民衆心理考   

           危機の匡救


     為政者は其本質に通達すべし

 偉大なる政治家は常に偉大なる心理学者でなければならないといふことは、べーコンやスペンサア等の政治哲学に聞くまでもなく、常識的に解りきつた真理であらう。日本の例を見ても、北條、足利、徳川等の覇業が成功したのは、彼等の幕府創立者が、何れも偉大なる政治家であり、当時の大名等が意慾するところをよく知悉し、大名等の心理を巧に捉へたからであつた。
 しかし現代の世の中は、大名によつて支持されてる封建時代の社会ではなく、大多数者の民衆によつて成立してる社会である。それ故現代の政治家は、何よりも民衆の心理を知り、民衆心理学に通じた人でなければならない。そこでたとへばヒツトラアの如き人物が現代に於ける大政治家であり、併せてまた大英雄を典型してゐる。ヒツトラアの成功は、彼が一兵卒から身を起して、敗残独独逸のあらゆる苦汁を経験し、全独逸民衆の渇望してるもの、不満してゐるもの、欲情してゐるもの、嘆息してゐるもの、及びイデーしてゐるものの本質を真に骨の髄から知り悉して居た故であつた。
 北條、徳川等の政治家は、一方で大名の強権的指導者でありながら、一方ではまた、大名等の欲望や理念やを満足さすべく、孜々として勤勉してゐたところの公僕であつた。ヒツトラアもまたそれに同じく、自ら独逸国民の公僕であることを言明して居る。ところで人が民衆の公僕であり、併せて指導者である為には、民衆心理のあらゆる隅々に通達して居なければならないのである。
 さて私が、此処に改めてこんなことを書き出したのは、現代日本の民衆を指導してゐる人々、即ち政府当局者の為すところや言ふところが、時に全く民衆の心意に叛き、あまりにも民衆心理に迂遠であることを見るからである。民衆の心理を知らない者が、強権を握つて要路に立ち、いたづらに独断的の指令をする時、民衆は期せずして反抗の態度を取り、ひそかに政府を怨言するやうになるであらう。もし「危機」といふべきものがあるとすれば、かうした民衆心理の爆発より外にはない。そしてこの危機を未然に解消するためには、何よりも先づ為政者が、民衆心理の本質を研究して、その方面に通達することが必要であると思ふ。
 かつて私は、この同じことを「帰郷者」といふ書物の中で、「政治の心理学」といふ題で小論した。だがその私の文章は、諷刺的であるよりも暗示的であり、故意にユーモラスの調子で書いた。此処では少しく具体的に、近頃新しく感じた二三のことを、随筆的に書いて見たいと思ふのである。
 ラヂオ等の放送を通じて、近頃「百年戦争」といふ言葉を、しばしば私たちは聞かされる。現代日本の非常時局は、二年や三年で解決するものではなく、子々孫々の代に亙る恆久百年の問題である。よろしく国民たるものは、百年戦争を覚悟せねばならないといふのである。かうした講演をする人は何れ民衆指導の地位に立つ要路の人々にちがひないが、政治家としての素質から見て、無能に近い人ではないかと思ふ。

      前途に洋々たる希望を

 百年戦争といへばあの羅馬法王庁の十字架が、欧州の空に高くそびえ、基督教の迷信と宗教裁判とが、その神がかり的の絶対強権によつて、一切の理性を禁圧し、異端を火刑にし悪夢のやうに人心をおびやかして居たところの、戦慄恐怖の暗黒時代を聯想する。その頃オルレアンの一少女は、奇蹟によつて仏蘭西を救済した。だが今日は、奇蹟の有り得る時代ではない。今日の百年戦争は、悪魔と狂信者との戦ではなく、全く物質的なる経済力の戦であり、物資と物資との持久戦に外ならない。
 今日の世界に於て、戦争がもしさうした状態に入るとすれば、物資の豊富な「持てる国」が、常に有利の立場に立ち、「持たない国」が不利の位置に立つことは勿論である。そして戦争が長引けば長引くほど、この優勝劣敗の懸隔は甚だしくなる。
 それ故に「持たない国」の為政者等は、常に戦争が短期に終ることを公言し、反対に「持てる国」の政治家等は、いつも民衆に向つて、戦争が長引くことを演説する。そこで現にヒツトラアは、今次の大戦の勃発以来、幾度も既に繰返して、戦争が必ず短期に終結することを独逸国民の前に演説し、現に只今でさへも、今秋迄には必ず英国を屈服させると公言して居る。
 前欧州大戦の時、独逸は戦場に勝利を得ながら、経済戦に敗北して、ヴエルダンに死物狂ひの苦戦を続け、正に国内崩壊の危機に際して居た時、カイゼルは民衆に向つて演説し、戦争が既に終局に近づいてること、必ずこの半ケ年以内に、独逸の絶対勝利を以て平和が当来することを説き、以て食糧品の欠乏から、正に崩壊しようとする国民の意気を鼓舞し、最後の一瞬時まで、民衆に希望と勇気を持たせることに努めたのである。
 今の日本の当局者が、民衆に向つて百年戦争を説教するのは、思ふに国民の一大決心と覚悟をうながし、非常時への緊張を一層強化させようとする為であらう。だがその効果は、おそらく政府人の意志に反して、反対のものになつてるかも知れないのである。日本にもしヒツトラアが居るならば、今日の政府人とは、おそらく正反対の演説をするであらう。即ち時局は既に見通しが付いてること、今日の非常時は、おそくも一、二年の内に解決して、新日本の光栄ある将来が、今日の苦難に百倍する報酬によつて、明日の諸君の頭上に輝くことを説くであらう。
 たとへ嘘言にもせよ政略にもせよ、国民はかうした勇ましい演説を、当局者の口から聞くことを求めて居るのだ。それによつて彼等は、初めてよく今日の受難に耐へ忍び、前途に洋々たる希望と勇気をもち得るのだ。近衛首相が国民の前に顔を伏せて、支那事変の責任は我にありと言つてる時、一方でまた当局者が、百年戦争などといふ如き、神秘めいた不可解の謎々を説くやうでは、到底民衆の不安は救へないのだ。
 今の日本の政治者中には、驚くべき大ロマンチストが居るやうに思はれる。彼等の説教はかうである。すべての日本人たるものは、常に国家百年のことを考へ、私を捨てて公に奉公せねばならない。今日の事態に於て、自己一身のことは勿論、家族や子孫等のことを考へるものは、時局を認識しない非国民であり、憎むべき個人主義者である。真の日本国民たるものは、汝の一切を犠牲にして、子孫百代の後の国家を考へ、二十一世紀に於ける大日本の発展を夢むべきである。「国民よ。夢を持て!」と。
 たしかに、その言ふ如くであるならば、日本は万々歳にちがひない。だが大多数の民衆は ― どこの国の民衆でも ― 目前の生活や食物に執着してゐるところの、そして高邁永遠の観念よりも、卑俗な現実に生きてるところの俗物であり、孔子の所謂「女子と小人」のグループにすぎないのである。


     「説教」でなく「演説」が肝要

 政治家の政治家たる手腕は、要するにかうした女子小人の一大グループを、巧に甘やかしたり叱つたり、時にはまた方便のトリックにかけたりして、自由に操縦することに帰するだらう。民衆は決して君子でもなく聖人でもない。彼等に向つて士君子の道を説き、その現実的なる欲望を否定せよと教へる如きは、決して賢明なる政治家のすることではない。賢明なる政治家は、一方で民衆を叱咤しながら、一方ではまた、常に民衆を悦ばす術を知つてるのである。
 それ故に政治の術は、小学校の教育や軍隊の教育とは、全く根本から質がちがつてゐるのである。小学校や軍隊では、修身教科書や教育勅語を朗読して、正課通りを真正直に教へれば好い。だが大多数の民衆は、教室内に居る生徒でもなく、兵営内に生活する軍人でもない。彼等は現実の世間に生活し、命の糧を稼ぐ為に、日夜にあくせくとして働きながら、世俗のあらゆるセチ辛い処世術と、狡智にたけた懸引の算盤玉を、精根蓋して経験してゐるところの人々である。彼等に向つて説教するものは、決して軍隊的の口調を用ゐたり、学校教師的のゼスチュアをしてはならない。即ち言へば、真の「政治家的口調」と「政治家的ゼスチュア」のみが、よく大多数の民衆を指導することができるのである。
 といふ意味は、よく俗社会の事情に通じ、民衆心理の機微を知つて、国民大衆の意向するところ、欲情するところを知悉してゐる人のみが、初めて政治人としての資格を所有し得るといふ意味である。

  ― 説教と演説 ―

 徳川幕府の政治は、一種の説教政治であつた。いかにしばしば幕府が、人民に向つて倹約を説き、親孝行を説き、奢侈を戒め、お上への忠義と奉公を説教したか。そして此等の説教が、お上の「お触れ」として言はれる時、それは違背者への厳罰を意味してゐた。説教政治は、子供への教育と同じやうに、罰と教訓を使ひわけにするところの、一種の専制的威嚇政治に外ならない。故に人民が成長して、彼等自身の批判と見識を持つやうになつた時代は、もはやその手が利かなくなる。新しい時代の独裁政治は、「説教」の代りに「演説」をする。演説とは、公衆に向つて所信を叙べ、自己の抱懐する政策や国策やを、堂々と披瀝し、主張することである。即ち現に、ヒツトラアやムツソリーニがしてゐるやうに。 ― 今の日本の悲哀は、説教者ばかりが居て、演説者が居ないといふことである。


 これは昨年出版した私の書物、「港にて」の中に納めた小文だが、最近になつても、まだこの日本の事態は変つて居ない。官辺筋の宣伝やラヂオの放送を聞く毎に、「もう説教は沢山だ」といふ感銘を抱くものは、決して私一人ではないであらう。今日僕等の民衆が聞きたいものは、実に「説教」でなくして「演説」である。即ち具体的にいへば、施政の方針を明らかにし、国策の本質を解説して、よく大衆の理性に納得のできるやうに、政府の意向を正しく披瀝してもらひたいのである。
 最後に付言するが、元来私は気質的の文学者であり、政治の如き俗界の問題には、全く没交渉の生活をして来た詩人であつた。かつて以前、左翼思想の政治運動が流行して、多くの詩人や文学者やが、こぞつてそれにかぶれた時でさへも、私は全く没交渉の生活をし、その種の政治問題に対して、少しも関心をもたなかつた。さうした私のやうな風流人が、今日こんな文章を書くことの熱情に迫られてるのは、我ながら不思議の次第でもあり、そこにまた現代日本の、容易ならない重大問題があると思ふ。