松旭斎天一の奇術


                           l人
僕が幼い子供の時見た物で、忘れがたく印象に残つてゐるものが二つある〇三はチヤリネの曲馬で、一つ
は松旭笑忘奇術である0チヤリネの豊は、非常にエキゾチックな夢幻感を残して居るが、天言寄術も
また、それに劣らず夢幻的の思ひがした0といふわけは、西洋奇術といふものが、昔時の是では極めて目新
しいものであり、事々に怪奇で不思議な思ひをさせる以1に、まだ知らぬ西洋の面影を、子供心のドり−ムラ
 ンドに幻燈して、夢多き印象を輿へたからであつた。
 しかし今から考へると、常時の天一の自構した「西洋奇術」といふものは、その頃流行つた生人形や芳年な
どの血檜と同じく、幕末以来の懐惨な怪奇趣味を多分に取り入れ、半ば芝居がかりでした蕾日本的情趣のもの
であつた。それで僕のやうな子供は、いつも怖いのが年分、面白いのが年分で見物した。呼び物の演肇は、た
いてい残酷な殺人劇に、奇術を入れた怪談めいたものであつた。たとへば殿横の嫉妬によつて、惨虐に殺され
た女の首が、胴から抜けてロクロ首となり、見物の頭をふらふらと飛び廻つたりした0(その首が僕の頭に来
た時の恐怖は、未だに決して忘れられない。)
 若い洋装の女を十字架にかけてハリツケにし、槍で南腋を突いて殺すのを見た。槍で突かれる毎に、女は悲
鳴をあげて泣き叫び、血がたらたらと流れ出した。これは女の上衣の腋の下に、血糊を入れて袋が隠してあり、
それを槍で突いて破るのだから、奇術でも手品でも何でもなく、普通のありふれた芝居にすぎないのだが、女
の洋装が異国趣味の上に、背景が西洋風の墓地になつて居り、青白い月が出て居たりするので、何となく西洋
怪談といふ感じがした。女の息が絶え果ててから、屍慣をおろして棺桶の中に入れ、周囲を固く釘づけにする。
それから後が手品になつて、天一が早攣りで坊主(これは日本の坊主である)になり、何か経文を稀へてゐる
中、今殺されたばかりの女が、目も醒めるやうな美装をして花道から笑ひながら出て来るといふ仕組であつた。
奇術としては、今日天勝等のよくやるトランク抜けの原型であり、甚だ幼稚のものに過ぎないのだが、その奇
抜で斬新な舞董意匠は、全く天一の濁創になり、今の手品とは大にちがつて、甚だドラマチックに魅力的のも
のであつた。
 大砲の中に人間を入れ、椅煙と共に、室中高く打ち上げるのも見た。この所謂「大砲人間」は、今日でも命
アメリカあたりで、しばしば見世物に出るらしいが、明治年代の日本としては、全く顆例なき斬新奇抜の演蜃
∫∂j 随筆

だつた。僕が最初見た時には、砲身から飛び出した若い女が、舞蔓の一方の隅に吊つてある太鼓を打ち、その
まま下のハンモックの上に落ちるのだつたが、次に見た時には、舞真の背景となつてゐる亘きな満月の中へそ
のまま飛び込んでしまふのだつた。この仕掛は、もちろん月がくりぬきになつて居り、舞茎真にハンモックが
あるのだらうが、大砲から打ち上げられた人間が、月の世界へ旗行するといふ考案は、おそらく天一の濁別に
なるもので、この奇術師の頭の好さと、奇警を好む特異な性格とを思はせるものであつた。
 天一は自ら「洋行辟り」と稗し、その舞壷には度々しく「賜天覧英国皇帝陛下」とか「賜台覧米国大統領閣
下」とか書いたビラを何故となく飾り立て、自分は金モールのついた陸軍将校の大穂服を看て胸には各国皇帝
から勝られたといふ、怪しげな動章を幾つもつけて、舞真に出た。しかし人に開く所によれば、彼は足一歩も
日本を出でず、洋行など一度もしたことがなく、単に横濱に居る一外国人について、西洋奇術の概念を聞いた
だけだといふことである。果して単にそれだけの知識で、あれだけの素ばらしい舞真意匠を創造したのだつた
ら、興行師として以上に、むしろ拳術家としての大天才と言はなければならない。昔時この天一、天勝の夫婦
と、川上普二郎、貞奴の夫婦と、及び輿謝野繊幹、晶子の夫婦上を、文壇人は三幅封と栴して居たが、何れも
食入の方が先に死んで、後に生残つた女傑の妻が、大活躍をしたことも奇縁であつた。
 天一を始めとして、その頃の西洋奇術師は、何か奇蹟の起る前に、いつも必ず「エーショー」といふやうな、
呪文を用ゐた。時にはまた「エーショー・キリシテー」とも言つた。僕は子供戦時、その呪文を甚だ気味悪く
妖夢的に聞いて居たが、何のことだか、意味は全く解らなかつた。ところが最近、素人奇術師の泰斗阿部徳頼
氏に逢つて説明を開き初めて呪文の意味が鰐つた。即ち「エーショー・キリシテ」は「イエス・キリスト」の
縛靴音であつたのだつた。
 成程さういへば一恩ひ出すが、常時の奇術師が舞h董で用ゐたテーブルなどには、たいてい黒い天菅叩域の布が掛.
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けてあり、それに金鵜で十字架が縫ひつけてあつた。つまり、切支丹伴天連の妖術意識が、明治の中葉までも
日本に残留して、靡く通俗の大衆に普遍して居たことの讃接であつた。もつともその頃は、すべての科挙的の
見世物さへが、切支丹の魔法と類似に見られたのだから、奇術師が演出効果を強める為めに、故意に切支丹ま
がひにしたことも嘗然だつた。
最近になつてさへも、この「エーショー・キリシテー」をやつてゐる奇術師は砂なくない。しかし彼等はハ
おそらくその呪文の本来の意味を知らず、ただ師匠から敦はつた通りの言葉を、無意識に俸承して居るにすぎ
ないだらう。もしさうでなかつたら、彼等自ら可笑しくなり、舞蔓で吹き出してしまふか知れない。