日本文化の特殊性

        横の文化と縦の文化

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 横の文化と縦の文化と、二つのちがつた文化がある。横の文化とは、三次元の空間中で、前後左右へ広く拡がるところの文化であり、縦の文化とは、限定された一地点でのみ上下へ立体的に進む文化である。
 今日地球上で、文明国と言はれる世界各国の多くの文化は、たいてい皆前者の「横の文化」に属してゐる。ひとりただ極東の日本だけが、唯一の「縦の文化」を発育させた。文化的に言つて、日本は実に世界の例外であり、唯一の特殊国に属してゐる。日本の世界的地位を知らうとするものは、第一に先づ常識として、このことを知らねばならないのである。
 足利時代の末期に、初めて日本へ来たキリスト教の宣教師は、日本の文化についてかう観察してゐる。土人の生活程度は概して低く、野蛮とは言へないけれども、未だ未開の域を脱してゐない。彼等の住宅は極めて原始的な建築術によつて設計され、多少の加工した材木と紙とで、極めて素朴的に造られてゐる。富豪の住宅や将軍の宮殿と雖も、庶民のそれと多く異なるところはない。食物は淡泊で味がなく、料理法が充分に発達してゐない。土人の好む音楽は、単純な旋律から出来てゐる歌詞を、極めて原始的な楽器に合せて奏するもので、
文明人の鑑賞からは、真の音楽と呼び得ない程度のものである、と。
 日本の文化に対して、かうした観察をする外国人は、決して当時の伴天連ばかりではない。今日でも尚、日本へ来る遊覧外人の大多数は、そのエキゾチシズムの飽満から、ワンダアフルを叫ぶ時に、心の内部で同じ観察をしてゐるのである。否、実は日本人自身でさへ、明治以来今日に至るまで、西洋の文明開化に驚歎して、自国を半開野蛮視してゐるのである。
 しかし皇紀二千六百年の長い歴史をもつ日本文化が、ルネサンス以来、漸く五、六世紀間に発達した近代西洋の文明に比して、果してそんなに半開野蛮の状態にあるだらうか。もちろん汽車汽舶の発明を知らなかつた日本人は、切支丹の渡来した十六世紀頃に於てさへも、その点での科学文明では、西洋に遠く及ばなかつたことが事実である。だがより広い意味の精神的文化に於ては、過去にも現在にも、日本が西洋に劣つてゐるとは考へられない。にもかかはらず、我々自身が時にしばしばさうした懐疑を抱くのは何故だらうか。特に今の日本に於ては、世界の事情と知識に通じたインテリゲンチェアの人々ほど、自国に対する文化的卑下の感情を濃度に持つてゐる。それは彼等が、浮薄な西洋心酔者であるからといふ原因ではなく、むしろ祖国の文化に対すを認識が、根本の点で不足してゐるからだと思はれる。
 たしかに日本の国粋文化は、表面上の観察者から、半開野蛮に類する印象をあたへるものを、素質的に要素してゐることは事実である。文化のあらゆる方面から、日本を西洋諸外国と比較して見よう。先づ建築に就いて見れば、日本の一般的な住宅様式は、正に白人宣教師の観察した通り、「極めて原始的な建築術によつて設計され、多少の加工した材木と紙とで造られた」ところの、最も素朴的な掘立小屋であることを否定出来ない。印度、支那、西洋を含めて、世界のどんな国々の建築でも、日本のやうに原始的な構造によるものはない。日本の家と称するものは、自然の山から伐り出して来た材木を、単に所用の寸法に切断して、そのまま何の塗料も加工せず、殆んど素材のままで使用し、これを紙の障子や襖と共に、建築学の最も幼稚な方法によつて組立てたものであり、阿弗利加土人の住家と同じく、最も原始的な掘立小屋にすぎないのである。切支丹の宣教師等が、かうした生活様式から観察して、日本人を他の野蛮人と同一視し、「土人」といふ賤称で呼んだのも一理がある。
 音楽についても、また外国人の観察がよく言つてゐる。我々の国粋音楽には、単調な旋律だけがあつて和声がなく、楽器は三味線や尺八の類にすぎない。それらの楽器は、単に竹に穴を明けたり、棹に三本の糸を張つたりしただけの、最も素朴未開の原始的楽器である。音階に於ても楽器に於ても、かうした日本音楽の本質は、南洋土人の音楽と極めてよく類似してゐる。「文明人の鑑賞にとつて、真の音楽と呼び得ないもの。」といふ批評は、今日でも尚多くの外国人が、日本音楽に対して抱いてゐる所感であり、現にまた最近まで、我が官立上野音楽学校が、その同じ自己卑下の理由によつて、邦楽を正課の中に加へなかつた。
 この同じことは、他のあらゆる日本文化について考へられる。長い袂と袖を有する、日本人の所謂キモノは、古代希臘人や羅馬人が、西洋に於て服装したものと類似して居り、また周や漢の時代を通じて、上古の支那人が着たものによく似て居る。つまりさうした長袖寛衣は、人間の生活に余裕があり、烈しい労働を必要としなかつた時代に、世界のどの国でも、一般紳士階級に行はれた上古の風俗の伝襲であり、文化の原始的形体を保留してゐるものなのである。美術や演劇についても、同じく日本的なものの特色は、その「原始性」によつて指示できるが、特に就中、文学に於てそれが著るしく特色される。たとへば和歌俳句等の国粋詩は、上古からの出発以来、人間の自然優生的なる感情流露を、そのまま自然発生的に表現した文学であり、西洋外国の詩の如く、詩学上の法規と精緻なる知性によつて、完全な形式理論の上に発育構成されたものではない。表面上の視野からすれば、和歌俳句の如き抒情詩は、世界に於ける最も素朴で原始的な詩と見られるのである。
 かうした日本文化の素朴性は、しかしながら単に見かけの上での風貌であり、実質上では、意外に複雑進化したものであることを知らねばならぬ。大巧は大拙に似て、物の両極は相通ずといふ言葉があるが、日本的なる文化風物の一切は、見かけの原始的なる素朴性にもかかはらず、内容の実質では、却つて最も発達進歩した文化の最高情操を充実してゐるのである。だがそれを説く前に、世界の特殊国として日本の歴史−日本のやうに特殊な歴史を持つた国は、世界にただ一つしかない。−を、改めて反省して見る必要がある。
 過去に二千六百年の歴史をもつ日本は、上古盛んに隋唐と交通した数世紀を除くの外、全く極東の一天地に、固く門戸を閉ぢて孤立し、他との交通を絶つて隠者のやうに屏息したまま、約二千年に近い長年月を過したのである。試みに思へ。そんなにも長い間、友人もなく、刺戟もなく、外部からの交通もなく、他から侵略を受けることもなく、したがつて必死の生存競争をする必要もなく、安閑太平として四面環海の一島国に孤立してゐた民族が、不断に彼等自身の文化を建設し続けてゐたとすれば、おそらくそれは、世界のどんな民族が夢にも想像できないやうな、此類なく特殊で不思議なものであらう。かかる特別の事情の下では、文化が決して横への拡がりをすることがない。横への拡がりとは、他民族との接解から、準えず新しい文物の刺戟を受けて、文化がその領域を拡大し、前後左右へ広膨することを言ふのである。歴史以来、不断に異民族と接解し、必死の生存競争を続けて来た支那西洋の諸民族は、かくの如くしてその文化を拡大し、絶えず、新しい発明進歩をうながされて、年月の推移と共に、全く原始の形式を留めないほど、文明開化したものに変つたのである。然るに日本は、その特別の環境上から、他との接触による発展進歩といふことがなく、常にその最初にあつた原始の地位で、原始のままの文化形体を固持し続けて居たのである。勿論この間も、支那、印度等の文化輸入によつて、多少の外来影響は受けてゐるが、その交流は民族間の直接接解から来たのでなく、単なる観念上の抽象的輸入にすぎなかつた為、直ちに日本人の知性によつて民族的に同質化され、原始の神話によつて一元的に還元され、依然として最初の出発点に立ち止つてゐた。
 かうした環境に孤立しながら、約二千年近くの長い間、紹えずその文化を発展させた日本人は、所詮アミーバなどの単細胞動物と同じやうに、他の異性との接触なしに、自己を内省することによつてのみ、単性生殖をしなければならなかつた。我々の祖先等は、最初の神話が創造したところの、文化の最も原始的な素朴の地点で、ひたすら地下へ深く文化の都会を掘りさげて行つた。即ち西洋諸外国の文明が、三次元の空間中で、前後左右へ広く拡がつて行つた時に、我々は常に同じ一地点で、地下へ深く立体的にもぐり込んで行つたのである。それ故に文明開化といふ言葉が、普通に観念する如く「横の文化」を意味する限り、日本に所謂文明開化的なものはなかつた。木と紙とで造り、建築学の最も原始的な方法で構造されてゐる日本の家は、西欧人の所謂文明開化といふ観念からは、おそらく最も遠いものであらう。だがそれにもかかはらず、多くの教養ある外国人の建築家や美術家等は、日本の紙の家を賞讃して、美術的に最も秀れた建築の模範だと言ふ。特にそれらの家屋の中で、就中最も原始的に素朴な構造を有する伊勢神宮や桂離宮や、それから農家の貧しい茅屋を模して造つた茶室の如きを、彼等外国人は口を極めて絶讃し、建築美学の粋を極めた世界最高の藝術だと言ふ。そして
実際にまた、彼等の批評はお世辞でなく、決して過賞ではない。なぜならさうした建築は、日本人の先祖たちが、原始の神話的な形式を伝統しながら、一千余年の長い間も、あらゆる洗煉された文化人の趣味性によつて、最上の実学的意匠を尽して構成された結晶だから。山の自然木を伐つて柱とし、田野の草木を束ねて家屋を葺き、紙を張つて窓硝子とした日本の茶室は、建築学上に於ける最も原始的な山小舎であると共に、不思議にもまた一方では、建築学上に於ける最上の美術品であり、趣味性の進歩と洗練とを、文化的情操の極致で表現したものなのである。
 この同じ日本的な物の特殊性は、衣食住のすべてに亙つて共通してゐる。淡泊にすぎて味がなく、料理法が
達しないといふ観察から、外人宣教師に未開視された日本料理は、しかし実際には、却つて洋食や支那料理以上に、味のデリケートな点で発達進歩してゐるのである。海から漁つた生の魚を、何の人工的な料理もしないで、そのまま生の刺身で食ふのは、おそらく世界に、日本人の外には野蛮人があるだけであらう。しかし野蛮人と日本人とを、その点の観察から同一視する人があつたら、これほど愚かな謬見はない。たしかに両者は、料理法の原始的といふ点で相似してゐる。しかし日本人の場合は、その原始的な料理の中に、文化人のあらゆる進歩したデリケシイを、味覚の最上に於て味つてゐるのである。その所謂「通」の味がわからないものは、却つて日本では未開人として軽蔑される。来遊の外国人から、常に歎賞の的となつてゐる日本のキモノが、またこれに同じ文化的意味を持つてゐた。前に既に書いたやうに、キモノは衣服の原始的な形体である。しかもその原始的なものを、その同じフォルムに於て、幾世紀の長い間伝統しながら、遂に我等の先祖は、これを美術的衣服の最上至美のものに作りあげた。
 日本の音楽について、美術について、文学について、すべて皆以上の原理は同一である。竹に穴を明けた尺八は、世界の多くの楽器中での、最も原始的なものの一つであらう。その限りに於て、尺八は南洋土人の笛に似てゐる。だがその音域の広く、表情の微妙なことで、土人の楽器と尺八とは、到底同日の比ではないのだ。三味線音楽に至つては、おそらく世界の音楽中で、最も比類なく不思議にユニイクのものであらう。南洋辺から、琉球の蛇皮線を経て伝はつたと言はれるその楽器は、原型の素朴のものから殆んど幾程の進化もしてゐない。そしてこれが歌曲といへば、和声もなく対位もなく、貧しい単音の旋律があるにすぎない。これを西洋の複雑進歩した近代楽器や、無数の音色と音域を包括する一大宇宙の管絃楽と比較すれば、まことに貧窮極まる葦の葉のそよぎに過ぎない。だがそれにもかかはらず、地唄や浄瑠璃やの三味線音楽が奏する情緒は、どんな抒情的な西洋音楽を以てしても、到底表現することのできないほど深奥で、幽玄極まりなきりリシズムの極致である。すくなくとも人間情痴の粋を極めた抒情音楽として、日本の三味線音楽にまさるものは世界になからう。能に至つてはさらにもつと不思議である。シテとワキと地謡の合唱部から成る能の構成は、すぺての演劇の母源と言はれる仮面劇の中でも、就中最も原始的な形式に属してゐる。しかもその原始的な仮面劇が、今日西欧二十世紀の演劇人を驚歎させ、ドラマの究極的理念(イデー)として思惟されてゐるほど、内容的には幽玄複雑な進化を極めてゐるのである。白紙に毛筆で描く線画は、絵画として最も原始的な手法であるが、而もその日本画の藝術価値は、精緻を極めた油絵等の洋画に比し、さらに少しも劣るところはないのである。そして和歌俳句等の日本詩歌は、その外観上の見かけに於て、最も素朴的なる原始抒情詩であるにかかはらず、詩歌としての実質上では、今日世界の最も進歩した抒情詩以上に、知性と感性の究極的な高度性を内容してゐる。それによつて芭蕉等の俳句は、今日西欧の詩人に新しき驚異をあたへ、未来詩のイデーを暗示するものと見られてゐる。そして新古今等の和歌は、最近二十世紀の仏蘭西詩人が理念するところの、詩の文化的究極形態としての純粋詩と、本質に於て全く同様の態展を為し遂げたものなのである。

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 かうした日本文化の特殊性は、上述の如き理由によつて、文化が横の発展をせず、ひとへに縦の発展をし、地下に向つて穴を掘りさげた為に外ならない。環海孤島の一天地に、外部の交通を絶つて生活してゐた我等の先祖は、二千余年の長い間、ひとへにその脚下の地面を掘つて、地下へ地下へと文化を深く掘り下げて行つた。そこで地表に見えるものは、最初に先祖が掘つたところの、原始の素朴的な穴以外に、何の見るべき文物もなく、一目荒蓼たる眺めにすぎない。だが一度その入口の穴を降つて、地下に深く入つて見れば、意外にも驚歎すべき大都会が、不夜城の燈火を輝やかせて、絢爛無比の文化を地下に満開させて居るのである。かうした日本文化の鳥瞰図は、飛行機の空襲によつて脅威されるところの、未来の人類都市を表象させる。そこではすべての繁盛と文化とが、地下の都合に移される。そして地上に見えるものは、荒蓼たる草木山河の田畑と、地下の都会に出入りする為の穴にすぎない。そこで地上からの傍観者は、しばしば誤つて日本の文化を、原始の穴居民族と同一視し、往昔の葡萄牙人と同じやうに、我々を土人呼ばはりするのである。実に日本文化の特色は、一見最も素朴にして原始的なるフォルムの中に、深遠無量の意味と哲学とを、高度の文化的情操に於て内容してゐるといふことである。
 しかしかうした文化の創立は、単に我が国土の地理的、国際的な特殊事情によるのみでなく、もつと根本的の原因には、日本人の民族性そのものが関係してゐる。世界のあらゆる民族中で、日本人ほど弁証論的知性に秀れた民族はなく、日本人ほどダンヂイズムの粋を知つてゐる国民はない。大極は虚無に通じ、大慾は無慾に似たりといふ弁証論は、総ての日本人が本能的に知つてゐることで、これが又その趣味上のダンヂイズムと固く結びついてゐる。名著「後鳥羽院」の著者保田與重郎君も言つてゐる如く、日本人の理念する究極的の贅沢とは、結局言つて「お茶漬け」を喰べることであり、農民の素朴生活を模倣することなのである。能も、茶道も、墨絵も、俳句も、すべて皆日本的なる文化芸術の精神は、贅沢の極致が質素であり、美の究極が素朴であるといふ、その同じ弁証論的ダンヂイズムの趣味から出て居る。京都に遊んで銀閣寺を見た人は、その憐れに貧窮な狭い部屋部屋や、侘しく枯れはてた小さな庭やを見物して、これが天下に政権した室町将軍の御所かと疑ひ、そぞろに頼りなく怪しい思ひをするであらう。しかもその憐れな茶室の床柱や、白ちやけた庭の敷石やが、数百千金を投じて支那から得た貴重な珍品であることを知つた時に、日本人のイデーする贅沢といふものが、どんな風流の形式で具象されるかを知るであらう。風流とは、最も素朴に貧しい形式で表現されるところの、あらゆる贅沢とダンヂイズムの粋なのである。
 かうした日本人の趣味性は、たとへ地理的な事情を別にしても、おそらく必然に「縦の文化」を生んだであらう。ブルジョワになればなるほど、益々その動物的な生活慾望を旺盛にし、無限に 「横の文化」 への発展を迫つて止まない外国人には、到底容易に日本人の風流は理解できない。我々から批判すれば、彼等は永久に文化の 「粋」を理解しない野暮であり、泥臭い田舎者なのである。だがその野暮の田舎者が、常に成金趣味の文明開化を創造し、物質万能の黄金社会を作るのである。粋を尊ぶ日本人は、永久に横への文化を拡大し得ない。彼等の気負ふダンヂイズムは、富や文化の発達と逆比例して、原始の素朴的なものに帰つてしまふ。亜米利加の金持たちが、豪著を極めた大邸宅に、宝石を飾つた美女を集めて踊つてゐる時、日本の洒落たブルジョワたちは、粋な四畳半の茶座敷に、藝者相手の小酒宴をしてゐるのである。室町将軍の侘しい風流を尻蹴にして、桃山文化の豪華を衒つた成金王者の秀吉さへ、山家造りの利休の茶室に、悲しい渋茶をすすつて風流がつてゐた。すべての日本人の詩藝術は、風流といふダンヂイズムから、必然に生れて来る哀傷(ペーソス)のリリシズムに本源して居る。そしてかかる詩精神が、世界に類なき日本の文化を創造した。


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 今や現代過渡期の日本は、西洋の 「横の文化」によつて侵略され、二千年来伝統した、あらゆる国粋の美しいもの、貴いものを喪失しようとしてゐる。文化を愛するこの国の志士にとつて、これほどにも悲しく傷ましい時代はない。だが日本人の求心力は、やがてその舶来の文明さへも、地下の都会に引きずりこんで、「縦の文化」に同化してしまふであらう。世界がもし「縦の文化」に同化する時、それは人類永遠の平和が来た時である。なぜなら「縦の文化」は美の極粋であり、成金趣味の物慾を排斥して、無所有の素朴を尊び、自然への同化をイデーとする精神だから。反対に「横の文化」は、物慾から物慾を迫ひ、功利から功利を求め、無限に
奢侈を増長させて、人類を不断の生存競争に駆るところの、掠奪と争闘との文明である。民族興隆以来、常に外敵と戦ひ、異人種に侵略され、奴隷の争奪戦を繰返してゐた白人種にとつて、過去に「横の文化」は必然の所産だつた。だが世界の地図が既に定まり、新たに争奪すべき奴隷もなく、且つ既にそれらの国々が、互に戦つて得るところなく、却つていたづらに戦争の惨禍に悩み疲れてゐる時、今や彼等の白人自ら、自己の文化に嫌厭たるものがあるであらう。何よりもその実証として、彼等の中の尖端的な知識人は、藝術文化の全般に亙つて、事々に東洋を望郷し、特に日本への切実な思慕と旅愁を示してゐる。それは今の彼等にとつて、決して単なるキユリオスの好奇心や異国趣味ではないのである。
 だが地球の一方の裏側では、反対に我々の日本人が、過去に白人種の地位した如き、酷烈な生存競争の環境に投げ込まれてゐる。しばらくこの火急の場合に、我等はその祖先伝来の家宝を売つて、外国の武器弾薬を買ふ必要があるかも知れない。なぜなら日本的なる我等の文化は、あまりに美を至上とする平和主義の文化であつて、弱肉強食の争闘場には不適であるから。政府の国民教育が、生徒に謡曲を教へずして軍歌を教へ、茶道を教へずして兵式体操を課することの理由も、国民の常識によく了解されてゐるのである。だがそれと同時に、かかる教育が一時の「権道」であり、真の日本精神を正統するものでないといふことも、また心ある国民には了解されてゐる筈である。畏くも明治大帝の御製には、「四方の海みな同胞と思ふ世になど浪風の立ち騒ぐらむ」と仰せられた。これが即ち日本のイデーする真の「王道」といふものである。
 そしてこの日本の王道を、正しく世界に宣伝してゆくためには、日本の国粋文化そのものを解読して、その本質するところの精神を、広く万国の民に理解させる外にはない。だがしかしこの場合には、解説といふことが特に最も必要である。なぜなら日本的なる文化文物は、すぺて横への拡がりを持たないところの、縦の地下道へ通ずるもので、一見甚だ素朴に貧しい外貌を示してゐるから。そして多くの外国人等は、地下に大都会のあることを知らないことから、単なる地表上の観察によつて、屡々我等を誤解してゐるのである。かつて独逸のカイゼルは、日本兵の勇気を許して、野蛮人の兇猛性と同一視し、動物的パツショネートの興奮によるものだとした。だが大和魂の何物たるかを知つてゐる我々は、さうした勇気の本源してゐるものが、君臣一体の長い歴史や、源平以来の伝統する武士道精神や、物のあはれの哀傷を知る民族的情操や、仏教や儒教によつて薫育された人生観やの、様々の深奥なる史的伝統に内因してゐることをよく知つてゐる。戦場に於ける日本兵の勇気を見て、大和魂を蛮族の好戦心と一視する外国人は、生の魚を刺身にして食ふ我等を見て、日本人を野蛮視するものと同じ誤謬をしてゐるのである。今日の日本にとつて、何よりも必要な文化工作は、かかる認識不足の外国人に対して、充分の「解説」をあたへることでなければならぬ。
 かつてエチオピアの土人が伊太利と戦争した時、彼等の土人は豪語して言つた。我等の国には万世一系の皇室があり、かつて一度も外敵に侵略された歴史が無いと。これを伝聞した日本の或る左翼思想家が、暗に自国を侮辱諷笑して、何処かの国の歴史によく似てゐると言つた。この同じマルキストの学者は、日本的なる一切の物を分析解剖して、尽く皆これを未開人の原始習俗に還元し、且つそれによつて国粋精神を侮蔑的に否定した。だがこの左翼学者は、結局して自己の無智と認識不足を自白したにすぎなかつた。なぜならさうした観察は、日本文化の何物たるかを知らない外国人が、単にその地表上の外見から、常に誤つて批判する日本観と同じであるから。地下にその文化都市を持つてゐる日本を、単に地表上の観点から批判する時、それが原始的の素朴性や神話性を多分に有してゐるのは当然である。かかる表皮的なものを分類抽象して、我等を有史以前の穴居民族の如く論断した所で、日本文化の本質とは何の関係もないことである。エチオピア土人の誇る歴史と、日本人の誇る歴史の栄誉は、言葉の表面に於て同一かも知れないが、その内容の意味に絶大の相違があることは、日本兵の大和魂と、阿弗利加土人の勇猛心とが、全く異質的なものであるに同じである。かかる異質的なものを混同して、同じ原素に還元しようとする学者は、能をその原始的な劇形式の故に、野蛮人の仮面劇と同一価値の藝術として、詭弁的に演繹しようとするものに同じである。
 しかし日本の政府当局者も、此等の左翼思想家とは別の意味で、自国の国粋精神をよく理解してゐない。すくなくとも彼等は、日本文化の本質について正しい反省上の知識を欠いてゐる。そのため政府の文化工作は、宣伝上の手段方法を誤つてゐる如く思はれる。彼等の政府の要人等は、好んで現代の日本の新文物や新藝術やを、海外に宣伝することを熱意して居り、真の国粋的なる古典文化は、むしろ却つて敬遠してゐるやうに思はれる。だがさうした新興文化は、明治以来未だ約半世紀余の歴史しかなく、大部分のものは、充分に民族的同化の創造に達してゐないところの、生硬雑駁なる西洋模倣物にすぎないのである。かかる粗雑なる文化文物の宣伝は、外国人をして却つて日本を軽蔑させ、東洋のイエローモンキイ(黄色猿)といふ先入見を、悪意に逆効果させるばかりだらう。すべて藝術文化の理解は、しばしばこれに接触して、理窟なしに慣れるといふことが第一である。たとへ早急には解らなくつても、気長に悠久の計を立てて、日本の純粋な国粋文化を、度々繰返して紹介宣伝する方が好いのである。
 すべての日本的なる国粋精神は、日本人同士の間では、何事も以心伝心的に了解される。たとへ知識上に反省されないことであつても、直覚的には明白に解るのである。たとへば大和魂の何物たるかは、容易に何人も解説することができないだらうが、およそ日本人の大衆にとつて、直覚的には意味が解つてゐるのである。だがしかし、これを外国人に説く場合には、充分の科学解説と論理的証明が必要である。外国人に以心伝心は望めない。然るに日本の当局者は、必要なる外交や文化宣伝の衝に当つて、ともすれば外国人に以心伝心を要求し、合理的な論証と解説を避けたがる傾きがある。それによつて悪意ある外人等に、「極東人の論理」といふ如き社交語を流行させたり、或は解説ぬきの大和魂を宣伝することで、いたづらに武勇を誇る好戦国民の如き印象をあたへ、ひいては古の蒙古人の如く、暴力による文化の破壊者といふ黄禍の幻覚を抱かせたりするのは、決して策の巧を得たものではないであらう。要するに日本の自覚は、自国文化の本質する精神を知り、且つこれをひろく外国に宣伝して、人類永遠の平和と福祉を建設することに、八紘一宇のヒューマニチイを良心することでなければならぬ。