英雄と詩人を読みて
         保田與重郎君と日本浪曼派

 日本浪曼派の出現は、日本の文壇に「青春の歌」を呼び起した。それは失はれた詩とリリシズムとを、若き日の悦びの為に、声高く歌ひあげようとする熱意であつた。だがこの国の現実は、すべての青年の魂から、若き日の夢とロマンスを奪つてしまつた。青年の日は殺戮された。そこで我が日本浪曼派は、若き日の生誕を歌ふ代りに、若き日の挽歌を歌はねばならなかつた。それはデカダンスの哀歌であり、併せてまた青年の為に序曲された、果敢な復讐の歌であつた。これは欧州十九世紀の浪曼派ではない。皇紀二千五百九十年度に於ける、日本の世紀末の浪曼派である。
 保田與重郎君は、かかる日本の世紀末を、デカダンスの断崖に立つて歌ふところの、一人の最も勇ましい浪曼派の詩人である。すべての超人と英雄とは、没落によつて生誕する。このニイチエの弁証論を知らないものは、保田與重郎君の浪漫哲学――デカダンスであることによつて、人は明日の英雄たり得るといふこと。――を理解し得ない。そして実に悲しい事実は、日本のすべての文学者等が、過去にこの真理を知らなかつた。日本浪曼派文学運動は、この最初の「新しき弁証論」を、日本の文壇に啓発して、すべての絶望した青年たちに、明日の希望と夢とを与へ、併せて文学に於ける一つの新道を開拓した。
 「英雄と詩人」の著者は、かくしてこの時代の没落人を代表する。彼は今日の歴史に於ける、王朝文化の哀れな末路を、身に沁みて体験してゐるところの詩人である。「果敢なくて過ぎにし方を数ふれば花に物思ふ春ぞ経にける」といふ式子内親王の詠嘆は、それ自ら青春の日の喪失した時代を悲しみ、没落するインテリゲンチヤの運命を憐れむところの、王朝末路の裏切なリリシズムを表象してゐる。今日たれかあの和泉式部の悲しい歌、「暮れぬめり今日もかくして過ぎぬらむ入相の鐘のつくづくとして」を朗吟して、時代の希望なき世相を嘆き思はないものがあらうか。かかる王朝末路のリリシズムを、今日の文学にして思ひ嘆き、時代の新しい言葉に歌ひエツセイする人があるとすれば、まことにその人こそ、時代のインテリを代表するところの詩人である。そしてこの哀切無限の情を知るものは、同時にまた誰れにもまさつて、明日の日の救ひを思ひ、青年の夢を理念するところのロマンチストである。
 すべての善き抒情詩人は、同時にすべての善き叙事詩人である。なぜならリリシズム(叙情詩精神)とエピシズム(悲壮詩精神)とは、本来一つの同質的なものであるからである。「何ノ胡虜を平ゲテ遠征ヲ罷メン」と歌つた唐詩の精神は、同時に最も悲しく美しき抒情詩であり、剣を抜いて正義を叫んだバイロンの長い慷慨詩は、彼の他の恋愛詩と同じリリカルの悲哀に充ちてる。今日没落人の哀歌を歌ひ、式子内親王や和泉式部やの、艶にやさしい抒情詩に涙流して同感するところの多恨の人は、同時にナポレオンの悲哀を知り、英雄の心事に触れて剣を抜くところの叙事詩人である。わが保田與重郎君が、没落人の哀しいリリシストでありながら、
セントヘレナの英雄を遠く偲び、万感の思慕をよせて慷慨の志を述べる所以はここに存する。
 ナポレオンとゲーテとは、今日の唯物史観的プロ文学者から、最悪の敵の如くに憎悪されてる。なぜならゲエテとナポレオンとは、彼等の公式する唯物史観の原理を破つて、偶然律の奇蹟から生れた宇宙的天才だからである。だが今日の時代が求めるものは、必然的因果人の凡庸でなく、偶然的奇蹟人の天才である。保田君の説によれば、今日現代の日本は、正に欧州十八世紀末に相応してゐる。即ちそれは、ゲエテとナポレオンとによつて清算さるべき時代であり、正に浪漫主義の夜明け前に当るのである。だが保田君の英雄讃歌は、勝利者としてのナポレオンを歌ふのでなく、敗北者としてのボナパルトであるところの、あのセントヘレナの孤高人を歌ふところに始まつてる。なぜなら今日のロマンチシズムは、それ自ら敗北主義の旗を掲げるところの、孤高人の悲しい哀歌に外ならないから。すべてのニヒリストは、同時にすべてのロマンチストであり、すべての憐れな敗北者は、同時にすべての英雄者である。この二律反則の命題ほど、今日に於て判然明白の事実はない。
 まことに保田君の言ふ如く、今日に於ける時代のモラルと良心とは、イロニイを所有する精神の中にのみ生誕してゐる。そしてまたそれ故に、すべて詩と文学とが、イロニイを母胎としてのみ生れるのである。保田君の所謂「今日の浪漫主義」は、文学に於ける合理牲の主張を掲げ、抽象上のイズムを押し立てる運動ではない。これは日本の文学史上に、始めて真の弁証論的エスプリを提出し、時代の良心を呼び醒して、詩精神のイロニイを啓蒙しようとする運動である。「藝術には主義がない。ただ傾向があるだけだ。」と、私はかつて或るアフオリズムに書いた。今日保田君等の言ふ浪漫派も、実には一つの「傾向」にすぎないのである。しかもその傾向の中に、時代のモラルを思惟するところの、すべての主潮的熱意が貫流してゐる。故にまたそれが真の文学的流派であり、藝術的の意味で正解され得るイズムなのだ。
 「英雄と詩人」に於て、著者の語つてる人物は、およそ正岡子規であり、与謝野鉄幹であり、北村透谷であり、ヘルデルリーンであり、ゲーテであり、ナポレオン・ポナパルトである。そして著者の主観は、これらの颯爽たる詩人と英雄の風貌から、セントヘレナの孤高人を表象し、今日の時代に於ける、イロニイとしての、青年の哀歌と郷愁とを述べてるのである。彼の他の別のエツセイに於て、日本武尊を論じ、万葉の歌人を談じ、奈良朝の文化を謳歌してゐるのも、やはりその同じ魂の哀歌的郷愁に外ならない。それ故に彼の言葉は、すべての考証学的思想を超越して、直接人の心に律的の波動を与へ、或る高邁な上層圏へと、リリカルな魅力を以て導くのである。即ちそれは「文学」でなく、正に「詩」と呼ぶべきものなのである。
 要するに保田君の叫ぶところは、今日の日本文化と文学とに、失はれた詩精神を回復し、殺戮された青年の日を、再度地下に呼び起して、かつて歌のありし日を、今にも歌ひ返さうとするところの、時代の最も熾烈な熱意である。そしてこの「熱意」こそ、文化が本質するヒューマニズムの根拠であり、モラルの出発する基礎ではないか。即ち此所に、一切日本文化と文学との、最初の新しい呼び声が聞えて居る。耳ありて聴くものはそれを聴くべし。私は此所にただ一小註釈を記し、読者の便覧に資したにすぎない。