漂泊者の文学
         永井荷風氏の東綺譚を読む



 永井荷風氏の墨東綺譚(東朝連載)を読み、近頃になき痛切の悲哀を感じ、まことに心うたるる思ひがした。これは作り物の小説ではない。老いてその家郷を持たない一文学者が、赤裸に自己の生活を告白し、寄るべなき漂泊者の寂しさを、綿々縷々として叙べ訴へた抒情詩であり、併せて一の魂の哀切な懺悔録である。


 我等の時代の日本人は、老いたる者も若き者も、共にその安住すべき心の家郷を持たないことで、現実の悲みを共にしてゐる。信仰もなく、希望もなく、生活の目的さへもない。常に最も理想家であるべき青年さへが、早くから人生に絶望して、荒蓼たる虚無の原野を、老いたる犬のやうに漂泊してゐる。すべての人は家郷を持たない。そして尚その上にも、我等の「日本」をさへ見失つてゐるのである。
 まことに今の時代に於て、日本的なもののイデーが叫ばれ、日本が迷児のやうに探索されてゐることほど、時代の虚無観を如実に表象してゐる事実はない。日本は一体どこにあるのか?かつて昔、たしかに我等の美しい日本があつた。飛島、奈良の栄えた都に、唐の長安を移して建てた、蜃気楼のやうな壮大の文化があつた。そしてまた中世には、平安の都に藤原の文化が栄え、近世には江戸三百年の文化があつた。だが今日、その一切のものは消えてしまつた。我等の「日本的」と解するものは、今日の場合、フアンク博士の「新しき土」によつて紹介された物以外、どこにその本来の影を残してゐるか。我等の兵士と軍隊とは、その忠勇義烈なことに於て、今日世界無比と称されてゐる。そして全く、単にそれだけが今日「日本的なもの」の一切ではないのだらうか。
 今日の日本は、文化的に言つて、全く一つの廃跡にすぎない。石と、ガラクタと、煉瓦の破片とが、雑草の中に散らばつてゐる。此所には何の美しいものもなく、何の意味あるものもない。だがしかし、現実の事実として、我等はこの時代の日本に生れ、この時代の日本人として生きてゐるのだ。我等のやうな歴史を有し、我等のやうに繊細な神経をもち、世にも内気に恥ぢらひ深く、非社交的な悲しい民族が、日本を離れて何所に住むことができようか。たとへ現実の日本がなく、すべての日本的な物が虚妄であつても、尚且つ我等は、イデーとしての日本を所有せねばならないのだ。そのかみ古き昔に迄遡つて、今日人々が日本的なものを探求してゐるのは、まことにこのイデーを求め、失はれた「我等の家郷」を、廃跡の中から掘り当てようとするところの、心の悲しい渇情に外ならないのだ。
 かかる悲劇の出発は、だが今日に始まつたものではない。早く既に、それは明治の文明開化と共に序幕をひらいた。しかも当時の人々は、ギヤマンの珍奇に魅せられ、エレキやマグネツトの奇術に驚異し、ひとへに文明開化を慕つて盲進した。ただ彼等の中、少数の醒めた人と、若くして既に異国趣味を卒業した過敏の人とが、日々に美しい者の荒廃され行く自国を見て、傷心に耐へがたく目を蓋つた。だが彼等もまた、自国を離れて住むべき故郷を持たなかつた。そこで彼等の行くべき道は、かつての美しい日本であつたところの、昔の伝統の図を心に画き、広重画く江戸文化に憧憬して、ひとり孤独にイメーヂしながら、世にすねて生きる外なかつたのだ。そして永井荷風氏が、実にかうしたイロニストの一人であつた。


 若くして仏蘭西に遊び、巴里の燈火に耽溺して、ラムボオを読み、ルレーヌに私淑し、モーパツサンを自負した紅顔の情熱詩人は、日本に帰朝したその時から、一切の洋服を脱いで江戸趣味者に変つてしまつた。彼が現実の東京に見たものは、あらゆる非巴里的なる文化の荒廃図であつたからだ。彼の詩人的なる神経は、到底この野蛮と非藝術に耐へなかつた。巴里と東京との距離よりは、むしろ却つて、江戸と巴里との方が百倍も近く類接してゐた。
 しかしながら江戸は日本の現実にない。それはただ荷風氏の頭の中に、一つの主観的なイメーヂとして、侘しいリリシズムとして存在してゐた。そこで「墨東綺譚」の主人公は、今もまだ昨日の如く、その侘しいリリシズムを心に抱いて、震災に荒らされた東京市中を、野良犬のやうに飢ゑ悲しんで、昔のイメーヂを探しながら彷徨してゐる。そして面影さへもなく、今の変りはてた向島の堤を歩き、古の風流と弦歌をたづねようとして、ゆくりなくも憐れに貧しい淫売婦に逢合し、希望もなく将来もない、棄てた泣きじやくりのやうな情痴に溺れてゐる。こんな悲しい人間の記録がどこにあるか。おそらくこの不幸な詩人は、一生向島の堤を歩き続けて、一生その心の家郷を見出すことができないだらう。


 「墨東綺譚」の自叙伝が心をうつのは、何よりもその作者が詩人であるからだ。或る意味から言へば、すべての文学者は皆人生の漂泊者であり、すべての文学の本質するものは、結局言つて皆「墨東綺譚」の作り換へに外ならない。だがその作者が、真のレアリスチツクな人間観察家、即ち厳正の意味の小説家である場合と、心に主観の強い嘆きやリリシズムを持ち、人間観察の描写よりは、むしろ自己の詠嘆を先に求めるやうな作家の場合とでは、読者に訴へる文学のエスプリがちがつて来る。もし文学のリアリチイといふ価値から見れば、前者は後者の文学にまさるであらう。しかし直接人の肺腑にふれ、強い情緒的の感動をあたへるものは、真の詩人的気質によつて書かれた、詩人の文学でなければならない。
 永井荷風氏の文学的モチーヴは、或る点に於て徳田秋声氏とよく類似してゐる。つまり言へば、二人共頽廃的な情痴主義者なのである。しかしその異なる点は、秋声氏が純粋のレアリストであり、客観的の小説家であるに反して、荷風氏が本質的にリリシストであり、主観的な詩人であるといふ所にある。故に秋費氏の場合に於ては、情痴が情痴としてレアリスチックに客観されてゐるに反し、荷風氏の場合では、情痴が主観の詠嘆として、或る求められない心のイデアの渇情として、哀切深く書きつづられてゐるのである。まことに荷風氏の文筆は、彼の詩人的にすぎる生活自体の悲劇から出発してゐる。六十歳の老年にもなつて、家族から離れた孤独な独身生活をし、野良犬のやうに彷徨しながら、身分をかくし、交番の前を恐れながら、素性もわからぬ女の許に居続けをしてゐる。といふことは、何といふ傷ましい漂泊者の人生だらう。彼の安住すべき家郷は、その家庭にもなく、その情婦の家にもなく、そして実に現代の日本にも無いのである。


 かかる漂泊者の悲哀こそ、今日の社会のあらゆる階級、あらゆる年齢に渡る日本人が、おしなべて皆共通に所有してゐるものである。うべなる哉。この荷風氏の自叙伝は、東京朝日新聞の読まれる範囲で、あらゆる階級の老若男女に愛読され、読者の多数を獲得することに於て、新聞連載物の新レコードを作つてるさうである。今日文壇の議事として、文学に於ける大衆性の問題が議せられてる時、私はこの話をきいて心強い思ひがした。大衆は常に原則的に健全であり、文学のニセモノと本物とを、直観的に誤りなく判断する。もし或る文学が、真に今日の社会に於て、現実の生活感情から出発したところの、真の人間性の純真な告白である場合、大衆は必ずそれを理解し共感する、反対に大衆は、インテリの文学意識だけで書いたやうな、独りよがりの気取つたものや、現実の生活に根ざさない観念的の文学作品を毛嫌ひする。俗語や小唄でさへも、大衆は町の流行歌を歓迎して、決して政府の奨励する国民歌謡を唄はない。なぜなら前者は現実の世相に根拠して居り、後者は単に観念的な作品にしか過ぎないからだ。


 荷風氏の「墨東綺譚」と竝立して、横光利一氏の「旅愁」が東日紙上に連載されてる。横光氏のこの小説は、今日迄の未完成の経過で見れば、同氏として珍しく失敗の作品である。正直に告白して、私はこの小説から、何のまとまつた文学興味も感じ得なかつた。しかしそれとちがつた別の意味で、荷風氏の作品と比較しながら、時代の共通性を見出すことに興味をもつた。即ち「旅愁」に現れてる横光氏もまた、荷風氏と共に家郷を喪失してゐるところの、寂しい漂泊者であることを知つたのである。小説「旅愁」の主人公は、船がマルセーユに着いた瞬間から、早く日本に帰ることばかり考へてる。そして巴里の旅館の窓から、世にも味気なく退屈さうな顔をして、すべての外国的な物を詰らなく眺めてゐる。彼の心は、今西洋に来て日本のことばかり考へ詰めてる。しかしその「日本」は、一体地球のどこにあるのだ。東京は半ば西洋、特にアメリカの植民地と同じぢやないか。横光氏が仏蘭西で考へた日本の姿は、おそらく索然たる物であつたらう。しかもそれは我等の心に、実在としてイデーする所の日本である。我等は世界の国々を歩き廻つて、結局日本に帰るより外はなく、日本より外に住む所はない。そして一度これを考へる時、我等の時代の日本人ほど、漂泊者としての寂寥を深く感ずるものはなからう。
 永井荷風氏は、この漂泊者の家郷を求めるために、江戸文化のイメーデを心に画き、それの幻影を追つて向島や浅草の裏街を徘徊してゐる。だが横光利一氏は、その同じ家郷を何のイメーヂに浮べたらうか。彼が巴里に居て見た空と雲ほど、おそらく世に悲しいものの姿はなかつたであらう。