朝時代の日本の歌が、物のあはれをウリシズムの本質としたことは、近代悌蘭西の話がサンチマンを争
車するにょく似て居る0しかし「物のあはれ」の思想性を形づくる係数的情操が、キリスト教徒の西洋人にな
いことほ言ふ誉ないごそれは決して同じ一つの物ではない0しかしただ両者は、知性と趣味性との深い文化 ノ
撫養によつて、喬朴的な感傷性を克服することから、逆にり廿饗止揚することの智慧で
紺羽打
藤春夫君によれは、「物のあはれ」 の本質は粁謹論的のものである。即ちそれは知性であつて同時に情緒であ
り、主観であつて同時に客観である。それは対象にあはれを感じ、正に演を流すばかりのセンチメントに際し
ながら、同時にその一歩手前で、冷徹な知性がこれを批判し、教理孝的な冷たい悟性が、これをストイツタに
形式主義化するといふのである。ヴアレリイ等が思惟してゐる純粋詩とか主知主義詩とかの本質も、おそらく
ほかうしたポエヂイ、情緒と知性の微妙な高等敷革的組合せを言ふのであらう9


               一年


 スペンサアが言ふ通り、すぺての文化や政治やは、民衆がそれを迎へ得る程度にまで、充分の教養を漁備し
ない時、決して正督に受け入れられない。それは誤つて模倣され、却つて文化を堕落させ、民衆を不幸に陥入
れる。所で現代の日本は、彿蘭西二十世紀の爛熟文化を受け入れるぺく、あまりに粗野で涜雑にすぎる時代で
ある。かかる文化儀生期の過渡期に於て、平安朝貴族ほどの文化的教養を持たない日本人が、現代俳蘭西詩壇
の新潮流を相承しょうなどと思ふことは、そのハイカラ思想自身の中に、既に大きな危険性があることを知ら
ねばならぬ。
 今の日本詩壇で、純粋詩や主知主義詩論を唱へるものが、何れも皆単にその概念の周囲を戯け頻り、彼自身
ですらも賓にほ解らない怪物を臆測しながら、姦漠として捕捉しがたい謎語を並ぺ、讃者を煙に巻くことを以
て能としてゐる如き観があるのは、箕にこの無理な不可能をあへてしてゐるからである。たまたまその自ら純
粋詩と名乗り、主知主義詩と自稀する作品を見るに及んでは、彼等の冒険を危ぷむよりは、むしろその詩重婚
のエスプリを破滅し、ポエヂイの本質を邪悪に堕落することの危険を感じ、撃を大きくして叱責啓蒙せざるを
イJ∫ 聴からの抗争

得ないのである0甚だしきに至つては、ポエデイからその一切の惰性やりリシズムを排除して、純粋に教理的
な理知と知性とを要求したり、或は何等韻文としての要素を具へない言葉によつて、散文的フオルマリズムの
詩を書くことを以て、主知主義詩の本質であり、新時代の尖端詩である如く説いたりするところの、世にも荒
唐燕櫓なソフイスト的奇説家の先生たちも居るのである。
 要するに主知主義の詩は、韻律(音楽)があることによつて、初めてリリックたり得ること。即ち内容に於
て知的に殺致してしまつた情緒を、形式の音楽によつて代用させてることは、以上の説明によつて明らかだら
う0十九世紀の高踏汲や、現代のグアレリイ等の如く、主知主義をモットオとする詩人が、期せずして皆親律
至上主義であるのは偶然でない。主知主義の詩にしてもし韻律の音楽性を持たなかつたら、それはもほや本質
上にリリックでなく、他の別個の知的散文寧に属すぺきである。