文学のイソテリ病について

 フランスではモーパッサンの小説を、女中や番頭が読んでゐるといふことである。ロシアではツルゲーネフやトルストイの小説を、田舎の百姓の娘が読んでるといふ話を聞く。そこで日本の大衆はどんな者を読んでるだらうか。日本の文壇小説といふものは、全く大衆の生活と別離されてる。この現象を文壇人に言はせると、日本の大衆が無教育で、高級な文学を理解しないためだと言ふ。しかし大衆の方から言はせれば、またその反対の抗議もあるのだ。
 一体日本の文壇と言ふものは、特殊の文学青年だけで、独立の倶楽部を作つた楽屋のやうな存在である。それが全く公衆と絶縁された楽屋落ちの文壇であることは、月々の雑誌に発表される、文藝時評のやうなものを見るとよく解る。文学者が文壇の時事を語るのは当然であるが、文学する真の精神から語るものなら、必ずどこかの本質で、普遍の人生問題に触れてなければならない筈だ。話題は如何に文壇内部の特殊な専門的事項に関してゐても、文学する精神は普遍の人生観に立脚する故、その点で文壇以外の公衆にも、普遍の興味を呼ぶ筈である。然るに日本の文士が論ずる時評記事は、純然たる楽屋落ちの話題以外に、何の人間性に触れた問題もなく、したがつて僕等のやうな文壇的門外漢には、知らない人の噂話を聞くやうなものであり、読んでもねつから面白くない。文壇の内幕に通ずる人にだけ興味があつて、一般の公衆には意味のないやうな文藝時評。またそれのみを歓迎して掲載するやうな文藝雑誌。さういふものがジャーナリズムする文壇に、真の本質的な文学があるといふことは考へられない。
 日本の文学が、如何に公衆の生活と没交渉であるかと言ふことは、自然主義文学勃興当時のことを考へてみるとよく解る。あの欧洲十九世紀末の虚無的懐疑思潮が、文藝の上に現れた表現を自然主義の小説と呼ぶことは、だれもみな知つてる通りの常識だが、その自然主義の小説が日本に来た時、一体日本の社会はどんな実状にあつたのだ。当時の日本は日露戦争後の戦勝時代で、近代資本主義国家としての新しい創立時代に際してゐた。世界の片隅に島国してゐた小日本は、戦勝によつて一躍列強の間に伍し、資本とみに膨大して産業興り、社会は急に活気を呈して、国民勇躍の元気まさに当るべからざるものがあつた。
 かうした明治末期の日本の社会が、西洋十九世紀末の文明頽廃期にある社会と、全然何の交渉もない別個の存在であることは、だれの常識にも明らかだらう。そしてかうした日本の社会に、欧洲十九世紀末の文藝思潮など輸入したところで、単なるインテリの観念以外に、何の意義もないことも明らかである。しかも日本の文壇はそれを輸入し、国民こぞつて新興日本の創造に勇躍してゐる時、ひとり彼等のインテリだけが、さも十九世紀末の文明疲労を背負つてるやうに、芝居がかつた憂鬱の身振りをしながら、生の無意義や虚妄について語り合つてた。しかも日本の文壇には、当時まだ懐疑思潮の発生すべき、どんな哲学の苗さへも生えてなかつた。自然主義の世紀末思潮は、カントや、ニイチェや、ショーペンハウエルや、コントの実証哲学やによつて成育された。そして日本の文壇には、実にその一つの哲学さへも無かつたのだ。一体どこから日本の懐疑思潮や厭世思潮が生れたのだらう。社会の実状は全く異なり、文明にも関係なく、思潮の成育する哲学の苗さへもなく、それでしかも欧洲十九世紀末の文藝だけが、幽霊のやうな顔をして日本に現れたといふことは、実に不可思議千万である。
 かうした不可思議な文学が、日本の国民や大衆に関係なく、文壇内部の人々以外に、全然読まれなかつたことは当然である。モーパッサンでもツルゲネフでも、当時の西洋の小説は、すべてみな彼等の環境してゐる文明の中で、彼等の生活してゐる実の社会と民衆とを書いてるのである。故にそれが民衆に広く読まれるのは当然である。日本の文壇小説の如く、自己の生活する実社会や環境と関係なく、単なるインテリの新智識ぶつたダンディズムで、文士倶楽部の楽屋評のみを対象に書いてるやうな文学は、おそらく他の世界に無いだらう。のみならずまたそれは、真の正道を歩く文学ではない。むしろ日本の正しい文学は、中里介山氏の「大菩薩峠」や、徳富蘆花の「不如帰」などの例にある。未来の日本の文学は、文壇小説から発育しないで、むしろかうした非文壇小説の方から伸びるであらう。
 文藝時評的の楽屋落ち文学。公衆の生活と交渉がなく、人間性の普遍精神に立脚しないやうな文学は虚偽である。しかも日本の文壇に出て、文士として名を認められる為には、何よりもその「文藝時評的文学」を書くことが必要であり、ジャーナリストの楽屋落ち的興味を刺戟することが第一である。さうでなく、もし真の文学する精神で筆を取つたら、文壇は批評の対照にもしてくれないし、第一どこの雑誌でも原稿を買つてくれない。原稿を買つてくれる人は、何よりも文藝時評的記事を悦ぶところの、文藝時評的ジャーナリストであるからである。今の世で真の文学精神を支持しようとする人々は、中里介山氏等の如く全く文壇以外の方面から、個人としての単行本を出す以外にないであらう。
 この特殊な文壇事情は、やはり詩壇に於ても同じである。僕はかつて旧著「詩の原理」が′、版を重ねて五千部近く売りながらも、詩壇に一の批評もなく黙殺されたことを不思議にしたが、今になつて漸くその理由が判明した。僕の本には、詩壇の文藝時評的記事がないため、詩の方の文学青年たちに向かないのである。詩壇も文壇と同じく、超現実派がはやればそれを論じ、ヴァレリイがはやればそれを書き、成るべくキハモノ問題を主材にして、文学者年のインテリぶつたダンディズムを満足させなければいけないのである。しかし僕の本の読者は、さうしたインテリぶつた詩壇人より、遙かにずつと真面目に詩の本質を考へてる公衆だつた。原理として、公衆は常に文学の正しいエスプリを直覚してゐる。公衆には「無理解」がある。だが決して「誤謬」はないのだ。