室生犀星君の心境的推移について
       (忘春詩集以後、故郷囲檜集迄)
 冬の日影にかじかんでゐる、あのあはれに心細い、いぢいぢした、陰気な鋭のやうな悲哀が、いつからとな
く、′次第に犀星の心に浸み込んできた。
彼は庭を作り、苔を植ゑ、毎日縁側に出で眺めてゐた。そして冬のわびしい日ざしが、石に這つてる影を感
じ、うら枯れた楯に吹く、さびしい返り花をながめてゐた。彼はまだ四十にならない、若い元気ざかりの青年
であつた。けれども、いつの頃にか、老いがその心を蝕んでるやうに自覚した。貨際、庭石に這ふ冬の日ざし
ゃ、カのない青竹の影などを見てゐると、眞にわびしい老人の心になつた○彼は自ら、その寂しい心境を悦ん
だ。そして魚眠洞といふ雅既をつけ、笑止にも老人めかして世を果敢なんだ0
タタ 詩論と感想

JOO
かうした老人心境1その中に彼の詩的陶酔を感じてゐる−は、そもそもいつの頃から、いかなる動機に
よつて、彼の心境に入り込んで来たのだらうか0思ふにもちろん、その眞因は彼の生れつきの気質にある。金
澤人としての彼は早くから陶器や骨董に趣味をもち、俳人の雅趣を鰐し、庭石に苔を生やす老人枯淡の風流を
解してゐた。
けれどもこの心境は、あの熊のやうに粗野で荒々しく、文明典雅の風に慣れず、本能の官能痴に狂奔してゐ
た少時の犀星には、あまりに遠くかけはなれた遺俸の人格↑にひそむ心境だつた。これが表面に現はれたのは、
彼の衣食に安定ができ、妄を構へ、人物としての教養1それを彼は努力して革んだ!ができた後のこと
であつた0即ち具饅的に言へば、彼が小説家として成功し、文壇に地位と名筆を作り、且つ芥川寵之介君1
それが彼にとつては、教養ある人物の典型だつた0−等と交つた以来の出来事だつた。
 かくの如くして、彼は次第に「野獣から文明人」に、「自然人から風流人」へと、その教養の趣味を樽じて
                            ● ● ● ● ●
行つた○しかしながら、それは未だ彼にとつて、単なる趣味の世界にすぎなかつた。彼は骨董の趣味を知り、
庭を作る趣味を知り、多くの風流めいた趣味をおぼえた0しかも之れただ「趣味」である。彼は壷を吾乞
て玩質する0庭石の形よきものを変質する○そして、そしてただそれだけの興味であり、ヂレツタンチズムで
あつたにすぎない0故に未だ、それは彼の「拳術」と交渉なく、詩にも小説にも、■、儀的心境として現はれるこ
とがなかつたのだ。
 総じて趣味は、それが生活の内部に入り、質感の切なる情操にまで切り込むとき、始めて拳術の表現を求め
てくる0そして室生犀星の風流趣味もかかる必然の径路にょり、\遽に季術の境地に入り込んできた。以下この
推移する順序を述べょう。
 思ふに室生犀星が、始めて今日の特殊な心境 僕はそれを「老人心境」「風流心境」と概稀した0だが資
に正しい稀呼は、絹っと別の言葉にある。たとへば「冬日返り花的心境」もしくは「冬日鋭貝的心境」等の如
く言ふぺきである。 に入つた動機は、彼の唯一の愛児豹太郎の死に原因する0豹太郎! それは天にも地
にも、彼の代へがたく熱愛した長子であつた。故にその愛児の死が、いかに彼を絶望的にし、取り返しがたく
憂鬱な悲哀に沈めたかは、人の想像以上であつたらう0
                                ヽ ヽ ヽ ヽ
 その頃、資に犀星は悲しんでゐた。毎日、彼はぼんやりとして庭を見て居り、竺つ仕事もせず、死兄のさ
ぴしい笑顔を追憶しては、陰鬱哀傷の思ひにふけつてゐた○この時からして、彼の心の中に「世を果敢なむ思
ひ」が起つた。自分のそんなにも愛する竺のものを、残酷に奪つた天に封して、力の及ばぬ怨みを感じ、悲
   ヽ ヽ ヽ ヽ
しいあきらめの涙をのんだ。彼は昔の出家に似た、厭世離脱の情を感じ、益ヒ自分の世界を小さく、地下に滅
入るやうに掘つて行つた。
ぁの有名な「忘春詩集」は、賓にその死んだ愛鬼に捧げたもので、昔時の哀傷の思ひに充ちた、あらゆる陰
                                 ヽ ヽ ヽ ヽ
鬱な厭世観や、運命への怨みごとや、悲しい親心のあきらめや、さうした心細い哀調によつて充たされてゐる0
賓にあの詩集をよむ人は、地下の暗くさびしい穴の中に、魂を引き込まれるやうな、世にも陰惨悲愁の思ひ
 むしろ時として、それの陰気から「厭やな不快」を感じさせるほど、それほど極端に菊の滅入る思ひ0
 を感ぜずに居られない。そこには、あの死兄の追憶にふけりながら、毎日ぼんやりと庭を見てゐる、力も
意地も失ひきつてる老人がある。そして彼が見てゐる庭先には、冬の薄ら日がかすかにさし、棉には小さな返
∫0∫ 詩論と感想


り花が白く咲いてる0そして冷たい陶器の表面には、夢の中でみるやうな支那の童子が、漠を淡くながしてゐ
る。
この「忘春詩集」が、賓に詩人としての彼の心境を表させた○室生君がその心に杢虚を感じ、浮世を果敢
なみ、ミ、、ズの表音に似た詩境を地下に掘つて行つたのは、賓にこの時以来である0(僕は子供の死ぐらゐで、
それほど絶望的になる場合を想像できない0けれども室生君は、徹頭徹尾人情汲の詩人であつて、人情が彼の
人生観の蒜だから、むしろさうしや言が嘗然なのだ○)この時以来、室生君の心境は奨任し、或る種のい
ぢいぢした、かじかんだ、准子のやうな寂しいものに傾いてきた0そして何もかも、扁の野心と希望とを失
つた、無気力なさびしい厭世観と、世捨人のあきらめた風流領事が、深く深くその心に浸み込んできた。
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かくの如くして、従来は畢に「趣味」′であり、好事であつたにすぎない骨董癖や庭造りが、今や生活情操に
入り込んできた○即ち彼は、その愛する支那の古陶器から、死兄のつめたい浜を思ひ、冬の日影を迫ふ庭石か
ら「世捨人の悲しいあきらめを考へた0そして風流領事のあらゆる世界が、待命的の果敢なさと寂しさとに充
             ヽ ヽ ヽ ヽ
ちて、世にも悲しく影深いものに見えた0その苔むした庭石や前栽の葉影を通じて、ずつと人間生活の内部に
解れ、宇宙の賓在性に通ずる秘密の道を、彼は本能にょつて直覚した。
かくて今や、彼の風流は忘「哲学」に蜃展してきた○その骨董癖も庭いぢりも、彼にあつては「哲学」で
あり、深奥な意味を有する「拳術」である0彼は一つの壷の解党から、人の知らない微妙の頂味を餞見し、宇
宙の賓在界を直視する〇一つの石の形状から、一つの植物の生態から、いつも彼自身の直覚にょる、不思議な
メタフイヂツタを創造する○質に室生犀星は、今日の詩壇に於けるユニツタな大哲学者で、彼に及ぶどんな詩
人も外にない。僕は−人の知る通り−あらゆる鮎に於て室生君の反封者であり、彼と根本的に趣味思想を
表しないものであるけれども、この主観の立場を捨て、好意なき客観の立場に立つ時、いつで空の本質的
な鮎に於て、室生君を日本一の詩人と呼ぷにはばからない○
愛兄の死によつて、始めて所謂「風流」の些貫感に侮れた彼は、進んでその心境を磯展させ、さらに「高麗
の花」等の詩集を侭つた。この詩集に於ては、既に「忘春詩集」における切々哀傷の響は失せてる0けだし愛
兄の死からこの時まで、やや時日がたつて居り、絶望悲傷の記憶が薄らいでゐるからである0しかしながらこ
の後の詩境は、人情的なものの賓感から、より深奥なる自然的なものへ開展して行つた0そこには人情的な悲
傷がすくない。けれど負目然 木の枝や、庭の石や、植物や、古陶器や を透して見る、より奥深い宇宙
があり、冬の日だまりの影のやうな、侍しい厭世観が貫いてゐる0即ち彼は、その愛児の死を自然に移し、一
部の具饅的な生活悲哀を、より普遍的で窓の廣い、他の宇宙の方に饅展させて行つたのである0
室生犀星の詩境について、特に僕等の敬服する鮎は、彼がどんな場合に警も、決して外面的な詩興−浮
薄な趣・味や、題材の思ひつきや、詩人的街菊や で、創作しないといふこと、常に必ず彼の詩には、人間生
活の最も切賓な嘆息があり、本質感からの情熱に動機してゐる、といふこ左ある0たとへば詩集「高度の
彗の如きも、可成著るしく彼の骨董趣味や風流趣味が主題されてゐるにかかはらず、詩感の根抵を流れるも
のはそれでなく、人間生活の苦悩や悲痛を訴へんとする所の、三の烈々たる熱情が基調してゐる0つまり彼
にあつては、この止みがたい詩的熱情が、表現の取材としてそれらの趣味 骨董趣味や風流趣味−−を選ん
だのである。(そして畢に詩ばかりでなく、生活に於てもまた資にこの通りである○)
JO∫ 詩論と感想

それ故に室生の詩は、どんなワザとらしい古雅風流の想に於ても、必ず人の書生活に強く解れる所の、或る
生き生きとした、ナイーヴの、情感に迫つた力をもつてる0この鮎で僕等は、最近の我が詩壇1特に若き人
人の詩壇−における、止みがたい不満を感ぜずに居られない0概ね今の若き詩人等は、その創作動機を外面
の趣味1たとへば機械や工場に関する特娩の趣味0明るく陽快な新時代的趣味。軍艦や海に関する一種の趣
味○立饅汲的都合趣味○或る種の象徴的神秘趣味○その他各人の個性に属する、特殊な様々の新しい趣味1
に置いてる0そして単にそれだけが、その趣味(即ち美的好尚)だけが、詩作における唯忘刺戟で、竺の
創作の動機となつてゐる○趣味は拳術における「個性の賓饅」であり、また主題の全鰹であるけれども、畢に
それだけでは、決して眞の生命ある奉術は生れない0眞の人を動かす作品は、それの取材となるぺきもの1
即ち趣味1の背後に於て、生活的情操の切賓なる訴へや叫びやを、強く熱病的に動機しなければならないの
だ○この鮎で僕は、今の詩壇の多くの詩に不満する○彼等の趣味は新しい。表現は気が利いてる。だが詩の根
抵観に於て、本質的な魅力が殆んどない。
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「忘春詩集」以後、室生君のこの詩境は二見してきた0単に叙情詩の方ばかりでなく、叙事詩(小説)の方で
も、また同じ心境で進んで行つた0資に室生君にあつて、彼の二つの詩の形式、即ち叙情詩と叙事詩(小説)
とが、概ね改行的にもしくは雁行的に展開し行き、両面から生活内景を描馬して行つた。畢にそればかりでな
く、その上に彼はまた一種の思想詩■ハ健筆)を書いた。最近出た「庭を作る人」はその一例で、他の叙情詩や
叙事詩と合せ、詩人としての彼の全局的地位を見るには、必讃軟くぺからざるものである。
 かくてこの三づの形式を有する詩人、即ち叙情詩人としての犀星、叙事詩人としての犀星、及び思想詩人と
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しての犀星は、→耳していつも物権しく、茶人めいたる趣味に浸り、庭石の苔を眺めて居り、内に醍のやうな
厭世感を持つてゐるところの、不思議な「心の若い老人」だつた0しかしながら今や、漸くまた新しいノつの
時機が、彼の最近の心境に曙光を見せた。
 どんなわけか、どんな生活上の事情か知らないけれども、最近著るしく彼の詩風や散文に、明るい健康の情
操が混じてきた。それと共に、妄で俳句的の俸統趣碗が、いょいょ脱けがたく深くなつてきた0(此所で忌
悍なく許すれば、彼の俳句は純然たる月並で、固衆小針統的句境を妄も出でず、文人の道欒的な飴技にすぎ
ない。)資に彼の季術境には、二つの矛盾する別のものが、最近互に食ひ合つてゐる○即ち妄Yは、あの元
気の好い昔の叙情的「愛の詩集」を偲ばしめる、少年客気の情操が芽を出して居り、しかも反対に妄では、
俸統の枯淡な俳句的心境に、いょいょ抜けがたく深入りしてきた感じがある0
今や室生犀星の人格中で、その趣味に属する「老人枯淡」と、その本質的気質に属する「少年客気」とが、
互に妥協しがたく争つてゐるやうに思はれる○そしてこの著るしい矛盾の不調和を、醜髄にまで曝け出したも
のが、即ち最近における詩集「故郷圃檜集」である○資にこの詩集の特色は、詩壇に一貫した子マがなく、
前後離親し、支離滅裂し、詩のスタイル内容共に、寄木細工の如き散漫を極めたる鮎にある0故に一巻した詩
集として、明らかに「故郷周檜集」は失敗である○全膿として過去のあらゆる犀星の詩集の中で、之れほど肇
術的に無内容のものはなからう。この意味で、百田宗治君の最近出た出世詩集 僕はあへて出世詩集と言ふ
 「何もない庭」の特色ある成功と、正に不幸なコントラストを示してゐるO
「故郷囲檜集」のつまらなさは、犀星のあらゆる詩境の中で、最も油のぬけた熱の低い、そして俳句的な気取
りや見得を多量に混じた、飴技的低綱静情を圭脆に取り入れた所に存する0しかもそればかりでない0巻頭に
「詩歌の城」の如き駄詩 賓に駄詩だ−を納め、さらに「星からの電話」の如き、他の詩篇と切り離され
JO∫ 詩論と感想

た几劣詩を混入し、その他「しぐれ」と「家庭」の如き、全然その情操やスタイルを異にする別種の詩を、前
後無秩序に混合したことの、すぺての奉術的無神経に原因する。
 しかしながら此等の牽術的不饅裁にかかはらず、この詩集の別の興味は、最近の一縛化を漁想しっつ、しか
も未だそれに完徹しない犀星の近況を、之れにょつて推測し得る所にある。茸に「故郷囲檜集」には、二つの
全く詩境を異にする、別の方向に属する詩が混合してゐる。たとへば「雪汁」「石垣」「しぐれ」「結城」「赤飯
の草」等の諸篇は、彼の最近深入りした俳句的心境で、熱の低い枯淡の低桐趣味であつて、此所に油気のぬけ
た「老人としての犀星」が居る0然るにその一方では、昔の詩集「愛の詩集」に見るやうな、少年客気の意気
に充ちた犀星が、感動の高い調子で歌つてゐる。即ちたとへば「家庭」「このごろ」「山の上」「菊人形」等が
それである。
 此等の詩欝の中、僕は「家庭」といふ詩に最も深い感動を得た。僕をして遠慮なく極言させるならば、詩集
「故郷囲檜集」の償値は、ただ叙情詩「家庭」の一篇に轟く。その他の熱の低い、油気のぬけたやうな俳味詩
篇は、むしろ始めから無い方が好いのである0「家庭」をよんで、室生君の旺盛なる人生的熱情に、僕は今さ
らの如く驚嘆したO「家庭を守れ0悲しみながら守れ。」と彼は歌つてゐる。この詩の心境には、いかに熱情的
なる自由への意志が、いかに噛みしめられたる運命への忍従が、悲痛の歯ぎしりをしてゐることか。世界のあ
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らゆる人々が、あらゆる政令制度の下に忍んでゐる、悲ユ福人生の鬱憤を、かくまでもはつきりと、感情に充
ちて歌つた詩は他にないだらう。
 この「家庭」に現はれてる情操は、あの「愛の詩集」における少年の寧冗気と、外面的に流れた無内容の感
傷性とを、再度内面生活の中に取りもどして、ずつと現質的な人生観で、内容ある感情に患者させたものであ
る0もちろんこの詩の思想には、室生君一流の宿命観が現はれてゐる。しかしながら詩の讃者は、その概念を
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見ずして情操を見、情操を見ずして言語のアクセントとスタイルを見る0そしてこの詩のスタイルやアクセン
トには、来るべき室生君の新詩境と、その人生観の一樽磯を暗示すべきものがあるO

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 僕は前にある雑誌(文奉公論)で、「友情の侵害彊域」と題する、五行ほどの短文を蚤表した0その僕の意
見によれば、眞の友情は「理解し合ふ」ぺきものであつてト決して「忠告し合ふ」ぺきものでない0なぜなら
ば忠告とは、一方が自分の意見や主張でもつて、封手の自由な生活に干渉し、その個性を侵著しょうとする所
の、友情の冒漬であるからである。
 この意見によつて、僕は決して友人への忠告を試みない0もし二人の立場に妥協や一致がない時は、むしろ
正面から友を敵とし、友を封手として戦ふのみだ0(戦ひは僕に於て最大の友情であり、親密と愛敬の無二の
    ●
印だ。敵といふ言語は、僕の字書に於て最大の敬意を示してゐる0)それ故に僕は、僕のいかなる主観上の意
見をも、決して室生君に強ひようと考へない0しかしながらただ、僕自身について意見を遽ぺれば、前の「忘
春詩集」以来一貫せる、室生の人生観には不平である○僕はああしたいぢいぢした、かじかんでゐる、地下に
人の心を引き込むやうな、陰気な滅入つた心境に反感し、理由なく情意の腹を立てる0もちろん僕も、気質的
に厭世主義者であることは、全く室生君に表する。だが我々は、ああしや「魂を滅入り込ませる」所の、い
ぢけた張のない厭世観を、本能的に毛嫌ひし、衛生的にも不潔の感を禁じ得ない○詩は厭世的になればなるは
ど逆に益ヒ反動的となり、革命的になる、故意にも眉を怒らして叫びたくなる0僕の行きつめた厭世観は、或
は僕を無政府主義者に導くだらう。だがどんな場合に於ても、僕は室生君のやうな遁世者や風流人にはなれな
いのだ。
ノ0ア 詩論と感想

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とにかく僕は、室生君の人生観に好感できない0好感できないといふょりはそれが苛立たしく歯揮いのだ。
                                           ヽ ヽ ヽ ヽ
室生君ほどの天分を持つてる詩人が、そんなことで人生をへこたれてどうなるか。君はまだ若く、君の前途は
洋々としてゐる0今からそんなに老人ぶつて、自分で自分の穴を掘らうとするのは、友だち甲斐にも腹立たし
く、口惜しくつてたまらないのだ0君のさうした引退思想が、畢に奉術の上にだけ、趣味の上だけで止まるな
ら好い0研が君はさうでなく、最近には文壇上にもいぢけて来て、自分で身を引くやうな態度を見せる。もち
ろん今の文壇は不愉快だらけだ0だが君に勇気があつたら、そんな不愉快な奴等を封手にして、大いに戦つて
見るが好い0君が自分で引つ込むから、悪が益ヒのさばつて来るんぢやないか。とにかく「いぢける」といふ
ことが一番悪い○そして君の心境には、近頃それが著るしくなつてきた。僕が病癖を起すのは1そしてそれ
故に、君の顔さへみれば罵倒するのは、1賃にこの鮎に存するのだ。しつかりしろツ! と怒鳴りたくなる。
 眈に前に言つた通り、僕は「忠告」なんか瀧してしない。僕の最も親密な友情は、常に必ず「敵」の観念で
現はれてる0「罵倒する」といふことが、僕にとつては最愛無比の友情なのだ。だから君が怒るなら、それで
勝手に怒るがょからう○ただ僕としては、室生君のやうな有為の天才が、今の情態でいぢけてしまひ、世を果
敢なんでゐる腑甲斐なさを嘆ずるのだ0幸ひ最近の室生君には、一の新しい心境樽化が起りつつある。思ふに
君はもう「風流」を卒業した0今度は別の方面に行くぺきだらう○詩人の生命は攣化にある。攣他のキい詩人
は死物にひ上しい○君は既に過去に於て、いくつかの目ざましい攣化をし、その度々の新しい詩境を完成した。
今や正に、第三期の跳躍をすぺき時だ0暫らく君はその俳句や骨董に遠ざかり、正に来たち、ぅとしつつある
1そして現に眈に来てゐる1その新しき生命感と詩墳の方に、専ら生活を集中すぺきではないだらうか。
これは忠告でも意見でもない0ただ「敵」としての室生に封する僕の新しき挑戦状の手袋である。
ノ0β