国歌の意を徹底せしめよ

 我等が、寒村僻地の樵人農夫に向ひ、『君が代』の歌は何であるかの問を以てした時、彼等は、即座に、其れは国歌であると答ふるに躊躇しないであらう。又、我等が、小学児童に対し、日本の国歌は何であるかの問を発した時、彼等は、異口同音に、其れは『君が代』であると言ふに逡巡しないであらう。
 斯くの如く、『君が代』が日本の国歌であり、日本の国歌が『君が代』であることは、我国民悉皆に詳知されて居るにも拘はらず、予が、特に茲に、国歌について言説するは、一体全体何の必要があるか。
 通り一遍に解釈すれば、『君が代』が、我国歌であり、我国歌が『君が代』であることが、目に一丁字無き田夫野人にも、鼻垂しの小僧にも、詳知せられ、又、立ン坊、乞食と云ふが如き日本国民としては、端塊(はしくれ)であるか破片(かけら)であるか、殆んど言ふに足らざる徒輩に至るまで、百も二百も承知せられて居る以上、予の為さんとする言説は、寧ろ説かざるの繁なきに如(し)かざるがやうであり、蛇を描いて更に又足を描かんとするの無駄であると云ふが適当なる結論であらう。
 然り、或は、言ふは寧ろ野暮であり、説くは即ち蛇足であるかも知れぬが、然し予が、其野暮であり、蛇足であることを万々承知して居りながら、猶は且つ、自ら進んで、其の野暮たるを甘んじ、蛇に足を附せんとするが如き言説を敢てするは、野暮となり蛇足を附して喜ばんとする児戯的無意義でなく、野暮と言はれ、蛇足と評されても構はず、頓着せす、言説せざるべからざる重大問題の存するが為めである。
 折に触れ、時に際し、予は、附近の小学児童を捉へて、国歌の意味について、質問を試みたことがしばしばあるが、未だ曾て、一度も満足なる答弁を得たことがない。児童の年齢より見るも、学級の程度より云ふも、当然領解し居るべく思はれるものにも、矢張り満足なる解釈を有して居るものはなかつた。予が試問した児童の数は、殆んど五十以上であるが、予は、其都度、多大の失望を与へられ、今日の小学教育が、殆んど一片の形式に流れ、小国民として与ふべき重大なる項目が、悉く閑却されて居るのではないかを疑ひ、世の識者が、此際小学児童教育について、内面的考察を為すの緊急なるを痛感せざるを得なかつたのである。
 他の國體の如く、国民在りて帝王あるのでなく、天皇あり皇室ありて国家あり国民ある我日本に於ては、国民本位でなく、皇室本位であり、国民中心主義でなくて皇室中心主義である。我帝国に於ては、大祭祝日は素より、東西古今に比類無き我國體は、帝国の光輝ある生命を永遠無窮に安置せしむるものであることを示し、且つ祝福せる国歌の如き、頑是なき小学児童にまでも、其意義意味を、満足し徹底せしむることは、国民教育の精髄であり、基礎であり、根柢であり、仮令(たとひ)、他の一切を閑却することはあつても、これのみは、絶対に、閑却すべからざる、最重の事柄であり、最要の項目である。
 然るに、十分に歌意を徹底せしめあるべき小学児童に徹底し居らず、十分に徹底的に歌意を領解し居るべき小学児童が、只だ単に国歌であると云ふ輪廓のみを知りて、歌意に於ては、殆んど全く領解して居ないのは、実に、我等の意外に感ぜざるを得ないと同時に、小学教育の不完全なるを思はざるを得ないのである。
 国歌は、如何なる場合に於ても、最も厳粛に、最も慎重に、誠心誠意、全精神を最極度に緊張せしめて唱歌するが、絶対の条件である。即ち、精神を以て歌ふべきもので、無意味に口先のみで歌ふべきものではない。然るに、小学児童が、歌意の領解なくして唱歌して居るのは、精神を以て、誠心誠意に唱歌するのでなくて、教へられた歌句を教へられたまゝに、覚えた音律の節調を覚えたまゝに、放心的に、無意味に、唯だ口先のみで唱歌して居るに過ぎない。斯くの如き、無意味の唱歌は、所詮お役目的であり、お義理的であり、形式的であることを免かれないのみでなく、国歌及び国歌を歌ふ根本の意義目的を没却するものである。換言すれば、何の為めに国歌を歌ふのであるか、歌はしめるのであるか、全然無意味である、も一度語を換へて言へば、都々逸や端唄(はうた)を歌ふと、其精神に於て相異する処なく、歌ふも可、歌はざるも可、結局、精神的国民教育には、殆んど何等益する処はないのである。
 我等は、教育当事者が、神厳な国歌を野卑なる都々逸や端唄と同一視して、児童に歌はしめて居るものとは信じない、又ではないかを疑はんとするものでもない。我等は、必ずや、重大深遠なる意義を有する国歌として、慎重なる考慮の下に歌はしめて居るに相違なきを信ぜんとするものである。然し乍ら、其結果に於て、少くとも、都々逸や端唄を歌はしめて居ると同様の結果を生じて居るのは、到底、抹殺すべからざる、絶対に、否認すべからざる現在の事実である。
 殊に、予が試問したる五十余人の児童中、歌句の、無限無窮の意味である所の千代に八千代にの「千代」を一千年八千代」を八千年と解し、或は、天皇御一人の御在位期間を一代とし一千代乃至八千代の期間の意と解して居る者が大多数を占め、自余の少数者は、全然、何等の具体的解釈をも下し得なかつたのである。又、「さゞれ石」の「さゞれ」の意味、並(ならび)に、「苦のむすまで」の「むす」の意味についても、正解者は極めて少数で、殆んで五指を屈するに足らなかつたのである。此の生ける現在の事実に徴しても、小学児童が、国歌の意について、徹底的領解を有して居ないことが分明(ぶんみやう)である。
 我等は、苟くも児童教育の当事者にして、千代八千代を一千年乃至八千年と云ふが如き、限定的意味に解して、児童に教へて居るものは、恐らく一人も之れ有らざるべきを信ずるものであり、又其れ程のベラボーな無学無識の者を児童教育当時者に採用するほどに、我教育界は幼稚浅薄でないことを信ずるものである。然し、現在、小学児童が、千代に八千代にの千代八千代を一千年乃至八千年の意味に解し居るもの多きのみならず、歌意全体について満足なる領解を有して居らず、歌へど其の意味を知らざるの不徹底なる状態は何(ど)うである。之れ、果して、何人の罪か、教育当事者の罪か、将(は)た児童夫れ自らの罪か。
 予は、再び繰返して言ふ、
 国民ありて帝王あるのでなく、天皇あり皇室ありて国家あり国民ある我日本に於ては、国民本位でなくて皇室本位であり、国民中心主義でなくて皇室中心主義である我帝国に於ては、大祭祝日は素より、東西古今に比類なき我國體は、帝国の光輝ある生命を永遠無窮に安置せしむるものであることを示し、且つ祝福せる国歌の如き、頑是なき小学児童にまでも、其意義意味を、満足に徹底せしむることは、国民教育の精髄であり、基礎であり、根柢であり、仮令、他の一切を閑却することはあつても、これのみは、絶対に、閑却すべからざる、最重の事柄であり、最要の項目である。

(樋口麗陽「珍ぷん感ぷん」大正六年)