西洋の詩と東洋の詩
       文畢に於ける青年性と老年性の問題
       詩人より文壇への公開状
 青年の時には詩を作り、年を取つたら俳句を作れ、と或る先輩が教へてくれた0ここで「詩」といふのは、
僕等の作る西洋風な詩を意味してゐる。しかし卒彗口へば、俳句もまた詩の一種であり、日本の俸統のポエム
なのである。しかもこの二つの詩の間には、確かにその先輩の教へたやうな、或る隔世界的な本質上の差別が
ある。
 日本の多くの歌人、特にアララギ汲の歌人たちは、常に主張して「詩を除け」と言つてゐる0歌もまた俳句
と共に、日本の国粋の抒情詩であり、それ自身が明白に「詩」なのである0しかもそのポエムである歌の中か
ら、ポエデイの要素を排除してしまへと言ふのは、一見不可解の矛盾のやうに思はれるが、彼等の言ふ意味の
「詩」といふ言葉が、今日日本の文壇で通用してゐる言葉の詩、即ち僕等の作る西洋風のリリックを指してゐ
ることを考へれば、初めて眞意がよく了解される。つまり彼等の歌人等は、和歌に於ける青年性の詩情を嫌ふ
のである。なぜなら後に説く如く、その青年性の詩情こそが、洋風詩の本質とする精神だから0
若い時には詩を作り、年を取つたら俳句を作る0青年時代には詩を作り、老年時代には和歌を作る0この一
般的な現象を考へる時、確かに日本の詩と外囲の詩、東洋の詩と西洋の詩との間に、何かの或る根本的な相違
タ 純正詩論

のあることが判明する。俳句も、和歌も、りサックも、エビツタも、ひとしく皆「詩」の一種であることはま
ちがひない。しかもその詩の情操してゐる、ポエヂイの精神そのものがちがふのである。西と東の比較に於て、
この問題の解決ほど興味が深く、且つ文化の中枢に深く濁れる問題はない。
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 だれも常識してゐ渇如く、西洋の文化は「自然の征服」を意志して居り、東洋の文化は「自然への順應」を
意志してゐる。西洋の文化は、人間Y自然に封する挑戦であり、東洋の文化は、人間の自然に於ける同化であ
る。前者の歴史は、あの紳と人との悲壮な復讐戦を創世記にもつところの、キリスト教の蕾約全書に始まつて
居り、後者の歴史は、支那の紳農氏の平和な牧歌的自然生活に始まつてゐる。西洋の文明が意志するものは、
人間のカで自然と戦ひ、バベルの塔を建てて天に登り、紳の火を盗んで文化を開き、智慧の葺を食つてエホバ
に叛逆し、科挙を敏明して天理を奪はうとするところの、天使ルシフェルの悲壮な悪魔的、人間主義的挑戦で
一貫してゐる。ホーマーの叙事詩に始まる西洋文化は、最初の出饅から悲劇的であり、英雄の悲壮な生涯を表
象してゐる。人間の力で紳と戦ひ、宇宙の天理である「自然」を、人為の智慧で不自然に欒吏しょうとする意志
ほゼ、無謀で大勝のものがあらうか。西洋文化の意志するものは、最初から既に敗北を漁期してゐる。エホバ
は常に彼等を怒り、火や洪水やで叛徒を殺した。しかも非力な人間共は、敗北を覚悟して紳と戦ひ、無限の痛
ましい復讐戦を繰返した。西洋歴史全慣が、賓に敗北した人間主義の、ホーマー的悲壮な英雄詩に外ならない。
 これに反して東洋には、昔から一人のホーマーも無く、キリスト教のバイブルも生れなかつた。東洋には浮
迦の寂滅為楽教があり、老子の無為自然主義が哲学された。それらの思想が説くところは、神に封する坂逆で
なくして、紳の天理する自然の中に、順應同化することの敦であつた。だから東洋には、科学が生れないで詩
だけが生れた。しかもその詩には、ホーマーの人間主義的悲壮もなく、背約全書の敗北主義的悲劇もなかつた。
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                                               べ1ソス
東洋の詩の情操してゐるものは、悌傲的な「物のあはれ」や「あきらめ」やが本質する一種の哀傷に表されて
ゐた。それは確かにペーソス(芙しき悲哀)であつた。しかし人間的の意志を高調した悲哀でなく、反射に意
                                                    マ ー チ
志を香定した悲哀、即ち寂減無為の無情を歌ふ悲哀であつた。東洋には嘲机もなく、太鼓もなく、行進曲もな
かつた。ただ一つの、小さい悲しい笛があつた。
 東洋は声賀(老)を尊んだ。白髪をたれた老人の表象は、寿老人や、仙人や、聖人やの、すべての神聖な
者を表象した。人が或る年齢に達する時、これを「還暦」と言つて就礪した。還暦とは、年齢の麿を最初の誕
生に遺するのである。人はもと自然の草木から態生した。老いて再度自然にもどり、無為の草木に化すること
は、天寿を全うするの祀頑であり、人生有終の意義が此虞に蓋きてる。拝賀は自然に化するの道であり、尊
貴に祀摘されねばならないのである。
 かうした東洋の自然主義は、西洋の人間主義者にとつて理解されない。反封に西洋では、常に牢じ声点を理
想にした。西洋では、青年時代を以て人生の最も祀頑された宴合口と考へてゐる。「老」は西洋人にとつて地
獄を意味する。既に老いたるものは、老を見るまいとして眼をそむけ、正に老いつつあるものは、著さを取り
返さうとして焦焼する。そこで科挙は種々の薬品を饅明し、自然の天理に封して歯ぎしりしつつ、人間の悲壮
な戦を戦ひ績ける。西洋人の生きることは、それ自身が既に無限の痛ましい悲劇である。西洋には日曜日がな
 ヽ ○
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 かうした西洋の文化と奉術とは、精神的にも常に青年的なもの(文化に於ける青年性)をイデアしてゐる。
青年性の特色する情操は、情熱、感傷卜動揺、混乱、破壊、懐疑、茎想、不安、及び理想に対するロマンチッ
クな憧憬等である。古代から近代に至るまで、西洋のすべての奉術と文学とは、かうした青年性の情操を具備
〃 純正詩論


して居り、それ以外の物は一つもない。青年の作品は勿論のこと、老年の人の作品に於ても、やはりこの情操
は同じく、すべての西洋文嚢に一貫してゐる。例へばゲーテは、八十歳になつて懸愛をし、老人になつて命ほ
センチメンタルな詩を書いてる。トルストイは老年になつて正義を求め、青年のやうに狂熟して社合の不義と
戦闘した。アンドレ・ジイドは老いて迫々情熱家になり、不安と懐尿とに悩みながら、一方で情緒のこもつた
詩まで書いてゐる。ツルゲネフの書いた散文詩は、死に近づいた老の悲哀を寒々と嘆いてゐるが、しかもその
詩の心緒は東洋流の静かな物侍びたあきらめではなく、青年性の文学が特色する感傷性と、不安な動揺とに充
たされてる。ツルゲネフの散文詩は、老人の書いた「青年性の文学」の好見本である。
 かくの如く、西洋には「老年の文筆」といふものがない。老人の文畢は有るけれども、老年の文学は西洋に
ない。西洋の文学する精神が、始めからぎ与粥に基調する青年性のものであるからである。そして就中「詩」
がその最も純粋なエスプリを表現してゐる。西洋で呼ばれる「詩」といふ文学は、賓に青年性の文学の典型で
あり、感傷、情熱、茎想、不安、動揺、憧憬等の、すべての最も純粋な青年の情緒を書いてる。それ故に西洋
では、詩が文学の理想するイデアとして崇敬され、詩人の文壇に於ける地位が、逢かに小説家等より高い帝座
にゐる。「儀人」と呼ばれることは、西洋では文学的名著の最高な動章と考へられてる。そこで自尊心の高い
文学者等は、自ら小説家であるにもかかはらず、小説家の名で呼ばれることを恥辱に考へ、詩人の敬稀各人に
強ふるほどなのである。
 西洋に於けるこの事情は、東洋に来て全く逆さまに撃つてしまふ。押賀を理想とする東洋では、すぺてに
於て「老年性の文学」が尊ばれる。老年性の文撃とは、青年性の文学の封択である。それは感傷を卑しみ、情
熱を排斥し、何よりも心の動描なき状態に於ける平静と、自然に封する無我の温入とを志向する。老年性の文
学には、ホーマーの悲壮詩もなくトルストイの戦争もない。はたまたゾラ、バルザツタ等の人生的抗議もなく、
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ボオ、ボードレエル等の逆説的懐廃もなく、勿論またハイネ等の感傷もない。老年性の文季は、自然と共に宇
宙を楽しむ東洋の風雅に廃する。それは西洋に無くして東洋に有り、特に日本の和歌や俳句にエスプリされて
る。
 青年性の文学は、すべての自然、及び自然的なるものに反抗し、老年性の文学は、すべての自然的なるもの
に順應する。老年性の文寧には悲劇がない。悲劇はいつも青年性の文学にのみ有る。西洋の文学史は、浪漫主
義も自然主義も、すべて皆自然的なものに抗争し、日常性の安易を香定することに精神した。浪漫主義も自然
主義も、すぺての西洋文畢のエスプリは悲劇であつた。これに反して日本の文畢 身遽小説や心境小説を指
すのである1は、始めから全く楽天的の文学であり、悲劇の内因する精神がどこにもない。彼等は自然に順
應しっつ、日常性の身遽茶話を物語つてゐる。彼等はすべて老年性の文学を代表してゐる。
 かうした日本の文壇で、濁り青年性の文学を孤守してゐる僕等の詩が、如何に寂しく惨めな境遇に置かれる
かは、説明を要せずして解るであらう。詩はその青年性の文学の故に、日本では却つて逆に軽蔑され、小説等
ょり逢か下位に、殆んど雑輩扱ひされてるのである。西洋とは反封に、日本では「老」の文学ほど尊ばれ卑。
したがつて文学中の最も老成した文学、即ち小説が文壇の帝位にゐて羽ぶりを利かせ、僕等のみじめな詩と詩
人とは、文壇の最下位に下僕現されてゐる。西洋ではあれはど尋貴に権威されてる「詩人」の名が、日本では
単に嘲笑の意味で呼ばれてゐる。そして筒はその上にも、詩人は常に雅子扱ひにされるのである。なぜなら現
代の日本では、詩人の文学だけが唯一の「青年性の文学」であり、他はすべて「老年性の文孝」もしくはその
同じ亜流に属してゐるから。
〃 純正詩論
西洋の詩人等は、概してその青年時代に活躍し、若い年齢の時に代表的の作を書いてる。之れに反して東洋

の詩人等は、たいてい老年に近くなつて仕事をしてゐる○例へば支部の代表詩人である李白、杜子芙、陶淵明
等の人々は、何れも四十歳から六十歳位迄の老年期に活躍し、油の乗つた名詩をたくさん書いてる0日本でも
人麿、西行、芭蕉、薦村等の代表詩人は、何れも中年期を過ぎた老人になつてから、多くの目ざましい全活躍
の仕事をしてゐる。西洋でも、稀れにゲーテのやうな人がゐるけれども、概して言へば詩人の年齢が甚だ若い○
これは一膿どういふわけか。元来早老と言はれる東洋人が、詩の場合だけは反対に、西洋より寿命が長いのは
不思議である。
 だがこの不思議は、西と東の詩に於ける、本質の相違鮎を知れば何でもない0西洋の詩は「青年性の文学」
の中での、最も純粋な青年性の文学である。この文学の表現者としては、何人よりも青年が最もよく適任して
ゐる。反対に東洋の詩は「老年の文畢」の純粋なイデアである0この詩の眞の深い境地は、老年に達しなけれ
ば把握できない。李白や杜子実は、若い時にも詩を書いてゐた○だが傑作は老年期に壷されてる0若い時の詩
は、概して皆つまらなかつたのである。そして西洋の詩人たちが、概して皆この反封を経歴してゐ七西洋で
老年になつてか詩を作ると言はれる時に、東洋では反封に、老年になつたから俳句や漢詩を作ると言はれる0
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この場合での「も」と「から」と、二▼つの文法の相違ほど面白いものはない0

日本の歌人や俳人等は、支那人と同じく文学を↑賀(道)と考へ、人格の完成に至る修養の具と信じてゐる0
そこで彼等は「歌道」「俳道」等の言葉を用ゐ、和歌や俳句の究極目的が、自然の道に貫通する人格の養成に
ぁると説いてる。したがつてまた「文畢は人希なり」とか、眞の文学者は眞の人格者ならざるべからずとかい
ふ類の思想が、必然的に演繹されて来るのである0「文は人なり」といふ言葉は、もちろん西洋にもあるけれ
ども、この場合の「人」は畢なる個性や性情を意味してゐる0東洋で言はれる如く、人格といふ言葉の中にモ
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ラルを意味した道徳命題の文筆観は、西洋人の全く知らないところである。
 元来、文学する精神は人格の分裂に饅端する。一つの小説に登場する幾十人かの人物(善玉意玉賢者愚者〕
は、作者の性格の分身であり、それの互に衝突し、矛盾し、争闘する悩み自身が、文畢の訴へる主題になつて
る。故に文畢する精紳は、最後の解決の道として、いつも人格の調和した完成を願つてゐる。文学の悩みを解
決する最後のものは、結局言つて宗教の外にない。そこですぺての文学は、必然に宗教のT賀(道)をイデ
アする。この本質の鮎で言へば、勿論西洋も同じである。しかし西洋の文筆では、T賀がいつも哲学的、紳澄
論的に考へられてる。即ち人格の矛盾する二律反則、正と反とを両面に抽象して、さらにこれを上位のaに合
一する。然るにaはまた非aに相封し、無限の紳澄論的過程を繰返して上昇するばかりである。西洋の文学に
は解決がない。彼等の「道」は螺旋梯子の道であつて、昇れば昇るはど苦しくなる無間地獄の道である。之れ
に反して東洋の文学は、T賀を直覚の絶封観で把握する。彼等はそれを紳讃しないで慣験し、瞑想しないで
感覚する。野象に於ける智慧の深さ(観照の透徹)が、それ自らまた主観の人格を完成する。即ち自然の中に
自我を漫入することが、同時に自我の主観を生かし、T賀の膿議となるのである。
 かうした東洋文学の代表者は、賓に芭蕉や西行やの詩人である。彼等の感じ易い詩人たちは、古来の日本人
の中で、最も多くの深酷な悩みを持つてゐた。しかしながら彼等は、自然を深く観照し、その歌道や俳道に勤
めることで、性格の矛盾を調和し、眞理のT賀を饅得した。彼等の笛の音は寂しく、その韻律は悲哀にみち
てる。しかも彼等の態度には、道を知つた人の平静な達観と落着きがある。奥の細道を歩く芭蕉も、冬の山里
に庵してゐる西行も、決して人生の絶望的な漂泊者ではない。彼等はすぺて心の安住する家を所有し、風雅の
中で静かに文学の道を楽しんでゐる。彼等は一種の厭世家であるかも知れない。しかし決して悲劇的なニヒリ
ストではない。却つて心の安静な風雅な家で、自ら自適して楽しんでゐる事頑人である。
Jj 純正詩論

 これに反して一方では、西洋の詩人が如何に悲劇的であるだらうか0ハイネの生涯は無限軌道の懐疑であつ
た。ニイチェやボードレエルの深い悩みは、耶蘇も彿陀も救ひ得ない0彼等は宗教を熱情した0しかも腕けは
廉くはど、T臣の饅識から離れて行つた。芭蕉や西行のやうな達観は、彼等の西洋詩人に全くなく、夢にも到
達されない境地であつた。彼等の魂には家郷がなく、何虞まで行つても苦悩の準えない漂泊だつた○そしてド
ストエフスキイやツルゲネフや、他のすべての文学者等がさうであつた○僕等は東洋の文学から、道を膿得し
た人の説話を瀬き、自然の楽しむべき風雅を教はる○だが西洋の文畢からは、人間苦悩の恐ろしい絶叫と妄執
を聴くのみである。東洋の文学には救ひがある○だが西洋の文学には救ひがない○ニイチェや、ボードレエル
ゃ、モーパッサンや、トルストイやの文挙が敦へる一つの哲理は、自殺か狂気かの外に、人生の如何なる解決
               、、 、、、、 1 1 1 1 1 1 1 1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
法も無いといふことだけである。I賓に、すべての西洋的なものは悲劇的である0
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 結論に入らう。
 明治以来、日本の政令と肇術が意志したものは、西洋文化の新しい輸入であつた0特に日本の文項は、その
意志に於て特別に熱心だつた。浪漫主義、自然主義、唯美主義、馬貴重義、郎物主義等、およそ欧洲に現れた
文蜃思潮母恋くこれを革んで自家に取つた0しかもその結論として、茸際にどんな収穫があつたのだ単つ0・
自然主義も馬賓主義も、日本に移植してすつかり別種の物に攣つてしまつた○西洋文肇の精神してゐる本質の
もの、即ち塞肉争闘の苦悶や、生活への深い懐疑や、現斉への鋭い批判やは、日本の文学に少しの苗も生やさ
なかつた。日本に現害する文学は、あの閑雅な茶話みたいな身遽小説と、苦悶のない暢気な心境小説と、すべ
てに於て日本的な、あまりに日本的でありすぎる老年性の文学ばかりであつた○先年巴里に開かれた日本の董
家の美術展覧合を見て、彿蘭西の一批評家が言つた言葉は、そつくりまた文畢の方にJ息田てはまつてゐる0日
く、過去半世紀の問、日本が西洋から学んだものは何物もない。却つて益ヒ、国粋の俸統に遡ぼつて行くばか
りであると。
 西洋の詩と東洋の詩と、青年性の文学と老年性の文学と、その何れが償値に於て高いかといふやうな題目は、
自分は此虞に提出しない。かうした奉術償俺の優劣論ほど、世におそらく愚劣なものはないであらう。それは
赤と育との色に就いて、美の優劣償俺を問ふにひとしく、所詮は趣味の争ひにしか過ぎないのである。見方に
ょれば、西洋が東洋にまさつてゐるし、見方によればまた逆になる。自分は決して必ずしも、西洋文学の百日
的な心酔者ではない。僕の内密の意志によれば、芭蕉等のポエヂイが示す幽玄さは、詩として世界的至極だと
思つてる。そして李自や杜甫の偉大さは、遠くゲーテやシルレルの上位にあると信じてゐる。だが一方でまた
僕は、西洋の文拳する精神を理解してゐる。しかもその精神が日本に無く、移植の苗さへも生えないことを悲
しむのである。
 かつて僕は蕾著「詩の原理」で、巻尾に結論して一つの宿題を提出した。それは「島国日本か? 世界日本
か?」と標題した反問だつた。そしてこの反間は、今日まで伶ほ依然として未解決に残されてゐる。今日或る
反動的な人々は、世界日本を捨てて島国日本の俸統に辟れと説く。だが既に我々は、最初の第一歩を辟出して
ゐる。環境は日々に洋風化し、俸統は日々に失はれて行く。創造を有する文学はよろしく過去と告別して、新
しき世界に航路を向けねばならないのである。でなければ新日本の創造が無意味であり、文筆は俸統の中に沈
滞して腐つてしまふ。況んや明治以来の文壇は、出餞から世界日本をイデアして来たのではないか。
 島国日本か世界日本か↑ この一つの宿題は、僕等の詩人にとつて致命的に重大である。なぜなら僕等の詩
人は、新膿詩の出餞から今日まで、一貫して「青年性の文学」をイデアして来た。詩と呼ばれる僕等の文学に
は、老年性の要素が少しもない。若しその要素があつたとすれば、僕等は早く詩を捨てて俳句に走つた。俸統
J7 純正詩論

の詩と舶来の詩と、二つのポエムの封立してゐる日本に於ては、ボエデイの分野的直別が紹封である。あらゆ
る侍統的、島国的な日本の文壇、「老年性の文寧」ばかりが繁柴する日本に於て、僕等は濁り環境から濁立し、
孤濁に世界日本をイデアして忠節して来た。そしてまたその故に、雅子の逆境を忍んで来たのだ。
 日本に西洋文拳の苗が生え、青年性の文学が熱情されない限りに於て、僕等の詩人の浮ぶ瀬はない。新鰹詩
の昔から、僕等は詩人といふ名前によつて嘲笑され、季節はづれの攣り種として冷遇されて来た。そしてこの
侮辱は、日本に文畢の革命が来ない限り、未来も永久に績くであらう。僕等のすべての詩人群が、文壇に封し
て抱いてゐる深い怨みは、単なる部分的の不平ではない。資に僕等の詩人群は、日本文壇に対して、債値のコ
ペルニクス的縛同を企ててゐるのである。日本の不幸な詩人群(その中には自殺した人もあるし、不遇の中に
埋れて経つた人もある。)を代表し、あへて僕がこの一文を上表して、文壇に公開する所以である。
∫β
 日本の国粋詩の中でも、和歌と俳句は少し特色がちがつてゐる。和歌は俳句に比して人間主義で、西洋の抒情詩に近く
「青年性の文学」を多分に持つてる。しかし常葉集以後の和歌は、情操の本質が「物のあはれ」のぺ−ソスに壷き、やは
り西洋の文学とちがつてゐる。特に桂園や良寛によつて代表される近世徳川期の歌は、精神に於て俳句と全く同じである。
そして現代日本歌壇の歌(アララギ主流)に至つては、青年性の文学を完全に失つてゐる。
辟るほど西洋に近いのは、大和民族の渡来説と参考して、深く興味ある問題である。
一般に日本の文学が、上古に



 憎」パ浦.J一∨