自序

「無からの抗争」「日本への回帰」以来、諸所に執筆した論文中で、特に代表的なものを集めて一冊とした。前篇は、政治、宗教、教育、国語、音楽等の、広く文化一般に関する私見を集め、後篇には、主として詩と文学に関する問題を編入した。

 明治以来、盲目的に西洋を崇拝して来た日本人は、今やそのエキゾチシズムの夢から醒めて、初めて自己の本性を反省し、批判的に自覚することの知性に到達した。そしてこの自覚の故に、我々の時代の知識人種が、最も痛ましく自ら傷つき、敗北の苦汁を嘗めてるのである。今の時代に於ける、我々インテリの運命は、丁度龍宮から帰つた浦島太郎に譬へられる。かつてはその魂の故郷であり、あこがれのユートピアであつた西洋が、単なる蜃気楼の幻影に過ぎないことを知つた日に、我々は「無」の玉手箱を抱へながら、寂しく昔の故郷にまで、漂泊して帰らなければならなかつた。しかも既に帰つて見れば、昔の旧知は何処にもなく、昔あつたすべての物 ― すべての日本的なる美しい物、懐かしい物、床しい物 ― は、跡形もなく消滅してゐる。そして我々の「帰郷者」は、却つて多くの人々から、見知らぬ異邦人として白眼視され、砂風の吹く廃跡の部落を、その零落の悲しい姿で、乞食のやうに漂泊せねばならないのである。
 日本の文学者と知識人種。かつてはこの国の先覚者を自ら気負ひ、文化の尖端的指導者を以て任じた人々が、今日では反対に、自ら世紀の敗北者であり、最も無智な蒙昧人であることを、自らよく意識して居るのである。それによつて彼等は、かつての矜持を喪失し、懐疑にくれて彷徨しながら、老いた浦島のやうに漂泊して居る。悲しい帰郷者! 我等はその行くべき所を知らず、泊るべき家を持たない。しかしながら「言葉」は、我々の胸に迫つて溢れ出してる。尚この寂しい著者をして、語るだけの言葉を語らしめよ。

   昭和十五年初夏

                                   萩原朔太郎

 


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