君主国の強と民主国の弱

 人の進歩発達は精神集中の結果である。精神が肉体を通じて働いた結果であ
る。国家の進歩発展は国民の一切の善良なる努力の集中したる結果である。我
等は、未だ曾て、精神活動力の集中によらずして人の進歩発達したる例ある
を聞いたことがないと同様、国民の努力に拠らずして国家の進歩繁栄したる事
実あるを聞いたことがない。而かも斯かる事実が現在に於て世界の何処にも存
在せざるが如く、過去に於ても一国たりとも有つた事実が無い。然し我等は、
今茲に斯かる個人なり国家なりが、現在に存在し又は過去に存在せし事実有り
や否やを論ぜんとするものではない。又た斯くの如き人間が有り得べきか。斯
かる国家が将来に於て実現することの可能なりや否やを論ぜんとするものでも
ない。今茲に我等の言はんとする所は、君主国の強なる理由と民主国の弱なる
所以との問題である。
 我等が、這般の世界的戦争に於て、最も痛切に感ぜざるを得ざる所のものは、
交戦国数の多いことでなく、全戦線の長大なることでもない。又た戦費の巨額
なることでもなければ、戦闘の数の多大なることでもなく、戦場に於ける負傷
者の数の古今無類に大多数なることでもない。さりとて又た急速なる武器の進
歩でもなければ、露国の革命でもない。況んや商船の被害の頻々たるをやで、
我等が、其等の事実以上に而も先づ第一に痛感せざるを得ざる処のものは、即
ち独逸の強である。
 我等は決して敵を称揚せんとするものではない。我等は敵の正義人道蹂躙の
蛮行を悪むことに於て、断じて人後に落ちざるを言明するに躊躇せざるもので
ある。然しながら、我等は、敵の非文明的行動心状を憎悪することに於て世界
中の何人にも劣らざるものであると同時に、兎にも角にも独逸が敵ながらも強
大振りの天晴なるに感心せざるを得ない。蛮的強大其物には感心せざるも、上
下一致団結して一歩も歩調を乱さゞる国民の忠君愛国の鞏固熾烈なるに感心せ
ざるを得ないのである。今や世界大小国は総立ちとなつて独逸の撃滅に全力を
尽して居り、而かも既に三個年の日子(につし)を費し、莫大なる戦費と人命とを費して
居るにも拘はらず、独逸を撃滅し得ざるのみでなく、其兵を独逸国内に駆逐し
て封鎖することさへも出来ない状態である。海外電報によれば、最近に於て聯
合軍連戦連勝し、独逸軍連戦連敗し、遠からずして敵を国内に逐(お)ひ込み、城下
の盟を為さしむるの日に達すべき見込み十分なるやうであるが、我等をして正
直に批判せしむれば、我等は此等の海外電報は、其発信所の如何に拘はらず、
直ちに絶対の信を置くべきでない。即ち、我等は、戦争に関する一切の海外電
報を見るに当りては、先づ内容に幾何の割引をなすべきかを考ふべきである。
則ち誇大的吹聴的広告的割増付の戦報であり、其の実際は此の戦報の文字よ
り数割を引去つて見るの必要がある。何となれば、戦争に関する海外電報は、
実際と相違したること多いからであり、又た其等海外電報の内容が悉く信ず
るに足る真実掛値なしの報道であるとすれば、戦争は既に終結し、今頃は各国
共戦後の国力回復に熱中して居るべき時代の筈であるからである。然し我等
が茲に論(い)はんとする処は海外電報の真偽如何の問題ではない。且つ又電報の内
容に如何の懸値ありやの問題でもない。我等の論ぜんとする所は、君主国の強
なる理由と民主国の弱なる所以である。
 兎にも角にも、我等は今回の対独戦争に於て、一つの大なる実際的教訓を与
へられた。其れは君主国の強と民主国の弱である。即ち、君主政体は政体とし
て、最上の政体であり、民主政体は国家の政体として不完全なる政体であると
云ふの一事である。国家国民を統一する上に於て、君主政体は理想的のもので
あつて、民主政体は寧ろ国家の基礎を薄弱にし、国民の団結力を脆弱ならしむ
るものであると云ふことである。少くとも、今回の戦争に於て、此の論理が事
実によつて証明されて居ることは、恐らく何人と雖も否定することの出来ない
事実である。
 然らば、何故に君主政体は国家を富強ならしめ、国民の団結力を強固ならし
むるか。又民主政体は何故に国家の基礎を危くし、国民の団結力を脆弱ならし
むるか。其の理由は、頗る簡単であり明白である。即ち、君主政体の国には君
主と云ふ国家の中心があり、一切の国民は此の中心に統合せらる。随つて平常
時に於ても非常時に際しても、国民は君主を中心として一致団結するのである
が、民主国にあつては其れがない。大統傾と云ふ元首はあつても、此の大統領
は国民の投票によつて、一定の期間元首の事務を司掌するに過ぎざるものであ
り、其の権限も制限的で、一切の国民を精神的に統御する精神的力がない。随
つて大統領の命令は、仮令其の形式が如何に峻厳秋毫も犯すべからざるもので
あるにしても、国民をして精神的に絶対服従を為さしむるには余りに貫量が軽
く、効力が薄弱である。随つて又た国民の国家に対する思想は個々分裂的であ
つて、愛国的観念は、或者は強烈であつても或物は頗る稀薄であると云ふを免
かれない。一切の無政府主義、一切の社会主義、一切の個人主義、一切の自由
主義、一切の利己主義、一切の享楽主義、一切の刹那主義、一切の動物的還元
主義と云ふが如き、国家の基礎を薄弱にし、国民の団結力を脆弱にし、富国た
り得るも弱兵たらしめ、国民を挙げて腐敗堕落せしむる不健全なる一切の主義
思想は、殆んど悉く民主国に於て胚胎して居るのは何うである。之れ取りも直
さず、民主制は国民を非国家的に発達せしめ、国家の基礎を脆弱ならしむる事
実上の証明でなくて何である。
 之れに反して、一系の君主を中心とし、一切の国民が、君主を中心として思
想し行動する国は、一切の国民が皇室中心と云ふ、大なる思想主義の下に総括
統御せらるゝが故に、其の国民の君國に対する精神は常に一定不変である。常
に安定的である。太陽を中心として、太陽系に属する一切の惑星が、常に一定
不変の法則によつて運行するが如く、何時如何なる場合に於ても、皇室中心主
義と云ふ大なる法則を遵奉することを忘れず、必ず一切の思想一切の行為行動
も、此の大なる法則によつて為し、国民は自然的に統一せられ、非国家的思想
を有するもの、又は非国家的行為行動を敢てするものゐれば、全国民は一斉に
起つて、此のバチルスに対して峻厳なる制裁を加へ、以て国民中に非国家的不
健全なる思想の発生を予防撲滅し、期せずして国民の精神的統一を図る。既に
国民が精神的に統一されてあれば、其国民の団結力が確固不動不抜のものであ
ることは言ふまでもなく分明事(ぶんみやうじ)である。
 独逸が殆んど各世界の大小強弱国を一手に引受け、既に三年戦ふも未だ屈
せざるのみでなく、最後の勝利は我独逸に在ろと信じ、全力を挙げて戦を継続
しつゝあるの強と勇とは、我等は敵ながらも感嘆せざるを得ない。正不正は別
問題とし、兎にも角にも独逸の強大なることは、小学生に至るまで痛切に感じ
て居る処であり、聯合国中の一国と独逸とを比較して何れが強なりやと問はゞ、
彼等は必ずや一言の下に独逸の遙かに強なるを断言するに躊躇するものでな
い。否(い)な、彼等頑是なき児童のみでなく、我等と雖も、正にもあれ不正にもあ
れ、善にもあれ悪にもあれ、独逸が意外に強大なるを認めざるを得ざると同時
に、事実に於て独逸の強勇を認容せざるを得ないのである。
 我等は、必すしも狂暴なる敵国を称揚せんとするものではないが、若し一国と
一国と戦はゞ、恐らく英国の大を以てするも、仏蘭西の文明を以てするも、米
国の富を以てするも、露国の大人ロを以てするも、到底、絶対に独逸を制する
ことの不可能事なるを断言して憚からない。此の我等の断言を不当なりと言ふ
ものあらば、我等は現在の事実を見よと言はんとするものである。
 現在独逸側の味方として起てるものは、墺洪国其他一二あれど、是等は開戦
当時に於てこそ多少独逸側に利益を与へたに相違ないが、今日では寧ろ足手纏
ひの姿となつて居る傾無きにしもあらずであり。殆んど独逸一国を以て聯合国
に当つて居るものと見て差閊ない。独逸一国で全聯合国に当つて而も未だ屈せ
ざるの事実は、之れ即ち全聯合国が総懸りとなつて而かも未だ独逸一国を屈伏
せしめ得ざるの事実である。数個国の世界的強大個が一団となつて而かも未だ
完全に戦争の目的を達成し得ない事実は、之れ又直ちに一国と一国との単独的
戦(たゝかひ)に於て、英仏露米何れの国と雖も、到底独逸の敵にあらざることを、事実
に於て立証せるものでなくて何である。