芥川龍之介の死


 七月二十五日、自分は湯ケ島温泉の落合横に滞在してゐた。朝飯の膳に向つた時、女中がさりげない風でた
づねた。
「小説家の芥川といふ人を知つてゐますか?」
「うん、知つてる。それがどうした?」
「自殺しました。」
「なに?」
 自分は吃驚して問ひかへした。自殺? 芥川寵之介が? あり得ぺからざることだ。だが不思議に、どこか
この報俸の根砥には、香定し得ない確資性があるやうに思はれた。自分はさらに女中に命じて、念のために新
開を取り寄せさせた。けれども新開を見る迄もなく、ある本能の異常な直覚が、攣事の疑ひ得ないことを断定
させた。
 何事か、ある説明のできない不安な焦焼と、恐怖に似た眞青の感情とが、火のやうに自分の全神経を騒けま
はつた。彼、・つい旗行に出る数日前に、あれほど親しく逢つて話した彼が、眞賓にも自殺をしたのだ。何たる
2βア 廊下と童顔

                                             /′
意外、何たる青天の霹靂だらう。むしろ自分は、荒唐無稽の夢にうなされてるやうな感じもした。しかし心の
隅の一方では、どこかまたそれが漁期されて居り、或る自覚のない意識の影で、内密のものに腐れたやうな思
ひもした。

「やつたな!」
 新聞の馬眞を見た時、悲痛に充ちた自分の心は、唇を噛んで低く叩いた。自分は苦しくなり、恐ろしくもな
つてきた。頭脳が急に充血して、何事も考へることができなくなつた。何かしら、これは大攣な事件だと思つ
た0じつとしてゐる場合でないと思つた。そして夢遊病者のやうに立ちあがり、牛ば馳足で川上にある族館を
たづねた。その族館(湯本館)には尾崎士郎君の夫妻が居た。尾崎君は吃驚し、呆然とし、それから異常な感
激にうたれて立ちあがつた。最近尾崎君は、私を通じて芥川君の人格につき知る所が多かつたのである。
ガβ
 何故に芥川寵之介は自殺したか? 自殺の眞原因は何であつたか↑ 思ふにそこには、いろいろな複雑した
事情がある。故人の多数の友人たちは、種々の異つた見解から、夫々の意見を語るだらう。自分について言へ
ば、自分は彼の多数の友人1賓に彼は多数の友人と交つてゐた1の一人であり、しかも交情日伶曳く、相
知ることの最もすくない仲であつた。しかもただ、自分が彼について語り得る唯一の権利は、あらゆる他のだ
                                 0 0 0 0
れょりも、すぺての彼の友人中で、自分が最も新しい、最近の友であつたといふことである。
 この「最近の友」といふことに、自分は特に深い意味をもつて言ふのである。何となれば彼の最近の作風に
は、ノの著るしい攣化と跳躍とが見られるから。そしてこの心的傾向には、しばしば私と共鳴同感するものを
暗示するから。何故に彼が、あの文壇の大家芥川寵之介君が、私の如き非才無名の一詩人に対して、特別の好
葛と友情と牢適時としては過分の敬意さへも−寄せられたかといふことは、今にして始めて了解出来たの
である。
 室生犀星君は、最近における故人の最も親しい友であつた。室生君と芥川君との友情は、賓に孔子の所謂
「君子の交り」に顆するもので、互に封手の人格を崇敬し、恭謙と儀穫と、徳の賞讃とを以て結びついてた0
けだし室生君の眼からみれば、稽節身にそなはり、教養と学識に富む文明紳士の芥川君は、正に人徳の至上観
念を現はす英雄であつたらうし、逆に芥川君の眼から見れば、本性粗野にして穫にならはず、直情直行の自賂
見たる室生君が、驚嘆すべき英雄として映つたのである。即ちこの二人の友情は、所謂「反性格」によつて結
ばれた代表的の例である。
 自分と芥川君との友誼は、室生君よりも筒新しく、漸くこの三年以来のことに廃する。自分は芥川君の死因
について書く前、この短かい年月の間における、我々の思ひ出深い交情を追懐して見たいと思ふ0
 私が田端に住んでる時、或る日突然、長髪瘡姫の人が訪ねて来た。
「僕は芥川です。始めまして。」
 さういつて丁寧にお節儀をされた。自分は前から、室生君と共に氏を訪ねる約束になつてゐたので、この突
然の訪問に封し、いささか恐縮して丁寧に穐を返した。しかし一層恐縮したことには、自分が頭をあげた時に、
伶依然として訪問者の頭が塵についてゐた。自分はあわててお節儀のツギ足しをした。そして思つた0自分の
」婚夕 廊下と室房

やうな書生流儀で、どうもこの人と交際ができるかどうか0自分はいささか不安を感じた。
しかし聴明な訪問者は、直ちに私の不安を見ぬいた這のおどおどしてまごついてる警をみると、彼は直
ちに態度をかへ、急に平易なざつくばらんな調子になつて、心おきなく書生流儀で話しかけた。この時以来、
自分は芥川君に焉された0すくなくとも自分より「↓手の人物」から、應接で歴倒されてることを感じ、一
種の反抗的な雰に駆られた0そしてこの卑屈な反抗心は、その後の交際に於てさへも、ずつと最後まで績い
てきた0いつ患は彼の前で、故意に負けまいとする眉を張つた0(いかに私が、みじめな愚劣の奴であつた
か!)
2夕0
                                            ヽ ヽ ヽ
私が彼を訪問した時、私が訴へんとするすぺてのことを、彼は前からちやんと知つてた。その頃自分は、思
想上や拳術上のことで、ひどく彗的な悩みをもつてゐた0自分はそれを語らうとした。だが芥川君は聴明に・
もそれを漁卸して居り、私が口を利かない前に、先廻りをして話しかけた0そして彼表の菩の話彗、自
分の考へてること、悩んでゐることに讐を関聯させ、最後に結論として、暗に私を鼓吹し、慰藷し、勇気と
力をあたへるやうに仕向けてくれた。
研がこれがまた私にとつて不満であつた0なぜなら私は、さうした芥川君の態度について、先輩が後輩に示
す所の、教訓や憐憫を感ずるからだ0もし芥川君が、賓に自分の同感者であり、同病者であるならば、我々の
嘉は魂の深い所で、親友としての撃を交換すぺきだ0然るに芥川君の態度は、どこか自分を高い所に鴻ミ
単なる智的聴明e以て人を見てゐる0故にその同情は憐憫であり、侮辱であるにすぎないだらう。
 之れがまた、いつ冬日分の反抗心を髄り立てた0彼、年少者の分際として、より年長者の自分に封し無彗
竣」あ宴ふ意識が、故意にまた彼の前で膚を怒らさした。何よりも私は、彼の「聴明さ」が東に入らなかつ
た。彼は畢に聴明であり、そして聴明であるにすぎないといふことが、私の芥川君に封する不満であつた。
 ぁぁ! しかしながら今日、いかに私が明旨の鈍物にすぎなかつたことだらう。ずつと後になつてから、私
は漸く始めて、少し宛芥川君の塵人物を理解し出したのである。
                                                ..〈\)

 芥川君は、詩に封しても聴明な理解をもつてた。彼は佐藤春夫、室生犀星、北原白秋、千家元麿、高村光太
郎、日夏秋之介、佐藤惣之助等の諸君の詩を、たいてい忠賓に讃破してゐた。のみならず、堀辰雄、中野重治、
萩原恭次郎等、所謂新進詩人の作物にも、一通り廣く目を通してゐた。
 彼はよく詩壇を論じ、詩について批評した。そして彼の見識は、殆んど大抵の場合に正鵠だつた。この公平
な理解と見識では、詩壇の最も高い純粋鑑賞に劣らなかつた。しばしば芥川君は、私の古い詩について意見を
述べ、表現技巧の映鮎を指摘された。彼はいつも大勝に私に言つた。「君の詩は未完成の蜃術だ」と。そして
自分は之れを承諾した。なぜならば私の詩は、彼の指摘によつて賓際映鮎だらけの物に見えたから。
 或る日の朝、珍らしく早起きして床を片づけてゐる所へ、思ひがけなく芥川君が跳び込んできた。此虞で
「跳び込む」といふ語を使つたのは、異にそれが文字通りであつたからだ。賓際その朝、彼は疾風のやうに訪
ねてきて、いきなり二階の梯子を騒け登つた。いつも、あれほど祀儀正しく、應接の家人と丁寧な挨拶をする
芥川君が、この日に限つて取次ぎの案内も待たず、いきなりづ和づかと私の書蔚に踏み込んできた。
2タノ 廊下と室房

自分はいささか不審に思つた0平常の紳士的な芥川君とは、仝で態度がちがつてゐ告それに竺、
に早朝から人を訪ねてくるのは、芥川君として異例である。何事が起つたかと思つた。
「床の中で、今、床の中で君の詩を讃んで来たのだ。」
私の顔を見るとすぐ、挨拶もしない中に芥川君が話しかけた0それから菊がついて言ひわけした。
こんな
2夕2
「いや失敬、僕は寝巻をきてゐるんだ。」
戌程、見ると寝巻をきてゐる0それから面喰つてゐる私に封して、ずんずん次のやうなことを話し出した。
この朝、彼はいつもの通り寝床に居て、枕元に積んである郵便物に目を通した。その中に詩話脅から迭つてく
る「日本詩人」といふ詩の雑誌があつた、始めから逼り讃んで行く中に、私の「郷壷景詩」といふ小曲に
来た0それは私の故郷の景物を歌つたもので、鬱憤と怨恨とにみちた感激調の数欝を寄せたものであつたが、
彼がその詩を讃んで行く中に、やみがたい悲痛の感動が湧きあがつてきて、心緒の興奮を押へることができな
くなつた0そこで勃然として床を蹴り、表線に私の所へ飛んで来たのだといふ0さう語つたあとで、顔も洗
はず衣服も換へず、朝寝姿で訪ねたことの非穂を謝罪した。       、、、、,
この感激にみちた話は、私を非常に悦ばした0自分のつまらない作品が、芥川君の如きやかましやの厳正批
評家に封して、それほどの質感的興奮をあたへたといふことは、たしかに非常の重大事でなければならない。
私は感激して悦んだ0けれども同時に何かしら腑に落ちない妙な疑問が、別に新しく心の底にきざしてきた。
我々の詩について1新しい詩壇の詩について−芥川君が聴明な理解と是をもてることは、前述ぺた如
く自分の常に敬服する所である0(文壇で我々の自由詩が鰐る人は、室生犀星、佐藤春夫の詩人小説家を除い
て、賓に芥川寵之介六あるのみだつた)概ねの場合に於て、彼の詩の批判は正しかつた。自分はその「批
剣」に敬服してゐた0けれども彼の批判態度は、常に著るしく客観的だつた0何よりも彼は、詩の表現敢果に
I l・1.● 1.
\用瀾瀾確欄憎瀾頂畑増.当月瑠璃召ついて意見を適べた。丁度小説の‥慣俺批判が、捕馬(表現) の巧拙にかかるやうに、詩についても一同じ描馬の
         効果性へ印ち表現技巧) について求めた。印ち彼の批判態度は、純粋に鑑賞的であり、理智的であり、主観を
         混じない美挙的観照主義のものであつた。
          だから自分は、常に芥川君について考へてゐた。要するに彼は、聴明なる「詩の鑑賞家」である。どれが書
         き詩であり、どれが慈しき詩であるかについて、彼は正しく判別批判する。しかしながらそれだけであるq彼
         自身は詩をもたない。彼自身は詩人でない。故にすべての詩は、彼にとつて畢に「批判さるべきもの」 であり、
         何等「感動さるべきもの」でない。丁度あの所謂劇通が、劇に封してもつ興味のやうに、畢にその蛮術を「批
       判する」のであつて、一般観客の如く、異にそれを楽んだり、感激したりするのではない。彼打身は劇の外に
         居て、劇を客観的に見てゐるもの、即ち所謂「批評家」 にすぎないのだと。そしてこの鮎から、自分は彼を室
         生君や佐藤春夫君−−その人たちは疑ひもなく詩人である。彼等は詩の鑑賞家であると共に、自分自身がまた
         詩を持つてゐる作家である。 − と直別した。
          かうした私の見解は、その朝の出来事から動揺してきた。賓にその心緒に詩を持たない人物が、.どうしてそ
         んなにも主観的に、人の詩によつて感動流沸することがあり得ようか。この日の感激に燃えた芥川君は、平常
        の鑑賞的な美挙者ではなく、そんな批判的の態度を忘れてしまつた所の、眞の「詩に溺れてゐる詩人」であつ
        た。自分は彼の眼の中に、かつて知らない詩人的の情熱を見た。そして或る解決のできない疑問が、この不思
         議な人物について起つて来た。それはずつと後々までも、彼の自殺の直前までも、遽によく解くことのできな
         かつた、或る恐ろしい意味をもつた「神秘の謎」であつた。
 \
2夕j 廊下と室房

2タ4
そのこと以来、自分の芥川君に封する見解には、或る新しい動措と攣化が生じて来た。そもそもこの「理智
の人」であり、洗煉された「祀節の人」である1として一般に知られてゐる卜人物の内臓には、どんな不
思議な情熱が火を噴いてるのか○その情熱の炎は、どこか地殻の深い内部で、地獄の硫黄の如く燃えてるやう
に思はれた○自分の新しき友に封する興味は、それの秘密な本質を探索すぺく、友情の巨岩∃宗出によ
つて駆り立てられた。
しかしながら運命が、不幸にも我音別離させた0そのことあつて後、まもなく自分等の家族は田端を去り、
鎌倉の方へ移縛してしまつた0そして距離のへだてから、自然に交情が銃くなつてきた。けれど為、自分は
作品を通じて「眞の芥川君」「詩人としての芥川君」を見ようと努めた○自分は月々の雑誉よんだ。そして、
だがその結果は不満であつた○作品に現はれた芥川寵之介は、依然として冷誓る「理智の人」であり、常識
的判断に富んだインテリゲンチュアにすぎなかつた○彼は透明な叡智を以て、あらゆる自然の賓相を見通して
ゐた0だが彼の眼鏡は、いつもただ素通しで嘗た○何物の影も■、その観照を曇らせない。しかしながらただ、
彼はそれを「見る」だけである0そしで「感ずる」ことをしない0故に彼の覿慧澄めば澄むほど、素通しの
硝子における陰影の映陥が著るしかつた。
 首然、私はかくの如き羞丁に不満をもつた0羞Tlにおける主観主義者1それ故にま浪漫主義者1と
しての私の立場は、芥川君の「あまりに文拳的な」「あまりに観照的な」態度を好まなかつた。私の言語の意
味に於て、「詩」といふことは主観性を慧してゐる0だから毒性のない姦丁は、私の意味での「詩」でな
い上に、自分の蓼術上の立琴として、封択的な地位に敵現するものでなけれ▲ばならぬ0そして芥川君の文学は、

正にこの鮎で自分の敵  しかも最も強力な敵、それへの戦で最大の名容を感ずるはど、.それほど偉大で強力
な敵。  として感じられた。特に月々の 「文香春秋」に出すアフォリズム風の文字(保儒の言葉)は、櫻智
のために機智を弄する弄筆者流の悪皮肉で、恰悪的にさへ不満を感ぜずに居られなかつた。
 しかしながら自分は、不思議にまたその反封の好意を常に同じ作者に捧げた。何となれば彼の中には、丁度
我々の詩が求めてゐるやうな「新鮮さ」や、特殊な鋭い 「敏感さ」やがあり、或る説明できない神経の尖錬が、
撥刺たる言語の中で泳いでゐるのを見るからだ。貰に今日の老廃した、あまりに老朽衰廃した日本の既成文壇
                                                0 0 0 0 0 0
で、芥川君の如く「著さに充ちてゐる」作家はない。彼の文学作品ほど、それほど詩人的な若さに充ちてるも
のが他にあるか。もし「詩」・といふ言葉を、かりに「魂の若さ」と考へれば、すくなくとも芥川君は詩人であ
る。(茸際に言つて、詩人は精神の永遠的な少年である。この同じことを芥川君自身も言つてる。)
 芥川君の文学は、そのあまりに文奉的であると共に、またあまりに少年的な、少年的であることに於て著る
し∴今日の新しき日本詩壇が、芥川君と同趣相通ずるのも、賓にただこの蒜にある。そして芥川君以外の
既成大家等が、我々の新しい詩と交渉をもたないわけも此虞にあるのだ。質に芥川君の文学は、少年客気の文
学だつた。丁度、彼のあの容貌がさうである如く、どこかに子供らしい、元気の好い、何でも新しいものや舶
来のものに憧憬をもつ、鮮新無比の感覚がをどつてゐる。
 それ故に芥川君は、私にとつて一面の 「敵」でありながら、同時にまた一面の 「愛人」だつた■■りもし私が、
                                                                                        一
私の言語における「詩」といふ定義を換へるならば、彼は疑ひもなく詩人卜しかも最も若き時代の詩人
であつた。しかし私は強情だつた。・私の中の最も微妙な本能は、頑として彼の詩人でないことを、したがつて
彼の作品の不満であることを主張した.。
ぶげ 廊下と室房

2夕d
海に面した鶴沼の東家に、病臥中の芥川君を見舞つたのは、私が鎌倉に居る問のことだつた。ひどい神経衰
警痔疾のために、骨と皮ばかりになつてる芥川君は、それでも快活に誓した。不思議に私は、その時の話
を皆おぼえてゐる○病人は耗に起きあがつて、殆んど例外なしに悲惨である所の、多くの天才の末路について
物語つた0「もし質に天才であるならば、彼の生涯は必ず悲惨だ0」といふ意味を、悲痛な講材によつて断定し
た○それから彼は、扁悲痛な自台目身を打ちあけた0何事も、一切の係累を捨ててしまつて、遠く南米の天
地に移住したいと語つた。
さうした芥川君の談話は、異常に懐愴の気を帯びてゐた0自分は彼の作品についで、時にしばしば表の鬼
気を1宗の言語で、丁度「鬼」といふ字が表象する所の懐愴感を1感じてゐた。賓に私は、至る所にこ
の「鬼」の形相を見た0彼の容貌や風格に、そのユ1才クな文字や毒に、そしてとりわけ作品や合議の中に。
丁度、ひどい憂鬱の厭世現に慧れてゐた私は、黎話のあらゆる本質鮎に於て彼と表し、同菊あひ引く誼
みを感じた0だが私は、彼の厭世覿の眞原因が、どこにあるかを判然と知り得なかつた。多分その絶望的な病
気と、それに原因する創作カの衰雪が、事情の主なるものであると思つた0且つ一つには、例の「人の心を
見通す」聴明さから、彼表の思ひやりで、たまたま私と合槌を打つてるのだとも考へた。賓にこの;の邪
推は、彼に封する交際の第古から、私の胸裏に根強く印象されたものであつた。彼はあらゆる聴明さで、あ
                                            ヽ ヽ ヽ
らゆる人と調子を合せて談話する0だがその客が蹄つたあとでは、けろりとして皮肉の舌を出すだらう。そし
でいかに相手が馬鹿であり、愚劣な興奮に騒られたかを、小説家特有の冷酷さで客観してゐる。
 この考へは、たしかに不愉快なものであつた0だが私は、かつて伊香保で知己になつた谷崎潤扁氏に封し
ても、やや同棲の邪推なしに居られなかつた。けだ心私は、室生犀星以外のいかなる文壇人とも交際がなかつ
た上、特に小説家については全く未知の世界に廃してゐた0小説家は あらゆる小説家は 私にとつて
「星からの人類」だつた。彼等と交はることは、私にとつてちがつた宇宙への観察だつた0自分たち詩人の仲
間は、すべてが畢純な情熱家であり、客観的な観照眼を殆んどもたない0詩人は常に酵つて居り、酵ひの主観
境地でのみ話をする。然るに小説家は、常に何事に封しても客観的で、冷静な観察眼をはなつてゐる0だから
小説家と話をする時、自分等の倶楽部と全くちがふ、冷酷にまで氷結された杢気を感ずるのだ0そのちがつた
杢気は、意地の悪い観察の眼をもつて、じろじろと自分の酔態を眺めてゐる0そこに丁度、酒に酔つた者が軒
はない人々の中にゐて、意地悪く狂態を観察されるやうな、一種不愉快な自覚が生ずる0
芥川君に対する時、いつも自分はさうした不快さ 観察ぎれるものの不快さ を、本能の微妙な隅に直
感した。それからして自分は、時にしばしば彼を「意地悪き皮肉の人」とも考へた○けれどもこれは、小説家
について全く知らない私が、一般の習性となつてる小説家的本能(観察本能)を、たまたま初見の谷崎君や芥
川君について邪解したものにすぎなかつたのだ0彼等は決して、そんな意地悪き観察をしてゐるのでない0た
だ態度が、職業的に習性となつてるその小説家的態度が、ある冷酷な 酒に酔はない−観察本能を、我々
ちがつた世界の人間に印象させ鴻にすぎないのだ。
                                ′.1
講が飴事にそれたが、最後に、別れる時、前言の一切を取り滑すやうな反語の調子で、彼は印象強く次の言
語を繰返した。
「だが自殺しない厭世論者の言ふことなんか、皆ウソにきまつてゐるよ0」
 それから笑つて言つた。
「君も僕も、どうせニセモノの厭世論者さ。」
2タア 廊下と室房

               のY
          ′−
芥川寵之介は、いょいょ私にとつて不可鰐の謎、むしろ神秘的な人物にさへなつてきた。彼は「思ひやり」
と友情とに充ちた、愛すぺく慕はしき人のやうでもあり、反封に冷酷で意地誉人のやうにも感じられた。何
より某可鰐なのは、表極めて冷誓る理智の人でありながら、表狂気じみた情熱に内燃してゐる人のや
うであつた0彼は常識的な人物でありながら、どこにか驚くぺく超常驚な、アナアキスチックの本能感をか
くしてゐる0常に彼の作品は、二二が四で割り切れる所の、あまりに常識的な理智的合理物でありながら、し
かも言語の或るかくれたる影に於て、ふしぎに神秘的な「鬼」を感じさせる。
何よりも彼の矛盾は、表に於て「典型的な小説家」でありながら、蒜に於て「典型的な詩人」であるこ
とだつた0そして小説家といふ語の典型と、詩人といふ語の典型とは、私の尉書に於ては全く矛盾した、翌
できない反極に廃してゐる0彼は果して詩人だらうか?それとも所謂小説家の範疇だらうか?
                                                    ヽ ヽ ヽ ヽ
自分が芥川君と別れてゐる間、再三この馬について考へた○そして結局、次のやうなはつきりした断定に
到達した。
         0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
 芥川寵之介1彼は詩を熱情してゐる小説家である。
 その頃、雑誌「改造」の彗に於て、彼の連載してゐる感想「文季的な、像りに文奉的な」を讃むに及んで、
この感はいょいょ深くなつて来た0その論文に於て、彼はしきりに「詩」を説いてる。もちろん彼の意味する
詩は、形式↓の詩」抒情詩や叙事詩の要革!でなく、表文畢の本質感たるぺき詩、即ち「詩的情嘗
を指し去るのだ0私がこの文中でしばしば言つてゐる「詩」の意味も、もちろんこれに同じ。芥川君のあの
要、及び霊における彼の多くの感想をよんだ人は、いかに彼が純粋な詩の憧憬者であり、ただ詩的なもの
2夕β
の特に・のみ、眞の意味の文学があり得拳ことを、必死に力説してゐるかを知るだらう0
 自分は不讃にして、芥川君の以前の文奉覿を知つてゐない0しかし最近の如く、彼が詩に深い接餅をもち、
詩的の賓精神に憧憬し、殆んどそれによつて文肇観の本質に突き入らんとするが如きは、恐らくかつて見なか
った所だらう。自分の臆断する所によれば、最近の芥川君はたしかに一縛期に臨んでゐた○彼の過去における
一切の思想と感情とに、ある根本的の動揺があり、新しき生活の革命に入らうとする、けなげにも悲壮な心境
が感じられた。そして貫際、この縛同は多少その作品にも現はれてゐる0たとへばあの憂鬱でニヒリズムの影
が濃い「河童」や、特に最近の悲痛な名作「歯車」やに於て。
 けれども自分は、依然として伶芥川君の「詩」に懐疑を抱いてゐた○けだし芥川君は−自分の見る所によ
れば−寛に詩を熱情する所の、典型的な小説家にすぎなかつたから0換言すれば、彼自身は詩人でなく、し
かも詩人にならうとして努力する所の、別の文畢者的範疇に属してゐるのだ0貰に詩人といふためには、彼の
作品は(その二三のものを除いて)あまりに客観的、合理覿的、非情熱的、常識主義的でありすぎる0特にそ
の「文香春秋」に連載された「保儒の言葉」や、私の所謂印象的散文風な短文やを見ると、いかに彼の文学本
質が、詩人といふに逢かに別種の気質に属するかを感じさせる0しかも芥川君は、自ら稀して「詩人」と呼び、
且つ「僕は僕の中の詩人を完成させるために創作する」と主張してゐる。
 かうした芥川君の観念は、たしかに詩の本質観で誤謬をもつてる。すくなくとも私の信ずる所は、芥川君と
「詩」の見解を別にする。それで私は、いつか通常の横合をみて、このことで芥川君と一論戦をしようと思つ
た。丁度その頃、雑誌「騒馬」の同人を主とし、室生、芥川の二君を賓とするパイプの合が上野にあつた0私
はその機合をねらつた。だが不運にして芥川君は出席されず、辟途に髄馬同人の諸君に向つて、大いに私の論
旨を演説した。「詩が、芥川君の拳衝にあるとは思はれない。それは時に、最も気の利いた詩的の表現、詩的
2タタ 廊下と室房

の構想をもつてゐる0だが無横物である0生命とし、ての霊がない0」私はさういふ意味のことを、可成り大
胎に公言した。

                       J
           一⊥
それから暫らくして、或る夜、突然芥川君が訪ねてきた0その夜、折あしく私の所に多数の人の箸があつ
た伍、殆んど話をすることもできずにしまつた0その1に芥川君は、尖隆妄や堀辰雄君等の、大勢の若い
人たちと表であつた0彼は土産に↓等のシャンパン酒を置いて辟つた0(今から考へると、このシャンパン
酒は彼の生前の形見だつた。)
 しかし芥川君が訪ねてきた時、私の覿を見るとすぐに叫んだ。
「君は僕・を詩人でないと言つたさうだね0どういふわけか○その理由をきかうぢやないかヱ
語調も剣幕是々しかつた0電燈の暗い入口であつたけれども、かう言つて私に詰め寄つた時の芥川君の剣
幕は、可成りすさまじいものであつた0たしかにその時、彼の血相は欒つてゐた○かくしきれない怒気が、そ
の挑戦的な語調に現はれてゐた。                         、,
 表間!ほんの表間であつたけれども、自分は理由なしに慄然とした0或る刃物のやうなも†のが、ひや
aして胸に突き出された恐怖を感じた○彼の背後には、大勢の若い壮士が立つてた。イザといへば総がかり
で、私に掴みかかつてくるのだと思つた。
 「復讐だ!復讐に爽やがつた0」質に或る表問、自分はさう思つて観念した。
                 ワ山
                          †⊥
∫()0
Z瀾‥
謂那郎がの丁度先客と封談中であつた彼は夏どく惟悸して見え
 た。何となく眼に活気がなく、悲しくやつれてゐるやうに見えた。だが私は例の調子で、相手の気分におかま
 ひなく、無遠慮にずばずばと放談した。漸く、その中に彼の顔には、平常の明るい活気が現はれてきた。自分
 はこの日の印象ほど、芥川君の娘における少年らしさ、風貌における書生らしさを見たことがない。賓に彼は
 その病弱の鰹躯の中に、無限の精力に溢れた「少年客気の勇」をもつてゐたのだ。
  先客が辟つたあとで、彼は再度、前の日の挽い質問を繰返した。
  「君は僕を詩人でないと言つたね。どういふわけだ。も一度説明し給へ。」
  だが今日は非常に落着いてゐた。馨はむしろ沈痛にさへしつんでゐ七。そこで自分は、詳々として前からの
 考へを按摩した。
  「要するに君は典型的の小説家だ。」
  自分がこの結論を下した時、彼は悲しげに首をふつた。
  「君は僕を理解しない。徹底的に理解しない。僕は詩人でありすぎるのだ。小説家の典型なんか少しもない
  よ。」
  それから詩と小説との本質覿の相違について、我々はまた暫らく議論した。そして遽に自分は言つた。自分
 が、自分の立場としての文学論を進めて行くと、窮極して芥川君は敵の北極圏に立つことになる。文学上の主
 張に於て、遺憾ながら我々は敵であると。
  「敵かね。僕は君の。」
   さう言つて彼は寂しげに笑つた。
  「反封に」
∫OJ 廊下と室房

 と彼はさらに言ひつづけた。
「君と僕ぐらゐ、世の中によく似た人間は無いと思つて居るのだ。」
「人物の上で…=・或は…=・。でも作品は全くちがふね。」
「ちがふものか。同じだよ。」
「いや。ちがふ。」
 我々は言ひ争つた。しかし経ひに、彼は私の強情に愛想をつかした。そして怨みがましい饗で言つた。
「僕は君を理解してゐる。それに君は、君は少しも僕を理解しない。香。理解しょうとしないのだ。」
 その日の彼は、あらゆる鮎に於て深い悲痛の感をあたへた。馨の調子そのものから、非常に沈痛の響をもつ
てた0彼はいろいろなことを訴へた0どんなに自分が、アナアキスチックの自由に憧憬してゐるか0本質的なし
気質に於ては、むしろ逢かに私(筆者)以上のアナアキストであること。(芥川君は死ぬ少し前、白秋氏の
「近代風景」といふ雑誌に私の評論を出してる。その評論で、彼は私を代表的な詩人的アナアキストだと許し
てゐる。)それから妻子や家庭やの一切を捨て、自由な漂浪者の群に入りたいこと。室生犀星君の如く、感情
の趣くままに自由な本能的行動をしたいこと。すぺてそれらの自由にまで、いかに必死的な熱情をもつて過去
を一貫した.かといふこと0しかも遂に何物も、何物の自由も自分には絶望であつたといふことを、悲しい沈鬱
の語気を以てかき口説いた。
 すぺてこれらの話をきいてる中に、私は涙ぐましく感傷的になつてきた。そして従来心こ父際で、未だかつて
知らなかつた或る新しい後見が、この天才的な文学者の本質にひそんでおることを、腱げながらも自覚して愕
然とした0質に芥川君が、それほど眞の詩人的な情熱家であることを、かつて私は気がつかなかつた。愚者に
も私は、彼の「聴明さ」についてくだらない清廉をした。彼は私と語るために、故意に話の主題を合せて、そ
朗)2
の心にもない人生的感傷論をするのだと邪推した。もつと甚だしくは、談話の後で舌を出す皮肉な意醍i意
地の悪い諷刺家  とさへ想像した。
 いかに腹立しく、私が飛んでもない間ちがひをしたことだらう0芥川君の如く畢純で、純粋で、子供らしく
竺本の人間がどこにあるか。ずつと前から、私がこの人に対して抱いてゐた、或る理由のない漠然たる愛慕
の感は、賓に彼の人物が有するこの本質鮎に存してゐたのだ0今思へば、そもそもの交情の始めから、彼は何
の街ひも気取りもなく、純眞卑二本の心でもつて、満腔の熱情を私に向つて打ち明けてたのだ0然るに私の方
では、何といふ卑劣な愚かしさだらう。必要もない眉を張つたり、無意味な清廉の眼を向けたり、馬鹿げた警
戒をしたりしてゐた。芥川君の凝去の報に接した時、自分はむしろ彼の前に、舌を噛んで漸死する恥を感じた0
               っ〕
           ′−

 その夜さらに、室生犀星君と連れだち、三人で田端の料理屋で鰻を食べた0その時芥川君が言つた0
「室生君と僕との関係より、萩原君と僕との友誼の方が、逢かにずつと性格的に親しいのだ0」
 この芥川君の言は、いくらか犀星の感情を害したらしい0辟途に別れる時、室生は例のずばずばした調子で、
私に向つて次のやうな皮肉を言つた。
「君のやうに、二人の友人に南天かけて訪問する奴は、僕は大嫌ひぢやO」
 その時芥川君の顔には、ある悲しげなものがちらと浮んだ0それでも彼は沈歎し、無言の中に傘をさしかけ
て、夜の雨中を田端の停車場まで迭つてくれた。ふり返つて背後をみると、「彼は伯然と坂の上に一人で立つて
ゐる。自分は理由なく寂しくなり、雨の中で手を振つて彼に謝した。 そして賓に、これが尉街桝帥抑であ
つたのである。
JOJ廊下と童貞

               ∠▲
          †⊥

 この倉見の後、私は直ちに伊豆の温泉へ旗行した。そして或る朝、思ひがけない自殺の報俸に接したのであ
る0萬感胸に充ちて、今伶私は哀悼の言葉を知らない。思ふに故人のあらゆる友人は、だれしもこの感情に於
て同じだらう0けれども私の哀悼は、それらの人々の中にあつてまた別である。賓に久しい間、私は自分の胸
中を打ちあけて語るべき、眞のよき友人を持たなかつた。稀れに芥川君を友に得たことは、自分の物寂しい孤
濁の生活で、眞に非常な悦びでありカであつた。
 何よりも芥川君は、私を本質的にeく理解してくれた。そして伶、一切の我がままと備屈を許してくれた。
(自分に友人のないことは、この偏屈と我がままのためであつた、折角親しくなりかけても、それですぐ不和
                                         ヽ ヽ ヽ ヽ
になつてし漣ふ0)この鮎で芥川君は、常に自分を寛容し、いたはり慰めてくれた。私がどんな生意気を言ひ、
屁理窟をこね、滑々しく突つかかつて行く場合にも、彼は寛大に情意を理併し、決して腹を立てることがなか
つた0賓に私は、その克容に封して小療に感じ、時に彼によつて憐憫される怒りを感じた。しかも療局して、
      ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
私は彼にいたはられ、甘やかされ、故意に駄々をこねることの悦びにさへ、充分自ら飽満してゐた。即ちつま
り言へば、彼は私の最も「親愛なる友」であつたのだ。いかに、彼なしに私の生活が寂しいかな!
 人が百人の友の中から、その一人を失ふことは苦痛がすくない。けれども僅か二人、もしくは三人の友の中
から、その一人を失ふことは耐へがたい。自分は彼によつて教へられ、彼によつて慰めちれ、彼によつてょき
奉術の理鮮者を得た0彼死してどこにまた第二の芥川が有り得るか。どこにまた私の拳術を、私の詩を批許し
てくれる入があるのか0かくて先天的に孤濁不運な私は、今日よりまたいょいょ孤猫寂蓼になつてゆく。宿命
よ!.呪ひあれと叫ばざるを得ないのだ。
∫0イ
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                 【∂
                        †′一
                                                                                            .‥・り し「」「ナl≦q.。▲。′J
 今こそ、自分は芥川君の自殺について、一つの判然たる推論を下すことができるのだ0もちろん理由は、さ
まざまの事情にからみついてる。けれども私の信ずる所によれば、彼の自殺における「漠然たる不安」の一つ
は、近く来らんとする彼自身の心境的革命にまで、名状しがたき不安の困悠を感じたのである0音に本川君の
文畢的生涯は、死を購したる「彼自身への戦ひ」だつた0彼は自由を欲求してゐた0むしろデイオニソス的な
る、奔放不承の自由を欲求してゐた。しかもその自由は、悲しいかな彼自身の教養に廃しなかつた0彼自身の
教養は、あらゆる鮎に於て理智的であり、常識的であり、祀節的であり、そして二二が四的の透明さだつた0
芥川君の生涯。それは鷲にならうとして段落したツアラトストラの人間悲劇にたとへられる0彼はその遺書
の中で、自ら紳にならうと企毒した哲人を諷刺してゐる。しかしながら紳にならずして、だれが眞に完全に、
自分自身の主人になり得るか。私の華術は私の中の詩人を完成するためだといふ彼の文嚢観の眞忌も、これに
ょって始めて了解されるのである。賓に一方の眼から見れば、彼は超人的な奉術至上主義者だつた0自殺によ
って、彼は蜃術の完成境 実のツアラトストラーに達しょうとした0けれども一方の眼は、同時に彼が泣
落した人間悲劇であること針語つてゐる0いかに人間として、彼は「熱情される自由」のために苦しんだか0
季術は、然り宰術は、彼にとつての催眠剤たるにすぎなかつた0(しかも皮肉なことには、その催眠剤がまた
彼を死に導いた。)

               ごじ
           丁⊥

 ぁらゆる自分の褒術が、あらゆる自分の表現が、芥川君自身にとつて不満であつた0彼が質に書かうとした
∫0∫ 廊下と室房
ノ.。.対“■…召題川

ものは、催眠剤としての文拳でなく、もつと生活憲に迫つてくる、眞の意味での「詩」であつたのだ。しか
も彼の教養が、理智の透明さが、詩人としての彼の表現を妨げた0彼は自分に笠した。彼は憤怒し、そして
三の超人的勇躍を試みた0「河童」が「西方の人」が「歯車」が、それから最近の多くの作物がさうであり、
縛期への黎明的な漁想を見せてる。
けれども此虚に、疲の著るしい破綻が感じられた0彼の書かうとし蒜情は、いつも埋れ火の如く、微光す
る影の如く、さうでもない他の断層1気質的及び教養的断層1の↑に埋誉れた0彼はしばしばカを感じ
た0そして賓に長い間、見るも憲な、悲壮な痛ましい戦が績けられた。
何故に芥川君は自殺したか↑自分はもはや、これ以↓のことを語り得ない0しかしながらただ、三の明
白なる毒を断定し得る○即ち彼の自殺は、勝利にょつての自殺で、敗北にょつての自殺でないといふことで
ある0賓に彼は、死によつてその「奉術」を完成し、合せて彼の中の「詩人」を毒した0眞にすぺての意味
に於て、彼の生涯はストイック1それのみをただニイチェが望んでゐた1であつた。最後の誓に於てす
らも、璧つ蕎家の態度を持し、どこにも取り乱した所がなく、安誓る魂の宗(精神の養的宗)を
失つてゐない0彼こそは;の英雄、壌美なる拳術至主義の英雄である。
                 ア
            丁⊥
 故人は軍常に菊池寛氏を以て「私の英雄」と稀してゐた0だが賓には、それと全くちがつた意味に於て、
芥川雷身が英雄であつた0しかしながらそれは、悲痛な、傷ましい不断の戦にょる英雄だつた。生前だれが
1どんな彼の親友が土)の傷ましい英雄を彼に見たか↑彼は人に理警れず、孤狗な、寂しい墓の中に
殖ん宗づた0しかも自ら毒を服して、厳然と持し、精神のストイックな安静を失はないで。
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、、自分は正にギリシャ人の、ストイック教徒の、ソタラテスの、拳衝至上主義の山頂的な野草を見
る。そしてこの哲学から、逆に始めて彼の拳術論(文嚢的な、鎗りに文奉的な)の戦慄すべき、かくされたる
精神を知る。彼はニイチェの英雄であり、賓術至上主義の傷ましい殉教者だ。
 そして私が此虞まで考へてきた時、始めてあの鶴沼における悲壮な合議が、言語の隅々まで明らかに辟つて
きた。いかにその時、あらゆる天才の不運について、睾術家の宿命的な孤濁と悲惨について、彼が沈痛な撃で
訴へたか。愚かにも自分は、その時彼の悲哀について、眞の事情を知ることができなかつた0あまつさへ彼が
反復した最後の言葉 自殺しない厭世論者の言ふことなんか、たれが本気にするものか。1の深い意味さ
                                       ヽ ヽ ヽ ヽ
へ、少しも了解することができなかつた。貰にその時、既に既に、彼は死を計量してゐたのである。

               00
          丁⊥

 見よ! この崇高な山頂に、一つの新しい石碑が建つてる。いくつかの坂を越えて、遠い「時代の旗人」は
そこを登るであらう。そして秋の落ちかかる日の光で、人々は石碑切文字を讃むであらう。そこには何が書い
てあるか?
 見るものは獣し、うなづき、そして皆行き去るだらう。時は移り、風雪は杢を飛んでる。ああ! だれが文
字の腐蝕を防ぎ得るか。山頂の室菊は稀薄であり、鳥は樹木にかなしく鳴いてる。だが新しき季節は来り、氷
は解けそめ、再び人々はその麓を通るだらう。その時、ああだれが山頂の墓碑を見るか。多数の認識の眼々越
                         ただ
えて、白く、雪の如く、日に輝やいてゐる一つの義しき存在を。
jOア 廊下と室房

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