政治の心理学

 高価な最新流行の女服をきて、非常時下の銀座通りを、毎日見せびらかしに歩く女が居る。物資の欠乏を利用して、抜目なく私慾を充たし、一儲けしようとする商人が居る。女子と小人養ひがたしといふ言葉があるが、大衆といふものの本性は、元来、女子と小人以外の何物でもない。そして国家を組織するものは、少数の識者賢人と、此等大多数の女子と小人なのである。それ故に政治の秘訣は、いかにして此等の民衆、即ち女子と小人を、巧みに統御するかといふことにある。さればこそ昔の聖人も、身を修め、家を斉め、国を治むと言つた。家を斉めるといふことは、妻や子供を初めとして、愚痴昧蒙の老人達や、利己的で嫉妬深い奴僕や婢妾たちを、巧みに操縦することの技術である。そこで家を斉めることの秘訣は、それ自ら国を治めることの原理になるわけである。身を修め家を斉めることのできないやうな人間に、天下の政治ができるものかといふ三段論法が、此処で儒教の政教一致を説く論理学と結びついてる。(かうした思想が、西洋に全く無くして、支那にだけ発達したことは興味がある。多数の妻妾や近親やが、一家内に同棲してゐる大家族主義の支那では、家を治めるといふ家長の仕事が、実際政治的の意義を持つてるからである。)
 しかしこの三段論法は、実際上には純理的に行はれがたい理由がある。儒教の開祖たる孔子自身でさへが、「女子と小人とは養ひがたし。これを近づければ狎れ、これを遠ざければ怨む。」と言ひ、妻に散々手古ずつたことを告白してゐる。世界の三聖人と呼ばれるソクラテスの如きも、家を修めることは不得意であつたと見え、いつも奸婦の山の神から怒鳴りつけられ、箒でひつぱたかれたり、バケツの水を頭からかけられたりして手古ずつて居た。西洋王道主義ともいふべき、一種の理想的国家論を書いたアリストテレスの如きも、家では妻にその背中に馬乗りにされ、座敷中を這ひ廻されるやうな目にあつて居た。楊子は梁王に見(まみ)えた時、天下を治むること掌(たなごころ)を廻らす如しと壮語し、逆に梁王から「先生一妻一妾ありて治めること能はず。三畝の園ありて草刈ること能はず。何ぞよく天下を治むるを得ん。」と揶揄された。
 修身斉家が即政道だといふ儒家の思想は、しかしながら他のすべての支那的思想と同じやうに、その三段論法の演繹上に、論理学上の詭弁的な飛躍を犯し、見え透いた誤謬をしてゐるのである。即ち楊子が弁駁した如く、「呑舟の魚は枝流に遊ばず、鴻鵠は高飛して汗池に集らず、将に大を治めんとする者は細を治めず、大功を成す者は小を成さず。」であり、家を斉める才能人徳と、古を治める才能人徳とは、規模の大小の相違によつて、おのづから天賦の素質がちがつてゐるのである。妻妾を巧みに操縦する頑徳人の好々爺が、必ずしも天下を御する大政治家の器でないことは、楊子の弁明を待たないでも明らかである。由来支那人の得意とする弁証論は、常に平気でかうした非論理的の飛躍をする。孟子が帝王に説いた牽牛者の説なども、その著るしい好例である。牽牛者に引かれて屠所に行く牛を見て、動物好きの王がこれを憐んだのを見て、孟子がすかさず説いた言葉は、禽獣をすら愛する大王の仁徳が、何ぞ人間に及ばないことが有り得ようか。王の仁政は「能はざるに非ず。為さざるなり。」と詰め寄せた。しかし動物を愛する人の性癖は、隣人を愛する仁者の徳と同じではない。長火鉢に眠る三毛猫を頬ずりして愛しながら、その養女を煙管で折檻したり、高利貸をして貧民の膏血をしぼつたりする鬼婆が、世の中には幾人も居るのである。
 だがかうした非論理性にもかかはらず、家を斉める技術と、国を治める技術とが、本質に於て相似した点を持つてることは確かである。なぜなら前にも言つた通り、人民と称されるところの大多数人は、一家族内に於けるそれと同じく、所詮女子と小人のグループにすぎないからだ。ところで孔子の歎じた如く、女子と小人は最も養ひがたい人種である。これを甘やかせば狎れて増長し、気まま勝手に放恣乱倫のふるまひをして、遂に国家を滅亡破綻させるに至るし、これをまた厳に律令して抑圧すれば、卑屈して消極的にいぢけてしまひ、同じく国家を衰亡に導くばかりでなく、時としては反噬して政府を怨み、遂には革命を起したりする。かうした民衆を御することは、全く女を御することに同じである。女を御する秘訣は、鞭と甘言とを両手に持つて、左右に使ひわけることしかない。一方では甘言を持つて愛撫し、彼女等の欲する物をあたへて満足させてやりながら、一方の手には鞭を持つて、仮借なく彼女等の我まま増長を鞭打するのが、妻を御することの要領である。そして民を治める政治の要領も、所詮またこれに同じであらう。それ故によく女の心理を知るものは、おのづからまた民の心理を知り、政治の要領を会得した人物であるかも知れない。
 日本に於ける徳川三百年の武家政治は、古今の世界歴史にその類例を見ないほどの、完全封建制の行はれた強権圧制政治であつた。およそ人民の権利が無視され、自由が完膚なく抑圧されたこと、我が江戸時代の如きは他の歴史にない。特に武士以外の人民階級は、農工商の別を問はず、一々その私生活にまで立ち至つて干渉され、衣食住の些々たる風習慣例に至るまで、身分階級の厳別によつて規定づけられ、少しでも違犯するものは、容赦なく法令によつて厳罰された。そして用意周到のスパイ的警察制度が、五人組や庄屋組の名に於て組織され、都市と村落の至る所に、自由思想の所有者を苛責なく捕縛し尽した。しかもかかる非道の圧制にもかかはらず、人民は鼓腹して太平を悦び、俳人芭蕉をして「甲比丹もつくばはせけり君の春」と詠ませたほど、徳川政府の萬々歳を頌歌してゐた。思ふに疑ひもなくその理由は、幕府の聡明な為政者等が、人民の心理をよく会得して、常に或る点で彼等を満足させ、彼等の欲するものを適宜にあたへ、鞭と甘言とによつて、巧みにこれを操縦したからであつた。例へば幕府は、他のあらゆる政治的圧制にもかかはらず、江戸市民のために大娯楽場を公設し、吉原を不夜城の歓楽地としたり、風規事項に関する限り、歌舞伎その他の演藝物を、殆んど無検閲に寛許したりして、人民のあらゆる政治的抑圧感を、一方で自由に解放消散させ、以て民衆をして、おのづから太平讃美の頌歌を歌はせるやうに仕向けたのである。
 しかしかうした江戸時代も、熟爛の末期に至つて廃頽し、必然の因果である経済的破産をまぬかれなかつた。そのため幕府は、急にあわてて政策を変へ、農村振興の目的のために、都市の文化を犠牲にして、一切江戸人の娯楽を奪はうと決心した。この幕府の決意を代表して、幕末の舞台に登場した人物が、即ち水野越前守であつた。彼は白河楽翁公の後を継いで、勤倹貯蓄令を発布し、極端な重農主義−百姓さへ生きてれば、他の商工業者は全滅しても好いといふ主張。 ― によつて、江戸市民を圧制し、従来公許されてた一切の娯楽物と娯楽場とを禁令した。
 かかる為政者の法令によつて、一切の文化と娯楽を奪はれた江戸市民が、いかに悲憤慷慨して政府を憎み恨んだかは、阿時の地口や落首によつて明らかである。「白河まがひの越中ふんどし、身のほど知らずの臭い野郎が、向ふ水野にのさばり返つて」といふ冒頭句に始まる諷刺詩は、徹底的に水野を毒舌してあます所なく、遂に「呆れ返つた大馬鹿野郎奴」といふ斬馬剣の罵倒に終つてゐる。思ふに水野越前守は、当時に於て一流の卓越した経済学者であり、その点で独自の見識とドグマを持してた一人者であつたのだらう。しかし不幸にして、彼は人民の心理を知らず、政治家としての重要な資格を欠いてた。その為たちまちにして地位を失ひ、鬱憤をこらへてゐた江戸ツ子から、その閉門中の邸に石の雨を降らされたりした。徳川三百年の歴史を通じ、民衆が政府に対して正面から反噬したのは、おそらくこの時の外になかつたであらう。
 今日事変下にある日本は、幕末ペルリの黒船に脅威された時以上に、非常の国難に臨んでゐる。今やこの難局に当つて、国民を指導しようとする当局者の苦衷は、幕末の政府要人以上に、おそらく容易ならぬものであらう。天保改革の失敗は、鎖国太平の夢に慣れた民衆に対して、幕府が率先して海外の情勢を説き、自国が現にどんな危機に際してゐるかといふことを、大衆に宣伝理解させなかつたことの罪に帰因する。民衆にしてそれを知つたならば、彼等もまた挙国一致して幕府の政策を支持したであらう。流石に今の政府人は賢明であり、新聞・ラヂオ等を通じて、日夜に国民精神総動員の宣伝にこれ努めてゐる。それにもかかはらず民衆が、比較的太平気分に安易してる観があるのは、政府当局者にとつて見れば、まことに親の心子知らずの思ひがあり、定めし苛立たしいことかも知れない。だが民衆の大多数者は、聖人君子のやうな人格者でなく、女子供に類する女子と小人の群集なのである。彼等に向つてパーマネントを禁止したり、衣服の色柄を規定したり、日常の小娯楽に干渉したりした上に、親の喪中ででもある如く、常に厳粛沈痛のゼスチユアをして、非常時にふさはしい渋面ヅラをしろと命ずるのは、あまりに大人気ない末梢神経にすぎるであらう。民衆にして真にその非常事を体験すれば、命ぜられずして自ら自粛し、止むを得ずして自発的に喪服を者、否応なしに厳粛沈痛の渋面ヅラをするやうになる。現に今日、映画等の娯楽場が繁盛し、町の酒場が満員になつてるのは、かかる非常事を体験した民衆が、その憂鬱や不安を逃れ、時局下の緊張した身心の疲労を医すべく、一時のマッサージを求めてる為であつて、当局者の気をもむやうに、太平気分の安閑たる逸楽を楽しんでる為ではないのだ。かうした大衆に対して、尚かつ時局下の謹慎を強要し、喪中的厳粛な表情を要求するのは、あまりに儒教的形式主義の道学観に偏する如く思はれる。もとより士君子でもなく聖人でもない大衆に対して、孔孟仁義の志節を説いたところで仕方がない。政治は一つのテクニックであり、場合によつてはトリックでさへもある。国を憂ふる誠意と熱情とが、為政者にとつての根本条件であることは勿論だが、政治は熱情だけで運行されない。善き政治家は、常に至誠一徹の愛国者であると同時に、縦横無尽の政略を弄するところの、老獪なテクニシアンでもなければならぬ。テクニツクを持たない政治家は、戦術を知らない武将にひとしい。何よりも今の当局者に望むことは、民衆の心理をよく研究して、徳川家康の如く、聡明な政治心理学者になつてもらふことである。