第四〇号(昭一二・七・二一)
 派兵に関する政府声明
 北支派兵に至る経緯   陸軍省新聞班
 軍機保護の必要性    陸軍省新聞班・海軍省海軍軍事普及部
 最近に於ける第二十九軍の不法事件 外務省情報部
 地方長官会議に於ける近衛内閣総理大臣訓示
 最近公布の法令         内閣官房総務課

 

  軍機保護の必要性
                     陸 軍 省 新 聞 班
                     海軍省海軍軍事普及部

 商工業に於ては、商品の原価、販売政策、将来の計量、生産費、製造技術上の特長等は皆之を秘密に保つ。何故秘密に保つかと問へば、必ずやそんなことは分りきつたことではないかと答へるに相違ない。こんなことを公開すれば商工業者は其の利益を害はれることゝなるから、これらの秘密はよく保たれて居るのが一般である。
 国家に国防上、外交上、其の他の必要から他の国に対して秘密に保たぬばならぬことが非常に沢山あり、且其秘密は国家の利害、特に重大なるものでは国家の存亡に関するものであるから、秘密の程度は一般商工業上の秘密とは段違ひは重要なるものであることは、今更茲に申述べる迄もない。
 然るにこれら国家の秘密は、一般商工業上の秘密程個人の直接的利害が尠い為か、国民一般の之に対する関心が充分でなく、自分では別に気が付かずに他国に重要なる情報を提供して居る様な例も尠くない。
 又国防、外交、又は国家産業経済政策上等から秘密に保たねばならぬことが新聞雑誌等に掲載せられて、国家として尠からす迷惑を蒙つた例が尠くない。之に対しては、斯る記事の資料を提供したもの及び新聞雑誌社側に其の考慮を要望せられることは勿論であるが、同時に一般国民の中にこの様な事項の突込んだ記事、扇動的な書振りを歓迎するといつた様な風がないでなからうか。国家に関する事項に国民が関心を有するのは当然であるが、無制限に発表することは決して国家の利益ではない。若し国民が其の限度を越えて秘密の内容を知りたがり、中正な客観的な報道を喜ばぬならば、斯様な風は新聞雑誌に秘密に属する事項の掲載を強要するの結果となるであらう。
 以下国家の秘密就中国防上の秘密保特が如何に重要であるかに付て解説を試みたい。

   一 列強の軍機保護法の梗概

 孫子に「彼ヲ知リ己ヲ知ラバ百戦殆カラズ、彼ヲ知ラズシテ己ヲ知ラバ一勝一負、彼ヲ知ラズ己ヲ知ラザレバ戦フ毎ニ必ズ敗ル」と言ひ、又「其ノ備ナキヲ攻メ其ノ不意ニ出ヅ是兵家ノ勝ナリ、故ニ先ヅ伝フベカラザルナリ」と言つて居る。敢へて孫子を引用する迄もなく戦はんとすれば先づ敵情を知るを要する。そこで各国は戦時は固より平時に於ても表面的に裏面的に凡ゆる手段を尽して他国の事情を探知せんとし、之に対して各国は自国の軍機保持の為必要なる手段を講じ、更に軍機保護法を制定し、軍機漏洩に関する罪には重刑を課して其の万全を期して居る。
 英国では一九二○年改正の機密保護法に於て

 第一条 国家ノ安全又ハ利益ニ不利ヲ及ホス目的ヲ以テ左ノ行為ヲ為シタルモノハ重罪ノ刑ニ処ス
  一 本法ニ依リ禁止シタル場所ニ接近シ又ハ其ノ附近ニ止リ又ハ其ノ場所ニ立入ルコト
  二 敵ニ直接又ハ間接ニ利用セラルヘキ官庁用暗号電信帳、隠語、見取図、設計図、模型、覚書
     其ノ他ノ文書又ハ報道ヲ作製スルコト
  三 敵ニ直接又ハ間接ニ利用セラルヘク官庁用暗号電信帳、隠語、見取図、設計図、模型、物件、
     覚書其ノ他ノ文書若クハ報道ヲ取得シ又ハ之ヲ他人ニ告知スルコト

と規定してあり、禁止場所として防禦営造物、陸海軍工廠、飛行場其の他の航空施設、工場、造船所、鉱山、鉱区、陣営、艦船又は航空機、電信・電話・無線電信局、信号所其の他の官署、戦用費材の建築・修繕・製造若は貯蔵の用に供する場所、戦時に使用する金属類油類其の他鉱物の取得の用に供する場所、特に定められたる鉄道・道路・運河其の他陸上若は海上の交通施設、ガス製造所、水道、発電所等が挙げられて居る。
 米国では一九三五年軍機保護法の第三十二条に国防上の機密を漏泄したものは死刑若は二十年以下(戦時は三十年以下)の懲役に処する旨規定してあり、間諜取締法では、艦船、飛行船、城砦、軍港、要港、海底塁、貯炭所、堡塁、砲台、水雷敷設地、造船所、運河、鉄道、造兵廠、陣営、工場、鉱山、電信、電話、無線電信信号所、建築物、事務所等及軍需関係工揚、貯蔵場などに関する情報が其の処罰の対象とせられて居る。

 独国刑法第八十九条には

 国家ノ機密ヲ漏泄セント企テタル者ハ死刑ニ処ス

とあり、独逸国民に対する裏切及大逆内乱罪の秘密運動に対する一九三三年二月二十八日の大統領令第一章には

 第一条 背叛罪又ハ軍機ノ漏泄若ハ探索ノ罪ヲ犯シタル者ハ左ノ区別ニツテ処罰スルヲトヲ得
  (一) 軍機ノ重大ナル漏泄(軍機保護法第一条第三項)ノ場合ニ在リテハ死刑
  (ニ) 刑法第九十二条第一項ニ依ル背叛罪及軍機保護法第一条第一項及第二項ニ依ル軍機ノ漏泄ノ場合ニ在ツテハ死刑又ハ終身間ノ重懲役
  (三) 軍機ノ探索(軍機保護法第三条)ノ場合ニ在ツテハ死刑又ハ終身間ノ重懲役又ハ十五年以下 ノ重懲役

と規定せられて居り、軍機漏泄の罪は背叛罪と同等若は夫以上に取扱はれて居る。

 仏国刑法(一八一〇年制定、一八三二年改正)には第八十一条に

 官吏政府ノ職員及使用人ニシテ職務上要砦、工廠、港湾ノ図面ノ保管ニ任シタル者図面ノ全部又ハ一部ヲ敵又ハ、敵ノ役員ニ交付シタルトキハ死刑ニ処ス

とあり、第八十二条には右以外の者の間諜行為は之に準ずることが規定せられて居る。又一九三四年の仏国間諜処罰法に於ては本国、植民地又は保護国の防衛若は経済動員又は対外安全に関する軍事上、外交上若は経済上秘密とすべき文書、図書、物件、情報が処罰の対象となつて居る。尚一九一四年の戦時は於ける新聞紙の秘密の漏洩抑制の為の法律に於ては、特に指定せられたるものゝ外、動員・軍隊及軍需品の輸送の行動、現員・軍団構成・統合、帰休兵又は帰郷兵、負傷兵・戦死者又は捕虜、防禦工事、武装・軍需品・糧食の状態、衛生状態、最高司令部内に於ける任命及交代、本隊枝隊及艦隊の、構成配置及移動、其の他凡て敵をして之に乗ぜしめ又は車隊若は民衆の精神上に憂ふべき影響を起さしむる性質を有する軍事外交の行動に関する凡ての報道又は通信は之を新聞に掲載することを禁止して居る。

 一九三〇年の伊国の刑法典に於ては国家の安寧に関する書類又は証拠物の除去、贋造又は奪取、情報の収取の罪にして国家の戦争準備又は效果若は軍事行動を危殆ならしむるときは死刑を適用する
ことを規定してある。又同法典の第二百五十七条の政治上又は軍事上の間諜に付ては

 (一) 若シ伊太利国卜戦争中ニ在ル国家ノ利益卜為ル行為ヲ為シクルトキ
 (ニ) 或ル行為ガ国家ノ戦争ノ準備又ハ效果若ハ軍事行動ヲ危殆ナラシメタルトキ

には死刑を適用すと規定して居る。

 「ソ」聯邦に於ては刑法中に

 間諜即チ特ニ保護スヘキ内容ヲ有スル国家ノ秘密情報ヲ外国ノ国家及革命団体又ハ個人ニ交付シ又
 ハ交付スルノ目的ヲ以テ竊取若ハ蒐集スル者ハ社会的保護手段トシテ三年以上ノ自由剥奪ニ処シ若
 シ之カ国家ノ利益ニ重大ナル結果ヲ及ホシ又ハ及ホシ得へキトキハ銃殺ニ処ス

と規定し、保護すべき内容を有する国家の秘密情報を次の通定めて居る。

一  軍事情報

  一 労農赤軍ノ部隊、司令部及官衙ノ配置竝ニ軍事的保護ノ対象物但シ陸海軍人民委員ノ特別訓令
     中ニ指摘セラレタルモノヲ除ク
  ニ 聯邦兵力ノ編成、数量、養成、技術的装備、財政、給与及一般状態
  三 赤軍ノ動員及作戦計画(一般的及部分的)、計算、企画、方策竝ニ赤軍、産業、運輸、通信及国 家一般ノ動員装備
  四 軍需工業全般竝ニ軍需注文ヲ引受ケタル其ノ他ノ工業ノ配置、施設、能カ、会計、生産計画
  五 技術上其ノ他ノ新規国防手段ノ発明
  六 秘密又ハ公表スヘカラサルモノト布告セラレタル聯邦国防ニ関係アル出版物及文書竝ニ同出版 物若ハ文書ニ基ク諸資料
二 経済情報

  七 国軍ノ資金状態、聯邦ノ収支勘定及金融計画
  八 発見、発明若ハ技術的改良ニシテ労働国防会議又ハ聯邦最高国民経済会議幹部会ノ決定ニ依リ国家ニ対シ特ニ重要ナル意義ヲ有シ秘密ニ付スヘキモノト認メラレタルモノ
  九 各国ノ貨物ノ輸出入ニ関係アル計画若ハ予定又ハ各個ノ貨物ノ輸出基金ニ関スル細目情報

三 其ノ他ノ情報

  一〇 「ソ」聯邦及外国間ノ交渉及協定竝ニ外交政策及外国貿易上ニ於テ「ソ」聯邦ノ一切ノ措置及言動ニ関スル情報中公表セラレタル資料ニ基カサルモノ

 以上主要国の国防上の秘密保護に関する法令の二三の要点を紹介したが、何れの国も重大なる軍機の漏泄に対しては極刑を以て臨んで居るが、これら法令に於て特に注意を喚起したいことは国防上の秘密保護の包含する範囲が純軍事的のものゝ外、軍需関係の工場、造船所、鉱山、鉱区、発電所、水道、戦用資材及之に関係する施設、電信・電話・無線電信局、鉄道・道路・運河、其の他水陸交通施設、ガス製造所から一般経済産業に関する情報、糧食、衛生状態、思想方面等に迄及んで居ることである。これは近代戦が国家の人的物的凡ゆる資源を動員して行はれると言ふ特性に基く当然の帰結であつて前述の諸項は諸外国の諜報の対象となり得るものである。従つて今日に於ては外国からの注文の引合に工場の能力、施設、製品種目等の問合せがあつても迂闊には返事が出来ず、又工場等の視察の要求があつても無制限に之を開放する訳には行かない。極端に言へば日常の国民生活の総てが大なり小なり国防上の秘密に関係があるといふ油断のならない時世になつて居るのである。

    二 我国の軍機保護法

 ところで我国の軍機保護法は如何と言ふに、明治三十二年即ち今から約四十年前制定せられたもので、言はゞ時代遅れのもので近代戦の特質に鑑み遺憾の点が尠くない。それで関係省間で其の改正案を研究立案し本年の第七十議会に提出せられたが衆議院解散の為協賛を得るに至らなかつた。右改正案は今度の特別議会に再び提出せられる予定であるが、改正の要点は大体次の通である。

 一、軍事上の秘密の種類範囲を明にすること
 ニ、刑の範囲を適当にし弾力性を与ふること
 三、間諜団を組織した者等を厳罰する規定を設けること
 四、防空其の他国土防衛の為所要の規定を設けること
 五、秘密の演習、実験を秘匿する為一定の土地、空域、水面に対し臨時短期間の立入禁止若は制  限を為し得ること
 六、外国船舶の不法入港に対する規定を設くること
 七、其の他悪意を以て外国に軍機を漏泄したものと然らざるものとの処罰上の区別、過失に依り軍  機を漏泄したるものを処罰すること

等である。

     三 軍機保護上どんなことを注意せねばならぬか

 前述の改正が実現すれば従来の軍機保護法の不備の点は余程除去せられることゝなると思ふが、軍機は漏れてから之を漏らした者を罰しても既に後の祭である。故に軍機の保護は之丈けで完全に行ひ得るといふものでなく、之を漏らさぬ様に国民一般が自覚することに俟つ部分が非常に多い。
 純軍事的施設の秘密に付ては一般に関心が深い様であるが、前にも述べた様に国防上秘密を保持せねばならぬものは純軍事的以外のものに総動員に関係する方面に沢山ある。例lへば交通網、道路網、鉄道車両数、自動車数、商船数(秘密には出来兼ねるが)、水陸交通施設等は戦時輸送能力推定の資料となり、航空工業、自動車工業は戦時航空兵力、機械化部隊兵力推算上欠く可からざる要素であり、化学工業、染料工業等は以て火薬その他の化学的資源の戦時製造能力の推定資料となり、発電所や、電信局、重要工場、水源地等の位置・写真、都市の俯瞰写真等は戦時爆撃目標の好参考となる。又文化団体、社交団体等に於て其の思想系統を調査しておけば思想戦の重要なる資料が得られる。斯様に国防上秘密を保たねばならぬことは到る処に在り、従つてこれらに関する不用意なる談話は大いに慎しまねばならぬ。
 由来日本人は警戒性に乏しいと言はれる。汽車や電車、乗合自動車や公衆の前で軍事上の話や、会社の能力や其の他色々のことをよく喋るがこれは甚だ危険である。新聞記者の中には通勤の汽車や電車の中で他人の話から特種の緒口をよく見付出すといふが、或る会社の社員、職工が多く通勤する電車や汽車に気永く張込んで居れば必ず何等かの情報は得られる。又軍人の集合する場所に張込むことは間諜の常套手段でもある。内外人が多数出入するホテル、倶楽部等に於ては御互の談話の内容に特に留意すべきことは勿論である。
 近代的欧米崇拝者流の婦人の中には外国人と交際すると言ふ虚栄から不知不識に外国諜報者の手先棒を担いで居つたと言ふ様な実話もある。尚坊間(ばうかん)の著書に書いてある様な間諜組織及其の暗躍、秘密無線電信設備に依る通信、精巧なる写真機の使用、隠語・秘密インクに依る通信等は全然荒唐無稽の小説ではなく、実際こんなことが今日現実に行はれて居るのである。斯様な訳で何処に間諜が潜んで居るか分らぬ、油断も隙もならないといふのが実情である。
 而してどんな些細な一般人が考へたらこんなものと思ふ様なことでも専門家が見れば其の事項全貌諜知の端緒(いとぐち)となり、又小さい事が沢山集れば其の中心を推定し得る得のであるから、つまらないものでも事国防上に関するものは迂闊に喋つたり放置してはならない。我国の各種の出版物を買集めて其の内容を科学的に分類整理して我国の戦争能力を丹念に調査して居る国もある。官庁・官吏・軍人の家庭から出る紙屑を買集めて情報を蒐集する様なことは諜報道(ていほうだう)の第一課である。況んや秘密書類入の戸棚に鍵を掛けずに、甚だしきは之を机の上に出し放した儘室を空にする等は以ての外のことゝ言はねばならぬ。
 次に一言附け加へて置きたいことは、外国人と見れば諜報者扱ひすることは慎むべきことである。勿論外国人中には諜報に従事して居るものもあるから警戒は充分にせねばならぬが、夫れかといつて、わざわざ日本の事情を外国に紹介して貰ふ為にこちらから招待した外国人や観光客乃至は正当な手続をして国内視察旅行をして居る善意の外国人が到る処間諜扱せられ、其の感情を害した例が尠からずあるが、斯様なことは国際友好関係増進、日本の真姿紹介等の見地から見てあまり感心出来ぬ。これら外国人に対しては国民が国防上何を秘密にせねばならぬかを充分に心得て居つて、露骨にならぬ様に、差支なき範囲に於て努めて懇切丁寧に取扱ひ、よき日本の印象を与へる様にしたいと考へる。
 何を国防上秘密に保たねばならぬかに付ては前に簡単に例を示したが、軍機保護法に包含せられる軍事上の機密の範囲は同法の改正が出来た上は陸海軍の省令で公布せられる筈である。又軍機保護法は純軍事的秘密を保護の対象とし、総動員其の他国家、国防上の秘密は包含せられてゐないが、これらの秘密保護は普通刑法の改正又は他の立法に依る方針で進んで居る。
 最後に参考として軍機保護に関する世界大戦中に於ける二三の実例を紹介し筆を擱くことゝする。
 大戦中英国では海峡横断の連絡船の発着時間表の公開が禁止せられた。之には一般旅行者竝に鉄道職員が大に迷惑したことは誰しも想像出来る。然し之が為に海上の警備と相俟つて海峡横断の船舶は殆ど独国潜水艦に撃沈せられるものはなかつた。
 ガリボリ半島(ダーダネルス海峡西側の半島)の上陸作戦に於ては聯合軍側は計画の変更其の他で準備に暇取り、其の中に新聞にも上陸作戦のことが掲載せられた様なこともあつて、聯合軍側の企図は事前に敵側に暴露した為、同盟軍側は充分に陸上防備を固め、同作戦の失敗の重大なる原因を為した。
 反対にジーブルジュの閉塞戦に於ては、英国当局は全国の新聞に極秘に通牒を発して記事掲載を禁止したが、各新聞社は忠実に之を守つた。為に閉塞用汽船二隻の徴発、準備に三箇月を要し、剰さへ実施に当つては二回も中止し三回目に決行したにも拘らず、本計画は全然事前に漏泄した形跡はなく、彼の大成功を収むるを得た。
 英国では大戦中艦船の乗員が日記を附けることを禁止したといふことである。此の令達はジャットランド海戦後に出たもので、同海戦の際沈没した艦船から漂流した小箱の中から一士官の頗る詳細な日記が発見せられたに依るとのことである。