ハイネの嘆き


          椰縁者に答へて



 僕が詩人の癖に詩作をせず、評論ばかり書いてるといふことで、僕を椰放する人々が居るけれども、僕は却
つてさういふ人たちの心理が不可屏に思はれる。今日の日本で、異に文化の現賓環境に腐れて生活し、且つ眞
の詩を強く心に熱意して居る人であつたら、僕が詩を作らない生活の中にこそ、眞の詩と詩人とがあることが、
解りすぎるはどによく解つてる筈だ。僕の書いてるすぺての詩論やエッセイやは、詩の有り得ないこの時代を、
詩の有り得る時代にするための叫びであり、文化と社曾の本源的なものに封する挑戦なのだ。僕の最も不可思
議に耐へないことは、かうした僕の義戦に封して、詩壇内部の詩人たちが、却つて背後から僕を椰輸したり、
嘲笑したりすることである。これでは敵が何所に居るのか解らない。却つて或は僕の敵が、味方であるぺき箸
の詩人にあるのかとさへ疑はれる。
一膿日本の詩人といふ連中は、概括的に言つて詰らない卑小人が多いのである。単に人物が卑小であるばか
りではない。詩の本質に関する認識が不足であり、詩といふ文孝を極めて狭量に皮相な見解で考へてる。つま
り彼等の大部分は、単に印刷上の見かけの上で、行わけに書いた苛文類似の文拳や、形態上で一種の約束を持
つた文挙ばかりを、軍純に詩文寧と考へてゐるのである。然るに本官の詩といふ文拳ほ、決してそんなもので
はなく、人間性の魂にふれる所頑であり、主観の最も高翔した律動的の詠嘆なのだ。かかる内容的必然性をも
イd∫ 無からの抗争

つてる文孝は、たとへ顧文の形式で書かれないでも、それ自警本質に於て眈に詩なのである。反対に形式だ
けは具へで居ても、眞の詩精神のヒユーマニチイがない文孝は詩ではないのだ。
所で僕は、誓きにした行わけの詩こそ作らないが、羞丁の本竿↓から詩茎学に璧ノるものを、昔から哀
して書き績けて居るのである0即ち例へば「絶筆の逃走」のやうなアフオリズムでも「郷愁の詩人、輿薫村」
のやうな著作でも、或は「純正詩論」のやうな論文でも、時にまた「猫町」のやうなロマンでも、すぺて皆僕
の魂の所椿であり、壷の高翔した詠嘆であり、蔓草としての本質↓から、明白に「詩」と呼ばるぺきものだ。
それにもかかはらず、僕に射して「詩を書かない詩人」といふ椰捻をするのは、さうした椰輸をする人自身が、
本質的に「詩」の何物たるかを認彗ず、真彼等自身が、眞の詩的精神を所有しないこと豊苧るのだ。
詩といふ志丁を、かかる形噂上の皮相な概念で思惟する限り、具に眞の詩人は生れず、眞の詩毒は蜃育し
得ない0即ち日本の詩と詩人とは、永遠に衣烏風月の形式的宗匠毒に止まるのである。
 しかし勿論、僕と錐も詩形態の奉術性を無用硯するものではない0異に蓼術上の意味で詩と言ふぺきものは、
単に婁学上の意味で言はれる虜義の詩ハ内容↓での詩)と直別される0詩が正しく墓衝である為には、他の
表敬又とちがふところの、特貌の韻文形態や拳術形態を持たねほならぬ0そしてこの詩形態の創造と摸索の
禁、僕もまた他の詩人諸君と同じく1要らく如何なる他の詩人諸君にもまして1昔から毒して毒
して来た0原則的に言へば、墓術は決して散文(一般文寧)であつてはならない。しかしその詩拳術は、要
するに詩精神そのものの表現であり、詩革仰の歪理念が呼ぷところの、決定的なフォルムにすぎないと言ふ
ことである。
日本の詩人諸君は、この璧し大切な常識を快乏し、コペルニクス以前の天動説的錯誤をしてゐる。動くもの
は地彗しあつて太陽ではないじ詩の主筆ゑものは「詩精神」であつて「詩形態」ではない。異に「詩人」と
                                    −E】lllllllllll「
あ9て、亀Tなる形態上の州訳文作家を言ふのではない。1然ウヂrr・
…岳−
日本の詩人たちは、持と散文(非詩)とを直別する本質の定規を、常に硯覚上の皮相な形態や書式にのみ鑑定
した。そこで彼等の常識では、すぺてのライン書式で書いた文筆が、無條件に皆詩として認定され、すぺての
非ライン書式で香いた文寧が、その書式や形態の故に非詩とされ、常に詩壇批判の外に投げ出された。その最
も甚だしい一例は、僕の蕾著「新しき欲情」や「虚妄の正義」に対して、かつて日本の詩壇が取つた態度であ
つた。是等の著書の中には、純粋に論文と見るぺき文章も多々入つて居たが、中にはまた多くの詩文孝が混じ
て居た。それらの詩文寧は、畢に内容ばかりでなく、その用語上の節奏やスタイルに於ても、他の一般散文と
異なる特森の香術形態も見えて居た。すくなくともそれらは、常時の詩壇に流行した民衆汲等の自由詩に此し
て、造かに詩形態の肇術性を具備したと自信し得る。しかも僕の文学は、それに詩といふ看板を掲げで標題し
なかつたのと、行わけのライン書式で書かなかつたのとで、詩壇人から全く別種の文筆としで白眼規され、一
行字句の批評さへもなく、全く完全に款殺された。そしてしかも彼等は、昔時も立た今と同じく、僕に向つて、
詩を作らない詩人と呼んで椰放したのである。かかる詩増人に敦へて、岡倉天心のエッセイ「茶の本」が、昔
時の所謂自由詩より百倍も眞の詩であり、百倍も眞の詩文孝であることを説いた自分が、いかに無益な説教人
であつたかを考へるのである。
 現代日本の矛盾は、何等生活人としての熱意もなく、何等文北批判のインテリ性もなく、何等魂の訴へる新
藤もなく、何等の強調した主観性もなく、そして要するに何の詩楕押をも持たないやうな卑小凡庸の平俗人が、
畢にライン書式の擬似韻文を書くことによつて詩人と呼ばれ、反つて逆に眞の詩精神を持つてる文孝者が、詩
人の名で呼ばれて居ないことの不思議さにある。そしてこの文壇事情が、詩といふ文学を限りなく低劣化し、
日本語の詩人といふ言葉を、世界に顆なき無能ガラクタの劣等人種とシノニムにさせでるのである。「詩」及
4古ア 無からの抗争

ぴ「詩人」といふ言葉は、今日に於て正に認識上の一大事攣をせねばならない。
今日の日本は、文化的にも政治的にも、すぺての杜禽的環境の見地からして、ハイネ等の生れた十九世紀初
頭の浪漫汲時代によく似る0本質上のりリシストであり、本質上の橡愛詩人であつたところのハイネは、永遠
に懸人の夢を見ながら、美しい抒情詩を書くことを以て、眞の純粋な肇術家の理念とした。しかもナポレオン
の大軍が嘲爪を吹き、プロシヤの軍隊が砲車を曳いて行軍する様を目撃する時、彼はペンを捨てて剣を取り、
抒情詩を止めて大論文を書かなけれぼならないところの、烈しい衝動を感ぜずには居られなかつた。そしてか
かるハイネの衝動こそ、今日の日本に於けるすぺての詩人と文聾者とが、自我の生活する環境に封して、ひと
しく皆痛切に感じてゐるところのものである0或る一人の小説家は、昨日僕に痛嘆してそれを語つた。「小説
を書いてる時代ではない0僕は今年から論文を書くO」と。そしてこの一人の小説家は、思ふに日本の全文聾
者を代群して居る◇況んや今日の日本に於て、ハイネの咲きを痛感しない一人の詩人があるだらうか。
 僕の理念を言へば、僕もまたハイネと同じく、生涯美しい抒情詩を書き、そして抒情詩以外の、いかなる雑
駁の文学をも書きたくはないのである0しかし今日の事情は、牡曾がその「美しいものの晩び」を、僕等の詩
人にさへ輿へてくれないのである0あらゆる物はもぎ取られて居る0僕等の時代に放て、詩人の仕事は「美へ
の奪回」の戦ひしかない0僕の本質を言へば、僕は元来抒情詩人であつて叙事詩人(争規詩人)ではない。僕
はハイネと同じやうに、純粋な敬愛諸や抒情詩ばかりを書きたいのだ。そしてまた賓際に、かつて昔の僕はさ
うであつた0だが今日では、融合の現賓相から来る刺戟と印象とが、あまりに僕等の目にも強烈すぎる。一歩
著欝を出でて町を歩けば、至る所に恵むぺきもの、腹立しきもの、唾棄すべきもの、虚偽を摘饅すぺきものが
充ち充ちて居るのである0ハイネに非ずと錐も、たれか今日の事態に於て、抒情詩よりも抗争詩を、懸愛より
も戦争を強く衝動しないものがあらうか○そしてまたかかる抗争梢紳の表出こそ、それ自ら今日に放ける「詩
鋼悶欄椚M朋朋朋祁耶耶m…粥那針いいふが念琶蕎的に美しい藁の髪形慧それが夢幻一朝ヨ
                                                                            一 一り‥ョnl一一−。ヨ

の最高なイデアである)と解するならば、僕等はあまりに詩人であり、あまり純粋の諸精神を持つてる故に、
現代の日本に於て話が書けないのである。そして人々は、その故に「詩を作らない詩人」として僕を椰輸するd
これはど悲しく寂しいことがどこにあるか。しかもかく僕を椰愉する人は、自ら何の抗争もなく苦悩もなく、
安易に現代と妥協して生活して居り、それ故にまた花鳥風月の詩を作つて楽しんで居る。然らばそもそも、こ
の図の辞書が意味する「詩」とは何ぞや。「詩人」とは何ぞや↑ いつの日だれが、この解答を僕等に輿へて
くれるのだらうか。
可■r